2004年12月20日048号 宮崎にて

今回はYUKIの故郷である宮崎からです。 YUKIの82歳の母は宮崎で日本舞踊の師範をやっているのですが、 今日19日(日)が最後の正式な舞台と云う事で、我が家の3人そろっての、ひさびさの宮崎です。

夏の北海道と同じく、どうせ宮崎までいくなら時間とお金を有効にと… 今朝はAM5:20分にクルマで羽田のパーキングに。 朝一番の飛行機で宮崎に到着、あさっての最終の便で羽田空港に戻るという 角倉家恒例2泊3日充実のエコノミー・ハード・ツアーです。

それにしても、どうして12月というのは多忙で慌しいのでしょうか? まだカレンダーは200部近く残っています(カーナビがあると少し油断をしたようですが) 年賀状のデザインも、やっとヒロコと打ち合わせをした段階でこれからです。 仕事もおかげ様で生保が好調で、支社からの期待もあり今月の達成を目指さなければなりません。 事故報告もおかげ様?で毎日のようにあります。 忘年会もおかげ様で現在まで4回、あと2回残っています。

そうそう16日はとても楽しい忘年会でした。 主催は7月に私の3日遅れの誕生会をしてくれた坂本嘉輝氏、 例によって彼の生命保険セミナー(今年最終)の後の飲み会で 今回もYUKIにも、お声をかけて頂き二人での参加です。 何が楽しいか?といえばメンバーのユニークさです。 再保険会社の社員・ドクター、日刊Gの辣腕記者、外資生保の幹部 保険業界の長老、独立系CFP… それに私の生保担当者で恐れも知らずYUKIにカーナビ購入を促してくれた M君(実は坂本氏のアカラックスも担当)など等エトセトラ!。 普段無口?な私もアルコールが進み…隣のYUKIにテーブルの下から足を蹴飛ばされながら 時間を忘れ生命保険談義に花を咲かせたのであります。

さてさて…宮崎です。 いやはや、YUKIの母で、ヒロコのおばあちゃんで、私の義母にはもう…脱毛じゃなく脱帽です。 高齢で足が思うようにならず、これが最後の舞台という事で、それなりの覚悟をして宮崎にやって来たのですが とんでもない82歳とはとても思えない華やかで軽やかで重厚な踊りには 宮崎市民文化ホールの会場から大きな拍手と歓声があがり、目頭が熱くなりました。

そして、疲れをしらぬエネルギッシュな義母宅で 今日は時間がないので昨日から仕込んでおいたという手作りのカレーライスをご馳走になって 元気いっぱいの義母の話ををしこたま聞いて… 少々疲れ気味の我が家のメンバーは、 明日早朝からの義母案内ドライブに備えて,ホテルに戻るや午後11時に早くもダウン! YUKIもヒロコもすでに寝息をたてているのです。 私も寝ます、おやすみなさい。

2004年12月 6日046号 悲願のカーナビ購入!

「カーナビが欲しい!」とYUKIにお願いし続けて3ヶ月、 やっと我が愛車に悲願のカーナビが搭載されました。

運転暦三十余年、それもほとんど毎日クルマに乗り続けた私には、 カーナビなんて無用の物と思っていました。 しかし8月に北海道のレンタカーでカーナビを初体験 その後,クルマの修理で一ヶ月使用した代車がカーナビ付きで すっかりカーナビのトリコになってしまったのです。

安くなったとは言え十数万はするシロモノです。 我が家の厳しいサイフをツカサどるYUKI様がそう簡単にOKするわけがないのです。 そこで、なぜカーナビが必要で、それを購入する事によって、どのような経済効果が 我が家に反映されるかのプレゼンテーションしなければなりません。

12月は毎年カレンダー配りがあります、この機会を逸することは出来ません。 カーナビを購入する事で、どれほど効率良くお客様の所を廻る事が出来るか… そこで生じた時間を営業活動に回す事が出来たら十数万の投資なんて安いもんだ、 という主張でいくことにしました。 私の東京海上の担当者M君も私の案に大いに共鳴して 「12月に角倉さんに頑張って頂くためにもカーナビを買ってやってください!」と YUKIの恐ろしさも知らず直談判をしてくれたのです。

