2008年06月16日230号 だんご作り

ここのところ田植えに行ったり、社員旅行に行ったり、何かと忙しい?私ですが…
先日は『だんご作り』に行ってきました。
今回は私ひとりで場所も東大和市(東京都)の公民館です。
そうパティシエのエノちゃんの地元です(^_^;)

「何でだんご作りか?」という事ついては223号【エノちゃんの熱弁】
その経緯に触れていますが、
私は『だんご作り』が好きというわけでもなく、どうしてもやりたいと思ったこともありません。
実はこの日、急用が出来たのでエノちゃんに
「どうしても行かなければならないのか?」と電話で確認したら
「参加すると約束したのだからどうしても来てヨ!」と言うのです(^_^;)

定刻5分前に公民館に到着すると
会場には『だんご作り』の言い出しっぺの地元の名士Oさんが
責任を感じてなのか、だんご作りのレシピと材料をキチッと用意して待っていました。
そこにエノちゃんと進行役の芽門さん、プラス3名の参加者と公民館の館長も加わって
計8名で『だんご作り』のスタートです。

言いだしっぺの地元の名士Oさんをはじめ、だんご作りは誰も初めてで
レシピをみんなで見ながら手探りでこわごわ始めるしかありません。
でも「たかがだんごです!」
そんな事を言ったら『だんご作り』に命を懸けてる人に失礼かもしれませんが…
我われが作ろうとしているのは、出来合いの上新粉を丸めて、
だんごを作ろうという、とても低次元の『だんご作り』なのです。

したがって、この緊張感のなさがほのぼのとしていいのです。
また人数が思ったように少ない(^_^;)のも、ほのぼのとしていいのです。
言い出しっぺの地元の名士Oさんも、とても謙虚で、仕事が丁寧で、
だんご作りを心から楽しんでいるようで、これまたほのぼのとしていいのです。

ある程度の作業が終るころ、地元で農業を営む内野さん
遅れてきたお詫びに、奥様に作らせたという”だんご”を持参してやってきました。

みんなでだんごの試食会です。
こうして改めて”だんご”を食べてみると、なかなか簡単に出来て美味しいものです。
エノちゃんがお米で粉で作ったというクッキーもナカナカでした。
もちろん今回もエノちゃんの熱弁もありました。

エノちゃんのお店の名前は【お菓子の文化村・茶屋エポック】で、茶屋という名がついてるのだから
『茶屋の団子・えぽっく』なんてネーミングの新商品も閃いてしまいました(^_^;)

なにはともあれ今回は楽しく終わり、
次回は東京空襲を経験された地元の方のお話を聞くことに決まりました。

そんな中で私はあることを提案させて頂きました。
地元で農業をやられている内野さんも来られたから聞いてみたのです。
毎月1回、例えば第三日曜日の10時から正午までとかを決めて
内野さんの農場で草むしりでも虫とりでも何でも良いから参加させてもらうという事です。
参加者は誰でもOKで、天気がよければ畑で昼食のお弁当でも食べて解散というものです。
1年を通して地元の畑を見るというだけでも、とても有意義なことだと思うのです。
内野さんも私の提案に同意して頂き、具体的に考えて頂けるようです。
もう私のアタマはすっかり農業モードになってきたようです(^_^;)

そうそう地元の名士Oさんですが…
お父さんが東大和の元市長さんでOさん自身も前回の市長選挙で立候補したのですが
200票差で惜敗した人なのです。
そのような人が次回の選挙のための票集めで参加されたらイヤだなと思っていたのですが…
私どうように単なるエノちゃんのファンのようで安心しました。(^_^;)

2008年06月09日229号 社員旅行

この金・土(6日・7日)YUKIと社員旅行に行ってきました。
ロコハウスの社員は私とYUKIしかいませから
年中社員旅行をやっているようなもので、改めて社員旅行をする必要もなさそうです。

では、どこの社員旅行に行って来たかというと
この週間KENでもお馴染みの坂本さんのアカラックスの社員旅行です。
もちろん私もYUKIもアカラックスの社員ではありません。
アカラックスは坂本さん・新越さん・下川さん・沖田さん・星さんの5名の会社です。
5名では社員旅行は寂しいと思ったかどうかはサダカではありませんが…
坂本さんから声をかけられふたつ返事(ヒロコもサカモッチのファン)で参加させて頂く事にしたのです。
結局、我が家で今や最も多忙なヒロコは参加を断念しましたが、
私とYUKIは6日(金曜日)丸の内のTN社に寄ったあと
神田のアカラックスオフィスに向かいました。

オフィスには今回の社員旅行の宿を紹介したインスウォッチ石井さんも到着していて
合計8名で神田駅から東京駅に行って東海道線に乗り込みました。

行き先が湯河原です。
我が家からクルマで行けば1時間半もあれば行けるのですが、
それでは社員旅行の楽しみがありません、みんなで行くから楽しいのです。
ただみんなで行くだけではそれほどでなくても、みんなで飲みながら行くのが楽しいのです。
おあつらい向きに4人がけのボックス席がならんで取れました。
東海道線に乗るのは本当に久しぶりですが、
このような席があるのが感激です。
そしてもっと感激なのが通勤の人達の冷ややかな視線をヨソに
ビールや缶チュウハイで盛り上がることです。(^_^;)

