2008年01月28日210号 母のこと

この週間KENにあまり登場することがなかった
私の母について書きたいと思います。

なにも隠していたわけではないのですが、書くチャンスがなっかたのです。
現在85歳で健在ですが…
4年半ほど前の夏の暑い日、突然目が見えなくなってしまいました。
それまでに痴呆が始まっていて、私の妹の家に同居していたのですが
昼間で明るいのに「暗くて何も見えないから電気をつけて」というのです。
結局、原因がよく判らないまま、その日から全盲になったのです。

でも幸い…と言おうか痴呆があるため”何かが見えている”ようで
自分が全盲になった事を認識しないでいるのです。
時々「暗くて見えない」というぐらいで本人はいたって陽気なのです。(^_^;)

まーこの”陽気さ”は角倉家の伝統のようで”救い”ではありますが…。
全盲になってから4年半、その前から入れると7年近く、
妹のユミコのマンションに母を預けぱなしにしている長男の私としては、ちょっと肩身が狭いのです。
ま~妹のユミコも角倉家の伝統を次いで陽気な方で、私としてもツイツイ頼ってしまうのです。

私より7歳下の妹ですがヒロコはそのユミコおばちゃんのことを
ず~と私のお姉さんだと思っていたほど、私が云うのもなんですがシッカリしているのです。
あまりにもシッカリしていて「私なんかイモウト・コントロールで動いている」なんて冗談を言うほどです(^_^;)
でも妹にも夫がいます、その夫すなわち義弟もとても陽気でとても良い人ですが、
全盲で痴呆の母と7年間も同居して貰っているのは…私としては大いに肩身が狭いのです。
2歳年下で大手商社に勤める義弟も今年60歳になります。

母はとても全盲で痴呆で要介護5の認定を受けていますが、
とても元気で陽気で食欲もあって、まだまだ長生きしそうです。

そこで26日の土曜日、私の家からクルマで15分ほどの介護施設にしばらく
母を預ける事にしたのです。
ユミコの次女が2人目の子供の出産を控えて、しばらく福島に行かなければならない事もあって
近くの介護施設なら私やYUKIも定期的に母を看に行くことが出来るからです。

母は痴呆もありますが、あるていどの状況判断も出来るようで油断はなりません。
でも陽気で楽天的に解釈する習性は変らないのが救いです。
ユミコの家の近くの介護施設でのシュート・ステイでも誰からも親しまれたようです。

当日、私とYUKIと妹のユミコそして土曜日で休日仕だったユミコの長女ユリコの4人が
付き添って、横浜市青葉区の介護施設に向かいました。

クルマの中でも、施設の手続き中も母は私たちをおおいに笑わせてくれます。
極めつけは、母にちょっと面接?をしたヘルパーとの会話です。

ヘルパー「角倉さん、お歳はお幾つですか?」
母    「……まー失礼ね、女性に歳を聞くなんて、あなたはお幾つなの?」
ヘルパー「エッ私の歳ですか、37歳です!」
母    「あら、それなら私の方が年上ね」

もう全員爆笑で終りました。(^_^;)

食事もなかなか豪華で、美味しそうに食べたようです。
ロイターに勤務しカメラマンでもあるユリコは大好きなおばあちゃんを撮り続けています。

これからはチョクチョク、私も母を看に行かねばなりませんが…
それもまた楽しみでもあります。

2008年01月22日209号 公私混同をモットーに!

もう数ヶ月ほど前の話になりますが…
いつものようにYUKIとテーブルをはさんでお互いパソコンに向かっている時に
「コピーライターの糸井重里がKENと同じような事を書いている…」と
その箇所をYUKIは声を出して読んでくれました。
たしかに私と同じ視点で書いていて興味があったので、
どんなサイトにその記事が書かれているのかとYUKIのパソコン画面を覗きました。

そこで目に入ったのは【「公私混同」原論】と言うタイトルでした。
いやーこのタイトルにシビレました。(^_^;)
さすが日本を代表するコピーライターです。
ちょうどその頃、防衛省の元政務次官の守屋氏が接待ゴルフで
公私混同でトンデモナイなんていうニュースが流れていました。
いづれにしても…公私混同なんてトンデモナイに決まっているのです。

しかし、そのサイトで糸井重里は公私混同をトンデモナイと言っているのではなく
公私混同はステキなコトだと言っているのは直感的に判りました。
それにしても、大胆で判りやすいタイトルには脱帽です。

