2006年04月24日118号  クリスティーナ

ひさしぶりにサルサを踊りました。 もっと正確に言うと、ひさしぶりにクリスティーナのサルサ・レッスンに行きました。

【サルサ】と【クリスティーナ】の事は2年ほど前の週間KENで書きました。 クリスティーナにサルサの世界に拉致された私ですが、実はこの1年ほどのがれていたのです(^_^;) 決してサルサがイヤだとか、クリスティーナがイヤだとか、そう言うものではないのです。 サルサ音楽を聞くと血が騒ぐし、クリスティーナと話をしたり食事をするのは実に楽しいのです。

問題はサルサ・レッスンにあるのです。 最初から最後まで、音楽をかけっ放しで…「ハイ!モットワラッテ!モットココロカラ! ソノ”腰”ハチョットヘン!モットコウ!ハイ!UNO!DOS!TRES!…」 こんな調子で一時間半ぶっ続けでやるのです。

それでも西新宿住友ビルでのレッスンの時は生徒も多く、 疲れたら途中で休んだり、後方で適当に手を抜いたり出来たのです。 ある事情で教室が高円寺(杉並区)に移って生徒が激変してしまいました。 ヒロコと私は気の毒に思って、それからもマジメに通ったのですが… 生徒はヒロコと私だけと言う時もシバシバでした。 こうなると、途中で休んだり手を抜いたり出来ません。 クリスチーナはとてもパワフルなオーラを発散する人で、 ついついそのパワーにノセられてガンバってしまうのです。 クリスティーナからエネルギーを貰うつもりが、よく考えたら 彼女にエネルギーを吸い取られているのかもしれません。

クリスティーナがしばらく日本を離れたのと、ヒロコが就職して忙しくなった事もあり ここ1年ほどご無沙汰する事が出来たのです。(^_^;)

それがどうして、またクリスティーナのサルサ教室に行く事になったか、というと… ドイツの国営放送が日本にまでやって来て、クリスチーナのドキュメントを撮っていて サルサ教室の撮影があるので盛り上げて欲しいというのです。 ようするにエキストラみたいなものです(^_^;)

教室は懐かしい住友ビルです。 エキストラなんか必要がないくらいたくさんの生徒さんがいます。 圧倒的多数の女性の中に初老の紳士がひとり心細そうにたたずんでいました。 彼は私を見つけて仲間がいると思ったのか、ホッとしたように話しかけてきました。 「今日はじめて来たのですが女性ばかりですね、それに、あの外人の先生にはビックリしました、 いきなり抱きつかれてまして…そういうのって馴れてませんから」 私は「ソレはすぐ馴れます」と言うしかありません。

レッスンが始まりました。 相変らず、パワーいっぱい、オーラいっぱいのクリスティーナです! テレビ・カメラが入っているので、それが彼女をさらにパワーアップさせます! 私は一曲目からこりゃたまらん…と思いつつ、ステップを踏みます。 1年以上のブランクがあるので(ブランクがなくても)かなりイイカゲンなステップですが ”表情”だけは映画シャル・ウィ・ダンスの竹中直人ばりにクリスティーナに熱い?視線を送ります。 サルサはヨレヨレ、体力もヨレヨレ、それでも恥ずかしげも無く踊る私を見て、 初心者の生徒達も安心したのか、けっこう盛り上がって… 予想通りのノン・ストップ一時間半の”死”のレッスンは終わりました。

最後にクリスティーナがスピーチをはじまりました。 感情の起伏の激しいクリスティーナはいっぱい涙を浮かべています… スピーチが終わった時に、クリスチーナのハグに馴れれているヒロコがまず彼女に抱きつくました… 続いて、クリスチーナのハグに馴れている私も、その上から抱きつきました。 そして、いつもサルサ・レッスンを見ているだけのYUKIも走ってきて、三人でクリスチーナに抱きつきました! その時!テレビ・カメラは目の前まで迫っていました。

このシーンはテレビ番組で感動的?!シーンとしてドイツ全土に流されることでしょう(^_^;) まーエキストラとしての大役?は果たせたようですが、言葉も出ないほど疲れました。 この日、初めて参加した老紳士はレッスンが終わったと同時に私に尋ねました。 「もう帰っていいのでしょうか?とても疲れました」 これが老紳士にとって最初で最後のレッスンになるのでしょう、多分。

土曜日には六本木のドイツ・レストランでクリスチーナの絵の展示会が開かれまれした。 これがドイツのテレビ・クルーの最後の仕事になるようです。 […]

2006年03月27日114号 鍵が無い!

