2010年05月24日331号 アニーのバースデイ・ケーキ

3月、ヨットきらきら号でお世話になったヒロコの仕事仲間アニー(Fさん)の誕生会を自宅で開く話は
ヒロコから聞いていました。
5月20日(金)その当日、バースデーケーキをどこで買おうかヒロコが悩んでいました。
ヒロコも仕事が終わって駆けつけるようですが、
アニーのマンションがある麻布界隈では高そうだし、それに、
そのお店に適当なバスデーケーキが置いてあるとは限りません。

夕刻、私は出先からその事が少し気になったので
ヒロコに確認すると「持ってきて頂ければ助かる!」という事。
ヨットの御礼も兼ねることが出来るので
ここは、その昔ケーキ屋KENちゃんと呼ばれた私が人肌脱ぐ事にしたのです。

東急田園都市線の宮崎台駅前で
『ショコラ・ベア』というケーキ屋を開業している昔の仕事仲間、大熊君にケータイから電話。
彼は二つ返事で、今から作っておくから大丈夫とのこと。

午後8時、YUKIと私は『ショコラ・ベア』でバースデーケーキを受け取り
一路、麻布のアニーのマンションに!
室内は宴たけなわの大賑わい!
なんと!ヨットきらきら号でも一緒した、ヒロコの従妹(私の姪)
ロイターのカメラマン、ユリも来ていて、それ以外にも知っている顔もチラホラ…
アニーも大声で「ヒロコのパパとママも来て頂きました!」と皆んなに紹介され
ケーキを置いて直ぐに帰れるような雰囲気ではありません。

とは言っても、クルマで来ている私はビールやワインを薦められても
飲むわけにはいかないのに、YUKIはもうサッサと飲み始めているではないですか(^_^;)
けっきょくYUKIはすっかり出来上がってしまい超ゴキゲン!

アニーは先月で念願のフリーになって
カンボジヤのボランティアに全エネルギーを注入するそうです。
実は姪のユリも休暇を取ってですが、来月そうそうカンボジヤに行くそうです。
集まったメンバーはジャンルを問わずもうバラバラ(^_^;)
ただし、アニーの仕事柄、また場所柄からか、トレンディーな方達が多く、
アニーの個性的で純粋な熱き思いを誰もが心から受け止めているようです。

ヒロコが務めていた会社のボス、リチャードがヒロコの同僚カオリさんとやってきました。
(カオリさんは火曜日にイスラエルに結婚のために移住するそうです)
けっきょく私はお酒を一滴も飲まず最後までおつきあい、
ユリとカオリさんを自宅まで送り、午前3時過ぎに帰宅。
この日はブログを書く日だったため、ベッドに入るときは外は明るくなっていました。(^_^;)

2010年05月17日330号 綾さんの夢

現在88歳の綾さんの今の夢はキューバに行くこと。

綾さんとのお付き合いは40年以上になりました。
私が大学を卒業し洋菓子のフランセに入社した時、課長だったのが綾さん。
3年前の週間KENにもAさんとして登場しています。

私の母親と同い年ですが気持ちは若く、とても気があう世代を超えた友人のような関係です。
そしてもうかなり以前から「キューバに行こうよ!」と誘われていながら
チャンスが無いまま今日に至っているのです。

お子様がおらず60歳を過ぎてからドイツ語・スペイン語・フランス語の勉強を始め、
ヨーロッパの伝統的なお祭りの時期などに
田舎のホテルにじっくり滞在し人との触れあいを楽しむという旅をされてきたのです。

そのような旅の話を私は楽しみに聞かせてもらい
「いつか一緒に行きたいですね」との思いが積み重なり
それがいつの頃からか「行くとしたキューバがいい!」と、なっていったのです。

そんな綾さんもココ3年ほどは海外旅行はしていません。
奥様が足を少し悪くされたのと、高齢者が一人での旅行は旅行会社が引き受けなくなったからです。
そうなるとマスマス綾さんは
「元気なうちにキューバに行きたい!」という気持ちがつのるようです。
そしてヒロコがキューバ好きで旅行した事もよく知っていて
「ヒロコさんの旅費は出すから連れていってもらえないかな~」…なんて事を
先月GW前に火災保険の更新に伺った時につぶやいていたのです。

