2007年12月31日206号 持つべきものは友

年末恒例のクラシック・ハート・コンサートが29日無事終了しました。

【週間KEN12月10日号】で クラシックなどにはエンもユカリも、そしてお金も無い私が、 このようなボランティア活動に足を突っ込んだ理由や 今年は念願のホームページが完成したことをお伝えして… そして最後に、このコンサートへの参加者を募りました(^_^;)

これまで 参加者の募集はボランティア活動の役員達の”知人への呼びかけ”でしたが… 私がこのボランティア参加の条件として 「そのようなノルマは一切勘弁して欲しい!」というものでした。 保険の世界、特に生保の世界での不祥事の根源も”ノルマ性”だと思っている私は なにしろ”ノルマ”がキライなのです(^_^;)

こんなモノに頼っていたら活動は長続きしない、 活動に永続性を持たせ、広く賛同者を募るには、 しっかりとしたコンセプトを持ったホームページを公開していく事が不可欠! とエラソウな事を言い続け”ノルマ”から逃れてきた私ですが、 そのホームページが完成しちゃったのです(^_^;) 常々”ネットのチカラ”を力説してきた私が、 そこからもゼロというのは立場上ちょっとキビシイ状態になったのです。

そこで【週間KEN】で呼びかければ1組ぐらいは参加者がいるのではないかと 甘く見ていたのですが、締め切りの24日直前になっても集まりません(^_^;) もちろん反応がまったく無いというわけではありません、 今年は年末から○○に行くので来年は…とか手ごたえはあるのです。

でも、こうなればゼロというわけには行かない心境になってきます。 そこで閃いたのは、友人の丸谷です。 彼はM放送を定年退職し今は悠々自適の生活をしており、 この【週間KEN】もよく読んでくれているようなのです。 私が電話をして「ちょっと頼みたい事があるのだけど…」と言った瞬間、 「29日の件だろう、判った俺は参加するよ」と何時もの短いフレーズですが1名ゲットです。 そして私が「YUKIが奥さんにもお会いしたいと言ってるし是非!」ともう一声(^_^;) 「彼女はオレと違って忙しいとおもうけど聞いて見る」と言ってガチャンと切りました。 それからしばらくして2名の氏名が書かれたメールが到着しました。

当日、ヒロコは昨年に続いてビデオ撮影を担当しています。 作年はヒロコのサルサの先生でNHKでも仕事をしているジョエルが助手?として 手伝ってもらったのですが、彼はキューバに帰国中で、 今回はヒロコの友人のジュンコと黒沢クンに応援を頼みました。

そして、もうひとり忘れてはならないヒトがいます。 ”うるめクン”です…彼がいなければ、 このような素晴らしいホームページは完成しなかったですし、これからの対応も困難です。 そんな中で完全ボランテァで参加してくれた”うるめクン”には私だけでなく ボランティアの役員一同、とても感謝しているのです。 そうそう、人は見かけによらぬもの(^_^;)ここで初めて聞いたのですが… ”うるめクン”が中学までピアノを習っていて、大学まではよく弾いていたというのです。

我われのテーブルは”うるめクン””黒沢クン””ジュンコ”そして”ヒロコ”の若者4名に 丸谷夫妻にYUKIと私の計8名。 丸谷夫人は発展途上国の自立を支援するNGOを理事長で もっといろいろお話をしたかったのですが… なんせヒロコたちはビデオ撮影、私はデジカメ撮影、 ホームページの説明や丸谷はインタビューされたり、 もちろんコンサートを聴くのがメインですし、食事もしなければならないわけで、 アッというまに終ってしまいました。

”持つべきものは友” 私たちのテーブルを見て、しみじみ思いました。

来年も”友”を、そして”お客様”を… 大切にしていきたいと思っています、本年も本当にありがとうございました。 […]

2007年12月24日205号 アカラックスの忘年会

一ヶ月ほど前にアカラックスの新越部長からメールが届きました。

>年末となり、ちまたでは忘年会を計画する時期となりました。 >そこで、当方では、「題名の無い音楽界」に対抗して、 >「セミナーのない2次会」を計画しているところですo(^-^)o >現在、12月20日(木)が有力な候補として挙がっていますので、 >あらかじめスケジュールの調整を宜しくお願い致します。