公私混同で生きる事が、これからの時代は理想であって
このライフスタイルに自信とプライドを持って生き抜こう!
なんて事を自分なりには考えてはいたのですが…
それを表現するのに私は「保険代理店を生涯の生業(なりわい)とし生活を楽しみながら…」
などという、まどろこしい言い方をしてしまって
「公私混同で行きます!」…なんて、さすがの私でも云えなかったのです(^_^;)

私とほぼ同世代の糸井重里は、
私が生きてきた同時代を短いキャッチコピーで切り取って来た天才です。
YUKIが私に読んでくれたコラムも良く書かれていますが
ま~私と同じようなことを書いているので感激するほどではありません。
ソウ!彼は作家じゃなくて最高のコピーライターである事を再認識したのです。(^_^;)

なにはともあれ!これからは胸を張って公私混同で行こうと思っています。
ま~胸を張らなくても、週間KENをご覧の方は充分に公私混同で生きている事は
ご承知のことでしょうが。

さて、私が”公私混同”になぜこだわるか?という事ですが…

保険代理店を運営する上で大きく分けて2つの考えがあります。
ひとつは営業時間や休日をハッキリと決めて仕事中はしっかり仕事をして
それ以外は仕事を引きずらないでプライベートな時間を大切にする、というもの。
もうひとつは、云うまでもなく(^_^;)
24時間365日、仕事もプライベートも関係なく過ごすというものです。

法人の大型代理店は前者で、
個人代理店は後者…が多いわけですが、
保険会社の戦略として小さな代理店を統合して大きな法人代理店に
まとめていく方向にあるようです。
すなわち、私のような小さくて気ままな代理店は淘汰の対象になってしまうのです。
なぜ?保険会社が小さな代理店をマトメテ大きな代理店にするかといえば
その方が効率的で管理しやすく、収益性も高くなると思っているのでしょう(多分)

でも、それはお客様や個々の募集人にとってはどうでしょう?
フェース・トゥ・フェースは少しずつ遠のき、事務的な関係になっていくでしょう。
そして、サラリーマン化した代理店(募集人)はあるていどの年齢になったら
定年として辞めなくてはならない時が来るのです。

ようするに、お客様や代理店の立場では無く、
あくまで保険会社の論理で、そんな事で淘汰なんてされたく無い!との
思いがとても大きいのです。(^_^;)

だいたい企業は収益性を追求する事が使命ですから
…その結果としてサブ・プライム問題がおきるのです。
大きな団体や企業は”顔”が見えにくい仕組を作って責任を逃れをするのは常套手段です。(^_^;)

てなわけで…
私は公私混同をモットーに
気負わず、あせらず、のんびりと持続性のある代理店経営をやって
命あるかぎり、この仕事が続けられたらと思っているのですが…
ご迷惑かもしれませんね(^_^;)

2008年01月15日208号 【週間KEN】も【ブログ】も208号

【週間KEN】を毎週月曜日のペースを崩さずリチギに書き続けている事は先週ふれました。
その【週間KEN】が今回で208号になったのですが…
私が週3回、月・水・金と書いているブログ【ゆったりECOな保険ライフ】も
偶然にも、この月曜の号で208号になったのです。

「それで、どうした?」と聞かれたら、タダそれだけの事なのですが(^_^;)
【週間KEN】の第1号が2004年1月26日
【ブログ】の第1号が2006年9月26日と2年8ヶ月後にスタートしたのですが
1年と3ヶ月半ぐらいで追いつかれ、これからは【ブログ】が【週間KEN】を、どんどんと切り離していく事でしょう。

「それで、どうした?」と聞かれたら、タダそれだけの事なのですが(^_^;)
【週間KEN】は基本的にプライベートな話題を書いていきますのでネタが尽きることがありません。
どうしてもネタが無い時には時事ネタや映画や本の感想を書く事だって出来ます。
それより残念なのは同じ週に面白い出来事が重なった場合などに、どれかを捨てなければならない時です。
よーするにプライベートな事に関して週1回書く事は何でも無いのですが…
【ブログ】のテーマは”保険”に限定され、しかも週3回も書かなければならないのです。

「それで、どうした?」と聞かれたら、タダそれだけの事でなのですが…(^_^;)
週3回のペースだって私が勝手に決めたので、それを週1回にするなり月に1回にするなり
ナンなら止めてしまっても、文句を言われるスジアイはないのです。(ヒラキなおってどうする)
それだったら、プライベートな事を書くのは最初からブログにして、
保険関連のコラムは【週間KEN】のようにホームページの中で週1回書くようにしたら
良かったのかも知れませんが、4年前にブログは無かったのです。

