2004年12月13日047号 船橋の一日

船橋(千葉県)のJR駅ビルのショッピングセンター(シャポー)に 洋菓子のガトークラシック(30号で紹介)船橋店がオープンしました。

行こう行こうと思いつつ、なかなかスケジュールが取れなかったのですが 生命保険のメール相談を3月頃から受けていたYさんのお誕生日が1月7日で 今月中に契約をされたいという事になり、ご住所を伺ったら船橋市だったのです。 これは好都合と12時半Yさん宅、3時ガトークラシック船橋店(この写真は当日、私が撮影) となったのです。 当日、Yさん宅での事務手続きをスムーズにするためパソコン にYさんの生年月日と 名前を入れたらエラーが出て申込書のプリントアウトが出来ないのです。 これは生命保険の引受けに関して”待った”のサイン…すなわちYさんと同じ 生年月日と姓名(カタカナでのフルネーム)がブラックリストに登録されているのです。

でも、これはYさん当人で無い事は、私は100%の確信をもっていました。 まず、そのような人は、このような保険の入り方をしないと言うことです。 それに、数ヶ月も生命保険の事で具体的なメールのやり取りをしていれば、 その方の人柄や考え方、人生観までが伝わってくるからです。

初めてお逢いしたYさんは想像通りの明るくしかも几帳面な方で、 この件に関しても、それほど気分を害されず、1日誕生日をずらした申込書 (そうしないとプリントアウト出来ないため)にサインを頂き、日にちの箇所に 訂正印を頂きました。 不愉快な話を明るく聞き流して仮契約を頂いたYさん宅を後にして数時間後… 船橋駅ビルのガトークラシックにいる私のケータイに連絡が入りました。 「Yさんとは、まったく無関係である事がわかりましたので契約して下さい」と…。

さて、次はそのガトークラシックです。 オーナー・パティシエで友人でもある島川氏は、何でも思いついたら サッサと実行しちゃうという、良くもあり、困った性格の持ち主なのです。 それに歯止めを掛けるという意味で、元ケーキ屋KENちゃんの私が アドバイザーをしているのですが、なんせこちらもボランティアでやっているもので 少し目を離すと?いろいろな事をしでかしてくれるのです。

今回も2ヶ月位いご無沙汰して10月下旬に電話したら、船橋に店を出す、 それも工事に入っていて11月29日にオープンするというのです。

自由が丘のスイート・フォレストや池袋のナンジャタウンの出店は私が後押ししましたが… 期間限定のリスクの少ない出店で、お店の宣伝や従業員の刺戟にもなると思ったからです。 数千万を投資しての横浜から遠く離れた船橋の出店はわけが違います。 でも、もう開店しちゃったのですから、やるっきゃないわけです。

島川氏は何時もこの調子だから大変なのです。 ケーキ職人としては一流で何でも出来ちゃううえに、今までも厳しい厳しいと言いながらも、 何とか乗り切ってきたから本人もどうにかなると思っているようです(笑) 横浜の拠点から見た”地の利”を私はも一番問題視するわけですが 島川氏は「次は市川(同じく千葉県)に出そうと思っている」と、衝撃の告白! ほんとうに元気が良いのです。 結局、この日は閉店近くまで、店舗内で立ったまま島川氏とあれやこれやと打ち合わせ、 長い船橋での一日が終わりました。

お店は思ったよりシャレた明るい雰囲気でなかなかです。 是非お近くにおこしの際はお立ち寄りください、もちろんYさんも寄って頂けるようです。

2004年12月 6日046号 悲願のカーナビ購入!

「カーナビが欲しい!」とYUKIにお願いし続けて3ヶ月、 やっと我が愛車に悲願のカーナビが搭載されました。

運転暦三十余年、それもほとんど毎日クルマに乗り続けた私には、 カーナビなんて無用の物と思っていました。 しかし8月に北海道のレンタカーでカーナビを初体験 その後,クルマの修理で一ヶ月使用した代車がカーナビ付きで すっかりカーナビのトリコになってしまったのです。

安くなったとは言え十数万はするシロモノです。 我が家の厳しいサイフをツカサどるYUKI様がそう簡単にOKするわけがないのです。 そこで、なぜカーナビが必要で、それを購入する事によって、どのような経済効果が 我が家に反映されるかのプレゼンテーションしなければなりません。