東海道線はアッという間湯河原に着きます。
そこからタクシーでちょっと山を登ったところに目的地【お食事処 花咲き】があります。
ここは生命保険協会の保養所だったところを管理人夫妻が引き継がれ
お二人で細々と経営されているようです。
温泉も宿泊も出来て料理も美味しくて、そして値段も格安ということで
石井さんのご愛用の宿です。

宿に着くと、この社員旅行のもう一人のゲスト?保険情報白根さん
一足早く到着していて、来るときに小田急のロマンスカーでビール3缶、
着いてから風呂上がりにまたビールを飲んで、とてもゴキゲンで我われを向かえてくれました。

食事の用意も出来ていて、お風呂はそんなに大きくないので
なにはともあれ早速カンパイです!
そして新越さんや、沖田さんがお風呂から出て、 またカンパイです!
料理も豪華で美味しいです!
まーそこからは何時もの馴れ親しんだ酒飲みたちとの談笑です。
アカラックスのオフィスと違うのは、帰る心配をしないでトコトンお酒が飲めることです。 

アカラックスの皆様はどなたももお酒をたしなまれますし、
ゲストの4人もたしなまれます(^_^;)
我が家で一番たしなまれるヒロコは出席出来ず悔やんでいました。

部屋に戻ってから本格的に飲んで
そして、その座った位置のまま布団を引いて寝てしまいました。

朝は石井さんが6時前に目をさまし…
私が次に目を覚まし朝風呂を浴びて出ててくると…
坂本さんが2階から「なんてこった!」とネボケながらフラフラと降りてきました。
YUKIも必然的に早くから起きて
宿のテラスから朝のどかな景色と新鮮な空気をいっぱいに吸い込みました。
もちろん朝食の時間までビールを飲んで
朝食でも、もちろんビールを飲むことが出来ました。

もちろん社員旅行ですから、みんなで記念写真も撮りました。 ① 
社員のように迎え入れて下さった
坂本さんをはじめアカラックスの皆様には心から感謝するしだいです。

でも、この旅行で私が一番高齢である事が判って少々ショックでした(^_^;)

その他ハイライト写真     

2008年06月02日228号 田植えに行ってきました!

この土日(31日・1日)YUKIと田植えに行ってきました。
長野県の『蛍の宿を守る会』、宿は【なべくら高原・森の家】です。

ここに「田植えに行こう!」と言い出したのはもちろんYUKIです(^_^;)
なぜここに行こうという事になったのかと言えば『阿弥陀堂だより』という映画です。
YUKIは日本映画をほとんど見ない人ですが、私がNHKのBSで録画したこの映画のDVDを
たまたまクルマの中で見たことがきっかけです。
ゆったり流れる日本の美しい風景にすっかり魅せられてしまったのです。
YUKIはそれいらい、この映画の舞台となった撮影場所を突き止め
そこでホタルも集まる有機農法の農園があることや
いろいろと情報収集をしていて今回のイベントになったという次第です。

31日は朝から雨が降っていました。
11時半に現地集合で、我が家を朝6時30分に出発!
田植えなど初めての二人は、まともな準備もしないで飛び出しました。
本当は半ズボンの裸足でやろうと思っていたのですが100円でレンタルの長靴が
あるというのでそれを借りて、雨をしのぐためにクルマに積んであったビニールのポンチョを着て
こんなスタイルで田植えに挑戦することになりました。
ところが大変です(^_^;)
というか当たり前の事なのかもしれませんが…足元がぬかるんでいるのです。
足を動かそうにも足がぬかるみに深くめりこんで、なかなか抜けないのです。
もう田植えどころではありません(^_^;)
むりやり抜こうとして、ついに長靴が抜けてしまいました。
その時に私は田んぼの中で尻餅をついてしまい
長靴はあきらめて靴下のままやっていたら、靴下もぬかるみに消えていきました。
もうカメラなんて持っておられません、他の人の迷惑にならぬよう
ドロだらけになって賢明に田植えをするしかありません。
温度も低く雨は降り続いていますが、汗びっしょりで雨もまったく気になりません。

無農薬の田んぼはオタマジャクシやミミズやいろいろな生き物がいて
子供たちはおうはしゃぎですが、そんな余裕もありません。
田植えが終わった時の姿です(^_^;) 足元のアップです

このあと近くの温泉ひと風呂あびて
町のボランティアの人たちが作ってくれた山菜料理地酒大盛りあがり、
宿に戻ってからも毎回訪れるというIさんご夫妻や米研究の東大ゼミの青年たちと
もうひと盛あがりして、森のコテッジでバンタンキューで寝てしまいました。

翌朝はうって変わっての良い天気。
昨晩のIご夫妻と屋外で軽い朝食を。
近くの畑まで出かけてアスパラ収穫。    
チェックアウトの後、
ここにくるきっかけと映画『阿弥陀堂だより』のロケ地を探索。     
横川のサービスエリアで峠の釜飯を買って我が家に帰りました。

7月には雑草取りとホタルを見に、
秋には稲刈りに
そして来年は田植えにリベンジしたいと思っています(^_^;)