先週号は松山のホテル(えひめ共済会館)から20日(月)未明に書き上げ送信しましたが… その朝の事です。

チェック・アウトを済まそうとホテルの部屋を出ようとした時です。 私のキー・ホルダーが見当たらないのです。 荷作りしたばかりの荷物も全部あけたのですが見つかりません。

どうも昨夜、道後温泉に行った時に落としたようです。 クルマをホテルの駐車場に置いて路面電車で出かけたのですから クルマと自宅の鍵が入ったキー・ホルダーなんか持っていく事はないのに…ドジな話です。

でも、私はそれほどあせっていませんでした。 実は今回の旅行で初めてYUKIに合鍵を持ってもらうようにしていたからです。

なにしろ最近は二人で「あれが無い!なにが無い!」と大騒ぎすることが多くなったのです。 特に外出直前の探し物ベスト3は【ケータイ】【キーホルダー】【めがね】で、 それに【名刺入れ】【手帳】【さいふ】と続きます。 以前はこれに【腕時計】も加わっていたのですが、最近は【ケータイ】が時計がわりになるので 見つからない時はそのまま出かけるうちに、腕時計をしなくなってしまいました。

【ケータイ】は探し物の優等生です。 こちらから呼びかけると、ちゃんと返事をしてくれて居場所を知らせてくれるからです。 時々、マナーモードになっていて慌てる事もありますが(^_^;) しかし他のモノ達は無口だから困ります。 特に【キーホルダー】が見つからないと大変です。 他のモノは、どうしても見つからない時は、あきらめてそのまま出かけてしまいますが… クルマの鍵が無いと、どうしようもありません。

こんなことが旅先であったら大変だと思い…クルマの合鍵を作ったばかりで、 幸か不幸か、さっそくその事態がおきたのです。 ところが…今度はYUKIがゴソゴソ、かばんをひっくり返して探し物をしています。

そしてYUKIは言いました… 「合鍵はクルマのトランクの中にあるみたい」と。

私は東京海上のロード・サービス付きの自動車保険に(もちろん)加入していますので 0120-119-110に電話をしました。 30分ほどで到着すると言うのです。

ホテルのチェック・アウトを済ませ、駐車場がガラス越しに見えるティールームで朝食を 食べながら待っていると、やってきました鍵の専門車が! これがだと安心です、YUKIは鍵があるはず、とは言っていますが… もし、鍵が入っていなかったら、車のドアが開いてもクルマは動きません。 そんな場合でも、すぐに合鍵を作ってもらえるようになっているのです。

さすがプロ!ドアはすぐに開き、トランクのレバーを引いてカバンを取り出しました。 合鍵はカバンに入っていました。 鍵を作る場合は、その実費がかかるとの事でしたが、その必要もなく無料ですみました。

「なんでクルマの合鍵をトランクになんか!」 と思いましたが…その事は最後まで口にしませんでした。 「キーホルダーを失くすKENが悪いのよ!」 と言い返されるに決まっているからです。

それにしても東京海上のロードサービスが便利な事を見直しました。 全国その地域の修理工場をはじめ色々な業者とタイアップしているため、 今回のような鍵のトラブルには鍵の業者を…といったような手配をしてくれるので JAFよりも対応範囲が広く、これは代理店としてもお勧めトークに使えます。

さて無事?四国の旅を終えた…その翌日のことです。

丸の内にある東京海上の支社と新橋の法人客の集金を済ませ夕方の5時半頃帰宅しました。 いつもなら、駐車場に近いマンション裏口のから入るのですが… キーホルダーを失くしたため エントランスに回ってオートロックを開けてもらうため我が家のインターフォンを鳴らしました。 「まさか!」…返事がないのです。 電話も、YUKIのケータイも応答がありません。

でも…私が鍵を持っていない事はYUKIは充分に知っているはずです。、 きっと部屋の鍵はかけずに、ほんのちょっと出かけているのだろうと思いました。 […]

2006年03月20日113号 松山より

今、松山のホテルから書いています。 もちろん、松山といえば四国、愛媛県、漱石”坊ちゃん”の松山です。 もちろん、今回もメール相談でのいつもの”一応オシゴト(^_^)ツアー”です。 もちろん、クルマで行くいつもの”ケチケチ・ハードツアー”です。 もちろん、YUKIと一緒です(^_^;)

先々週の沖縄はちょっと別格でしたから また本来の基本に立ち返ったモノです。 それにしても沖縄まで行ってしまうと、国内どこも近く感じてしまいます。

松山のKさんから初めてメールを頂いたのが昨年6月10日 東京海上のハワイのコンベンションに出かける直前です。 「ハワイ行き真近かのお忙しいなか失礼します」… こんな書き出しで始まるKさんのメールは 私のホームページをよく読んで頂いていて、ハワイ行きはもちろん 5月のホームページ閉鎖騒動もよくご存知で、 私も大変楽しくホノルルからもメールをさせて頂きました。

相談の内容はもちろん生命保険についてでしたが 途中からKさんがマイホームを新築されるという事になり 相談のテーマが生命保険から火災保険に移ってしまいました。 どうせ火災保険に加入するなら地震を100%補償する”超保険”はどうか? という事になり、そのことでまた数ヶ月メールのやりとになりました。

同じ保険でも損害保険と生命保険とは、いろいろと違います。

保険セールスという観点で見れば、生命保険は損害保険の数倍難しいと言われています。 損害保険はクルマを買ったから自動車保険をとか… 家を買ったから火災保険とか…、海外旅行にいくから海外旅行傷害保険とか… お客様のニーズが顕在化していて、加入日も必然的に限定されてきます。

それに対して生命保険はニーズは顕在化しにくく… 加入日も”この日から”という絶対的のものが無いため、 実際に契約を頂くところまで、もっていくことが大変だというのです。

