2005年10月03日089号 喫茶店 拾穂庵

「ところで弟のヒロシさんは今、何をされているのですか?」 「定年後、坂本で喫茶店をやってるワ…」

27日、いつものYUKIとのクルマでのツアーで伺った神戸(東灘区)のI様宅から、ほんの2キロほど… 古い古い、お付き合いのノリコさん宅が、あまりにも近いので突然、お邪魔をさせて頂いてのことです。

どのくらい古いお付き合いかというと…まず1枚の写真をご覧ください。 左側の一番小さな男の子が私で、乾杯のビールを持っているのがO先生、その後ろがO夫人。 そして、ノリコさん、ヒロシさん(O先生の隣中央)、タカシさんの3姉弟です。 因みに私の後ろが母、その隣が伯母、左端が祖母で、 伯父と父は写っていないので多分、写真の撮影と照明だったのでしょう。 五十数年前の正月に京都の角倉家で撮ったOファミリーとの写真です。

二枚目の写真は、その時に撮った角倉家全員の写真です。 私は広島の上下で誕生し、生後4ヶ月から幼稚園(栄観堂幼稚園)を卒業するまで 京都で伯父夫婦と祖母、それに私の家族(父母と私)の計6人が同居していた時期があったのです。 伯父夫婦には子供がなく、私もこの時は一人っ子(東京で妹二人が誕生)でしたから 大人ばかりの静かな環境の中で、私は物静かで寡黙で礼儀正しい凛々しい(りりしい)子として育ったのです。 (YUKIもヒロコもまったく信用しませんが)

ただし、このもの静かな家に時々、嵐がやってきます…それが賑やかなO先生ファミリーです。 開業医のO先生は病弱だった私(これもYUKIやヒロコは信用しないのですが)には、 すぐ注射をする、とっても怖い存在だったのです。 私の伯母とO夫人が女学校の親友同士という関係だったのです。

そんなわけで、私の幼少期の記憶としてのO先生ご夫妻は強烈なものでした。 十数年前の話ですが、ホノルルからほど遠いリゾート地のトイレで老夫婦とすれ違いました。 私はYUKIに「今のヒト、もう何十年もあっていないO夫妻のような気がするのがけど…」と言いました。 YUKIは「そんなこと私に言われてもわからないから、出るの待って直接聞けばいいじゃないですか」と あたりまえの事を言われ、その老夫婦がトイレから出てくるのを待ちました。 私はこわごわと「大変失礼ですが、ひょっとしてO先生ではないですか?」と確認したところ やっぱりご本人! ハワイで、それもあまり日本人が行かない郊外のリゾートの人気のないトイレで なんという奇遇とばかかり、感激したものでした。

そんな縁で、長女のノリコさん、長男のヒロシさん、医者を継いだ次男のタカシさんには 父が晩年の入院や療養では力になって頂きました。 ノリコさんのご主人のAさんにも大変お世話になっており、親戚同然のお付き合いをさせて頂いています。 こうして考えると”人の縁”とは不思議で大切なものと思わずにはいられません。

さてさて…いつものように前置きが長くなってしまいました(^_^) その長男のヒロシさんも私より4歳ほど年上ですから会社もリタイアされたのではと思い 姉のノリコさんに冒頭のような質問をしたのですが、「坂本で喫茶店」という意外な答えです。

坂本は京都のO家の実家からクルマで抜け道を通れば30分ぐらい、 紅葉の名所としても有名な、比叡山のケーブル駅もある由緒ある門前町です。 そこに、やはり京都で開業医をされていたO先生のお父さん(ノリコさんの祖父)が 別荘として購入され、そのまま残っているのです。

そこで喫茶店をとなると、昔はケーキ屋KENちゃんといわれた私は俄然興味がそそられます。 帰りは比叡山延暦寺を見て、その喫茶店によってみようという事になったのです。

まさに、そこは雑誌【サライ】【自遊人】【大人のOFF】…の世界です。

ヒロシさんとお逢いするのは何十年ぶりですが、昔の面影は充分に残っています。 そして、なによりも活き活きと楽しそうに喫茶店を営んでおられるのです。

定年後のヒロシさんに「坂本の家で喫茶店をしたらと…」とのアイデアを最初に出したのは 奥様とお嬢様だったようです。 O家の長男として坂本の家に愛着がありながらも、古い家と広い庭園の維持管理に頭を痛めていた ヒロシさんにとって『一石二鳥』いや健康を考えれば『三鳥』にもなる名案です。

