2005年02月21日057号 熱海で温泉?

17日、YUKIと熱海で温泉に浸かってきました…本当は仕事で行ったのですが(^_^)

お伺いしたのは、もう古くからのお得意様でお父様(故人)が米国人で美人のAさん宅。
実は1年ほど前に、ご主人の仕事と介護中のお母様の療養を考え熱海に引っ越されたのです。
購入されたのは熱海の海が一望できる高級マンション。
その昔?はリゾート・マンションとして売り出されたものですがゆったりとした間取りで
Aさんの趣味でもある大きな古い日本家具がとてもマッチしています。

熱海と言えば静岡…静岡と言えば地震が心配という事で以前から電話で相談がありました。
引っ越される前はクルマで30分足らずのトコにお住まいで気軽に顔を出せたのですが
ズルズルと時間が経過してしまいました。
でも、こんな時に大地震があったら!…保険屋の責任です。
本当は暮れのカレンダー配りのスケジュールにも入れて、その時になんて思っていたのですが
結局カレンダーは郵送してしまったのです。
その中に私が生命保険に付いて書いた小冊子を挟んでおいたのですが、今度はその内容について
Aさんから電話がかかり色々と話していたのですが…
「もう電話でゴチャゴチャ言ってないで、コッチに来て話してヨ!温泉にも入れるし、奥様と一緒に!」
とのAさんの言葉に、即座に反応したというわけです。

マンションの下のフロワーは住人の為の大きな温泉になっており男湯・女湯・家族風呂とあります。
仕事の話はソコソコに昼間から誰もいない大浴場で海を見ながら一人湯船に浸かっていると
こんな事をしていて良いのだろうかと思いつつ幸せな気分になります。
介護中のお母様もココの家族風呂でゆったりと温泉に入る事が出来るようになって
かなりお元気になられたようです。

我が家から熱海までクルマで約80K、行ってみればとても近い距離にあるのです。
これからチョクチョク温泉に浸かりに…イヤお得意様Aさん宅に顔を出さなければと思いました。

2005年02月14日056号 昼間のテレビCM

YUKIはテレビが基本的に嫌いな人で
テレビっ子の私は結婚依頼、閉ざされた食生活とともに、閉ざされたテレビ生活を
余儀なくさせられているのです。

ところが、昨年の暮れにカーナビを購入した、イヤ…させて頂いた事によって
私の唯一の自由空間であるクルマでテレビを見る事が出来るようになったのです。
もちろんYUKIが一緒の時には付けませんし、付けていても、
「ウルサイし、第一危険ですから!」と即座に消されてまうのです。
そのくせ、先日の北朝鮮とのサッカーの試合では、ハンドルを握る私をヨソに
助手席でテレビ画面を食い入るように見ているのです。

私だって仕事でクルマを運転し、安全には心がけているわけですから
ジッとテレビを見続けるというような事はありません。
カーナビ機能を使わない慣れた道路を通る時に、
何となくチャンネルを操作しながら
音声中心でを画面をチラっと見るという程度の楽しみ方です。

そのような見方をしていると、一番印象に残るのがテレビCMです。
中でも商売がら気になるのが外資系生保のCMの多さ!です。
どこのチャンネルをひねっても
「誰でも入れます!」「保険料は一生変わりません!」「入院初日から!」
「保険料は一日たったの○○○円!」「100万円貯まる!」「ボーナス付き!」と…
あれだけ毎日、何度も何度も聞かされていたら、暗示に罹って私でも加入したく
なってしまいそうです(^_^;)。

でも、肝心な事は抜けているのです。
トータルで幾らの保険料を払って、どのくらいの保障が何時まであるという
とても基本的な事です。
僅か数十秒のCMで、それらを伝える事は不可能な事は判りますが
このCMを見て”思い込み”で加入する人が結構いるのではと危惧してしまいます。
ワイド・ショーで【生命保険テレビCMのコレが真実!】なんて特集をやれば
とても視聴者のためになると私は思うのですが…
これだけの大スポンサーがいては、とても無理な企画という事でしょう、多分。

