特別増刊号 香港・マカオ・珠海の旅6日間 11月25日(日)第06日目 香港から帰路へ

11月25日第6日目  香港から帰路へ

あっという間に最終日です。
香港旅行といえば3泊4日がパターンのようです。
今回のツアーは4泊5日、
我われは1日早く来ているので5泊6日でしたが
これでも短かすぎるように思いました。

3泊したこのホテルはちょっとコンパクトでしたが(^_^;)
楽しく過ごさせて頂きました。
ここから空港にいくだけですから
ホテルのカフェテリアで久々にというか初めてゆったりと
モーニング・カフェを飲むことが出来ましたが
これで、しばらくはオグラ夫妻ともお別れです。

オグラのことだから、ここまでやるんじゃないかと
思っていたのですが、やっぱりやってくれちゃいました(^_^;)
オグラ夫人のキエちゃんも二人が結婚する前から知っていますが
いつでも、どこでも明るく愉快なムード・メイカーで、
期待通りの活躍をして頂きましたが、今回は我われの持て成し役ということで
後からドッと疲れが出るのではと心配しちゃいます。(^_^;)

何はともあれオグラ夫妻がいなければ、このツアーはなかった事はたしかで
二人に心から感謝するしかありません。

ホテルからバスは空港のあるランタオ島に向かいます。
ヒロコは、これでランタオ島に行くのは4回目だと言いました。
香港出張の時から合わせてか?と思ったら今回だけでというのです。
一回目は香港に着いた20日のライブ・コンサートがランタオ島だったようです。
二回目は次の日、空港(ランタオ島)で仲間と合流するため向かいました。
三回目は忘れもしない我が家オリジナル・ランタオ大仏ツアーです(^_^;)
四回目は今、帰国のため空港(ランタオ島)に向かっているというわけです。

ランタオ島にはディズニー・ランドも出来たようです。
この調子でゆけば、あと数年でランタオ島も見違えるように開発される事でしょう。
短い期間ではありましたが香港・マカオ・中国本土を一挙に訪問することで
今の中国、これからの中国を垣間見る事が出来たようです。
いい意味でも、悪い意味でも、恐るべき香港、恐るべき中国です。(^_^;)

香港空港から成田空港に無事到着、楽しい旅を終える事が出来ました。

そしてYUKIは言いました…
「本当に楽しかった!ツアーのどなたも皆んな良い人ばかりで
ヘンな人がひとりもいなかったですものね」
いやいや一番ヘンだったのは私たちだったかもしれません(^_^;)

特別増刊号 香港・マカオ・珠海の旅6日間 11月24日(土)第05日目  憧れのランタオ島大仏?他

11月24日第5日目  憧れのランタオ島大仏?
      

の日は本来なら一日自由行動というわけですが、
メンバーの皆様お歳に似合わず皆様お元気で(^_^;)
全員が早朝から朝食のビュッフェに揃っていました。
我われが少し遅れて行くと…
「アレッ大仏さんを見に行ったんじゃないの?」と言われてしまいました。
もうYUKIの”大仏見たい!宣言”はすっかりメンバーの印象に残ったようです。

本当は私は今までの睡眠不足と旅行コラムの遅れを取り返すために
ホテルにのんびり滞在していたかったのですが、
YUKIが一度思いたった事を私の勝手で阻止しようものなら
この先、何年たっても、いや一生「あの時はKENが反対して…」なんて
言われ続けるかもしれないのです。(^_^;)

他のメンバーもランタオ島までは行くと言うことですから途中までは
みんなと行く事にしたのです。
ホテルの側から2階建ての路面電車に乗って、そこから歩いて
ランタオ島に向うフェリー乗り場へ向います。
途中、香港一の高層ビルの前で、全員集合の写真を一枚!
そこで、YUKIが同じフェリーでもこちらが大仏には近いとこに着く
という事で、みんなとは別れる事に

もう、私としたら、この日のメイン・イベント!現地の拓大OB会員との会食の
集合時間である5時までにホテルにさえ到着してくれれば、
もう後はどこへ行こうとも黙ってYUKIについていくと心に決めたのです。(^_^;)

てなわけで、同じランタオ島に向かって我われは別のフェリー行くことのなったのです。
フェリーが着いたところには、ひなびたバス・ターミナルがあって、
どのバスに乗っていくのか判りませんが…YUKIは元気よく聞いてきました
バスに揺られること小一時間、終点の停車場でバスを降りたら!
感激です!!大仏さんが小高い山の上に見えるじゃないですか(^_^;)

連日の寝不足と旅の疲れで、普通なら大仏までの階段をみて暗くなるのが普通ですが
これでYUKIが満足してくれたらと、気分は爽快です。

大仏やお寺の入場料が23HK㌦で300円ちょっとですから安いものです。
足取りも軽く?大仏へと向かいます。
そして、着く前から必ず写真に撮って今回の仲間に見せなくてはと思っていた
大仏さん・YUKI・私の3ショットもバッチリ撮影することが出来たのです。(^_^)v