そんなわけで、商売っけはほとんどありません。(^_^) ヒトを雇ったら、それだけで赤字ですから、お店はヒロシさんだけ。 したがって、お店の電話番号はヒロシさんのケータイ。 大きな看板や宣伝をしているわけではないので、普段の日はお客様がゼロの日も。 でも、庭の手入れや草むしり、そして近所のお付き合いも増えて、それなりにお忙しいようです。 一番困るのは、お客様が同時にたくさん来られることで、そんな時はお客様に手伝ってもらうそうです。

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2005年07月25日079号 室生寺

この1年ちょっとで、YUKIとのクルマで行く全国ツアーもすっかり定着化して それが二人の大きな楽しみにもなってきました。

今回も午前3時に…バタバタと荷物をクルマに詰め込み出発です。 助手席のYUKIの足元にはマルエツで買った袋菓子や眠気覚ましのキャンディー そして私の必需品【お~いお茶・濃い味】、その予備として2リッターボトルは冷凍庫で凍らせ バスタオルで丁重に包んでおきます。

今回のお客様は大阪の堺市です。 大阪にはこれまで東名・名神を使って数え切れないほど行きましたが、 YUKIが今回はルートを少し変えようというのです。 名古屋の手前、豊田ICから伊勢湾岸道路・名阪国道経由でいくコースで 確かに名神経由より50キロぐらい短縮される、はじめてのルートです。

はじめてのはずです、東名の豊田ICから伊勢湾岸道路に入るわけですが、 昨年12月に購入したカーナビには何の案内も出てきません。 道路標示にしたがって伊勢湾岸道路に入ったのですがカーナビには高速道路の表示はなく、 ただ地図の上を浮遊しているのです。 この道路は名古屋万博に合わせて開通したのでしょう。

途中から一般国道に入り【伊賀】という地名を見ました。 伊賀といえば忍者です、その先に甲賀という地名もあります。 立ち寄ったサービス・エリアで忍者の記念写真をYUKIと私でそれぞれ撮りました。 忍者屋敷もあるというのでカーナビで検索したのですが、どういうわけか検索されずあきらめました。 なんせ何の観光ガイドも情報ももたず走っているのです。

しばらく行くと【室生】(むろう)という地名が表示されました。 その地名から私は室生寺という寺院の名が頭をよぎりました。 何年か前に古い五重塔が台風で倒れた木に無残に潰されたニュースを見たのと 由緒ある古い寺院だという認識ぐらいしかありません。 YUKIはまったく聞いたことも無いというのですが…これは私も納得です(なんせYUKIですから)

話が戻りますが【伊賀の影丸】は知っていたので驚いたくらいです。 それでも横山光輝の漫画である事までは知らないようで… ただ伊賀といったら影丸と…何だか判らないけど出てきたというのです。 そして、最近薄くなったと気にしている私の後頭部を叩いて、「KENはハゲ丸!」なぞと喜んでいるのです。 私にデリカシーが無いといつも非難するYUKIですが、そういう本人も相当なものです。

さて、話は室生寺です。 カーナビで『室生寺』と検索すると、今度はここから11キロとはっきり表示されます。 時計は午前9時過ぎ…堺市のMさん宅には午後3時の訪問予定で時間は充分にあります。

YUKIは「どんなところ?」と聞きますが… 私の認識は前述したぐらいで、なんの知識もありません。 でも、鎌倉や京都ならともかく、こんな奈良の山奥の寺院にわざわざ来ることは ないかもしれないので、私はいってみようと思いました。 YUKIは「KENが行きたいとおっしゃるならオマカセします」というのです。 これが、けっこうキツイのです、もしソコが期待はずれだったりすると… とても、とても、私はバカにされ、また私の繊細なデリカシーがキズつくのです。 でも、ここまで来たら行くしかありません。

カーナビは山の奥深く案内していきます、 やっと目的地周辺に到着し山門の御土産屋さんが並ぶ狭い道へと入って行きます。 まだ朝の10時前で観光のクルマも人気もありませんが、無料の駐車スペースもありません。 大きな空き地に小型トラックが数台置いてある誰もいない有料駐車場にクルマを置いて数十メートル歩くと 一軒のお土産さんから声をかけられ駐車料金を600円取られ 室生寺の入り口で拝観料として一人500円で1000円取られ いきなり1600円の出費に、YUKIから”ただならぬ殺気”が漂います(^_^;)

でも…室生寺は素晴らしいところでした! 1600円の価値は充分にあってYUKIも満足してくれました。 何の予備知識もなく境内に入って感動したのは、 山深い中で何百年という年月と自然が融和した荘厳な美しさです。 石段ひとつとっても言葉で表せない気品に満ちているのです。 どの建物も苔むしてそれが美しいのです。 […]