先月、我がTNA社(とても長い会社名で省略)が…
「お客様や代理店のニーズにお応えした」という大義名分?で
医療保険の新商品を発売しました。
どうも、お客様の多くがテレビCMでやるような保険を求めていて
代理店も客先で「あなたの保険会社でも、こんな保険はないの?」なんて尋ねられる事が
ニーズの背景にあるようです。

入院初日から給付で、しかも健康ボーナス付き…というモノです。
でも、よく考えてください…健康ボーナス分の保険料もしっかり支払わされ
一日でも入院すれば、それらはパーになるのです。
もちろん、それを納得の上で加入されるのなら悪い保険ではありません。
問題はどこまでお客様に納得して加入して頂くかという事であって
情報の開示が最も重要な事だと私は思っているのです。
それを私のホームページでも、ネット上でも…ホンネで実践しようとすると
”ニラマレル”という、これまたヘンな世界なのです。

2005年02月07日055号 ヒロコの就職

ヒロコの就職が決まったようです。
どうしても本人がやりたいと拘っていた外資系映像製作会社です。
だいたい、このような会社はヒロコから色々説明を受けても
わかったようで、わからないもので…
まー、親としては、やっとここまで来てくれたと、マズは一息というところです。

それにしてもヒロコの学生生活も就職活動も(私にとって)わけのわからないまま終わりました。
そもそも、わけのわからない中学に入学させたのが始まりだったわけですが(^_^;)。
大学の単位は12月で取り終えて、卒業式は6月にあるというのです。
いわゆる、一般的な就職活動をやっていたという気配もありませんでした。
多くのアルバイトをこなす中で「ウチに来ないか?」とのお誘いが多く、その中で迷っていたようです。

その極めつけはインターン・シップ(大学の授業の一環として企業で働く)の外資系企業です。
都心の高層インテリジェンスビルのスリー・フロワーをゆったりと使った贅沢なオフィスで
CSR(最近どの企業も注目しだした企業の社会的責任)の仕事の手伝をしていたようですが
重宝がられて、現在も週に何日か呼び出されているのです。
給料水準がムチャクチャ高く、私が就職したいくらいなのですが…
ヒロコのためにポジションを用意しているというボスの言葉を蹴って、
給料が半分以下のプロダクションに就職したのです。トホホ

でも後日談があります。
ヒロコはつい先日”そのボス”に外資系映像製作会社に就職が決まった事を報告したそうです。
するとボス(カナダ人)は「ちょっと、ゆっくり話しましょう!」とボスのオフィス(個室)に呼ばれ
てっきりヒロコは引きとめられるものと思っていたのですが…ボスからでた言葉は、
「実はまだ誰に言っていないのだが、私も会社を辞めてカナダの放送局の番組プロデュサーになるので、
一緒に仕事が出来るかもしれない!」と大ハシャギしていたというのです。
ほんとうに、わけのわからないはなしがたくさんあるのです。

そうそう、もう一つヒロコに「ウチにこないか?」と聞いて、断られた会社があります。
有限会社ロコハウスです。
「今いる二人の幹部をクビにしてイイなら考える」と言われて
二人の患部じゃなかった幹部で考えたすえ、とりあえずは諦めました。
ヒロコのロコをとった会社です…
彼女にとっても魅力ある会社でありたいと思っています。

2005年01月31日054号 北京ダック

『北京ダック』なる食べ物があることを私の胃袋は忘れていました。
ずいぶん昔に高級中華料理店でほんの少しだけ
餃子の皮のようなもので巻いて食べた記憶が残ってはいるのですが
我が家の閉ざされた食文化の中で無縁な存在になっていたのです。