大仏さんの丘の下に入場券に含まれているポーリン寺というお寺があります。
とてもキンピカのお寺で楽しくなります。

境内に食堂のようなところがあり、ココで豆腐嫌いのYUKIがなぜか目を輝かせて
「ランタオ島に行ったらKENにお豆腐のデザートを食べさせてあげる」と言っていた
その”現物”が食べられるようなのです、
それも300円ちょっとの入場券に含まれているようなのです。

しかも驚いた事に,それにプラスして
ビーフンと点心(小さなお菓子)をそれぞれ2つづつ選べるという大判振る舞いです(^_^;)
豆腐花と書く名物のお豆腐デザートは、冷たくさっぱりとして大豆の香りと甘みも上品で
YUKIの分も合わせて2人前美味しくたいらげさして頂きました。
点心は美味しいの美味しくないの微妙なの色々ありましたが
ビーフンと全部食べれば、さすがの私も昼食はこれで充分という事で
YUKIは幸せそうでした。

それから少し境内やお土産屋さんなどを見て
帰りはバスでランタオ島の繁華街まで行って、そこから地下鉄にのれば
4時ごろまでにはホテルにつく予定です。
バスは来た時より早く繁華街に到着、そこはオグラ達が今日来ただろうアウトレットや
大きなスーパーがありました。
…という事は、最初からオグラ達とここまで来た方が早かったにではと
フッと思いましたが…口には出せません(^_^;)
それはともかく、ここのスーパーで土産類を買うことになり私はついていきました。

これでも5時までは余裕を持ってホテルの帰れるというので
私もあんしんして地下鉄に乗りました、でも乗り換えに時間がかかったり
けっこうギリギリだなーと不安になってきたのですが
YUKIもヒロコも大丈夫、地下鉄を出たところがホテルだからと、余裕です。 

それでも時間が迫って来たので早足で階段を登ると
「エッここはどこ?」…そんなことを言われても私には判りません。
どうやら駅を一駅間違えてようなのです。
YUKIの携帯は香港でも通じるようになっているので私は
「至急オグラに電話して!」と言いましたがYUKIは
「バッテリーが切れてる」と言うのです。(^_^;)

結局15分遅刻! 私を置いてホテルを出かける寸前でした(^_^;)
何せ、香港・マカオ・中国で活躍する拓大OB会の仲間10名との
会食が待っているのです。
会食はなかなか盛大で面白かったのですが紙面が足りません。
         
帰りにチリ在住で、この秋の皇居での勲章を受章で滞在している
我らラテン・アメリカ研究会のK先輩にラテ研OB会から時計を
送ろうという事になって時計店に。
店に入りきれない人達は外で立ち話をしていると、やたら物売りの男達が
声をかけてきます(^_^;)
そこえオグラが何やら声をかけたら、男達は苦笑いをしながら去っていきました。
さすが20年近い香港在住の貫禄?です。

この日は拓大OB会という事で夜は女性群とは別行動。
男たちで夜おそくまでホテルのバーでワインを飲みました。

香港の夜の最後はノムラを含めて同期の4人での記念写真です。

特別増刊号 香港・マカオ・珠海の旅6日間 11月23日(金)第04日目 香港市内観光の一日

11月23日第4日目  香港観光の一日

この日も朝6時30分にモーニング・コールです。
毎晩、深夜というより明け方まで、なんやかやとパソコンに
向かっている私には少々ツライ、スケジュールです。

この日は香港観光に一日となりました。
まずはマイクロバス朝粥をたべるためにレストランに向いましたが
ビールを飲んで朝から盛り上がります。

そしてオグラも来た事が無かったという、海岸にあるお寺

古い市場のようなところ?では
ほとんどが買い物もせず、またビールを飲んでいました(^_^)

そして香港の街が一望できるビクトリア・ピークへ。

次に香港の街の中にある、これまたお寺?を見て

飲茶の昼食でまたビールでもり上がります。

さて午後のコースが困ったものです。
香港の団体旅行の場合はコレを組み込まないといけない
”掟”てもあるのでしょうか(^_^;)

まずはシルク洋品の店に強制連行?されました。
店に入るなり入り口のドアは閉められ女子店員に包囲され
甲高い声で立て板に水のようにしゃべり続ける
セールストークには冗談で対向するしかありません

次に拉致?されたのは漢方のお店です。
ここでも部屋に閉じ込められアグネス・チャン訛りの日本語
これまた漢方の効用をペラペラとしゃべる姿を笑うしかありません。

結局、笑うだけ笑って何も買わずに難を逃れた我がツアーですが
ガイドから後で聞いた話ですが、我々が怖がったそうです(^_^;)

