2008年09月08日242号 バーベキュとーゲリラ豪雨

今年は全国でゲリラ豪雨が猛威をふるっているようです。 でも7日(日曜日)、毎年恒例になった多摩川河川敷でのヒロコのバーベキューは てるてる坊主の効用があったのか真夏のような35度の晴天の中で始まりました。

今回は河川敷内の駐車場にクルマを入れることが出来て、 荷物の運搬もパワフルなメンンバーが一気に運んでくれて好調なスタートです。 ① ②

今回はヒロコのボーイ・フレンドのヒロシ君も初参加で… 徹夜明けにも係わらず出先の茨城からかけつけてきました。 来るなり足りなくなった氷を買ってきたり、焼きそばを作ったり大活躍です。 また5歳のY君とも意気投合?川に入っておおはしゃぎ! ここまで無邪気になれるのがヒロシ君の特徴のようで  ① ② ケータイがポケットに入っている事も忘れていたようです(^_^;)

トニーも2人の子どもと凧上げを楽しんでいましたが このヘンから空の様子が怪しくなってきました。

このような状況がある事は今回は予想していて 屋根つきの大きなテントを4つ、設置場所は橋の下に近いところで 雨や豪雨に備えて二重の対策をとっていたのです。 だんだんあたりは暗くなり豪雨の可能性も出てきたので テントの四隅をみんなで持って橋の下まで、持っていきます。 ここで時間も夕刻になって天候状況も厳しいのでヒロコは一応の終了を宣言します。 ① でも落雷と雨脚は強くなる一方で橋の隙間からも瀧のように水が落ちてきて テントの中にいてもずぶ濡れになってしまいます。

このまま橋の下のテントの中で身動きせず雨が止むのを待っていて、 多摩川が増水し我われが流されたら大きなニュースになりそうです。 そこまで行かなくても 増水して激しく流れる多摩川で数十人がテントの中で小さく固まって 救助をまつ姿が『ユーチューブ』で流されたら笑いものになるだけです。(^_^;)

そこで全員、玉砕じゃないズブヌレ覚悟でテントや荷物を持って駐車場まで行くことにしました。 もうここまで濡れてしまえば、開き直って実に爽快な気分になるから不思議です(^_^;) もう大変なもりあがりで記念すべきバーベキューになりました! ① ② ③ ④

ところでヒロシ君は昼過ぎにココに来るなり、いろいろと活躍をしてくれて そろそろ食べようと思ったら雨が降り出してこんな騒ぎになってしまい 結局何も食べていないというのです(^_^;) とりあえず私のマンションまでクルマで行って着替えをして…という事になったのです。 でも大変な量の食材が余っているのです。 多摩川の近くのフルタさんのマンションに何人かが集まっているという情報があったので 「残った食材を持って今から4人で押し掛けて良いか?」と ヒロコが電話をしてOKがとれたので 早速訪問!ヒロシ君はやった食事にありつけたようです(^_^;) そしてヒロシ君を日吉のアパートまで送り届けた時は ヒロシ君もヒロコも疲れきって完全に寝てしまって、 なかなか起きませんでした。

P.S. この後… ヒロコは明日(月曜日)新潟取材の出張のための機材を麻布まで取りにいき (と言っての私が運転しヒロコはまた寝ていました、が) 我が家の3人は午前様で帰宅、 ヒロコは午前8時の東北新幹線に乗るため早々と就寝。 かなり重くて大きな撮影機材を持っていくため 私が東京駅までヒロコを送る約束をしてしまっております、 そしれ、まもなくヒロコが起きてくる時間に迫ろうとしています(^_^;)

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2008年09月01日241号 雨の銀座

30日土曜日は久々に生命保険の相談にYUKIと都内(巣鴨)のAさん宅に出かけました。 (YUKIと一緒は久々ではありませんが^_^;) ここ1年あまりネットの保険サイト(保険選びネット等)のカキコミをあまりしておらず そこからくるメール相談が少ない分、一時のように地方のお客様のところに行く回数は減っています。 しかし既存のお客様が私のブログやホームページを見て下さっていて 私の生命保険に対するスタンスや考えに共鳴して頂き、 見直しの相談を受けることが多くなってきており、とても嬉しく思っているのです。

