2004年8月30日032号 北海道にて 続き

さて、北海道の続きです。 いよいよ23日は、今回の旅の目的である余市にお住まいのHさん宅の訪問です。 余市は小樽からクルマで30分、少し早めに到着して、ニッカのウィスキー工場に…。 私には余市と聞いた瞬間にニッカが浮かぶほど、昔見たテレビCMの印象があるのです。 そこは思った以上に美しく、荘厳で、気品に溢れ、 工場を見てこころが打たれるという、初めての経験をいたしました。

午後1時、Hさん宅に訪問、ご夫妻で暖かく向かえて頂きました。 ネットで生命保険の相談をうけ、充分納得して頂くまで何度もメールを重ねるうちに 親しみが湧き、お逢い出来るのがとても楽しみになるのです。 二人のお嬢様の姿が見えないので伺ったら、もう幼稚園も小学校も始まってるという事。 そんな事にも北海道を実感してしまいます。

Hさんご夫妻は大学の音楽クラブで知り合い結婚、 ご主人は札幌の方で、東京での4年間の学生生活で北海道の良さを認識され、 東京出身の奥様も、すっかり北海道が気にいられているようです。

帰りに余市の駅前にある、創業70年の海鮮食品スーパーの2階で食べた 新鮮な貝が何種類も入った磯丼913円!ほっけ定食なんと378円!… 旨いの!安いの!もう涙が出てきます。 私もYUKIも、余市がとても気に入ってしまいました。

帰りに東京(経堂)から札幌に越されたお客様のFさんを尋ねたら ご本人もちょうど帰宅されたばかりで、いろいろ話がはずみ 趣味の畑で獲れたという、トウモロコシ・トマト・ブラックベリー・枝豆・プラムがテーブルに! どうしてこんなに旨いのかと、先ほどの海の幸に続いて、今度は山の幸で感激! あげくのはてに、自家製じゃがいもがたっぷり入ったカレーライスまで頂き、 もう私の胃袋は、普段との落差でショック死するのではないかと思うほどでありました。

23日夜遅くチェックインした滝川のホテルを朝早くチェックアウトして… レンタカーで一路、富良野へ。 ココで絶対に今回の北海道では行くまいと、こころに決めていたマクドナルドに! YUKIは嬉そうにコーヒーをお替り、昨日と打ってかわって何時もの食生活の始まりです。

ラベンダーの盛りは少し過ぎたものの、美しい花畑がどこまでも続き、 青い空はどこまでも青く、緑の丘陵はパノラマのように広がり、 澄みきった空気はエアコンの何十倍の心地よさで肌に感じるのです。

支笏湖・積丹半島・小樽・余市・札幌・滝川・富良野・夕張と北海道を堪能 「北海道はのんびりしていいね…」なんていいながら 2泊3日でレンタカー走行800KM! 使った高速料金は初日にカーナビで誘導されてしまった千歳~小樽間の2050円のみ! ハードでバトルでハッピーなYUKIとの北海道の旅は終ったのです。

2004年8月23日031号 北海道(小樽)にて

今(22日午後11時)小樽のビジネスホテルで書いています。 なぜ小樽にいるのか?…と云うと 明日23日に小樽の隣町余市にお住まいの、お客様宅にお伺いするからです。 仙台の時と同様、当然?YUKIも一緒です。

でも、今回はなんせ北海道!クルマでというわけにも行かず、それなりに費用がかかります。 それに”夏の北海道”です、いくらYUKIのケチケチ作戦でも限界があります。 したがって今回は二人の夏期休暇を兼ねて「少しは楽しもうよ!」という事になり 【2泊3日北海道の旅】で、今日がその第1日目と言うわけです。

でも、なんてったってYUKIです! スケージュールだって生やさしいものではありません! 今朝は4時起きです、羽田発JALの始発便に乗るためです。 ちなみに24日の帰りは最終便です、ようするに どうせ2泊3日の旅行をするなら、目一杯北海道に滞在しようという魂胆です。 その為に羽田で私のクルマを預けて、千歳空港でレンタカーを3日間借りて 私は運転し続けなければならないのです。