何のことかと言えば… 一昨年までは毎月アカラックスでセミナーが行なわれていて そのあと近くの居酒屋で2次会、その後はアカラックスのオフィスで3次会というのが お決まりのパターンで毎月飲んだくれていたのです(^_^;) そんなわけで… セミナーはどうでもいいけど(^_^;)二次会・三次会が楽しみという人達もけっこういたのです。 それが今年のアカラックスさんは共済のコンサルで多忙を極め?セミナーが無くなったのですが… アカラックスの二次会をいやセミナーを望む声は私を含め少なくなかったようです。

そんな声を反映して 【セミナーの無い二次会】のご案内メールが届いたというわけです。 とうぜん私はカレンダーの12月20日(木)に印を入れて例によってYUKIと サカモッチ(坂本さん)ファンであるヒロコと3人で参加する予定である事を連絡しました。

ところが、その20日直前になっても会場や時間や予算の連絡がまったく無いので 電話で新越部長に確認してみると 会場はアカラックスのオフィス、時間は午後5時半頃からボチボチと、 会費は無料だけど持ち込みは大歓迎!というのです。

アカラックスのオフィスは今春同じビルの2階で広いところに引っ越しているので 問題は無いのですがオフィスでの忘年会で常連で家族での訪問となれば それなりの持込をしなければ…という気持ちになります。(^_^;) それほど料理の得意でないYUKIが急に手料理を、と言っても大変です(^_^;) でもYUKIは意外と落ち着いていて「ポテト・サラダぐらいだったら簡単に作れるから」と 心強いコトを言ってくれるではありませんか。 さっそく近くのスーパーでジャガイモとそれに出来合いの豚の角煮やおつみを買って 準備をし出かける事にしました。

ポテト・サラダの用意もあって、私とYUKIがアカラックスに到着したのは7時ちょっと前でしたが 会場はかなりの盛り上がりで「遅い!」と叱られてしまいました。

アルコール類は先日、香港の免税店で買ったシーバス・リーガルの1リッター瓶を お土産としてアカラックスに持っていっていたのですが… INSWATCHのイシイさん私と顔を合わすなり… 「あの香港土産のスコッチこのまえ僕が全部のんじゃった!」ととてもご機嫌なのです(^_^;) YUKIのお手製のサラダも思った以上の好評でアッというまに無くなってしまいました。

「YUKIさんは料理がまったく出来ないなんていうけど、ウソばっかり!」 下川さんからYUKIは誉められ、私は叱られとました。 でもポテト・サラダは料理というほどのものではないとは思うのですが、まーいいでしょ(^_^;)

少々遅れて【保険えらびネット】のバードさんや 【保険情報】の代表シラネさんと、 そこの辣腕記者?で我が家ではおじゃる丸の川上さんで通っているフジワラさんと ほけんドッグのやすしさんと… 顔なじみの酒豪がぞくぞくと集まってきます。(^_^;) そうそう【保険情報】からは『ネットでの保険販売』というテーマで 先日取材を受けたばかりですが新年号に掲載されるそうです。

私はネットはマスなメディアではなくて、あくまで個人的なメディアでとして有効なもので、 それをどう上手く利用するかが代理店経営の未来にも係わってくるという考えで その思いを私のブログのテーマでもあります。 しかし業界紙の大きなクライアントが保険会社だったりするようなので ネットをマスなメディアとして、どう使っていけるか?といったようなことに 取材の主旨があったようで、期待に添えなかったかもしれません… ま~なにはともあれ新年号が楽しみです。(^_^;)

「でも実際には今のところネットを個人的に利用して保険営業が成り立っているのは […]

2007年12月17日204号 KY

今年の流行語大賞は逸したものの、印象に残った言葉に『KY』があります。 『空気が読めない』 辞任した前首相の安倍さんのチグハグな言動を揶揄して使われたのが流行語になったようです。

それから、いろいろなヒトを指して「あのヒト、空気よめないじゃない!」などと 言って大笑いをしたりする光景をよく見る1年でありました。 うちのYUKIなんか、その代表かもしれません(^_^;) この私ですらハラハラすることが日常茶飯事なのですから。 でも何でも思ったことを、そのまま素直に言うことは悪いことでは無いように思います。

