2010年01月18日313号 やっぱり信州

土曜日、ユキと一緒に久々の生保契約で長野県上田市にクルマで出かけました。 昨年は米作りで5回、通った飯山市は我が家から約300キロ、 上田市はそれにくらべれば100キロほど手前ですから、ど~てこと無い距離です(^_^;) それに飯山はもう豪雪に埋もれているようですが、上田は市街を走る限りはまったく問題がないようです。 それに天気は晴天!かっこうのドライブ日和で関越道から富士山が見えたのも感動でした。

上田市の出口になる『上田菅平インター』の少し手前にあるパーキング『佐久平オアシス』で小休止。 ここまで来て初めてクルマから降りて寒いのにビックリ! ① ② でも、そこから、少し離れたところに大きなエスカレーターのようなものが見えて スキー場のようなものが見えるので行ってみることに。 中々の絶景でしたが小一時間もいたら冷凍人間になりそうなり  ① ② ③ ④ ⑤ 暖かいクルマにもどり目的の上田市へ。

今回のご契約者は現在23歳で翌日24歳になるT君。(^_^;) スデに3年ほど前に貯蓄目的で35歳払済の長割り終身に加入している既契約者。 きっかけは彼が当時、勤務していた横浜の老舗ホテル『ニュー・グランド』の上司だったNさんが T君を紹介して頂いたのがきっかけでした。 とても明るく前向きで印象深い好青年で… 都会に出てみて初めて故郷の良さを再認識して 今は実家のある上田市で昼は会社員、夜は居酒屋でアルバイトをし、 そして将来はお爺ちゃんがやっている農業も引継ぎたいと語る堅実で頼もしい青年でもあります。

アポイントは一応、T君の実家でという事になっていたのですが、雪がソコソコ残っていて 普通のクルマではムリかもしれない、その時は上田市のファミレスでもという事になっていたのです。 しかし早めに上田市に着いたので、カーナビで見れば4キロほどの自宅で 雪もほとんど残っていないので、近くまで行ってみようという事になりました。 しかし坂道を上るにつれ道には雪が残り凍結し、 そこからカーナビが誘導する狭い道には到底入ることは出来ず、 クルマを降りて周囲を歩いたのですが表札があるではなく、 結局断念して街中にある『ガスト』で会う事になりました。(^_^;)

T君の自宅付近?の風景はノドカで素晴らしく   ① ② ③ ④ デジカメの写真を見せたのですが、T君はどこか判らないというのです(^_^;) 3年前のホテル・マンだったT君とはちょっと見た目は違っていましたが より活き活きとよりタクマシクなって大いに話が弾みました。 ① ② ③ ④

午後2時半、まだまだ時間があります。 先日、茅野市に住んでいる私の大学時代の友人が地元の清酒を送ってくれました。 カーナビで見れば、ココからそれほど遠くはありません。 電話やメールでは連絡を取っていても40年以上は会っていないので 行ってみようと思いましたが、このクルマでは絶対無理とT君から言われてしまいました(^_^;)

ココから17キロほどのところ東御市に毎年桜が満開の頃に目黒で個展を開く羽田夫妻の 自宅兼工房があって、一度は訪問したいと思っていたのでソコに突撃訪問する事にしました(^_^;) ココも途中は雪がほとんどなく快調なドライブでしたが 坂道を上るほど残雪で走行困難になり、クルマを途中に置いて徒歩で訪問。 「この季節に普通のクルマでココまで来る人はいない」と呆れられてしまいましたが 突然の訪問に歓迎して頂き楽しい時間を過ごすことが出来ました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ 

帰路も『佐久平オアシス』によって美しい夕日を!! ① ②

雪を舐めてはいけませんね、そししても寒い!…やっぱり信州です(^_^;)

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2009年12月28日310号 年末2大行事も終わって…

何末恒例の2大行事も終わって、あと僅かで新年になりますが… まだ年賀状はまったく出来上がっておらず、これからです(^_^;) それにしても1年が経過するのは早いものです。

年末恒例行事のひとつは、ホーム・クリスマス会です… といっても主催は妹のナカオ家で、我が家はケーキを持ってただオヨバレにいくだけです(^_^;) 私や妹が子どもの頃からクリスマスはけっこう盛大にやっていたのです。 クリスチャンでもないのに(^_^;) その伝統を妹とその亭主、そしてその娘たちも引き継いでくれているのです。

この日のメンバーは 妹のユミコにその亭主ススム君、 その長女でロイター通信のカメラマンをやっているユリ、 次女のマキは二児の母にして医大の5年生で、その亭主で勤務医のコウジ君。 そして長男のカリフォルニアの大学院で環境汚染を研究中のシュンと フィアンセで大手損保(TN社のライバル)に勤務するナオコちゃん。① ナカオ家とは古い付きあいで私も懇意にしているカワイさん。 それに28日からまたしばらく介護施設に行く私の母と、 我が家の3人 …総勢14名! シュンとナオコちゃんはシュンの大学時代のOB会で中座しましたが… 今年も大いに盛り上がりました(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