「それで、どうした?」と聞かれたら、タダそれだけの事でなのですが…(^_^;)
【ブログ】の方も創刊以来、なかなか好評で今ではブログ・ランキング(保険分野)
ベスト10には常時ランキングされ、固定ファンも少しづつ増えてきて
私なりには手ごたえを感じてきて、ブログの性格上からも、
またランキングをあるていど維持するためにも週3回のペースは崩したくないのです。

「それで、どうした?」と聞かれたら、タダそれだけの事なのですが(^_^;)
【ブログ】もこの【週間KEN】同様に、私のライフ・ワークとして出来る限り書き続けて行きたいと
思っているのですが、ただただ週3回一方的に書き続けるのは大変なのです。
そこで時々は【ブログ】の方もご覧頂き、コメント欄に何でもよいからご意見なぞ頂ければ嬉しいのです。
そうしたら、そのご意見をネタにブログを書く事が出来るからです。
保険に関する”お題拝借”する事が出来れば、もう毎日でも書けるのです。(^_^;)
なんせ、メールでの保険相談は日常的にやり続けているのですから。

208回もブログを書いて、しかもメール保険相談でも書き続けていると
自分からテーマを決めて、いろいろと書いているうちに、これは以前に書いたのでは?と
ペンいやキーボードが止まってしまうことがよくあるのです。
その点、質問やコメントに関する意見なら、少々ダブってもOKです。
YUKIが呆れるほど、しゃべり出したら止まらない私ですが…
一旦、書き出すと、やはり止まらなくなる傾向もあるようです。
【週間KEN】も【ブログ】も208号は通過点で、これからも書き続けて行きたいと思っています。

「それで、どうした?」と聞かれたら、タダそれだけの事なのですが(^_^;)

2008年01月07日207号 早くも7日ですが…

あけましておめでとうございます!

今日から”仕事初め”という方も多いことかと思います。
したがって
「いまごろ新年の挨拶とは悠長なものだね」と言われちゃうかもしれませんが(^_^;)
週間KENは毎週月曜日発行という事になっておりまして
今年最初の週間KENが7日になってしまったというしだいです。

「何 もリチギに毎週キッチリ月曜日書かなくてもいいんじゃない?」
なんてよく言われるのですが、これは私の性格からでして、
と言っても…
わたしはキッチリどころかとてもズボラな性格なもので
パターン化しなければ怠けて続かなくなるからです(^_^;)

そんな私が…
ブログでは保険業界がマニュアル化・パターン化には大反対の問題提議をし
また日本の社会自体が、そのような流れにあることに義憤を持っているのですから複雑です(^_^;)

”効率性”より”多様性”を…と
ハナシだすと又長くなりそうなので止めます(^_^;)
まーようするに人間はそれぞれ”こだわり”を持って生きていけば…
とハナシだすと難しくなりそうなのでコレも止めます(^_^;)

ナニが言いたいのかというと
週間KENは毎週月曜日発行に”こだわって、新年号には”こだわらない”ため
この207号がたまたま今年最初の号になって、新年のご挨拶をさせて頂いたという…
まーどーでも良いハナシなのです(^_^;)

毎年思う事ですが…正月はアッという間に過ぎてしまいます。
この歳になると、1年がアッという間に過ぎるわけでから
正月ぐらいアッという間に過ぎてしまってあたりまえなのかもしれません。

大晦日は毎年、ゼン君の家に”おせち料理”を食べに行くのが
我が家の慣わしになってしいます。
そのゼン君のママが昨年の春にガンで亡くなってしまいました。
”おせち料理”を作るのはゼン君のパパなので、
彼を励ます意味でも、これからも大晦日には”おせち料理”を作る事は止めないで
我われに食べさすことを約束させました(^_^;)

大晦日当日”ゼン君ち”に伺う前に、いちおう向こうも準備があるだろうからと電話をいれました。
電話に出たのはゼン君の弟、エイ君です。
エイ君は北海道大学・数学課4年生で、とてもクール(に見える)で個性的青年です。
彼は「何時頃いらっしゃいますでしょうか?いちおう掃除をしておかなければなりませんので…」と
いつものクールな口調です。
私はだいたいの時間を伝え「お父さんに代わっていただける?」と言ったら
「実は今日、父は東京女子医大に緊急入院を致しまして、
今日の料理は私が作るように父から言われていますので、ご心配なく…」

レストランの予約じゃないのです。(^_^;)
「ご心配なく」って…おせち料理を心配している事態ではありません。
ゼン君のパパがどうなっちゃったか大心配です!