事実、年末のカレンダー配りは結構ハードなところがあります。 12月は直ぐに暗くなってしまいます、何度か訪問したお宅でも迷ってしまい クルマを降りて寒い中カレンダーを手に探し回るは辛いものです。 また普段は我が家から放射線状に慣れた道を行くわけですが カレンダー配りの時は、地域を限定し違った動きをするため地図が必要です。 この地図を見ることが、辛くなってきたのです。 暗い車内の照明で細かな地図を見ながら走行するは困難になる一方で カレンダー配りの効率は歳と共に低下してしまったのです。

カーナビは快適です!初めての訪問での暗い夜道も、家の前までピッタリ誘導してくれます。 こんな便利なモノが十数万なら安いと私は思うのですが…問題は費用対効果です。 これでバリバリ動こうと思ったらYUKIはカーナビを買ってしまったからガソリン代は 節約しろと言うのです。 「それじゃカーナビを買った意味が無い!」と私が言うと YUKIは「食事代をガソリン代に回せば、少しは痩せて一石二鳥になります」と。

空腹に絶えながらでも、稼がなければもっと恐ろしいことになるのは”確実”です。 今年も後、数十日!がんばるぞ!!

P.S.カレンダー配りの事を書きましたが… 「なんだ、ウチに来なかったヨ」なんて言われそうなのでその前にご案内! 枚数や時間に限界があり全ての契約者にお配りする事が出来ませんので お申込み頂ければ、東京海上日動の12枚カレンダーを優先的にお届けもしくは郵送いたします。

2004年11月29日045号 ヒロコの英語劇

先週は私がケボ劇団のスター?であったことを書きました。 そして実は!大学時代にはスペイン語の語劇で主役もやっていたのです。 オジャンタイという芝居でオジャンタイの役を演じたのですが 私が主役をやるようじゃ、もう”おじゃんたい”と言われました。

それから40年近くが経過して、蛙の子は蛙です… ヒロコの英語劇を二夜連続で赤坂区民ホールにYUKIと見に行きました。 ビデオ撮りの使命をヒロコから授かっていて、二夜連続といっても同じ芝居だったのですが 演劇を見る目は、そこらへんの親とはチョットは違う、いや違うつもりであります。

ヒロコもまもなくテンプル大学を卒業するようですが、実にエネルギッシュに大学生活を エンジョイしてきたようです。 サルサ倶楽部を立ち上げ、自ら振り付けをしての公演は何度も見てきましたが その情熱は大変なもので、親バカかもしれませんが中々なものだと思っています。 授業はもちろんバイトもやりながらで、それだけでも充分だと思うのですが、 コーラス倶楽部にも参加しているかとおもったら、文化祭では教師のボサノバの ギター演奏に合わせて、それらしい雰囲気で唄っているのには呆れました。 そして演劇です、実は昨年、初めて出演して味をしめたようです。 『乞食と役者は一度やったらやめられない』と言われますが、それは私も実感です。 それにしても、今年は3つの芝居に出演し、そのうち2つが二人芝居ですから セリフの量だけでも大変なものです。

サルサ公演の時のヒロコの集客力には驚かされるのですが、 英語劇を字幕ナシで見るのには、かなりの英語力が必要でサルサのようにはいかず、 会場は閑散としたものでしたが…親とはエライものです! 私とYUKIはイベント皆勤賞?でテンプル大学でもかなりの”顔”なのです。

英語劇は、みんなが笑ったら私もつられて笑うという情けない観劇ですが それでもヒロコの演技には気になるところが山ほど見えてしまいます。 けっしてヘタな芝居ではないのです。 それどころか本人は得意満面でノリノリでパワフルで ”サルサ”を踊っているように楽しく演じているのです。 でも、私にはそれがどうにも鼻についてしかたがありませんでした。

初日の公演を終え、満足感にしたっているヒロコに、その事を告げると かなりのショックで疲れがドッとでて落ちこんで寝てしまいました。 そして2日目の演技はかなり良くなっていました。

ヒロコが保育園時代の学芸会… とてもシャイで大人しかったヒロコの声はまったく聞こえませんでした。 会場の友達から「ヒロコちゃん聞こえないヨ!」というヤジが飛んだビデオが残っています。 それが、何でこうなちゃたのかね…とYUKIと笑ってしまいました。