安倍さんは空気が読めない政治家としてレッテルが貼られてしまったようですが 彼の【美しい国・日本】という本がベスト・セラーになっているという話を聞いた時… なんだか”イヤな空気”を私は感じこの週間KENでも少し触れました。 その時は安倍さんは”空気”を利用する政治家と思ったのですが ”空気”が読めなくて?1年で退陣しちゃったのにはびっくりしました(^_^;)

世の中で何が怖いかといったら… 一つの空気でワーっとひとつの方向に行ってしまうことです。 バブルの時もそうでしたが… もっとも怖いのは”戦争”です。 特に日本人はひとつの空気でワーと行き易い国民であることを 肝に銘じておくことが大切だと思っています。

沖縄の集団自決や従軍慰安婦の問題で国家の介入が有ったか?無かったか? などという議論がなされたようですが、 政府が言うように、そんなものは無かったかも知れません。 しかし、そのような”空気”はあったのではないでしょうか? 武士が切腹をする時も、特攻隊に志願するのも… どうにも逃れられない”空気”の中で追い詰められて”自分の意思”で行なわれることに してしまうのではないでしょうか? この”空気”を政治家や権力者が利用するのは怖いことですが… それに国民や民衆が同調し大きなウネリになると、もっともっと恐ろしくなるということです。

ようするに”空気”など読んだらロクなことはないのです。 したっがて空気を読まないYUKIはエライと思います(^_^;) じつはこの私もブログでは、 空気を読みまくって硬直状態にある保険業界に対して 空気を無視してホンネで書きまくっているのです(^_^;)

『KY』が今年の流行語大賞を逸した事は喜ばしいことだと思いますが…

ロコハウスは来年も『KY』で行きたいと思っています。 もちろんロコハウスの『KY』とはKENとYUKIのことですが(^_^)

2007年12月10日203号 12月29日のコンサート

何度か週間KENでもご紹介している… 毎年、年末にホテル・ニューオオタニで行なわれる恒例の クラシック・ディナー・コンサートのホーム・ページが完成しました。

このコンサートは私の友人の渡辺氏が1995年からボランティアとして初めてもので クラシック音楽を勉強している若い音楽家に奨学金を与え、音楽家の演奏の場を提供しようと いう主旨で始められ12年も継続されてきたものです。 95年といえば、その前年の94年から96年10月までマル2年間… 私は渡辺氏の酔狂な(^_^;)ボランティアと横目で見ながら 生活苦(^_^;)ために新聞配達をしている真っ最中でありました。

それから数年して今度は渡辺氏の事業が行き詰まりボランティアとしての危機があったのですが この素晴らしい火を消してはならないと、多くの仲間が協力して今日まできたのです。 そんな中に、少々生活が安定するようになった私も仲間入りしていたわけですが コンサートの集客だけは勘弁願っていたのです。 なんせ小さな貧乏保険代理店にはお客様を招待するような余裕もありませんし 取引業者に高圧的にチケットを買わさせるなんて相手もいませんし 第一そのようなモノでもありません(^_^;) ただ毎年、家族3人で参加させて頂だくという事にしていたのです。

でも、行なわれているコンサートもディナーも…素晴らしいものです! ディナー・コンサートの最後に全員が起立して大合唱で歌う”第九”も恒例になって 「このコンサートに来なければ年が越せない」という人も多くなってきました。

このような状況の中で、私は以前からホームページを作る事を提案していたのです。 少しでも多くの人にこの活動の主旨を理解してもらい、それによって参加者が増えたら、 ボランティアのメンバーの”顔”での集客をノルマ?のように与えられるより ず~と合理的で有意義な事ではないかと…

その、私の意見が聞き入れられ「今年はホームページを作ろう!」… という事になったからタイヘンです(^_^;) 結局、我がムスメのヒロコに協力をしてもらう事になり、 そのヒロコにも大変な作業になり 保険のポータル・サイトを立ち上げてた”うるめ君”に協力を要請し やっと、素晴らしいホームページが完成したのです。

そして今日(9日)、コンサート前の最後に打ち合わせがホテル・ニューオータニで 行なわれました。 そこで私は役員の人達から言われてしまいました。 「今年はホームページも出来たことだし、角倉さんも少しは参加者を集められるでしょ」 と言われ参加者のリストを書く紙も貰ってしまいました(^_^;)