そして3軒目はお決まりの免税店ですが…
我が家の場合は空港の免税店で出発間際に機内持込で
自家消費用?にお酒を買うぐらいで、ここも見るだけで自由行動へ。

YUKIとヒロコは香港の街を探索に出かけ
私は待ち合わせ場所のホテルのラウンジでビールを飲みながら歓談。

ここから夕食の海鮮料理のレストランへ。
ココでの大きなシャコ唐揚した料理はけっこう美味かったです。   

そして今夜のメイン・イベントは香港の夜景の光と音のシンフォニー。
そのスケールと鮮やかさは誰も忘れえぬ思い出になったはずです。

興奮さめやらぬ帰りのバスの中で…

明日の自由行動についてオグラが提案をしました。
「もし予定が無いのならランタオ島に出かけようと思っているのだけど…」と、
写真~その1

実はYUKIはこの香港旅行を決めた時から、なぜか?ランタオ島に惹かれいて
自由行動の日はそこに大仏さんがあったり
お豆腐にデザートが名物で…なんて、とても楽しそうに語っていて
出来たら自由行動の日はランタオ島に行きたいと前から言っていたのです。
そのランタオ島にオグラがみんなで行かないか?と言っているのです。
YUKIは私に「じゃー大仏さんに行くのかしら?」と問いかけます。
写真~その2

私は「そんな事は私に聞かないで直接オグラに聞けば」とYUKIに言ったら
YUKIはバスの一番後ろの席から手を元気に上げました。
写真~その3

そしてYUKIは目を輝かしながら言いました…
「ランタオ島にいくのなら是非とも大仏さんを見たいと思うのですが…」
写真~その4

でも、オグラの答えは冷たいものでした。
「ちょっと、それはスケジュール的には厳しいですね」
YUKIの表情からヒカリが消えてしまい寂そそうです。
写真~その5

イシイ先輩がYUKIにたずねていました。
「ランタオ島の大仏さんて何かあるんですか?」
「大仏さんとか、お豆腐のデザートとか…いろいろあるんです」
イシイ先輩はYUKIの答えににならない答えを不思議そうに聞いていました。

特別増刊号 香港・マカオ・珠海の旅6日間 11月22日(木)第03日目 マカオ→珠海→マカオ→香港

11月22日第3日目  マカオ→珠海→マカオ→香港

朝6時のモーニング・コールです
前の晩はパソコンと向いあってベッドに入ったのが午前3時30分
またもや、ほとんど寝ていません(^_^;)

今日はマカオから中国本土の珠海に渡って、それからマカオを観光し
香港に戻るというスケジュールのです。

すなわちこの日は【マカオ】→【珠海】→【マカオ】→【香港】というコースを
とるわけですが、昔はともかく今はすべて中国なのだから
行き来は楽になったのだろうというと思っていました。

ところがびっくり!この日、パスポートに押されたスタンプです!
まだ次ページにも2箇所押されています。
それにここを通過する度に出入国カードも書かなければなりませんし
それに、なにしろ人が多くて時間がかかるのです(^_^;)

夏に憧れのスペインに行った時はミラノ経由の便で行ったため
イタリアの入国スタンプが押されただけでスペインは同じEU圏内であるため、
何も押されておらず、少々がっかりしたのですが、
今回はそのまったく全く逆というわけです。

この日は「イミグレーション・ツアー」と覚悟を決めれば
それはそれで中国を感じる貴重な一日となります(^_^;)

さて…ホテルのビュッフェで朝食を済ませ、マイクロバス
少し行ったところに中国との国境があります。
陸地を使って渡る事も出来るのですが、船を使うコースが空いて
いているとの事で、行きは船コースで国境?を越え中国本土へ。

孫文が生まれた珠海市の中山にある孫文記念館は見ごたえがありました。
 
マカオに戻りポルトガル料理の昼食! 
そしてマカオ観光! 
我々より2年先輩のイシイ、ヤマシタ、キムラ3先輩。
余談ですが…YUKIとMrs.オグラとMrs.キムラは偶然にもS24年の4月&5月生まれでした。

香港に戻ってホテルで一息つく暇もなく
今回のツアーで食通のオグラがもっとも豪華な食事と自慢するレストランへ。
ここで、やはり香港在住で活躍する同期のノムラも参加!
美味しい食事と、美味しい老酒、それに久々のノムラをかこんで
多いに盛り上がりました。
この日の料理の数々です。
マンゴ・プリンはこのお店が発祥だそうです。

その後、ヒロコは、まえもってインターネットで調べておいた
香港のサルサ・クラブへどうしても行きたいという事で
そこまでの行き方をオグラに聞いていたのですが、
結局、オグラ夫妻とタクシーで一緒になって連れていってもらったそうです(^_^;)

特別増刊号 香港・マカオ・珠海の旅6日間 11月21日(水)第02日目 香港ツアー集合!マカオへ

11月21日第2日目 香港ツアー集合!マカオへ

毎日、昨晩は睡魔にまけてダウン!

