2010年12月13日360号 小野瑛子健在なり!PART Ⅲ

私が敬愛し大ファンでもある… 元祖FP、カリスマFPの小野瑛子さんと2年半前ぶりに 神田のアカラックスの事務所でお会いしする事が出来ました。

私はこの日を大変楽しみにしていたのですが、 私のブログのコメント欄に当日の朝、eikoさんがコメントをいれられ、 文末にこんな事が書かれていました。

>一昨日から風邪をひいてしまって、ひどい声ですが、 >今日はなんとか這ってでも神田に行きたいと想ってます。

eikoさんは6歳の時に広島原爆に被爆されたのですが、まったく健康に過ごされ… 六十半ばで突然、被爆者が発症しやすい甲状腺障害で闘病をされるようになりました。 したがってeikoさんから「這ってでも神田に行きたいと想っています。」なんてコメントを頂いたら、 私としては「決してムリをせずご自愛して下さい」と書かなければならないのでしょう。 しかし、この日をとても楽しみにしていた私のホンネは「這ってでも来て下さい」ですが… そうとも書けず、 とりあえずコメントは見なかった事にして無視する事にしました。(^_^;)

午後3時ちょっと前、坂本さんのアカラックスのビル正面の路上パーキングにクルマを止めると 向かう側の歩道からeikoさんがこちらに向かって歩いて来る姿が見えました。 想ったより元気そうで、というより2年前にお会いした時より若返ったようで チャーミングなeikoさんはもちろん健在! おもわず抱きしめたくなりましたがYUKIと手前もあってグッとおさえました(^_^;) ①

少し遅れて、自称『小野瑛子ファンクラブ会長』を名乗る私のライバル野上さんもやってきました(^_^;) 野上さんと初めて合ったのは10年前のeikoさんのwebのオフ会です。 その頃はチューリッヒ生命の代表で、その後あの(^_^;)ラフフネット生命の立ち上げに副社長として参加、 今はドイツの再保険会社の代表をされているようです。 『アクチュアリー』『証券アナリスト』『1級FP技能士』の3資格を持つ ”日本唯一のホルダー”と自慢する保険業界の奇人でもあります(^_^;) そんな個性的な野上さんや 今や身内のように懇意にする坂本さんと知り合うきっかけになったのもeikoさんWebがあったからです。

現在はお嬢様夫婦とご一緒に習志野でお孫さんの保育園の送り迎えをされながら 東京のオフィスにも定期的に顔を出し、マイペースで仕事をされているようです。

eikoさんのジャーナリストとしての出発点となった『炎のメモワール』の続編も ゆっくりだけど書かれているという事です。 ハワイ二世だったeikoさんのお母様が、広島で被爆し夫と長女(eikoさんの父と姉)を無くした事を書いた 英文の日記を元にしたeikoさんの自伝的小説で私はとても楽しみにしているのです。

気心の知れたユニークな仲間の団欒ですので、話題はアッチへいったりこっちへいったり… 私が自慢の【iPad】談義から、坂本さんが今ハマっているアダムスミスの【富国論】まで ① ② ③ ④ なんやかやと知性と教養が溢れる?楽しい時間がアッというまに時間をオーバーし終りました。 ① ② ③ ④ ⑤ eikoさんは6時からイーウーマンのクリスマス会があるというので、原宿表参道まで 私のクルマでお送りしました、幸いにも?渋滞していて、また楽しく二人きりのドラブでお話ができました(^_^;) イーウーマンがあるビルが私の法人のお客様が1階で毛皮店をやっていたビルでビックリ。 みんな何かで繫がっているようです。

『小野瑛子健在なり』 『小野瑛子健在なりPART Ⅱ』 …まだまだ71歳のeikoさん、これからが面白い!まだまだ健在は続く事を確信した楽しい1日でありました。

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2008年06月30日232号 ダブル復活の日

6月27日(金曜日) お昼すこし前YUKIと私は、 すっかりお馴染みになった神田のアカラックスのオフィスに到着しました。 そこにはすでに今日のセミナーの主役である小野瑛子さんをはじめ 中田さんや早川さんの姿も見えて、さっそくお弁当を食べることにしました(^_^;) 浅草の料亭が出しているお弁当で浅草を愛し浅草に在住する早川さんに買ってきてもらった 色とりどりの高級弁当です。 今日は小野さんの復活セミナーであり、アカラックス・セミナーが約2年ぶりの復活という ダブル復活の日というわけで坂本さんが奮発したようです。 それに6月決算のアカラックスが今期めずらしく黒字だったための節税対策(^_^;) という側面もあったようです。 こんな高級弁当をアカラックスで食べられるのは、これが最初で最後と噛み締めながら 美味しく頂きました。

