2005年11月21日096号 Dr.KEN初セミナー顛末記

Dr.KENのセミナーをやりたい! そんな気持ちは私がホームページをスタートした時からありました。 思いだけを何時まで抱えていても始まりません。 まずは日時や会場などを決めて、どんな形でもやって見る事だと決心したのです!

『会場』は私の友人Y氏が所有する麻布十番の小さなビルのレンタルスペース。 私を含めて10名も集まれば満員の小さな部屋ですが私のイメージにはピッタリです。 『日時』ですが、毎月あるアカラックスの坂本セミナーの翌日(これが今回は大正解) という事で11月18日(金)午後2時から4時と決めました。 『参加費』は1000円(お茶付)! 坂本セミナーは5000円でお茶も付きません(^_^) 『セミナーのテーマ』は初回で、どのような人達が集まるかも未定なので 、参加者の要望を聞きながら対応しようという事で「Dr.KENの生命保険よもやま談義」です。

セミナーの開催掲示は Dr.KENが活躍?している【保険選びネット】の生命保険セミナー告知板。 それに、ロコハウスのHPの表紙の”今年はサンバ(3羽)”のイラストのすぐ上にリンクをはりました。 開催日の1ヵ月前でした。

小さな会場での茶話会のようなものですから… カノ有名?なDr.KENのセミナーだったら数名は来て頂けるとタカをくくっていたのです。 しかし直前になっても、誰からの反応も音沙汰もまったくありません。(^_^:)

それに嘆いていると、ヒロコから「バカジャン!」とのひと言です。 今までメール相談があった人達のメールアドレスは残っているのだから、 その人達に直接ご案内を送るべきだとヒロコはいうのです。 私は素直に聞き入れて80名位のアドレスをBCCにまとめて送ったのが3日前です。

そしたら早速、数ヶ月ほど前までメール相談にお応えしてきたMさんから返事がありました。 喜んでメールを開けると、短い文章に 「お手数ですが、こちらのアドレスをリストから削除願います」 …もう何だか情けなくなって落ち込んでしまいました。

それから何通かの返事が入ってきて、今度は恐々と開けて見ます… それらは嬉しい事に、激励や近況を伝えてくれるものでした。 遠方や日時の都合で今回は行くことが出来ないけど チャンスがあれば是非参加したいというものです。 メールの相談者は全国です、明るい気持ちを取り返す事が出来ました。

私のDr.KENのセミナーの前日、アカラックスの坂本さんのセミナーの当日の朝… 友人の丸谷君(セピア色の友)からメールが入っていました。

「どうしても人数集まらなければ、明日午前中にでも携帯まで。なんとかできるかも知れない。丸谷」 涙が出るくらいありがたいメールですが、どうして彼が現況を知っているのでしょうか? BCCで送った80名のメールリストに彼のアドレスを間違って入れて送ったのがわかったのですが、 これは怪我の功名です。 さすが時間に自由が利くテレビ局のプロデューサーと感謝しつつ YUKIと恒例の坂本さんのアカラックス・セミナーに向かいました。

今月のアカラックス・セミナーのゲスト・スピーカーの水戸さんは、 私がゲスト・スピーカーをした9月のセミナーに初参加して、 私の生命保険に対する考えに心から賛同してくれたのは嬉しいのですが… とても声が大きく、とても騒がしくうるさいヒトなのです(^_^;)…この私がそう思うのでから相当なものです。

セミナーの終りに坂本さんから明日、私のセミナーがある事を宣伝して頂きました。 まず水戸さんが「角倉さん水臭いですよ!ひと言私に声を掛けてくれれば、喜んで参加するのに!」と…。 でも彼が参加したら私なんか霞んでしまいそうです。 結局、翌日のセミナーには坂本さん・中田クン・水戸さんの3名、それにMクンの4名のプロの参加が決まり、 YUKIと私、それに一般参加者として丸谷君が1・2名でもつれて来てくれればピッタリ収まりそうです。

翌朝、丸谷君のケイタイに電話を入れると、とてもとても情けない声で… 「ゴメン!風邪でダウンしちゃって、行けそうもない」

結局は、何の事は無い前日の2次会・3次会と同じメンバーです。 これではあんまりなので、この会場のオーナーY氏に途中からでもいいからと一般人として 参加してくれと嘆願して… 記念すべき【第一回Dr.KENのセミナー】はスタートしたのです! とはいってもこのメンバーですからセミナーというより、もう座談会です。 […]

2005年11月15日095号 11月11日の時効

昨年の11月11日の事です。 マンション前に停めていた愛車のサイドミラーに駐車違反のビニール札がロックされていました。 「こんなところで!」…というショックもありましたが、 私が、もっとショックだったのは、これで【違反点数】が5点になってしまったからです。 もうこのあとは、何かの交通違反を一回でもしてしまったら免許停止(30日)になってしまうからです。 ようするに、免停のリーチがかかちゃったのです。 でもこの日から1年間、まったく無違反だったら【違反点数】の持点5が全て消されるのです。(^_^)

