「ところで弟のヒロシさんは今、何をされているのですか?」 「定年後、坂本で喫茶店をやってるワ…」
27日、いつものYUKIとのクルマでのツアーで伺った神戸(東灘区)のI様宅から、ほんの2キロほど… 古い古い、お付き合いのノリコさん宅が、あまりにも近いので突然、お邪魔をさせて頂いてのことです。
どのくらい古いお付き合いかというと…まず1枚の写真をご覧ください。 左側の一番小さな男の子が私で、乾杯のビールを持っているのがO先生、その後ろがO夫人。 そして、ノリコさん、ヒロシさん(O先生の隣中央)、タカシさんの3姉弟です。 因みに私の後ろが母、その隣が伯母、左端が祖母で、 伯父と父は写っていないので多分、写真の撮影と照明だったのでしょう。 五十数年前の正月に京都の角倉家で撮ったOファミリーとの写真です。
二枚目の写真は、その時に撮った角倉家全員の写真です。 私は広島の上下で誕生し、生後4ヶ月から幼稚園(栄観堂幼稚園)を卒業するまで 京都で伯父夫婦と祖母、それに私の家族(父母と私)の計6人が同居していた時期があったのです。 伯父夫婦には子供がなく、私もこの時は一人っ子(東京で妹二人が誕生)でしたから 大人ばかりの静かな環境の中で、私は物静かで寡黙で礼儀正しい凛々しい(りりしい)子として育ったのです。 (YUKIもヒロコもまったく信用しませんが)
ただし、このもの静かな家に時々、嵐がやってきます…それが賑やかなO先生ファミリーです。 開業医のO先生は病弱だった私(これもYUKIやヒロコは信用しないのですが)には、 すぐ注射をする、とっても怖い存在だったのです。 私の伯母とO夫人が女学校の親友同士という関係だったのです。
そんなわけで、私の幼少期の記憶としてのO先生ご夫妻は強烈なものでした。 十数年前の話ですが、ホノルルからほど遠いリゾート地のトイレで老夫婦とすれ違いました。 私はYUKIに「今のヒト、もう何十年もあっていないO夫妻のような気がするのがけど…」と言いました。 YUKIは「そんなこと私に言われてもわからないから、出るの待って直接聞けばいいじゃないですか」と あたりまえの事を言われ、その老夫婦がトイレから出てくるのを待ちました。 私はこわごわと「大変失礼ですが、ひょっとしてO先生ではないですか?」と確認したところ やっぱりご本人! ハワイで、それもあまり日本人が行かない郊外のリゾートの人気のないトイレで なんという奇遇とばかかり、感激したものでした。
そんな縁で、長女のノリコさん、長男のヒロシさん、医者を継いだ次男のタカシさんには 父が晩年の入院や療養では力になって頂きました。 ノリコさんのご主人のAさんにも大変お世話になっており、親戚同然のお付き合いをさせて頂いています。 こうして考えると”人の縁”とは不思議で大切なものと思わずにはいられません。
さてさて…いつものように前置きが長くなってしまいました(^_^) その長男のヒロシさんも私より4歳ほど年上ですから会社もリタイアされたのではと思い 姉のノリコさんに冒頭のような質問をしたのですが、「坂本で喫茶店」という意外な答えです。
坂本は京都のO家の実家からクルマで抜け道を通れば30分ぐらい、 紅葉の名所としても有名な、比叡山のケーブル駅もある由緒ある門前町です。 そこに、やはり京都で開業医をされていたO先生のお父さん(ノリコさんの祖父)が 別荘として購入され、そのまま残っているのです。
そこで喫茶店をとなると、昔はケーキ屋KENちゃんといわれた私は俄然興味がそそられます。 帰りは比叡山延暦寺を見て、その喫茶店によってみようという事になったのです。
まさに、そこは雑誌【サライ】【自遊人】【大人のOFF】…の世界です。
ヒロシさんとお逢いするのは何十年ぶりですが、昔の面影は充分に残っています。 そして、なによりも活き活きと楽しそうに喫茶店を営んでおられるのです。
定年後のヒロシさんに「坂本の家で喫茶店をしたらと…」とのアイデアを最初に出したのは 奥様とお嬢様だったようです。 O家の長男として坂本の家に愛着がありながらも、古い家と広い庭園の維持管理に頭を痛めていた ヒロシさんにとって『一石二鳥』いや健康を考えれば『三鳥』にもなる名案です。
そんなわけで、商売っけはほとんどありません。(^_^) ヒトを雇ったら、それだけで赤字ですから、お店はヒロシさんだけ。 したがって、お店の電話番号はヒロシさんのケータイ。 大きな看板や宣伝をしているわけではないので、普段の日はお客様がゼロの日も。 でも、庭の手入れや草むしり、そして近所のお付き合いも増えて、それなりにお忙しいようです。 一番困るのは、お客様が同時にたくさん来られることで、そんな時はお客様に手伝ってもらうそうです。
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