温度16度・天気快晴…空気はあくまでも澄み切っています。 レンタカーにカーナビは今や常識のようですが、私は初体験です。 まずは行く先を支笏湖にセットして快調なドライブを満喫しました。 まーそれまでは、良かったのですが 支笏湖から、今度は積丹(しゃこたん)半島を回る計画をしていて 私がカーナビのセットを余市にした事から”何時もの悲劇”が始まったのです。

今回のドライブは地図を持たずに、カーナビまかせにしたのがまずかったのです。 私は支笏湖から積丹半島の入り口である余市まで、複雑な道をどう誘導してくれるか 楽しみにしていたのに、カーナビは今来た道をそっくり千歳に戻ったあげく YUKIが嫌いな有料道路に誘導して行ったのです。

高速道路に乗ってからYUKIの目がすわっているのです・コワイ! YUKIは私に不愉快そうに「幾らかかるの?」と聞きます、 私だって知るわけがありません、カーナビに聞いて欲しいです。 それでも、北海道の景色は高速道路でも違うと感激している私に、YUKIは 「高速道路って何で、同じような景色なんでしょうね?」とまたつぶやくのです。

「朝からまだ何も食べてなんだけど…」なんて、とても言える雰囲気ではありません。 まーそんな険悪な雰囲気の中でしたが…

午後2時にようやく食べた積丹半島での取れたて”うに・いくら丼”! 積丹半島の突端”神威岬”の遊歩道から見た断崖絶壁の海岸線の絶景! そのレストハウスでのソフトクリームの旨さ! その時、高校野球での北海道初優勝の瞬間で、店中が大騒ぎ!

北海道を満喫していく中で、またコレも何時ものようにYUKIのご機嫌も直って 第一日目は無事?終了!… YUKIサマは例によって、すやすやと寝息をたててお休みされています。

2004年8月16日030号 私はサンマ?

その昔…私がケーキ屋KENちゃんだった頃、カレは今でいうパテシエでした。 その頃二人は30代、私は経営の責任者として、彼は製造の責任者として、よくケンカをしました。 時が変わり、私が保険屋KENちゃんになってからは… 私は保険屋さん、彼は横浜に5店舗の洋菓子店を持つ経営者として、ナカヨクしているのです。

彼の名前は島川正利…昔はちょっと有名なパテシエだったのです(笑) 今、ケーキ通なら誰でも知っているという、 自由が丘(東京)の【お菓子職人の殿堂・スイーツフォレスト】に8月いっぱい出店しています。 お店の名前は『ガトークラシック』…もし、ご興味があったら是非!ご来店下さい! なぜ私が宣伝するのか?…というと実は私は彼の会社の経営アドバイザーだからです。 彼は正式に手当てを出すから”顧問”になってくれというのですが、 長い付き合いで彼の性格を知り尽くしている私は、ヘタに手当てなど貰ったらコキ使われる ことを知っているので、無給のボランティアでいるのです。 (因みにヒロコは島川氏としっかり交渉して、彼のお店のホームページを作成から全てを 管理しているのです)

私と彼が話し出すともうエンドレスです。 新横浜の駅ビル店で合ったりすると駐車料金だけで4・5千円になる事がざらで、その分ぐらい は頂くことにしています。 私もけっして無口な方ではありませんが  (そうそう前号の鎌倉のM氏のお母様がヒロコに私の事を 「ウチでも お父さんは”さんまさん”みたいにしゃべるの?」と聞かれたそうで、少しは反省) 彼も、しゃべりだしたら止まらないのです。

そんな中で【スイーツフォレスト】の出店や、池袋のサンシャインシティのナンジャタウン内の 【アイスクリームシティ】の出店の最終決断もしたわけで、私としても責任があります。

先日、生命保険のご相談を受けたNさんと池袋で午後1時前にお逢いしました。 Nさんとは保険の雑談で盛り上がってしまい具体的な話まで行きませんでした。 Nさんが3時から同じ池袋で1時間ちょっと用事があるので、 再び4時15分にサンシャインビルの入り口で待ち合わせる事にまりました。