午後1時すぎ、セミナー会場に歩いて向かい準備にとりかかりました。 一番乗りのお客様は日本FP協会の理事で小野さんのライバル?だった 現在71歳の近美枝子さん…何かと行き違いもあったようですが10年の空白を経ての再開! 「FP業界70代2人娘で頑張りましょうね」と励ましあったそうです。

小野さんのセミナーは素晴らしいものでした。 ① ② ③ ④ ⑤ 近美枝子さんもうなずきながら聞かれているのが印象的でした。

小野さんが2人の子供を持って40歳でパートのような仕事につき その会社のチラシ配りをやらされた時、そのチラシの文章が少し気になって、 こっちの方が良いのではと提案したことから文章作りを任されるようになったこと。 その会社が倒産し、その関係である評論家の秘書のような仕事につき 最終的に、その評論家の多くの原稿を小野さんが書くようになっていったこと。

それらは小野さんの自慢話ではなく、小野さんが常に相手の立場で… この場合は評論家の考えや思いを充分に理解してその評論家が足りないところを 少しでもカバーしてあげようという率直な思いがあったからです。 そんな中で小野さん自身が力量をつけ、 「小野英子の文章は解りやすくた面白い」と評判を高めていきます。 それは小野さん自身が主婦の素人の視線で納得し理解出来るまで噛み砕いていったこと。 少しでも知識を高めようとFP制度が発足同時に、フリーの女性FP第一期として活躍し…。

書き出すともう止まらなくなってしまいます(^_^;) ただ言えることは、小野さんは常に消費者の立場にたって、平和を愛し、その視点がブレることなく 今日に至っているということです。 講演が終るとアカラックス・セミナーではめずらしいほどの大きな拍手がありました。

二次会はセミナー会場の隣にある居酒屋『海王丸』で 2000円会費で飲み放題というのが定番です。  ① ② ③ 

三次会はもちろんアカラックスのオフィスと決まっています(^_^;) 伊藤さんと一緒に今回のセミナーに初参加した岡村さんが、なんと! アカラックスの新越部長と兵庫県の同じ高校の3年先輩であることが判明して大盛り上がりなのです。 ま~大盛り上がりと言っても、盛り上がるのは当事者どうしで、横で聞いている私たちは 何の事かわからないのですが、なんだかわからいけど可笑しいものです。 新越さんは高校時代は女生徒から大モテであった事をさかんに豪語するのです(^_^;) 岡村さんは新越さんの3年先輩ですから高校時代での接点はないのと、 どう考えても信じがたいことだと信用してもらえなのが歯がゆいのか先輩にからむのです。 ま~信じがたいのは、まわりも一緒で「何でそんなに変り果ててしまったのか?」と私が質問すると 新越さんの鉾先が私に向かってくるのです(^_^;)

午前中からアカラックスに来てセミナーをこなし、 お酒を飲まない小野さんが、これ以上ヨッパライにお付き合い頂くのは 酷なハナシでここで帰られることになりました。 いつもなら私が五反田のご自宅までクルマでお送りするのですが、この日はクルマを置いて 私も酩酊して、おひとりでお帰えりになられとても申しわけない気持ちになりました。 小野さんが帰られてもしばらく盛り上がり、 ① ② ③ ④ ⑤ 最後に残ったツワモノ達をセルフ・タイマーで写真を撮りました。 なんで小野さんがおられる時に撮らなかったと悔やんだのですが(^_^;) […]

2008年06月23日231号 セミナー4回!そして今週は!