そんなわけで、ニーズが顕在化して、加入のタイミングのはっきりしている 損保セールスは”楽”なのですが…問題もあります。 ”その日”になるまで契約する必要も無いわけです。 すなわちKさんのマイホームは3月25日に業者から引き渡されるので その前にいくら早く契約してもまったく意味がないというわけです。

てなわけで… その3月25日がやっとせまった今日、ハレてご契約をして頂ける事となったしだいです。

でも超保険の契約は超簡単です… 生命保険のような、告知や署名も必要ありません。 申込書にハンコ(認め印)をひとつ押すだけです。 保険料も払う事はありません。 一回目の保険料から口座引落しで補償がスタートするのです。 メールでのお客様は、それまでの長い期間、保険内容についてはやりとりし その結果、ご契約になるわけですから、いまさらご契約の時に説明する事はありません。 もし、あったとしても、その後にまたお互いメールでやったほうが効率的です。

すなわち、Kさんにハンコをひとつ押してもらうために松山に伺った事になります。 しかし、それはとても重要な事であり、私の楽しみでもあるのです。

何が重要かと言うと、保険は契約を頂いた時からお客様との長いお付き合いが 始まるわけですから、どんな契約でも、どんな遠方でも、最初のご契約には必ず 直接お逢いして、ご挨拶をするというのが私の基本方針だからです。

楽しみの方は、もう言うまでもありません。 いくらでも近くに同業者がいるのに私を信頼し選んで下さったのです。 それまでもメル友感覚で楽しいメールのやり取りをして気心もわかっています。 そんな方に逢いに行くのですから、こんな楽しみはありません。 また、その行程で観光が出来ちゃうのも皆様から羨ましく思われているようです(^_^)

こういった皆様の暖かいご支援に支えられ いつも楽しく有意義な保険屋ライフを満喫させて頂いているという幸せ者でございます。m(_ […]

2006年03月06日111号 沖縄より

今(6日01AM)沖縄のホテルから書いています。 遂にネット保険相談のお客様で沖縄まで来ちゃったのです。 しかも今回はヒロコも一緒(もちろんYUKIも^_^;)です。 社会人になったヒロコは大の沖縄好きで、自分の旅費は出すから一緒に行く! という事で、急遽思いもかけなかった家族旅行になったのです。

ネットでの保険相談を始めた一昨年は北海道、昨年は福岡・熊本と飛行機で訪問し…こうなったら 採算は度返しして【全国争覇】をライフワークとして楽しもうという思いでいました。 しかし沖縄だけは最後に残るのではと危惧していたのですが… 沖縄在住というNさんからメール相談があった時は、いつもに増してリキが入りました。(^_^) 60年近く生きてきた私が、唯一訪問したことのない都道府県が沖縄だったのです。 ちなみに24年生きて来たヒロコは石垣島を含めると4度めの訪問です。

土曜日の朝9時25分那覇空港に着いてレンタカーを借りてNさん宅へ直行! 「せっかくの沖縄旅行だから、仕事を早く済ませて!」…というNさんの温かい心づかいで 休日の午前中にお伺いさせていただける事になったのです。

11時半、Nさん宅を後にしてヒロコの小学校の友達で我が家にも何度か泊まりに来たことのある 沖縄在住のミツヨちゃんと待ち合わせして、まずは昼食を! 国際通りの市場の、そのちょっと奥にある沖縄家庭料理の花笠食堂へ… 1000円足らずでこのボリューム、この時点でもうすっかり沖縄ファンになっていました(^_^)

ミツヨちゃんの案内で玉泉洞(サンゴ礁から生まれた鍾乳洞)や沖縄民家、ひめゆりの搭、平和公園 そして首里城とレンタ・カーで回って、一旦ホテルへチェック・イン。 それから夕食は、どこか沖縄風の居酒屋でという私のリクエストに応えて ミツヨちゃんがホテルのフロントで色々聞いて案内してくれたのが泡盛と琉球料理の店”うりずん” 本格的な沖縄料理と新鮮な刺身、そして泡盛をたらふく飲んで、三線(サンシン)の生演奏で 盛り上がって4人で1万円ちょっとは満足度100%でありました。

翌朝もミツヨちゃんがホテルに迎えに来てくれました。 実は昨日、ちょと遅かったために首里城の入口までで首里城公園にも入れなかったのです。 この日も晴天!いつもの【おーいお茶・濃い味】を【ゴーヤ茶】に代えて再チャレンジです! とは言ってものYUKIの基本方針で、有料の本殿に入らなくても見るところは幾らでもあるということで… 無料のアトラクションや城壁の公園、石畳の道、などのんびりと 見るという、 なかなか充実した楽しいミニ・ツアーでありました。

昼過ぎ、ミツヨちゃんと別れて、我々は沖縄本島に最北端辺戸岬へ… そこで遅い昼食の沖縄そば400円、観光地なのにこの内容でこの安さには感激です。 それから金剛石林山に着いたら丁度4時で終了とは知らずホホでありました。

そこから20数キロ南下した今日の宿、JALリゾート・オクマにチェック・イン。 「贅沢な旅をしているな!」と言われそうですが、そうではないのです(^_^;) 安い宿を探すのはYUKIの特技?なのです。 今回の沖縄行きが決まった時もインターネットでアチコチ調べていたようです。 そして「2日目は那覇より少々遠いけど一泊一部屋で12000円の安い宿でいい…」と私に言うのです。 私はYUKIの言う事には逆らわないのが基本方針ですから当然なんでもOKです。 ところが、それはネットの表示間違いで、本当は一名12000円だったそうです。 それで結局、私たちは一名4000円で泊まれることになったのです、ラッキー!