その間、私は8月5日にオープンしたばかりのナンジャタウン店に行ってみる事にしました。 店内は夏休みの真っ只中でてんやわんや。 彼は私を見つけると、「ちょっと待ってくれ!」と遠くから目で合図したまま、出てこれません。 彼が出てきたからといっても、何時ものように話す時間がないので早々に退散です。 まともに逢っていたら、確実に9時頃までは話し込んでしまいます。

ところが、4時15分から再びお逢いしたNさんと、またまた生命保険の話でもり上がってしまい 結局9時頃まで、話こんでしまったのです。 「ホンマにワテは”さんま”かいな?」と思ってしまう、今日この頃であります。

【追伸】 YUKIには”さんま”の意味が判らないようで、みんなも判らないのでは?と心配しています。

2004年8月9日029号 花火大会のお誘い

鎌倉の”ご実家”で江ノ島の花火大会を見ながら、おいしい料理が頂けるという… とてもリッチなお誘いが、お客様のM氏よりありました。 お誘いがあれば、なんでも喜んで参加するのが我が家のモットーです。

お客様のMさんですが…正確に言うと、私の”お客様に2度もなりそこねた人”なのです。 一度目は 数年前、Mさんの人生のパートナー”マーちゃん”の生命保険で、 二度目は 、お父さんの相続がらみの保険で、ご相談を受けたのですが 最終的に 両方とも他社での契約となったのです。 (少しカッコよく表現させて頂ければ他社商品にお墨付きを与えたと言いたいのですが・笑) しかし保険マニア?のMさんとは 意気投合し、保険以外の話題にも時間を忘れて いつも話し込んでしまう間柄になっていたのです。

つい先日もMさんとパートナーのマーちゃんから、蒲田の安くて美味しい寿司屋があるので 「一緒しませんか?」という嬉しいお誘いを受けて、大いに盛り上がったばかりでした。

日本橋箱崎にお住まいで広告会社を経営するMさん、 パートナーのマーちゃんは八丁堀育ちのチャキチャキの江戸っ子で劇場(国立)運営がお仕事の とてもとてもチャーミングな才女です。 そして、鎌倉の高台にあるお住まいは、Mさんのご両親が3年前に建てられた、 トレンディ・ドラマの舞台になりそうな、いやそれ以上に洒落た鉄筋3階建・地下1階 エレベーター付き豪邸です。

ガラスをダイナミックに使用した開放的で明るい造り。 料理を作りながら歓談が出来るように 設計されたメイン・リヴィングは 来客をウエル・カムするM家のコンセプトが伝わってき ます。 大きな大きな窓ガラスの正面には江ノ島が絵葉書のように海に浮かんでいます。 テーブルには今日の料理のために庭で栽培 された自家製バジルがさりげなく飾られています。

”マルエツ”で半額で買ったモヤシの袋がさりげなく転がっている…我が家の雑然とした風景とは 涙が出るくらい差があるのです。

花火はここから見るのかと思っていたら、エレベーターで3階に案内されました。 そこは今日の花火大会の為に造られたのではないかと思うようなオープン・テラスです。 大きなテーブルにはお母様やMさんの友人手造りの豪華な料理や飲み物がところ狭しとならんでいます。 ウッディーな広いベランダに吹く夜風は、この夏の暑さがウソのような心地よさです。

7時15分から1時間の花火は、我々の為に打ち上げられたのではないかと思うような 完璧なロケーションと環境の中で、大満足の花火大会でありました。

美味しい手料理…とくに私が感激したのはお母様が春に鎌倉の山を散策しながら採取したという ”せり”のなんと懐かしいシャキシャキとした味わいでした。 「何もしないヒト」とお母様からカゲグチ?を言われたお父さんも、小まめに料理を運ばれ アルバイトがあり遅れて来たヒロコを駅ま迎えにいって頂いたりのフル回転で、さぞやお疲れが 出たのではと恐縮してしまいます。 マーちゃんは、とても楽しいキャラクター(マーちゃんも私のコトをそう言っているようですが…)で 結構アルコールも進み、大いに場を盛り上げてくれます。 そしてMさんですが…もう気の毒なぐらい、小まめに動かれ、ゲストに神経を使われていたようで 今回はゆっくりお話が出来なかったのですが、Mさんの優しい側面を見る事が出来ました。