ヒロコは8月の終りからボストン大学の大学院に留学予定でそんな時間も無さそうですが…
本人にそのハナシをちょっとすると、「旅費を出してくれるなら行く行く!」…ノリキです(^_^;)
とは言っても6月20日に宮崎での日本舞踊の披露があり、
7月8月の真夏のキューバは88歳の綾さんでなくてもコタエソウで実現には厳しいものがあります。

15日(土)、先月の火災保険更新の書類に不備があって署名をもらうため綾さん宅にYUKIと
伺いました。
キューバのハナシはするつもりは無かったのですが、綾さんの気持ちは強く、
「みんなの旅費は出してもいいからキューバに行きたい!」と言われるのです。
いくらなんでも年金でつつましやく生活されている綾さんに3人の旅費を出してもらう事は
出来ませんが、その思いの強い事に衝撃をうけました。

そして私自身も綾さんが元気なウチに一緒にキューバに行きたい!という思いが湧いてきました。
足の悪い奥様も、我々と一緒に旅をするならとの気持ちがある事が伝わってきます。

まったく今の時点では、お金も時間も余裕も何も無い状態ですが…
「今しか出来ない事を今する!」という私のモットーがアタマをもたげてくるのです、困った事に(^_^:)

※15日(土)にお伺いした時の写真です。
    

2010年05月10日329号 GWツアーを終えて

4月29日(土)早朝に我が家を出て5月9日(日)未明、
のべ11日間の旅から無事帰宅しました。

具体的な目的といえば来月の義母の踊りの会に、
YUKIとヒロコが参加する事になって、その稽古をするためですが、
これもゴールデン・ウィークでなければいけないわけではありませんが、
どうせ行くなら1000円で行ける休日特別割引をフル利用して…といつもの魂胆がアタマをもたげ
細かなスケジュールは情況まかせという事で、
パソコンに仕事道具もクルマにのせて、なにはともあれ家を出たというわけです。

したがってホテルもYUKIがいつものようにインターネットを駆使して
安い宿を探しながらといういつものパターンですが
国内旅行でこれほどの長旅をしたのは初めてでしたが、けっこうエンジョイする事が出来ました。

先週号では29日、30日の奈良での二日間を掲載しましたので
今回は1日(土)から8日(土)まで一挙に載せさせて頂きます。
毎日50枚ほどの写真を厳選?し、画像は落ちますが2分チョットのスライドショーをご覧頂ければと存知ます。

●5月1日(土)
ダイエットと健康管理で毎朝ホテルの近くを散歩する事に、この日は四天王寺へ。
ホテルに戻り朝食をとって、午前11時一路宮崎に直行!宮崎に午後11時着、950キロ。
宮崎県庁側のビジネスホテル泊。

●5月2日(日)
宮崎県庁から大淀川を散歩、戻ってくると県庁前で朝市が。
YUKIとヒロコが起床、今回のメインイベント、義母のところで…
ヒロコは【春雨】YUKIは【黒田節】の稽古、本番は6月20日!

●5月3日(月)
この日のKEN散歩は宮崎市のメインストリート橘通りや宮崎駅を散策。
もちろんYUKIとヒロコは踊りの稽古。

●5月4日(火)
YUKIの妹キョウコさんも弟ヒロアキさんもと宮崎の最南端【都井岬】には行った事が無いということで
みんなで行くことにしました!合計6名でレンタカーを借りてのドライブです。
ゴールデン・ウィークなのにまったく渋滞もなく、とても綺麗な景色を堪能しました。

●5月5日(水)
この日の散歩はホテル敷地内のゴルフコース周辺!
宮崎最終日で踊り本番で着る着物でのお稽古。
午後3時に宮崎を出て福山市(広島県)へ
 

●5月6日(木)
福山市のホテル周辺の河川敷を散歩。
ホテルのコインランドリーで洗濯(^_^;)福山城を散策し…
尾道からしまなみハイウエーで松山(愛媛県)へ、道後温泉で一風呂。

●5月7日(金)
この日は雨で散歩は中止、
午前10時に松山のお客様Kさんがお勤めの愛媛県庁にご挨拶に。
平日で高速割引が無いので国道33号線で高知市へ、途中の景色が美しい!
そして龍馬の桂浜、土佐の料理とお酒も堪能(^_^;)
 