2008年05月26日227号 小野瑛子健在なり!PART Ⅱ

この週間KENで【小野瑛子健在なり!】を書いたのが2005年の9月でした。
それから3年近く小野さんとお会いする事がありませんでした。

小野さんはお歳に似合わず(^_^;)ネットが大好きな人で、
ご自身のホームページを閉鎖された後も、ミクシーに私達仲間も引き込まれて(^_^;)
お元気な様子を伺っていました。
ところが毎日のようにミクシーに書かかれていたのが
2006年8月17日財部誠一さんとの中国視察旅行の途中からパッタリ止まってしまったのです。
最初は大病をした後だし疲れが出たのだろう、
小野さんのことだから、そのうち書き出すだろうと思っていたのです。
しかし時間が経過するうちに心配になってきます。
小野さんの事務所に確認すれば判るのでしょうが聞くのも怖くなっていたのです。

ところが先日、私のパソコンにこんなメールが入っていました。
ミクシーはマイミク(ミクシー仲間)から新たなコメントが入るとメールで知らせるのですが、
ナント!小野さんがカキコミをしているのです!!

はぁ・・・
最後の日記を書いたのが2006年8月17日。
今日は2008年4月29日。
中国レポートも1日目をアップしたっきり。
1年8ヶ月もの間、私は何をしていたのだろう?
仕事? あんまりやってない。

こんな出だしで始まっています。
小野さんのこれまでの経過やこれからの思いがギッシリと詰まって
とても心が打たれる内容でココには書ききれませんが
ようするに小野瑛子の長い眠りから覚めての復活宣言です!(^_^)
そして、この瞬間からさすが小野さんです!
多くの仲間からコメントが寄せられ小野さんの復活を喜んだのです。

そして先日の22日金曜日、ひさびさに小野さんとお会いする事が出来ました。
まずは四谷3丁目のサイゼリアへ。
この日のメイン・イベントは小野さんのミクシー仲間トシ子さんのシャンソンが聞ける店での
ひさびさのオフ会。
ここを希望したのはCONTAMIさん、ミクシーのプロフィールではガテン系の男性です。
たしかにパワフルではありますがスタイル抜群で3人の子持ちの美女です。
何がパワフルかと言えば4年ほど前に小野さんのオフ会でお会いした時も
バギーに生まれて間もない長女のSちゃんと二人のお兄ちゃんの3人を引き連れて
やってくる活動家です。
(ちなみに私もヒロコをつれてどこで行きましたが3人ですからね^_^;)

この日も夜のシャンソンには子供はムリなので、せめてその前に…
というCONTAMIさんからの提案でした。
その長女のSちゃんも5歳になって、とてもオシャマで頭脳明晰(^_^;)
私の持っていたデジカメの操作もすぐに覚えて我われ3人をパッチリ!
動画の操作にも興味をもってこれも直ぐにマスター、
二人でこんな顔を撮っりあっていました。  Sちゃん(コワーイ)

CONTAMIさん親子とはお別れしてシャンソンのお店へ。
仙台で独立系FPとして活躍されている”べいぶさん”ご主人同伴で参加、
キラキラするような美人の奥様になられていました(^_^)
そして今や【小野瑛子】の名は知らなくても【藤川太】なら知っている…というほどの
売れっ子になった小野さんの会社の社長も務める藤川さんと皆んなで乾杯です。
元週間ポストの記者で赤ちゃんが誕生したのを期にフリーライターとして独立、
赤ちゃんをお風呂に入れるのが日課の入江さんも少し遅れてやってきました(^_^;)
そうそう我が妻のYUKIも参加して総勢8名。
”べいぶさん”のご主人は保険業界とは関係のない有名酒造会社にお勤めの方で
初対面でしたが、あとはもうお馴染みの懐かしいメンバーです。

小さなお店で他のお客様が入ったら満席状態でトシ子さんの素晴らしい歌声
間近で聞く事が出来てとても良いお店です。
お客様が歌う時間も用意されていて我われ団体さんから一人歌って欲しいとの要望で
マイクを持ったのは坂本さん!
何とシャンソンが歌えるのか?と思っていたら選らんだ曲は五木ひろしの『千曲川』(^_^;)
オイオイ雰囲気をぶち壊すのかとヒヤヒヤとしていたら
それなりにシックリ歌ってYUKIも感動していました(^_^;)
生のピアノ演奏に総勢4名のプロの歌手が入れ替わり歌うのは豪華でいいのですが、
もう少しトシ子さんの歌をじっくりと聞ききたい気持ちにもなってしまいます。
あまり長い時間占拠しているのもナンだし、話しもしたいということで
お店の前で記念写真を撮って
またサイゼリアまで歩いて行ってお茶でも飲もうという事になりました。