ヒロコのサルサを披露したり、他のゲストの方達とも大いに歓談し ヒロコもYUKIも大いに飲んだようですが、私はシラフで美味しい料理に集中です。 私としてはクルマを置いて行きたかったのですが、帰りが楽だからという理由で何時ものコトですが トホホの運転手です。 お土産に頂いた自家製バジルの香りが車内に漂い、 ほろ酔い気分のYUKIとヒロコの心地よい寝息を聞きながらハンドルを握る私は 心からMさんに感謝したのです。

2004年7月26日027号 八百屋のマイケル

マイケルと云っても、彼はれっきとした日本人のおじさんです。 八百屋と云っても、彼には本職がありスーパーの青果売場のパートです。 パートと云っても、彼は昔から青果売場にいて主のような存在です。

なんでマイケルかと云うと…ある時、彼が私達にマイケル・ジャクソンの大ファンだと言ったのです。 そのギャップ がオオウケし、それ以来、我が家ではマイケルで通っているのです。 むろん本人は マイケルと呼ばれていることは知りません。

私とYUKI(たまにヒロコも)は毎晩8時過ぎに近所のスーパー『マルエツ』にいくのが日課です。 この時間になると生鮮食品に半額シールが貼られるからです。 それ以外の物は買わない!…というのが我が家の掟です。 もうこんな生活が10年ほど続 いています。 そして、ほとんど毎日マイケルと顔を合わすのです。

マイケルはとても元気がいいのです、お客様には何時も声をかけています。 ひとけの引いた夜のスーパーで、小まめに動き回る小柄なマイケルは いつも目立っているのです。 店内放送からもマイケルの声が流れてきます… 「 ニッポンの夏。…何と言ってもスイカです!ただいま青果コーナーにてカット・スイカが半額~」 値下げした野菜 や果物を、彼独特の能書きを交えたマイケル節での店内放送には、 何時もYUKIと顔を合わせて笑ってしまうのです。

でもマイケルも、生活は苦しいようです。 毎日、半額の物しか買わない私達に親近感を持ってくれているようです。 そして何時も怒っているのです、 本業の社長の悪口、仕事での愚痴、社会の事… でもマイケルが怒れば怒るほど何故か可笑しいのです。 奥さんや高校生のお嬢さんから 如何に虐げられているか…なんて話になると、 私は他人事とは思えず、涙を浮かべるほど同感し ながらも…笑ってしまうのです。

マイケルの唯一の趣味は競馬のようです…これだけは止められないようです。 でもその競馬ですら、いつも怒っているのです。

馬券売場でのマイケルの話です…小銭を含めて現金で馬券を買おうとしたら 売場の女性が「5円玉は使えません!」と指ではじき返したというのです。 これにマイケル はキレたのです、5円玉が使えないというのも納得出来なかったようです。 しかし、そばにいた初老の人の良さそうな警備員が、懸命に頭を下げて謝ったそうです。 警備員に謝られても…と マイケルは思ったようですが、 すぐ に納得しちゃうのがマイケルの良いとでもあり、弱いところなのです。

でも腹の虫は収まらず翌日、仕事中(配送の仕事)に何時も車中で聞いている 民放ラジオ局にケータイから怒りをぶつけた そうです。 そして、しばらくすると、自分の名前がラジオから聞こえてき たと言うのです。 番組でマイケルの”怒り”が採用され、しかも5000円が貰え て少しは腹の虫が収まったと喜んで、 原付バイク で会社から帰ろうとしたら、バイクが盗まれていたと いって… 猛烈に怒っているのです。

どこまでも不運なマイケルですが、私にとっては、とても心がなごむ… […]

2004年7月12日025号 今日は私の誕生日

7月12日…今日は私の誕生日です。 YUKIは「エッ!もう58歳ですか!困ちゃいますよ、死ぬまで働 いていただくとしても もうそんなに長くないってことですよね~、これからは倍ぐらい稼いでもらわないと!」

