2004年9月6日033号 マキ(姪)の結婚式

今日(9月5日)は姪っ子マキの結婚式・披露宴から帰って来たばかりです。 YUKIもヒロコも着慣れない着物を一日中着ていたので、帰るやいなやパジャマに着替え 一風呂浴びて、心地よい疲労感と今日の感動を、振りかえっているところです。

マキは私の妹の次女で24歳。 今年の春に福島県立医大に入学したばかりの大学1年生です。 帰国子女のマキは高校生の時に突然ブラジルにポルトガル語はまったくしゃべれなまま留学して ”すっかりブラジル人になって”帰国しました。 緒形貞子の国連難民弁務官にあこがれ入学した中央法科を3年で突如中退。 自分が本当になりたかったのは”国境なき医師団”だと悟ったと言うのです。 その為には、まず医者にならなければなりません、医大はお金も掛かるので公立が条件です。 なりたいからと言って、なれるものではないのに、その一歩を踏み出したのですから本気です。

そんなマキの結婚相手は外科医師で関東労災病院で修行中のコウジ君です。 シュバイツァー博士と阪神の掛布をこよなく尊敬し… 昨年、私の母が突然目が見えなくなった時には献身的な働きをしてくれ ホームレスの患者が心配になったら自転車にのって近くの公園を探しまわる… 純粋な少年のような心をもった好青年です。 実家は大阪で開業医ですが、お母さんは全国放送のテレビ番組の街頭取材に偶然2回も続けて 取材されてしまったという…コテコテの大阪人キャラクターを持つ気さくな方、 弟さんは、ゾウリ虫の研究をしているという、これもユニークな学者さん。 その弟さんとヒロコが披露宴の司会者だったのです。

司会のヒロコが新郎新婦の入場にさいしアナウンスします。 「二人が大好きな映画音楽にのって新郎新婦の入場です、盛大な拍手でお出迎え下さい!」 厳かな二人の入場に流れてくる曲は、【男はつらいよ・フーテンの寅さん】… 会場はドッとどよめき、一気になごんだ雰囲気に。 明治記念館で120名の披露宴、それなりに風格をもって行われているのですが、 新郎新婦のユニークな生き方が反映して、とても国際的でアカデミックで豪快で… まだまだ、この国も捨てたもんじゃないな…という気持ちになりました。

「もしコケたら何時でも交代してやるから…」と私が言って、マキの家族からヒンシュクをかった ヒロコの司会も好評だったようで、私もヒロコも一あんしん。 あまりにも楽しい一日で、私が撮影したビデオ(1時間テープ)が5本。 編集するのが、大変ですが楽しみでもあります。

2004年8月16日030号 私はサンマ?

その昔…私がケーキ屋KENちゃんだった頃、カレは今でいうパテシエでした。 その頃二人は30代、私は経営の責任者として、彼は製造の責任者として、よくケンカをしました。 時が変わり、私が保険屋KENちゃんになってからは… 私は保険屋さん、彼は横浜に5店舗の洋菓子店を持つ経営者として、ナカヨクしているのです。

彼の名前は島川正利…昔はちょっと有名なパテシエだったのです(笑) 今、ケーキ通なら誰でも知っているという、 自由が丘(東京)の【お菓子職人の殿堂・スイーツフォレスト】に8月いっぱい出店しています。 お店の名前は『ガトークラシック』…もし、ご興味があったら是非!ご来店下さい! なぜ私が宣伝するのか?…というと実は私は彼の会社の経営アドバイザーだからです。 彼は正式に手当てを出すから”顧問”になってくれというのですが、 長い付き合いで彼の性格を知り尽くしている私は、ヘタに手当てなど貰ったらコキ使われる ことを知っているので、無給のボランティアでいるのです。 (因みにヒロコは島川氏としっかり交渉して、彼のお店のホームページを作成から全てを 管理しているのです)