2005年06月27日075号 今年は確かに跳んでます

YUKIと私は舞鶴(京都府)から… ヒロコは香港の初出張から…帰ってきて、向ヶ丘遊園駅で待ち合わせ 近くのファミレスで家族3人食事をして先ほど(26日午後23時)帰宅しました。 ヒロコは明日から又一週間ボルネオに出かけます。

我が家の今年2005年の年賀状、そしてこのHPの表紙も マツケン・サンバにあやかって、 『今年は3羽(サンバ)、跳ぶ!』がテーマですが… 今のところ我が家の今年は、確かにに跳んでいるようです(^_^;)

舞鶴のFさんのお誕生日は6月26日、 それまでにご契約をしなければならなっかのですが、 ハワイのコンベンションがあったりして、結局こちらの都合で Fさんのお誕生日の前日!ギリギリの25日に、お伺いする事になってしまったのです。 クルマは車検で預けたまま返ってこず、今回はレンタカーです。

今年3月、日本海を見た事が無いというYUKIと福井・金沢に その翌月4月に、また福井のお客様が、 5月には鳥取、 そして今回6月には舞鶴と…毎月YUKIと日本海を眺めています(^_^)

それにしても舞鶴はホノルルよりも暑く 美しい若狭湾に飛び込みたい心境でした。 5月の鳥取ツアーでは、果たせなかった天の橋立も、股の下から見る事が出来ました。 舞鶴の宿は例によって格安のビジネスホテル、税サービス込みで二人で7800円… すぐ隣にある居酒屋『つぼ八』のビール券をフロントで貰って夕食はココで乾杯! 例によって早朝4時からのドライブとほろ酔い気分で部屋に戻るとバタンキュー。 その分、朝は5時前から目が覚めて持参のパソコンでメールチェック! 一応?朝食付きという事で8時頃に1階のフロント横の一室に入ると、 食パンとトースターが置かれていて、飲み物は自動販売機がこの時間だけ 開放されて、好きな飲み物が飲み放題!と言うサービス。 こうなるとYUKIは、しっかりトースト2枚を食べ(私は昼に備え1枚なのに) コーヒーは3杯も飲んでしまうのです(^_^;)

そのお昼は、若狭湾で獲れた、とれとれの鮮魚が食べられるいう海鮮市場に! クルマを走らせていたら、何と戦艦の港が!… 舞鶴は戦前は4大軍港(佐世保・横須賀・呉)の一つとして、今は海上自衛隊の 基地になっていて、見学も出来るというのです。 そこで水兵さんに撮ってもらったツーショットです(^_^) また、その付近がレンガの建物が多く残り、情緒深い風情が残っています。

そして!舞鶴と言えば『岸壁の母』です! YUKIは例によってですが、まったく知らないというのです。 私は、その歌謡曲の歌詞と背景を話すと、 そんな古い歌を今の人が知っているわけが無いというのです。 34歳のFさんだって知らないと思うというのです。 私は舞鶴の人なら若い人だって『岸壁の母』は知っているに決まってる!…と 何時もの言い合いが始まりました。 勿論、コレは私の勝ち! それに、ちゃんと【舞鶴引揚記念館】というものがあり、行きました。 敗戦からの引揚船の写真や、その頃の資料にYUKIは衝撃を受けたようで 食い入るように見ていました。

まだまだ今年はYUKIと一緒にあっちこっちへ跳びまわれればと思っています。 ヒロコもヒロコで社会人となって跳びまわっているようです。

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2005年06月20日074号 一日43時間

なにはともあれ12日~17日のハワイ・コンベンションの旅から無事帰国する事が出来ました。 ありがとうございました。

6月12日(日)は文字通りザ・ロンゲスト・デイでありまいた。 出発の日であり、時差の関係でコンベンションの日でもあったのです。 まず、この長~い一日を振り返ってみたいと思います。

この日の午前中は宮崎のおばあちゃんを羽田空港に送って、そのあとの 『それでは行ってきます!』と【73号】に書くのが精一杯でした。

それから成田空港に行くまでのバタバタです。 これまでのバタバタで何も用意らしい用意をしていないのです。 今回の旅行がデジカメが必需品でしたが、どうもそのデジカメが前日のヒロコの卒業式の 写真を見て調子が悪く、修理には間に合わないし、この際だから買い換えようというに なってしまったのです。 そこで近くのヤマダ電気にデジカメに詳しいヒロコを連れていったのですが、これが 中々決まらないのと下取り査定までしたので、けっこう時間を使ってしまいました。 デジカメを持ち帰ってからも大変です、ハワイに持参するノートパソコンにデジカメの写真を 呼び込むための、ソフトをインストールしなければなりません。

成田空港には19:30分に集合となっています。 今回、成田空港には新百合ヶ丘を17時10分に出発するリムジンバスで行く予定です。 でも、その前にまだやることがあります。 従来なら成田空港にクルマで行って旅行者用パーキングに預けるのですが 今回は車検の関係でコレもドタンバになって、旅行中に修理をする事なったのです。 クルマをディーラーに渡して、その後にリムジンバスに乗り込まなければなりません。 飛行機は21:30発だというのに、我が家を16時頃には出なければならないのです。 ヤマダ電機から帰ったのが15時を過ぎています。 後、1時間しかありません!!