Aさん宅を午後5時頃あとにしてクルマは私の好きな銀座へと向いました。 銀座松屋の催事場でやっている【デザイン物産展ニッポン】を見にいくためです。 ま~これもいつものことで、この催事に特別興味があるということではなく9月1日までの チケットがあるので、それなら見に行こうとなったのです。 …といってもチケットは1枚(もう1枚はヒロコが持っている)で、 一枚は会場で800円出して購入しました。 我が家の場合チケットを1枚でももらうと、「せっかくだから!」とあとはお金を出してでも行ってしまうという、 ケチなのか?太っ腹なのか?よく判らない習性があるのです(^_^;)

実はこの物産展に出品されている商品の解説を英語に訳すアルバイトをヒロコがしたらしく その関係でチケットを2枚もらっていたようなのです。 でも、どこにも英文での解説は目に入らず「酷い訳でボツにでもなったのだろう」なんて言いながら 会場を回りました。 会場は四角い白い同じ大きさのテーブルが47個すなわち都道府県分が整然と並べられ その上に、その都道府県から厳選された5品目の商品が置かれているという シンプルにして、とても判りやすく、とても興味深いものでした。 ヒロコも1時間ほど後にやってきて、自分の訳した英文はお客様に無料で貸し付ける 解説用のiPodの中に使われていたようです。 ① ②

その後、 ヒロコのボーイ・フレンドのヒロシ君が銀座の行きつけの美容院で髪を切っているとの事で それならば髪を切ったヒロシ君も見たいものだし、一緒に食事をしようと言う事になったのです。

私とYUKIは路上に駐車したクルマの中で、ヒロシ君と彼を呼びに行ったヒロコを待つ事にしました。 途中ヒロコから「あと1時間ほどかかりそうだけど大丈夫?」との電話が入り こちらも急ぐ用があるわけでなく「ごゆっくり!」と言って、雨の銀座の夜景をみながら 車中でのんびりと本を読んだりするのも悪くありません(^_^;)

そして髪を切ったヒロシ君とヒロコがやってきました。 当初予定していたレストランが10時で閉店ということで、 彼らが近くに手ごろなイタリアン料理店をみつけたようで、ソコに行くことにしました。 それにしてもココのところなんでこんなに雨が降るのでしょうか(^_^;)   ① ②

時間は午後10時近く、やっと食事にありつけそうです。 YUKIと一緒の時はこのパターンが多いのですが、 この日も朝食を食べてからこの時間までまともな食事をしていないのです。(^_^;) もちろん、その前にビールという事ですがクルマで来ている以上、私かヒロコのどっちかは 飲むわけにはいきません。 通常はジャンケンになるのですが、オヤシラズの抜歯手術をやったばかりのヒロコには アルコールは身体に悪いという事を私は優しい”親心”から提言して…乾杯です(^_^;) 私がビールを頂く事にして3杯ものんじゃいました。 食事もデザートもとても美味しく、アットホームなお店でとても満足して 雨の銀座を後にしてヒロコの運転でヒロシ君の住んでいる日吉経由で我が家に帰りました。

ちなみに髪を切ったというヒロシ君、それでも4人の中では一番長く みんなで見にこられ少し恥ずかしそうでした(^_^;) また私はイタリア料理店でヒロシ君が遠慮してはいけないと(ホントは空腹だったので) 積極的にガツガツと食べてしまいヒロシ君はかえって遠慮をしてしまったようです。 帰りにコンビニでお弁当を買いたいと思ったようなのですが、それも言い出せず ヒロシ君はその後、雨の中を歩いてコンビニまで出かけ、お弁当を買ってきたそうです(^_^:)

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2008年08月25日240号 うどん作り

6月には”だんご作り”をしましたが 今度は”うどん作り”にYUKIとヒロコと3人で行ってきました。

6月の”だんご作り”はエノちゃんの町おこし(東京都東大和市)の仲間でしたが 8月の”うどん作り”は12月恒例のハート・コンサートの仲間たちです。 いづれも私がボランティアで係わっている仲間たちですが、 だんごを作ったり、うどんを作ったり…と私は何かと忙しいのです。(^_^;)

ハート・コンサートの代表であり私の友人のノブさんは実はうどん作りの名人で これまで数回、私は彼のうどん作りにつきあっているのですが、 ハート・コンサートの仲間ではまだやっていなかったのです。