私と彼が話し出すともうエンドレスです。 新横浜の駅ビル店で合ったりすると駐車料金だけで4・5千円になる事がざらで、その分ぐらい は頂くことにしています。 私もけっして無口な方ではありませんが  (そうそう前号の鎌倉のM氏のお母様がヒロコに私の事を 「ウチでも お父さんは”さんまさん”みたいにしゃべるの?」と聞かれたそうで、少しは反省) 彼も、しゃべりだしたら止まらないのです。

そんな中で【スイーツフォレスト】の出店や、池袋のサンシャインシティのナンジャタウン内の 【アイスクリームシティ】の出店の最終決断もしたわけで、私としても責任があります。

先日、生命保険のご相談を受けたNさんと池袋で午後1時前にお逢いしました。 Nさんとは保険の雑談で盛り上がってしまい具体的な話まで行きませんでした。 Nさんが3時から同じ池袋で1時間ちょっと用事があるので、 再び4時15分にサンシャインビルの入り口で待ち合わせる事にまりました。

その間、私は8月5日にオープンしたばかりのナンジャタウン店に行ってみる事にしました。 店内は夏休みの真っ只中でてんやわんや。 彼は私を見つけると、「ちょっと待ってくれ!」と遠くから目で合図したまま、出てこれません。 彼が出てきたからといっても、何時ものように話す時間がないので早々に退散です。 まともに逢っていたら、確実に9時頃までは話し込んでしまいます。

ところが、4時15分から再びお逢いしたNさんと、またまた生命保険の話でもり上がってしまい 結局9時頃まで、話こんでしまったのです。 「ホンマにワテは”さんま”かいな?」と思ってしまう、今日この頃であります。

【追伸】 YUKIには”さんま”の意味が判らないようで、みんなも判らないのでは?と心配しています。

2004年8月9日029号 花火大会のお誘い

鎌倉の”ご実家”で江ノ島の花火大会を見ながら、おいしい料理が頂けるという… とてもリッチなお誘いが、お客様のM氏よりありました。 お誘いがあれば、なんでも喜んで参加するのが我が家のモットーです。

お客様のMさんですが…正確に言うと、私の”お客様に2度もなりそこねた人”なのです。 一度目は 数年前、Mさんの人生のパートナー”マーちゃん”の生命保険で、 二度目は 、お父さんの相続がらみの保険で、ご相談を受けたのですが 最終的に 両方とも他社での契約となったのです。 (少しカッコよく表現させて頂ければ他社商品にお墨付きを与えたと言いたいのですが・笑) しかし保険マニア?のMさんとは 意気投合し、保険以外の話題にも時間を忘れて いつも話し込んでしまう間柄になっていたのです。

つい先日もMさんとパートナーのマーちゃんから、蒲田の安くて美味しい寿司屋があるので 「一緒しませんか?」という嬉しいお誘いを受けて、大いに盛り上がったばかりでした。

日本橋箱崎にお住まいで広告会社を経営するMさん、 パートナーのマーちゃんは八丁堀育ちのチャキチャキの江戸っ子で劇場(国立)運営がお仕事の とてもとてもチャーミングな才女です。 そして、鎌倉の高台にあるお住まいは、Mさんのご両親が3年前に建てられた、 トレンディ・ドラマの舞台になりそうな、いやそれ以上に洒落た鉄筋3階建・地下1階 エレベーター付き豪邸です。

ガラスをダイナミックに使用した開放的で明るい造り。 料理を作りながら歓談が出来るように 設計されたメイン・リヴィングは 来客をウエル・カムするM家のコンセプトが伝わってき ます。 大きな大きな窓ガラスの正面には江ノ島が絵葉書のように海に浮かんでいます。 テーブルには今日の料理のために庭で栽培 された自家製バジルがさりげなく飾られています。