この日は朝8時前に起床し第1日目のコラムを完成させなけばなりません。
この作業は文章はともかく写真をリンクするのに時間がかかるのです。

でも写真は私に楽しみですし、帰国してから書いたのでは誰も見てもらえません。
また私自身も帰国してからでは、書く時間がつくれずに
忘れてしまうかもしれません。(^_^;)

リンキンの興奮も冷めやらぬヒロコはゆっくりとお目覚め…
午前中はYUKIもヒロコもパソコンに向ってなんやかやとやっていたら
直ぐに12時のチエックアウトの時間です。
今日は、私たちが昨日香港に到着した同じJAL731便で
今回のツアーのメンバーと合流します。
2時までにオグラ夫妻も空港に行っているという事で
昨日のようなバスでは遅れては大変と、
確実なフェリーと地下鉄で行く事にしました。

ホテルから徒歩でフェリー乗り場まで向いました。 
そこから向い側の香港島までは10分程度、 
香港島のフェリー乗り場からまた、けっこう歩いて(^_^;)
空港行きの地下鉄乗り場へ。
地下鉄はとても快適でスマート
空港のロビーに直接到着して、大きなトランクをもっていても
段差なしで、そのまま入っていけるのは感動モノです。

ここでやっとこの日食事にありつけました。

そして到着ロビーでまず今回のホスト役の香港在住のオグラ夫妻と合流。
成田からの一行を待ちうけました。
たった1日早い到着ですが、一行を迎え入れるカタチになった私は
「現地の旅行社みたいだね!」と言われてしまいました(^_^;)

ここから今日の宿泊地であるマカオに向います。
貸切バスで今度は、マカオ行きのフェリー乗り場まで向い、
高速フェリーで約1時間マカオに到着です。

そこにはバスの迎いがあってホテルに一旦チェックインしますが
直ぐに、食通のオグラが推薦するポルトガル料理の美味しい店に。
美味しい料理とポルトガル・ワインに青島(チンタオ)ビールに酔いしれ、
ひさびさに満足できる食事にありつけました。

レストランで全員集合の写真を撮ったのですが…
ヒロコが遅れてきて、入いりそびれてしまいました。

マカオと言えばカジノです!
と言っても我が伝統ある拓殖大学『ラテン・アメリカ研究会』には
そのような、ばくち打ちは存在せず(^_^;)…
その豪華さだけでも見学しようと有志だけの参加です。

いやはや、十数年前のマカオとはもうスケールも豪華さも 段違いです。
カジノ内は撮影厳禁でご紹介できませんが、豪華さもさることながら
なにしろ広いのです。
中国人のギャンブル好きは有名ですが、何だか怖い気持ちがします。

カジノもさる事ながらアーケードもモノスゴイのです(^_^;)
夜なのに昼間なのです!
延々と続くアーケードの天上には青空がえがかれ雲が流れ
古いヨーロッパの街や大きな広場が再現され
コスチュームをまとったタレントがパフォーマンスや踊りを舞って
ソコには運河が流れ、ゴンドラまでが行き来をしているのです(^_^;)

カジノがいかにボロ儲けが出来るビジネスなのかの証明のようで
不思議な気持ちになってしまいます。

豪華なタクシー乗り場からホテルに到着。
「これから飲みに行かないか」と、誘われましたが
私にはホテルに戻ってやらなければならないコトが山ほどあるのです。
そして今パソコンと向かいあっているのです。(^_^;)

特別増刊号 香港・マカオ・珠海の旅6日間 11月20日(火)第01日目 我が家から香港に!九龍のホテル

11月20日第1日目 我が家から香港に!九龍のホテル

その日の出来事はその日のうちに、と思っていたら
第一日目からコケてしまいましたに(^_^;)
昨日、午前3時ついに睡魔にまけて寝てしまったのです。
あのまま頑張っていたら2日の徹夜になってしまうからです。

今、2日目の朝、午前8時ホテルから書いています。

だいたい出発の前日は徹夜というパターンですが
今回もやってしまいました(^_^;)
少しは睡眠をしておこうと思ったのですが
旅行バージョンの留守電をセットしようとしたら、電話が壊れてしまったのです(^_^;)
6日間も留守にするのに、これでは現地から留守電のメッセージが聞けず大変です。

成田空港にはクルマを預ける都合もあり7時30分までには着かねばならず
時間がりません。
メカに弱い私が必死で応急処置をして、どうにか録音だけは出来よにしたら
もう出発の時間になっていたのです(^_^;)