こうなったら、何が何でも安全運転の無事故・無違反でいくしかありません。 でも、気のせいかも知れませんが、最近やたら交通取締が厳しくなった気がするのです。 こんな事をいうとYUKIは… 「KENがボケて注意散漫になっただけで、そんな言い訳は見苦しい!」と一刀両断にされます。 でも、私は運転免許を取って40年近くになりますが、 これほど短い期間に違反点数をたくさん頂いた?事はないのです。

ゴールド免許制度が出来てかなりになりますが、私には縁の無い制度です。 何も開き直ったり、まして自慢してるわけではありませんが 私は年間3万数千キロ、一月約3000キロ近く走っているのです。 私より何倍も多く走行している、個人タクシーをしている友人はゴールド免許を自慢していますが タクシーの運転手が駐車違反で捕まる事はあまり考えられないのです。

私の違反の大部分は駐車違反です。 月3000キロ走ってますが、タクシーのように走るのが仕事ではないのです。 目的地に行ってのビジネスが目的で、その間どこかにクルマを駐車しなければなりません。 目的地に必ず駐車場があるとも限りません、無のが通常です。 そしてココだったらまず駐車違反は無いと思っているようなところでも 通報されたりして、キップを切られてしまうのです。

実は、違反点数が5点になったのはアッというまで1年にもならない期間だったのです。 実は、その1年前に7点で30日の免停免除の講習を受けていたのです(^_^;) ようするに、この数年の間に12点の軽微な違反が集中してしまったのです。

もちろん、これら全てが駐車違反ではありません。 ある時はクルマの後部座席にある地図帳をとるためシートベルトを外していたら 信号の無い大きなT字路で、警察官がシートベルトの一斉取締りをやっているのです。 慌ててシートベルトを占めなおして、前のクルマが止められているのを幸いに そこを素早く通り過ぎようとしたら、一時停止違反で捕まってしまったのです。 シートベルトなら減点1だったのに、一時停止違反で減点2を取られてしまいました。

また川崎の駅前の道路を間違えて一本手前の一方通行に入ってしまいました。 信号のところで目的の道路に出ようと右折したら,真後ろにパトカーがいて呼止められました。 右折禁止を曲がったというのです。 一通路は対向車が無いわけで、右折禁止は通常は考えられません。 そんな標識があったとは気が付かなかった私が悪いのでしょうが、 それをパトカーの真ん前でやってしまう自分の間の悪さに泣けてきました。 その後の助手席いたYUKIからの”ばじ雑言”にも、ただただ耐え忍ぶだけです。

YUKIは、それらは全て、私がボケてきたというのです。 私の取り締まりが厳しくなってきたという主張には耳も貸してもらえまん。 まーどっちにしても、 1年間も無違反でいる事は、大変であることをその時から実感していたのです。

ところが、先日の11月11日(金曜日)、無事この1年間、無違反で時効を迎えたのです! 人間なにごとも「成せば成る!」です(エッヘン) 最後の数ヶ月は結構神経を使いました。 少々駐車場が離れていても必ず入れるように心がけ、 どうしても路上駐車しなければならない時は、ケータイの番号を大きく書いた紙を クルマのダッシュボートの前に置いて、なるべく短時間で引き上げるようにしたり、 11月11日が来るのを指折り数えていたのです。

無事11月11日を経過したのですが、ココに来てちょっと不安が残っています。 それはYUKIから言われた「ほんとうに11月11日なのですか?」という事です。 その時の違反キップが見つからず、私の記憶だけなのです。 また深夜の高速道路を頻繁に使う私ですが、そのスピード違反を自動的取締りをする […]

2005年11月07日094号 保育園の同窓会

保育園の同窓会…と言っても、私の保育園時代の同窓会ではありません。 もっとも、私の時代には保育園というものが、なかったと思います。(多分) だいたい保育園生の同期が集まって数十年後に 「さくらんぼ組のN先生にはまいったよな」なんて話はあまり出来ないのです。 本人達にはほとんど記憶がないわけですから… 懐かしいのは親同士です。

11月3日(祭)にナオキ君のママのコンサートがありました。 ナオキ君は保育園時代から目立ったやんちゃでアイドル的存在でした。 その後は、バンドを作ったり、スキーで活躍したりして 早くも二児のパパになって今ではロコハウスのお得意様です。 ナオキ君の長男は保育園時代のナオキ君と、まったくソックリで混乱します(^_^)

ナオキ君のママの演奏は、もう昔からよく聴いていますが その素晴らしさは折り紙付きで、いつも楽しみにしているのですが…もう一つの楽しみが それに集まった保育園仲間のミニ同窓会となる帰りのレストランでの食事です。 でもこれには一つ問題があります、ナオキ君のママはコンサート関係者との 打ち上げがあるため、我々のミニ同窓会には参加出来ないことです。

で、今回は私たちが、その”打ち上げ”の方に急きょ、参加させて頂いたのです。 と言っても我々同窓会組は、私たち夫婦とゼン君のママ、それに マコ(真)ちゃんと1年下のハルカ(空)ちゃん、ひとよんで【真空パック】姉妹と そのママの合計6名です。

コンサート関係者も十名足らずで、予約していた小さなイタリアン・レストラン の椅子が足りそうもありません。 そうなると、こちらとしては恐縮して遠慮がちになってしまうのですが… テーブルをぎゅうぎゅうずめにして、乾杯のビールを飲めば もう、そんな遠慮はどこかに飛んでしまい、楽しいひと時です。 (YUKIはビールを飲まなくても何時も飛んでると申しておりますが…)