まだ大切な作業が残っていました、今回のコンベンション参加の対象契約になった お客様にハワイからお送りする葉書のプリントです(写真部分は空白にした) 正確な枚数や住所を打ち出す時間もありません、後はホノルルで調べるしかありません。 何時ものクルマでの国内旅行ならトランクに何でも、とりあえずは掘り込んで出発するのですが… もう荷造りもそんな感じです(^_^;) そうそう、その間に【週間KEN(73号)】も書き上げ送信です。 留守番電話も内容を吹き替えておかなければなりません。 もうバタバタの境地で唖然とするヒロコに送られて、私とYUKIは我が家を後のしたのです。 ディーラーに車検のためにクルマをわたし、ディーラーのクルマでリムジンバス乗り場に… リムジンの中では買ったばかりのデジカメの説明書を読むしかありません。

成田空港出発ロビーには東京海上日動の団体カウンターが大きく設けられブルーのポロシャツの 東京海上社員や赤いポロシャツのJTB社員が甲斐甲斐しく働いており、比較的スムーズに 登場手続きをすまして、多少のドルの両換えもやりおえ… ここでやっと出発の21:30分まで多少の”ゆとり”があります。

考えてみたら羽田空港のレストランで宮崎のおばあちゃんとヒロコと4人で 朝食を食べてから何も食べていません。 でも、機内に入れば確か機内食が出るはずと”旅行のしおり”で確認してみると ①朝食:機内にて ②昼食:ホテルにて用意 ③夕食:表彰パーティにて …と記載されています。 これでは餓死?してしまいます! 成田空港での出発の時には必ず行くといってもいい讃岐うどんのお店でいつもより ボリュームのある“カツどんセット”を注文してやっと一息。 搭乗ゲートのソファーでパソコンをあけメールの最終チェックをして機内に。

機内はぎっちり満席です。 機種は昔懐かしい古典的ジャンボ機747で、席も前も横もミニマムの極地の エコノミー症候群必達?の飛行機です。 窓際には若い男性が一人すわり、私がその隣でYUKIが通路側です。 でも、それはもうどうでもいいのです。 今回の旅の最初の楽しみは…それまでの睡眠不足を機内で取り返すという ささやかなものでした。 […]

2005年05月30日071号 ユニークな家族旅行

26日(木)未明から29日(日)未明まで”二泊四日”の いつものYUKIとのクルマによるビジネス・ツアーに、プラス! ヒロコも加えてのファミリー・ツアーというユニークな旅から帰ってきました。

今回のホームページ閉鎖騒動で、 私は相談者の方に本当に申し訳ないと思ってしまう出来事が、 相談者自身のご家族に興ってしまったようなのです。

奥様がご主人の生命保険についてご相談されるというパターンは多くあります。 相談者である奥様との何度かのメールのやりとりで保険内容も決定し、 被保険者であるご主人に保険契約のため直接お逢いするという段取りになるのです。

この時にご主人が、それまでの経緯を知っていれば何の問題も無いのですが… いきなり、ヘンな保険屋のおじさんが、かなり遠方から、やってくると聞かされた ご主人は「なんだ?そいつは?」と怪しまれる事が多いようです。(^_^;) そんな時、通常は私のホームページをご覧いただき納得して貰うのですが… なんせ”閉鎖中”ですので、ますます怪しまれてしまったようです。

そんなわけで、ご主人からのアポイントが取れないまま タイムリミットの今週末と近づいていたのです。 これが原因で夫婦仲が悪くなった、なんて事になったら大変です。 ご主人からアポがとれたら必ず私のケータイに連絡を頂くという事にして、 この週末は近くまででも行ってスタンバイだけでもしておこうと決めていたのです。

そう考えていたところに、ヒロコが今春から社会人になって就職するなり、 土日も出社したりゴールデン・ウイークも無く超多忙だったのが 突然、まとまった休日が取れたので何処かに行こう!というので… 急遽、なんでも良いからクルマで出かけようという、 計画性のない旅がスタートしたのです。

メール相談で8割程度まで決まりかけている大阪のHさんがいらっしゃいました。 ちょうど通り道なので具体的な書類を直接お持ちするという事で 26日午前10時のHさん宅訪問が旅の第一歩になりました。