”マルエツ”で半額で買ったモヤシの袋がさりげなく転がっている…我が家の雑然とした風景とは 涙が出るくらい差があるのです。

花火はここから見るのかと思っていたら、エレベーターで3階に案内されました。 そこは今日の花火大会の為に造られたのではないかと思うようなオープン・テラスです。 大きなテーブルにはお母様やMさんの友人手造りの豪華な料理や飲み物がところ狭しとならんでいます。 ウッディーな広いベランダに吹く夜風は、この夏の暑さがウソのような心地よさです。

7時15分から1時間の花火は、我々の為に打ち上げられたのではないかと思うような 完璧なロケーションと環境の中で、大満足の花火大会でありました。

美味しい手料理…とくに私が感激したのはお母様が春に鎌倉の山を散策しながら採取したという ”せり”のなんと懐かしいシャキシャキとした味わいでした。 「何もしないヒト」とお母様からカゲグチ?を言われたお父さんも、小まめに料理を運ばれ アルバイトがあり遅れて来たヒロコを駅ま迎えにいって頂いたりのフル回転で、さぞやお疲れが 出たのではと恐縮してしまいます。 マーちゃんは、とても楽しいキャラクター(マーちゃんも私のコトをそう言っているようですが…)で 結構アルコールも進み、大いに場を盛り上げてくれます。 そしてMさんですが…もう気の毒なぐらい、小まめに動かれ、ゲストに神経を使われていたようで 今回はゆっくりお話が出来なかったのですが、Mさんの優しい側面を見る事が出来ました。

ヒロコのサルサを披露したり、他のゲストの方達とも大いに歓談し ヒロコもYUKIも大いに飲んだようですが、私はシラフで美味しい料理に集中です。 私としてはクルマを置いて行きたかったのですが、帰りが楽だからという理由で何時ものコトですが トホホの運転手です。 お土産に頂いた自家製バジルの香りが車内に漂い、 ほろ酔い気分のYUKIとヒロコの心地よい寝息を聞きながらハンドルを握る私は 心からMさんに感謝したのです。

2004年8月2日028号 ヒロコのサラダ

ヒロコがアボガドのサラダを作りました。

これは我が家にとって画期的な出来事なのです。 何が画期的かといえば、ヒロコが料理を作ることが画期的なのです。 YUKIは料理を作りますが、ほとんど食事に興味なない”宇宙人”ですから どんな料理か?想像してください。 そんな厳しい環境の中で食べる事が”生きがい”の私は静に生息しているのです。

なぜ、ふだん料理を作らないヒロコが料理を作る気になったかといえば… 私が、とても安くて美味しいレタスを買ってきたからです。 八百屋のマイケルの話は先週書きましたが、彼のところで買う半額の野菜は すでにカットされたサラダや果物が多くYUKIは気にいっているのですが… こればっかり食べているとストレスが溜まってくるのです。 だからと言って高い野菜を買おうものならYUKIが許しません。

私は毎月、月末に幸手市(埼玉県)の法人のお得意様をクルマで訪問します。 その途中、信号待ちで毎回、目に止まる粗末な作りの八百屋さんがあるのです。 大根10円、キュウリ一・じゃがいも一山100円、レタス2つで100円、… 毎日行くマルエツの青果売り場で鍛えられている私は野菜の値段に敏感です。 私はこの土曜日、はじめてクルマを止めて、そこでレタスやじゃがいも・トマト等々 1000円足らずで山ほどの野菜を買ってきていたのです。 そして土曜日は久々の美味しい野菜に満足した我が家でした。

そして今日(日曜日)、ヒロコは英語の家庭教師の帰りに、アボガドをひとつだけ 130円で買ってきたのです。 そして、私とYUKIが毎晩恒例のマルエツから帰ってくると すでにヒロコ特性のアボガド・サラダが出来上がっていました。

賽の目に細かくカットしたジャガイモをフライパンで炒め、玉ねぎと香辛料そして アボガドで絡めたものを、レタスで巻いて食べるのです。 お盛事抜きに、なかなかイケテいます。

おいしいレタスとジャガイモがたくさんあったので作ろうと思ったと言うのです。 その事に私は感激しました。(いつもながら親バカですいません) 料理はローマでクラスメートが作っていたの覚えたようです。 ある材料を利用し手際よく料理を作る才能があったとは…

サラダが料理か、それが才能か、なんてレベルはどうでもいいのです、 我が家の閉ざされた食文化・食環境の中で一スジの光を私は見たのです!