ところが、グルメでリッチで私のお客様になりそこねたMさん(29号で紹介)からメールで
「北京ダックを食べに来ませんか?」というお誘いがあったのです。
もちろん断る理由など、あるわけがありません。
北京ダックは北京に出張中のMさんのパートナー、マーチャンが直接持ち帰るというのです。
その後、なかなか連絡がなく、ヤキモキしていたのですが、無事!北京ダックが…
いやマーちゃんが帰国とのメールが入り、翌日YUKIと鎌倉のMさんの実家に。

マーちゃんの友達を初め10名ほどのパーティです。
そして…いよいよ北京ダックの登場です!
まるまる太った大きな北京ダックがそのまま大きなお皿におかれています!
美味しそうな色に焼かれていますが、長い首が横たわっており
今にも「アフラック!」と叫びそうな、アヒルである事を証明しています。
こんな大きなものを2つも北京から密かに持ち帰った、マーちゃんの熱意と
パワーに経緯を評さざるをえません。
因みに、これが一匹、日本円にして1000円だというのも驚きです。

もちろん、食べるものはこれだけではありません、何と言って、こだわりのグルメの集りです
新鮮な鯛をそのままミンチ状にしてその場で揚げた”さつま揚げ”…
料理なんて何もしないと豪語していたMさんのお父さんが、
カイ割れを生ハムで巻いたオードブルの見事な盛り付けには一同びっくり!
もうここで一つ一つ紹介していたら終らないほど飲むもの、食べるものすべてが
”感動”で最後のオードブルの杏仁豆腐までチガウのです。
私が宇宙人と思っているYUKIは、ここの人達からみたら、宇宙人をも越えています。
まったく食にこだわらない、二十数年、生活を共にしている私でさえ
何を食べて生きているかさだかでない珍しい生き物だからです。
でも不思議な事にYUKIはココがとても気にいっているようなのです、
食事はともかく、ユニークで楽しい人達が集るからです。
ちょっと言葉使いがテイネイなYUKIは『ミチコさま』とよばれて、どうにか
うけいれられているようで、私も一安心です。

この日に行けなかったヒロコは、マーちゃんの大ファンで
翌日、特別にお邪魔させていただき、ご馳走になったようです。
ヒロコから私のケータイに伝言が入りました。
「今からおいしい白子と牡蠣を食べるんだけど、来ないかっていわれてる」と…
仕事で動いているので、断るしかなっかたのですが…
”鎌倉”では私を食事で釣れば必ず来ると思っていたようです。
何でも感激してパクパク食べちゃう私の事を”彼ら”は
『ガーベッジ(ごみばこ)KEN』と密かに呼んでいるようです。

2005年01月24日053号 創刊一年

昨年の1月に【週間KEN】の連載を始めて1年がたちました。
ほのとうにバカバカしく、お恥ずかしく、他愛のないものですが…
モノ好き、シツレイ、大変ありがたい方が思いのほかにいらしゃっるようで
毎週アップする月曜日は確実に3割以上アクセス数が増えるのです。

メールで保険相談にこられる方も、私を何者?だと知るためにも読まれる事も多いようです。
フツーの感覚だと、こんな保険代理店と知っちゃうと、私だって心配しちゃいそうですが…
”哀れみ”や”同情”も買って頂けるのか、契約のためお逢いする事になるのです。
その時に「YUKIも一緒に伺わせて頂きますが…」とメールすると。
「エッ!あのYUKIさんも一緒に来られるのですか!どうしよう!(◎_◎;)」
なんて返事を頂くのです。
私も笑ってしまって、それをYUKIに見せるのですが、
「この◎はどういう意味ですか?」と、真顔で聞いてくるのです。
宇宙人YUKIは絵文字の解読プログラムがされていないようなのです (._・)ノ 。

「毎週毎週、書くことがありますね」なんて聞かれる事がありますが
今までにネタが無くて困ったという事は1度もありません。
それどころか、書きたい事が幾つもあってどれにしようと迷ようことはしばしです。
また、一度書き出すと、ついつい調子に乗って書きすぎて、YUKIの厳しい検閲によって
削除されたことも、実は何回かあったのです。
ようするに紙面の構成上書けなかったり、YUKIからカットされる事はあっても、
書く事が無くなる、なんてことはこれからも決してないと思います。