けっして強制ではありません(当たり前です)が… 12月29日、だいぶ押し迫っていますが毎年この頃でして(^_^;) 会費は12000円と安くはありませんが、一流ホテルのコース料理でワインは飲み放題?で クラシックの生演奏が聴けるわけで、それだけの価値があり、 その会費の中から若い音楽家に奨学金が与えられるのです。

一度参加したらヤミツキになるかも知れません(^_^)(昨年のコンサートの映像です)

もちろん、テーブルは私とYUKIとの同じテーブルになると思います。 ご参加いただける方がひとりでもいらしたらホームページの効果が示せて 私の立場も保てるという、私にとってはこんなありがたいことはありません。 是非!この機会に!m(_ _)m

※ニューオータニ近くの紅葉と、イルミネーション。

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2007年12月02日202号 歯医者6ヶ月

小学校の何年生だったか忘れましたが、私が表彰書というものを初めてもらったのは 『良い歯をしている』という事でした。 それ以降も、表彰状とは縁の無い人生を歩んできましたので、 私が唯一自慢できるのが”歯”のみとも言えます。

そんな私も大学を卒業して就職したのが洋菓子メイカー、 ケーキ屋KENちゃんとしてケーキや菓子類の試食も重ね、 それでも風雪に耐えながら歯医者とは縁の無い生活を送り 初めて虫歯の治療をし奥歯2本を抜歯してブリッジで補強したのが十数年前。

それから、また歯医者と縁の無い生活を送っていたのですが… 今年6月初め、どうにもこうにも歯が痛くなって歯医者に行くことになったのです。 十数年のあいだにブリッジがすっかり外れ、それでもそのまま放置していたら、 その横の奥歯が弱って歯茎が化膿し、また抜けたままの奥歯の上の歯が 本来なら噛み合わせになる下の歯のないため伸びてしまっているのです。 ようするに十数年の放置のため私の歯はえらいことになってしまったようなのです。(^_^;)

ここから平均、週一回の歯医者さん通いが半年間続いて、先日晴れて? 左右の奥歯4本を補強する”義歯”が出来上がり、 とりあえず半年間の歯医者がよいは終了したのです。

歯医者にこれほど通ったのは私の人生でも経験がなく、それはそれなりに面白い体験でした。 (まーこれからは、ごやっかいになる事が多くなるのでしょうが)

そもそも、どのような治療がされているのかよく判りません。 ただ大きな口をあけて、なされるがママにしているしかないのです。 とても紳士的で、もの静かなドクターなのですが、ときどき鼻歌まじりで、 私の歯を削りながら歌いだすのが難点です。 「♪こまっちゃうな~♪」 なんて耳元で囁かれたら、不安になります(^_^;) 「♪あなたな~らどうする♪」なんて聞かれても私にはどうしようもありません(^_^;) ただ大きく口をあけてドクターの歌を聞くしかありません。

私は床屋でも、レストランでも、近くのスーパーでも、馴染みになると いろいろと会話をするのが楽しみな性分ですが… 歯医者さんに半年間も通って、会話らしい会話が出来なかったのも貴重な経験でした。(^_^;)

そして、これだけお世話になった歯医者さんで 毎週、至近距離で半年に渡って顔をつき合わせていたわけですが 多分、道ですれ違っても私はドクターに気がつかないと思います。 なぜならば合う時はいつも大きなマスクをしていますしていたからです。 だからといって、どんな顔をしているのかドクターの顔をのぞき込むのも抵抗があります。

そんなわけで、半年間、歯医者の椅子で大きく口をあけて目をつぶり ただドクターの囁きと、耳元で口ずさむ歌を聴いていたのです。(^_^;)

2007年11月26日201号 香港より帰国

先ほど香港から無事、我が家に帰宅しました!

ただし今回は… 恒例ともなりました毎日現地からのレポートと写真をアップするという週間KEN臨時増刊号が、 現時点において3日目以降が未完成のままになっています(^_^;) ”とてもお恥ずかしいことになっておりますが数日中には完成させておきたいと思っています。

なぜ、こんな事になってしまったのか? それは今回は団体旅行であったのに甘くみていたということです。 これでも毎晩午前3時頃まではホテルの部屋の片隅でパソコンと向いあっていたのです。 でも毎朝といっていいぐらい6時頃にはモーニング・コールがあるのです(^_^;)