2004年11月22日044号 ケボの会

私は「ケボの会」設立以来のメンバーです。 どんな会かといえば、ボケの反対で…ボケないための会です。 会員の条件は●現在ボケていないこと●ボケないために努力すること…といたってシンプルです。 設立したのは私の友人のKさん!彼女の住む多摩市(東京都)を拠点として活動し、 設立当初は老齢化社会を先取りした希少価値もあったのでしょう NHK総合テレビが生中継で紹介したのをはじめ、新聞や雑誌にも多く取り上げられ 私もチョコチョコと出演?させて頂きました。

ケボの会の活動で私が大きく係わったのは演劇活動です。 会員には元映画監督や現役の俳優さんもいて劇団を作ろうという事になったのです。 もちろん、ほとんどが高齢者でセリフを覚えるのだけでも大変という中で 私は【ケボ劇団】の若手肉体派?男優として活躍?していました。 毎年秋に公演があって8年ほど続いてのですが、メンバーが高齢になりすぎた?事もあって 劇団は休止状態、ケボの会の活動も少なくなっていきました。 何事にもやりだすと熱中する私は演劇にもかなりハマッテいたので YUKIはほっとしているようですが…。

そんな中で前回の理事会でKさんが、誰でも気軽に参加できるイベントで お金をかけずに、楽しく長続きするような企画を何かない?…というテーマになったのです。 そこで提案されたのが『おしゃべりの会』です。 これなら、お金をかけずに誰でも参加できそうだし、それにしようとその場で決定! 行動力があって迅速に処理するKさんは、 会場を予約してケボ会報にもその旨を伝える記事を掲載しました。

ところがイベント担当の仲間の一人が 「まだ具体的な事が決まらない内に…」との慎重論が出てきたりしたのですが 私が「そんなの司会者しだいでどうにでもなるし、気楽にやろうヨ」と言ったために 「だったら司会進行のすべてを任せるから…どうぞ!」 …という事になってしまったのです。(^_^;)

11月17日聖跡桜ヶ丘駅前のOPAでぶっつけ本番の運命の日?です。 何人集るかも、何のテーマで行くかも未定のまま、10人ほどの人達が集りました。 顔見知りの方もいて、自己紹介に加えて「貴方にとって憧れのスターは誰?」という 他愛の無い質問ですが、けっこう盛り上がって、楽しく過ごすことが出来ました。 次回から、テーマを絞った、おしゃべりや討論をしていければ、 結構面白くやっていける手ごたえを感じました。

設立当初は高齢者を支えボケないお手伝いをと思っていたのですが… これからは自分がボケないために、この会を積極的に利用する事になっていきそうです。

2004年11月1日041号 余市のHさんのご実家

今日(31日)はYUKIと国分寺市(東京)のお客様のところにお邪魔しました。 この夏、余市(北海道)でご契約いただいたHさんのご実家です。

実はHさんのお父様が9月に59歳の若さで癌で亡くなられました。 生命保険での給付をした保険会社が、お母様の保険プランをいろいろ持ってきており その事で相談したいとHさんから連絡を頂いたのです。 そして納骨のためHさんが実家に戻っておられる今日が訪問の日となったのです。

国分寺の閑静な住宅地、玄関には大きなウサギの傘たてがあり、少し雑然とした(シツレイ!) ひろい玄関に入ると、その家庭の温かみがワッと伝わってきました。 保険屋を長くやっていると、その家庭の雰囲気が玄関に入った瞬間で感じ取れるのです。 Hさんは女性4人姉妹の長女で、4女は高校三年生でお父様も気がかりだったようです。 でも、お母様を初め妹さん達にも、とても気さくにフレンドリーに迎えて頂き 私も調子に乗って時間を忘れ楽しく(何時ものように)話しこんでしまいました。

生命保険に何も加入されていないお母様には 一時払でムリのない範囲での終身保険と入院保障を提案しました。 保険料を東京海上に預けて頂くという感覚で、生涯の死亡と入院を保障するものです。 私としては、お父様の保険金を支払ったA社が提案しているプランと、しっかり長短を 説明して…と思っていたのですが、あっさりと決めて頂きました。

A社のプランは、『これだけ保険金を支払ったのだから、これだけ入れ!』と云った感じで とても契約者の立場に立ったものとは、私には思えませんでした。 私の提案した保険は、何時もの事ですが代理店手数料からすれば代理店にとって 旨みのある保険とはいえません、逆に云うと契約者には有利な保険です。