会場は地下鉄大江戸線の牛込神楽坂駅を出たところにある牛込箪笥地域センター… 書き出すととても長くなる新宿区の公民館です。 すぐ並びに大きなスーパーがあり、そこで飲み物を購入。 お酒を一滴も飲まないノブさんが言うことには 「今日は30人近く来るはずだがお酒を飲むのはせいぜい5名ぐらいだからビール類は 数本あれば充分!」というのです(^_^;) それが楽しみでクルマを置いて来た我が家の3人にしてみれば、 ちょっと寂しい気持ちにはなりましが控えめに買っておくことにしました。 (足りなくなればすぐ買いにいけばいいのですから)

うどん作りの開始です。 ノブさんの説明はどうにいったものです。 粉のこね方にもうるさいギャラリーがいろいろとチャチャを入れてきます。 ノブさんの奥様とはひさびさです。 お嬢様育ちのナカガワさんが包丁を使っているのを冷やかしたら睨まれました。 ソロプチニストの女性方はどなたもお手伝いさんがいるようなリッチな方々がほとんどで 貴重な記念写真にきっとなることでしょう(^_^;)

しっかり手で練ったうどん粉はしばらくねかした後… 足で踏み  ヒロコ YUKI KEN こうなります。 これを包丁でカットし(こうならないように) ここまで出来ました。 それを大きな鍋で茹でて氷水でサッと冷やせば出来上がりです。 いやはやビールも入って幸せな我がファミリーです。 特に大根おろしと醤油を絡ませたのが私には絶品でした。 ゲストの方たちも満足して頂けたようです。 ① ②

最後にハート・コンサートにむけての理事会も30分ほど行い 無事終了いたしました。(^_^)

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2008年07月28日236号 ホームページ再築奮闘記??

16日未明、ロコハウスのホームページが突然つながらなくなって、ホームページのドメインを 【hiroks.com/rocohouse】から【rocohouse.jp】に変えて、 アカラックスの坂本さんの強力な協力をえて、先週は週間KENの最新号だけは 見れるようにすることが出来ました。

先週のはじめアカラックスのオフィスに電話して、その時に出られた下川さんが 「ロコハウスさんタイヘンなことになっちゃいましたね」とやさしく言って頂いたのですが… わたしも思わず下川さんに 「アアラックスさんもタイヘンなことになっちゃいましたね」 と言ってしまいました。 アカラックスは我われ凡人の頭ではとても及びもつかない 坂本さんの天才的な頭脳によって成り立ったいる会社なのに、 その坂本さんが私のホームページの復旧に全エネルギーを使ってしまい 仕事をしていないのではないかと心配したからです。

ま~そのおかげで(^_^;) バックアップをとっていなかった昨年9月24日以降のデータをネット上から ほとんどを探し出してくれたのです。 特に週間KENの消えた年金じゃない消えた42のコラムの全てを 時間をかけて探しだしてもらえたのにはほんとうに感激でした。

そんなわけでこの一週間は当然のことですがアカラックスに何度も伺いました。

★★20日(日曜日)…前回のブログでも書きましたがYUKI・ヒロコと私3人で 日曜日にも係わらずアカラックスに訪問しました。 ① ②

★★23日(水曜日)…YUKIと訪問したら下川さんが待ってましたとバスデーケーキを! 実はこの日は坂本さんの誕生日だったのですが,私の誕生日も兼ねてということでお祝いを(^_^;) その後、坂本さんがひとりでパソコンに向かい暗くなるまで頑張って頂きました。 私にはまったく判らないのでビールを飲むしかありません。 クルマで来ているのでヒロコに来てもらい、気持ちよく帰りました。 ①

★★25日(金曜日)…アカラックス・セミナー(植村さん)の日でYUKIと参加! 植村さんの有意義なセミナーといつものように2次会、と3次会と最後まで堪能し この日は結局、ホームページの件には触れないまま楽しい一日でした。

★★27日(日曜日)…YUKI・ヒロコと私3人で日曜日にも係わらずアカラックスに訪問しました。 訪問前にヒロコの仕事の撮影に付き合って、少し早めにアカラックスのある神田に到着! プロ用のビデオカメラを持ってきているので,将来アカラックスのプロモーションビデオでも作った時のために 古式ゆかしいビルを撮っておけば、せめてもの恩返しが出来るのではないかなどと 思いつつ撮影をはじめたのですが雨が降ってきたのでオフィスへ。 ヒロコとYUKIに要領をよく聞いておくようにいっておきました(^_^;)