先週は色々なセミナーに参加した一週間でした。

★★6月16日(月曜日)新宿★★ オーストラリアのパースでFPをしてるRyuponさんのセミナーにYUKIと行きました。 Ryuponさんは私がこのHPを立ち上げる前から、 小野瑛子さんのHPの掲示板で議論をしたりOFF会でお会いしたり懇意にしている人です。 小野さんが元気になられ「こんどRyuponのセミナーがあるから一緒に行こうよ」と誘われていたので YUKIと出かけました。 会場には私とYUKIと小野さんと、もう一人男性がいてスタートしました。 セミナーというよりRyuponさんを挟んで座談会をするようなアット・ホームな 雰囲気です。 途中で年配の男性が入ってきましたが結局その方は一言もしゃんべらずに終わってしまいました。 少ない会場で我われが調子に乗ってしゃべりすぎて不愉快な思いをされているのでは…と 心配しているとRyuponが言いました。 「紹介は遅れました、私の父です」 お父様に撮って頂いた写真です。(^_^;)

★★6月17日(火曜日)中野★★ 【日本の医療を守る市民の会】のセミナーにYUKIと行きました。 ライターの早川幸子さんと、FPの内藤真弓さんが立ち上げた会です。 内藤さんは【医療保険 は入ってはいけない】という本を書きました。 日本には立派な公的医療制度があるのだから医療保険はそれほど必要では無い というような内容でした。 これを読んだ私は”日本の公的医療制度”が未来永劫大丈夫という 保障など無いじゃないか!という感想を持ちました。 でも、このような会を立ち上げたのはエライと思いました。 そして何よりパワーが凄いのです! 会場は溢れんばかりでRyuponさんのセミナーと比べ物になりません(^_^;) 今回のセミナー講師・慶応大学の権丈教授のパワーもナカナカです(^_^;) 二次会もパワー全開です! 私の斜め前に座った好青年はナント内藤さんの3男!男4人兄弟と知ってビックリしました。 内藤さんのパワーは凄いと思いました(^_^;)

★★6月18日(水曜日)丸の内★★ 新橋支社(東京海上)の業務連絡会&懇親会にYUKIと行きました。 業務連絡会はいつものようにツマラナイものでしたが(^_^;) ほんとうに久しぶりの懇親会は、ほんとうに久しぶりに楽しいものでした。 懇親会の最後のシメの挨拶を代理店の長老カワイさんがする事になりました。 カワイさんは後期高齢者ですがとても元気で喧嘩ッパヤイことでも知られる元気な方で、 私も10年ほど前に喧嘩を売られたことがあります(^_^;) 静かにシメの挨拶が始まったのですが、だんだん話しに熱が込められ長くなるケハイです。 その内容は代理店であれば誰でも感じているであろう昨今の保険会社に対する 積もり積もった不満、イヤ保険の仕事を愛するがゆえの諫言です。 カワイさんの性格を知ってる人達は「あーあーついにはじまちゃったヨ」という感じでしたが(^_^;) どうにも終りそうもありません、私もこれは長くなりそうとデジカメのモードを動画に切り替えました。 その画面を切り取ったのがこの写真です、ちょっと重いですがクリックして下さい。 私は動画から静止画像を選び出す作業をしながら私は目頭が熱くなってきました。 カワイさんが言っている事は私も思っている事で、私もブログにも書いてきた事です。 喧嘩ッパヤイ、カワイさんが言葉を選びながら、穏やかに必死で自分の思いを伝えようとしていることが 画像からヒシヒシと伝わってくるのです。 カワイさんがとても可愛がっていた担当社員のKクンが、あまりにも長い挨拶にストップをかけにきました。 Kクンは3年前に新入社員で支社に配属され、この日に大阪転勤が決まったばかりです。 やっと挨拶が終った時、大きな拍手が社員を含め場内から沸き起こりました。 懇親会終了後もカワイさんと乾杯しました(^_^)

★★6月21日(土曜日)横浜みなと未来★★ 【第10回RINGの会・横浜オープンセミナー】に一人で出かけました。 昨年に続き2度目の参加ですが、保険業界の人達が、どこのヒモツキもなく自費で これだけの人達が全国から集まってセミナーを開くのには素晴らしい事です。 […]

