2010年03月15日321号 田中会長

大学時代の友人といえば この週間KENでもお馴染みになった拓大・ラテンアメリカ研究会の仲間たちがほとんどです。 我々が3年生の時にはラテ研の会長を務め、 また同期から中米共同市場視察団を派遣した時に団長も務めたのが田中で、 今でもリーダー的な存在です。

田中が特別に優秀だったからという事で会長や団長に選ばれたというわけではありません。 彼の人間的魅力、もっと具体的にいえば彼の質実剛健な迫力が買われ(^_^;) リーダーに選ばれたようです。

海が好きで年中真っ黒に日焼けし、 麻雀仲間と季節外れの伊豆のバンガローで徹マン大会をやった時、 麻雀をしない田中もやってきて、何をするのだろうと思ったら、 夜中の寒い海に潜って手づかみで魚を獲ってきたのには誰もが驚いたものです。

就職し社会人になって… 私はフランセの銀座店の店長をしている時 田中が珍しく…というか初めて、とてもキュートな美女を伴なって神妙な顔で店にやってきました。 「今、見合いをしてきて、その後は二人でどかに、なんて事になったのでココに来た…」 ようするに”私にこの場を持たせろ”というのです(^_^;) 私は田中のそんなところも茶化しながらも彼の魅力を語りました。 田中夫人になった明子さんは… 「こんな友人(私のこと)がいるならチョットだけ付き合ってみるか?」…と思われたそうです(^_^;)

田中が50歳になった時、営業部長の職を捨て、突然”漁師”になってしまいました。 田中の夢の職業だったのです。 職安で「漁師ななりたい!」と言ったらビックリされ 「それは職安(厚生労働省)の管轄ではなく農林水産省の管轄です」と言われたそうです。 受け入れてくれたのは茨城県の波崎漁港、単身赴任です(^_^;)

都会でのサリーマン経験しかない50歳を過ぎの中年男がなぜ? きっとシャバで悪い事をしてきたに違いない!なんて最初は見られたようです(^_^;) しかし大揺れの漁船に乗っても船酔いもせず、収穫される全ての魚の名前も知っていて 活き活きと嬉しそうに働く田中に、周りの見る目も違ってきたようです。 そんな田中が任されたのが漁船での”料理長”! 漁師にはギャンブル好きが多くて”賄いのお金”まで使い込む者が後をたたず 田中なら金を預けても大丈夫と、料理経験などほとんど無い田中に白羽の矢?があたったそうです(^_^;)

そんな田中も数年前60歳を過ぎて体力の限界も感じ漁師生活からリタイア。 田中の自宅がある港北ニュータウン(横浜市)のマンション群を訪ねたら 300世帯ほどある敷地内の駐車場管理の役員をやっていて、 彼に注意されると誰もが頭をペコペコさせ、田中にピッタリの仕事のように見えました(^_^;)

その田中が今、パートで働いているのが横浜駅前の都市銀行が入っているビルの 立体駐車場の管理人(^_^;) その職場に先週の11日に初めて訪問しました。 あいかわらず、ふてぶてしい態度でゆっくりと身体を動かして やっぱり駐車場のオヤジが似合っているのには笑ってしまいました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

そんな田中は今、夜も眠れないほど忙しいと嘆くのです。 田中が住むマンシュン群の駐車場管理の辣腕が変われ ご夫人たちの人気も高く(本人曰くですが)管理組合の会長に押されてしまったようです。 毎日マンションの住民や関係業者からメールが4・5件はコンスタントに入ってきて 慣れないパソコンでひとつひとつ返事を書いていると朝になってしまうというのです。 確かに彼が職場に持ち込んでいるパソコンのメール送信時間を見ると 確かにそうなっていますが楽しそうです。(^_^;)

クシャミをすると腰を押さえイタイイタイというので「どうした!」と聞くと 先日、自転車に乗っていてクルマに跳ねられ飛ばされ軽い打撲したばかりだというのです(^_^;) ラグビーと海で鍛えた頑丈な身体はまだまだ健在です。