●●● 次の年末恒例行事は先週号でも紹介したクラシック・ハートコンサートです。 結局、身内以外で有料参加してくれたのは先週号でも書いた 今回で連続3回になるマルさん一人だけでした(^_^;) あとはYUKIと私、それにホームページ担当の”うるめ”さんと ① ②  ビデオ撮影担当のヒロコとその助手としてヒロコの生徒でもあるキャメロン君が 私のテーブルにした。

演奏はマリンバとピアノ… ① ② ③ ④ それにテノールとバリトンの声楽デュオです。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ 両方とも若々しさと繊細な技術も感じられとても楽しく聞くことが出来ました。① ② 余興としてプロのピアノを披露したことから、この会でもファンが増え 恒例となった田島敦子さんの演奏は、今年も素晴らしいものでした。 ① ② ③ ④ 会長ノブさんの友人のウメザワ弁護士のバイオリン演奏の飛び入りも中々でした(^_^;) ① ② 毎年、最後に全員で合唱する”第九”… ① ② ③ そして今年は誰も知っている”ふるさと”の大合唱で終ったのも感動的でした。 ① ②

いつも料理がイマイチでしたが(^_^;) 今回はホテル・ニューオータニの総料理長が挨拶し、 同じ予算でしたがコレまでよりはグッとグレードアップしていました。 ① ② ③ ④

大御所の熊切さんの挨拶も ① ② 私も大変お世話になっている妹尾社長の挨拶も… ① ② 今年はいつも以上に感激でした! マルさんの友情には頭が下がります。

今回、初参加のキャメロンはとても真面目な生徒で、力持ちで、 日本が大好きで、とても好感がもてるガイジンでした! ① ② ③ ④ ⑤

皆さまホントにありがとうございました! 良いお年を!そして来年もよろしくお願い申し上げます。

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2009年12月21日309号 今年は12月27日です(^_^;)

16日に退院をしたら山ほど仕事が押し寄せるかと思っていたのですが… 拍子抜けするぐらい何もありません(^_^;) もちろん私の入院中はYUKIがシッカリとカバーしてくれたこともあります。 それにしても静かな年末で、ありがたいような困ったような… これが従業員を雇用して事務所でも借りていたら いたたまれず病院に逆戻りしたかもしれません(^_^;)

世の中がいくら不景気でも、後10日ほどで今年は終りますので… カレンダー配りや年賀状の作成や 年内にやっておかなければならない事が数多くあって 入院10日分を取り返すためには、そうはノンビリとはしておれません。

そして今日(20日)は年末恒例になった 2009年度ハート・コンサート(12月27日午後6時開演・ホテル・ニューオータニ) 一週間前の最終役員会が麹町の中原さんの事務所で行われました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦

2ヶ月に1度ぐらいのペースで行われる役員会ですが、 これまでの2回は所用と偶然にも重なって久々の出席です。 途中クルマが混んでいて15分ぐらい送れての出席でしたが 着席するなり、「今年は何名ぐらい参加して頂かますか?」と一番聞かれたく無い質問をされてしまいました(^_^;) 実はまだ誰も決まっていないのです。 ただ一人、渋谷小学校時代の同級生で過去2回参加してくれているマルさんが参加してくれるものと 勝手に信じて、今のところYUKIと後1名の2名は確実と言ってしまいました(^_^;)

それでも昨年より3名は少ないので、ちょっとシラーとした雰囲気が流れましたが 「もちろん、これからも当たってみます」と、ココは低姿勢になってやり過ごすしかありません(^_^;) ココの役員は私以外はライオンズ・クラブやソロプチニストのハイソな方々で 平均でも十名ほどはお仲間をつれてくるようですが、 私のようなシガナイ保険代理店ではそうはいきません。 役員を引き受けて時も「集客に関しては期待はしないでくれ!」という条件でなったのですが… 若い音楽家に僅かながらでも奨学金を渡そうというボランティア・コンサートを維持するためには そうもいってられないようです。

私としてはヒロコ(当日のビデオ撮影と編集)と うるめ君(ホームページ担当)の若い二人を巻き込んだ功績は大きいと思っているのですが それなりに苦労はあるものです。

…と愚痴をこぼしている場合ではありません(^_^;) コンサートは後、一週間です! 声楽や演奏を堪能し、みんなで第九を合唱し いつも食事がイマイチだったのが今年はけっこうグレードアップ! 年末の慌しい時期ではありますが、 きっとご満足頂けるものと確信いたしております。