ゼン君のパパが昔から透析治療をやっているのは私も知っています。
大晦日の朝、透析のために東京女子医大に行ったそうです。
そこでいつものように透析しようとしたら、それまで使っていた血管が度重なる透析のため
使えなくなっていて、新たなバイパスを通すための手術を正月にやってしまおう…
という事ななったというのです。
ようするにエイ君に言わせれば”おせち料理”も”パパの入院”も「ご心配なく」ということらしいので
我が家の3人は大晦日午後8時に伺うことになりました。

インターフォンを押すと中から「お待ちしていました」との声。
食卓にはすでに出来立ての”おせち料理”からご飯までがお茶碗にツガレていて
料理も次々に運ばれて、ゼン君もビールを注いでくれます。(^_^;)
こちらが食事をしていても
兄弟二人は奥のキッチンで何だか忙しそうに立ち回っているようで
なんだか申し訳ない気持ちになってしまいます。

札幌で一人暮らしのエイ君ですが料理はあまり作らないというのに…
驚いた事に、味はパパの作る自慢料理とまったく同じなのです。
理由をたずねると、「父がレシピを書いていましたので、ただその通りにしたまでです」と
またクールな答えが返ってくるのです。
父親は数学教師、息子は北大の数学科だと、こうなるのか…妙に納得しました(^_^;)
エイ君の入れるコーヒーも大変なものです。
豆の焙煎から豆惹にはじまって…すべてこだわり抜いて、
高校時代に合唱クラブでウィーンに行った時に小使いを全部はたいて買ったという
コーヒー・カップにいれて飲ませて頂けるのです。(^_^;)

そんなエイ君が「これは自分で作りました」という”年越しそば”はもハンパじゃありません。
ダシでつかう、かつお節と煮干と昆布の贅沢さには写真を撮ってしまいました。

数年の大晦日、最後のカレンダーを近所に配ろうと回ったゼン君の家で
お正月に備えてゼン君のパパが製作中の”おせち料理”をちょっと摘ませてもらったのが
はじまりで、こんなことになってしまうとは、もうなんと言っていいのやら(^_^;)

この後は、恒例のカウント・ダウンにクルマを飛ばして、横浜みなと未来に!

元旦は、さっそくゼン君のパパのお見舞いに東京女子医大に…
普段と変らずとても元気な様子でひとあんしん、エイ君の検討ぶりを報告し、
病院であることも忘れて、大きな声で議論に花が先、時間が経つのも忘れてしまい…
帰りのエレベータの中でYUKIとヒロコから「ほんとうにオバカ」と叱られてしまいました(^_^;)

そうそう元旦はヒロコの誕生日で、いつも忘れがちになるのですが…
冷凍のチーズ・ケーキでささやかなバース・デイを祝って、今年もスタート!

そしてもう7日ということです(^_^;)
今年もよろしくお願い致します。

2007年12月31日206号 持つべきものは友

年末恒例のクラシック・ハート・コンサートが29日無事終了しました。

【週間KEN12月10日号】
クラシックなどにはエンもユカリも、そしてお金も無い私が、
このようなボランティア活動に足を突っ込んだ理由や
今年は念願のホームページが完成したことをお伝えして…
そして最後に、このコンサートへの参加者を募りました(^_^;)

これまで
参加者の募集はボランティア活動の役員達の”知人への呼びかけ”でしたが…
私がこのボランティア参加の条件として
「そのようなノルマは一切勘弁して欲しい!」というものでした。
保険の世界、特に生保の世界での不祥事の根源も”ノルマ性”だと思っている私は
なにしろ”ノルマ”がキライなのです(^_^;)

こんなモノに頼っていたら活動は長続きしない、
活動に永続性を持たせ、広く賛同者を募るには、
しっかりとしたコンセプトを持ったホームページを公開していく事が不可欠!
とエラソウな事を言い続け”ノルマ”から逃れてきた私ですが、
そのホームページが完成しちゃったのです(^_^;)
常々”ネットのチカラ”を力説してきた私が、
そこからもゼロというのは立場上ちょっとキビシイ状態になったのです。

そこで【週間KEN】で呼びかければ1組ぐらいは参加者がいるのではないかと
甘く見ていたのですが、締め切りの24日直前になっても集まりません(^_^;)
もちろん反応がまったく無いというわけではありません、
今年は年末から○○に行くので来年は…とか手ごたえはあるのです。

でも、こうなればゼロというわけには行かない心境になってきます。
そこで閃いたのは、友人の丸谷です。
彼はM放送を定年退職し今は悠々自適の生活をしており、
この【週間KEN】もよく読んでくれているようなのです。
私が電話をして「ちょっと頼みたい事があるのだけど…」と言った瞬間、
「29日の件だろう、判った俺は参加するよ」と何時もの短いフレーズですが1名ゲットです。
そして私が「YUKIが奥さんにもお会いしたいと言ってるし是非!」ともう一声(^_^;)
「彼女はオレと違って忙しいとおもうけど聞いて見る」と言ってガチャンと切りました。
それからしばらくして2名の氏名が書かれたメールが到着しました。