2008年05月26日227号 小野瑛子健在なり!PART Ⅱ

この週間KENで【小野瑛子健在なり!】を書いたのが2005年の9月でした。 それから3年近く小野さんとお会いする事がありませんでした。

小野さんはお歳に似合わず(^_^;)ネットが大好きな人で、 ご自身のホームページを閉鎖された後も、ミクシーに私達仲間も引き込まれて(^_^;) お元気な様子を伺っていました。 ところが毎日のようにミクシーに書かかれていたのが 2006年8月17日財部誠一さんとの中国視察旅行の途中からパッタリ止まってしまったのです。 最初は大病をした後だし疲れが出たのだろう、 小野さんのことだから、そのうち書き出すだろうと思っていたのです。 しかし時間が経過するうちに心配になってきます。 小野さんの事務所に確認すれば判るのでしょうが聞くのも怖くなっていたのです。

ところが先日、私のパソコンにこんなメールが入っていました。 ミクシーはマイミク(ミクシー仲間)から新たなコメントが入るとメールで知らせるのですが、 ナント!小野さんがカキコミをしているのです!!

はぁ・・・ 最後の日記を書いたのが2006年8月17日。 今日は2008年4月29日。 中国レポートも1日目をアップしたっきり。 1年8ヶ月もの間、私は何をしていたのだろう? 仕事? あんまりやってない。

こんな出だしで始まっています。 小野さんのこれまでの経過やこれからの思いがギッシリと詰まって とても心が打たれる内容でココには書ききれませんが ようするに小野瑛子の長い眠りから覚めての復活宣言です!(^_^) そして、この瞬間からさすが小野さんです! 多くの仲間からコメントが寄せられ小野さんの復活を喜んだのです。

そして先日の22日金曜日、ひさびさに小野さんとお会いする事が出来ました。 まずは四谷3丁目のサイゼリアへ。 この日のメイン・イベントは小野さんのミクシー仲間トシ子さんのシャンソンが聞ける店での ひさびさのオフ会。 ここを希望したのはCONTAMIさん、ミクシーのプロフィールではガテン系の男性です。 たしかにパワフルではありますがスタイル抜群で3人の子持ちの美女です。 何がパワフルかと言えば4年ほど前に小野さんのオフ会でお会いした時も バギーに生まれて間もない長女のSちゃんと二人のお兄ちゃんの3人を引き連れて やってくる活動家です。 (ちなみに私もヒロコをつれてどこで行きましたが3人ですからね^_^;)

この日も夜のシャンソンには子供はムリなので、せめてその前に… というCONTAMIさんからの提案でした。 その長女のSちゃんも5歳になって、とてもオシャマで頭脳明晰(^_^;) 私の持っていたデジカメの操作もすぐに覚えて我われ3人をパッチリ! 動画の操作にも興味をもってこれも直ぐにマスター、 二人でこんな顔を撮っりあっていました。 私 Sちゃん(コワーイ)

CONTAMIさん親子とはお別れしてシャンソンのお店へ。 仙台で独立系FPとして活躍されている”べいぶさん”はご主人同伴で参加、 キラキラするような美人の奥様になられていました(^_^) そして今や【小野瑛子】の名は知らなくても【藤川太】なら知っている…というほどの 売れっ子になった小野さんの会社の社長も務める藤川さんと皆んなで乾杯です。 元週間ポストの記者で赤ちゃんが誕生したのを期にフリーライターとして独立、 赤ちゃんをお風呂に入れるのが日課の入江さんも少し遅れてやってきました(^_^;) そうそう我が妻のYUKIも参加して総勢8名。 ”べいぶさん”のご主人は保険業界とは関係のない有名酒造会社にお勤めの方で 初対面でしたが、あとはもうお馴染みの懐かしいメンバーです。

小さなお店で他のお客様が入ったら満席状態でトシ子さんの素晴らしい歌声を 間近で聞く事が出来てとても良いお店です。 お客様が歌う時間も用意されていて我われ団体さんから一人歌って欲しいとの要望で […]

2005年09月19日087号 小野瑛子健在なり!