私が北海道に生命保険の契約に行った事を”保険屋仲間”に話すと、誰もが大きな契約と思うようです。 それが個人契約で手数料が極小の入院特約中心の保険だと知ると、もう”バカ”にされるだけです。 でも、自分の利益を考えていたら、お客様本位の設計など出来るわけがないのです。 そして、その保険が気に入っていただければ、たとえ北海道でも沖縄でもどこでも行く、と決めています。 それじゃ採算が合わないと、誰もが思うようです。

しかし、ありがたいことに今回のようにHさんの方から、声をかけて頂き しかも私の方が拍子抜けするぐらいあっさりとご契約いただけました。 余市に行ってHさんとお逢いするまではHさんのご実家が東京という事も知りませんし、 なんの打算があったわけでもありません。 ただ正直な仕事をしたら、正直に答えて頂けてた事に、とても心から感謝し、うれしくなりました。

Hさんのお父様の仏壇にお線香をあげさせて頂きました。 私と一歳違い…骨太で体格が良く健康そうで優しさが伝わってくる素敵な方です。 とても他人事とは思えない気持ちで手を合わせました。

お母様は生命保険の告知書に身長と体重を書かなければなりません。 おどけるように体重をご自身で量られ…「7キロもやせた!」と喜んでおられました。 明るく、明るく、振舞われるお母様に…胸が熱くなりました。

2004年10月18日039号 朝の強制?散歩

日曜日の朝9時、ヒロコの命令?で二人で散歩することになりました。

事の始まりは、我が家のリビングで床に落ちたシャツを私が取ろうとした事からです。 肥満気味で屈んで取るのがおっくうになっている私は、 両足でシャツを挟み、そのまま足を跳ね上げて、シャツを取ろうとしたのですが… まったくタイミングが合わず、見事に尻餅をついたのです。 その様子の一部始終をヒロコはしっかり見ていたのです。 なんなく出来きた事なのに、身体がついていかなくなった事に私はショックでしたが、 その醜態にはヒロコもショックだったようです。 「KEN!何か運動しなきゃダメだよ、」

遠くにあった駐車場が閉鎖し、幸か不幸か駐車場が近くなり、サルサ教室もご無沙汰ぎみで… 毎日クルマで移動する私の運動不足はかなりのレベルまで来ている事はたしかなのです。 ヒロコは「毎朝、散歩でもしたら!」と言いました… 私が渋っていたら「じゃあ、せめて日曜日だけでも、皆んなで散歩をしようよ」と言うのです。

何か目的がなければ長続きしそうもないので、私は提案しました… 「だったら日曜日は毎朝デニーズまで歩いて行って朝食を食べるってどうかな?」 (いつもクルマでいく所ですが、歩くとそこそこあります) 私はファミレスの朝食が好きなのです、ホテルのビュフェとまではいきませんが 朝の光をいっぱいに浴びながら、のんびりと飲むモーニング・コーヒーはなかなかいいものです。

我ながら良いアイデアと思ったのですが YUKIは日曜日の朝ぐらいゆっくり寝ていたい(日曜の朝でなくても”ゆっくり”だと私は思うのですが) という事で却下となってしまいました。 それこそ毎日多忙でヒロコの方が、日曜日の朝ぐらいゆっくり寝ていたいだろうに… そこまで私の健康を気遣ってくれるのですから、 こうなったら【ただ散歩するでけ】でも、やるきゃありません。

午前9時に出発、クルマでは通ることが出来ない道を選んでのんびりと歩いたのですが けっこう起伏があり、小一時間の良い運動になりました。 そして、そして、何といっても朝食が美味しいコト!(まー何時も美味しいのですが) なかなかダイエットとまでいきそうもありませんし、どこまで継続できるかもわかりませんが ムリをせずに少しはがんばってみようと思った一日でした。

2004年10月11日038号 雨オンナ VS. 晴れオンナ

一ヶ月前に34号で、週末は横須賀のハーバーの自家用ボートで過ごされる Yさんご夫妻から、生命保険のご契約を頂いただいた上に、船内でご馳走にまでなった 話をいたしました。 もちろん、その時も大いに盛り上がったのでありますが、なんせコチラは仕事、 それにクルマで伺っているので、アルコールも控えなくてはなりませんでした。

で…「次回は、お嬢さんもご一緒で心おきなく飲みましょう!」との嬉しいお言葉を頂くき、 遠慮というものを知らない私達はもちろん「是非!是非!ヨロシク!」と喜びました。 その日にちが10月10日(日)と決まったのです。