当日、ヒロコは昨年に続いてビデオ撮影を担当しています。
作年はヒロコのサルサの先生でNHKでも仕事をしているジョエルが助手?として
手伝ってもらったのですが、彼はキューバに帰国中で、
今回はヒロコの友人のジュンコ黒沢クンに応援を頼みました。

そして、もうひとり忘れてはならないヒトがいます。
”うるめクン”です…彼がいなければ、
このような素晴らしいホームページは完成しなかったですし、これからの対応も困難です。
そんな中で完全ボランテァで参加してくれた”うるめクン”には私だけでなく
ボランティアの役員一同、とても感謝しているのです。
そうそう、人は見かけによらぬもの(^_^;)ここで初めて聞いたのですが…
”うるめクン”が中学までピアノを習っていて、大学まではよく弾いていたというのです。

我われのテーブルは”うるめクン””黒沢クン””ジュンコ”そして”ヒロコ”の若者4名に
丸谷夫妻にYUKIと私の計8名。
丸谷夫人は発展途上国の自立を支援するNGOを理事長で
もっといろいろお話をしたかったのですが…
なんせヒロコたちはビデオ撮影、私はデジカメ撮影、
ホームページの説明丸谷はインタビューされたり、
もちろんコンサートを聴くのがメインですし、食事もしなければならないわけで、
アッというまに終ってしまいました。

”持つべきものは友”
私たちのテーブルを見て、しみじみ思いました。

来年も”友”を、そして”お客様”を…
大切にしていきたいと思っています、本年も本当にありがとうございました。
そして、良いお年を!(^_^)

2007年12月24日205号 アカラックスの忘年会

一ヶ月ほど前にアカラックスの新越部長からメールが届きました。

>年末となり、ちまたでは忘年会を計画する時期となりました。
>そこで、当方では、「題名の無い音楽界」に対抗して、
>「セミナーのない2次会」を計画しているところですo(^-^)o
>現在、12月20日(木)が有力な候補として挙がっていますので、
>あらかじめスケジュールの調整を宜しくお願い致します。

何のことかと言えば…
一昨年までは毎月アカラックスでセミナーが行なわれていて
そのあと近くの居酒屋で2次会、その後はアカラックスのオフィスで3次会というのが
お決まりのパターンで毎月飲んだくれていたのです(^_^;)
そんなわけで…
セミナーはどうでもいいけど(^_^;)二次会・三次会が楽しみという人達もけっこういたのです。
それが今年のアカラックスさんは共済のコンサルで多忙を極め?セミナーが無くなったのですが…
アカラックスの二次会をいやセミナーを望む声は私を含め少なくなかったようです。

そんな声を反映して
【セミナーの無い二次会】のご案内メールが届いたというわけです。
とうぜん私はカレンダーの12月20日(木)に印を入れて例によってYUKIと
サカモッチ(坂本さん)ファンであるヒロコと3人で参加する予定である事を連絡しました。

ところが、その20日直前になっても会場や時間や予算の連絡がまったく無いので
電話で新越部長に確認してみると
会場はアカラックスのオフィス、時間は午後5時半頃からボチボチと、
会費は無料だけど持ち込みは大歓迎!というのです。

アカラックスのオフィスは今春同じビルの2階で広いところに引っ越しているので
問題は無いのですがオフィスでの忘年会で常連で家族での訪問となれば
それなりの持込をしなければ…という気持ちになります。(^_^;)
それほど料理の得意でないYUKIが急に手料理を、と言っても大変です(^_^;)
でもYUKIは意外と落ち着いていて「ポテト・サラダぐらいだったら簡単に作れるから」と
心強いコトを言ってくれるではありませんか。
さっそく近くのスーパーでジャガイモとそれに出来合いの豚の角煮やおつみを買って
準備をし出かける事にしました。

ポテト・サラダの用意もあって、私とYUKIがアカラックスに到着したのは7時ちょっと前でしたが
会場はかなりの盛り上がりで「遅い!」と叱られてしまいました。

アルコール類は先日、香港の免税店で買ったシーバス・リーガルの1リッター瓶を
お土産としてアカラックスに持っていっていたのですが…
INSWATCHイシイさん私と顔を合わすなり…
「あの香港土産のスコッチこのまえ僕が全部のんじゃった!」ととてもご機嫌なのです(^_^;)
YUKIのお手製のサラダも思った以上の好評でアッというまに無くなってしまいました。