1年間52週/52回、見出しをスクロールしたらアッという間の1年です。
10年で520回…生きてる限り書いていこうなんて思っていますが、
何回まで書けるのでしょうか?
だったら、もっと真面目に学術的に後世に残しても恥ずかしく無い事と、ちょっと思いましたが、
これは性格的にも、頭脳的にも、絶対ムリでしょう。
21世紀の初頭に、清く貧しく、トホホの人生を送った、名も無い生き物のデーターを
残こす事も、悪くはないと開きなおって、
今後もほそぼそと、書き続けてまいりたいと思っています。

2005年1月17日052号 犬も喰わない…

あわただしい12月も正月も終って…
ハワイに向けてエンジン全開と行きたいのですが、疲れがドッとでたのか
風邪薬のパブロンゴールド顆粒42袋入がもう僅かになっても咳きが止まらず
一日事務所(すなわち家)にいる日が多いのです。
すなわちYUKIと朝から晩まで24時間一緒にいるわけで
そうなるとトムとジェリーみたいにケンカがはじまるのです。

YUKIに言わせるとKENは歳を取ったので「とても頑固になって見苦しい!」というのが
最も多い攻撃材料です。
私にとってはそれは”頑固”でなく”信念”なわけで、見解の相違です。

お金にまつわるケンカは悲しいかな定番です。
ガソリン代をYUKIに請求すると「無いです!」といわれ…
だったら出かける事も出来ないと家にいると「お仕事に出かけれれたら…」
などと言われるので私も黙っておれなくなるわけです。

まー私がもっともっと稼げばいいのでしょうが、平均的代理店の収入はあるわけで
それなりの営業経費がかかるのに、お金を管理するYUKIは私にたいして
いつも「無いです!」と言い続けるのです。

そんな訳で、私も少しでも収入を増やさなければと…
インターネットでの”仕掛け作り”をするのですが、困ったことにコレは私の趣味
で遊んでいるとYUKIは思っているのです。(もちろん楽しくやっているのは事実ですが)
私の”溢れる才能?”をひきたてて、足りないとこをYUKIが補ったくれればいいのですが
私の欠点を引きたてて、私を押さえつけようとするのです。トホホ

保険料の銀行への入金はYUKIの仕事です。
でも、我が家は辺鄙なところにあり銀行にはバスに乗らなければなりません。
私がクルマで出かける時に一緒に銀行まで行くのはいいのですが
帰りのバス代も勿体無いと、帰りも乗せて帰る事になるのです。
よく考えたら私が銀行で入金すればすむ話しですが
なぜか二人で”ナカヨク”お出かけするのが日課になってしまいました。
クルマでの送迎は私の絶対的任務だとYUKIは思っているようです。

暮れの話しですが…カレンダー配りで深夜になった私のクルマに
YUKIから午前3時過ぎ電話が入りました。
「無理をせずに帰ってらしたら…」という、めずらしく?やさしいものでした…
しかし、よく聞いてみるとヒロコが朝7時頃に出かけるので、
それまでに帰って駅まで送れというものです。
こんどは疲れきった私がキレてしまいましたが、情けない事に結局、
私はヒロコを駅まで送り、その日は寝るタイミングを無くしてしまいました。

私は昔から朝型人間です(YUKIは歳のせいで早起きになったというのですが)
前の晩どんなに遅くても8時前には起きてパソコンを開きます。
ヒロコが出かける時以外はYUKIは遅くまで寝ているのです。
つい先日ですが、早くから起きてお腹がすかした私が
「もう10時だよ!」と言って起こそうとしたのですが…
その言い方、イントネーションが不愉快だと言われケンカです。

こんな、犬も喰わない夫婦喧嘩を結婚依頼、長年続けていると…
もう趣味?の領域に入ってきたと思ってしまう事もあります。
ヒロコはもうすっかり慣れっこになっていて…
「我が家の模様をインターネットで一日中流したら大ヒットするよ」
なんて、冷ややかに言われてしまうのです。

2005年01月10日051号 ハワイを目指して!