問題は天気です。 一週間前の週間天気予報だと、台風が接近しており週末は大荒れだと言うのです。 海が好きで飲んべいでのヒロコは今回のお誘いを楽しみにしているのですが、 もの凄い【雨オンナ】なのです。

この天気予報を気にしてYさんから、メールが来ました。 台風だとボートは出せないしバーべキューもムリだけど、Y夫妻はどっちにしても 週末は船内で一杯やるので、どうしますか?と云うものです。 多忙なスケジュールを開けて、楽しみにしていたヒロコは 「日延べしたって、私が行くと雨になるんだから、行こうヨ!」と云うのです。 その旨をメールで伝えると 何と!頼もしい返事がYさんからありました。

>私は自他ともに認める最強の晴れ女です。 >今年はこんなに台風が頻発しているにもかかわらず、 8月には伊豆七島にクルージングに行き、 >9月には台風の合間をぬって西表島にも行きました。 タイミングもドンピシャでした。 >(偶然でしょうけど・・・私が計画した旅行で雨にたたられたことは今のところ一度もありません。)

さすが、晴れオンナのYさん!、週末は絶望的と思われた台風は日曜日に大暴れして通過してしまったのです。 しかし雨オンナのヒロコもしぶといもので、台風一過の好天気といかず 午後には小雨も降らすネバリ?を見せたのです。 何はともあれ、一日ずれていれば台風のまっただ中だったわけでラッキーでした。

メイン・メニューは釣ったばかりという、ブリの刺身とシャブシャブです! Yさんのご主人曰く…「今朝、海を見たら”鳥山”がたっていたから急遽船を出して獲って来た」と云うのです。 ”鳥山”とはブリやカツオの大型魚がイワシのような小魚を追う時に、小魚が群れをなして逃げ そこに大型魚が突っ込む時に小魚が逃げて海面に上がってきて、それを海鳥が集って襲う現象だそうです。 すなわち、海面に海鳥が集っていたら、そこにブリやカツオの大型魚がいるという事です。

それを見て、すぐ船をだしてブリを何匹も獲ってくるYさんのご主人の凄さ、そして東京湾の豊かさに またまた今回も感心してしまういました。

獲れたてのブリ!西表島の泡盛!…飲むべい雨オンナのヒロコも大感激! たらふく食べて、飲んで…大満足です。 今晩はマリン・ポートからほど近い観音崎の京急ホテルの特別割引券を頂き、 そのゆったりしたホテルの一室で海の音を聞きながら私は書いています。 もちろんYUKIとヒロコはグーグーと気持ちよさそうに寝ています。

2004年9月27日036号 銘菓 芋窪街道

昔ケーキ屋KENちゃんだった私は、今でもたくさんのケーキ屋さんを知っています。 東大和市(東京都)にある【茶屋エポック】もその一つです。 そのお店の代表的商品【銘菓・芋窪街道】は、実は私が企画・命名した商品なのです。

98年に店主の榎本氏がそれまで経営していた所沢(埼玉)のお店から現在の 住居を併用した店舗を新築し、その時の出店プロジェクトを担当したのが私だったのです。 な~んて書くとチョット大げさですが、私の趣味(YUKIに言わせると)とお客様(保険の)サービス を兼ねてボランティアでお手伝いをしたのです。

本来なら、出店前に戦略をたてて、その戦略にあった立地条件を探すのですが… 予算の問題や、併用住宅で二人のお嬢さんの学校問題や奥様の意向や、いろいろあり 場所と予算が決まったら、そこからクチを出すことにしました。

決定した建設予定地に、私は一人クルマで見に行きました。 開通したばかりの多摩モノレールの始発駅【上北台駅】から徒歩5分で少し住宅街に 入った並木道にあります。 駅前といっても、出来たばかりのモノレールと空き地と広い空しか目に入りません。 それに、もう一つ私の目に焼きついたものがありました。 それはモノレールの線路が走る広い通りに付けられた道路標示の【芋窪街道】です。 その瞬間、アイデアが閃いた私は直ぐに、榎本氏に電話を入れました。