「YUKIさんは料理がまったく出来ないなんていうけど、ウソばっかり!」
下川さんからYUKIは誉められ、私は叱られとました。
でもポテト・サラダは料理というほどのものではないとは思うのですが、まーいいでしょ(^_^;)

少々遅れて【保険えらびネット】バードさん
【保険情報】代表シラネさんと、
そこの辣腕記者?で我が家ではおじゃる丸の川上さんで通っているフジワラさん
ほけんドッグのやすしさんと…
顔なじみの酒豪がぞくぞくと集まってきます。(^_^;)
そうそう【保険情報】からは『ネットでの保険販売』というテーマで
先日取材を受けたばかりですが新年号に掲載されるそうです。

私はネットはマスなメディアではなくて、あくまで個人的なメディアでとして有効なもので、
それをどう上手く利用するかが代理店経営の未来にも係わってくるという考えで
その思いを私のブログのテーマでもあります。
しかし業界紙の大きなクライアントが保険会社だったりするようなので
ネットをマスなメディアとして、どう使っていけるか?といったようなことに
取材の主旨があったようで、期待に添えなかったかもしれません…
ま~なにはともあれ新年号が楽しみです。(^_^;)

「でも実際には今のところネットを個人的に利用して保険営業が成り立っているのは
Dr.KENとナカタさんぐらいしかいないんじゃない」…
保険選びネットのバードさんの言葉だけに重いものがあります(^_^;)

そうそう保険ウィズユーのうるめクンにも声をかけたのですが
25日にアクチャリーの試験があるということで、
アクチャリー界の重鎮坂本さんによろしくとの事でした。
「テスト直前でジタバタしたって意味ないのにね」と坂本さんは笑っていました。

そんな坂本さんに、仕事を終えてやってきたヒロコは最近キュービック・パズルにハマッテいて
東大数学科卒で頭の良い坂本さんなら、どのくらいで出来るか?
テストをさせられていました(^_^;)

なにはともあれ顔なじみのマスコミ関係者や、書ききれないほいどの人達が
出入りをして楽しいひと時を過ごしました。

なんだかんだと言っても保険の世界は面白い!
いや!アカラックスに集まるヒトたちが面白い!そう実感した一日でありました。

2007年12月17日204号 KY

今年の流行語大賞は逸したものの、印象に残った言葉に『KY』があります。
『空気が読めない』
辞任した前首相の安倍さんのチグハグな言動を揶揄して使われたのが流行語になったようです。

それから、いろいろなヒトを指して「あのヒト、空気よめないじゃない!」などと
言って大笑いをしたりする光景をよく見る1年でありました。
うちのYUKIなんか、その代表かもしれません(^_^;)
この私ですらハラハラすることが日常茶飯事なのですから。
でも何でも思ったことを、そのまま素直に言うことは悪いことでは無いように思います。

安倍さんは空気が読めない政治家としてレッテルが貼られてしまったようですが
彼の【美しい国・日本】という本がベスト・セラーになっているという話を聞いた時…
なんだか”イヤな空気”を私は感じこの週間KENでも少し触れました。
その時は安倍さんは”空気”を利用する政治家と思ったのですが
”空気”が読めなくて?1年で退陣しちゃったのにはびっくりしました(^_^;)

世の中で何が怖いかといったら…
一つの空気でワーっとひとつの方向に行ってしまうことです。
バブルの時もそうでしたが…
もっとも怖いのは”戦争”です。
特に日本人はひとつの空気でワーと行き易い国民であることを
肝に銘じておくことが大切だと思っています。

沖縄の集団自決や従軍慰安婦の問題で国家の介入が有ったか?無かったか?
などという議論がなされたようですが、
政府が言うように、そんなものは無かったかも知れません。
しかし、そのような”空気”はあったのではないでしょうか?
武士が切腹をする時も、特攻隊に志願するのも…
どうにも逃れられない”空気”の中で追い詰められて”自分の意思”で行なわれることに
してしまうのではないでしょうか?
この”空気”を政治家や権力者が利用するのは怖いことですが…
それに国民や民衆が同調し大きなウネリになると、もっともっと恐ろしくなるということです。

ようするに”空気”など読んだらロクなことはないのです。
したっがて空気を読まないYUKIはエライと思います(^_^;)
じつはこの私もブログでは、
空気を読みまくって硬直状態にある保険業界に対して
空気を無視してホンネで書きまくっているのです(^_^;)

『KY』が今年の流行語大賞を逸した事は喜ばしいことだと思いますが…

ロコハウスは来年も『KY』で行きたいと思っています。
もちろんロコハウスの『KY』とはKENとYUKIのことですが(^_^)