出発の日は完全徹夜でした。 次の日、すなわち香港初日の夜は午前3時で睡魔にまけてダウン。 でもこの日の午後2時までは我が家の単独行動でしので、 香港2日目の午前中はホテルに閉じこもって仕上げることが出来たのです。 しかし団体旅行となると、そうはいきません。

文章を書くだけなら、どうにかなったのですが…。 問題は写真です。 今回は団体旅行のため、私が一日の撮影する写真の数がベラボーに多いのです。 何もベラボーに撮らなければならない義務はひとつもないのですが。(^_^;)

実は今から40年ほど前、今回の旅行を共にするメンバーとの合宿や活動などを 私は撮影をし、自分で現像までしていたのです。 すなわち、その習性が40年経った今でも残っていたというわけです(^_^;)

その頃と違ってデジカメはバッテリーとメモリー・カードがあれば無尽蔵に撮れます。 今回は新しいワイド・レンズがついたデジカメにバッテリーの予備を2個、 それに2ギガのメモリー・カード(今や3,770円)を買ったので 1日分の撮影には充分ということで バチバチと撮りまくり、それを整理するだけでも大変な時間を要してしまったというしだいです。

言い訳はそこまでにして(^_^;) また旅行の報告と写真は、近日中に全日アップしご紹介するとして 私の旅の総括です。

何より安心したのは、YUKIやヒロコが気心を知っているオグラ夫妻はもちろんのこと、 メンバーの誰もが紳士的で優しく、拓大ラテン・アメリカ研究会の印象をよくしたことです。 もし機会があったら、また参加したいと言っています。

気ままで、自己主張とバトルを繰り広げてながら、きままな旅を続ける我が家の旅も 捨てたものではありませんが、 皆とのコミュニーケーションを大切にしながらの旅もまた、 捨てたものでないことを知っただけでも、とても有意義な旅だと思っています。

オグラ夫妻。 自費で参加し添乗員役まで果たしたナミカタ君。 毎晩午前3時過ぎにベッドにもぐりこむ私を気遣ってくれた同室で同期のアダチ。 身勝手な行動をする、素っ頓狂な我が家のメンバーを温かく受け入れてくれた諸先輩。 参加者全員に心から感謝しています。

特別増刊号 香港・マカオ・珠海の旅6日間 11月22日(木)第03日目 マカオ→珠海→マカオ→香港

11月22日第3日目  マカオ→珠海→マカオ→香港

朝6時のモーニング・コールです。 前の晩はパソコンと向いあってベッドに入ったのが午前3時30分 またもや、ほとんど寝ていません(^_^;)

今日はマカオから中国本土の珠海に渡って、それからマカオを観光し 香港に戻るというスケジュールのです。

すなわちこの日は【マカオ】→【珠海】→【マカオ】→【香港】というコースを とるわけですが、昔はともかく今はすべて中国なのだから 行き来は楽になったのだろうというと思っていました。

ところがびっくり!この日、パスポートに押されたスタンプです! まだ次ページにも2箇所押されています。 それにここを通過する度に出入国カードも書かなければなりませんし それに、なにしろ人が多くて時間がかかるのです(^_^;)

夏に憧れのスペインに行った時はミラノ経由の便で行ったため イタリアの入国スタンプが押されただけでスペインは同じEU圏内であるため、 何も押されておらず、少々がっかりしたのですが、 今回はそのまったく全く逆というわけです。

この日は「イミグレーション・ツアー」と覚悟を決めれば それはそれで中国を感じる貴重な一日となります(^_^;)

さて…ホテルのビュッフェで朝食を済ませ、マイクロバスで 少し行ったところに中国との国境があります。 陸地を使って渡る事も出来るのですが、船を使うコースが空いて いているとの事で、行きは船コースで国境?を越え中国本土へ。

孫文が生まれた珠海市の中山にある孫文記念館は見ごたえがありました。 ①②③④⑤⑥ ⑦ マカオに戻り、ポルトガル料理の昼食! ①③④ そしてマカオ観光! ①②③④⑤⑥⑦ 我々より2年先輩のイシイ、ヤマシタ、キムラ3先輩。 余談ですが…YUKIとMrs.オグラとMrs.キムラは偶然にもS24年の4月&5月生まれでした。