是非、これを見てご参加頂ける方がおりましたらとても嬉しく思います(^_^;)

そうそう、マルさんに電話で確認したところOKしてくれ、 それより私の身体を心配してくれ感謝です。 ●これまでのハートコンサート関連記事

2009年12月14日308号 ただいま入院中!(^_^;)

私のブログをご覧の方はすでにご存じかもかれませんが…① ② ③ 7日(月曜日)に近所の聖マリアンナ医大病院に緊急入院して 12日(土曜日)に手術を無事終えることが出来、① ② 順調にいけば今週中は退院が出来そうです。

病名は急性胆嚢(たんのう)炎…命に係わるような深刻な病気ではなく つまった石ととも胆嚢は手術できれいさっぱり摘出されました。 胆嚢とは胆汁をためておくところですが、 その胆汁とは脂肪分の多い食事をした時に消化を助けるエキスのようなものです。 しかし私は再び高血糖のメタボにならないためYUKIの厳しいカロリー・コントロール下で 生涯を送る運命ですので、なくても良いエキスのようでもあります(^_^;)

そうそう、YUKIの鬼の調教師によって10キロの減量を果して65キロを維持しようと 言っていた矢先の入院でした。 入院から点滴のみでこの間に口にしたのは手術前に飲まされた下剤のみという寂しさです。 手術の翌日の今日(13日)の夕食ぐらいはと思っていたのですが今日もお預けのようです(^_^;) …そのおかげでさらに体重はさらに4キロは減っているようです。

入院が急遽決まった時もそれほど焦りもなかったのは あるていどの事ならパソコンがあればどうにかなると思ったからです。 病室からはPHSでネット接続していたのですが入院3日目で急につながらなくなってしまったのです。 そもそも病棟にネット接続のサービスが無いことに不満でしたが、 大きな大学病院のこと、どこかに無線ランかケーブルぐらいあると思うのですが 誰に聞いても「無い!」の一点張りです。 こうなったら、とりあえずはメールの返事とブログのアップ分だけでも 病院から徒歩15分の我が家から送受信するしかありません。

こっそり抜け出すことは可能ですが…問題は点滴です。 パジャマ姿にガウンをまとい激ヤセし無精ひげで点滴を引きずっている私の姿を見られたら 「末期がんでは!」なんてウワサが近所中に拡がるかもしれません(^_^;) しかし、病院に申請を出したらあっさり外出許可が貰え点滴をはずして堂々里帰りを果しました。

ネットが繫がらないのは困ったものでしたが… 12日はネットどころかパソコンもいじれない手術の日で、 パソコンをYUKIとヒロコに預け、手術が終った13日にはパソコンも無事修復され戻ってきました。 ① ②

そうそう手術の直前にケータイが鳴りました。 普通なら出ている状況では無いのですが発信元が【通知不可能】 これが出るのは海外からで、今かかってくるのは南米を放浪中?のSr.ナガモリからの緊急電話です。 私は彼のブログのプロデューサー兼管理人で、また何らかのトラブルがあったようです。 彼はあわてて「パソコンがウィルスにやられてダメになった!」…というのです。

ネットに通じるとこならどのパソコンでも、自分のブログを開けて日本語入力が出来なくても スペイン語でも英語でもローマ字でもとりあえずは入れて写真もアップできるはず…などと手短に話し 「コッチも今から手術だから!」と両者は慌しく電話を切りました(^_^;)

手術が終わって私のパソコンも直って、Sr.ナガモリのブログを見るとチャンとアップされています。 メール・チエックをすると『アップロード出来ました』とのタイトルで 文面は「いつも大騒ぎして申し訳ない」…と いやパソコンは誰でもいつでも大騒ぎするもののようです(^_^;)

この間たいへんだったはYUKIはもちろんですが… 藤間流の重要な所用で上京していたの宮崎の義母です。 そのサポートを私がする事が出来ず、とても不自由をかけさせてしまいました。

ソレをヒロコがカバーしてくれたのですが ヒロコは、インドネシアの財務省の人たちの映像編集の講義をするという 大きな仕事の最中で多忙のピーク! 疲れていたのか昨日は帰宅途中のクルマでバイクと接触するという事故を起こしたそうで YUKIに事故報告者を作ってもらいました。

そうそう無事退院したら我が家の風呂につかるのが楽しみですが… その風呂釜が壊れて、銭湯に行っているとか。

「こなくてイイよ!」…と言っていたサカモッチことアカラックスの坂本さんが 突然やってきました。 ① ② ③ こんど出版する新書版にDr.KENの紹介をしている個所があるので […]