2007年12月10日203号 12月29日のコンサート

何度か週間KENでもご紹介している…
毎年、年末にホテル・ニューオオタニで行なわれる恒例の
クラシック・ディナー・コンサートのホーム・ページが完成しました。

このコンサートは私の友人の渡辺氏が1995年からボランティアとして初めてもので
クラシック音楽を勉強している若い音楽家に奨学金を与え、音楽家の演奏の場を提供しようと
いう主旨で始められ12年も継続されてきたものです。
95年といえば、その前年の94年から96年10月までマル2年間…
私は渡辺氏の酔狂な(^_^;)ボランティアと横目で見ながら
生活苦(^_^;)ために新聞配達をしている真っ最中でありました。

それから数年して今度は渡辺氏の事業が行き詰まりボランティアとしての危機があったのですが
この素晴らしい火を消してはならないと、多くの仲間が協力して今日まできたのです。
そんな中に、少々生活が安定するようになった私も仲間入りしていたわけですが
コンサートの集客だけは勘弁願っていたのです。
なんせ小さな貧乏保険代理店にはお客様を招待するような余裕もありませんし
取引業者に高圧的にチケットを買わさせるなんて相手もいませんし
第一そのようなモノでもありません(^_^;)
ただ毎年、家族3人で参加させて頂だくという事にしていたのです。

でも、行なわれているコンサートもディナーも…素晴らしいものです!
ディナー・コンサートの最後に全員が起立して大合唱で歌う”第九”も恒例になって
「このコンサートに来なければ年が越せない」という人も多くなってきました。

このような状況の中で、私は以前からホームページを作る事を提案していたのです。
少しでも多くの人にこの活動の主旨を理解してもらい、それによって参加者が増えたら、
ボランティアのメンバーの”顔”での集客をノルマ?のように与えられるより
ず~と合理的で有意義な事ではないかと…

その、私の意見が聞き入れられ「今年はホームページを作ろう!」…
という事になったからタイヘンです(^_^;)
結局、我がムスメのヒロコに協力をしてもらう事になり、
そのヒロコにも大変な作業になり
保険のポータル・サイトを立ち上げてた”うるめ君”に協力を要請し
やっと、素晴らしいホームページが完成したのです。

そして今日(9日)、コンサート前の最後に打ち合わせがホテル・ニューオータニで
行なわれました。
そこで私は役員の人達から言われてしまいました。
「今年はホームページも出来たことだし、角倉さんも少しは参加者を集められるでしょ」
と言われ参加者のリストを書く紙も貰ってしまいました(^_^;)

けっして強制ではありません(当たり前です)が…
12月29日、だいぶ押し迫っていますが毎年この頃でして(^_^;)
会費は12000円と安くはありませんが、一流ホテルのコース料理でワインは飲み放題?で
クラシックの生演奏が聴けるわけで、それだけの価値があり、
その会費の中から若い音楽家に奨学金が与えられるのです。

一度参加したらヤミツキになるかも知れません(^_^)(昨年のコンサートの映像です)

もちろん、テーブルは私とYUKIとの同じテーブルになると思います。
ご参加いただける方がひとりでもいらしたらホームページの効果が示せて
私の立場も保てるという、私にとってはこんなありがたいことはありません。
是非!この機会に!m(_ _)m

ニューオータニ近くの紅葉と、イルミネーション

2007年12月02日202号 歯医者6ヶ月

小学校の何年生だったか忘れましたが、私が表彰書というものを初めてもらったのは
『良い歯をしている』という事でした。
それ以降も、表彰状とは縁の無い人生を歩んできましたので、
私が唯一自慢できるのが”歯”のみとも言えます。

そんな私も大学を卒業して就職したのが洋菓子メイカー、
ケーキ屋KENちゃんとしてケーキや菓子類の試食も重ね、
それでも風雪に耐えながら歯医者とは縁の無い生活を送り
初めて虫歯の治療をし奥歯2本を抜歯してブリッジで補強したのが十数年前。

それから、また歯医者と縁の無い生活を送っていたのですが…
今年6月初め、どうにもこうにも歯が痛くなって歯医者に行くことになったのです。
十数年のあいだにブリッジがすっかり外れ、それでもそのまま放置していたら、
その横の奥歯が弱って歯茎が化膿し、また抜けたままの奥歯の上の歯が
本来なら噛み合わせになる下の歯のないため伸びてしまっているのです。
ようするに十数年の放置のため私の歯はえらいことになってしまったようなのです。(^_^;)