香港に戻ってホテルで一息つく暇もなく 今回のツアーで食通のオグラがもっとも豪華な食事と自慢するレストランへ。 ここで、やはり香港在住で活躍する同期のノムラも参加! 美味しい食事と、美味しい老酒、それに久々のノムラをかこんで 多いに盛り上がりました。①②③④⑤⑥ この日の料理の数々です。①②③④⑤⑥ マンゴ・プリンはこのお店が発祥だそうです。

その後、ヒロコは、まえもってインターネットで調べておいた 香港のサルサ・クラブへどうしても行きたいという事で そこまでの行き方をオグラに聞いていたのですが、 結局、オグラ夫妻とタクシーで一緒になって連れていってもらったそうです(^_^;)

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2007年11月12日199号 ボランテァから学ぶもの

我が家のカレンダーの11月9日金曜日の欄には早くから 『茶屋エポック』と大きく書き込まれていました。 今年初めの157号で東大和(東京都)の洋菓子店『茶屋エポック』が地元の イトーヨーカ堂(東大和店)での催事にボランティア参加した事を書きましたが ヨーカ堂さんもよっぽど企画が無いのか(^_^;)今年3回目の催事が模様されているのです。

2回目の催事も、早くから店主のエノちゃんにボランティアを頼まれていたのですが すっかり忘れてしまいスッポカしてしまったのです。 翌日になって、その事に気付いて私は大慌てで 「こんどある時は、もう万難を排して参加するから…」と謝罪したら 「うん、このあと11月の初めにもあるから」とあっさり言われてしまい カレンダーの11月9日金曜日に大きく『茶屋エポック』と書き込むハメになってしまったのです。(^_^;)

さて9日当日です。 今回は銘菓・芋窪街道の原料となっている野村農園の焼き芋担当です。 でも、なんだかとても暇で前回も隣で、前回も美味しいコーヒーを差し入れしてくれた 地元珈琲店の社長さんが訊ねてきました…「完全にボランティアなの?」 「それゃそうでしょ、こんな売上げで日当はもらえないでしょ」と私、 「それにしてもココの店主は人使いが上手いね、入れ替わり立ち代わり手伝いが来て…」 と珈琲店の社長が言っていたらエノちゃんが戻ってきました。 「クシャミしなかった?」…と二人で笑いながらエノちゃんに言いました。

次の日はニートの青年が手伝いに来るそうで、これも恒例になっているようです。 彼の母親も『茶屋エポック』のファンで、息子がそんな事を自らするのに最初は驚いたようです。

なぜニートの青年がボランティアでエノちゃんの店を手伝うのか?…私は考えました。 そう云えば先月テラさんのタイ・カレー店が区民祭に出店した時も沢山のボランティアでした。 エノちゃんの店もテラさんの店も…共通点がある事に気がつきました。

それは、両者ともスローフードで効率性も生産性も悪いという事です(^_^;)

ニートやヒキコモリが増えた理由として、社会が豊かで平和だから、親が悪い…諸説あるようですが、 私は彼らの多くが非常に繊細な神経と潜在的予知能力を持っていて、 効率性や生産性を追いかけマニュアル化され個性までもが平準化されていく競争社会に 『警報』を鳴らしているように見えてならないのです。

隣のブースで無添加の食材を売っている店主が声をかけてきました。 「あんなケーキ食ってて大丈夫なのかね?俺にはわからねーよ」 この日から、すぐ前に【100円ケーキ】のブースが設けられ、そのおかげで? こちらの食材を厳選した手作りのケーキ380円は煽りをうけているのです。 そう言っている無添加食材の店主が粉だらけになってテマヒマかけて作ったうどんも かなり売れ残っています。(^_^;)

私はココでの前々号で触れ、私のブログでも議論になっている【赤福騒動】に話題が移りました。 「こまった問題だね、なんせ消費者が大量生産で安い商品ばかり買い漁るのだから 表示に頼るしか無いって事なんだろうけど、我々は毎日その場で作って、その場で売ってんだから… まったく、わけのわからない、いやな世の中だよね…」 …まだまだ愚痴が続きエノちゃんとも話がはずんでいました(^_^;)

この日は夜、この近くのお客様の所に寄る事になっていて、 その帰りの夜の9時過ぎに『茶屋エポック』によってみました。 やっぱりエノちゃんは明日の催事で売るための【銘菓・芋窪街道】を午前1時まで作って 翌朝は6時からその日に売る生のケーキを作るのだ、とボヤイテいました。

