2004年10月25日040号 ダイエー帝国の盛衰

私が子供の頃…「だいえい」と言えば、市川雷蔵や田宮二郎や勝新太郎の映画の”大映”でした。
私が大学に入学した頃…父が私に「これからは流通が面白い!ダイエーに注目しろ」といわれた時は
大映がスーパーを始めたと思ったくらいでした。
私が就職をする頃…ダイエーは人気の就職先になっており、私も狙っていたのですが…、
大学3年生の時に阪急ブレーブスの初優勝という私にとっては歴史的出来事がありました。
そのため、この年は阪急の試合のほとんどを応援に行き、授業やテストをまともに受けなかったために
就職願書に必要な卒業見込書を大学が書いてくれず、まともな就職活動が出来ませんでした。
それでコネのあった洋菓子会社に就職して、幸か不幸か、ケーキ屋KENちゃんになったのです。

父は海外旅行代理店の創業期から活躍した人で、私が小学校1年生の時(昭和28年)に
海外旅行の添乗をしており、おそらく我が国の添乗員第一号だと本人は言っていました。
その父が朝日海外旅行の役員をやっていた時に、ダイエーに買収されました。
旅行業界の発展を心より願っていた父はこれから面白い時代がくると張り切ったのですが
あっさりと首を切られ、かなりのショックを受けていたのが今でも、思い出されます。

それから、各分野でのダイエーの買収劇はとどまるところがありませんでした。
ケーキ屋KENちゃんの私は銀座のお店の店長を長くやっていましたが、その中で
数寄屋橋にあったお店が閉店した後は、ダイエーのステーキ・ハウス『フォルクス』になりました。
まーこれは、買収ではなくテナントの入替ですが、
私にはダイエー帝国の脅威のようなものを感じずにはおれませんでした。

私は今日までに、なんらかのカタチでダイエーとかかわり、しかも父と同じように
なんらかのカタチで犠牲になった、という人達に多く出会いました。
もちろん私がそのような人を探しているわけではなく偶然に出会うわけですから、
それだけ多くの人達に影響を及ぼしてきたということでよう。
そして、そこから見えてくるものは『力の論理』『スケール・メリット』であって、そこで働く人達の
自主性や取引先などステーク・ホルダーとの共栄という考えもなかったようです。
私もダイエーに就職していれば、早い時期に止めていたかクビになっていたでしょう。

進化論のダーウィンは「生き残ったのは、強い動物でなく、環境に対応してきた動物である」と言いました。
時代の変化に対応できず崩壊したダイエーは恐竜やマンモスのように見えます。

今、わが保険業界も、スケール・メリットを求めての統廃合が活発です。
しかし、それがお客様にとって、どれほどのメリットがあるのかがイマイチ見えてきません。
「体力を強化しなければ生き残れない」というのでしょうが、体力を強化しても時代に対応しなければ
生き残れないという事を…
私はダイエー栄枯盛衰の40年間を見て感じずにおれません。

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