遅い夕食だったので、リゾート内の居酒屋で今夜も沖縄料理をつまみに乾杯! 照明の影にイモリ(沖縄では別の呼び名でしたが)にビックリ、沖縄料理で飲む泡盛は 今日も最高!! 明日の夜(もう今晩ですね)最終便で沖縄をあとにします。 それまでは沖縄を堪能させていただきます。(^_^)

【追伸】 6日最終日は美しい(ちゅら)海に魅せられ、イルカと戯れ… 那覇空港にはミツヨちゃんが見送りに来てくれて無事、我が家に帰りました。

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2006年02月13日108号 スピード違反

今朝(2月12日)午前4時30分・東名高速下り車線・静岡県富士市付近 制限速度100㌔のところを21㌔オーバーで覆面パトカーに捕まってしまいました。 いつものYUKIとのツアーでの出来事です。

こんな時間に、これくらいのスピードで!…と思っても後の祭りです。 「違反は違反ですから…」と警官は低姿勢で事務的に減点2・罰金15,000円のキップを切りました。 「このキップを処分される場合は個人情報が載っていますので細かく破って捨てて下さい」 警官の言葉に「大きなお世話だ!」と思いながらパトカーを出て その後ろに停車させられた私のクルマに向かいました。 助手席に座っているYUKIが鬼のような顔で私を睨めつけています。

YUKIは交通違反がとても嫌いなのです!(私も嫌いですが) 私が交通違反をするたびに、私はいつも物凄く、物凄く、責められるのです。 したがって私が一人の時の違反は内緒にしておくのですが、今回はそうはいきません(^_^;)

案の定、私が運転席につくなり…矢のような罵声が飛んで来ます! 「飛ばしすぎでいるので捕まると思っていました!」 「そのために朝、早く家を出ているのだからスピードを出す理由なんてないじゃないですか!」 「だいたいDVDなんか見てるから注意散漫になるのです!」

「だったら事前に教えくれればいいじゃないか!」 「早く家を出るのは高速料金が安いからで、スピードは何時もと同じでウンが悪かっただけだ!」 との私の反論にも 「もうボケがはじまってると自覚して、しっかり制限時速を守って走れればいいのよ!」

コレには私もキレてしまいました。 私はDVD(カーナビ)のスイッチは電源から切ってしまいました。 (本当は今回のドライブでの楽しみは自作のDVD(先週号で紹介)を見る事だったのですが) こうなったら徹底して意地でも制限時速どうりに走行してやろう!と決めました。 次から次に右車線のクルマが追い越していきます。 制限時速を守っていると、ゆっくり走る大型トラックの後ろにピッタリとつく形になりました。 追い越そうとすると、どうしても20㌔以上のスピード・オーバーになります。 さきほどの速度違反は、その追い越し車線で3台ほど追い越を掛けた時だったのです。 制限時速を絶対に超えないとしたら、トラックの後ろから離れることが出来ません。 トラックの運転手さんも気味が悪かったと思います(^_^;)

二人とも不機嫌に黙ったまま、DVDもカーナビも消された、音のしない暗い車内で 左車線をノロノロと長時間走っていると睡魔が襲ってきます。 なんせ、高速料金の割引のためには午前4前には高速に入るのが条件ですから ほとんど寝ていません。(いつものパターンですが) でも、どっちかがヒトコト言うと、それが引き金になってまたバトル開始です!。 そのおかげで?すっかり目が覚めて無事、東名の岡崎インターを出る事が出来ました。 そして国道一号線(東海道)を下り今回の訪問先である豊明市(愛知県)に向かいます。

とはいっても、お客様のNさん宅でのアポイントの午後1時には、かなりの時間があります。 こんな時は、近くに名所旧跡があれば訪ねることにしているのです。 カーナビで【桶狭間古戦場跡】が検索されました。 到着すると、小さな公園のようなところで駐車場も無く見るところもほとんどありません。 すぐそばに高徳院という寺院があり、そこに【桶狭間古戦場資料館】という表示があります。 しかし広い境内をまわり探したのですが、立派な葬儀場はあっても資料館は見つかりません。 誰かに聞いてもいいのですが、クルマは路上に置いたままなので帰ることにしました。

今度は駐車違反で捕まったら YUKI対KENの桶狭間の戦いになってしまいます。

アポイントの1時までには時間があります、 私が中学の2年間、父の転勤で住んでいた名古屋の千草区鹿子町をカーナビにセットしました。 途中の道はまったく思い出せなくても、近くにいけば思い出します。 まったく新しい家が建てられていても、坂の感じはそのまま残って45年以上も前の光景が蘇ってきます。 私が名古屋の思いでとして脳裏に焼き付いているのが、まぶしいような白い土と赤いカンナの花です。 赤土(あかつち)だらけの東京から引越しして、別世界に来たような印象があったのです。 でも45年以上も経過すると東京も名古屋も土を見る事は少なく、どこも同じに見えます。

昼食をゆっくり食べて、Nさん宅に訪問する頃には、もうすっかり二人の気分は回復し(^_^) 何時ものように、楽しく面談をさせて頂き、 […]

2006年01月30日106号 ジェイソン・ムラーズって知ってる?