2009年12月07日307号 大豆作り

飯山(長野県)で米作りと、もうひとつ大豆作りもやっている事は、 7月20日の週刊KENで紹介しましたが… 刈り取りも終り、地元での収穫祭のイベントにも参加しました。

たのまれたわけではありませんが、 我われが種をまき、草取りをし、収穫した事が人目で判るこのようなディスプレーを作りました。 一枚目 二枚目 三枚目 四枚目 です。 けっこう(内輪では)好評で欲しいという人が続出でした(^_^;)

米と大豆が自給出来れば日本人とすれば充分に生きていけるわけですが そこまで思いつめて始めたわけではありません。 しかし食の安全を意識する上では有意義であることと 健康のためにもとの思いでガンバっているのですあります(^_^;)

1ヶ月に1回ぐらいの参加で、同じ神奈川県ですが… ここでの作業はけっこう本格的で気合が入っているのです。 朝の9時に集合ですぐに作業開始、大豆畑は6個所に散らばっていて 最初の頃はもう終わったと思えば次から次に畑を変えて同じ作業の連続で 農作業は早くても午後4時頃までは続きビッチリ働かされます(^_^;)

しかし、この大豆作りに参加している人たちは、何年も続けている人たちが多く 大豆作りを楽しむというより、大豆の収穫を楽しみに目的意識が明確化していて やる気が違うのです(^_^;)

2月には味噌作りが始まるわけですが… 誰もが「絶対に美味しい!」と口を揃えるのです。 私たちは例によってネットでみつけ訳もわからず参加しているので(^_^;) 会員登録はYUKIだけで味噌はソノ分しかもらえないのですが、 それで充分と思っていたのです。 しかし話を聞いて見ると、味噌があまりにも美味しく、人に上げたりもすると 直ぐに無くなってしまうというのです。 本当は3年ぐらい寝かすと美味しいというのに 誰ももそこまで寝かす余裕などなく食べちゃうそうです(^_^;)

この日は女性部隊は収穫祭での大豆・納豆・豆腐の販売。 今年2月に仕込んだ味噌はキュウリにつけて試食には出されましたが 食品衛生法?の関係か何だかしりませんが売る事はできないようです。 もちろん売るほどはありませんが(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩

私も食べて見ましたが確かに美味しいです(^_^)v

男性は前回、脱粒した大豆を機械にかけて大・中・小に選粒する作業。 単純なようですが一袋30キロする大豆を40袋ほど上げ下げするのはけっこう重労働です。 それと今回も脱粒作業があったのですが機械トラブルがあったりしてタイヘンです。 でも私以外の人たちはベテランばかりで冷静に対処します。

作業終了後は一同が集まって ① ② ③ この日のご褒美をたくさん貰って(^_^) 2月の味噌の寒仕込までお休みです。

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2009年11月30日306号 3300Kmクルマの旅

ブログの方で先に少し書いたのですが… 21日(土)からの3連休を利用して25日(水)まで、びっちり4泊5日の… 久々にYUKIとの高齢イヤ恒例ドライブの旅をしてきました。

今回の目的は大きく分けて3つありました。 ひとつはネットでの保険相談で細部の手続きほぼ完了しているのですが ”必ずお会いする”という基本姿勢で「下関」(山口県)に伺うこと。 二つ目が私が子どもの頃かた大変親しくしている「神戸」のお客様の お母様が8月に亡くなられて年内にはご焼香だけでもと思っていたこと。 そしてYUKIの故郷の「宮崎」に近々行かなければと思っていたのです。 「神戸」「下関」「宮崎」というバラバラの3ヶ所を年内で、お金をかけず合理的に訪問するには 高速週末割引を利用してイッキに行ってしまおう!…という魂胆です。(^_^;)

その行程における【高速料金】と【宿泊代】と【ガソリン代】を1枚にまとめたものです。

てな事で…5日間のハイライト

25日(土) 連休初日、紅葉の季節、 どこまで行っての高速道路1000円で、どこまで行っても渋滞です(^_^;) 朝食の冨士SA、昼食の大津SA、夕食の福山SAの3回以外はひたすら11000キロを走り続けて 無事、最初の宿泊地、北九州に到着しました。

26日(日) この日はYUKIの故郷の宮崎への日帰りツアー! 同じ九州でもココから宮崎は片道350キロ往復で700キロもあるのです。 10時にホテルを出て午後2時に到着、4時間ほどの滞在で用を済ませ… 帰路の高速にラテ研の同期、木下さんのお店がある「八女」で高速を降りて軽い夕食をとって(^_^;) 北九州のホテルに連泊。

27日(月)祭日 25日約1100キロ、26日約800キロと物凄くクルマは走っているのですが、 それに反比例して私の”万歩計”は2000歩にも及びません。(^_^;) これではいけないと、ホテルの窓から見える海の方に散歩をしてきました。 ① ② ③ ④