まー今さら誕生日を祝ってもらうとは思ってもいませんが、 もうちょっと優しい言葉があってもいいと思うのですが コレです。 YUKIに言わせれば 、甘い事を言ってたらKENは、すぐに気が抜ける性格だから 「ビシビシイク !」と手厳しいのです。

確かに、住宅ローンはしっかり残り、退職金も年金もあてに出来ないわけで 私には『働き甲斐のある老後』しか選択の余地はないようです、トホホ。

それにしても58歳とは、我ながらイイ歳になったもんです。 若い時は誕生日といえば「もう何歳になった!」と足し算をしていくのですが、 ここまで来ちゃうと「あと何年!」と引き算になっていくようです。

昭和21年生まれは微妙な年代です。 いわゆるベビーブーマー、団塊の世代は、翌年の22年生まれから始まります。 私は中学の途中から、父の転勤で名古屋市立の 日本一のマンモス中学に転校しました。 私達の学年まではA組・B組といったクラス編成でしたが、 1年下 の学級からはアルファベット26文字では足りなくなってしまったのです。 生まれつきのんびり屋 で競争の嫌いな私は、こんな学年には絶対入りたくないと思いました。 したがって進学も就職もムリをせず、競争のないマイペースな人生を歩んで来たのです。

でも、この年齢になれば1年の差など、ふっとんでしまい、少子高齢化社会のトップバッターとして その真っ只中にたたされていくようです。

もう58歳 ! まだ58歳!…どうとるかは気持ちの問題です。 この【週間KEN】が何年先まで連載できるかわかりませんが 、 今日ここで書いた58歳がYOUNGESTである事は間違いありません。 何年か 先に読み返したら「58歳か!若かったなー」と思うかもしれません。

政治家や経営者(そういえば私も一応そうなんですね)なら、一番ノッテル時かもしれません。 YUKIの戦略にハマルのもちょっと悔しい気持ちもありますが、まだまだこれからと 肥満の身体にムチ打って死ぬまで働く覚悟を、 改めて決意した、熱い暑い!誕生日です。

2004年6月14日021号 仙台にて

今、仙台のホテル、ホリデー・インでこの文章を書いています。 仙台にお住まいのお客様のNさん宅に生命保険の事でお邪魔したのです。 2月からDr.KENの名前で相談員として参加している超人気サイト【保険選びネット】での 私の真摯な!?名答・迷答の数々に感銘 ?されファンになって頂いたというキトクな方で メールでも数ヶ月、生命保険について大変楽しくやりとりをしていたのです。

YUKIが「仙台は行った事がない!」というので一緒です。 この【週間KEN】もご愛読?頂いているNさんにYUKIも一緒だとお伝えすると、 少し緊張されたようですが、私以外の人類には危害がない事をお伝えし納得頂きました。 本当は昨日の土曜日をNさんはご希望だったのですが、ホリデー・インのホリデー・プラン と言うのがあり、日曜日の宿泊だと格安になるとYUKIが云うのです。 こういう時は【週間KEN】のご愛読者だと、とても話がしやすく、その旨をNさんにお伝えすると 充分納得して頂き、心よく本日に変更して下さったのです。

メールで楽しくやり取りさせていただくお客様に、はじめてお逢いするのは、とても嬉しい事です。 N婦人はとてもチャーミングで美しく、N氏はフレンドリーで暖かく、 2歳のお嬢さんはとてもはにかみやだけど、私たち珍獣をやさしく 迎え入れてくれました。

N氏は、これから新しい職場での再スタートという事で、私のプランには充分に納得頂きましたが、 収入がもう少し安定してから、ご加入された方がいいということで合意しました。 生命保険は生涯の【資産】となる買い物ですから、あせって安物買いをしてはつまりません。 生命保険について真剣に考える時代になってきた事は大変、喜ばしい事だと思います。 仕事を兼ねてYUKIと旅行が出来るのも悪くはないのですが… なんといっても、食べる事に興味の無い、そしてお金の無い(YUKIだけがお金が無いわけではありませんが) が口癖(でなく本当に無いと横で言っていますが)のYUKIと一緒の旅です。