午前5時30分、ヒロコの運転で成田空港に向いました。
いつものように成田空港の讃岐うどん屋さんで朝食
そこでYUKIも結局徹夜で書き上げた書類の最終しあげをして投函!
いつものように最後まで慌しく機上の人となりました。

機内で少しでも、出来ることはと思っていたのですが…
昼食でのビールを二缶飲んだら、居眠りをしてしまいました。
香港まで4時間30分、ボーと、したまま到着です。

香港は4度目の訪問になりますが中国に返還されてからは
初めての訪問で、また新空港も初めてです。
以前の空港は香港の街のど真ん中にあって
「香港についた!」という感動があったのですが
新空港はドギモを抜かれるほどの大空港で何が何だかわかりません。(^_^;)

この日は、我が家のワガママで団体旅行を一日はやくしたもので
ホテルにいくのも自分で、行かなければならないのに
YUKIは、その行き方を書いた書類を忘れてきたのです。
そこでナンやかやと広い空港内をウロチョロし、香港ドルの両替をしたりして、
やっとシャトル・バスに乗って、ホテルのあるか九龍島へ!

途中の景色は高層住宅が延々と続き、まだまだ建設されています。
九龍島の市街に入ると大渋滞で結局ホテルまで1時間以上かかってしまい、
結局予定より3時間ほど遅れてのチエックインです。

ヒロコはこの日の『リンキン・パーク』のライブが”命”で…
もう気持ちは”ライブ会場”で、サッサと一人で出かけてしまいました。

YUKIと二人でひさしぶりの香港を探索
まずは我がホテルのすぐ隣にあり、香港一の高給ホテル『ペニンシュラ』
写真だけ撮って(^_^;)…  
一時間ほどぶらぶらして  
セブン・イレブンでビールだけかってまずはホテルで乾杯!
ネットを開けたら保険相談のメールが、こんな日に限って数件も入っていて(^_^;)
その返事を書いていたらヒロコが午前0時近くにライブの興奮さめやらずご帰還。

それから3人で食事に出かけたのですが、もうやっているお店も少なく
ちょっとショボイ、でも香港らしい、お店で、我が家らしい夕食?をすませてホテルへ。

この日は週3日のブログを書く日でもあり
それを書き終えたら、もう午前3時で、さすがの私も力が尽きて
寝てしまったという次第なのです。(^_^;)

2007年11月19日200号 20日から香港へ

週間KENは早くも200回を迎えてしまいました(^_^)
これもヒトエに皆様のおかげと思っています。
こんなバカバカしい、ひとりよがりで好き勝手に書いているコラムですが、
「毎週月曜日は楽しみにしているよ」なんてキトクな方にオダテられて
気が付けば年52回で4年近く一回も欠かさずやってくる事が出来ました。

その間、週間KEN臨時増刊号として昨年の【ドイツ・ワールドカップの旅】が大好評で、
それに味を締め今年は【スペインの旅】を掲載させて頂きました。

そして今回!200回記念として!!…というのは冗談ですが(^_^;)
【香港・マカオ・珠海の旅】も出来れば連日、現地からレポート?していきたいと思っています。
今回の旅はYUKIとヒロコの3人のメンバーは変りませんが、基本的には団体旅行です。
何の団体か?というと、
私の学生時代(拓殖大学)のクラブ(ラテン・アメリカ研究会)のOB会の旅行なのです。
OB会の団体旅行というわけですが日本から参加するのは我が家の3人を含めて総勢11名、
そして香港在住の私と同期のオグラとその奥さんのキエちゃんが現地で迎えうつという
こじんまりとした、気心のしれた旅というわけです。

このような旅になぜ?ヒロコまでが…といえば、
オグラ夫妻が大好きで、それに香港も大好きなようで、
旅行代は自己負担で有給休暇を利用しての参加です(^_^;)

ところがヒロコの都合で本当は21日から25日までの4泊5日の旅が
我が家だけ1日早く20日に出発することになって5泊6日の旅になってしまったのです。
『リンキン・パーク』というアメリカの人気バンドをご存知ですか?
まー私も含め多くの人達は知らないでしょうがヒロコはその大ファンのようなのです。
(大好きなものが、とても多いムスメでして^_^;)
ところが彼らの東京公演がたまたま、この香港旅行とぶつかって、ガッカリしていたのですが、
ナンと!彼らが来日する前の公演が20日に香港であるという事を知って大騒ぎ?になったのです。
ヒロコの執念は大変のもので、まず香港公演のチケットを手に入れたのです。
次にもう旅行費用も全て支払っているのに出発日を変更するというのです。

実はこの旅行は今回のツアーの参加者の一人でもある後輩のナミカタ君が経営するアート・ツアーが
手配をやっていて、思ったより参加者が少なく、我が家の3人は貴重な存在で
ナミカタ君まで自費参加して10名をクリアしているのです。

