2006年08月28日136号  この国のゆくえ

「戦争が好きだ!」と、はっきり言う人は、そんなにいません。 だれもが「戦争はキライだ!二度と戦争はしてはいけない」と言います。 61年前の戦争も、ひとりひとりに聞いていけば誰もが「本当は戦争には反対だったと」 と言いいました、そして多くの国民の命が奪われました。

「日本はあたりまえの国になるべきだ…」という言葉を最近よく耳にします。 ようするに『戦争放棄』なんて世界に一つしかないバカな憲法は止めて、 軍隊をもった、どこにでもあるを普通の国になれという事らしいです。

今までのようにアメリカに従属しているのが一番良い、という意見もケッコウあります。

私の考えは…自衛隊も軍隊も、アメリカ基地も持たずにスッポンポンでいると言う事です。 そんな事を言おうものなら、 「テポドンが飛んできたら!」「不法な侵略があったら!」「日本は餌食にされるだけ!」 そして「お前は平和ボケもイイとこ」と笑われてしまいます。

では、日本も米軍並みの軍備や核を持つとしたらどうでしょう? まずアメリカが許さないでしょうし、世界中からも猛反対されるでしょう。 けっきょく、中途半端なぐモノになる事はあきらかです。

3年ほど前になりますが『ボーリング・フォー・コロンバイン』いう映画を家族3人で見に行って、 大笑いをしてしまいました。 この映画はアメリカの銃社会を徹底的にコケにしたドキュメントでした。 アメリカ人は皆んな銃で撃たれるのが怖いから、皆んなが銃を持って撃つ合う…という話です。

中途半端な武装をしているから、返えって撃ち殺されるし、どっちもどっちと思われます。 無防備でまる腰の人間が襲われたとき、世間の目も厳しいものになってきます。 銃を持たない事で身を守れない事も、あるかもしれませんが、撃ちあったからと言って 必ず身が守られるわけではありません。

大切な事は『銃を持たない勇気』ではないでしょうか? 国におきかえたら『軍隊を持たない勇気』です。

まったく無防備な国にテポドンを撃ち込んだり、不法な侵略をすれば その国は世界中から制裁を受ける事になるでしょう。

もう一つ、私の提案です(^_^;) 自衛隊をまるごと”国連軍”として”フランチャイズ”1号店?になる事です。 すなわち、すべては国連の判断において、世界の平和維持の為にだけ活動するのです。 それなら日本国内に”国連軍”を駐在させてもいいでしょう。 そのうちに、アチコチに国連軍のフランチャイズが増えて、 最終的には世界中の国が軍隊がなくなり、平和維持のためだけの国連軍になれば とてのハッピーだと思いませか。

日本だってちょっと昔までは国内で戦争をやっていたのです。 でも今は熊本県と福島県が戦争をするなんて想像もつきません。 もう、そろそろ人類も愚かな戦争を止めるためにも 自国の軍隊は何ひとつ持たないと、きっぱいと言い切れる国は 世界において、今のところ日本しかないのではないでしょうか?

日本は人類史上唯一、それも2回までも市民が原爆の被害を受けた国です。 日本は世界で唯一、軍隊を持たず、戦争放棄して、61年やってきた平和国家です。 日本は2000年に渡るイスラム、キリスト、ユダヤの紛争にあって そのどことも深く関わらない一言語、単一民族の無宗教?国家です。 そしてGDPは世界2位の経済大国です。

そんな国がなぜ?軍隊を持って普通の国にならなければならないのでしょうか? こんな時代だからこそ、平和国家としてのプライドを持つことではないでしょうか? 少々の威嚇には、涼しい顔をして素手で立ち向かえば… 「Oh!サムライ・ニッポン!」と恐れられまた尊敬されるかもしれません(^_^)

政治家や官僚は国民の安全と生命を守る事が仕事ですから 国民に向って【軍隊を持たない覚悟をしろ!】とはいえません。 でも戦争を始めるのは彼らで、その犠牲になるのは決まって国民です。

そんな事になるより… ひとりひとりが、平和に対する覚悟を持つことのほうが、最終的には安全で地球平和に つながると思うのです。

またエラソーな事を書いてしまいました。 […]

2004年5月31日019号 橋田信介さんを悼む

さて今回から、その時その時の私が思い浮かんだテーマを気ままに書こうと思います。 今までの週間KENの感想を伺うと、どうも意見が二つあるようなのです。 一つは「 ほんまにアホらしい!」…もう一つが「アホやけどオモロイ!」です。 急に関西弁になってしまいましたけど、アホらしさは共通しているようなのです(泣) で…今回は 少しおもむきを変えて重いテーマで【イラクの人質問題 】をとりあげ、 その原稿をほとんど書き上げた時に… もっと、もっと重いニュースが飛び込んで来ました。 イラクで戦場カメラマンの橋田信介さんと甥の小川功太郎さんが銃撃されたというニュースです。

実は、橋田信介さんの一人息子大介君と、我が家の一人娘ヒロコは保育園時代、6年間一緒のクラスだったのです。 保育園 の同窓は本人達以上に親同士が懐かしく、橋田家がバンコク(タイ)に引越してからも多くの 保育園仲間 がファミリーで橋田家を訪問したり、その消息は身近に感じていたのです。

最近ではテレビやマスコミでも、その活躍を目にする事が多くなりYUKIと「有名になってきたね」…と 話していた矢先の事件です。 ニュースを聞いた時に大変な衝撃を受けた事はたしかですが、不思議な事に悲しみよりも、 わけのわからぬ”怒り”が湧いてくるのです。

橋田氏は常に【戦争】に反対しながら、一人の人間として、優しい目線で悲惨な【戦場】を取り続けてきました。 国家が国益のために起こす【戦争】は,【戦場】 において常に個人が犠牲になるのです。 彼は【戦争】カメラマンではなく、あくまで【戦場】カメラマンだったのです。

日本がイラク戦争に”参戦”する事を決めた小泉さんは「危険なら行かない、安全なら行く」と言いました。 同世代の橋田さんは「安全なら行かない、危険なら行く」と 言いました。 そしてイラク へ行って橋田さんは死んでしまいました。

テレビのニュースで久しぶりに幸子夫人を見ました。 「幸子さんはとても個性的!」とウチの個性的YUKIが言うほどユニークで魅力的な人です。 彼女が毅然とした態度で微笑みを浮かべながら…でも目は潤んでいました、彼女らしいです。 ひ弱な印象だった大介君も見違えるように素敵な青年になっています。 二人は信介さん を誇りに、その意思を継いで、立派に生きてい くと思います。

私の手元に橋田さんが書いた一冊の本があります。 ロイター通信のカメラマンを している姪っ子のユリが「KENおじちゃん、この本面白いヨ!」と貸してくれた本です。 私が橋田さんを知っている事を話すと、ユリは興奮して「絶対に逢いたいから、紹介して!」といいました。 私も十数年逢っていないので、是非時間を作ってもらいヒロコもつれて逢いに行こうと思っていたのに…。

ユリから借りた本の題名は『イラクの中心でバカとさけぶ』です。 イラクの中心で…「戦争のバカヤロー!」と叫んで死んでいったような気がしてなりません。 橋田信介さんの、そして小川功太郎さんのご冥福を心よりお祈りします。