田中が駐車場のクルマを出す為に席を立った時、彼がどんな本を読んでいるのか覗いてみました。 【大航海時代叢書・アズララ ギネー発見征服史】…とても難しいそうなタイトルでしたが(^_^;) よく見ると翻訳の長南実氏は我々のスペイン語の先生のひとりだった方です。 […]

2009年10月05日298号 ラテ研の同期会&60周年

週刊KENでもすっかりお馴染みになってしまった(^_^;) 我が母校・拓殖大学のラテン・アメリカ研究会ですが 10月3日(土曜日)ラテ研創立60周年を向かえ全国・海外から 多くの仲間を向かえて盛大なパーティーが池袋のホテルで午後18時よりもようされました。

ラテ研のOB会総会は2年に1度。 それ以外にもいろいろな企画は行われて、この週刊KENでも触れていますが なんせ60周年イベントというわけで!(50周年は有りませんでしたが^_^;) とてもキアイが入っているのです(^_^;) というわけで我われ拓大67期卒業の仲間も福岡や金沢からやってきます。 その一週間ほどまえ、福岡の木下さん(旧姓寺田)から電話がありました。 「せっかくだからOB会の前に67期だけでも集まらない! 角倉君みんなに声かけてみてよ!」…私はふたつ返事で引受ました。

67期の32名(1名死亡・7名不明)で連絡がつく24名全員に電話で猛烈アテンドです。(^_^;) 「夕刻よりのOB会は出なくていいから同期会だけでも来い!」 …という私の強引な誘いに8名が同意、と言っても急なハナシで迷う友人を 一応参加者にみなして「○○も四国からやってくるんだから○○も来なくちゃ!」 てなぐわいで芋ずる式に行くかと思ったのですが(^_^;) 最終的には、どうしても都合がつかなとドタキャンも入って4名が追加参加で 総勢14名の同期が集まる事が出来ました! ① ②

会場は池袋東口駅前にある”貸しスペース”夕刻からはホテルの飲食が控えているし、 時間も2時~5時までで三々五々でゆったり持ち寄りで…という事にしました。 卒業いらい会っていない者も何人もいます。 卒業から何年経過したのか数えたら1969年卒業で丁度40年と気付いてビックリです。 これも何かの宿命だったのかもしれません。 YUKIはもちろんヒロコも参加してもらい大いに助かりました。

その模様を書き出すと、もう書ききれないので ヒロコが撮影・編集した5分弱の”Youtube”と 例によって私が撮影した写真をご覧下さい! ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ A B C D E  F G H I J K L M N O P Q R S T U V W X 追加 ① ② ③

そして、この日のメイン・イベントであるラテ研60周年記念祝賀会です。 67期は群を抜いての参加です! おなじみ瀬戸口会長(59期)の挨拶。 事務局の波形君(75期)には皆で感謝。 ラテ研ではなく、今は廃部になった移研(移住研究会)の桐井(同期)夫妻。 乾杯の音頭は先日80歳になられた大野先輩(50期)です。 ①

そして海外から チリから岸野先輩(59期) コロンビアから金野先輩(61期) パナマから工藤君(72期) フランスから加藤君(73期) アルゼンチンからの中務先輩(61期)のスピーチは圧巻でした! 次男の中務君(101期)はラテ研が廃部の危機にあるところを父親の強いミッションをうけて アルゼンチンから拓大に留学し見事、ラテ研を復活させた好青年です。 その中務君が伊予田さん(104期)との婚約を発表し会場は大いに盛り上がりました(^_^) そして香港から我らが同期、親友の小倉夫妻です。

YUKIもラテ研の香港旅行をはじめモロモロに夫婦同伴で出かけているので けっこう楽しくエンジョイをしてくれたようです。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

私は大西君(70期)をまったく覚えていなかったのですが 私が阪急ブレーブスの熱烈ファンだったことを覚えていてくれて感激でした(^_^;)

なにが何でもと撮影した全員集合の写真です、私はどこにいるでしょう(^_^) 左側アップ  右側アップ

もちろん写真はたくさん撮影しました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱ ⑲ ⑳ 阿達撮影 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨

[…]