そこから数キロのところにヒロコの友人でローマ留学でも一緒だったJ子の実家があります。 そこに寄って見ようという事になったのですが留守でした。 そこで玄関前で写真を撮って今はニューヨークにいるJ子に ヒロコがメールで黙って写真だけを送りました。 直ぐに戻って来た「なんじゃ!こりゃ!」というJ子のメールに車内で3人は大笑いです。

また、そこから数キロのところに私の生命保険の法人契約第一号になったYさんの会社にも 家族で突然訪問させて頂きました。

この日は最終目的地はヒロコの希望で鳥取砂丘で宿を取る事にしたのですがまだ時間があるので YUKIは天橋立(あまのはしだて)経由で、しかも高速道路を使わずに行けと言うのです。 しかし、前日から一睡もせずに運転を続けている私に突然睡魔が襲ってきました。 ほんの小一時間まどろんでいたのですが、なにやら助手席のYUKIがブツブツ不機嫌そうにしています。 これでは天橋立には行けないというのです。 私もそう思います、それより鳥取砂丘の日没を見ようという事になりました。

一路、クルマは日本海に向かって北上し、そこから日本海にそって西へ走ります。 途中の漁港で沢山の大きな電球をつけた漁船が並ぶ漁港がありました。 そこで70歳になる漁師さんからお話をいろいろ聞きました。 これはイカ釣り船でこれから出かける漁に出る準備をしているというのです。 電球は1個3000ワットで肌を出していると大変な日焼け?をしてしまうそうです。 漁師の平均年齢はもう60歳以上とか、色々話が聞けて勉強になりました。

日本海の日没は涙が出るくらい美しさです。 鳥取砂丘は絶好のタイミングの到着で、想像以上のスケールに皆感動です。 日が落ちると、先ほどの漁船の漁火(いさりび)が海に浮かびとても幻想的です。

夜は砂丘の正面にある砂丘センターというところに宿泊。 ビールで乾杯し夕食を食べて、おおきな温泉の湯船につかって部屋に 戻るなり、10時前には熟睡をしてしまいました。 和室でトイレもない部屋でしたが、夕食と朝食がついてビールも飲んで3人で18,025円 はとてもリーズナブルです。 朝の砂丘の風景も格別です。 […]

2005年05月02日067号 旅の食事

3月の北陸ツアーから一ヶ月、また新たに石川県のお客様からネットでのご相談がありました。 前回のツアーで北陸がとても身近に感じられ、今回もYUKIとドライブ感覚で行ってきました。

YUKIとの旅で何時も問題になるのが食事です(旅でなくても問題なのですが) なにしろ食べる事に一切興味がなく、何を食べるか考えるだけでも時間のムダと思っている人で、 どこへ行っても結局マクドナルドや吉野家の全国チェーンで済まそうとするのです。 インターネットのお陰で全国のお客様とコミニケーションを取ることが出来るようになり YUKIと一緒に全国を旅するライフ・ワークも悪くないなと思っているのですが 私としては、この食事問題だけは克服しておかなければ旅の楽しみが半減します。

そこで私はハンドルを握りながらYUKIにコワゴワ言いました。 「全国どこを走っても同じような看板が並んでいて、我々がそれを利用していたら それが益々加速されて面白くないよね、ソコの土地に行ったら、ソコの物を食べようよ! そういった小さな事が地方の活性化にも繋がっていくんじゃないかな」 チョット偉そうな意見ですが、これにはYUKIも黙って頷いて聞いてくれたようです。

さて、北陸自動車道を降りて昼食です! 前回も多くの店舗を目にして気になっていた地元のラーメンチェーン【8番らーめん】に 行く事にしました。 ラーメンの鳴門が数字の8で笑ってしまいました、何で8番なのか聞き忘れましたが クルマを走らせいて気がつきました、国道8号線を走っていたのです。

そして、3月のお客様のTさん・Nさん(不在)宅にちょっとご挨拶したあとHさん宅でお仕事。 夜8時過ぎ、前回も宿泊した金沢城前にある【KKRホテル金沢】にチェックインです。 YUKIがインターネットで探し出したホテルですが気に入っているのは 朝食バイキングが付いている事と、従業員がなかなか味があっていいのです。 前回、朝食を済ませ席を立つ時に「KKRって何ですか?」と若い女性従業員に尋ねると ちょっとおどけたように起立の姿勢をとって「ハイ!国家公務員共済連合会でアリマス!」 とニコヤカに応えてくれた笑顔が嬉しくなったしまいました。