●5月8日(土)
朝の散歩は龍馬誕生の地まで、帰路は市電で…
ホテルを10時に出て香川県の金毘羅さん、金毘羅歌舞伎の金丸座!
丸亀城を散策、瀬戸大橋を経由して、9日午前1時に我が家に無事帰宅。

2010年05月3日328号 平城遷都1300年

4月29日、東名高速道路を下り120キロほど走ったところで…
私の愛車が記念すべき走行距離30万キロに達す瞬間がやってきました。

クルマのメーター299995キロあたりからデジカメを用意し300000キロの瞬間を
撮影しようとカメラを構えたのですが299999キロからメーターが止まったままです!
なんと、このクルマは30万キロで”打ち止め”になっているようです(^_^;)

メーターの製造工程を考えると6桁目だけ2で止める方が手間が掛かるのでは、なんて
考えてしまうのですが、ソレをわざわざそうするには何だかソレ以上乗ってはいけないのかと
心配になってしまいます。
オイルランプが点灯して、はじめてエンジンオイルが切れている事に気付くほど
何の手入れもしないでまもなく10年目になるトヨタヴィスタ、まだまだ走って頂かなくてはなりません。

さてクルマは、それからさらに500キロほど走って、奈良の飛鳥に!


翌日30日には奈良東大寺他と遷都1300年の平城京跡に行ってきました。


でも、これはあくまで途中経過、旅はこれからで現在は宮崎にいます(^_^;)
それは次回の週間KENで。

2010年04月26日327号 「そりゃ無いだろう!」

「そりゃー無いだろう!」…
最近、仕事をやっていてそう思う事が本当に多くなりました。
仕事とはもちろんロコハウス、保険代理店のハナシです。

私は店舗経営という客商売から40歳でこの業界に入った時から
そのようなクールな視線で今日まで見てきたわけですが
もう毎日が「そりゃー無いだろう!」の連続なのです(^_^;)

こんな事を書くとロコハウスのお客様から心配されちゃうかも知れませが、ご心配無く(^_^)
私はこの仕事に誇り持っていますし、
もっともっとお客様との絆を深めながら楽しく末永くやっていこうと思っているのです。
「そりゃー無いだろう!」と思うのは、
保険会社の最近の政策は、お客様との絆をどんどん希薄にしていく事、
保険業界そのものがそのような方向に向かっている事です。

確かに保険は効率性の悪い仕事かもしれません。
でも保険代理店は保険料から手数料を頂くだけでテマヒマは完全に自前です。
テマヒマかけようと効率的営業をしようとソレは代理店の力量や考えでいいはずです。
でも、最近はすべてパターン化、システム化、スピード化、に拍車がかかり
保険商品も目まぐるしく改定が続き、そのつど分厚いテキストが何冊も配られ、
質問も受け付けいない無機質な講習会が数回開催され、その度にパンフレットや帳票は入れ替わり
大量の紙資源が破棄され…
ただ忙しく急き立てられ、思考能力を低下させられていくようです(^_^;)

そんな中で保険会社が代理店に求めるのは何かと言えば【早期更新】!
すなわち既契約者の更新契約は1日でも早く、最低でも更新日の3日前までに証券が必着する事。
それがお客様に対する最も重要なサービスで代理店はソレを厳守すべき!…というのです(^_^;)
でも、私も20年以上代理店をやっていますが更新契約で証券が届かないと苦情を受けたことはありません。

それに、保険商品が大きく変わって、それが値下げになればまだ良いものの、
こんな時代にどちらかと言えば保険料が高くなる傾向にあるのです(^_^;)
それも色々な種類の保険商品が次々に変っていく時期に合わせるのですから、
お客様に納得頂けるご案内やアプローチも考えなくてはなりません。

もともと、のんびりやの私で、お客様にはじっくり納得頂く事を信条にしている不器用者です。
どうしても、そのペースにはついていけません(^_^;)
その結果ロコハウスは早期証券到着率が低い、お客様の最も大切なニーズを満たさないという事で
本年度の手数料は下げられてしまいました(^_^;)

でも、こんな事がありました。
横浜のTさんは積立傷害保険を3年ごとに掛けてその満期返戻金を楽しみにしているお客様ですが、
些細な書類が届かないという理由で更新日より2週間も遅れて満期返戻金を送金しました。
でも保険会社はその満期返戻金から更新分の保険料を更新日にしっかりと差し引いて受けとっているのです。