ここから平均、週一回の歯医者さん通いが半年間続いて、先日晴れて?
左右の奥歯4本を補強する”義歯”が出来上がり、
とりあえず半年間の歯医者がよいは終了したのです。

歯医者にこれほど通ったのは私の人生でも経験がなく、それはそれなりに面白い体験でした。
(まーこれからは、ごやっかいになる事が多くなるのでしょうが)

そもそも、どのような治療がされているのかよく判りません。
ただ大きな口をあけて、なされるがママにしているしかないのです。
とても紳士的で、もの静かなドクターなのですが、ときどき鼻歌まじりで、
私の歯を削りながら歌いだすのが難点です。
「♪こまっちゃうな~♪」 なんて耳元で囁かれたら、不安になります(^_^;)
「♪あなたな~らどうする♪」なんて聞かれても私にはどうしようもありません(^_^;)
ただ大きく口をあけてドクターの歌を聞くしかありません。

私は床屋でも、レストランでも、近くのスーパーでも、馴染みになると
いろいろと会話をするのが楽しみな性分ですが…
歯医者さんに半年間も通って、会話らしい会話が出来なかったのも貴重な経験でした。(^_^;)

そして、これだけお世話になった歯医者さんで
毎週、至近距離で半年に渡って顔をつき合わせていたわけですが
多分、道ですれ違っても私はドクターに気がつかないと思います。
なぜならば合う時はいつも大きなマスクをしていますしていたからです。
だからといって、どんな顔をしているのかドクターの顔をのぞき込むのも抵抗があります。

そんなわけで、半年間、歯医者の椅子で大きく口をあけて目をつぶり
ただドクターの囁きと、耳元で口ずさむ歌を聴いていたのです。(^_^;)

2007年11月26日201号 香港より帰国

先ほど香港から無事、我が家に帰宅しました!

ただし今回は…
恒例ともなりました毎日現地からのレポートと写真をアップするという週間KEN臨時増刊号が、
現時点において3日目以降が未完成のままになっています(^_^;)
”とてもお恥ずかしいことになっておりますが数日中には完成させておきたいと思っています。

なぜ、こんな事になってしまったのか?
それは今回は団体旅行であったのに甘くみていたということです。
これでも毎晩午前3時頃まではホテルの部屋の片隅でパソコンと向いあっていたのです。
でも毎朝といっていいぐらい6時頃にはモーニング・コールがあるのです(^_^;)

出発の日は完全徹夜でした。
次の日、すなわち香港初日の夜は午前3時で睡魔にまけてダウン。
でもこの日の午後2時までは我が家の単独行動でしので、
香港2日目の午前中はホテルに閉じこもって仕上げることが出来たのです。
しかし団体旅行となると、そうはいきません。

文章を書くだけなら、どうにかなったのですが…。
問題は写真です。
今回は団体旅行のため、私が一日の撮影する写真の数がベラボーに多いのです。
何もベラボーに撮らなければならない義務はひとつもないのですが。(^_^;)

実は今から40年ほど前、今回の旅行を共にするメンバーとの合宿や活動などを
私は撮影をし、自分で現像までしていたのです。
すなわち、その習性が40年経った今でも残っていたというわけです(^_^;)

その頃と違ってデジカメはバッテリーとメモリー・カードがあれば無尽蔵に撮れます。
今回は新しいワイド・レンズがついたデジカメにバッテリーの予備を2個、
それに2ギガのメモリー・カード(今や3,770円)を買ったので
1日分の撮影には充分ということで
バチバチと撮りまくり、それを整理するだけでも大変な時間を要してしまったというしだいです。

言い訳はそこまでにして(^_^;)
また旅行の報告と写真は、近日中に全日アップしご紹介するとして
私の旅の総括です。

何より安心したのは、YUKIやヒロコが気心を知っているオグラ夫妻はもちろんのこと、
メンバーの誰もが紳士的で優しく、拓大ラテン・アメリカ研究会の印象をよくしたことです。
もし機会があったら、また参加したいと言っています。

気ままで、自己主張とバトルを繰り広げてながら、きままな旅を続ける我が家の旅も
捨てたものではありませんが、
皆とのコミュニーケーションを大切にしながらの旅もまた、
捨てたものでないことを知っただけでも、とても有意義な旅だと思っています。

オグラ夫妻。
自費で参加し添乗員役まで果たしたナミカタ君。
毎晩午前3時過ぎにベッドにもぐりこむ私を気遣ってくれた同室で同期のアダチ。
身勝手な行動をする、素っ頓狂な我が家のメンバーを温かく受け入れてくれた諸先輩。
参加者全員に心から感謝しています。