もう、こんなワガママは、いくら後輩と言え私のクチからは言えません。(^_^;)
「自分からナミカタ社長に電話して交渉してみろ」と私はヒロコにいいました。
ヒロコは早速電話をしたようです。
「ほんとうにソレでヒロコさんの夢がカナウのですか?」とナミカタ君に言われたそうです。
「ハイ!」…とヒロコは元気に言ったら、
「そうですか、だったら頑張ってみましょう」と要望に応えてくれたのです。

もちろん若干の追加費用はヒロコに負担させましたが…
ハレて??家族3人が一日早い出発をする事になったというしだいです。
(もちろん公演はヒロコだけで私とYUKIは事態しました)

てな事で、どんな旅になるのか?わかりませんが…
今回は先輩4名、同期2名(私を入れて)後輩2名に配偶者2名(YUKIも入れて)それにヒロコ
そしてオグラ夫妻の総勢13名の旅をどうレポートしていくか?
楽しみにして頂ければと思います。

2007年11月12日199号 ボランテァから学ぶもの

我が家のカレンダーの11月9日金曜日の欄には早くから
『茶屋エポック』と大きく書き込まれていました。
今年初めの157号で東大和(東京都)の洋菓子店『茶屋エポック』が地元の
イトーヨーカ堂(東大和店)での催事にボランティア参加した事を書きましたが
ヨーカ堂さんもよっぽど企画が無いのか(^_^;)今年3回目の催事が模様されているのです。

2回目の催事も、早くから店主のエノちゃんにボランティアを頼まれていたのですが
すっかり忘れてしまいスッポカしてしまったのです。
翌日になって、その事に気付いて私は大慌てで
「こんどある時は、もう万難を排して参加するから…」と謝罪したら
「うん、このあと11月の初めにもあるから」とあっさり言われてしまい
カレンダーの11月9日金曜日に大きく『茶屋エポック』と書き込むハメになってしまったのです。(^_^;)

さて9日当日です。
今回は銘菓・芋窪街道の原料となっている野村農園の焼き芋担当です。
でも、なんだかとても暇で前回も隣で、前回も美味しいコーヒーを差し入れしてくれた
地元珈琲店の社長さんが訊ねてきました…「完全にボランティアなの?」
「それゃそうでしょ、こんな売上げで日当はもらえないでしょ」と私、
「それにしてもココの店主は人使いが上手いね、入れ替わり立ち代わり手伝いが来て…」
と珈琲店の社長が言っていたらエノちゃんが戻ってきました。
「クシャミしなかった?」…と二人で笑いながらエノちゃんに言いました。

次の日はニートの青年が手伝いに来るそうで、これも恒例になっているようです。
彼の母親も『茶屋エポック』のファンで、息子がそんな事を自らするのに最初は驚いたようです。

なぜニートの青年がボランティアでエノちゃんの店を手伝うのか?…私は考えました。
そう云えば先月テラさんのタイ・カレー店が区民祭に出店した時も沢山のボランティアでした。
エノちゃんの店もテラさんの店も…共通点がある事に気がつきました。

それは、両者ともスローフードで効率性も生産性も悪いという事です(^_^;)

ニートやヒキコモリが増えた理由として、社会が豊かで平和だから、親が悪い…諸説あるようですが、
私は彼らの多くが非常に繊細な神経と潜在的予知能力を持っていて、
効率性や生産性を追いかけマニュアル化され個性までもが平準化されていく競争社会に
『警報』を鳴らしているように見えてならないのです。

隣のブースで無添加の食材を売っている店主が声をかけてきました。
「あんなケーキ食ってて大丈夫なのかね?俺にはわからねーよ」
この日から、すぐ前に【100円ケーキ】のブースが設けられ、そのおかげで?
こちらの食材を厳選した手作りのケーキ380円は煽りをうけているのです。
そう言っている無添加食材の店主が粉だらけになってテマヒマかけて作ったうどんも
かなり売れ残っています。(^_^;)

私はココでの前々号で触れ私のブログでも議論になっている【赤福騒動】に話題が移りました。
「こまった問題だね、なんせ消費者が大量生産で安い商品ばかり買い漁るのだから
表示に頼るしか無いって事なんだろうけど、我々は毎日その場で作って、その場で売ってんだから…
まったく、わけのわからない、いやな世の中だよね…」
…まだまだ愚痴が続きエノちゃんとも話がはずんでいました(^_^;)

この日は夜、この近くのお客様の所に寄る事になっていて、
その帰りの夜の9時過ぎに『茶屋エポック』によってみました。
やっぱりエノちゃんは明日の催事で売るための【銘菓・芋窪街道】を午前1時まで作って
翌朝は6時からその日に売る生のケーキを作るのだ、とボヤイテいました。