少々残念だったのは、いつも彼女の演奏会で素晴らしいピアノ演奏をする北条直彦氏と 一度でもお話が出来たらと思っていたのですが、それが出来なかった事です。 なんせ、私は隙間なく一列に並べられたテーブルの一番奥にいて身動きが出来ず、 同列の遠い位置に北条氏がいるのですから(^_^;)

イタリアン・レストランでの打ち上げは終わったのですが、 食べ盛り、飲み盛り?のマコちゃん・ハルカちゃん姉妹には、ものたりなりなかったのか 生田駅前(小田急線)の『居酒屋ふう』に行こうというのです。 そしてケータイでゼン君に来るようにメッセージを入れているのです。

この日、ヒロコは友人のホームパーティーに行っており、帰宅が遅くなります。 それならこっちで合流し、タクシーで帰ればという事になったのです。 すなわちコンサートに行った6人に、ゼン君とヒロコの2人がプラスされて 8人での3次会、いや同窓会です。

この店はゼン君のお気に入りだそうで、いろいろな飲み物や肴(さかな)を 私たちに説明して、手際よく注文をしてくれます。 マコちゃんともよく飲みに来て、もうすっかりお馴染みのようです。 ゼン君が「そうそう、ダイスケも呼ぼう!」と言う事になりました。 ダイスケ君のパパは昨年5月にイラクで亡くなった橋田信介氏です。 ダイスケ君もココがお気に入りでゼン君とよく来るそうですが あいにくにも海外での社員研修中だったようです。

最後にヒロコも加わって同窓生4人と、その親4人の半々になるわけすが こうなるともう、もうイニシャチブは完全に子供側です。 それにしても、この4人はよく飲み、よく食べます。 ヒロコも昼からビール、ワイン、日本酒、そしてウオッカまで飲んだので… とケータイでは言っていたのに、この居酒屋にお気に入りのベルギービールが ある事に感激してケロッとした顔でお変わりまでするのです。

でも、今や全員社会人、でもそれぞれが個性を持って逞しく育っているようで とても楽しみです。 今回は3家族でしたが、もっともっと多くの家族が集まると、面白いと思います。

3次会には出席できなかった…ナオキ君のママ […]

2005年10月31日093号 ハッカー???坂本

ハッカー坂本… それは、この週刊KENでも今やお馴染みになった アクチュアリーでアカラックスの社長、坂本さんの事です。 実は今日(30日)我が家で命名したばりの彼の愛称です。

なぜハッカーかというと、坂本さんがパソコンで悪い事をしているという意味ではなく、 ハッカー並みの凄い知識を持っていることがわかったからです。

なぜ今日、命名したかというと…今日我が家の3人で、アカラックスのオフィスの伺って 私のこのホームページのロコハウス・カフェ(掲示板)の復旧のアドバイスを受けたからです。

なぜ、坂本さんのところの行ったかというと… 私の掲示板の今までの書き込みがすべて消えてしまって、その原因も判らず バックアップも取っていなかったのです。 我が家のwebマスターのヒロコもお手上げ状態だったのですが、 坂本さんから、今までのかなりのカキコミをネット上から拾ったとのメールを貰ったのです。

日曜日の神田は静かで人気も少なく、アカラックスのオフィスの正面のパーキングメーター の前にクルマを止める事が出来ました。 考えて見ればシラフで、しかも明るい昼間にこのオフィスを訪れるのは初めのようで(^_^;) まず、歴史的価値もあるというオフィスのビルのエントランスで一枚!

日曜日は静かに仕事が出来るという事で坂本さんは、ほとんど出勤されているよです。 社長業は365日仕事!と私も含めて(^_^)大変なのです。 それとも家に居れない事情でもあるのかもしれません(冗談)

坂本さんの奥様からの差し入れという美味しい生チョコと紅茶を飲みながら パソコンを開けて坂本さんからヒロコはいろいろ教わっているようです。 「いるようです」と言ったのは、パソコンが高度な扱いになると、ヒロコにまかせきりなるからです。 今日の訪問となったのもヒロコの都合がこの日しかなく、それに坂本さんがあわせてもらったしだいです。 したっがて私はただ側でボッと見ているだけです。 何だか専門用語?が出てきてヒロコはさかんにうなずき、感動しているのはわかるのですが 何の事だか私にはわかりません。 ただ、坂本さんがパソコンにとても詳しく、私の掲示板の危機を救ってくれそうな事だけは 横から見ているだけでも判りました。

なんで、そんなに詳しいかと訊ねたら、パソコンが無い時代から保険会社で コンピューターを操作していたというのです。 そのころのコンピューターには画像が無かったというのはヒロコにも想像がつかないようです。 まーようするに、東大の数学科を出て保険会社で保険数理のアクチャリーとして活躍した人ですから どうも私のような凡人とは頭の出来が違う事はたしかなようです。