本当に坂本さんにはオンブにダッコでアタマが上がらないバカな私で御座いますが 週間KENだけは毎週欠かさず書き続けていく所存で御座います m(_ _)m

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2008年07月14日234号 誕生日・草むしり・ホタル

7月12日は私の62回目の誕生日でした。 そしてこの日、41日ぶりに飯山(長野県)に行ってきました。 田植えをした田んぼの草むしりをするためです。 何も誕生日に300kmも離れた飯山の山奥で草むしりをする事もないだろう? と思う人もいるでしょうし、私もまったくそう思わないわけではありません(^_^;) ”田植え”や稲刈り”ならともかく”草むしり”です。 でも無農薬のお米を作る以上”草むしり”はとても重要な作業で、 これをやらないでエラソウな事は言えないのです(^_^;) ま~”草むしり”を1日やったぐらいでエラソウな事が言えるわけではありませんが、 ほんの少しエラソウな事を言うためにも(^_^;)経験しておかなければなりません。

でも、そんな理屈より何より飯山の自然が私を呼んでいるのです! 田んぼの近くの大きな木の下で地元のお米と食材だけで作ったお弁当を食べて いよいよ、草むしりの開始です。 私より11歳年上の小山会長が先頭を切って模範を示してくれます。 今回、初参加のヒロコもこわごわ田んぼに足をつっこみます。 田んぼにはカエルをはじめ色々な生き物がいて、なかなかエキサイティングです。 そして思った以上に重労働でもありました(^_^;) 第一ラウンドが終り、冷たいお茶とキュウリとクッキーのおやつは最高です! そして第二ラウンドへ! これはもう写真など撮る余裕など無いくらい疲れ果てました。 ① ② そして一人の女の子から声をかけられました。 「田植えの時、くつしたを失くしたオジサンでしょう?」って(^_^;) よっぽど印象に残っていたのでしょう。 キレイに雑草を取った田んぼを見て、地元の人が持ってきた”謙信ずし”を食べたら 少しは元気が出て、最後の力をふり絞って帰路につきました。

前回同様、露天風呂で汗と汚れをおとして 今回はその温泉の2階にある広間で夕食です。 ① ここでの恒例となっている、家族やグループごとでの自己紹介がありました。 まず私がマイクをもって… たまたま見た映画がきっかけで前回この田植えに参加し長野県にハマッタこと。 たまたま2週間ほど前に知った色平医師が私が理想と思っていた 地域医療をしている人で長野県で活躍されていること。 そして今回、我われ3人家族ともうひとりムスメのボーイ・フレンドがここに来ていて 彼の出身が長野県の佐久市であること。 もう私はすっかり”長野モデル”になりきっていますと挨拶、 またヒロコが今日は私の誕生日と紹介し大いにもりあがりました(^_^;)① ② ③

そして、いよいよ私たちの田んぼに出かけてのホタル鑑賞です。 月明かりしかない畦道を歩くと田んぼの上を薄い光を点滅して通りすぎる 平家ボタルを最初に見た時はおもわず感激の声をあげてしまいました。 田んぼの一番奥まで行って目をこらすと、無数のホタルが田んぼの上をゆきかって いるのが見えてきた時は、その美しさに鳥肌がたつほどの感激を覚えました。 ホタルが田んぼの上をゆきかうという事は無農薬である証でもあるのです。 そして田んぼの少し上にある清流の流れるところには鮮明な光を長くはなつ 源氏ボタルがひゅうーひゅうーと暗闇にクロスしながら飛ぶすがたも カエルの鳴き声や清流の音の中で言語に出来ないほどのファンジックな世界です。 不思議な事にヒロシ君が手を伸ばすとホタルが寄ってきます。

何でも写真に撮ってしまう私ですが(^_^;) この暗闇でホタルの光を納めることは出来ません。 もし出来たとしても言葉同様ホンモノの感激を伝えることは出来ません。 したがって、そのぶん心にしっかり焼き付けることが出来たようです。 今年の誕生日は一生忘れないような気がします。