昼はマクドナルドのハンバーガーで、ディナーは吉野家の【角煮きのこ丼】でした。 ( 吉野家のカレー丼には怒った私ですが実は最近、角煮きのこ丼にはハマっているのです)、 でも仙台まで来てマックと吉野屋は無い ものだ、と私は思うのですが。 明朝のホテルの朝食パックが唯一の楽しみです。(トホホ)

2004年5月31日019号 橋田信介さんを悼む

さて今回から、その時その時の私が思い浮かんだテーマを気ままに書こうと思います。 今までの週間KENの感想を伺うと、どうも意見が二つあるようなのです。 一つは「 ほんまにアホらしい!」…もう一つが「アホやけどオモロイ!」です。 急に関西弁になってしまいましたけど、アホらしさは共通しているようなのです(泣) で…今回は 少しおもむきを変えて重いテーマで【イラクの人質問題 】をとりあげ、 その原稿をほとんど書き上げた時に… もっと、もっと重いニュースが飛び込んで来ました。 イラクで戦場カメラマンの橋田信介さんと甥の小川功太郎さんが銃撃されたというニュースです。

実は、橋田信介さんの一人息子大介君と、我が家の一人娘ヒロコは保育園時代、6年間一緒のクラスだったのです。 保育園 の同窓は本人達以上に親同士が懐かしく、橋田家がバンコク(タイ)に引越してからも多くの 保育園仲間 がファミリーで橋田家を訪問したり、その消息は身近に感じていたのです。

最近ではテレビやマスコミでも、その活躍を目にする事が多くなりYUKIと「有名になってきたね」…と 話していた矢先の事件です。 ニュースを聞いた時に大変な衝撃を受けた事はたしかですが、不思議な事に悲しみよりも、 わけのわからぬ”怒り”が湧いてくるのです。

橋田氏は常に【戦争】に反対しながら、一人の人間として、優しい目線で悲惨な【戦場】を取り続けてきました。 国家が国益のために起こす【戦争】は,【戦場】 において常に個人が犠牲になるのです。 彼は【戦争】カメラマンではなく、あくまで【戦場】カメラマンだったのです。

日本がイラク戦争に”参戦”する事を決めた小泉さんは「危険なら行かない、安全なら行く」と言いました。 同世代の橋田さんは「安全なら行かない、危険なら行く」と 言いました。 そしてイラク へ行って橋田さんは死んでしまいました。

テレビのニュースで久しぶりに幸子夫人を見ました。 「幸子さんはとても個性的!」とウチの個性的YUKIが言うほどユニークで魅力的な人です。 彼女が毅然とした態度で微笑みを浮かべながら…でも目は潤んでいました、彼女らしいです。 ひ弱な印象だった大介君も見違えるように素敵な青年になっています。 二人は信介さん を誇りに、その意思を継いで、立派に生きてい くと思います。

私の手元に橋田さんが書いた一冊の本があります。 ロイター通信のカメラマンを している姪っ子のユリが「KENおじちゃん、この本面白いヨ!」と貸してくれた本です。 私が橋田さんを知っている事を話すと、ユリは興奮して「絶対に逢いたいから、紹介して!」といいました。 私も十数年逢っていないので、是非時間を作ってもらいヒロコもつれて逢いに行こうと思っていたのに…。

ユリから借りた本の題名は『イラクの中心でバカとさけぶ』です。 イラクの中心で…「戦争のバカヤロー!」と叫んで死んでいったような気がしてなりません。 橋田信介さんの、そして小川功太郎さんのご冥福を心よりお祈りします。

2004年5月24日018号 貧乏哲学

そしてヒロコは約5ヶ月のローマ留学を終えて意気揚々と帰ってきました! 最後の二週間はヨーロッパを 貧乏旅行で回ったようです。 お金が無かったので、限られた所にしか行けなかったようですが… お金がいくらあったって、限られたところしか行けないのです。 その分、自分の頭と知恵でいろいろやりくりする事が大切なのです。 そのような環境をあたえる事が親の務めなのです! だからお金が無いという事はとても良いことなのです! 妻を持ち”哲学者”になった私は長い貧乏生活で、ますます 哲学の道を極めていくのです。