もう坂本さんには恐縮するばかりですが、坂本さんもただ奉仕するばかりではありません。 ヒロコにも書類を出して”或るモノ”をさかんに勧誘していました。 ”或るモノ”とはアカラックスが社運をかけて?発売した明楽寿(あからくす)共済です。 我が家では、ひそかに明楽寿”共済”ではなく明楽寿”交際”として交際費として落とす事を 考えているシロモノですが、なかなか興味深い共済(保険)である事はたしかです。 この事に関しては、いつかもっと詳しく書こうと思っています(^_^)

そんなパソコンに詳しい坂本さんなのに、アカラックスのホームページ… その片鱗を見せない、謙虚さが素朴でいいですね(^_^)

2005年10月24日092号 越前クラゲ

今年の3月の北陸ツアーで本場の【越前ガニ】をゲットした話をしましたが、 【越前クラゲ】が今、異常繁殖しているそうです。

冷やし中華にクラゲが入っているとゴージャスな気分になりますし、 中華料理のコースで最初にクラゲの前菜が出てくると、 「さー食うぞ!」とハッピーな気分になります。 しかし、クラゲを腹いっぱい食べてみたいと思った事は、 私の長い人生の中でも1度もありません。

日本海を見た事が無いと言っていたYUKIですが、今年は今までに… 2回の北陸ツアーで越前海岸や能登半島、そして鳥取のイカ釣り船の漁火、 舞鶴訪問では天橋立、若狭湾と日本海を堪能してきました。 その美しくてのどかな日本海が【越前クラゲ】で覆い尽くされて漁業が出来なくなっているというのです。 なんだか他人事とも思えず、このニュースに注目してしまいます。 これが【越前ガニ】に覆い尽くされているなら、その駆除?に協力するという名目で 現地に駆けつけるのですが、【越前クラゲ】だと「漁師さんが気の毒だなー」と思うだけで 終わってしまいます、ごめんなさい。

【越前クラゲ】の繁殖はしばらくは続くようで、日本海側から太平洋側にもひろがり その数は5億匹にも及ぶと言われているようです。 地元では、その有効利用も色々考えてクラゲ入りのアイスクリームも開発されたそうですが そんなものが少々売れたからと言って、5億匹の大型クラゲ対策にはなりそうもありません。 だからと言って巨大投資をして、たとえばコラーゲンの抽出工場を作っても 大量繁殖はこの年だけならビジネスとしては厳しいかもしれません。 これが【電気クラゲ】なら原発に変わる発電所を!…なんてアイデアが一瞬閃いたのですが(^_^;)…

そもそも、どうして【越前クラゲ】がこんなにも異常繁殖してしまったのでしょうか? あるテレビ・ニュースで地元の漁師さんが 「クラゲが悪いのでなく、人間が悪いのだ…」と言っていたのが印象的でした。 魚が乱獲されて、プランクトンを食べる魚が減ったため、プランクトンがまず増殖して それを食べるクラゲが地球温暖化と中国の工業排水との関連で異常繁殖したというものです。 ようするに、中国の乱獲と工業排水にも問題があるということでした。 しかし、最近のニュースではもっぱら地球温暖化だけが取り上げられているようです。 これは小泉さんの靖国問題で中国に遠慮しているのかもしれませんね。

大きさ1メートルもあるという巨大クラゲが環境破壊の中で5億匹!そして繁殖を続けていると聞くと なんだかSF小説のようで、とても不気味に思えてきますが… 人間は環境破壊をしながら現在では、地球上に60億匹じゃなかった60億人もいるのです。 400万年の人類の歴史において、1万年前は1000万人、2000年前が3億人、200年前は9億人、 100年前は16億人、そしてこのたった100年で60億人ですから、クラゲ並の異常繁殖かもしれません。 5億匹のクラゲなんてペロッと食べてしまうことが出来るとんでもない生物です(^_^;)

私は時々、テレビの前でゴロッと横になってニュースを見ながら、うたた寝をするのですが… 私のそのすがたをYUKIは「トドみたい…」と言っていたのですが、 最近では「越前クラゲみたい…」と言われるようになりました。 なんだか【越前クラゲ】に愛着が出て来た、今日この頃です(^_^)

2005年10月10日090号 唐ゼミ公演【盲導犬】

今、私は一冊の本を一気に読み終えました。 タイトルは『教室を路地に』(横浜国大VS紅テント2739日)です。 60年代前衛演劇の旗手と言われ、現在も独自の活動している”唐十郎”が 国立大学の客員教授となって退官するまでの7年間を綴った本です。

その唐十郎作品をYUKIとヒロコと3人で新国立劇場(新宿)に見に行きました。 8月鎌倉Mさん宅での花火パーティーで逢った中野クンが演出をしているからです。 パンフレットを見て初めて知ったのですが、鎌倉のMさん宅に中野クンを連れてきたマーちゃんが この公演のプロデューサーだったのです。 そのマーちゃんが【黒いチューリップ】と【盲導犬】 の二本立て公演で、どっちか一つ見るなら、 個人的にはブッちぎりで【盲導犬】がお勧めだというので、それを見る事にしたのです。