バンガローでまたビールを飲んで、 セルフ・タイマーで写真を撮って心地よい疲れとホタルの余韻にしたりながら ぐっすりと休みました。

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2008年05月12日225号 ゼン君のお芝居

ゼン君のママがちょうど1年前に亡くなった事や… ゼン君のパパの事はココでも触れてきましたが… ゼン君自身の事にはあまり触れるチャンスがありませんでした。

ゼン君はヒロコと保育園時代6年間を一緒に過ごした同期ですから… ヒロコと同い年の26歳です。 したがってゼン君は立派な社会人なのですが どうしても私やYUKIからは保育園時代のゼン君の印象が強く いつまでも【ゼン君】なのです(^_^;)

保育園時代のゼン君の印象で強く残っているのは 学芸会で『金のガチョウ』のお芝居で”金のガチョウ”を演じたことです。 ちょっと余談になりますが…私も学生時代にスペイン語劇で 『オジャンタイ』というお芝居の”オジャンタイ”を演じました。 この時は一応、主演ということでしたが題名が主役とは限らない場合があります。 『金のガチョウ』は主役はキコリで”金のガチョウ”はセリフもほとんどありません。 しかし重要な役である事は変わりません。

私がその時に撮影したビデオが残っているのですが、 主役のキコリがオノで木を倒すと突然、残った木の下から 金のガチョウ役のゼン君が「ガー!」と羽をバタつかせ立ち上がるだけなのですが、 とてもインパクトがあって、みんな大笑いをさせました。

ちなみにヒロコはこのお芝居で、金のガチョウにくっついていく村人役の一人でした。 ヒロコは小学生ぐらいまでは、今ではとても考えられないほどシャイでオトナシイ子供で ヒロコの短いセリフに「ヒロコちゃん!聞こえないよ!」という野次がビデオに入っています。

そんなヒロコも今では”コワイモノ知らず”の無法者?ですから判らないものです(^_^;) そしてゼン君は何とプロの役者を目指しているのです。

9日の金曜日YUKIと二人で 乃木坂にある小さなライブハウスに出かけました。 出演者は面接官と3人の就職希望者の計4人が面接会場で入り乱れて 人間模様をくり広げそれぞれの内面を見つめ直すという力作です。

ゼン君の役は就職希望者の一人で現在フリーターの若者。 セリフの中に亡くなった母親を回想し 「母はヒマワリのように明るい人でした、弟が生まれると…」と ゼン君そのものを表現したところがあって思わず涙が出てきました。

シナリオは劇団を主宰者のお嬢さんで、ゼン君と同じく昨年11月に母親を亡くし 呆然としていたのだが劇団運営を熱心に応援していた母親が天国からハッパをかけられ(^_^;) 3月にシナリオを書き上げ急遽、公演にこぎつけたというもの。 3日間の連続公演の初日です。

小さな舞台を囲むお客様の数は満席で60名ほど、 ドリンク付きで3000円のチケットですから、全員が有料入場者としても18万円、 3日間満席でも総売上54万円です 入り口ではゼン君と違って秀才の誉れが高くイケメンでクールな弟エイ君(^_^;)が モギリのボランティアをしていました。

ゼン君はプロの役者を目指していても今はサラリーマン。 一時は役者の道をあきらめた時もあったようですが、ゼン君の両親はともかく 私は「あきらめるな!」と勝手言ってきました(^_^;)

正直言ってゼン君がプロとして食べていくのは、とても厳しいかもしれません。 4人の出演者の中でも演技力が上手いというところまでは行っていません。 でも10年ほど前に研修生で芝居漬けになっている頃よりはかなり上達しています。 なにより意外だったのはダンスの身体の動きがとても自然で上達しているのです。 それは普段から意識していなければ出来ないことです。 ゼン君の舞台挨拶にも熱いものを感じました。

何でも良いから好きな事は、たとえそれで食えなくても、やり続ける事だと思います。 一度しかない人生なのですから。 ゼン君は歳をとってから良い味が出せる役者になるような気がします。 多分。(^_^;)

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2008年05月04日224号 静かなGW

ゴールデン・ウィークです。 だからといって普段と変る事なくYUKIと向かい合って仕事?をしています(^_^;) もちろん『仕事?』と書いたように仕事だけをバリバリしているわけでなく (YUKIは私のバリバリ仕事をする姿を死ぬまでに一度は見てみたいと言っていますが) お互いにパソコンに向かって何やら、お互いにモクモクとやっているのです。 ようするにゴールデン・ウィークだからと言って、どこかへ出かける事が無いのが 我が家の伝統のようです。 それにしても普段の日とまったく変らないのはなぜだろう? と考えたら…その原因が判りました。 ヒロコが居ないのです。