2004年7月26日027号 八百屋のマイケル

マイケルと云っても、彼はれっきとした日本人のおじさんです。 八百屋と云っても、彼には本職がありスーパーの青果売場のパートです。 パートと云っても、彼は昔から青果売場にいて主のような存在です。

なんでマイケルかと云うと…ある時、彼が私達にマイケル・ジャクソンの大ファンだと言ったのです。 そのギャップ がオオウケし、それ以来、我が家ではマイケルで通っているのです。 むろん本人は マイケルと呼ばれていることは知りません。

私とYUKI(たまにヒロコも)は毎晩8時過ぎに近所のスーパー『マルエツ』にいくのが日課です。 この時間になると生鮮食品に半額シールが貼られるからです。 それ以外の物は買わない!…というのが我が家の掟です。 もうこんな生活が10年ほど続 いています。 そして、ほとんど毎日マイケルと顔を合わすのです。

マイケルはとても元気がいいのです、お客様には何時も声をかけています。 ひとけの引いた夜のスーパーで、小まめに動き回る小柄なマイケルは いつも目立っているのです。 店内放送からもマイケルの声が流れてきます… 「 ニッポンの夏。…何と言ってもスイカです!ただいま青果コーナーにてカット・スイカが半額~」 値下げした野菜 や果物を、彼独特の能書きを交えたマイケル節での店内放送には、 何時もYUKIと顔を合わせて笑ってしまうのです。

でもマイケルも、生活は苦しいようです。 毎日、半額の物しか買わない私達に親近感を持ってくれているようです。 そして何時も怒っているのです、 本業の社長の悪口、仕事での愚痴、社会の事… でもマイケルが怒れば怒るほど何故か可笑しいのです。 奥さんや高校生のお嬢さんから 如何に虐げられているか…なんて話になると、 私は他人事とは思えず、涙を浮かべるほど同感し ながらも…笑ってしまうのです。

マイケルの唯一の趣味は競馬のようです…これだけは止められないようです。 でもその競馬ですら、いつも怒っているのです。

馬券売場でのマイケルの話です…小銭を含めて現金で馬券を買おうとしたら 売場の女性が「5円玉は使えません!」と指ではじき返したというのです。 これにマイケル はキレたのです、5円玉が使えないというのも納得出来なかったようです。 しかし、そばにいた初老の人の良さそうな警備員が、懸命に頭を下げて謝ったそうです。 警備員に謝られても…と マイケルは思ったようですが、 すぐ に納得しちゃうのがマイケルの良いとでもあり、弱いところなのです。

でも腹の虫は収まらず翌日、仕事中(配送の仕事)に何時も車中で聞いている 民放ラジオ局にケータイから怒りをぶつけた そうです。 そして、しばらくすると、自分の名前がラジオから聞こえてき たと言うのです。 番組でマイケルの”怒り”が採用され、しかも5000円が貰え て少しは腹の虫が収まったと喜んで、 原付バイク で会社から帰ろうとしたら、バイクが盗まれていたと いって… 猛烈に怒っているのです。

どこまでも不運なマイケルですが、私にとっては、とても心がなごむ… […]

2004年7月19日026号 三日遅れの誕生会

【週間KEN】の先週号で私の寂しい誕生日を書いたら… 坂本嘉輝さんから、私のホームページの掲示板(ロコハウス・カフェ)に 書き込みがありました。

>Ken様、 >お誕生日おめでとうございます。 >しあさっての木曜日はアカラックスセミナーの日ですが、 >もしよろしければセミナーに参加していただいて、 >終了後3日遅れの誕生祝など、当社オフィス(の近く)で、というのはいかがですか。

