2005年05月30日071号 ユニークな家族旅行

26日(木)未明から29日(日)未明まで”二泊四日”の
いつものYUKIとのクルマによるビジネス・ツアーに、プラス!
ヒロコも加えてのファミリー・ツアーというユニークな旅から帰ってきました。

今回のホームページ閉鎖騒動で、
私は相談者の方に本当に申し訳ないと思ってしまう出来事が、
相談者自身のご家族に興ってしまったようなのです。

奥様がご主人の生命保険についてご相談されるというパターンは多くあります。
相談者である奥様との何度かのメールのやりとりで保険内容も決定し、
被保険者であるご主人に保険契約のため直接お逢いするという段取りになるのです。

この時にご主人が、それまでの経緯を知っていれば何の問題も無いのですが…
いきなり、ヘンな保険屋のおじさんが、かなり遠方から、やってくると聞かされた
ご主人は「なんだ?そいつは?」と怪しまれる事が多いようです。(^_^;)
そんな時、通常は私のホームページをご覧いただき納得して貰うのですが…
なんせ”閉鎖中”ですので、ますます怪しまれてしまったようです。

そんなわけで、ご主人からのアポイントが取れないまま
タイムリミットの今週末と近づいていたのです。
これが原因で夫婦仲が悪くなった、なんて事になったら大変です。
ご主人からアポがとれたら必ず私のケータイに連絡を頂くという事にして、
この週末は近くまででも行ってスタンバイだけでもしておこうと決めていたのです。

そう考えていたところに、ヒロコが今春から社会人になって就職するなり、
土日も出社したりゴールデン・ウイークも無く超多忙だったのが
突然、まとまった休日が取れたので何処かに行こう!というので…
急遽、なんでも良いからクルマで出かけようという、
計画性のない旅がスタートしたのです。

メール相談で8割程度まで決まりかけている大阪のHさんがいらっしゃいました。
ちょうど通り道なので具体的な書類を直接お持ちするという事で
26日午前10時のHさん宅訪問が旅の第一歩になりました。

そこから数キロのところにヒロコの友人でローマ留学でも一緒だったJ子の実家があります。
そこに寄って見ようという事になったのですが留守でした。
そこで玄関前で写真を撮って今はニューヨークにいるJ子に
ヒロコがメールで黙って写真だけを送りました。
直ぐに戻って来た「なんじゃ!こりゃ!」というJ子のメールに車内で3人は大笑いです。

また、そこから数キロのところに私の生命保険の法人契約第一号になったYさんの会社にも
家族で突然訪問させて頂きました。

この日は最終目的地はヒロコの希望で鳥取砂丘で宿を取る事にしたのですがまだ時間があるので
YUKIは天橋立(あまのはしだて)経由で、しかも高速道路を使わずに行けと言うのです。
しかし、前日から一睡もせずに運転を続けている私に突然睡魔が襲ってきました。
ほんの小一時間まどろんでいたのですが、なにやら助手席のYUKIがブツブツ不機嫌そうにしています。
これでは天橋立には行けないというのです。
私もそう思います、それより鳥取砂丘の日没を見ようという事になりました。

一路、クルマは日本海に向かって北上し、そこから日本海にそって西へ走ります。
途中の漁港で沢山の大きな電球をつけた漁船が並ぶ漁港がありました。
そこで70歳になる漁師さんからお話をいろいろ聞きました。
これはイカ釣り船でこれから出かける漁に出る準備をしているというのです。
電球は1個3000ワットで肌を出していると大変な日焼け?をしてしまうそうです。
漁師の平均年齢はもう60歳以上とか、色々話が聞けて勉強になりました。

日本海の日没は涙が出るくらい美しさです。
鳥取砂丘は絶好のタイミングの到着で、想像以上のスケールに皆感動です。
日が落ちると、先ほどの漁船の漁火(いさりび)が海に浮かびとても幻想的です。

夜は砂丘の正面にある砂丘センターというところに宿泊。
ビールで乾杯し夕食を食べて、おおきな温泉の湯船につかって部屋に
戻るなり、10時前には熟睡をしてしまいました。
和室でトイレもない部屋でしたが、夕食と朝食がついてビールも飲んで3人で18,025円
はとてもリーズナブルです。
朝の砂丘の風景も格別です。
砂丘センターの宿を後にする時に【角倉様】と書かかれた歓迎の札に感激!
なんせ、お客様はほとんどいなっかたようです。