べいぶさんご夫妻とはほとんどおしゃべりをしていないので…
と思っていたのですがべいぶさんが風邪をこじらせていてここでお別れ…

サイゼリアでは
お茶のはずがビールになって
藤川さんの「小野さんの人生ってNHKの朝ドラになるよね」という話しから
話しがはずみました。

美人で明るいキャラクターで打算がなく真っ正直に、
元祖FPとしてだけでなく女性初でやったことは数知れず(^_^;)
その根底に流れる平和を願う強い思いです。
小野さんの母親はハワイで産まれた日系二世、
その母親の故郷アメリカが広島に住んでいた小野さん家族を原爆が襲い父親と姉を失います。
生き残った母親が英文で書き残した被爆の模様を小野さんは【炎のメモワール】として
小説にされます。
そして小野さん自身の被爆が60年経って牙をむき病魔が襲うのです。
それにもめげず私財を投げ打って北朝鮮の脱北者支援をするが…
自由奔放に生きながら
二人の子供を立派に育て上げおばあちゃんになった小野さんは
もうドラマそのままです(^_^;)
FPという枠を超えて小野さん自身の人生を
小野さんのキャラクターをそのままに書けば絶対に面白い!
フリーライターの入江さんの協力があれば絶対にイケル!…と
大いに盛り上がり大いに煽りまくりました(^_^;)

アカラックスのセミナー復活の第一弾は小野さんと決まったり
小野さんもやるきまんまん。
それにしても小野さん、まったく元気(^_^;)
たばこも相変らず(^_^;)
小野さんに元気を与えなくてはと思っていたのに
小野さんから元気をもらった楽しい一日でした。

2008年05月19日226号 山陰・九州・四国の旅

調度一週間前の12日未明に例によってクルマで出発!
そして先ほど…19日2:30AM無事帰ってきました。
この旅の走行距離は思ったより少なく、3188キロでした(^_^;)

何の旅かというと、ちょっと複雑です。
北海道・九州・沖縄以外は全国どこえでもYUKIとクルマで出かけました。
YUKIの故郷の宮崎にもクルマで行こうという考えは以前からありました。
どうせ行くのなら道中を楽しみながら行こうという考えもありました。
そう言えばヒロコも2年前に運転免許を取ってすぐにドイツのアウトバーンを
走ったり、昨年はスペインで長時間運転したけれど
国内ではほとんど運転していない事に気がつきました。
そこで、ヒロコも参加して交代で運転していけば
私も楽だし経済的という事で満場一致?で決まったのです。

★12日(月曜日)…我が家→鳥取→島根泊
何しろ我が家が旅をする時はギリギリまでバタバタするです。
出発予定は21時頃だったのが1時過ぎ、それから郵便局にいったり
朝8時には中国自動車道の『作用』を出て給油
9時【鳥取市内】へ
朝食は2年前にMさん夫妻にご馳走になった【漁港そば】の海鮮食堂に行ったのですが
開店前準備中で結局、いつものガストへ(^_^;)
日本海を背にして立っている碑に近づくと北島三郎のド演歌が!
それにしても日本海は美しい
そしてMさんと2年ぶりの対面をする事が出来ました(^_^;)

【白兎海岸】を経由して  ① 
島根県【松江市】へ。
松江の町を探索しそばを食べて、小泉八雲の記念館
松江城天守閣まで昇ったり、美しい景色を堪能しました。
そして最初の宿は島根県大田市の外れにある
YUKIがネットで探し出した公営宿舎を改良したという格安の宿、
ところが、とても素敵なレストランになっていて
ワインもボトルでとってご満悦
部屋に戻ると死んだように寝てしまったようです(^_^;)

★13日(火曜日)…島根→山口→福岡泊
公営宿舎がシャレたバリ風リゾートに変身した宿を後にして、  
世界遺産の登録された【石見銀山跡】に
この日は早く出発して半日はここで過ごすつもりが
私もヒロコも仕事の電話ラッシュで結局で最低3時間は必要という
”銀山跡”のコースは割愛して街並を探索。 ①      
保険の事故報告が同時に2件も入って、それをFAXするためコンビニへ。
そして【津和野】へ。     
次は当然【萩】ですが、日没ギリギリで吉田松陰の生誕の地。
松蔭になった気分で「日本の夜明けは近い!」との一枚ですが日没でした(^_^;)
そして次の宿泊地の福岡へ。

★14日(水曜日)…福岡→宮崎泊
普段はけっこうヒマなのに、なぜか忙しく
またホテルのチェック・アウトは遅くなるばかりです。
この日は今回の旅の目的地の宮崎に入ります。
途中の霧島サービスSの地鶏の焼き鳥はとても美味でした。
今年86歳の義母(YUKIの母)は相変らずとても元気で
パソコンの操作方法も熱心にメモをとっていました。
我が家で使わなくなったDVDレコーダーの設置。
宮崎の宿はシーガイアにあるコンドミニアムで格安(^_^;)義母は見物に。

★15日(木曜日)…宮崎泊
ひさびさに、ゆったりとした朝を向かえてビュッフェでくつろぐ。
そしてヒロコの運転するクルマで
義母の持っている”綾の別荘”へ…と言ってもまだ土地だけ(^_^;)
でも、天気もよく新緑が美しくヒロコも大満足だったようです。     
近くの『酒泉の杜』で焼酎のまとめ買い(^_^;)  ② 
義母おすすめのうなぎ屋さんで。 
★16日(金曜日)…宮崎→大分泊
ヒロコはこの日の朝の飛行機で一足先に帰宅…というか
羽田から直接、仕事にいくようです。
コンドミニアムコイン・ランドリーで洗濯などをしたり
YUKIと私は夕刻まで義母宅でくつろぎ
高速を使わず海岸線を北上し大分のビジネス・ホテルへ。