ホテルをチェックアウトして関門橋を渡って  ① ② ③ ④ 下関のお客様にお会いしたあと 天気は好天!ドライブを楽しみながら、しまなみハイウエーから  ① ② ③ ④ 松山(愛媛)へ寄ろうと思っていたのですが すぐに暗くなって時間も押して、この日は神戸泊を決めていたので一路徳島方面へ。 徳島には、これもラテ研の同期で夕方になると行きつけの寿司屋から私のケータイに暇潰しの 電話を入れる日切(ヒギリ)という 呉服屋とビジネスホテルを経営する道楽息子イヤ道楽ジジイ(^_^;)がいるのです。 そいつにちょっとだけ表敬訪問をして寿司をご馳走になり 鳴門海峡を渡って3泊目の宿泊地神戸の定宿「ホテル・プラザ神戸」に。

28日(火) 朝はまた独りでホテルの周辺の六甲アイランドを万歩計を持って散歩。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ この日はまったくのウィークデイで高速割引がありません(^_^;) 今回の旅の3つの目的のひとつである昔から大変お世話になっている浅野さま宅に。 また神戸・宝塚のお得意様や知り合いに突然訪問をしました。

29日(水) 最終日ですが、ケチケチ旅行の達人YUKIがまともに関西から我が家まで正規の高速料金で 帰ることなど許してくれるわけがありません。(^_^;) 高速の深夜割引…すなわち我が家のある【東名川崎IC】を午前0時過ぎに出れば半額に なるのでサッサと帰るわけにはいかないのです。 まずは生保法人契約の第一号、摂津市の「山豊」さんにご挨拶。 それから京都の嵐山で紅葉を堪能して、 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ それでも時間があるので、これまたラテ研の同期、中前に40年ぶりの再会! お嬢さんの”中前由紀”さんは港区の区議会議員で活躍しているそうで ”仲間ゆきえ”と”え”の位置が違うと覚えて頂けるようです(^_^;)

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2009年11月23日305号 ヤーコンを食べる

ヤーコンを食べたことはありますか?

じつは以前に土から掘り起こしてばかりのヤーコンを頂だいたことがあるのですが… どういう風にして食べたら良いか、考えているうちに腐らせてしまいました(^_^;)

先日、そのヤーコンの料理講習があるからYUKIと一緒に是非参加して欲しいとの依頼があったので 東大和の公民館まで出かけました。 そう!東大和といえばパティシエのエノちゃんです(^_^;) 実はその数か月ほど前からエノちゃんは「こらからはヤーコンだ!」とやたらにチカラが入っているのです。 エノちゃんが作ったというヤーコン茶も試飲しましたが、 特別に美味しいとは思えません(^_^;)

どうもエノちゃんは例によってヤーコンで地域の活性化を考えているようなのですが… 東大和とヤーコンの接点があるわけでなく、そもそもヤーコンを食べた事が無いので まずはどんなものか食べてみながら、考えてみようと思いました。

場所は東大和市の中央公民館… 少し遅れていったらヤーコンの調理教室がグループに分かれて始まったばかりで YUKIはヤーコンのサラダを作るグループに入って、 私は例によって写真撮影と雑用係りで調理の様子を記録に残しておくことにしました。

撮影しながらヤーコンの生のカケラをヒトクチつまんでみました! 生まれて初めてのヤーコン試食です(^_^;) とてもサクサクしてほんのり甘くクセも臭いもなく歯ざわりは硬い梨のような感触で ビックリするほど美味しいものではありませんが、決して不味いものではありません(^_^;)

出来上がった料理は、YUKIが担当したサラダ、かき揚げ、すいとん、牛肉巻、漬物、きな粉団子と どれも手際よく出来てしまいました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨

そして全員でヤーコン料理の昼食会です! 火を通して加熱した、かき揚げ・すいとん、牛肉巻のヤーコンもサクサク感はそのままで 抵抗なく触感を楽しめる食材です。 YUKIの厳しいカロリー・コントロール下にある私ですが ヤーコンの牛肉巻は一口、かき揚げも半分と制限されましたが、 それ以外はお咎めなしで久々に満足いく昼食を楽しむ事が出来ました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩

そうそうエノちゃんがデザートに作ったという 【ヤーコン・パイ】はプロならではの味と技術に喝采でした。 ヤーコンとパイのサクサク感の絶妙な調和に狙いがあったようですが… カロリー制限中の私としては、バターをたっぷり使ったパイはカロリー満点で(^_^;) YUKIは半分しか食べさせてくれませんでした。 せっかくヘルシーなヤーコンを使用するなら 私としては低カロリーなヘルシー・ヤーコン・ケーキを作って貰えれば 少々高くても需要があると確信したのですが(^_^;)

