小学校1年から渋谷で育ったシティー・ボーイ(^_^)の私にとって銀座は… 何かと縁が深く、懐かしくもあり、好きな街です。
父の職場が日比谷(そのあと銀座)にあったこともあり、 銀座の【スエヒロ】【資生堂パーラー】【月ヶ瀬】【千疋屋】【三笠会館】などなど 子供心にも贅沢で胸を躍らされた懐かしい店が数え切れないほどあります。
大学を卒業して1969年就職したのがフランセという中堅の洋菓子会社でした。 入社してすぐに配属されたのが『銀座三越』の地下食品売り場にある フランセ銀座三越店の店長で、1年間勤務しました。 店長といっても女子社員を1名付けられただけの店員のようなものでしたが(^_^;) 翌年の1970年、銀座三越の1階すなわち銀座通りに面して マクドナルドの日本での一号店が誕生するのです。 その時はすでに銀座三越勤務から営業店全般を見る仕事についていていましたが 銀座三越も私の管轄の一店舗で当然の事として思い入れも強く、 マクドナルド一号店の出店を最初から大変興味深く見ていました。 また、それと時を同じくして銀座通りの『歩行者天国』も始まって 銀座の新しい息吹を感じたのが今でも懐かしく思い出されます。
それから数年後、私は銀座8丁目の並木通りにあったフランセ銀座本店に配属になり、 新たにオープンする銀座5丁目の数寄屋橋店の初代店長をしばらくやって その後、銀座の2店舗の責任者となって…と フランセに在職した約10年のほとんどを銀座で過ごすことになるのです。
フランセという会社はまだ残っていますが銀座の2店舗はとっくに閉店しています。 なぜかといえば『夜の銀座』すなわち高級クラブがひしめいていた時代が 終わってしまったからです。 銀座の洋菓子店の多くは深夜1時頃まで営業し 高度成長で社用族の接待で沸く『夜の銀座』と共生していたのです。 その頃あった並木通りの高級クラブや画廊や洋菓子店はすっかり影を潜め… 今では世界のファンション・ブランドの通りとなったようです。
私が東京海上の代理店となるための2年間の研修を受けたのは新橋でした。 フランセ銀座本店のあった場所から歩いて数分の所です。 今、私が東京海上の代理店として所属しているのも新橋支社です。 それが、どういうわけか名前は新橋支社のまま丸の内に移ってしまいましたが それほど銀座からは離れていません。
てなわけで銀座は今でも私にとって身近な街でもあるのです。
12日の土曜日、ひさびさにYUKIとヒロコと3人で銀座にむかいました。 この日でクリスチーナの個展が終るからです。 会場に行ったらちょうど食事中で不在のようです。 だったら私達も食事でもして出直そうと外に出たら 向こうの方からやってくるクリスチーナの姿を見つけたのです。 会場に戻ってひさびさに楽しいひと時を過ごすことが出来ました。
私は銀座の週末のウラ通りというのが好きなのです。 クルマを路上パーキングに置きやすいのと、 飲食店なども空いていて、のんびりした空気が流れているからです。 個展会場の並びの小さな飲食店で食事をしながら、のんびり外を見てたら 昔一緒にサルサを習っていたMさん親子が通りすぎるのが見えました。 私が店から飛び出して挨拶すると、とても驚かれました。 もちろんクリスチーナの個展に行くところだったようです。
銀座はどこを歩いても懐かしいところばかりです。 でも銀座と言えばメインは銀座4丁目の交差点(この角のひとつが銀座三越)ですが その中でも象徴的なのが時計台のある『和光』ではないでしょうか。 そこのショーウインドウにヒロコの大学でのアートの先生で、 今でも親しくしている菱山裕子さんの作品が展示さられているというのです。 なるほどユニークな作品で、一度見たら忘れられません(^_^;)
歩行者天国にはなぜか和服姿の人が沢山いて、それも年齢や着物にも 統一性はなく、なんだかバラバラに集まったようで、 ヒロコと「きっとネットの呼びかけかなんかで集まったようだね」と言っていたのですが […]