坂本さんは『アクチ ュアリー』として保険業界では有名な人です。 彼との馴れそめを書きだすと、それだけで紙面が無くなってしまいます。 同じ保険業界に身を置く二人ですが、 保険を難しい数理の見地から追求し保険会社の経営サイドにもいた坂本さんは、 泥臭い保険の現場にいる私のような者からみれば正反対の対角線上にいるカタなのですが… なぜかこの【週間KEN】の愛読者なのです。

で、この”お誘い”なのですが単純に喜ぶわけには、いきません。 ここがアクチャリーいや坂本さんの緻密なところです。 彼が経営するアカラックスのセミナーに参加したら、祝ってやるというのです。 すなわち参加しなければ「祝ってやらないヨ」というキョウハク的なお誘いなの です。 問題はセミナーの参加費5000円です、今回のテーマは【保険会社の本年度決算を見る】です。 ちょっと私にとっては硬すぎる内容ですが、YUKIに相談したらあっさりとOKのサインです。 「どんな形であろうと…KENの58歳の誕生日をわざわざ祝ってくださるなんて珍しい事ですから…」と。

喜んでお誘いを受けることを伝えると、坂本さんからこのような返事がありました。 >この際ですから、もしよかったらYUKIさんも御一緒にいかがですか。 >セミナーの参加費は特別におまけしますから。 さすが【週間KEN】の愛読者坂本さんです、YUKIの存在をしっかり認識して頂いているようです。 でもYUKIも単純にはノリません… 「”セミナーの参加費は特別におまけ”とはタダの事なのか、しっかり確認してください…」と私に言うのです。

そんなわけで15日、私とYUKIでまずセミナーに…5000円だけ払って参加しました。 受付でアカラックスの下川さんと高橋さん、二人の美女から「お誕生日おめでとうございます」と 祝福され、 会場では私が今もっともハマっているインターネットの超人気サイト【保険選びネット】の管理人で 税理士の山浦さんからも、お祝いのお言葉をいただいちゃって、 なんだか58歳の誕生日がエライコトになちゃったな~と、タダタダとまど い、恐縮し、テレるしかありません。

セミナーは無事終了! 何時もはスルドイ?質問やツッコミを入れる私ですが、 この手の数字ばかり出てくる話になると、おとなしくなってしまうのです。 難しい質問に嬉々として答える坂本さんの様子をボッと 眺めていると 「あーやっぱりこの人はプロのアクチュアリーなんだな~」と改めて 感心してしまうのです。 その、なんだか難しい質問をしていた山浦さんはさすが税理士です。 「今日は5万円払っても安いぐらいの面白いテーマだった」 との事でした。 保険の世界は奥が深いのです。

まずは坂本さんのオフィス(格調高い丸石ビル)でアカラックスのスタッフと山浦さんで乾杯です! 少し盛り上がったところで日経新聞の記者荻原さんも参加、彼とは初対面でしたが 私の友人で同じ日経記者のD氏をよく知っているという事で、すぐにお友達に…そして 河岸を変えて神田駅前の庶民的な中国料理店で老酒を飲みながら大いに生命保険談義に 盛り上がったのであります。

アカラックスの皆様・山浦さん・荻原さん、ほんとうにありがとうございました! 私にとって忘れられない、誕生日になりました。 【週間KEN】をやってよかった と、しみじみ思った一日でした。

[…]

2004年7月12日025号 今日は私の誕生日

7月12日…今日は私の誕生日です。 YUKIは「エッ!もう58歳ですか!困ちゃいますよ、死ぬまで働 いていただくとしても もうそんなに長くないってことですよね~、これからは倍ぐらい稼いでもらわないと!」