1月からGW明けまでプチ家出をしているのです。 実は勤めていた会社を退職して母校の大学で一学期だけの臨時講師をしているのです。 もともとヒロコが就職していた会社は大学の先生の紹介で その先生がシリコンバレーに数ヶ月間行く事になり、その間の授業をヒロコが引き受る事になって 会社も退職を認めてくれたようです。 将来は大学で教えたいというヒロコの思いはその先生も知っていたとの事ですが 卒業して3年足らずのヒロコに大学の授業を託す先生も先生ですが… 会社を辞めてそれを簡単に引き受けちゃうヒロコもヒロコです(^_^;)

週に2回しかない授業ですが、まったく初めてそれも外人ばかりのクラスで教えるのですから それなりの準備も必要なわけで片手間では出来ない事は判ります。 授業内容はヒロコが実際に仕事でやってきたビデオなどの【映像編集】です。

そして何よりもヒロコが、その気になったのは… 先生がシリコンバレーに言って不在の期間、 先生の西麻布のマンションを自由に使うというヒロコの交渉に先生はOKしたからです。 もちろん家賃はいくらか払っているようですが 麻布十番の学校までも歩いていける距離だし、六本木ヒルズも歩いて10分ていどで 自炊のための食品類が高い事を除けば 最高のロケーションでシティライフを楽しんでいるようです。

一学期の授業も終了し7日には我が家に戻ってくるようですが ヒロコの授業はなぜか好評だったようであと2学期、教える事になったようです。 もちろん、これからは我が家から通うことになります。

したがって毎年6月に予定していた家族3人での海外旅行は ヒロコの授業があるため今年はとりやめる事にしました。 そのかわり11月に計画中です。 これもヒロコが行けるかどうか判らないようですが決行しようと思っています(^_^;)

そうそう、どこも行かないのもナンなので 来週、家族3人でクルマでのんびりと(いくかどうかは判りませんが) 一週間ほどかけてYUKIの故郷の宮崎まで行ってみようという 計画を立てています(^_^;)

2008年04月14日221号 銀座と私

小学校1年から渋谷で育ったシティー・ボーイ(^_^)の私にとって銀座は… 何かと縁が深く、懐かしくもあり、好きな街です。

父の職場が日比谷(そのあと銀座)にあったこともあり、 銀座の【スエヒロ】【資生堂パーラー】【月ヶ瀬】【千疋屋】【三笠会館】などなど 子供心にも贅沢で胸を躍らされた懐かしい店が数え切れないほどあります。

大学を卒業して1969年就職したのがフランセという中堅の洋菓子会社でした。 入社してすぐに配属されたのが『銀座三越』の地下食品売り場にある フランセ銀座三越店の店長で、1年間勤務しました。 店長といっても女子社員を1名付けられただけの店員のようなものでしたが(^_^;) 翌年の1970年、銀座三越の1階すなわち銀座通りに面して マクドナルドの日本での一号店が誕生するのです。 その時はすでに銀座三越勤務から営業店全般を見る仕事についていていましたが 銀座三越も私の管轄の一店舗で当然の事として思い入れも強く、 マクドナルド一号店の出店を最初から大変興味深く見ていました。 また、それと時を同じくして銀座通りの『歩行者天国』も始まって 銀座の新しい息吹を感じたのが今でも懐かしく思い出されます。

それから数年後、私は銀座8丁目の並木通りにあったフランセ銀座本店に配属になり、 新たにオープンする銀座5丁目の数寄屋橋店の初代店長をしばらくやって その後、銀座の2店舗の責任者となって…と フランセに在職した約10年のほとんどを銀座で過ごすことになるのです。

フランセという会社はまだ残っていますが銀座の2店舗はとっくに閉店しています。 なぜかといえば『夜の銀座』すなわち高級クラブがひしめいていた時代が 終わってしまったからです。 銀座の洋菓子店の多くは深夜1時頃まで営業し 高度成長で社用族の接待で沸く『夜の銀座』と共生していたのです。 その頃あった並木通りの高級クラブや画廊や洋菓子店はすっかり影を潜め… 今では世界のファンション・ブランドの通りとなったようです。

