2004年11月15日043号 上下町(広島県)

土日と広島県の上下(じょうげ)というところに行っていて今(15日01:30AM) クルマで我が家に着いたところです。 私が眠そうになると助手席のYUKIが私の頭をドツクだけという、いつもの 清く貧しく恐怖で楽しい?総走行距離1800キロのハードなドライブでありました。

今回は生命保険の仕事がらみでなく、まったくのプライベートのYUKIとの旅です。 実は私はこの広島の上下生まれなのです。 でも生後4ヶ月しかいませんでしたから、まったく記憶にありません。 上下は父の故郷でしたが、戦後まもなく家を処分して父の兄弟はすべて 上下を離れてしまいました。 しかし、その角倉家の蔵は上下町のシンボルとして残っているのです。

以前ヒロコと上下に来て、この建物の解説に【角倉財閥】と書かれているのを見て 嘆くやら怒るやら…「なんで、ウチの角倉家はこんな貧乏になったのか!?」と 私を責め立てるであります。 私も、その理由をしりたいぐらいですが、亡くなった父は4男だったからなのか、 頓着がなかったのか、蚊帳の外だったのか、貧乏をしながら、それなりにハッピーな生活し それなりにハッピーに亡くなり、… その長男の私も、貧乏とハッピーさだけを遺産?として引き継いだようです。

さてさて…なんで今、上下にいるかというと 伯父すなわち父の長兄の7回忌を上下の善昌寺というお寺で行なわれたのです。 私も今まで角倉家の法事で何度か尋ねていますが父の兄妹で残っているのは 私の叔母(父の妹)だけになってしまいました。

父は4男ですが、どういうわけか従兄弟の中では私が一番、長老?で すっかり世代交代した今回の法事は感慨深いものがありました。 父の兄弟達が亡くなり、私が歳を重ねていくにしたがって とても遠く感じていた上下が、だんだん身近に感じられ、なぜだかとても懐かしさが込み上げ いとおしく思うようになってきたのです。