愛媛県にお住まいのKさん超保険で自動車とご自宅の火災補償にご加入です。
火災保険が抜本的に改定されたためTさんの場合は
建物と家財の補償が3・4割は上るのという不運なパターンに入るのですが、
どういうわけか3・4割でなく、建物が1.8倍、家財が2.7倍も上ってしまいます。

ご案内する前にソレに気付いた私は必死でその理由を調べましたがどうしても判りません。
超保険の商品ヘルプデスクに問い合わせたら「商品固有の保険料については答えられない」というのです。
支社に問い合わせたら「超保険の事はよく判らないから本店の専門個所に聞いて連絡する」というのです。
回答は「付加保険料に関する事は企業秘密で教えられない」というものでした。
保険料が3倍近くも上って、その理由を契約者に一切教えられないなんてあるでしょうか(^_^;)
私は支社の担当者に「Kさんはただソノ理由だけでも教えて欲しいと言われているので…」と
お願いしているのですが、更新から一ヶ月たった今も何の連絡も無いようです。

契約者が一番望んでいるのは証券が1日でも早く届くことであって
それ以外はどうでも良いと保険会社は思っているのでしょうか(^_^;)

保険会社の社員も代理店も何だかしらないほど忙しくて、
そんな事を考える余裕もないようです。

2010年04月19日326号 ヒロコのお祝い

ヒロコの”お祝い”を坂本さんのアカラックスの方々でして頂きました。
何のお祝い?…結婚ならいいのですがブーです。(^_^;)
ヒロコのアメリカの大学院での留学校が決まってそのお祝いというわけです。

何でそんな事までアクチュアリーの坂本さんの会社で祝って頂けるかという事は
1年ほど前の週間KENをご覧頂ければと思います。

ようするに坂本さんはヒロコの数学の先生で、そのおかげで大学院留学の為の学力を
クリアすることが出来たのです。
本来ならコチラがご招待して御礼を言わなければならないのですが
ひさしぶりに皆で楽しく外食をしようというありがたいお計らいです(^_^;)

日時と会場はヒロコの方でサッサと指定したようで
ほんとうに遠慮を知らない図々しいムスメいや我が家系を恥じるばかりで御座いますm(_ _)m

てなわけで、4月14日(水)午後6時から
ヒロコお気に入りの肉団子が美味しい中華の【白蘭】で開催!という事になったのですが、
本人が決めた時間なのに仕事の都合で少々遅れ…
本人が決めたお店なのに場所が良く判らないと
結局、坂本さんが神田駅まで迎えにいってもらう事になって
定刻より20分ほど遅れて乾杯をする事が出来ました(^_^;)

良く私も聞かれるのですが、
ヒロコはどんな仕事をしいて、今度はどんな勉強をしにアメリカに留学するのか?という事です。
私もよく判らないのですが(^_^;)【映像編集】というのがヒロコの仕事のようです。
今ではハリウッド映画の編集でも使われる編集ソフト【ファイナル・カット・プロ】を使って
主に外資系企業のプロモーション・ビデオやドキュメントなどの映像に携わっているようです。

2008年1月から母校のテンプル大学日本校で講師として週三回の【映像編集】の講師も引き受けることになり
ヒロコ自身も勉強意欲が沸いたようで、
その頃からアメリカの大学院でもう少し専門的な勉強したいという思いがつのったようです。
とは言っても先立つお金はありませんし、オヤはまったく頼りになりませんので(^_^;)
ま~それなりにガンバッタようです。
これが留学が決まった時のヒロコのブログです。
因みにサカモッチとは坂本さんのことです(^_^;)

ま~オヤの方は…
これで口実をつけてレッド・ソックスの松坂を見て、そのついでに西海岸でイチローや松井を見て
なんてノーテンキに喜んでおります(^_^;)

ひさびさに美味しいビールと肉団子をはじめ多くの料理をたらふく食べ
家族のように親しくさせて頂だいているアカラックスのスタッフと楽しいひとときを
(もちろん坂本さんのオゴリで)過ごさせて頂きました。     