実は今…私はハワイを目指しています。
東京海上日動の専業代理店の表彰制度で、ある基準を超えると毎年
コンベンションに招待されるのですが、今年度は始めて海外でハワイになったのです。

私が狙っているのは、もちろん生命保険分野です。
2001年の神戸でのコンベンションにYUKIと一緒に参加したのが最後で
それ以来すっかりご無沙汰をしています。
代理店の統廃合が急ピッチに進み大型代理店が数多く誕生して
私のような個人代理店がつけ入るスキなど無くなってしまったのです。

でも今年度はスタートの4月から生命保険が好調でした。
ネットでの生命保険相談に参加し、そこを通してのメール相談から
数多くの契約が頂けるようになったからです。
大きな契約はありませんがコツコツとメールでやりとりをさせて頂く事によって
保険のニーズにあった保険が提案でき、高い確率で成約になります。

それだけ契約が取れたら、かなり儲かっただろう?…と言われそうですが、
あまり儲からない保険だからこそ、多くの契約が頂けるとも云えるのです。
私がお客様にお勧めしている保険は、あくまでお客様にとって利益のある保険です。
一般的な商品では企業も消費者も共にハッピーという画期的な商品も誕生しますが、
保険はどうでしょうか?
保険会社が莫大な広告宣伝費を使い、手数料もはずむ商品が契約者にとっても
大きな利益が得られるというのは、構造上不可能ではないのでしょうか。
例えば私が最も力を入れている【入院特約】は、今や主力となった【新型医療保険】の
5分の1以下の代理店手数料です。
だからこそ、時間をかけてその優位性を問いかけていけば誰もが納得して貰えるようです。

それでも、チリも積もれば山となるです…大切なお客様の契約をチリと言っているのではなく
代理店手数料の事です、念のため。
漢字生保の外務員のように成績が即収入に反映するといったものではありませんが
苦難のロコハウス経営にも少しは明るい日差しが差し出した事はたしかです。

さてさてハワイです!
海外旅行はハワイに始まり、ハワイで終る…と言われます。
私も三十数年前に始めての海外旅行がハワイで、それ以来何度も行きましたが
ここ10年ほどは、それどころでない生活苦に喘いでいました。
本年度のコンベンションがハワイと聞いた時に「よし!それを狙おう!」と
担当のM君に宣言したら、彼はワイキキのカラー写真が載っている
本年度コンベンションのチラシを私にくれて、それを張っといて下さいといわれました。
今、私のデスクの前にそのチラシが張られています。

ハワイへの行くためには”3億”という数字を達成しなければなりません。
成績は4半期に分けてカウントされますが本年度の4・5・6月が6000万
7・8・9月が7000万、そして10・11・12月が1億で、現在2億3000万。
後7000万を3月までに上げなくてはなりません。
因みに私の一契約の平均が250位ですから30件位は必要です。

勿論、私は生命保険はお客様のペースでじっくり検討いただく事をモットーに
していますので、このような事を書いて皆様にプレッシャーをかけているわけでは
ありません。
怠け者の私自身にかけているのです。
達成のアカツキには週間KENでハワイのコンベンションの模様を
私の性格上からも書かずにおれなくなるでしょう、だったら
ココで皆様にも宣言しちゃおう!と思ったしだいです。
M君にハワイ行きを宣言して、ここまで来たのですから…。
もちろん「このさい検討してみよう!」なんて方がいらしたら感涙!です。
3月の〆まで!常夏のハワイを目指し、あとひと頑張りです!