さて晩飯ですがホテル内での食事メニューを見るとそれほど高くありません。 早朝からのドライブで外に出る気力もないのでホテルの和食レストランに行く事にしました。 一応何時ものように持参のアルコールはしっかり客室の冷蔵庫に冷やしているのですが やっぱり、ココで飲む生ビールはまた格別です! 運ばれて来たてんぷら定食(1500円)のお盆に大きな短冊が添えられています。 何かと思って見てみると、料理長の和歌が書かれているのです。 (YUKIの800円のそばにもちゃんと添えられています) ホテルの日本庭園が見渡せる店内には琴の調べが静にに流れています。 あまり上手い歌とも、上手い字とも言えませんが料理長の心意気が伝わってきて 私も返歌をしたためたい心境になりますが、歌はおろか字も料理長を笑えません。 料理を下げに来たウエートレスに「料理に和歌を添えるなんて素敵だね」言うと 「料理長の趣味でして…」と申し訳なさそうに応える表情がまたまたいいのです。 レジカウンターで支配人らしき男性にも和歌の話しをすると、先ほどのウエートレスと 同じような反応をするので私は「みんな料理長の趣味は困ったもんだとおもってるのでしょう?」 とツッコムと支配人は「けっしてそんな事はありません!でも料理長には内緒ですヨ!」 私はこのホテルがほんとに好きになりました、こんな事は吉野家では味合えません。

朝食はもちろんホテルのバイキング、もうこれはYUKIの気を使う事なく好きなものを たっぷりと、またゆったりとコーヒーも飲めて最高です。 帰りはYUKIの希望で合掌造りの白川郷へ、天気も最高で雪解けの春の息吹が美しく 最高の気分でした。 遅い昼食は高速道路の手前の道の駅【荘川】(岐阜県)で… 温泉施設の中にあるレストランでお客様は誰もおらず、靴を脱いで食券を買うシステムで どうしようと迷ったのですが、地鶏の味噌煮の【ケイチャン定食】1200円はとても美味しく 思わずご飯をお替りしてYUKIに睨まれてしまいました。

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2005年03月28日062号 北陸ツアー

22・23・24と福井・金沢にYUKIとクルマで出かけました、もちろん仕事です。 福井のTさんは【保険選びネットの掲示板(とろろさん)】で、私と生保に対する考えが正反対だった方で その後、2ヶ月ちょっとメールのやり取りでTさんは私を質問攻め?にしたのですが… 最後には、もう聞く事が無くなってしまったと言われ、契約して頂く事になったのです(^_^)

それで福井に行く心の準備をしているところに金沢のNさんからメールが入りました。 Nさんは私のネット上の発言やHPをよくご覧頂いていて、契約するならDr.KEN(私)と 密か?に決めていたという、とてもありがたい方で北陸ツアーが現実味を帯びてきたのです。 Tさんも、Nさんも流通関係のお仕事をされているのでウィークデイが休みという事で、 22日(火)福井のTさん宅、23日(水)オフ、24日(木)金沢のNさん宅とスケジィールが決まり… 例によってYUKIとハードでバトルでハッピーな旅がスタートしたのです。

22日午前3時、結局睡眠はとれずに、東名・名神・北陸道で一路福井へ。 メールでのお客様の訪問は、それまでにお互いネットを通して気心が知れているので 仕事というより、お逢い出来るのが本当に楽しいのです。 Tさん宅では奥様や一人娘のオシャマな美古都ちゃんととても楽しいひと時を過ごすことができました。 宿泊は地元のTさんも知らないというYUKIがネットで探したアカデミア・ホテルでしたが 大浴場があるというので行ってみると、源泉100%(飲める)天然温泉でサウナや露天風呂もあって大満足。 YUKIの提案で福井駅前のデパ地下(だるまや西武)食料品売場の3割引のお弁当と 持参のアルコール類(ホテルの冷蔵庫には手をつけないのが我が家の…というかYUKIの掟)を フロアーにある製氷機の無料の氷で冷やして… ほんとうに、ほんとうに、つつましやかなディナーではありますが 風呂上り・ほろ酔い・そして旅の疲れ(なんてたって寝てない)で…午後8時には幸せな眠りにつきました。

23日、6時に目が覚めましたが、それでも10時間は寝ているのわけで爽快です。 NHKの朝ドラをのんびり見たり、パソコンをいじったり、忙中暇有というのはいいものです。 でもYUKIが起きてくると、のんびりとはしておれません、天気予報は雨…降り出すまえに『永平寺』へと 例?によって朝食抜きで出発、雨脚が強くなり永平寺はそここに『越前海岸』までドライブ、 ここまで来て越前ガニを食べずに帰ったら私の人生に大きな悔いが残るとの強い決意を固め! 空腹とYUKIのマクドナルドへのいざないに堂々と立ち向い正午前念願の”カニ”にありつけたのです。 そこから日本海を左に見ながら『東尋坊』に向かおうとした時、YUKIは突然、 金沢の『東京三菱銀行』に3時までに行きたいと言い出したのです。 福井に三菱銀行がなく金曜日集金の小切手が入金出来なかったのですが金沢には あるので、それをどうしても入金したいというのです。 地方出張中で東京海上にはいくらでも言い訳は利くのですが、一度そう思ったら後の引くヒトではありません。 『東尋坊』もそこそこに、高速道路を飛ばしに飛ばして3時前に『三菱銀行金沢支店』にすべり込み…