そうそう私は現在ブログで【生命保険の原価】という崇高なテーマに挑んでいます。
「それゃ~原価じゃないだろう!」というモノが最近マスコミやネット上で
マコトシヤカに乱用され私はとても違和感を感じているからです。
とは言っても保険屋の私が”原価”とは何かまでエラソーな事が書けるわけでもなく、
保険数理のプロであるアクチャリーの坂本さんに出て頂かなくては
オサマリがつかなくなりそうなので、その依頼もしちゃいました(^_^;)
ただアクチュアリーの話はいつも難解ですので、
まず私が判るかの不安はありますが(^_^;)

てなことで父娘ともども坂本さんにはオンブにダッコ状態でありまして…
「ありがとう!」としか、言葉が御座いませんm(_ _)m

2010年04月12日325号 野川の夜桜

4月6日火曜日、ヒロコから電話が入りました
「今晩、調布の野川で夜桜のライトアップがあるんだけどKENとYUKIも来ない?」
いきなりそう言われても何のことだか良く判りませんが、
桜が満開で天気の良い一晩の3時間だけライトアップされるというのです。

ヒロコの仕事仲間で私も知っている照明の田中さんもそのボランティアに参加していて
彼から突然声をかけられたようです。

なんせ私のモットーは先々号でも言ったように
「明日出来る事は明日しよう!」「今日しか出来ない事を今日しよう!」…というものですから
1年に一晩しか無い桜のライトアップと聞いては行かないわけにはいきません(^_^;)

待ち合わせ時間は、ヒロコの仕事の都合もあって午後8時に京王線の布田駅という事になり
私が外出先から一旦帰宅し、そのままYUKIをクルマに乗せ布田駅近くのパーキングに。
ヒロコと、そしてヒロコの元生徒でCM製作会社に勤務するヒデタカ君もやってきて
駅から15分ほど歩くと街並みの向うにライトアップされた桜が眩しく輝いています!

漆黒の夜空に、これほど多くの満開の桜が見事な照明によって浮かびあがる姿は
63年生きてきた私も初めて見る絶景です。(^_^;)
ライトアップが終了する9時までアト30分ほど、
川ぞいの道は一方通行でラッシュアワーのホームのような情況で前へ中々進みません、
誰もが美しい桜に目を奪われて足を止めてしまうのです。
    
徐々にライトは消され、川辺を一周することなく途中でライトアップは終わってしまいましたが、
来年はもっと早くからジックリと野川の夜桜を楽しみたいと思いました。

ライトアップが終わって田中さんと久々に合いました。
このライトアップはアークシステムズという照明の会社が最初は1本の桜の木をライトアップしたのが
始まりで、それが地元の人たちの支持を受けだんだん大きくなって、
地元住民や照明マンや多くの人たちのボレンテァで成り立っていて、田中さんも毎年参加しているようです。

ここで使われる照明機器はCM撮影で使われる世界の最先端を行くドイツ製の超高価なもの、
雨には弱いため絶対に雨の心配の無い桜が満開の日に1日だけ行われるというわけだそうです。

そういうことで照明マンの心意気も多いに感じられるわけですが…
桜の花に青や赤のライトを当てるのは、なんだかカビのはえたお餅のようでイマイチです(^_^;)  
ここまで来たら要望も高くどんどん膨らみます。

省エネ時代に、これだけのエネルギーを使ってと思われる方もいるかも知れませんが、
私はそうは思いません。
大きな闇の中に限られた時間だけライトアップされる桜だから美しく
多くの人に感動を与えるのではないでしょうか。
闇があるから灯りが美しく輝くのです。
ただ明るいだけで満遍なく平べったい街の夜景や
店舗やオフィスや室内の単調な照明に日本人は慣らされているのではないでしょうか。
海外の街の灯りや店舗や室内の濃淡のあるデリケートな照明にECOと安らぎを
感じた人もいるのではないでしょうか。
日本も篝火や提灯や独自の灯りの文化もあったのです。

これだけ見事な照明器具と多くのプロの照明マンが集合し
一夜限りのライトアップにこれだけ注目されるのですから
デリケートな照明の濃淡など…
プロの腕前で照明の重要性を披露するイベントとしての”位置付け”をすれば
更に盛り上がっていくのではないか!…なんて考えてしまいました(^_^;)

がんばれ日本の照明マン!