新国立劇場は初めてです、石造りの贅沢な空間はまさに”国立”という感じです。 そこでテント小屋での芝居活動で有名な唐十郎作品の公演をしようというのです。 入場すると、人形の赤ん坊を背負って女装した役者をはじめとして おもいおもいの怪しげな姿をした役者達がうろちょろして唐十郎ワールドへと導いてくれます。 客席を見渡すと年齢層や客層もまちまちです。 劇場内は黒い布で被われ、前方が桟敷で後方はベンチ、テント小屋を意識しているのでしょう。 懐かしいシャンソンの名曲『巴里の空の下セーヌが流れる』の甘くけだるいピアフの歌声と 座席の案内をテキパキとやる劇団員の声が心地よく異空間でまざりあって 開演前から私の心も数十年前にタイムスリップしていくようです。

芝居の舞台は新宿のコインロッカーの前。 シンナーの袋を持ったフーテン少年と盲導犬「ファキイル」とはぐれた盲人が出会います。 小劇場の狭い空間の中で役者の個性とテンポの速いセリフに、まずは圧倒されるわけですが… シンナーの”フクロ”からフクロの言葉遊び的セリフが続き、盲人はいきなりズボンを下ろして フンドシ(どういうわけかパンツじゃない)の横から股間のフクロをポロリと見せてしまうのです。 私の隣には貞淑な妻と、嫁入り前の娘が座っているのです。 こんなモノを国立劇場で見せて良いのでしょうか(^_^;) でも、最初にこんなものをいきなり見せられたら、もうその後は何が起こるのか緊張感の連続です。 (幸か不幸か…それ以上の事は起きないのですが、これも中野クンの演出なのでしょうか)

そのコインロッカーの330(ミサオ)番に今は亡き夫にかつての恋人の思い出を封印された ヒロイン『銀杏』が現れます。 亡き夫の束縛を断ち切ろうとする『銀杏』の前に、死んだはずの夫が盲導犬学校の教師として登場… ラストはロッカーが大音響とともに左右に引きさかれ、その奥から客席に向かって閃光が放たれます。 その光の前に「ファキイル」にのどを噛み切られ束縛から解放された?『銀杏』がたたずみ、 安らぎとも不敵とも取れる微笑みを客席に投げかけて終わるのです。 (テント小屋なら、テントがイッキに取り払われ狭い舞台小屋から外界へとときはなつのでしょう、多分。)

何の予備知識もなく見に行った私たちは、ただ「すごかったね」と言ったあとは言葉になりません。 Mさんも見えていました、マーちゃんにもお礼の挨拶をしました。 もちろんお客様を送り出している中野クンにも挨拶して新国立劇場を後にしました。

クルマの後部座席でヒロコは「スゴイ芝居を見ちゃって頭が痛くなっちゃた」と横になってしまいました。 そして「芝居には引き込まれたがセリフやストーリーがよく理解出来なかった」と、力なくいうのです。 たしかに数十年前のギャグやテレビ番組、そして石川セリの「八月の濡れた砂」が突然流れたり 若い世代には意味不明かもしれませんが、芝居そのものは私だって意味不明なのです。 ようするに、詳しいあらすじなどとうてい書けそうもない不条理な世界です。 私もヒロコも芝居にはちょと係わっていた事は以前に書きましたが、 そんな一般的な演劇とは一線を隔すのが、唐十郎の世界なのかもしれません。

私はもう少し、唐十郎や中野クンの事を知りたくなりました。 その事が書かれている本がある事がネットで判り大手町の紀伊国屋書店で購入したのです。 そこには唐十郎の時代を超越した魅力と、 40歳も違う学生達と「吸血鬼」のようにお互いに血を吸いあう関係の記録が書かれているのです。

その中で特に面白かったのは… この本の著者である横浜国大の室井尚教授が唐十郎を客員教授としてスカウトするところです。、 その返事を唐十郎が自分の芝居の中にメッセージに込めて伝えるのです。 多くの観客が見ている芝居を、たった一人の室井教授の為に謎めいてセリフや入れて 演出まで変えて、伝えようするのです。 […]

2005年09月26日088号 映画【レインメイカー】

映画【レインメイカー】について、今月の早い段階でテーマに入れようと思っていたのですが、 書けないまま9月も終わりに近づいてしまいました。

実は9月12日の85号は、本当はこの事をテーマにしようと、キーボードを叩いていたのですが その起承部分としてTN社損害課の対応を書いてるうちに、だんだんアツくなってハラがたってきて 『おまえはバカか!』なぞという過激な題名になって、【レインメイカー】に触れずに終わってしまったのです。

で、先週の86号のテーマにも、少し関連があるので書こうと思っていたのですが、 セミナーに参加して下さった小野瑛子さんについて書いてるうちに、小野ファンとしてアツくなって 『小野瑛子健在なり!』という題名になってしまい、【レインメイカー】に触れずに終わってしまったのです。

どうして今月中に映画【レインメイカー】の紹介をしようと思ったかと言えば 今月中だったらインターネットを通して、この映画がタダで見る事が出来るからです。 この映画は何かといえば1997年のアメリカ映画でコッポラ監督、マット・デーモンが 正義感に燃える若き新米弁護士を演じる法廷ドラマです。 そしてテーマは『生命保険会社の保険金不払』についての裁判なのです。

この映画がインターネットでタダで見る事が出来ると紹介してくれたのは、 保険評論家の大地一成さんのホームページです。 (ここにも私は征保大将軍の名前で9月3日にコメントをいれています)