テレビ番組で100人中、何人か?をいろいろと調べる番組があります。 そこで、これは私の質問です。 「ジェイソン・ムラーズってご存知ですか?」 多分、私と同年代の方は100%ご存知ないと思います。多分。

我が家のカレンダーの1月26日のところには、以前から 赤いサインペンで【ジェイソン・ムラーズ 18:00恵比寿】と書かれていました。 書いたのは私ですが、書かせたのはヒロコです。 ヒロコが私にジェイソン・ムラーズの曲を聞かせて 「どう?なかなかいいでしょ、私がお金を出すから、ライブに行こうよ?」と言いました。 私はどんなジャンルでも音楽は好きですし、タダなら断る理由はありません…しかし。

ライブの日が近づくにつれて、ヒロコは盛り上がっていますが、私はイマイチ盛り上がりません。 まず、どんなシンガーなのか一回聞いたくらいでは忘れてしまいます。 カレンダーには彼の名前が書いてありますが、印象のない名前で覚えられません。 会場は恵比寿にあるLIQUIDROOMというところだそうです。 この手の会場というのが、またどうもにも気が重いのです。 基本的に客席というものが無いのです。 立ったまま、ひょっとしたらピョンピョンしながら見なければならないのです(^_^;) ヒロコはライブを見に行くときは、事前にそのアーティストの代表曲を何曲か覚えていくようです。 会場で大きな声で一緒に歌って盛り上がろうというのです。

私が学生の頃は新宿の厚生年金会館とか五反田や芝公園の郵便貯金ホールとかで 客席に静かに座って、アーティストの公演を静かに鑑賞したものです。 なのに、この歳になって20代のアイドル系歌手のコンサートを立ったまま ひょっとしたらピョンピョンしながら見なければならないと思うと…気が重いのです。

26日(木曜日) YUKIと一緒にクルマで恵比寿のLIQUIDROOMに向かいました。 開場は18時、開演は19時となっていますが、道が空いていて18時前に恵比寿に到着。 カーナビはココだと示すのですが、どれだか判らず1キロ先のコインパーキングにクルマを置いて LIQUIDROOMを確認。 真っ黒い建物で、入口にカフェのメニューが小さくあるだけで、ガードマンに聞いたらココだというのです。 どうして、こんなに判りにくいのか?わざと判りにくくしているとしか思えないのです。 でも、会場にはどんどん人がつめかけています。 そして、やっぱり若い女性がほとんど、若い男性もチラホラ… 今年還暦を向かえるようなオジサンは一人も居ません。 中学生くらいの女の子に付き添いで来ている母親はほんのちょっといるようですが YUKIのようなオバサンもいません。 私たちはココではなんともヘンなカップルです。(ココでなくてもヘンと言われることもありますが)

何が何だか判らず、広い広間のようなところで待っていると、ヒロコが仕事を早めに抜け出して 嬉しそうにやってきました。 やがて、入場券の番号順に入場開始です。 入場券はヒロコの奢りで1枚6000円払っているのに、入場の時に一人500円のドリンク券を 買わされて、バー・カウンターで好きな飲み物を受け取るシステムになっているようです。 (そういえば昨年夏のロス・バンバンの時と同じでした) 少しでも早く入場して、少しでもステージに近いとこに行きたいヒロコは、 バー・カウンターにはいかず「ではね!」と別れてしまいました。 少しでも遅く入場して、少しでも楽をしたい私は ゆっくり並んでビールを受けとって、ゆっくりと会場に入りました。 そして、まずステージの反対側に目をやると…やっぱりありました! ミキシング・マシーンを見下ろすようなカウンターがあり、そこに椅子が並べられているのです。 そこにビールを持って一目散です!ビールを飲むにも最適です。 開場もそれほど広くなく、大きなホールならココでも特等席かもしれません。

さて、いよいよ開演です。 いやービックリしました! ロス・バンバンの時もそうでしたが演奏が始まった瞬間に鳥肌が立ちました。 目頭が熱くなってきます、なんというアーチィストだろう! もう一度暗い照明の中でジェイソン・ムラーズという歌手の名前を確認しました。 サンディエゴのコーヒーハウスで歌っていた彼が街中の評判になったという事ですが コーヒーハウスでいきなり彼の歌を聴いたら私だって虜になってしまいます。 […]

2006年01月09日103号 DVDレコーダー

風邪も完治せずボッとしていたら、今年ももう9日になってしまいました。 こんな調子で一月が終わってしまうと、2月は短いし、3月は決算でバタバタして… 桜が咲いて、ゴールデンウィーク…夏が来て、秋が来て、 またカレンダー配りをして1年が終わってしまいます(^_^;)