そうそう干しヤーコンも出てきて なにはともあれヤーコン料理教室と楽しい昼食会は無事終了しました。

でもエノちゃんの熱い思いである”東大和の活性化”と”ヤーコン”がどう結びつくのか と言ったハナシは出ませんでした。 エノちゃんが私、「NPO法人・創造エンジンの小林さんという若者が来るからホームページだけでも見ておいて」 と言われていたのですが、そのような時間はありませんでした。

帰りにエノちゃんの店によってみると 今回講師をつとめた小川さん(障害児施設の理事長)が先客で… しばらくすると今年の初め東大和で一緒に野菜作りをやった足場さんが… それに続いて、学校の先生を定年後、自分の畑でヤーコン作りに専念する新井さんと… 彼の教え子で今は学校の先生をやりながら新井さんをサポートする横山さんが… そして今日の料理教室ですいとん作りを率先しヤーコンにも造詣が深い和知さんが… 実際のヤーコン作りをやっているご主人を連れて… と次から次にやってきて、 文字通りのヤーコンによる活性化現象をとりあえず見ることが出来ました(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩

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2009年11月16日304号 ディズニーランド

先週の10(火)11日(水)とディズニーランドに行ってきました(^_^;)

もちろん浦安にある東京ディズニーランドです。 我が家からクルマで50キロほどで一泊する必要はないのですが どうせ行くのなら充分に楽しもうということで、舞浜のホテル・オークラに1泊する事になりました。 …と言ってもソノ費用は私の母が持つそうです。 …と言っても母は要介護5の認知症でディズニーランドどころではありません。 母の面倒を見ている私の妹(長女)のユミコが母の年金から費用を捻出して楽しもうという企画です。 参加したのは他に茨城在住の妹(次女)のジュンコ、そしてもちろんYUKIとヒロコの総勢5名です。 スポンサーの母はその間、介護施設でゆっくり静養いただきます(^_^;)

そもそも、この企画は歴史があって母が元気な頃から母と妹2人で何度か楽しんでいたようで 私も1度だけ参加したことがあります。 ようするに”角倉家”は根っからのディズニーファンだったのです。

ソノ先頭には私が立っていたのかもしれません。 幼いの頃に見たバンビやピノキオや白雪姫の感激は今でも鮮明に残っています。 小学生の頃、ミッキーやドナルドの短編アニメの美しさと動きに目を輝かしたものです。 私が12歳の頃から10年間(1958年~1986年)日本テレビでプロレス中継と交互に放映していた 【ディズニーランド】は家族で楽しみに見たものです。 番組冒頭にウォルト・ディズニー本人が登場し 1955年オープンしたばかりの【冒険の国】【おとぎの国】【未来の国】から成り立つディズニーランドを紹介し、 ティンカーベルが舞い降り妖精の粉が降り掛け 「今回は○○の国からお送りします!」…というのに胸躍らされたものです。

7歳年下と10歳年下の二人の妹へのクリスマス・プレゼントはディズニーの絵本や 今でいうディズニー・グッズ。 ディズニーの映画に連れていった事も何度もあります。 そして「新婚旅行はディズニー・ランドに行く」と10代から決めていて(^_^;) 1981年YUKIとの新婚旅行はもちろんカリフォルニアのディズニー・ランドでした。 ① ② ③ 1984年、ヒロコが2歳の時にロス・オリンピック観戦とでディズニーランドへ。 ① ② 1988年大晦日はディズニー・ランドでカウント・ダウン1989年元旦を迎え… ① ② 帰国したら昭和から平成になっていました(^_^;)

もちろんヒロコにもディズニーの絵本全集を買い揃え、 その中からヒロコが選んだ絵本を就寝前に読み聞かせるのが私の日課でした。

1983年には東京ディズニーランドが誕生していたのですが ”アメリカにあるからディズニーランド”というコダワリがあったのですが… それも時間の問題でした(^_^;)

てなわけで… ヒロコはもちろん、かなりのオバサンである私の妹二人がディズニーファンであるのも、 責任の一画は私にある奇妙な5人の団体が成立しているのです(^_^;)

とは言っても私とYUKIがディズニーランドに行くのは十数年ぶりです。 どうせ行くなら、まだ行ったことがないディズニー・シーと思ったのですが、 ヒロコは友だちと、妹も二人で…昨年はそれぞれ1泊旅行で楽しんでいるのです。 昔は私がリードしていた”ディズニーの世界”も時代が変り、すっかりオノボリサン状態です(^_^;)

それにしても… どんどんパワーアップし拡大していくディズニーランドいやディズニーリゾートには圧倒されます。 全国の遊園地やテーマパークが衰退していく中でココだけが”ひとり勝ち”というのが良く判ります。