さて27日は四国の徳島市にいく事になっていました。
徳島の安い宿を探している時に、私はふと大学時代の友人のHが
徳島で呉服屋をやる側ら、ビジネスホテルも経営している事を思い出し電話すると、
本人が出て、是非ウチへ泊まれというのです。
そして晩飯は自慢の寿司屋に招待するからというのでヒロコも大喜びです。

鳥取から岡山に抜ける一般道はとても自然で美しくヒロコも感動の連続だったようです。
瀬戸大橋を渡り四国に入ってからも、高速をつかわず一般道を走り続けます。
景色はまったく変わり低い樹木と丸い山が穏やかな南国情緒をただよわせます。
Hとは大学卒業以来36年ぶりの対面です。

彼が招待したのは彼が行き着けだという小さなカウンターの高級割烹でした。
そこで、私が学生時代は如何に阪急ブレーブスの熱烈ファンだったかという誰もが言うエピソードと…
ヒロコがビックリするような話しをしてくれました。
それは私がいかにハンサムで格調高く、しかも明るい性格であったかという事です!
明るい性格という以外は、今の私からヒロコにはどうしても想像できないようです。
そして困った事に、私の学生時代のHとの写真を沢山見てきた、彼のお母さんとお姉さんが
是非、私と逢いたいと楽しみにしているというのです。
見る影もも無く変わり果てた、己の姿をお見せするのには、さすがの私も気が引けるのですが…、トホホ。

Hはいつも飲み歩いているようで次は女性のいる店に行こうというのです。
私はそういう店は遠慮するからというのを、家族でも大丈夫だからとムリヤリつれて行こうとするのです。
あんの上YUKIは途中で怒って帰ってしまったようです。
ヒロコも私にその事を伝えてホテルに戻ってしまったのです。
もうこうなったら時のYUKIの恐ろしさは理屈抜きでコワイのです。
私も帰りたい心境です。多分ホテルの部屋には鍵がかけられているでことでしょう。
Hにこの事を話すと、ホテルの合鍵はある大丈夫だというのです。
まーホテルのオーナーですから…でも、そんな問題ではないのです。

そんな私の気配を感じたのかHはそうそうに、この店を後にして3軒目のお店です。
ココは庶民的でアットホームな小料理屋でです。
お客様の全員がHとは顔馴染みのようで私も直ぐに溶け込む事が出来ました。
徳島といえな阿波踊り、私がその事に話をふると
突然ママさんがビール瓶を栓抜きでリズミカルに叩きだしたのです
するとお客様の一人が阿波踊りを踊りだしたかとおもうとカウンターのお嬢さんも
踊りだして店内は大盛り上がりで、さすが阿波踊りの本場と堪能する一夜でした。

翌朝、朝のコーヒーを貰いにフロントに行くとHはもう来ていたのですが…
昨日の事はまったく覚えていないというのです。
後でホテルのマネージャーにいつもあんな調子なのかと聞いたのですが、
それには答え難そうでしたが、覚えていないというのは嘘でもないようです。

翌朝のホテルのチェックアウトでも、フロントで料金を受け取らず
結局すべてHの招待という事になってしまいました。
呉服屋の”○か旦那”ぶりには少々呆れてしまいましたが…
やっぱりここは36年ぶりの友に感謝の意を表さなければなりません。

28日(土)は、せっかく徳島に来たのだからということで、”阿波踊り会館”で
阿波踊りの実演を見て、その後の観客の舞台に上がっての実習にもヒロコと参加して、
見よう見真似で楽しんできました。
会館を出て、初めて見た四国のお遍路さんが青い目のベルギー人には
驚いてしまいましたが、今は外人や若い人が多いようです。

旅の途中で大阪のHさんから連絡が入っていました。
ご主人が面接士(保険加入にあたって面接する人)に日曜の午後7時に来て欲しいとの要請です。
しかし募集人(すなわち私)同行なしで引受られるのはウイークデイの4時までとされているようです。
この日(土曜日)の夜7時なら私が伺えるので、一日繰り上げての面接士の面談を
ご主人のお店(BAR経営)でする約束が出来ていたのです。

鳴門の渦潮をみて、淡路島の一般道をのんびり走行して
明石海峡大橋を渡って神戸からHさんのお店に向かいました。

結局、今回のきっかけとなったお客様からの、電話は入りませんでした。
本当に奥様には、苦しい思いをされているかと思うとと申しわけない気持ちでいっぱいです。
こちらからはもう決してアプローチはしないと心に決めています。
でも、私のHPが再会され、またチャンスがあればご連絡が頂けるのではないかと、
私は密かに思っています。
それに、こんなユニークで楽しい旅のきっかけを作って頂けたのですから感謝です!

Comments are closed.