3日、YUKIとヒロコと3人でヤマダ電機に行ってDVDレコーダーを購入しました。

以前から私が欲しいと言っていたのですが、聞き入れて貰えなかったので 「もう~買ってくれなきゃイヤ!」と叫んだのです。 基本的には私が世帯主で、基本的には私が稼いだお金ですから… そうまで言わなくても良いと思うのですが、そうまで言わないと買って貰えない体制に いつのまにかなってしまったのです。

YUKIは「じゃーしょうがないから、見るだけでも見にいきましょうか」と言いました。 私は「もう見に行くだけなら行かない…」とちょっとスネました。 ヒロコは「ジャー私が買ってあげるヨ、昨晩は心配を掛けちゃたし…」と言いました。 (ヒロコは平塚での新年パーティーで酔って熱海まで行ってしまい、 深夜にタクシー代3万円払って帰宅し、さんざん心配をかけたのです)

ヤマダ電機で田村正和がCMに出ているSONYの【スゴ録】を39800円で購入しました。 4日にイチローが犯人約で出演する【古畑任三郎】を録画したいと思ったのでピッタリ?の機種です。

なぜ今、DVDレコーダーが欲しかったかと言えば… 一つは、ビデオ・レコーダーがかなり古くなり調子が悪くなっていた事、、 もう一つは、ビデオを見る暇も無いのにどんどんたまっり、また捨てるに捨てられず ビデオ・テープが壁に積み上がってきたからです。

ビデオ・テープは長く置いておくとカビが生えて来るのも問題です。 特に心配なのがヒロコが4歳頃から撮り出した8ミリビデオが数百本も押入れの奥に しまったままになっています。 デジタルの8ミリビデオも100本以上貯まって、そのままになっています。

それらを少しづつDVDやハードディスクに入れて代えて整理し保存しておかなければと思っていたのですが なかなか時間がありません。 もう私もトシですから…新しいモノをマスターするのが大変なのです。 パソコン、ケータイ、カーナビ、デジカメ、プリンター等々… 購入するたびに悪戦苦闘の歴史を積み重ねてきたのです。

DVDレコーダーも予想を裏切らない?かなり手ごわい相手でした。 4日にイチローの【古畑任三郎】の録画も失敗しました。 ブツブツ、一人で怒ったり、叫んだり、YUKIも疲れると言っていますが、 私の方はもっともっと疲れるのです…そして今日まで来てしまったのです。

そろそろ、本業にエンジンをかけなければ、今年もすぐに終わってしまいます。 DVDレコーダーも大分マスターしたので、仕事のかたわらにダビングや整理をしていけそうです。

今年もやりたいことはたくさんあります! セミナーも定着させたいし、メルマガも準備中です…そうそうハワイだって諦めてはいません。 サー、がんばるぞ!

2006年01月02日102号 元旦イブ

あけまして おめでとうございます! どうにか新年を迎える事が出来ました。 (どうにかしなくても新年は迎える事が出来るですが) 喉の方もいつの美声?とまではいきませんがだいぶ回復しました。 カレンダーも大晦日の朝6時には配り終え、年賀状も一応投函する事が出来ました。 こんな事を書くと「ウチにはカレンダーはおろか年賀状も来ない!」なんて言われそうですが すべて”一応”という事ですのでご容赦下さい。

そのかわり、メールアドレスが記録してある方達には我が家の年賀状をメール送信しました。 中にはOB会の名簿や名刺を交わしただけでの方たちにもいたのですが全員にです。 ヘンな年賀メールを新年早々(当たり前ですが)もらって「誰だろう?」と思っている人も多い事でしょう(^_^;)

さて… 昨年(厳密には一昨年2004年)の大晦日は悲惨でした。 午後から雪が降り出し大晦日恒例のゼン君宅に行けなかったからです。

大晦日は本来はご馳走や”晴れ”の準備をする、元旦の前日としての地味な存在です。 クリスマス前夜のクリスマスイブのようにご馳走を食べたりとかの華やかさはないのです。 しかし我が家は違います、この大晦日にゼン君宅に行けなかったら正月が無いのです! すなわち我が家にとって大晦日はクリスマス・イブのような…そう!元旦イブなのです。

ゼン君のパパは念願の1200ccのオートバイを購入して乗り回している ちょっとユニークな高校の数学の先生で料理の腕もプロ級です。 大晦日にヒモジイ我が家の3人が訪問するようになって、仕込みの量も増えて 年末の一大イベントになったのではないかかと恐縮するのですが、遠慮なんてしていられません。 ヒロコに正しい【正月の食文化】…いや【日本の食文化】を伝える親としての義務?もあるのです(^_^;)

薄味だけどしっかり上品な味のしみ込んだ煮物・おでんの美味しい事、アッというまに平らげます。 口の中でホロッと崩れ、とろけるような豚の角煮も絶品です! 最近では私よりグルメな外食の機会が多くなって、舌も身体?も肥えだしたヒロコも 美味しい美味しいとパクパク食べ続けます。 ここで食べ残しては明日からの正月に、いや一年に悔いが残ると思っているかのようです。 あまりハイペースで食べ続ける私達に「この後、お蕎麦も用意しているから…」と ゼン君のパパから言われてしまいました。