私は【レインメイカー】という映画があった事も知りませんでしたし インターネットから映画を見た事もありませんでしたが、興味があったのでチャレンジしました。 もし興味があればクリックしてください。 (最初に簡単な登録手続きが必要ですがお金はかかりません、そのかわりCMは多いです)

8年前に製作された映画【レインメイカー】のあらすじは… 低所得者を対象にした生命保険を発売して、契約者から保険金請求があった場合は、 まず保険金が支払われない理由の手紙を次々に郵送しておいて、小額の示談に追い込むという マニュアルまで作って会社ぐるみで契約者を騙している生命保険会社の話。 低所得者は弁護士を使ってまで裁判をしないだろうと思っている保険会社に対して 正義感に燃える若き弁護士と白血病で保険金を貰えず死んだ若者と母親の執念が その生命保険会社を破滅にまで追い込むという感動ドラマです。

なぜこの映画が8年も経過した今、話題になっているかといえば… もちろん、生命保険に詳しい方なら承知の事でしょうがこのニュースです。 我が国を代表するような大手の生命保険会社の話です。

私が不思議でしょうがないのは、このような事があっても、契約者は怒らないし マスコミの話題にも、あまりならないという事です。 それどころか、これは大地さんのHPでもカキコミさせて頂いたのですが… 今回の事件以降、私が参加している保険相談の掲示板で急増したのが 「実は数年前に書いた告知書に漏れがあったのですが、このままにしていたら保険会社から 保険金が貰えなくなるのでしょうか?」といったようなものです。

この事件は契約者の告知違反を盾にして、契約者に保険金支払を支払わなかった保険会社が 業務停止命令を受け、さらに内部調査が進められているというものです。 そのニュースに怒ることなく逆に「そんな事で保険金が支払われなくなるんだ、どうしよう!」 という、ヒトの良さはなんなのでしょうか? また、さらに不思議でハラがたってくるのは… その相談を受けた保険のプロと名乗る者達の多くが、 「そうです、こういった事が無いためにも、告知義務は大切ですから、全てを告知しましょう」 などというお座なりコメントを出すだけで、この事件には触れようとしない事です。

おとなしい契約者。 自社の生き残りしか考えない保険会社。 保険会社の方しか向いていない保険募集人。 なんだか、私ひとりが怒りまくっているようですが… 保険会社・代理店・お客様が情報を共有化していくことが 21世紀の社会的責任を果たせる生命保険の条件だと私は思っているのです。

まずは多くの人にこの映画を見て欲しいと思っています。 (ネット上でタダで見れるのは10月1日正午までです)

私同様いつも怒りまくっている、あのマルエツの八百屋のマイケルにもこの話をしました。 是非、その映画を見たいというので、無料映画サイトGYAOのURLをリンクしたメールを送りました。 数日後、マイケルにその感想を聞こうと思ったのですが… […]

2005年09月19日087号 小野瑛子健在なり!

坂本さんの今月のセミナーのゲスト・スピーカーが私である事は83号でお伝えしました。 9月15日、そのセミナーも無事?終了し、何時もの餃子屋さんでの二次会はアルコールも入って 近くに席に座った者同士がそれぞれの会話で盛り上がったいます。

私の隣に座ってるYUKIの、そのまた隣に座っている坂本さんが、YUKIにそっと聞いています。 「今日のKENさんのトークどうでした?」 私は聞こえないふりをしながら、少し耳をそばだてると、やっぱり 「正直つまんなかったですね」とYUKIは答えているのです。(^_^;) もちろん、私は先月の新越さんのようにYUKIにその理由を追求するような恐ろしい事は決していたしません。 私は多分そう答えるであろうことは充分予想していたからです。

でもこの日、私はとても嬉しかった事があります。 私が敬愛する元祖FPとして名高い、小野瑛子さんに来て頂いたことです。 大病をされて大変心配していたのですが、この日の三次会のためにと 山形からわざわざ取り寄せた”鳥海ちゃ豆”を茹で、それに手作りの”煮付”まで持参して下さったのです。

私が【小野瑛子】の名前を初めて知ったのは今から20年ほど前の事で その頃の生命保険といえば、全部といってよいほど『定期付終身保険』の時代でした。 東京海上が生保を始めるのは96年からで、それまで私もF生命を扱っていましたが、 全社横並びでの『定期付終身保険』という商品に私は大変な疑問を持っていました。

私が不思議でならなかったのは誰ひとりとして、 この『定期付終身保険』に異議を唱えるマスコミや専門家がいないことでした。 私はF生命でも一本の『定期付終身保険』も販売せず変人扱いをされてたものです。

そんな中で『定期付終身保険』に噛み付いている女性の名前を発見したのです。 それが小野瑛子さんだったのです。 でも、しばらくして彼女の名前がバッタリとマスコミから消えてしまいました。

なぜ彼女がマスコミの世界から姿を消したか、それは… 漢字生保しかない時代に『定期付終身保険』を批判する事は保険業界そのものを敵にまわす事だったのです。 マスコミの大きな広告主である生保業界から睨まれてしまったら、保険評論家としての発言の場が 無くなってしまうという事だったのです。 しかし、外資系生保や損保系損保も保険業界参入し、漢字生保破綻などで、『定期付終身保険』の 問題点がやっと表面化し、小野瑛子の名前を再び見るようになったのです。