2005年1月3日050号 今年はサンバ

あけましておめでとうございます!
なんだか、あっというまに正月になって、あっというまに3日になりました。

大晦日、前日からのカレンダー配りで一睡もしないまま
午前10時に毎年恒例で予約している赤坂の床屋に直行です。
少しスッキリした気分になって、我が家への帰り道にも数件廻って
正午に帰宅…前日、我が家を出てからまる1日、走行距離410キロ
千葉・埼玉・神奈川・東京と首都圏を行ったり来たりで訪問件数は約50件。

まだクルマには20本ほどのカレンダーが残っていましたが、
これらは近所のお客様ばかりで、1・2時間もあれば充分に配れるので、どうにかリーチです。
最後のコースはYUKIと一緒に廻って一旦帰宅して、それからヒロコも加え3人で、
ヒロコの保育園や小学校時代の関係でお客様になって頂いている、極親しいお宅を訪問し
最後は、どこかのイベント会場で新年カウントダウンをするのが我が家の一年の締めくくりです。

でも、天気予報では午後から雪が降ると言っていました。
ここで一休みしてしまって雪でも降り始めると大変だからと、YUKIを急かせるのですが、
結局、家を出たのが午後3時頃、出かける時には雪が降り初めていました。
やがて雪は激しく降り続き立ち往生するクルマで右も左も大渋滞にです。
チェーン無しではこれ以上は無理と6件廻っただけで必死の帰宅となってしまったのです。

今年の大晦日はこの雪で何処にも行けなくなったわけで
一睡もしないで疲れきった私は内心ホッとしたのですが…
「食べるものは何もありませんからね」とYUKIは言うのです。
実は大晦日恒例の最後の訪問先はKさん宅で、そこで紅白歌合戦を見ながら
少し早いおせち料理をタラフク頂くのがここ数年のコースになっていたのです。

なにしろYUKIは正月というのに、まったく興味が無いというか、日本の正月文化
や紅白歌合戦の存在すら認めようとしない人です。
ある大晦日の夜、私が「”そば”はないの?」と聞いたらYUKIは
「ミルクならあります」という事で、それいらい我が家では
【年越しミルク】を飲むのが大晦日の慣わしになったくらいなのです。

数年前の大晦日、我が家の3人が保育園の同級生ゼン君宅に挨拶に伺った時に、
ちょうど、ゼン君のパパが自慢のおせち料理を作ったところで、「まーひと口!」というのに
(ひもじい)ヒロコとボクが感激して食べる姿に、とても感激して頂き
これが毎年の恒例となったしだいなのです。
しかし、今年は雪で足止めで、【年越しミルク】にあと戻りです。

なんだか大晦日の愚痴話で、新年の挨拶が終わりそうなので
気をとり戻して、もう少し書かせて頂きます!

今年は酉年です。
http://www.rocohouse.jp/hp/logo/NENNGA/2005_anime_psd_final.gif
昨年はサルサでしたが、今年はサンバです!スミケンサンバです!
マツケンは手に棒を持っていますが、スミケンはカレンダーを持ちたかった
のですが、意味不明になりそうなのでやめました。
今年はメールでの生命保険相談も起動に乗りそうな気配で…
跳びます!跳びます!跳びます!

今年も週間KENをロコハウスをよろしくお願いいたします。

2004年12月27日049号 カレンダー配り

カーナビは便利だけどバカなとこもあることを認識しておかなければなりません。
右へ行けだの左に入れだの、エラソウに指示するのですが…
ソコが石段になっていたり、人しか通れない道だったりする事もあるのです。