12月は毎年カレンダー配りがあります、この機会を逸することは出来ません。 カーナビを購入する事で、どれほど効率良くお客様の所を廻る事が出来るか… そこで生じた時間を営業活動に回す事が出来たら十数万の投資なんて安いもんだ、 という主張でいくことにしました。 私の東京海上の担当者M君も私の案に大いに共鳴して 「12月に角倉さんに頑張って頂くためにもカーナビを買ってやってください!」と YUKIの恐ろしさも知らず直談判をしてくれたのです。

事実、年末のカレンダー配りは結構ハードなところがあります。 12月は直ぐに暗くなってしまいます、何度か訪問したお宅でも迷ってしまい クルマを降りて寒い中カレンダーを手に探し回るは辛いものです。 また普段は我が家から放射線状に慣れた道を行くわけですが カレンダー配りの時は、地域を限定し違った動きをするため地図が必要です。 この地図を見ることが、辛くなってきたのです。 暗い車内の照明で細かな地図を見ながら走行するは困難になる一方で カレンダー配りの効率は歳と共に低下してしまったのです。

カーナビは快適です!初めての訪問での暗い夜道も、家の前までピッタリ誘導してくれます。 こんな便利なモノが十数万なら安いと私は思うのですが…問題は費用対効果です。 これでバリバリ動こうと思ったらYUKIはカーナビを買ってしまったからガソリン代は 節約しろと言うのです。 「それじゃカーナビを買った意味が無い!」と私が言うと YUKIは「食事代をガソリン代に回せば、少しは痩せて一石二鳥になります」と。

空腹に絶えながらでも、稼がなければもっと恐ろしいことになるのは”確実”です。 今年も後、数十日!がんばるぞ!!

P.S.カレンダー配りの事を書きましたが… 「なんだ、ウチに来なかったヨ」なんて言われそうなのでその前にご案内! 枚数や時間に限界があり全ての契約者にお配りする事が出来ませんので お申込み頂ければ、東京海上日動の12枚カレンダーを優先的にお届けもしくは郵送いたします。

2004年11月29日045号 ヒロコの英語劇

先週は私がケボ劇団のスター?であったことを書きました。 そして実は!大学時代にはスペイン語の語劇で主役もやっていたのです。 オジャンタイという芝居でオジャンタイの役を演じたのですが 私が主役をやるようじゃ、もう”おじゃんたい”と言われました。

それから40年近くが経過して、蛙の子は蛙です… ヒロコの英語劇を二夜連続で赤坂区民ホールにYUKIと見に行きました。 ビデオ撮りの使命をヒロコから授かっていて、二夜連続といっても同じ芝居だったのですが 演劇を見る目は、そこらへんの親とはチョットは違う、いや違うつもりであります。

ヒロコもまもなくテンプル大学を卒業するようですが、実にエネルギッシュに大学生活を エンジョイしてきたようです。 サルサ倶楽部を立ち上げ、自ら振り付けをしての公演は何度も見てきましたが その情熱は大変なもので、親バカかもしれませんが中々なものだと思っています。 授業はもちろんバイトもやりながらで、それだけでも充分だと思うのですが、 コーラス倶楽部にも参加しているかとおもったら、文化祭では教師のボサノバの ギター演奏に合わせて、それらしい雰囲気で唄っているのには呆れました。 そして演劇です、実は昨年、初めて出演して味をしめたようです。 『乞食と役者は一度やったらやめられない』と言われますが、それは私も実感です。 それにしても、今年は3つの芝居に出演し、そのうち2つが二人芝居ですから セリフの量だけでも大変なものです。

サルサ公演の時のヒロコの集客力には驚かされるのですが、 英語劇を字幕ナシで見るのには、かなりの英語力が必要でサルサのようにはいかず、 会場は閑散としたものでしたが…親とはエライものです! 私とYUKIはイベント皆勤賞?でテンプル大学でもかなりの”顔”なのです。

英語劇は、みんなが笑ったら私もつられて笑うという情けない観劇ですが それでもヒロコの演技には気になるところが山ほど見えてしまいます。 けっしてヘタな芝居ではないのです。 それどころか本人は得意満面でノリノリでパワフルで ”サルサ”を踊っているように楽しく演じているのです。 でも、私にはそれがどうにも鼻についてしかたがありませんでした。