お蕎麦も本格的です! ココに来れなかったら我が家では【年越し蕎麦】でなく【年越しミルク】を飲まされるところです。 手打ちの生蕎麦に油揚げも椎茸も絶妙でYUKIの分まで食べちゃいました。

ヒロコはこのあとサルサのカウントダウンがあると言うので午後10時過ぎには行かねばなりません。 ゼン君の弟のエイ君(パパを継いで?北大数学科2年)の入れるコーヒーはこれまた絶品!? 今日のためにブルーマウンテンを用意したというのですが… その時間は無くまさに後ろ髪を引かれる思い出でゼン君宅を後にしたのです。

23歳のヒロコを駅まで送り、元旦生まれのヒロコは24歳になって帰ってきました。 そして普段と変わらぬ、でものんびりとした休日、いや元旦を迎えたのです。 昼過ぎ、今年初めての我が家の食事はYUKIの作った雑煮風?の食べ物でした。

ヒロコが「夜は何を食べるの?」とYUKIに聞きました。 YUKIは「何も無いから、お魚を焼いて御飯をたべましょう」といつもの答えです。 ヒロコは「せめてお鍋ぐらいしようよ、私の誕生日だし…」と言いました。 YUKIは「じゃーマルエツにいきましょう!」といつもの答えです。

マルエツに行ったらいつものようにマイケルがいました! なんだか嬉しくなって私とツーショット、それともう一枚。 本業は正月休みだというのにマイケルは大晦日も元旦もそして明日も働くようです。 YUKIもマイケルもマルエツも…正月は関係ないようです。

いつもとほとんど変わらないけど、なんとなくのんびり家族で過ごす正月も悪くありません。(^_^) こんな家族ですが、今年もよろしくお願い致します。

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2005年12月27日101号 声が出ない!

風邪をこじらせたようで、まともな声がでません。 一週間もすれば治ると思ったのですが、一週間たった今も 声はガラガラ、咳はゴホンゴホン、鼻はテッシュの使いすぎで真っ赤かです(^_^;) 私の悲惨な一週間です。

●19日(月曜日) 昨晩から少しカスレ声になって 「森進一です! ♪おふくろさんよ~おふくろさん」なんてふざけていたのですが 朝からほとんど声が出ないのにはあせってしまいました。 月曜の午前中はアチコチ電話をしたり、かかってくる事も多いのですが 気持ちはしゃべっていても文字通りハナシになりません。 午後は法人のお得意様に伺ったのですが、ハフハフ言う私に「こりゃひどいわ」と一同に笑われてしまい、 いつものおしゃべりもままならず、そうそうに退散です。

●20日(火曜日) 午前4時30分に起床して、クルマでは羽田空港に向かいます。 ネット保険相談の熊本市のTさん宅に伺うのが主目的ですが、それは翌日。 どうせ行くなら有意義に…と言うYUKIのポリシーで、朝一番の飛行機でまず福岡に行って、 翌日は熊本から最終便で帰ろうというエゲツナイいや合理的ないつもの旅です。 こんな状態で出発ですから、私の喉がよくなるわけがありません。 でもYUKIは喜んでいるのです「静かな旅が出来る」と…(^_^;)

福岡空港からレンタカーをかりて八女の上陽町に向かいました。 大学時代の友人木下さん(旧姓寺田さん)が経営する らんぷ亭というレストランでお昼を食べようという計画です。 ご主人を6年前に亡くされご子息の生命保険の件で2年ほど前に東京で逢った時に 近くに行くような事があったら必ず寄ってみるよと約束していたからです。 でも今日行くという連絡はしていません。 午前11時、まだお客様がいない店内に入ると「いらっしゃいませ!」と木下さんが声をかけます。 私は黙って(声も出ないので)木下さんと視線をあわせます。 「角倉クン」…木下さんはビックリしながら「なんでココまで…」とよろこんでくれました。 それから話が弾んでと言いたいところですが(^_^;)

夜はホテルにクルマを置いて、やっぱり大学時代の友人で福岡の香椎で 凡蔵という居酒屋をやっている福山クンのところに。 ここは前もって言っていたので、スタンバイをして歓迎してもらいました。 商社マンの時に上司に脱サラして居酒屋をやりたいと言ったら 「お前はボンクラか!」と言われそれを店名にして二十余年が経過。 すっかり居酒屋の大将が身につき、お店も自然とレトロな渋みがでて、 なんだか【三丁目の夕日】のような懐かしく、しみじみした気分になって、 声が出ない私は静かにグラスを傾けて…と言いたいのですが YUKIに言わせると、まーあの声でよくしゃべったと言われるほどしゃべりまくったようです。

●21日(水曜日) 熊本市のTさん宅に3時に伺うのが今回のメイン・イベントです。 この日は熊本の天気予報は午後から雪 ホテルを早めに出てレンタカーで一路八代市に向かい、用件を済ませてTさん宅に。 今回は静かにして、YUKIに説明はまかせいよう思っていたのですが 気が付けばガラガラ声でいつものようにしゃべりまくっていて、われながら呆れてしまいます。 外に出ると寒くて今にも雪が振りそうな雲行きで、早めにレンタカーを返して、 空港に到着した時は雪が降り出してきました。 登場カウンターでは最終便は欠航の可能性もある事を知らされた時は愕然としましたが 最終便もどうにか離陸!マイナス1度の熊本から夜中だというのに10度もある羽田に到着 夜風が気持ちのいいこと…でもこれぢゃ風邪はなおりそうもありません(^_^;)