ほんとうに効率の悪い商売ですが、けっこう楽しそうで
コンサルタントのつもりで係わった私ですが多くの事を学ばせて貰っています(^_^;)

2007年11月05日198号 ちょっとだけ違った一日

早いものでもう11月です。
毎年、大晦日までカレンダー配りの追われる、その今年のカレンダーも山と積まれました(^_^;)
そして年末モードに入る最初のイベントが毎年この時期に開催される
荒瀬順子さんのマリンバ演奏会に例によって家族3人で出かけました。

いつもはどこに行くのもクルマで出かける我が家ですが
この演奏会はバスと電車を乗り継いで行くことになっています。
と言っても会場のある狛江(こまえ)は我が家からクルマで行けば10キロもない距離。
なぜクルマで行かないか?といえば…
コンサートの休憩時間に美味しいワインが出ること。
そしてコンサートが終ったあと、
仲間と食事やお酒を飲むことになる可能性がとても高いからです。(^_^;)

しかし今年は、そんな時に音頭を取ってシキッてくれる”全クンのママ”がいません。
毎年…同じ会場、同じ時期に 行なわれるコンサート。
客席も演奏家も、いつのまにか顔なじみになってアット・ホームな雰囲気が漂っています。
だからこそ”全クンのママ”がいないのに私はとても寂しい気持ちになってしまいます。

キューバのロス・バンバンのライブもエキサイティングで大好きですが疲れます(^_^;)
だんだん年齢を重ねていくとマリンバの調べは疲れるどころか心を癒してくれます。
もう順子さんのマリンバはヒロコがゼロ歳の保育園の頃から聞いているのですから。
順子さんに初めて合った時に
「芸大の角倉一朗先生とはご親戚ですか?」と言われたのが最初でした。
私から「健」の字を一字取った親戚で、バッハの授業で順子さんの先生だったようです。
そんな縁?で、荒瀬さんは私とクラシックな?お付き合いが始まるわけですが(^_^;)
私の方は「健」の一字が多いだけでクラシックには縁もユカリもないのに
今日まで長~いお付き合いをさせて頂だいています(^_^;)

とは言っても演奏される曲はブルーノート・ジャズやラテンとレパートリーも広く
アツというまに時間が過ぎていってしまいます。
そして、もう一つの楽しみが休憩時間を利用してのコーヒー&ワインのひと時。
順子さんのご主人の和順さんは元辣腕クリエーターでこの日もサウンド調整を担当、
コーヒーやワインにも造詣が深く、いつも美味しい飲み物が用意されのです。

ヒロコの保育園時代の園長先生も見えていて懐かしく挨拶したのですがヒロコは
覚えていないのには意外な気がしましたが、考えてみたら当然かもしれません。(^_^;)
でもヒロコの小学校時代の友達となると卒業以来でもお互い気付くようで盛り上がっていました。

ワインの係りは今年もヒロミさん(順子さんの長男でヒロコの保育園の同級生ナオキ君の奥さん)
私がワインの3杯目のオカワリに恐縮していくと「私もバンバン飲んでますから!」と明るく
言って頂き、我が家の呑んべい3人組みは遠慮なく頂戴いたしました。

そして、ほろよい気分で聞いた第二部の素晴らしい演奏、そしてアンコール…。
今年も恒例のマリンバ・コンサートは無事終了し会場をアトにしたました。
でも何だかいつもと違います、そう…「じゃーこれから○○に行こう!」と音頭をとる
全くんのママが居ないのです。
だったら私が音頭を取ればいいのかもしれませんが、この日はヒロコも1時間ぐらいの
時間しか取れないという事で、なんとなくその場で解散してしまいました。
せっかくクルマを置いてきたのに(^_^;)

でもヒロコは1時間ぐらいの時間はあるという事で
狛江駅の近くのドトールに3人で入る事にしました。
YUKIはコヒーが大好きなヒトですが、なぜか喫茶店でコーヒーを飲むのはキライなヒトなのです。
したがって家族3人で、どこでも出かける我が家ですが、
家族3人でドトールに入る何て事は初めてで、貴重な経験をさせて頂きました(^_^;)

そして狛江駅でヒロコと別れ私とYUKIは電車とバスで家路につきました。
なんだか、とても普通な、しかしちょっと違った一日でした。

2007年10月29日197号 【日々雑感】赤福/亀田一家

私は幼い頃、何でオトナは世間ばなしをあんなに出来るのか不思議に思っていました。
もう少し大きくなってテレビでのコメンテーターや解説者の発言を聞いて
なんであんなに色々とコメントが出来るものかと感心したものです。
しかし歳を重ねてくると、今度はマスコミでの報道やコメントを聞いていると
「何だ!それは違うのではないか!」…テレビや新聞を見ながら怒っている自分を発見します。(^_^;)