なんや、かやと今回まで我が家の今日までの波乱万丈?な歩みをダイジェストで ご紹介させて頂きました、コレで…

なんで、我が家がビンボーなのか? なんで、ヒロコはローマにいったのか? なんで、YUKIはヘンなのか? そして、そしてKENがどれほど苦労をしているのか?

その、すべてが今までのコラムを読んでいただければ、ほとんど… おわかり頂けなかったでしょうが、私のトホホの気持ちだけでも判っていただければ これからも、生きる希望が湧いてきます。

さて、次号からは何を書くかまったく決めていませんが、その時、その時、思いつくテーマ を書いて行きたいと思います!

2004年5月17日017号 ケチケチ大作戦

ヒロコは一瞬、目がテンになったあと叫びました、「ヒドーイ」。 目には涙をためています。 その晩また家族会議です。 「我が家がビンボーだという事は知ってるだろうけど、それ以上にビンボーなのだ!」 私ははっきりと胸を張っていうコトではないので…小さな声で言いました。 まーそれからのコッチの話は〔009号・新聞配達〕での内容と、さほど変わっていません。 しかしヒロコは違います、あの頃は中学に入学したばかりの子供でしたが、今は おとなです。 「100万円のうち半分は使ったというなら許すけど、黙って全部つかっちゃとはヒドすぎる!」 そしてヒロコは続けました… 「私は絶対にローマに行く!その為には最低で80万円が必要だ、私はこれからアルバイトで50万円 稼ぐから30万円を用意しろ!」と親をキョウハク?するのです。 ここは黙ったてヒロコに従うしかありません。

さて大変です、10月・11月・12月の3ヶ月で30万円を用意しなければなりません。 やっと少しずつ借金を返すのに四苦八苦している時に、これ以上の借金は出来ません。 だからと云って、あの頃のように新聞配達をする気力も体力もありません。 そこで思いついたのが、お金を使わないと云う事です… 毎月10万円で3ヶ月で30万円がゲットできます!

さー大変です、「ケチケチ大作戦」の始まりです。 まず私が外に出ればお金がかかります…出ない事です。 そこで、まず以前から念願だったホームページ作りにしばらく専念する事にしました。 でも、家にいれば家で食べます、そこで家の中にある食材を食べつくす事から始めました。 …けっこうあるものです。 冷蔵庫には古い冷凍食品・肉・野菜、タッパーに入ったままで忘れさられた佃煮や梅干。 何時買ったのか定かでないインスタント食材・乾物類・缶詰も棚の奥から出てきます。 封を切って放置されたスパゲティだって、湿気た味付け海苔だって… コワゴワ食べると、けっこうイケマス、北朝鮮の事を考えたら大変なご馳走です! 何十年も飾ってあった高級ブランデーもついでに飲んじゃいました。 けっこう快感です、やってみると面白いですよ。(薦めてドーする) 食器棚の引き出しの底にへばりついた【永谷園のお茶漬けのもと】を見つけた感激なんて! フツウの生活を じゃあ味わえない喜びだって体験できるのです。 でも3人いれば1ヶ月で食いつくしてします、 それに私だって年末にかけても、家に閉じこもりぱなしといは行けません。 でも、ありがたい事です…親しいお客様のところに訪問して「最近どう?」なんてきかれちゃうと、 ツイ調子ににって『ケチケチ大作戦』をしゃべってしまうのです。 そしたら…とっても同情され(あきれられ)、ご馳走になったり、お土産までもらっちゃ ったり。 (保険を頂いたうえのハナシですヨ、感涙です!)

そんな皆様の暖かいご支援と、ノー天気な性格に支えられ? 涙の30万円!をヒロコに与え… じゃなかった、ほんの一部を返して、 1月11日からヒロコはローマに旅立っていきました。