「スイートポテトを主力商品にしよう! 商品名は『銘菓・芋窪街道』出来れば地元のさつま芋が使えるか調べて欲しい、 それにもう一つマドレーヌを形やパッケージを工夫して『モノレーヌ』って云うのもどう思う?」 私は興奮気味に熱く話すのですが、榎本氏の反応は冷淡なものです… 「あのねー、あのへんじゃ芋窪って地名みんな嫌がっていてるみたいで、それを商品名にはねー。 モノレーヌって駄洒落ですよね、ちょっと今、忙しくて手が話せないもんで。」 電話はそっけなく切られてしまいました。 しかし、私の頭には『銘菓・芋窪街道』と『モノレーヌ』のイメージがどんどん湧いてきて そのパッケージやロゴはもとより、新店舗のコンセプト、ブタのロゴマーク、開店チラシ、商品のしおりまで、 寝食を忘れ…いや食事は忘れないで仕事を忘れ…YUKIの冷たい視線を浴び… イッキに書き上げてしまったのです。

開店してから6年… 今では榎本氏は地元ではちょっとした有名人。 商店会から役所まで幅広く顔を出して町おこしに積極的です。 榎本氏も私のダジャレ・センス?を引き継ぎ、地元の狭山茶を使ったパイ菓子を開発 その商品名を上北台駅から『神来たパイ』としたのですが、イマイチ伸び悩んでいます(笑) それでも『銘菓・芋窪街道』はタウン誌はもとよりマスコミの取材も多く、定番商品として定着 したようです。

【茶屋エポック】のホームページを作ってあげる事になっているのですが… やり始めると何でもとことんハマってしまう私にYUKIの目がまた光っています。 今は形が見えない保険という商品を売っている私にとって、洋菓子は形そのものであり 顧客の反応も素早い商品で実に楽しく、私のストレス解消にもなるのです。 しかしYUKIは私にストレスなんてあるわけはないと断言するのです。

2004年9月20日035号 エンジンが焼き切れた!

私の愛車はガーガーパタパタと情けないエンジン音たてながらヨタヨタと走ります。 道行く人達が不審な視線を私のクルマに向けています。 我が家まで、あと数キロの地点で、エンジンは力尽きて停止 その惰性で路肩にクルマをのせるのがやっとで、そこからもうビクともしません。

私はYUKIにケータイでJAFのロードサービスの電話番号を聞きます… 「JAFの会費なんてもうずっと払ってません!東京海上のロードサービスがあるんじゃないですか…」 仕事ではお客様にそんな話をしておきながら、 いざとなった時に「そういえば、そんなものがあったな」と思う自分に情けなさが倍増します。 そんな私を嘲笑うかのように雨が激しく降ってきました。 びしょ濡れになりながら住所を確認してロードサービスを待ちます。

私の愛車はトラックに牽引されディーラーに運ばれました。 夜の9時でしたがディーラーのスタッフ数名がクルマが運ばれて来るのを待っていました。 ツナギを着たメカニックがボンネットを開け顔をしかめて云いました「こりゃダメだな…」 もっと調べなくてはならないから、帰れというのです。 このディーラーは駅からかなり離れているのです。 しかもクルマには重いカバンやパソコンを積んでいます。 そも、そも、このような事態に陥ったのはディーラーに責任がある思っていたのですが それまでおとなしくしていました。 しかし一言の侘びもなく、人里離れたディーラーからクルマで送る気配もなく、ただ帰れという態度に 私は「ここから、荷物を持って客に歩いて帰れと云うのか!」と少し言葉を荒げました。 それに敏感に反応した、営業マン風の人の良さそうな青年が私がお送りしますと結局 我が家まで送ってくれたのです。

車内でその青年に説教です。 そもそも今回の故障の原因です。 高速道路でスピードを上げると計器盤にエンジンオイルが不足した時のランプが点くのです。 オイルを実際に見ても不足していません、低速ななるとランプが消えます。 そんな状態なので、定期点検の際、そこをよく診てくれるように依頼したのですが、 特別異常は無いという事でした。 しかし、その数週間後、大阪に日帰りで行く事があり東名高速にのった時からランプが付くのです。 少し気になったのでディーラーに電話したら、長期のお盆休みが始まったばかりで通じません、 留守番電話が緊急の場合の”0120”を案内するのですが、なんとケータイからは繋がりません。 こうなったら気にしても始まりません、13時には大阪のお客様宅まで行かなければなりません。 行きも、帰りもオイル・ランプが点きぱなしの高速走行で帰ってきました。 それからエンジンからは時々不気味な音を発するのですが、それほど高速走行するわけでもなく、 数週間走っていたら、このような事態になったというわけです。