私が東京海上の代理店となるための2年間の研修を受けたのは新橋でした。 フランセ銀座本店のあった場所から歩いて数分の所です。 今、私が東京海上の代理店として所属しているのも新橋支社です。 それが、どういうわけか名前は新橋支社のまま丸の内に移ってしまいましたが それほど銀座からは離れていません。

てなわけで銀座は今でも私にとって身近な街でもあるのです。

12日の土曜日、ひさびさにYUKIとヒロコと3人で銀座にむかいました。 この日でクリスチーナの個展が終るからです。 会場に行ったらちょうど食事中で不在のようです。 だったら私達も食事でもして出直そうと外に出たら 向こうの方からやってくるクリスチーナの姿を見つけたのです。 会場に戻ってひさびさに楽しいひと時を過ごすことが出来ました。

私は銀座の週末のウラ通りというのが好きなのです。 クルマを路上パーキングに置きやすいのと、 飲食店なども空いていて、のんびりした空気が流れているからです。 個展会場の並びの小さな飲食店で食事をしながら、のんびり外を見てたら 昔一緒にサルサを習っていたMさん親子が通りすぎるのが見えました。 私が店から飛び出して挨拶すると、とても驚かれました。 もちろんクリスチーナの個展に行くところだったようです。

銀座はどこを歩いても懐かしいところばかりです。 でも銀座と言えばメインは銀座4丁目の交差点(この角のひとつが銀座三越)ですが その中でも象徴的なのが時計台のある『和光』ではないでしょうか。 そこのショーウインドウにヒロコの大学でのアートの先生で、 今でも親しくしている菱山裕子さんの作品が展示さられているというのです。 なるほどユニークな作品で、一度見たら忘れられません(^_^;)

歩行者天国にはなぜか和服姿の人が沢山いて、それも年齢や着物にも 統一性はなく、なんだかバラバラに集まったようで、 ヒロコと「きっとネットの呼びかけかなんかで集まったようだね」と言っていたのですが […]

2008年03月31日219号 桜とフランス料理

久々に都心で花見が出来ると楽しみにしていた日曜日(30日)でしたが… 結局、雨に降られてYUKIとさきほど電車で帰宅したところです。

この日は午後3時からボランティアでやっている年末恒例のハート・コンサートの 打ち合わせがありました。 これまでの打ち合わせはコンサート会場でもあるホテル・ニューオータニと決まっていたのですが 役員の一人でもあるナカガワさんがホテル・ニューオータニからもほど近い麹町にオフィスを持っていて 前回からそこでする事になったのです。 そこで次回の日時を3月30日と決めた時に、ちょうど桜が咲く頃だから 終ったら近くでお花見をして、そのあとに食事でもしよう!と決まったのです。.

お花見にはお酒がつきものですから、今回はクルマをおいて電車で出かけたのですが とても肌寒く、今にも雨が降りそうな天気でした。(^_^;) ヒロコとうるめさんは最初から、それぞれ予定があって花見や食事は不参加という事でしたが 打ち合わせが終了して気が付けば雨は本降りで、花見をするような状況ではないのです。

ヒロコと入れ替えにYUKIが後から来る事になっているのですが… 花見の後の食事を予約している東條会館のアルゴに直接来るように電話しました。 ナカガワさんのオフィスで傘を借りて、立ち話をしたり、時間をつぶしてもまだまだ時間があり 結局いくとこもなく早めに東條会館に向かい、9回のフレンチ・レストラン・アルゴから 桜を見たり、雑談をして予約時間の6時30分にYUKIもやってきました。

なんせ、このボランティアの中心メンバーはライオンズ・クラブと 女性経営者の世界的ボランティア団体のソロプチミストの方々という 私のような貧乏人とちょっと違うリッチな方達なのです(^_^;) したがって花見の後の食事といっても、ちょっと違うのです(^_^;)

ヒロコやうるめクンは何かと口実をつけて難を逃れたようですが… ヒロコが参加しないのならYUKIが参加するという 我が家の涙ぐましく美しい文化を守もられているのです(^_^;)

12000円のコース料理は イカ墨のせんべい?から始まり、3色のたこ焼き風豆腐?、グレープ・フルーツのうなぎ巻?、 不思議なカップに入って冷たいコーン・スープ?、白身魚(あいなめ)の○風?、 伊予柑のシャーベット、鴨のフォアグラ・ソテイ、桜風味のデザート、他 そうそうパンはとっても美味しかった(^_^;) 会話もそれなりに弾み レストランからの皇居を見下ろす桜や夜景も素晴らしく それなりに一応はリッチな気分になって雨の中、YUKIと電車で帰宅しました。