★17日(土曜日)…大分→愛媛泊
湯布院     
別府   ③ 
そして大分港からフェリーに乗って愛媛県松山へ   
松山がなぜかどこのホテルも満杯で約50キロほど離れて大洲市のホテルへ。

★18日(日曜日)…愛媛→徳島→帰宅(19日午前2時半)
今回の旅で、どうしてもご挨拶だけでもと思っていたのが
2年前に松山に伺って超保険のご契約を頂いたKさんです。
いろいろと書けば長くなるのですが、超保険に期待して頂きご契約頂いたのに
まだまだシステム対応や細かい保険料が出なかったりと、ご迷惑をおかけしていたのです。
でも前回同様ご家族でとても温かく向かえて頂きとても嬉しくなりました。

そのあと、我がラテン・アメリカ研究会の1年先輩のイケダさんが
松山におられてデコポン栽培をされていると聞いていたので、その農園へ突撃訪問!
細い山道で迷ってしまい、道を聞いたら”本人”でお互いにビックリ!
ポンカンや竹の子を山ほど貰ってしまいました。

そして四国に来た時は必ず顔を出せ!という同じくラテン・アメリカ研究会の
同期生のヒギリがいる徳島へ。
呉服屋とビジネス・ホテルを経営し、バツ2で孤独な人生を送る(^_^;)
ヒギリは夕方になると行きつけの寿司屋で一人寂しく飲むのが日課で、
そこに、約束通り顔を出して(^_^;)一路岐路に向かったのです。

ここまで書き上げ時計を見たら朝8時でした(^_^;)

2008年05月12日225号 ゼン君のお芝居

ゼン君のママがちょうど1年前に亡くなった事や…
ゼン君のパパの事はココでも触れてきましたが…
ゼン君自身の事にはあまり触れるチャンスがありませんでした。

ゼン君はヒロコと保育園時代6年間を一緒に過ごした同期ですから…
ヒロコと同い年の26歳です。
したがってゼン君は立派な社会人なのですが
どうしても私やYUKIからは保育園時代のゼン君の印象が強く
いつまでも【ゼン君】なのです(^_^;)

保育園時代のゼン君の印象で強く残っているのは
学芸会で『金のガチョウ』のお芝居で”金のガチョウ”を演じたことです。
ちょっと余談になりますが…私も学生時代にスペイン語劇で
『オジャンタイ』というお芝居の”オジャンタイ”を演じました。
この時は一応、主演ということでしたが題名が主役とは限らない場合があります。
『金のガチョウ』は主役はキコリで”金のガチョウ”はセリフもほとんどありません。
しかし重要な役である事は変わりません。

私がその時に撮影したビデオが残っているのですが、
主役のキコリがオノで木を倒すと突然、残った木の下から
金のガチョウ役のゼン君が「ガー!」と羽をバタつかせ立ち上がるだけなのですが、
とてもインパクトがあって、みんな大笑いをさせました。

ちなみにヒロコはこのお芝居で、金のガチョウにくっついていく村人役の一人でした。
ヒロコは小学生ぐらいまでは、今ではとても考えられないほどシャイでオトナシイ子供で
ヒロコの短いセリフに「ヒロコちゃん!聞こえないよ!」という野次がビデオに入っています。

そんなヒロコも今では”コワイモノ知らず”の無法者?ですから判らないものです(^_^;)
そしてゼン君は何とプロの役者を目指しているのです。

9日の金曜日YUKIと二人で
乃木坂にある小さなライブハウスに出かけました。
出演者は面接官と3人の就職希望者の計4人が面接会場で入り乱れて
人間模様をくり広げそれぞれの内面を見つめ直すという力作です。

ゼン君の役は就職希望者の一人で現在フリーターの若者。
セリフの中に亡くなった母親を回想し
「母はヒマワリのように明るい人でした、弟が生まれると…」と
ゼン君そのものを表現したところがあって思わず涙が出てきました。

シナリオは劇団を主宰者のお嬢さんで、ゼン君と同じく昨年11月に母親を亡くし
呆然としていたのだが劇団運営を熱心に応援していた母親が天国からハッパをかけられ(^_^;)
3月にシナリオを書き上げ急遽、公演にこぎつけたというもの。
3日間の連続公演の初日です。

小さな舞台を囲むお客様の数は満席で60名ほど、
ドリンク付きで3000円のチケットですから、全員が有料入場者としても18万円、
3日間満席でも総売上54万円です
入り口ではゼン君と違って秀才の誉れが高くイケメンでクールな弟エイ君(^_^;)が
モギリのボランティアをしていました。

ゼン君はプロの役者を目指していても今はサラリーマン。
一時は役者の道をあきらめた時もあったようですが、ゼン君の両親はともかく
私は「あきらめるな!」と勝手言ってきました(^_^;)

正直言ってゼン君がプロとして食べていくのは、とても厳しいかもしれません。
4人の出演者の中でも演技力が上手いというところまでは行っていません。
でも10年ほど前に研修生で芝居漬けになっている頃よりはかなり上達しています。
なにより意外だったのはダンスの身体の動きがとても自然で上達しているのです。
それは普段から意識していなければ出来ないことです。
ゼン君の舞台挨拶にも熱いものを感じました。

何でも良いから好きな事は、たとえそれで食えなくても、やり続ける事だと思います。
一度しかない人生なのですから。
ゼン君は歳をとってから良い味が出せる役者になるような気がします。
多分。(^_^;)