●この日の地元新聞のネット・ニュースです。

2010年04月04日324号 桜とフランス料理 ’10

年末恒例ハートコンサートの仲間で昨年・一昨年とおこなった『桜とフランス料理』が
好評だったので恒例化しようという事になって
4月4日日曜日、もちろん家族3名で出かけてきました。

過去2回は、大雨にたたられたり桜の開花が遅れたりで
『花より団子』の開催でしたが
今年は天気はイマイチではありますが、桜は満開で花見も楽しむ事が出来ました。

今回の会場は、ハートコンサートの会場でもあるホテル・ニューオータニの中庭にある
鉄板焼『石心亭』
「なんだタイトルにあるフランス料理じゃないじゃないか?」
なんて細かい事を言う人はいないと思いますが(^_^;)
一昨年のタイトルが『桜とフランス料理』
昨年のタイトルが『今年も「桜?とフランス料理」』…となっていて
これが恒例化されるという事で、そのたびに『桜と鉄板焼』とか『桜と中華料理』とか
書いていくと同じタイトルが重なる事態も想定されるので、いっそのこと『桜とフランス料理’10』と
最後に西暦をいれれば、週間KENでもシリーズ化出来るのでは?…
といろいろ考えた末のタイトルなのです(^_^;)

とは言っても、これが何時まで続くのか?
会は続いたとしても、貧しい我が家が毎年参加出来るのか?
そもそも毎年、週間KENでシリーズ化しなければならないほど重要なテーマなのか?
…などなどあるわけですが
”どうでも良い事ばかりバカみたいに考える”…のが私の特性だと家族からも思われているようです(^_^;)

会費は一昨年が12000円で、昨年が10000円で今年が8000円とデフレ傾向です。
…というか?私は「高いと行けない!」と言っているのです。
私のリクエストで「今回は安くしたから」と言われれば、行かないわけにはいきません。
ま~ほんとは私としては食べる事も飲むことも大好きなので
YUKIさえ納得してくれれば良いはなしです。(^_^;)
というわけで今年はめでたく家族3名で参加出来たという事です。
そういうわけで今回はフランス料理でなく鉄板焼きです(^_^;)
思ったよりヘルシーでワイン3杯、生ビール1杯も飲む事が出来て、
とてもとても楽しいひとときを過ごすことが出来ました。
         
全員集合の写真です。

●食べたもの。
     
●ニューオータニの中庭で…
       
●帰路は少し歩いて四谷の桜を見て…
      
我が家に着く頃は雨が降り出していました(^_^;)

2010年03月29日323号 ヨット・きらきら号

私のモットーは「明日出来る事は明日しよう!」…というとてもナマケモノの考えですが(^_^;)
でも「今日しか出来ない事を今日しよう!」…積極的考えでもあります(^_^;)

ヒロコの仕事仲間で先輩でもあるFさんから22日祭日の朝に電話があったようです。
「今日は最高のヨット日和になりそうだから今からボクのヨットに乗りにこないか?
よっかたらパパとママ、それに従妹のユリちゃんもさそって?」…といった内容だったのです。

Fさんは元某国営放送局で報道記者として活躍、今は民放の人気ニュース番組の特集ドキュメントを
担当する辣腕ディレクターで、ヒロコも色々な製作の現場で勉強させて頂だいているようです。
私たちは会ったことは無いものの、お互いヒロコからウワサは聞いていたというわけです。
私の姪でヒロコの従妹にあたるユリはロイター通信のカメラマンをやっているのですが
その前日、ヒロコと一緒の時にFさんと偶然の初対面で意気投合!
Fさんが個人的にやっているカンボジアでの事業のハナシなどでムチャクチャに盛り上がったそうです。

Fさんが『きらきら号』という自慢のヨットを持ちながら忙しくて乗るチャンスが無い事も聞いていました。
そんなFさんが、「今日は最高のヨット日和だから!」と誘われて、
コレを断ったらもう2度とそのようなチャンスは無いかもしれません。(^_^;)
ユリはこの日はめずらしく特別な用事も無く大喜びでしたが
実はヒロコも、そして私も予定はあったのです…しかし
「今日しか出来ない事を今日しよう!」というモットーにしたがい逗子マリーナへ直行!