坂本さんの今月のセミナーのゲスト・スピーカーが私である事は83号でお伝えしました。 9月15日、そのセミナーも無事?終了し、何時もの餃子屋さんでの二次会はアルコールも入って 近くに席に座った者同士がそれぞれの会話で盛り上がったいます。

私の隣に座ってるYUKIの、そのまた隣に座っている坂本さんが、YUKIにそっと聞いています。 「今日のKENさんのトークどうでした?」 私は聞こえないふりをしながら、少し耳をそばだてると、やっぱり 「正直つまんなかったですね」とYUKIは答えているのです。(^_^;) もちろん、私は先月の新越さんのようにYUKIにその理由を追求するような恐ろしい事は決していたしません。 私は多分そう答えるであろうことは充分予想していたからです。

でもこの日、私はとても嬉しかった事があります。 私が敬愛する元祖FPとして名高い、小野瑛子さんに来て頂いたことです。 大病をされて大変心配していたのですが、この日の三次会のためにと 山形からわざわざ取り寄せた”鳥海ちゃ豆”を茹で、それに手作りの”煮付”まで持参して下さったのです。

私が【小野瑛子】の名前を初めて知ったのは今から20年ほど前の事で その頃の生命保険といえば、全部といってよいほど『定期付終身保険』の時代でした。 東京海上が生保を始めるのは96年からで、それまで私もF生命を扱っていましたが、 全社横並びでの『定期付終身保険』という商品に私は大変な疑問を持っていました。

私が不思議でならなかったのは誰ひとりとして、 この『定期付終身保険』に異議を唱えるマスコミや専門家がいないことでした。 私はF生命でも一本の『定期付終身保険』も販売せず変人扱いをされてたものです。

そんな中で『定期付終身保険』に噛み付いている女性の名前を発見したのです。 それが小野瑛子さんだったのです。 でも、しばらくして彼女の名前がバッタリとマスコミから消えてしまいました。

なぜ彼女がマスコミの世界から姿を消したか、それは… 漢字生保しかない時代に『定期付終身保険』を批判する事は保険業界そのものを敵にまわす事だったのです。 マスコミの大きな広告主である生保業界から睨まれてしまったら、保険評論家としての発言の場が 無くなってしまうという事だったのです。 しかし、外資系生保や損保系損保も保険業界参入し、漢字生保破綻などで、『定期付終身保険』の 問題点がやっと表面化し、小野瑛子の名前を再び見るようになったのです。

そんな彼女の復活に感動した私は、生命保険の熱い想いも込めたファンレターを お送りしたのがお付き合いの始まりでした。 6年ほどまえ小野さんはホームページを開設され、その掲示板や保険関連のフォーラムには 私も数多くのカキコミをさせて頂いていましたが、2年ほど前にHPを閉鎖されました。 その数年間は保険以外にも9.11や平和についてなど、数多くの議論に参加させて頂きました。 そして常に契約者や弱者の立場にたって権力に決しておもねる事のない凛とした姿勢に共感し また、その反面?とてもミーハーで、そそっかしい性格にも、たくさん触れることができて ますます、eikoファンになったしだいです。

広島でお生まれになった小野さんは6歳の時に原爆に被爆され、お父様とお姉様を亡くされ、 ハワイの二世だったお母様と小野さんは奇跡的に助かったそうです。 そのお母様の英文の手記を元に書いた『炎のメモワール』が小野さんのジャーナリストとしての出発点であり、 それが彼女のバックボーンにもしっかり根付いているようです。 その被爆経験が60年を経過して突然、牙を剥いたようです。 病名は被爆者が発症しやすいという甲状腺障害による「バセドウ病眼疾」 白血球が増殖して手術は危険だいう医師に、「私には命よりも視力が大切」と訴え 口の中を切開し目の奥の骨を削る、片目づづそれぞれが2,3時間かかる大手術されたのです。 いまもステロイドによる治療を続けておられ「おかげで、こんなに筋肉が付いちゃった!」と笑いながら 私に腕を触らせてくれるのです。

今、小野さんは、そのような病気と戦いながらも北朝鮮脱北者の支援を私財を投げ打ってまでされています。 その事が7月に週間誌の女性自身に小野さんの写真入りで掲載されました。 私は、それを拝見して、小野さんの凄さにまたもや感動しました。 小野瑛子は美人の誉れが高いヒトです(^_^) 私が居候していた彼女のホームページの表紙には、「いつ撮った写真じゃい?」と冷やかしたくなるような いつまでも美しいソフト・フォーカスの写真がありました。 そんな小野さんが、週刊誌に「バセドウ病眼疾」と大手術後の写真を堂々と?数枚も掲載されているのです。 でも、ほんとうに凄いのは、そんな事もオクビにもださず、以前とまったく変わらないという事です。

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