そんな彼女の復活に感動した私は、生命保険の熱い想いも込めたファンレターを お送りしたのがお付き合いの始まりでした。 6年ほどまえ小野さんはホームページを開設され、その掲示板や保険関連のフォーラムには 私も数多くのカキコミをさせて頂いていましたが、2年ほど前にHPを閉鎖されました。 その数年間は保険以外にも9.11や平和についてなど、数多くの議論に参加させて頂きました。 そして常に契約者や弱者の立場にたって権力に決しておもねる事のない凛とした姿勢に共感し また、その反面?とてもミーハーで、そそっかしい性格にも、たくさん触れることができて ますます、eikoファンになったしだいです。

広島でお生まれになった小野さんは6歳の時に原爆に被爆され、お父様とお姉様を亡くされ、 ハワイの二世だったお母様と小野さんは奇跡的に助かったそうです。 そのお母様の英文の手記を元に書いた『炎のメモワール』が小野さんのジャーナリストとしての出発点であり、 それが彼女のバックボーンにもしっかり根付いているようです。 その被爆経験が60年を経過して突然、牙を剥いたようです。 病名は被爆者が発症しやすいという甲状腺障害による「バセドウ病眼疾」 白血球が増殖して手術は危険だいう医師に、「私には命よりも視力が大切」と訴え 口の中を切開し目の奥の骨を削る、片目づづそれぞれが2,3時間かかる大手術されたのです。 いまもステロイドによる治療を続けておられ「おかげで、こんなに筋肉が付いちゃった!」と笑いながら 私に腕を触らせてくれるのです。

今、小野さんは、そのような病気と戦いながらも北朝鮮脱北者の支援を私財を投げ打ってまでされています。 その事が7月に週間誌の女性自身に小野さんの写真入りで掲載されました。 私は、それを拝見して、小野さんの凄さにまたもや感動しました。 小野瑛子は美人の誉れが高いヒトです(^_^) 私が居候していた彼女のホームページの表紙には、「いつ撮った写真じゃい?」と冷やかしたくなるような いつまでも美しいソフト・フォーカスの写真がありました。 そんな小野さんが、週刊誌に「バセドウ病眼疾」と大手術後の写真を堂々と?数枚も掲載されているのです。 でも、ほんとうに凄いのは、そんな事もオクビにもださず、以前とまったく変わらないという事です。

[…]

2005年09月12日086号 「おまえはバカか!」

「おまえはバカか!」 私は受話器の向こう側にいる相手に対して暴言を吐いてしまいました。 相手はそんなことを言われたことも無い幸せな人生を歩んできたのでしょう。 「バカとは何ですか!」の声のトーンも変わります。 「そんな事も判らないからバカと言っているのだ!」と私の血圧もピークに達します(^_^;) そばにいるYUKIが私に 「もう止めて下さい!理解出来ない相手に何を言ってもムダですから!」と叫びます。

電話の相手はT社損害課・課長代理のA氏です。 事の起こりは、バイクの保険に加入されているNさんがバイクの転倒し打撲をされました。 その時は大した事はないと我慢して仕事をしていたのですが、どうにも我慢できず約一ヶ月後に 病院に行きました。 その通院で支払われる搭乗者保険の給付金請求を廻ってです。

バイクは転倒してケガをする事も多く、搭乗者のケガを保障する搭乗者保険の保険料は 乗用車の保険料と比べてかなり割高に設定されています。 それだけリスクが高いという事ですから、私は少々保険料が高くても、しっかり加入しおくことをお勧めしています。 20年の代理店活動の中ではバイクの単独事故によるケガの給付は何度もありました。

対物事故や人命に係わる事故なら通常警察に事故届けをだしますが、 単独事故でケガをした場合は、それを客観的に証明するもの 例えば、目撃者の証明や、状況が説明出来る写真やケガの詳細と云ったようなものが必要になります。

ところが今回、この事故の保険金請求で損害課に連絡したら担当のH嬢が 「まず警察に事故の届出を出すようNさんに伝えて下さい」というのです。 私は「ちょっとまってくださいよ、今まではそんなことはなかったですよ」と言ったのですが、 本来は事故があったら事故届けを出すのが当然…と取り付く島もないのです。

問題は警察に事故届けを出すとどうなるか?です。 今回の事故は、相手のモノを壊したり、自分のバイクの車両損害を請求するものではありません。 あくまで自分のケガを証明するものです。 この場合、警察にも確認したのですが【人身事故】としての届出になるのです。 【物損事故】なら単に交番でどこで何時どうしたと届ければすむ事ですが 【人身事故】は扱いがまったく違います、刑事事件として扱われ現場検証をして おまけに免許の点数が3点減点され、場合によっては罰金まで請求されます。 人にケガをさせたならともかく、自分がケガをして罰則を受けるのも変な話ですし たった1日の通院給付金を貰うために、そこまでする人がほんとうにいるでしょうか?