ひとあし先に来ていたユリはもうFさんと古い友人のように打ち解けていて
早速ヨットのりばに
どこにヨットがあるのかと思ったら、
なんと空を見上げると『きらきら号』がゆったり優雅に降りてくるではありませんか(^_^;)
その美しい姿はまさにキラキラと空に輝き感動の声があがります。

さっそくヨットに乗りこみます、
救命具も座布団もなんだかとてもオシャレ…
さすがFさん自慢のオーダーメイドの拘りの手づくりヨット、どこを見ても絵になります
少し沖まではモーターで静かに出発!
空は澄み、波はゆったりと、風はさわやかに、寒さはなく、日本とは思えない風景と空気の中、
まさにFさんが言ったとおりの最高のヨット日和でした。
                

セーリングの後     
ビールで乾杯!   
Fさんが作っている職業・年齢・性別・国籍を問わず集まる愉快な仲間【チームごきげん】や
誰でも自由に出演できるインターネットの放送局【MHK(みんなのほうそうきょく)】構想のハナシなど
大いに盛り上がり、とても楽しい、そして今日でなければ出来なかった貴重な経験をさせてくれた
Fさんにとてもとても感謝いたしました。

2010年03月22日322号 Sr.永森たちと中華街

ラテ研ネタが二週続きます(^_^;)

20日土曜日、横浜の中華街で
約3ヶ月に渡る南米ぶらり一人旅から帰国した永森の帰国報告会を開催しました。

ま~帰国報告会と言っても中華街でやるくらいですから
そんな難しい報告会をするのわけがありません(^_^;)
永森帰国を大義名分に仲間同士が集まって楽しく飲み食いしようという程度のものです。
実は昨年も永森が2年のJICAでのホンジュラス滞在を終えて帰国した時も
我々同期の集まりとラテ研主催での報告会の二本立てで、今回もその一回目です。

たしかに永森のホンジュラス滞在も南米ぶらり一人旅も、とても興味深い旅ではありますが、
我々の諸先輩や後輩達の多くは、もっともっとエキサイティングでダイナミックなラテンアメリカでの
生活や旅をされた方は数え切れないほどいる事もたしかです。
永森自身も「私だけが、こんなに報告会をさせて頂だいて…」と恐縮しきりです。

ただ永森が他の人たちと、ひとつ違っていたのはホンジュラスも南米一人旅も
毎日毎日ブログに写真と文章を載せて書き続けていたという事です。

これだけ見せ付けられれば…ま~見る見ないは自由ですけど(^_^;)
実際にはどんな旅だったのか?生の声でも聞いてみたくなるというものです。
てなわけで永森のブログの仕掛け人である私の功績も少なくないのですエッヘン!

さて、この日集まったのは総勢12名(内3名我が家)中華の丸テーブルにはピッタリの人員です。
前号で紹介した田中は、午後7時からマンションの臨時役員会が決まって参加が厳しい
という事だったのを開催時間を午後3時に繰上げ無事参加

アルゼンチンやチリでの現地で活躍されている先輩たちの話はとても興味深いものでした。
ブログには載っていない面白い話も、いくつかありました。    
約3ヶ月の旅で、使ったお金は往復の航空運賃を含めて全部で60万円だったそうです。
1ヶ月20万円です、日本で生活していても飲んだり食べたりは乗り物にのったり生活費は係ります。

永森は卒業と同時に旅行代理店に勤務し世界を歴訪、
定年後はホンジュラスの観光庁に2年間ボランティアとして働くなど…旅行業一筋の旅行のプロです。
しかし、これまでの仕事は目的地に安全に確実に到着させるのが仕事の多くだったともいえます。
今回の旅は、風の吹くまま気の向くまま、時間やスケジュールに縛られずの旅で
これまで旅行のプロである永森が経験した事の無い旅だっとのです。
そうなればコストは激減するのです。
(我が家の場合はほとんどこのような旅ですが^_^;)

ただ、今回のような旅は永森だから出来たという側面もあるのです。
スペイン語が日常的にしゃべれるという事、
そして何より旅そのものの基本知識が豊富にあるという事です。

ようするにSr.永森が一緒なら誰でもこのような中南米の超格安の旅が楽しめるという事です。
彼の第二の人生のライフワークがボンヤリと浮かんできたように私は思っているのですが(^_^;)

会場となった横浜中華街・大新園お嬢さんが拓大の卒業生でOB達もよく使う中華料理店。
美味しくてボリュームタップリの料理が次々に出てきて、ビールも老酒もたくさん飲んで
予算オーバーと思っていたら一人3900円、大大満足でありました(^_^;)