もう駐車場に入った瞬間から駐車場のお兄ちゃんの動作も顔もディズニーの世界です(^_^;) クルマから降りるファミリーの子どもはシンデレラの衣装、親はミッキーやグフィーの耳をつけて 足早にゲートに向かいます。 もちろん園内に入ればキャラクター(ぬいぐるみ)は勿論、アトラクションの案内役・店員・清掃係などなど すべてのスタッフが笑顔をたやさずお客をサポートするのはディズニーランドの特徴だと昔から思っていましたが… それが不自然でなく皆同じようなのが怖い気もします(^_^;)

しかし、これによって客も完全にディズニーの世界に没頭し催眠商法のようにディズニーグッヅが飛ぶように売れ それが子どもにも引き継がれ、りピートが繰り返されていくのです。

今は飯山(長野県)の里山での稲作に安らぎと憧れを感じるようになってしまった(^_^;)私には… 広大な敷地すべてが人工的に作られ完璧なまでにシステム化・マニュアル化された空間に 違和感を感じてはしまう年齢になってしまったのかもしれません。

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2009年11月09日303号 歩く

なにしろYUKIは忙しそうなのです。 こんな表現をすると「ヒトゴトで無い!」とまた叱られそうですが(^_^;)

忙しい原因のひとつは… 私の3食の食事のカロリー計算とその献立を作るのにテマヒマがかかって時間が足りなくなるのです。 私としたら心から感謝する事ではあるのですが、 この2ヶ月でかなり数値が改善され、栄養指導の先生からも 「もう少しカロリーを増やして緩和しても良い」と言われているのです、 ソコまでしなくても、と思うのですが YUKIはその手を緩めるどころか益々厳しくなっていくのです(^_^;)

もうひとつは仕事です… と言っても契約がバンバン取れて忙しいのではありません。 昨今の保険会社のマニュアル化・パターン化の傾向には私のブログでも異議を唱えてきましたが、 どんどんエスカレートし本当に酷いものです。 書き出すとまた怒りが沸いて止まらなくなるので控えますが 実態により形式が重要視されパターン化した作文の提出が強要され、 その提出が遅れるとペナルティが課せられのです。 私はその事にとても憤慨しているので仕事がますます遅れていくため YUKIがソレをカバーするしてくれるので忙しいよう…イヤ忙しいのです(^_^;)

そんな忙しいYUKIを私は知っていますから YUKIとのマルエツの買い物も、クルマで行ってしまう事が多くなり、 ”けん散歩”もままなりません。 ようするに私はYUKIを気遣ってなのですが… 「まったくKENは怠けものでどうしようもない!早く死にたいならどうぞ!」などと言うのです(^_^;)

そんなわけで… 7日土曜日、床屋(一休)にはクルマを置いて行ってみる事にしたのです。 考えてみれば都心(赤坂・溜池)の床屋にクルマで行くこと事態、不自然な暮らしだったのですが 30年近くそうしてきたのですからメタボになるのも当然です(^_^;)

午前11時40分我が家を出発! 天気はとても穏やかなので小田急線の向ヶ丘遊園駅まではバスを使わず歩いていく事にしました。 いつもクルマでしか通らない道を徒歩で歩くのも楽しいものです。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ 道路拡張工事が完成間近で歩きやすくなりましたが、まだ未完成の部分もあり TV番組でも紹介された”恐怖のバス停”は健在です。① ② ③

松下電工の研究所跡17000坪の広大な敷地に750世帯のマンション群『ユーロピア』も いつもクルマから道路越しに見るだけだったので探索。 ① ② ③ ④ ⑤ 思った通り「なんだかな~」という感じで住みたいとは思えませんでした(^_^;)

ここからだと【向ヶ丘遊園駅】より【生田駅】の方が近いと思い、ソチらの方向に歩きましたが 行き止まりが多く、細い住宅街の道は線路からどんどん離れ上り坂になっていくので やっぱり引き返して【向ヶ丘遊園駅】に向かう事にしました。 ① ② ③ ④ なるべくクルマで行けない道をというコンセプトでしたが 線路と陸橋とアップダウンの多い道を歩くとなると、マトモにたどりつけないのです。 ① ② ③ ④ ⑤

やっと小田急線【向ヶ丘遊園駅】に到着したのは家を出てピッタリ1時間!歩数7168歩!です。 クルマなら15分足らずなのに(^_^;)

小田急線で代々木上原で向い側ホームの地下鉄千代田線で国会議事堂前で下車 30年前には通いなれた道のりを地下から脱出することも出来ず歩数を稼ぎました(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤

床屋一休に到着するとマスターの奥さんから「角倉さんどうしたの!」といきなり言われました。 いつもはビルの駐車場から颯爽?と入ってくる私が 徒歩と電車で2時間近くかけて伸びきった頭髪は風でボサボサ、 疲れきった様子でしかも”痩せさらばえて?”入ってきたのですから(^_^;)

30年も私の耳垢をとって頂だいているマスター夫人から 「耳垢がサラサラでしかも少なくなって体質が変ったみたい」といわれ 体質改善がされたのか?枯れちゃのか?少し考えましたが(^_^;) 髪をカットし整髪していくと普段の丸顔に戻って、 いつも以上に健康談義に盛り上がりました。 […]

2009年10月26日301号 鬼の調教師?