でも、損害課のH嬢は、過去ははどうあれ警察の事故届けがある事が給付金支払の条件で 免許書の減点や罰金なんて事は別の次元の問題で、保険会社としては関係ないというのです。

私はNさんにそのことを電話で伝えました。 Nさんはその数日後に警察に行きました、そこで… 「保険金の請求のために事故届けをしたいのだが、それをすれば免許の点数が3点減点され 罰金の可能性があるか言われたのですが、本当でしょうか?」と聞いたところ 「その通り!」と言われたけどどうすればいいのかと、Nさんは警察から私に電話してきたのです。

私はNさんに言いました「それでも事故届けを出しますか?」 「冗談でしょ!」というNさんに私は 「それでは、その警察の担当官の名前を確認して帰ってください」といいました。

私はこれらの経過も含め損害課と交渉した結果、 今回に関しては転倒したバイクの写真があれば 1日分の給付金をお支払いしましょうという事にはなったのです。

ところがNさんの通院日数は実際には3日間ありました。 損害課はあくまで「一日分なら出しましょう」と言ったまでで 3日分が欲しいなら、やっぱリ警察に届出をしろと、元の木阿弥です。

そもそも、相手もいないバイクの転倒でケガをした事を警察に届けたからと言って それが事実であったかと証明されるものではありません。 まして一ヶ月以上たっていて、警察は何を証明する事が出来るのでしょうか? それより客観的に示す写真や状況報告や通院した病院に確認する事の方が確かはずです。 その事を私は損害課のH嬢に詰め寄っても 「そういう決まりですから…」「そうなっているのですから…」「事故があったら事故届けが鉄則です…」 の繰り返しです。 しかし、このようことは事流れ主義は、今やお役所でも通用しない時代です。 […]

2005年09月05日085号 またまたホリエモン

またまたホリエモンです。 最初は読売のナベツネさん、次はフジテレビの日枝会長、 そして、こんどは衆院選に立候補して亀井さんとバトルです。 (私は人間的には亀井さんが大好きなのですが) ホリエモンの上手いところは、このような具体的な敵役を作ってマスコミを巻き込み 判りやすい対戦軸を作っていく事です。

この敵役の人たちは、きまって 「素人(しろうと)の若造に何が出来るか!」と、言ってしまいます。 でも玄人(くろうと)が行き詰った世界にホリエモンが登場するから面白いのです。

ホリエモンは私のお客様の中にも嫌いな人もいますし、今回は政治もからんで YUKIは別のテーマにしたらと言いますが、 【週間KEN】では、過去2回(1回目・2回目)取り上げており 、 いわばホリエモンはセミ・レギュラー(^_^)で、私の趣味ともなりつつある人物なので 今回もあえて書かせてもらいますm(_ _)m

ホリエモンは、自分の言葉で、自分の意思で、リスクをしょって、 彼なりのまったく新しい価値観で古い既得権の世界にチャレンジするから 応援したくなるのです。

売名行為だとか、会社の利益目的とかの批判もありますが ホリエモンが政界に入って、ライブドアだけの利益誘導をしたら問題ですが IT産業そのものを活性化し、その結果としてライブドアも利益を上げるなら問題ないどころか 日本経済にとっても大変良い事ではないでしょうか。

ホリエモンが社長業のかたわらで政治家になるなんてケシカランという批判もありますが これこそホリエモンが、いやITの世界が判っていない意見です。 大きな会社の社長業は情報を把握し決断を下すことです。 彼はどこにいようと何をしてようと、手持ちのノートPCで会社の状況を把握して 意思を伝えるシステムを構築しているのです。 政治家も似たような職業ですから彼なら政治家になったとしても、 それほど今と変わらないライフ・スタイルをとると私は思いますし、 またホリエモンにはそれを望みます。

衆院選は郵政民営化がテーマのようです。 「郵便局を無くすことは弱いものいじめで地方切捨てだ!」という反対意見があります。

私も弱い者いじめは大嫌いですし、これからは地方の時代だと思っています。 だからこそ、私はホリエモンのような人間が出てきて欲しいのです。

インターネットは【弱い者いじめ】ではなく【強い者いじめ】のメディアだと私は思っています。 私のような無名の個人でも、いろいろな情報を発信し戦う事も出来るのです。 インターネットが普及すれば地方格差もなくなります。 そうなれば生活費が安くて人間らしい生活が出来る地方がおのずと見直されるはずです。

消費税が将来上がることも【弱い者いじめ】と反対するのは当然かもしれませんが、 私はどうせなら消費税を20%や30%に上げてしまえばよいと思っているのです。 そうすれば、消費者は消費することをしなくなるでしょう。 出来るだけ自給自足をし、地域のコミニティを構築しお互い助け合いながら生活していくことです。 そうなれば地球環境にとっても、介護・年金問題が重くのしかかる高齢化社会にとっても 決して悪いことではないと思うのですが。

地方や弱者を守るために 郵政民営化反対、消費税反対、ホリエモン反対…と叫ばれますが 大きく価値観を変えた、発想の転換が必要な時代が来たと私は思っています。

反対にこれらを肯定することによって 主体性を持った地方の活性化や、 弱者としの個人でなく、自立した個人として、 個性的に生きていけると時代が来るのではと、私は思うのですが、 いかがでじょうか?

ちなみ私の誕生の地である上下は”ホリエモン対亀井さん”の選挙区 広島六区にある事が、こんどの選挙で初めて判りました(^_^)

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