こうして人間は【頑固じ○い】【頑固ば○あ】になっていくのでしょうが
そうならない為の一助として(^_^;)時々、日々雑感として気になるニュースをとりあげ
”ガス抜き”をさせて頂き【頑固じ○い】への進行をくい止める一助になればと思っています。
YUKIは,もうとっくに私のことを【頑固じ○い】だ!と申しておりますが(^_^;)

《赤福の無期限営業停止》
亡くなった父は赤福が大好物で名古屋や関西に出張に行くと必ずと言ってよいほど
お土産に買って来て家族で食べたのを懐かしく思い出されます。
昔は辛党で通っていた私も赤福は甘さも上品でお餅も柔らかく美味しかった印象が残っています。
さて…その赤福が無期限の営業停止になったそうです。
理由はいったん店頭に出した赤福を回収して冷凍・解凍し、
新たな消費期限を設定して出荷した行為が食品衛生法に違反したということらしいのです。
たしかに消費者としても気持ちの良いものではありませんし、
ホームページでも毎日作りたてを販売と偽っていたわけですから問題です。

この行為を30年以上も続けられてきたようです…
今回の騒動も食中毒とか消費者に具体的な被害があったのではなく
内部告発によって明るみになったようです。
ようするに30年以上も何の被害もなくやってきたという事です。
ミートホープ社のように食材を偽って来たのではなく、
売れ残った商品で再利用出来そうな商品を処分せずに使っていたということで
昔はどこでも誰でもあたりまえにやっていた時代があったのです。

私がケーキ屋KENちゃんの時代も残ったケーキはほとんど捨てていましたが
中でも再利用出来そうなものは干しぶどうと一緒に煮込んで『レザン』という商品を作っていましたが
私の大好物のケーキでした。
和菓子の『きんつば』も今はどうか知りませんが、昔は余ったアンを練り直して作ったと聞いています。

21世紀に入って「もったいない」という日本独特の表現が世界から評価される時代になりました。
消費者に偽った表示をした事は問題ですが、長い歴史と経験の中で再利用しても品質を保ち、
お客様から好評を得て保健所からの立ち入り検査もクリアしてきたのですから
無期限の営業停止とは、あまりにも厳しい処分ではないでしょうか?

ミセシメと言う意味もあるのでしょうが…
この事によって人間の経験による判断は排除され、
ただ売れ残った商品は全て自動的廃棄処分されていく事になっていくことでしょう。
ことのホンシツよりも法令順守すること自体が重んじられる時代になったようで…
私にはその方が恐ろしいように思えるのですが。
《ボクシング亀田家の騒動》
私はボクシングにはあまり興味はありませんが亀田ファミリーの存在は知っていました(^_^;)
彼らの言動がおもしろ可笑しくテレビに登場していたからです。
だからと言ってボクシングの試合は見た事もありませんし、見ようとも思いませんでした。
ただテレビのニュースで亀田大毅が内藤選手を持ち上げている画面を見て
亀田らしいと大笑いをしてしまいました。
そして判定で亀田大毅が敗れたとの事ですが、このような騒ぎになるとは
ニュースだけをチラッと見た私には思えませんでした。

ところが、この大騒ぎです!
父親の亀田史郎はボクシング会から身を引くことになり
亀田兄弟もぐりぐり坊主になってマスコミから叩かれています(^_^;)

長男の亀田興毅が亀田家を代表しての記者会見には多くの報道陣が集まり
フラッシュの集中砲火を浴びせられ精一杯の対応をしていますが
彼にはなぜ?このような事態になったのか充分には理解出来ないのではないでしょうか?

ここまで亀田ファミリーを持ち上げてきたのはマスコミでありファンのはずです。
問題の大毅選手の試合の反則ですが、それほどの大問題になるような反則だったのなら
なぜレフリーがその時点で即座に試合を終了させ大毅選手の敗北にしなかったのでしょうか?
このような試合が続行されたならそこで客席から試合が続行出来ないほどのブーイングが
大毅選手やセコンド陣に浴びせられるべきではなっかたのでしょうか。

おそらく、レフリーもテレビ局も客席も、そしてテレビの視聴者の多くも、
反則負けで試合が中止されるより、最後まで亀田ボクシングのパフォーマンスを見たい
と思っていたのではないでしょうか?
そして亀田ファミリーもそのサービスに徹しようとしたのではないでしょうか?
少なくても私にはそう思えてなりません。

ようするに、よくある事ですが、亀田ファミリーはマスコミに持ち上げられ、その気になってしまい
…こんどはマスコミに葬られようとしているのです。

でも亀田興毅の一人での記者会見に好感を持った人も多いでしょう。
彼はこの現実をしっかり受け止め、今回の悔しさをバネにして力を付けていけば
素晴らしいボクサーになれる予感が私には感じられまあいた。
もちろん、今のキャラクターを保ちながら…(^_^;)