私が8月15日に少々具合が悪くなり診察結果、 一日1600カロリーの摂生生活を迫られた事は【292号】でお伝えしました。

あれから2ヶ月が経過したわけですが、 一ヶ月目の経過を看る検診が9月14日に そして二ヶ月目の検診が先週の月曜日10月19日にありました。

8月15日土曜日の夕食後、何だか脂汗が出て息苦しくなったのです。 近くにある聖マリアンナ医大病院の救急診療を受けたら血糖値が異常に高いとのことで 翌々日の月曜日に正式な検査を受ける事になりました。 数値だけ見れば”リッパな糖尿病?”と言われたのですが 一ヶ月間様子を見るという事になって 9月14日一ヶ月目の検査では数値が下がってきているので、 もう一ヶ月様子を見るという事になったのです。

先日(19日)聖マリアンナ医大病院に、その結果を知るためにYUKIと出かけました。 診断の前に尿と血液の検査があるので、私はYUKIに昼食は早めにとお願いしていたのですが… マイペースのYUKIはペースを崩さず、 結局食後45分で尿と血液の採取をするという悪条件だったにも係わらず… 血糖値が 8月15日の救急診療で414Hもあったのが(^_^;) 翌々日の8月17日が190H 一ヵ月後の9月14日が183H そして二ヶ月後の今回は168Hと順調に下がっているようです。 ① ② ③

そして医師が最も重要視しているのが【ヘモグロビンA1c】の数値で 8月17日が8.7H 9月14日が7.8H 今回の検診までに6.5Hを目標と言われたのを6.1Hを達成!(^_^;) これが達成出来なければ教育入院が用意されていたようですが 危険ラインをどうにかクリアしたようなのです。

これも、なんだかんだと言ってもYUKIのオカゲとは思っていますが… ソレにしても鬼のような厳しい食生活をさせられたのです(^_^;) それがどのように厳しものかは書き出したら止まらなくなるので今回は控えます。

でも、そのおかげで体重がこの二ヶ月で6キロ減量、会う人会う人から 「ダイエットされました?」…と嬉しい言葉を頂くようになりました(^_^;)

医師が嬉しい結果を私たちに伝えてあと、「血圧は測っておられましたか?」と訊ねられました。 血圧計も購入して測っておくようにと言われたのですが 「血圧はKENの数値にそれほどの異常も無いし、そんなことより糖尿病対策が第一!」という YUKI調教師のツルの一声で気にもしていなかったのです。

医師がでは一応血圧を測っておきましょう?…と言うことで測定したら 上が180以上あって、医師は糖尿よりコッチが問題、1ヶ月前に紹介状を出している 開業医に看てもらうよう言われてしまいました。

一難さってまた一難です。(^_^;) それにしても、何でそんな高い血圧が出たのか私には理解出来ません。 多分ホットした時に、いきなり”血圧”といわれ”血圧が上ったのだと思います。 23日の金曜日、紹介された開業医に行きましたが、そこではほぼ正常値でしたが、 開業医から「血圧計を購入し朝晩の記録をとって、その結果を見て処方箋を考えましょう」と言われました。 帰りに近くのヤマダ電機で血圧計を購入しさっそく記録を開始です。 今のところは上は正常値の範囲、逆に下が80以下で、どちらかと言えば低血圧の傾向です。

鬼調教師YUKIは、血糖値低下のためのプログラムを私の骨の髄まで叩き込むためなのか? その手を緩めることはなく、 それに血圧プログラムまでが加算され燃えに燃えているのです、あ~コワ(^_^;)

昨日(24日)、津久井町〔相模原市)での大豆作りの会にYUKIと出かけました。 今回で3回目になるのですが、ここでの作業は朝の9時から始まって午後の4時頃までとてもハードです。 早朝に家を出るので今回はしかたなくコンビニで朝食と昼食を購入する事になったのですが… もちろん私が好きなモノを選ぶ権利などあるわけがありません(^_^;)

でも、私にだって少しは望みもあるのですが、私がソレを強く云うと 「だったら私は一切何もしせんからKENの好きなようにして下さい!」との常套句が返ってくるのです。 […]