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2008年02月04日211号 ブログのススメ

私は会う人、会う人に「ブログを書こう!」…と言っています(^_^;)

私のブログ『ゆったりECOな保険ライフ』の中でも今書いているテーマは 保険募集人として長くやっていこうと思うなら、ちゃんと自分の名前や顔が判るようにして 自分の考えや”こだわり”をネット上で公開していこう… すなわち「ブログを書こう!」…と言っているのです。

なぜ?そんなことを云うか、と言えば… お金もかけずに誰でも簡単に出来て、とても有意義だからです。

どのように有意義かといえば…これはもうたくさんあります。(^_^;) ①多くの方とブログを通して友人やお客さまになって頂ける。 ②ブログを定期的に書く事によって、自分の専門性を高めることが出来る。 ③自分自身のアーカイブスとして資料や記録が蓄積されていく。 まだまだありますが、あまりムズカシクなるとナンですので ①の例としてごく最近にあったお話をしたいと思います。

発端は今から1年半ほど前、Oさんという方から私にメールが入りました。 保険の相談かな?と思って読んで見ると、保険ではなく”意外な相談”でした。 それはヒロコが高校時代を過ごしたフィリピンのバギオにあるブレント高校についての相談でした。 ネットの検索で【バギオ ブレント高校】と検索したら、 この週間KEN第13号『ブレント高校』が出てきたようで、 私から親としてのナマの情報を知りたかったようです。

ヒロコがフィリピンのバギオに留学したのが1997年から3年間。 私が週間KENにバギオの事を書いたのは2004年4月。 Oさんからメールを頂だいたのは2006年10月頃だったと思います。 その時は私の意見も述べた上で、ヒロコのホーム・ページをリンクして ヒロコ自身にも詳しい情報を提供するようにバトン・タッチをしておきました。 それから1年半ほど経った先日、0さんから私とヒロコ宛にメールが入りました。 ブログやホームページの良いところは、こちらが忘れた古い記録でも 必要と思う人は、じっくりとマイ・ペースで利用することが出来ることです。

あれから2回バギオに行って下調べをしてきたのだが、子供本人も気に入っており 是非、留学させたいとの気持ちが強くなったので、ヒロコに力になって頂けないか… 出来れば費用を出すからヒロコに一緒に行ってもらえないかというものです。

その前に一度、直接お会いしなければ、ということで0さんがお住まいの 春日部市(埼玉県)まで、家族3人で出かけることにしました。 春日部市は毎月YUKIと一緒に出かけている法人のお得意様の幸手市の手前で 軽い気持ちで出かけたのですが、Oさんはヒロコだけが訪問するかと思っていたようで 家族3人が遠方から押し掛けてきてビックリされるやら恐縮されるやらで、 こちらが恐縮してしまいました。(^_^;) ネットが取り持つ縁は”保険”以外でも、いろいろあって実に楽しい限りです。

そんな中で私の大学時代の親友のナガモリが中米のホンジュラスから一時帰国。 彼は昨年3月から2年間のJICAのシニア・ボランティアで、 彼の夢だったラテン・アメリカでホンジュラスの観光局に勤務しながら一人暮らしをして いるわけですが、私は「絶対にブログを書け!」と言っていたのです。 しかしバタバタとホンジュラスに行ってしまい、 ブログなんて縁のない定年男が海外の馴れない生活に追われ、 「何を書いたら?」…というのですが そのような事を、そのまま書くだけでもブログに書は面白いのです(^_^;) でも、もったいない事に1年が経過し健康診断の為の一時帰国で残り1年になったのです。

旅行代理店として定年まで働き、自分の夢を叶えるため中米でホンジュラスの観光局で 日本人にもっとホンジュラスを知ってもらおうというボランティアをやっていて ブログを書かない手はないと、ナガモリの家に押し掛け、私が力説してやっと 彼もやっとその気になったようです。(^_^;)

バギオについて一回だけ書いたのに、このような縁が生まれるのです。 ホンジュラスで検索してナガモリのブログに辿りつく人は、 これから書いたとしても、そこそこはあるはずです。 また帰国してからも書き続けることです。 そこから彼のこれからの人生において有意義な出会いが必ずあるはずです。

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