2008年05月04日224号 静かなGW

ゴールデン・ウィークです。
だからといって普段と変る事なくYUKIと向かい合って仕事?をしています(^_^;)
もちろん『仕事?』と書いたように仕事だけをバリバリしているわけでなく
(YUKIは私のバリバリ仕事をする姿を死ぬまでに一度は見てみたいと言っていますが)
お互いにパソコンに向かって何やら、お互いにモクモクとやっているのです。
ようするにゴールデン・ウィークだからと言って、どこかへ出かける事が無いのが
我が家の伝統のようです。
それにしても普段の日とまったく変らないのはなぜだろう?
と考えたら…その原因が判りました。
ヒロコが居ないのです。

1月からGW明けまでプチ家出をしているのです。
実は勤めていた会社を退職して母校の大学で一学期だけの臨時講師をしているのです。
もともとヒロコが就職していた会社は大学の先生の紹介で
その先生がシリコンバレーに数ヶ月間行く事になり、その間の授業をヒロコが引き受る事になって
会社も退職を認めてくれたようです。
将来は大学で教えたいというヒロコの思いはその先生も知っていたとの事ですが
卒業して3年足らずのヒロコに大学の授業を託す先生も先生ですが…
会社を辞めてそれを簡単に引き受けちゃうヒロコもヒロコです(^_^;)

週に2回しかない授業ですが、まったく初めてそれも外人ばかりのクラスで教えるのですから
それなりの準備も必要なわけで片手間では出来ない事は判ります。
授業内容はヒロコが実際に仕事でやってきたビデオなどの【映像編集】です。

そして何よりもヒロコが、その気になったのは…
先生がシリコンバレーに言って不在の期間、
先生の西麻布のマンションを自由に使うというヒロコの交渉に先生はOKしたからです。
もちろん家賃はいくらか払っているようですが
麻布十番の学校までも歩いていける距離だし、六本木ヒルズも歩いて10分ていどで
自炊のための食品類が高い事を除けば
最高のロケーションでシティライフを楽しんでいるようです。

一学期の授業も終了し7日には我が家に戻ってくるようですが
ヒロコの授業はなぜか好評だったようであと2学期、教える事になったようです。
もちろん、これからは我が家から通うことになります。

したがって毎年6月に予定していた家族3人での海外旅行は
ヒロコの授業があるため今年はとりやめる事にしました。
そのかわり11月に計画中です。
これもヒロコが行けるかどうか判らないようですが決行しようと思っています(^_^;)

そうそう、どこも行かないのもナンなので
来週、家族3人でクルマでのんびりと(いくかどうかは判りませんが)
一週間ほどかけてYUKIの故郷の宮崎まで行ってみようという
計画を立てています(^_^;)

2008年04月28日223号 エノちゃんの熱弁

東大和の洋菓子屋さん、茶屋エポックのエノちゃんの強い要請で先月、
計3日間のボランティアをした事は【220号】で書きました。

そのエノちゃんから電話がありました。
私が「どうしたの?」と聞くと…
エノちゃんは「どうしたの?じゃないでしょ、昨日の会合なんで来なかったの?」
と怒っているのです。(^_^;)
私はそんな事をすっかり忘れていたのです。

たしかに公民館での最終日に次回の打ち合わせの日時を決めたのは覚えています。
しかし…そもそも東大和市の地域のコミニティの集まりです。
そこにゲストとして参加した気持ちでいましたから、
次回の集まりには参加しなければならないという責任感がなかったため
すっかり忘れてしっまたようです。

それは、ともかくエノちゃんはまた困っているようです。
その私が無断欠勤?した会合で、なんとなく次回の会合が『だんご作り』に決まったというのです。
エノちゃんのファンで先月の2回目のイベントにも顔を出した東大和の名士のOさんが
『だんご作り』を提案したので、そうなっちゃったというのです。
それに対して同じく東大和の商工会の大御所で、やはりエノちゃんファンのMさんが
「なんで夜の7時からダイのオトナが集まって団子を作らなければなならないのか?」
とムクレテしまったというのです。
たしかに私だって川崎クンダリから東大和まで夜に出かけていって
団子を作らなければならないのかよく判りません(^_^;)

でもエノちゃんは…
自分の熱い思いをくみ取って少しでも協力してあげようという、
せっかくの町の実力者がこんな事で仲たがいしては…夜も眠れないというのです。

そこで24日の午後7時にエノちゃんの店にOさんとMさんを呼ぶことにしたから
私がそこで、いろいろとうまくマトメて欲しいというのです。
私も無断欠勤の責任もあるので断るわけにもいきません。

定刻を少し遅れてエノちゃんの店に着くとOさんとMさんは楽しそうに歓談しています。
そこで、4人が揃っていよいよ打ち合わせですが
こうなるとエノちゃんは決まって熱弁を振るうのです。
そのエノちゃんの熱い思いは充分に理解している3人が集まっているのですから、
いまさら聞く事もないのですが…(^_^;)