まー今さら誕生日を祝ってもらうとは思ってもいませんが、 もうちょっと優しい言葉があってもいいと思うのですが コレです。 YUKIに言わせれば 、甘い事を言ってたらKENは、すぐに気が抜ける性格だから 「ビシビシイク !」と手厳しいのです。

確かに、住宅ローンはしっかり残り、退職金も年金もあてに出来ないわけで 私には『働き甲斐のある老後』しか選択の余地はないようです、トホホ。

それにしても58歳とは、我ながらイイ歳になったもんです。 若い時は誕生日といえば「もう何歳になった!」と足し算をしていくのですが、 ここまで来ちゃうと「あと何年!」と引き算になっていくようです。

昭和21年生まれは微妙な年代です。 いわゆるベビーブーマー、団塊の世代は、翌年の22年生まれから始まります。 私は中学の途中から、父の転勤で名古屋市立の 日本一のマンモス中学に転校しました。 私達の学年まではA組・B組といったクラス編成でしたが、 1年下 の学級からはアルファベット26文字では足りなくなってしまったのです。 生まれつきのんびり屋 で競争の嫌いな私は、こんな学年には絶対入りたくないと思いました。 したがって進学も就職もムリをせず、競争のないマイペースな人生を歩んで来たのです。

でも、この年齢になれば1年の差など、ふっとんでしまい、少子高齢化社会のトップバッターとして その真っ只中にたたされていくようです。

もう58歳 ! まだ58歳!…どうとるかは気持ちの問題です。 この【週間KEN】が何年先まで連載できるかわかりませんが 、 今日ここで書いた58歳がYOUNGESTである事は間違いありません。 何年か 先に読み返したら「58歳か!若かったなー」と思うかもしれません。

政治家や経営者(そういえば私も一応そうなんですね)なら、一番ノッテル時かもしれません。 YUKIの戦略にハマルのもちょっと悔しい気持ちもありますが、まだまだこれからと 肥満の身体にムチ打って死ぬまで働く覚悟を、 改めて決意した、熱い暑い!誕生日です。

2004年7月5日024号 毎朝の光景

私は毎朝8時に家を出て600メートルほど離れた駐車場に車を取りに行きます。

我が家は駅から離れており、最寄の向ヶ丘遊園(小田急線)もバスを利用しなければならず ココへ引っ越して以来 12年、私はYUKIやヒロコのアッシー君(ちょっと古い)でもあるのです。 6月からヒロコも我が家の困窮した経済を救うべく、学校から照会された外資系企業でアルバイトを はじめたので、駅までは車で送るのが 私の日課になったのです。

そこで私は毎朝、2つの決まった光景を見ながら駐車場に向かいます。

ひとつは我が家のマンションを出てすぐに目に入る光景です。 目の前 に公立の中学校があります。 始めてこの光景を遠目で見た時は「なんと大胆な不良学生 !」と思いました。 正門の前で3人の男が…一人はウンコ座りをし、立ってる二人は片足を突き出し腕組み して タバコをプカプカとふかしているのです。 近くまで行くと不良学生でなく…中学の教師であることが分かりました。

校門にはこんなステッカーが張ってありました。 【ノー・スモーキング・スクール宣言】(校内での喫煙は禁止されています)… なるほど、校内では前面禁煙になったので、 彼らは規則を守るために学校を一歩出て タバコを吸っているようです。

毎朝、 校門でタバコを吸う教師に、声を出して朝の挨拶をする生徒はほとんどいません。 ただ黙々と教師を無視するかのように生徒達は校門に吸い込まれていきます。

学校へ向かう中学生とすれ違いながら、坂を少し下ると… 信号のある広いバス通りにでます。 向こうからは中学生、こちら側には小学生が信号待ちをしています。 この信号は押しボタン式ですが、ボタンを押してから3分 近くも待たされる代物です。 その先、100Mくらい行ったところに横断歩道があります。 私は何時も、そこまで歩いて 、さっさと渡ることにしています。 信号の方を見ると子供たちはまだ、じっと信号が青に変わるのを待っているのです。 はじめにこの光景を見た時は、とても”真面目で良い子たち”と思い ました。 しかし、毎朝、毎朝、この光景を見ていると、彼らがロボットのように見えてきました。

教師も生徒も みんなルールをきっちりと守っているようです… 「でも、ちょっとコワイな」と思うのは私だけなのでしょうか。

2004年6月28日023号 お前は保険屋に向いてない!