ほんとうに効率の悪い商売ですが、けっこう楽しそうで コンサルタントのつもりで係わった私ですが多くの事を学ばせて貰っています(^_^;)

2007年11月05日198号 ちょっとだけ違った一日

早いものでもう11月です。 毎年、大晦日までカレンダー配りの追われる、その今年のカレンダーも山と積まれました(^_^;) そして年末モードに入る最初のイベントが毎年この時期に開催される 荒瀬順子さんのマリンバ演奏会に例によって家族3人で出かけました。

いつもはどこに行くのもクルマで出かける我が家ですが この演奏会はバスと電車を乗り継いで行くことになっています。 と言っても会場のある狛江(こまえ)は我が家からクルマで行けば10キロもない距離。 なぜクルマで行かないか?といえば… コンサートの休憩時間に美味しいワインが出ること。 そしてコンサートが終ったあと、 仲間と食事やお酒を飲むことになる可能性がとても高いからです。(^_^;)

しかし今年は、そんな時に音頭を取ってシキッてくれる”全クンのママ”がいません。 毎年…同じ会場、同じ時期に 行なわれるコンサート。 客席も演奏家も、いつのまにか顔なじみになってアット・ホームな雰囲気が漂っています。 だからこそ”全クンのママ”がいないのに私はとても寂しい気持ちになってしまいます。

キューバのロス・バンバンのライブもエキサイティングで大好きですが疲れます(^_^;) だんだん年齢を重ねていくとマリンバの調べは疲れるどころか心を癒してくれます。 もう順子さんのマリンバはヒロコがゼロ歳の保育園の頃から聞いているのですから。 順子さんに初めて合った時に 「芸大の角倉一朗先生とはご親戚ですか?」と言われたのが最初でした。 私から「健」の字を一字取った親戚で、バッハの授業で順子さんの先生だったようです。 そんな縁?で、荒瀬さんは私とクラシックな?お付き合いが始まるわけですが(^_^;) 私の方は「健」の一字が多いだけでクラシックには縁もユカリもないのに 今日まで長~いお付き合いをさせて頂だいています(^_^;)

とは言っても演奏される曲はブルーノート・ジャズやラテンとレパートリーも広く アツというまに時間が過ぎていってしまいます。 そして、もう一つの楽しみが休憩時間を利用してのコーヒー&ワインのひと時。 順子さんのご主人の和順さんは元辣腕クリエーターでこの日もサウンド調整を担当、 コーヒーやワインにも造詣が深く、いつも美味しい飲み物が用意されのです。

ヒロコの保育園時代の園長先生も見えていて懐かしく挨拶したのですがヒロコは 覚えていないのには意外な気がしましたが、考えてみたら当然かもしれません。(^_^;) でもヒロコの小学校時代の友達となると卒業以来でもお互い気付くようで盛り上がっていました。

ワインの係りは今年もヒロミさん(順子さんの長男でヒロコの保育園の同級生ナオキ君の奥さん) 私がワインの3杯目のオカワリに恐縮していくと「私もバンバン飲んでますから!」と明るく 言って頂き、我が家の呑んべい3人組みは遠慮なく頂戴いたしました。

そして、ほろよい気分で聞いた第二部の素晴らしい演奏、そしてアンコール…。 今年も恒例のマリンバ・コンサートは無事終了し会場をアトにしたました。 でも何だかいつもと違います、そう…「じゃーこれから○○に行こう!」と音頭をとる 全くんのママが居ないのです。 だったら私が音頭を取ればいいのかもしれませんが、この日はヒロコも1時間ぐらいの 時間しか取れないという事で、なんとなくその場で解散してしまいました。 せっかくクルマを置いてきたのに(^_^;)

でもヒロコは1時間ぐらいの時間はあるという事で 狛江駅の近くのドトールに3人で入る事にしました。 YUKIはコヒーが大好きなヒトですが、なぜか喫茶店でコーヒーを飲むのはキライなヒトなのです。 したがって家族3人で、どこでも出かける我が家ですが、 家族3人でドトールに入る何て事は初めてで、貴重な経験をさせて頂きました(^_^;)

そして狛江駅でヒロコと別れ私とYUKIは電車とバスで家路につきました。 なんだか、とても普通な、しかしちょっと違った一日でした。

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2007年10月29日197号 【日々雑感】赤福/亀田一家