ほんとうなら能登半島をのんびりドライブと思っていたのですが… でもYUKIはまだ3時だから能登半島に行けるというのです、そして 砂浜を走る『なぎさドライブウェイー』を経由し『能登島』に入ったところでサン・セット お昼は(私は朝食で昼抜きと思っているのですが)贅沢をしたからと 昨日同様、金沢駅前のダイエーで半額のお弁当を買って(いつものマルエツみたいでトホホ) 金沢のホテルへ。この日だけで走行距離400キロ。

24日は快晴! Nさん宅は午後1時のアポイントまでは『金沢城』と『兼六園』を探索。 Nさん宅では保険談義で時間を忘れてもりあがり、外に出ると天気は一転して 空は真っ暗で大雨が降っていてびっくり、でも北陸ではよくある天気だそうです。 帰路は北陸道を北上して上信越道・関越道を通って延べ1500キロの北陸ツアーは 無事終了したのです。

2004年12月20日048号 宮崎にて

今回はYUKIの故郷である宮崎からです。 YUKIの82歳の母は宮崎で日本舞踊の師範をやっているのですが、 今日19日(日)が最後の正式な舞台と云う事で、我が家の3人そろっての、ひさびさの宮崎です。

夏の北海道と同じく、どうせ宮崎までいくなら時間とお金を有効にと… 今朝はAM5:20分にクルマで羽田のパーキングに。 朝一番の飛行機で宮崎に到着、あさっての最終の便で羽田空港に戻るという 角倉家恒例2泊3日充実のエコノミー・ハード・ツアーです。

それにしても、どうして12月というのは多忙で慌しいのでしょうか? まだカレンダーは200部近く残っています(カーナビがあると少し油断をしたようですが) 年賀状のデザインも、やっとヒロコと打ち合わせをした段階でこれからです。 仕事もおかげ様で生保が好調で、支社からの期待もあり今月の達成を目指さなければなりません。 事故報告もおかげ様?で毎日のようにあります。 忘年会もおかげ様で現在まで4回、あと2回残っています。

そうそう16日はとても楽しい忘年会でした。 主催は7月に私の3日遅れの誕生会をしてくれた坂本嘉輝氏、 例によって彼の生命保険セミナー(今年最終)の後の飲み会で 今回もYUKIにも、お声をかけて頂き二人での参加です。 何が楽しいか?といえばメンバーのユニークさです。 再保険会社の社員・ドクター、日刊Gの辣腕記者、外資生保の幹部 保険業界の長老、独立系CFP… それに私の生保担当者で恐れも知らずYUKIにカーナビ購入を促してくれた M君(実は坂本氏のアカラックスも担当)など等エトセトラ!。 普段無口?な私もアルコールが進み…隣のYUKIにテーブルの下から足を蹴飛ばされながら 時間を忘れ生命保険談義に花を咲かせたのであります。

さてさて…宮崎です。 いやはや、YUKIの母で、ヒロコのおばあちゃんで、私の義母にはもう…脱毛じゃなく脱帽です。 高齢で足が思うようにならず、これが最後の舞台という事で、それなりの覚悟をして宮崎にやって来たのですが とんでもない82歳とはとても思えない華やかで軽やかで重厚な踊りには 宮崎市民文化ホールの会場から大きな拍手と歓声があがり、目頭が熱くなりました。

そして、疲れをしらぬエネルギッシュな義母宅で 今日は時間がないので昨日から仕込んでおいたという手作りのカレーライスをご馳走になって 元気いっぱいの義母の話ををしこたま聞いて… 少々疲れ気味の我が家のメンバーは、 明日早朝からの義母案内ドライブに備えて,ホテルに戻るや午後11時に早くもダウン! YUKIもヒロコもすでに寝息をたてているのです。 私も寝ます、おやすみなさい。

2004年11月15日043号 上下町(広島県)

土日と広島県の上下(じょうげ)というところに行っていて今(15日01:30AM) クルマで我が家に着いたところです。 私が眠そうになると助手席のYUKIが私の頭をドツクだけという、いつもの 清く貧しく恐怖で楽しい?総走行距離1800キロのハードなドライブでありました。