●22日(木曜日) あいかわらず、まともな声が出ません。 でも朝から横浜方面の仕事と、ついでにカレンダーも配りを数件やって、一旦うちに帰ってクルマを置いて、 夜19時からの【メール・マガジンのコンサルタント平野友朗さんのセミナー】に行かなければなりません。 なぜクルマを置いてかと言うと、そのあと【飲み会】があるからです。 なんでメルマガのセミナーに行くかと言うと…ココで始めて皆様に発表しますが、いよいよ私も […]

2005年12月19日100号 明楽寿共済

記念すべき100号です! したがって今回はその100号にふさわしい、華やかな題材をと思っていたのですが… あんまり華やかでない【明楽寿共済】の話をする事にしました。

どうして華やかな100号に、華やかでない【明楽寿共済】の話を書くかというと… 14日(水)にアカラックスのセミナーがあってテーマが【明楽寿共済】で 恒例の二次会、三次会で私は酔った勢いでアカラックスの坂本さんに、 今回の週刊KENに【明楽寿共済】をとりあげ宣伝しておくと約束してしまったからです。(^_^;)

【明楽寿共済】は【あからくすきょうさい】と言ってアカラックスの坂本さんが 有限会社アカラックスの社運を賭けて!10月に発売したばかりの医療共済です。

共済とは保険と同じようなものですが、保険は金融庁の認可を得た大資本の保険会社でないと 作れないのに対して、共済は誰にでも簡単に作る事が出来るのです。 誰でも簡単に作れるといっても、実はけっこう大変だったりするので 坂本さんはそのコンサルタントもしているのです。

坂本さんはああみえても(どう見えてるか知りませんが) 東大を優秀な成績で卒業し(本当に優秀な成績で卒業したかは知りませんが多分そうに違いありません) 国内生保に入社してアクチャリー(保険数理の専門家)として、その後 外資生保で常務として、再保険会社の社長として… 生命保険の事を知り尽くした、我が国の保険作りの第一人者なのです。

そんな坂本さんが自分の会社で社運を賭けて?【共済】を作っちゃったのですから 私もどんな共済が出来るかとても期待して楽しみにしていたのです。 ところが満を持して10月に発売された【共済】の加入者は今現在たった20名だというのです。

そういう私も実は加入していないのですが、YUKIとヒロコは20名の中に入っています。 YUKIは【明楽寿共済】でなくて【明楽寿交際】と言って交際費と割り切って加入したようです。 ヒロコは坂本さんのハッカー並みパソコン知識に感激し、彼をサカモッチと密かに呼ぶ坂本ファンで、 その坂本さんが作った共済なら間違いないと加入したようです。

で…私も交際費でもなんでもいいから加入しようとは思っているのですが、 私の年齢と誕生月、それに年払いしかないのがネックになってまだ未加入なのです。 59歳男性の年間保険料が64700円(因みに30歳だと21000円ですが) それに初年度は誕生月の7月までの保険料も 一括で合計十数万円の出費は我が家の家計ではちょっと厳しいのです。(^_^;)

でも、そもそもです! 保険作りのプロが自信を持って作った”共済”が保険料が高いので 「ちょっと待って欲しい!」と”保険のプロ”(私の事です)に言わせるのがおかしいのです。 「借金してでも加入したい!」と思わせなければダメだと思うのです。

そこで今月のセミナーは【明楽寿共済】にして、その内容を詳しく分析しようという事になったわけです。

私が坂本さんに文句を言っているのは… 【明楽寿共済】は確かに安いのですが、びっくりするほど安くはないという事です。 大した違いがないのなら、私はお客様には東京海上の1年更新の超保険をお勧めしてしまいます。 『東京海上』と『アカラックス』の信頼性を比較すれば当然の事です。 でも、保険料が3分の一程度になるのなら、多少のリスクがあっても勧める価値はあります。

【明楽寿共済】を簡単に説明すると… 1年の掛捨てで入院すると年間で最高60万円まで、死亡すると100万円貰えて 一旦加入すると、後は健康状態に関係なく自動更新していくシンプルな保険(共済)です。 したがってアカラックスとしても被保険者が死亡して最高支払っても160万円です 死ななかったら年間60万円以下ですむわけです。 万が一【明楽寿共済】が破綻する事になったとしても 1年の掛捨で、その程度の保障内容だからしれています。

”共済”の基本的な考えは、加入者がお互いにお金を出し合って助けあうという制度です。 保険も同じ考えですが、保険会社という営利企業や代理店が介入します。 そういう私も営利を目的とした保険代理店ですが 信頼性の高い保険商品を扱うことに対しての正当なコミッションと認識しています(^_^;)

私の生命保険に対する考え方は まず【生涯の核となる保険】となる保険をしっかり確保しておくという考えで これは”共済”ではなしえません。 しかし、それを補完するものとして”共済”はピッタリですがコレはあくまで自己責任です。

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