23日、私は石段で行き止まりになった道にクルマを置いたまま、
カレンダー片手に階段を駆け上がり、
住宅前の駐車用レンガに足をつまづき、思いっきり転倒してしまいました。
その時にとっさに庇ったのは背広です(”アオキ”の安い背広ですが)
実はちょっと前に背広のズボンを大きくカギ裂きにしてしまったのですが、
「カーナビを買ったから」という理由で、新しく買ってもらえないのです。
(今は何を言ってもYUKIはコレなんです…ヘ(´o`)ヘ)
悲しい本能?で必死で思い体重を左の手のひらで支えて、背広はことなきを得たのですが…
左の肩が異常な痛さと違和感があり右手で触れてみると、骨が完全にズレているのです。
ころんだ衝撃で10メートル以上も飛ばされたカレンダーをゆっくりと拾上げて、
まずはクルマに戻ったのはいいのですが、そこからどうしようもありまん。

袋小路に入った車をバックして出すのは、とても難儀です。
ケータイで我が家に電話しても、YUKIもヒロコも運転免許がないので、ただ心配さかけるだけです。
ここで救急車を呼んでも、クルマの処理とかややこしそうだし、余分な経費を掛けてしまっては
またYUKIの怒りが爆発しかねません。

クルマの中で、なすすべもなくジッと考えました、
「遭難ってこんなものなのかな…」「こりゃ週間KENのネタになるな…」なんて
ロクなアイデアも出ないまま時間だけは経過していきます。
午後7時30分には”がん保険”の契約があり、行けそうもなければ連絡を入れなければなりません。
なにしろ、まずはクルマを動く事と心に決めるしかありません。
痛みを堪えて身体を全体を動かて右手でギアをバックに入れます。
バックミラーを見ながら少しづつ時間をかけての袋小路からの脱出です。
道端で遊んでる子供たちが「このオジサン、どうしちゃったの?」という顔で見ますが
注目されてる分だけ安全と思うしかありません。

やっとの思いで袋小路から抜け出して、また右手で今度はギアをドライブにチェンジします。
脂汗を流しながらここまで出来れば、後は…
我が家の近くにある聖マリアンナ病院の救急まで20数キロの片手運転です。
我が家のマンションの前にたどりつき、初めてYUKIにケータイで事情を話して出て来てもらい、
そこから一緒に数分の救急病棟に…
もうその時は左手は痺れて冷たくなり、痛みと疲れのピークになっていたのですが…
クルマから苦労しながら降りた瞬間、なんの弾みかカッポと骨が元に戻ったのです。
これだったら7時30分のアポイントも間に合うとレントゲンだけとってもらい、会計等の手続きは
YUKIに任せて、またクルマでお客様宅に向かう事が出来たのです。

次の24日、母を預かって貰っている妹宅でクリスマスイブを祝いました。
8月に結婚した姪のマキ夫婦も出席、そのマキの夫は外科医で私の脱臼話で盛り上がったのですが、
YUKIはそこで「KENは大げさで一人で病院に行けない、まるでどうしようもないヒト…」とバカにするのです。

そうそう…マキが早くも妊娠!マキは何時も衝撃を与えてくれます、この日(24日)に取れたクルマの
免許書も見せてもらい医大生として、新妻として、そしてこんどは母親として…福島(医大)と東京を
股にかけるマキに、さすが?のヒロコも「負ける…」と言っています。
そうそう…あのYUKI様がなんと!あのヨン様にハマってしまったのです。
宮崎のホテルで21日、何となく付けたテレビが【冬ソナ】の完全版連続放送の第一回目だったのです。
何時もさっさと私より早く寝る(そして遅く起きる)YUKIが最後まで見てしまったのです。
(私はビールを飲んで寝てしまいましたが)
そして、我が家に帰ってからも夜10時から2時間、毎日きっちりと見ているのです。
24日のイブもヒロコに録画を頼み、帰ってから深夜まで見ているのです…アノYUKIがです!
ヨン様の凄さを私も認識せずにはおれません。

さてカレンダーです、まだ百数十枚、残っています。
お客様に「ちょっと上がって…」とか「まーお茶ぐらい…」とか言われると
ついつい、その気になって長居してしまうのです。
昨日(25日)も午後10時頃訪問した友人で顧客でもあるK氏宅で、
「時間も遅いし、忙しくってまだ夕食もとってないくらいだから玄関だけで…」といったら
「じゃーメシを食っていけ!」ってコトになり結局12時近くまでいてしまったのです。
その後、夜中にカレンダーのポスティングをしてまわり、結局我が家に帰ったのは
午前3時過ぎでバタンキュウ。