北海道に住んでいる大学時代の親友Kから、車で外出中の私のケータイに電話が入りました。 「今、品川のPホテルにいるんだけど、時間があったら来いよ!」というのです。 夫人に付き合わされての急遽の上京で、夫人も大学時代の友人に逢いに行っており Kはホテルに取り残されて時間を持て余しているようなのです。

Kとの出会いは、入学したての1年の時ですから40年近くも前です… 空手の推薦入学で北海道から出てきたばかりのバンカラを絵に書いたような風体でした。 そのKが私に「俺がおごるから、しるこ屋に付き合ってくれ!」と言ったのが始まりです。 キャンパスがある茗荷谷(文京区)には跡見や御茶ノ水といった女子大もあり、 駅前のお店は拓大生用と女子大生用とテリトリーがはっきり分かれていたのです。 もちろん『しるこ屋』は女子大のテリトリーです…そこへ一緒に乗り込んでくれ、というのです。 女子大生の冷ややかな視線を浴びながら、しるこを3杯たいらげたKの姿が懐かしく思い出されます。

そのKがまた「俺がおごるから、夕食に付き合ってくれ!」というのです。 品川Pは食べ放題のビュフェ・レストランが有名です。 ウェエーターはプラス1800円で飲み放題だというのですが、車で来てる手前飲むわけにいきません。 Kとは学生時代どれだけ酒を飲んで議論を交わしたか判らないほどの仲です。 久しぶりに会って話は弾むのですが、何か?足りません。 「ホテルに泊まれヨ」とKは言いだしました…「そんな金あるわけないだろ、厳しい生活をしてるんだから」 と言うとKはいきなり3万円を渡し、コレで明日チェックアウトしろと言うのです。 そんなにいらない、そっちで一緒にチェックアウトしてくれと、と私が言うとKは 「バカ!お前は俺の親友だぞ、 俺の嫁さんがどう思うか考えろ!」というのです。 「でも3万はいらない」という私に「競馬ですったと思えば安いもんだ!」と 彼の言葉に納得?する事にしました。 Kから私のコワイYUKIに電話を入れてもらい、晴れて!メニューを飲み方だいに切り替えたのであります。

二人が酩酊していった時にKは突然私に言いました。 「お前に保険屋は向いていない!」 「いや最近は保険屋が天職と思えるようになってきた」と言うわたしに… 「お前が何と言おうと絶対に保険屋に向いてない !」と頑固なのです。 その理由を聞くと「じゃー儲かってるのか?」と痛いところを突いてくるのです。 「まだ新聞配達をやっているのか?」と10年ほど前の話も持ち出してくるのです。 「そんなに儲からないけど、インターネットを使ってボクの営業スタイルも確立してきたし… もう昔の保険屋の時代は終ったんだよ」 「何がインターネットだ、何がボクのスタイルだ、お前は才能があるんだから…」かなりの 悪酔いです。

ビュフェがクローズに近づいてきた頃に、帰ってきた夫人にKは聞きました。 「角倉は保険屋に向いてると思うか?」 夫人はきっぱりと答えました「ぜんぜん向いてないわよ、どうしたの?」