私は幼い頃、何でオトナは世間ばなしをあんなに出来るのか不思議に思っていました。 もう少し大きくなってテレビでのコメンテーターや解説者の発言を聞いて なんであんなに色々とコメントが出来るものかと感心したものです。 しかし歳を重ねてくると、今度はマスコミでの報道やコメントを聞いていると 「何だ!それは違うのではないか!」…テレビや新聞を見ながら怒っている自分を発見します。(^_^;)

こうして人間は【頑固じ○い】【頑固ば○あ】になっていくのでしょうが そうならない為の一助として(^_^;)時々、日々雑感として気になるニュースをとりあげ ”ガス抜き”をさせて頂き【頑固じ○い】への進行をくい止める一助になればと思っています。 YUKIは,もうとっくに私のことを【頑固じ○い】だ!と申しておりますが(^_^;)

《赤福の無期限営業停止》 亡くなった父は赤福が大好物で名古屋や関西に出張に行くと必ずと言ってよいほど お土産に買って来て家族で食べたのを懐かしく思い出されます。 昔は辛党で通っていた私も赤福は甘さも上品でお餅も柔らかく美味しかった印象が残っています。 さて…その赤福が無期限の営業停止になったそうです。 理由はいったん店頭に出した赤福を回収して冷凍・解凍し、 新たな消費期限を設定して出荷した行為が食品衛生法に違反したということらしいのです。 たしかに消費者としても気持ちの良いものではありませんし、 ホームページでも毎日作りたてを販売と偽っていたわけですから問題です。

この行為を30年以上も続けられてきたようです… 今回の騒動も食中毒とか消費者に具体的な被害があったのではなく 内部告発によって明るみになったようです。 ようするに30年以上も何の被害もなくやってきたという事です。 ミートホープ社のように食材を偽って来たのではなく、 売れ残った商品で再利用出来そうな商品を処分せずに使っていたということで 昔はどこでも誰でもあたりまえにやっていた時代があったのです。

私がケーキ屋KENちゃんの時代も残ったケーキはほとんど捨てていましたが 中でも再利用出来そうなものは干しぶどうと一緒に煮込んで『レザン』という商品を作っていましたが 私の大好物のケーキでした。 和菓子の『きんつば』も今はどうか知りませんが、昔は余ったアンを練り直して作ったと聞いています。

21世紀に入って「もったいない」という日本独特の表現が世界から評価される時代になりました。 消費者に偽った表示をした事は問題ですが、長い歴史と経験の中で再利用しても品質を保ち、 お客様から好評を得て保健所からの立ち入り検査もクリアしてきたのですから 無期限の営業停止とは、あまりにも厳しい処分ではないでしょうか?

ミセシメと言う意味もあるのでしょうが… この事によって人間の経験による判断は排除され、 ただ売れ残った商品は全て自動的廃棄処分されていく事になっていくことでしょう。 ことのホンシツよりも法令順守すること自体が重んじられる時代になったようで… 私にはその方が恐ろしいように思えるのですが。 《ボクシング亀田家の騒動》 私はボクシングにはあまり興味はありませんが亀田ファミリーの存在は知っていました(^_^;) 彼らの言動がおもしろ可笑しくテレビに登場していたからです。 だからと言ってボクシングの試合は見た事もありませんし、見ようとも思いませんでした。 ただテレビのニュースで亀田大毅が内藤選手を持ち上げている画面を見て 亀田らしいと大笑いをしてしまいました。 そして判定で亀田大毅が敗れたとの事ですが、このような騒ぎになるとは ニュースだけをチラッと見た私には思えませんでした。

ところが、この大騒ぎです! 父親の亀田史郎はボクシング会から身を引くことになり 亀田兄弟もぐりぐり坊主になってマスコミから叩かれています(^_^;)

長男の亀田興毅が亀田家を代表しての記者会見には多くの報道陣が集まり フラッシュの集中砲火を浴びせられ精一杯の対応をしていますが 彼にはなぜ?このような事態になったのか充分には理解出来ないのではないでしょうか?

ここまで亀田ファミリーを持ち上げてきたのはマスコミでありファンのはずです。 問題の大毅選手の試合の反則ですが、それほどの大問題になるような反則だったのなら なぜレフリーがその時点で即座に試合を終了させ大毅選手の敗北にしなかったのでしょうか? […]