問題はエノちゃん自身に具体的なビジョンがないまま『だんご作り』になったのが
いけなかったようです。
公民館でのイベントに引き続き司会進行役を務めた芽門さんが、会の最後に
「それでは次回は何時、何をするか決めたいと思います!」との提議に
Oさんは自分の事務所にまだ一度も使われたことのない”だんご作り”の道具があるので、
なんと無くそう言ってしまったら、決まっちゃったというのです。(^_^;)

誰もが善意でエノちゃんの情熱に押されて何となく参加しているので誰も責めることは出来ません。
しかし、あるていどのビジョンやコンセプトは明確にしておく必要はあるでしょう。

ただこのような活動が難しいのは
あまり大きなスローガンやビジョンを掲げても支持されませんし
エノちゃんの店が儲かるためだとか政治や宗教活動と思われてもつまりません。

ただ、このような気運が出てきた事もたしかです。
というより環境・食糧・教育・介護・高齢化社会・経済などなど、
21世紀に課せられた、あらゆる問題の鍵が地域の活性化にある事はまちがいないのです。

そのためには、ひとりひとりが、たとえ僅かでもコツコツと地元の物産や顔の見えるお店で
買い物するだけでも大きく変っていくはずです。

東大和市は人口8万人の小さな東京都の市ですが…
エノちゃんのお店の一日平均の来店数は20名で店を維持するのにも四苦八苦しているのです。
年間客数は休日もあるので延べで約700名
その中には私のような市外からのお得意様(^_^;)も少なくないはずです。

この東大和市民8万人の1%の800人が年にたった一度だけ
新たにエノちゃんの店で買い物をするだけで倍以上の売上げが望める計算になるのです。

これ以上の売上げは多分エノちゃんは望んでいないでしょうし限界でしょう。
なぜならば、エノちゃんは自分の手でケーキやクッキーや銘菓芋窪街道を作っているからです。
またお客様との会話を大切にしながらの商売がモットーですから、
それが出来なくなったらエノちゃんのお店の価値も無くなってしましいます。
ようするにエノちゃんは、大きな望みがあるわけではないのです。

エノちゃんの店のレジ・カウンターにこのような物がありました。
私は最初は何の事か判らなかったのですが、お客様から提案され始めたというのです。
そこでもっと判りやすいようにと、ひさびさにこんな物をさっき作ってみました。

2008年04月21日222号 なまけもの

毎日、毎日YUKIと向かいあって仕事?をしている私ですが…
YUKIは私にたいして最近やたらに「なまけもの!」…と罵るのです(^_^;)

たしかに私は”はたらきもの”ではなかったと自分のコレまでの人生を振り返っても思います。
一生懸命やったことは沢山ありますが、それは仕事上であっても好きなこと事だったようです。
ようするに好きで無いことは基本的にやりたくないのです(^_^;)

ま~誰だって好きでない事はやりたくないに決まっています。
それをやるのが仕事だという考えもあるようですが、それがイヤなのです(^_^;)
ま~ワガママと言われてしまえばそれまでですが、
イヤな事をムリヤリやっては自分はもとよりお客様に損失をかけるなんて思ってしまうのです。
ま~ヘリクツはともかくとして(^_^;)
結果的に私はこれまで”好きな事”を仕事にしてきたようです。
ヒロコの学費を稼ぐため1994年から2年間、朝3時に起きて新聞配達をしましたが
自分なりにはけっこう楽しいアルバイトでした。
保険の仕事も最初は馴染めませんでしたが、自分なりの営業スタイルを確立し
保険とインターネットという未知への挑戦も興味深く
ライフワークとして楽しみにやっていこうと思っています。

それではなぜ?YUKIから「なまけもの!」と罵られるのかと言えば
やりたく無い仕事というか事務処理が山ほど増えたからです。
それがどのようなものであるかは、書き出したら止まらなくなりですからカットします。

簡単に言ってしまえば、何でもかんでもマニュアル化され、
マニュアル通りにやる事が目的化されてしまったことです。
このような仕事ならロボットにでもやらせればよいと思われる仕事です。

お客様にはとうてい消化しきれないほどの確認書類が用意され、
その書類に少しでも不備があると、お客様の訂正確認や書類にハンコが漏れているとか、
やたら言ってくるのです。
もともとバカバカしいと思っているので、そのような書類が溜まっていき
保険会社から「あの書類のハンコはまだか?」
「あれはどうした?」「これはどうした?」…と電話が入ってくるとマスマス
いやになって後回しにしてしまうのです。

そこでYUKIから「なまけもの!」と罵られるのですが(^_^;)
だんだん私も”うつ病”や”ひきこもり”の人達の心理が判るようになってきました。

先日なにげなく見ていたテレビで驚いてしまった事があります。
サラリーマン風の背広を来た男が朝のラッシュアワーの中、
虎ノ門の地下鉄駅を出てオフィス・ビルに入っていきます。
エレベータを出たところのオフィスのドアが開くと、そこは普通の事務所になっていて
多くの人達が背広を着てデスクに向かっています。
しかしちょっと不自然なのは、みなマチマチに新聞や本を読んだりして
具体的に仕事をやっているという雰囲気はないのです。

ここで初めてナレーションが入って、ここが医療施設である事がわかります。
欝(うつ)で会社を休業している人達が会社復帰するためのリハビリをしているそうです。
でも、私にはどうしてもロボット再生工場のSFの世界でも見ているようで怖くなってきました。

なんでもマニュアル化され人間性が失われていく企業社会で欝(うつ)になるのは
ある意味、そちらの方が正常なように思うことすらあります。
そんな企業社会からはサッサと足を洗って収入が少なくても好きな事をすれば良いのです!
一度しか無い人生なのですから!