今回は生命保険の仕事がらみでなく、まったくのプライベートのYUKIとの旅です。 実は私はこの広島の上下生まれなのです。 でも生後4ヶ月しかいませんでしたから、まったく記憶にありません。 上下は父の故郷でしたが、戦後まもなく家を処分して父の兄弟はすべて 上下を離れてしまいました。 しかし、その角倉家の蔵は上下町のシンボルとして残っているのです。

以前ヒロコと上下に来て、この建物の解説に【角倉財閥】と書かれているのを見て 嘆くやら怒るやら…「なんで、ウチの角倉家はこんな貧乏になったのか!?」と 私を責め立てるであります。 私も、その理由をしりたいぐらいですが、亡くなった父は4男だったからなのか、 頓着がなかったのか、蚊帳の外だったのか、貧乏をしながら、それなりにハッピーな生活し それなりにハッピーに亡くなり、… その長男の私も、貧乏とハッピーさだけを遺産?として引き継いだようです。

さてさて…なんで今、上下にいるかというと 伯父すなわち父の長兄の7回忌を上下の善昌寺というお寺で行なわれたのです。 私も今まで角倉家の法事で何度か尋ねていますが父の兄妹で残っているのは 私の叔母(父の妹)だけになってしまいました。

父は4男ですが、どういうわけか従兄弟の中では私が一番、長老?で すっかり世代交代した今回の法事は感慨深いものがありました。 父の兄弟達が亡くなり、私が歳を重ねていくにしたがって とても遠く感じていた上下が、だんだん身近に感じられ、なぜだかとても懐かしさが込み上げ いとおしく思うようになってきたのです。

2004年11月1日041号 余市のHさんのご実家

今日(31日)はYUKIと国分寺市(東京)のお客様のところにお邪魔しました。 この夏、余市(北海道)でご契約いただいたHさんのご実家です。

実はHさんのお父様が9月に59歳の若さで癌で亡くなられました。 生命保険での給付をした保険会社が、お母様の保険プランをいろいろ持ってきており その事で相談したいとHさんから連絡を頂いたのです。 そして納骨のためHさんが実家に戻っておられる今日が訪問の日となったのです。

国分寺の閑静な住宅地、玄関には大きなウサギの傘たてがあり、少し雑然とした(シツレイ!) ひろい玄関に入ると、その家庭の温かみがワッと伝わってきました。 保険屋を長くやっていると、その家庭の雰囲気が玄関に入った瞬間で感じ取れるのです。 Hさんは女性4人姉妹の長女で、4女は高校三年生でお父様も気がかりだったようです。 でも、お母様を初め妹さん達にも、とても気さくにフレンドリーに迎えて頂き 私も調子に乗って時間を忘れ楽しく(何時ものように)話しこんでしまいました。

生命保険に何も加入されていないお母様には 一時払でムリのない範囲での終身保険と入院保障を提案しました。 保険料を東京海上に預けて頂くという感覚で、生涯の死亡と入院を保障するものです。 私としては、お父様の保険金を支払ったA社が提案しているプランと、しっかり長短を 説明して…と思っていたのですが、あっさりと決めて頂きました。

A社のプランは、『これだけ保険金を支払ったのだから、これだけ入れ!』と云った感じで とても契約者の立場に立ったものとは、私には思えませんでした。 私の提案した保険は、何時もの事ですが代理店手数料からすれば代理店にとって 旨みのある保険とはいえません、逆に云うと契約者には有利な保険です。

私が北海道に生命保険の契約に行った事を”保険屋仲間”に話すと、誰もが大きな契約と思うようです。 それが個人契約で手数料が極小の入院特約中心の保険だと知ると、もう”バカ”にされるだけです。 でも、自分の利益を考えていたら、お客様本位の設計など出来るわけがないのです。 そして、その保険が気に入っていただければ、たとえ北海道でも沖縄でもどこでも行く、と決めています。 それじゃ採算が合わないと、誰もが思うようです。

しかし、ありがたいことに今回のようにHさんの方から、声をかけて頂き しかも私の方が拍子抜けするぐらいあっさりとご契約いただけました。 余市に行ってHさんとお逢いするまではHさんのご実家が東京という事も知りませんし、 なんの打算があったわけでもありません。 ただ正直な仕事をしたら、正直に答えて頂けてた事に、とても心から感謝し、うれしくなりました。

Hさんのお父様の仏壇にお線香をあげさせて頂きました。 私と一歳違い…骨太で体格が良く健康そうで優しさが伝わってくる素敵な方です。 とても他人事とは思えない気持ちで手を合わせました。

お母様は生命保険の告知書に身長と体重を書かなければなりません。 おどけるように体重をご自身で量られ…「7キロもやせた!」と喜んでおられました。 明るく、明るく、振舞われるお母様に…胸が熱くなりました。