今朝(26日)朝風呂に入って、またもや午後4時までカレンダーを配って
それから今年で11回目になるホテル・ニューオータニでの
クラシックのチャリティー・コンサートに行かなくてはなりません。
ほんとうは今回の週間KENはこの毎年恒例で私の友人Wが主催し
私もボランティアでのお手伝もほんの少しやっている、
チャリティー・コンサートを書こうと思っていたのですが
これは、書き切れず来年に回す事にしました。

次回は年明け!
それまでにはカレンダーは配り終え(あたりまえ)…
爽やかに新年を迎えるべく、痛みの残る左肩をいたわりつつもうひと頑張りです。

本年は週間KENをご愛読頂きほんとうにありがとうございました!
来年もよろしくお願いいたします。

2004年12月20日048号 宮崎にて

今回はYUKIの故郷である宮崎からです。
YUKIの82歳の母は宮崎で日本舞踊の師範をやっているのですが、
今日19日(日)が最後の正式な舞台と云う事で、我が家の3人そろっての、ひさびさの宮崎です。

夏の北海道と同じく、どうせ宮崎までいくなら時間とお金を有効にと…
今朝はAM5:20分にクルマで羽田のパーキングに。
朝一番の飛行機で宮崎に到着、あさっての最終の便で羽田空港に戻るという
角倉家恒例2泊3日充実のエコノミー・ハード・ツアーです。

それにしても、どうして12月というのは多忙で慌しいのでしょうか?
まだカレンダーは200部近く残っています(カーナビがあると少し油断をしたようですが)
年賀状のデザインも、やっとヒロコと打ち合わせをした段階でこれからです。
仕事もおかげ様で生保が好調で、支社からの期待もあり今月の達成を目指さなければなりません。
事故報告もおかげ様?で毎日のようにあります。
忘年会もおかげ様で現在まで4回、あと2回残っています。

そうそう16日はとても楽しい忘年会でした。
主催は7月に私の3日遅れの誕生会をしてくれた坂本嘉輝氏、
例によって彼の生命保険セミナー(今年最終)の後の飲み会で
今回もYUKIにも、お声をかけて頂き二人での参加です。
何が楽しいか?といえばメンバーのユニークさです。
再保険会社の社員・ドクター、日刊Gの辣腕記者、外資生保の幹部
保険業界の長老、独立系CFP…
それに私の生保担当者で恐れも知らずYUKIにカーナビ購入を促してくれた
M君(実は坂本氏のアカラックスも担当)など等エトセトラ!。
普段無口?な私もアルコールが進み…隣のYUKIにテーブルの下から足を蹴飛ばされながら
時間を忘れ生命保険談義に花を咲かせたのであります。

さてさて…宮崎です。
いやはや、YUKIの母で、ヒロコのおばあちゃんで、私の義母にはもう…脱毛じゃなく脱帽です。
高齢で足が思うようにならず、これが最後の舞台という事で、それなりの覚悟をして宮崎にやって来たのですが
とんでもない82歳とはとても思えない華やかで軽やかで重厚な踊りには
宮崎市民文化ホールの会場から大きな拍手と歓声があがり、目頭が熱くなりました。

そして、疲れをしらぬエネルギッシュな義母宅で
今日は時間がないので昨日から仕込んでおいたという手作りのカレーライスをご馳走になって
元気いっぱいの義母の話ををしこたま聞いて…
少々疲れ気味の我が家のメンバーは、
明日早朝からの義母案内ドライブに備えて,ホテルに戻るや午後11時に早くもダウン!
YUKIもヒロコもすでに寝息をたてているのです。
私も寝ます、おやすみなさい。