2004年6月21日022号 たそがれのプロ野球

私はモノスゴイ!【阪急ブレーブス】のファンでした…現在のオリックス・ブルーウエーブです。
どのぐらいモノスゴイかというと…
私の10代 前半、すなわち小学校から結婚するまで、私が通った学校や職場において、
私の名前や顔は忘れられても、『モノスゴイ阪急ファンがいた!』事は みんな覚えているのです。
すっかりボケてしまった私の母でさえ”私の阪急”だけは、しっかり覚えて?いるのです。

【阪急ブレーブス】の事をココで書き出したら、1年間は軽く連載出来 ちゃいます!…
でも気がついたら誰も読んでいなかった、なんて事になりそうなので書きません。
私はそこから多くのことも学びました…
そう !私の人生の前半は【阪急ブレーブス】から、そして後半は【モノスゴイYUKI】によって
人間形成が成されたのです!

1988年…その【阪急ブレーブス】がオリックスに身売りするというニュースが流れた時は ショックで、
食事が喉を通らなくなりました。
でもボクは”阪急”という会社のファンではなく”ブレーブス”というチームのファンだった事に気付くと
食欲が元に戻りモリモリ食べました。
それからは【ブレーブス!】【ブレーブス!】と言って、またモノスゴク応援しました。

しかし1991年…オリックスは【ブレーブス】を【ブルーウエーブ】に変更しました。
これによってブレーブスのマスコット・キャラクターだった”ブレービー”も居なくなりました。
ヒロコが誕生した時に真っ先に与えた人形は”ブレービー”でした。
その”ブレービー人形”を持って、どれほど試合を見た事でしょう、本物の”ブレービー”に逢いに
新幹線や車で西宮球場にも何度も足を運びました。

もう”阪急”とも”ブレーブス”とも呼べない、だからといって「ブルーウェーブ」とも呼びたくない。
「ブ」と呼ぶしかないのかと、ブーブー思いました。

それでもイチローというスーパースターも誕生し東京での試合はもちろん、グリーンスタジアム神戸にも
ファミリーで応援に行きました。
しかしイチローも、長谷川も、田口もメジャーリーグへ去りました。

オリックスは、それまでの球団の歴史や文化を引き継ぐどころか、阪急色を消す事にエネルギーを
使っている事にも腹立たしく 、私の情熱も少しづつ冷めていきました。

【近鉄バッファローズ】との合併ニュースは先週、仙台のホテルで知りました。
来るときが来た…と思っただけで、YUKIと笑ってしまいました。
このニュースから一週間ほどたちますが、ファンの声はほとんど 無視されているようです。
合併は護送船団の球界の満場一致?で決められたようです。
ファンの声が聞こえない…というのはファンもその程度で「どうでも良い」という事なのでしょう。
ようするに、プロ野球なんて、どうでもよくなってしまったのでしょうか。

これだけ、多くの人に愛され、歴史をもったプロ野球を文化として育てる事を怠って
目先の利益や、小手先のファン・サービスでお茶を濁してきたツケが回って来たのです。
ディズニーランドが賑わっているのは、親もミッキーやドナルドが懐かしく楽しいからです。
メジャーリーグ はアメリカの文化として根付かせる努力をしてきたのです、
だから我々 ガイジン?から見ても楽しく、多くのプロ野球選手も メジャー・リーグに憧れるのです。

私は日本のプロ野球にもう多くは望みません。
ただ、これから始まる、たそがれゆくプロ野球をこの目でみていきたいと思います。
巨人軍 の一球団になるまで…。

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