保険屋に向いてない私が喰えるようになれば、この国の保険(特に生命保険)も大きく変わるんだけど… 心の中でボヤキながらも、ひさびさの楽しい痛飲でありました。

翌朝のホテルロビーのカウンターでK夫妻と並んで堂々?とチェックアウトを済ませ 1万円数千円が私のヘソクリとなったわけですが…。 ここまで書いて「ヤバイ!」と思いました、K夫人がコレをよんだら! でも、たしか二人共インターネット には興味が無いと言ってたから、多分大丈夫でしょう。 で・でもYUKIは!! ああ~私のヘソクリが…

2004年6月21日022号 たそがれのプロ野球

私はモノスゴイ!【阪急ブレーブス】のファンでした…現在のオリックス・ブルーウエーブです。 どのぐらいモノスゴイかというと… 私の10代 前半、すなわち小学校から結婚するまで、私が通った学校や職場において、 私の名前や顔は忘れられても、『モノスゴイ阪急ファンがいた!』事は みんな覚えているのです。 すっかりボケてしまった私の母でさえ”私の阪急”だけは、しっかり覚えて?いるのです。

【阪急ブレーブス】の事をココで書き出したら、1年間は軽く連載出来 ちゃいます!… でも気がついたら誰も読んでいなかった、なんて事になりそうなので書きません。 私はそこから多くのことも学びました… そう !私の人生の前半は【阪急ブレーブス】から、そして後半は【モノスゴイYUKI】によって 人間形成が成されたのです!

1988年…その【阪急ブレーブス】がオリックスに身売りするというニュースが流れた時は ショックで、 食事が喉を通らなくなりました。 でもボクは”阪急”という会社のファンではなく”ブレーブス”というチームのファンだった事に気付くと 食欲が元に戻りモリモリ食べました。 それからは【ブレーブス!】【ブレーブス!】と言って、またモノスゴク応援しました。

しかし1991年…オリックスは【ブレーブス】を【ブルーウエーブ】に変更しました。 これによってブレーブスのマスコット・キャラクターだった”ブレービー”も居なくなりました。 ヒロコが誕生した時に真っ先に与えた人形は”ブレービー”でした。 その”ブレービー人形”を持って、どれほど試合を見た事でしょう、本物の”ブレービー”に逢いに 新幹線や車で西宮球場にも何度も足を運びました。

もう”阪急”とも”ブレーブス”とも呼べない、だからといって「ブルーウェーブ」とも呼びたくない。 「ブ」と呼ぶしかないのかと、ブーブー思いました。

それでもイチローというスーパースターも誕生し東京での試合はもちろん、グリーンスタジアム神戸にも ファミリーで応援に行きました。 しかしイチローも、長谷川も、田口もメジャーリーグへ去りました。

オリックスは、それまでの球団の歴史や文化を引き継ぐどころか、阪急色を消す事にエネルギーを 使っている事にも腹立たしく 、私の情熱も少しづつ冷めていきました。

【近鉄バッファローズ】との合併ニュースは先週、仙台のホテルで知りました。 来るときが来た…と思っただけで、YUKIと笑ってしまいました。 このニュースから一週間ほどたちますが、ファンの声はほとんど 無視されているようです。 合併は護送船団の球界の満場一致?で決められたようです。 ファンの声が聞こえない…というのはファンもその程度で「どうでも良い」という事なのでしょう。 ようするに、プロ野球なんて、どうでもよくなってしまったのでしょうか。

これだけ、多くの人に愛され、歴史をもったプロ野球を文化として育てる事を怠って 目先の利益や、小手先のファン・サービスでお茶を濁してきたツケが回って来たのです。 ディズニーランドが賑わっているのは、親もミッキーやドナルドが懐かしく楽しいからです。 メジャーリーグ はアメリカの文化として根付かせる努力をしてきたのです、 だから我々 ガイジン?から見ても楽しく、多くのプロ野球選手も メジャー・リーグに憧れるのです。

私は日本のプロ野球にもう多くは望みません。 ただ、これから始まる、たそがれゆくプロ野球をこの目でみていきたいと思います。 巨人軍 の一球団になるまで…。