クルマを運転する青年に、そのような話をし… また私は、このクルマが、そのディラーから買った4台目のクルマで十数年の付き合いが あるのに、この対応はナンダ!…といった不満をぶつけている内に我が家に到着です。

翌日、電話をかけるといったいたディーラーから何時までたっても連絡がないので 痺れを切らして、こちらから電話です。 電話に出た技術者らしき男は、エンジンが完全に焼き切れておりダメだと云うのです。 私はダメなのはわかったから、どうすると言うのだ?と聞きかえします。 修理はエンジンの積み替えを含めて○○万円かかると言うのです。 私は○○万円かかるのは、わかったが、それをどうすると言うのだ?と聞き返します。 技術者らしき男は黙っています。 「あなたじゃ話にならない責任者を出せ!」と私が言うと店長と名乗る男が出てきました。 「昨日ご自宅まで遅らせていただいた店長のNです。」

結局、エンジンは新品を提供して工賃だけは負担して欲しいという、店長の提案を呑む事になり その間、代車として店長が提供したのは… 試乗用に使っている最新の大型のRV社でカーナビからテレビまでついた高級車! 音響効果もバツグンでもうヒロコは代車のトリコになり… 管理費を滞納しているマンションの住人からは(新車を買ったのではと)冷たい視線を受け… こんな時に限ってガソリン代が高騰して大型車とはと!YUKIから文句をいわれ… そんな23日間の代車期間も終わり、明日新しいエンジンを積んだ愛車が戻ってきます。

4年で13万キロ走ったエンジンが新しくなり […]

2004年9月13日034号 マリンポート・コーチヤ

土曜日、浦賀(横須賀市)のマリンポート・コーチヤにYUKIと一緒に行きました。 週末はボートと釣りが趣味のご主人と共に、海で過ごされるのがライフ・スタイルという Yさんご夫妻の生命保険のご契約です。

今回もネットで4月始めからメル友感覚で楽しくやりとりをさせて頂いたお客様ですが、 例によって直接お逢いするのは初めてです。 メールのやり取りを何回かする事で、その方のイメージが出来上がり、大抵はハズレないのですが… 今回はハズレれました。 最後の最後まで、生命保険の細かい所まで確認されたYさんには繊細なイメージがあったのですが、 現れたYさんは真っ黒に日焼けしたショートパンツ姿(場所柄あたりまえなのですが…) とても豪快でダイナミックで気さくな方だったのです。 そして、そして…そのご主人はと言うと、その何倍も豪快でダイナミックで精悍! 一度逢ったらもう二度と忘れられないほどのキャラクター、 海が好きで、「全財産を投げ売っている」と言うほど海の男なのです。

こちらも通信関係のサラリーマンと言うイメージからほど遠く、この裏切り?にも嬉しくなってきます。 メールでも、契約手続きは素早く済ませ、後はご夫妻所有のボートで「楽しくやりましょう」という 事になっているからです。

ボートには釣ったばかりのカツオが大きなアイスボックスに数匹入っています。 36フィートの自家用ボートは漁業探知機・GPS等の機器から内装にいたるまで ご主人自身が手をかけたもので、その情熱が伝わってきます。

同じマリナーで仲間のOさんがカツオをカルパッチョにしてやってきました。 板前顔負けの包丁さばきです。 挨拶もソコソコに乾杯です!狭いボートのキッチンからYさんの手料理が素早く次々に出てきます。 Yさんは実はユキコさんなのですが、ウチのYUKIと違って料理のセンスと才能はバツグンです。 しばらくすると、Kさんがビールを持ってやってきました。 陽はすっかり落ちて海の向こうには千葉の灯りがキラキラと見えます。 大型の貨物船がまるで夜行列車のように灯りを連ねて遠くを通過します。 刺身類は苦手で、特にカツオがダメというYUKIがパクパク食べています。 話も大いに弾み、お酒も美味しいのですが、クルマの私は押さえなくてはなりません。 その分は例によってYUKIが飲んでくれています(トホホ)

あちこちのボートで、楽しく夜を過ごしているようです、 お酒が足りなくなると携帯でやり取りをして、実に楽しいコミニティが出来上がっているのです。 時間を忘れ、仕事を忘れ(…そういえば、この日は保険の話はほとんどしませんでした) 獲れたてのカツオを一匹お土産にもらい… こんな幸せな仕事をしてバチが当たらなければと、またまた思ってしまった一日でありました。