てな事を思ってしまうきょうこのごろですが…
いやな仕事をYUKIにおしつけて、好きな事だけやっていたのでは
YUKIから「なまけもの!」と罵られてもしかたないかもしれません(^_^;)

2008年04月14日221号 銀座と私

小学校1年から渋谷で育ったシティー・ボーイ(^_^)の私にとって銀座は…
何かと縁が深く、懐かしくもあり、好きな街です。

父の職場が日比谷(そのあと銀座)にあったこともあり、
銀座の【スエヒロ】【資生堂パーラー】【月ヶ瀬】【千疋屋】【三笠会館】などなど
子供心にも贅沢で胸を躍らされた懐かしい店が数え切れないほどあります。

大学を卒業して1969年就職したのがフランセという中堅の洋菓子会社でした。
入社してすぐに配属されたのが『銀座三越』の地下食品売り場にある
フランセ銀座三越店の店長で、1年間勤務しました。
店長といっても女子社員を1名付けられただけの店員のようなものでしたが(^_^;)
翌年の1970年、銀座三越の1階すなわち銀座通りに面して
マクドナルドの日本での一号店が誕生するのです。
その時はすでに銀座三越勤務から営業店全般を見る仕事についていていましたが
銀座三越も私の管轄の一店舗で当然の事として思い入れも強く、
マクドナルド一号店の出店を最初から大変興味深く見ていました。
また、それと時を同じくして銀座通りの『歩行者天国』も始まって
銀座の新しい息吹を感じたのが今でも懐かしく思い出されます。

それから数年後、私は銀座8丁目の並木通りにあったフランセ銀座本店に配属になり、
新たにオープンする銀座5丁目の数寄屋橋店の初代店長をしばらくやって
その後、銀座の2店舗の責任者となって…と
フランセに在職した約10年のほとんどを銀座で過ごすことになるのです。

フランセという会社はまだ残っていますが銀座の2店舗はとっくに閉店しています。
なぜかといえば『夜の銀座』すなわち高級クラブがひしめいていた時代が
終わってしまったからです。
銀座の洋菓子店の多くは深夜1時頃まで営業し
高度成長で社用族の接待で沸く『夜の銀座』と共生していたのです。
その頃あった並木通りの高級クラブや画廊や洋菓子店はすっかり影を潜め…
今では世界のファンション・ブランドの通りとなったようです。

私が東京海上の代理店となるための2年間の研修を受けたのは新橋でした。
フランセ銀座本店のあった場所から歩いて数分の所です。
今、私が東京海上の代理店として所属しているのも新橋支社です。
それが、どういうわけか名前は新橋支社のまま丸の内に移ってしまいましたが
それほど銀座からは離れていません。

てなわけで銀座は今でも私にとって身近な街でもあるのです。

12日の土曜日、ひさびさにYUKIとヒロコと3人で銀座にむかいました。
この日でクリスチーナの個展が終るからです。
会場に行ったらちょうど食事中で不在のようです。
だったら私達も食事でもして出直そうと外に出たら
向こうの方からやってくるクリスチーナの姿を見つけたのです。
会場に戻ってひさびさに楽しいひと時を過ごすことが出来ました。

私は銀座の週末のウラ通りというのが好きなのです。
クルマを路上パーキングに置きやすいのと、
飲食店なども空いていて、のんびりした空気が流れているからです。
個展会場の並びの小さな飲食店で食事をしながら、のんびり外を見てたら
昔一緒にサルサを習っていたMさん親子が通りすぎるのが見えました。
私が店から飛び出して挨拶すると、とても驚かれました。
もちろんクリスチーナの個展に行くところだったようです。

銀座はどこを歩いても懐かしいところばかりです。
でも銀座と言えばメインは銀座4丁目の交差点(この角のひとつが銀座三越)ですが
その中でも象徴的なのが時計台のある『和光』ではないでしょうか。
そこのショーウインドウにヒロコの大学でのアートの先生で、
今でも親しくしている菱山裕子さんの作品が展示さられているというのです。
なるほどユニークな作品で、一度見たら忘れられません(^_^;)

歩行者天国にはなぜか和服姿の人が沢山いて、それも年齢や着物にも
統一性はなく、なんだかバラバラに集まったようで、
ヒロコと「きっとネットの呼びかけかなんかで集まったようだね」と言っていたのですが
案の定、こんなサイトがありました。
毎月第二土曜日の3時に銀座の歩行者天国に着物を着て集まろう、というサイトのようで
2000年からやっていたようです。(^_^;)

最近は家族で銀座に行けば必ずといってよいほどよっていく
マッキン・トッシュのアップル・ストアでちょとパソコンをいじって
歩行者天国を歩いて伊東屋によって
クルマのパーキングへと向かいました。

その途中に【銀だこ本店】というお店がありました。
たこ焼きの【銀だこ】は近年よく見かけるようになりましたが、
こんな所に本店があるとは知りませんでした。
フランセの銀座本店のように潰れないことを、なんとなく祈ってしまいました(^_^;)