初日の公演を終え、満足感にしたっているヒロコに、その事を告げると かなりのショックで疲れがドッとでて落ちこんで寝てしまいました。 そして2日目の演技はかなり良くなっていました。

ヒロコが保育園時代の学芸会… とてもシャイで大人しかったヒロコの声はまったく聞こえませんでした。 会場の友達から「ヒロコちゃん聞こえないヨ!」というヤジが飛んだビデオが残っています。 それが、何でこうなちゃたのかね…とYUKIと笑ってしまいました。

2004年11月8日042号 (080) 5090-6529

私のケータイの番号が変わりました。 あと2年ほど待てば、どこの電話会社のケータイに変更しても同じ電話番号が 使えるようになるようですが、どうにもそれまでは待てなかったのです。

私は今まで10年ちかく【Tu-ka】を使ってきました。 保険代理店という職業柄24時間24時間ケータイを持ち歩き、その消耗も激しく これで4台目の【Tu-ka】でした。 最近の【Tu-ka】のCMで… ダウンタウンのマッちゃん(松本人志)がシタリ顔で、こんな事を言っています。 「ええやん、話せりゃ…デンワなんやから」 ケータイが多様化に付いていけない”大人”を対象にした戦略のようです。 私も女子校生ではありませんから、ケータイ機能のごく一部しか使用しておらず マッちゃんの「ええやん、話せりゃ…」でいいと思うのですが…。 問題は”話せない”のです。

私がこの事に始めて気がついたのは8年ほど前、まだ1台目の【Tu-ka】の時でした。 伊豆山(熱海)の東京海上の研修所に十名ほどの代理店が集まりました。 私のケータイは何時ものように”圏外”で公衆電話を利用していたのですが、 ふっと見ると仲間の一人がケータイで連絡をしているではないですか。 私は不思議そうに尋ねると、不思議そうに何で通じないのか、逆に聞き返されてしまいした。 そして、恐ろしいことに、集った仲間で【Tu-ka】は私だけで”圏外”も私だけで 笑いモノになってしまったのです。

でもその時はケータイ電話の創生期! マイナー志向の私は、コレから【Tu-ka】も頑張って全国どこでもツーカーと繋がる ようになると淡い期待を持ちながら…Tu-ka一筋に今日まできたのです。 しかし、その後に新しい会社もどんどん登場、ケータイの情報端末としての機能も 多様化していく中【Tu-ka】はますますマイナーになってしまい マッちゃんの、アノ開きなおった?CMです… ハラが立つのは、逆にますます繋がらなくなって、電話中でもプッツン・プッツン切れるように なってしまった事です。 私のケータイの固有の故障かと最初は思ったのですが 同じ【Tu-ka】を使っているヒロコも、同じ現象がおきていたのです。

11月からクルマの運転中のケータイ使用は罰金を取られるようになりました。 そのためハンドフリーでケータイ使用が出来る装置を購入しなければなりません。 でも、ここでまたマイナーで数少ないTu-ka対応の装置を選ぶのも抵抗あり これを機会に【au】に換えようという事になったのです。

イヤー見違えるような違いです! 10年間、我が家でケータイがかかったら電波が安定したベランダに突進していたのに 今ではトイレからでもOKです。(失礼)

【au】の契約にさいして、電話番号が刻印されたケータイの箱を数台並べて ここから、好きな番号を選んで欲しいと店員から言われました。 私は迷わず…「コレくれ ロコ肉」と言いました。 (080)5090-6529です。YUKIは「ロコ肉って何?気持ち悪い!」と言いました。 ヘンな電話番号ですが、よろしくお願いいたします。

2004年10月25日040号 ダイエー帝国の盛衰

私が子供の頃…「だいえい」と言えば、市川雷蔵や田宮二郎や勝新太郎の映画の”大映”でした。 私が大学に入学した頃…父が私に「これからは流通が面白い!ダイエーに注目しろ」といわれた時は 大映がスーパーを始めたと思ったくらいでした。 私が就職をする頃…ダイエーは人気の就職先になっており、私も狙っていたのですが…、 大学3年生の時に阪急ブレーブスの初優勝という私にとっては歴史的出来事がありました。 そのため、この年は阪急の試合のほとんどを応援に行き、授業やテストをまともに受けなかったために 就職願書に必要な卒業見込書を大学が書いてくれず、まともな就職活動が出来ませんでした。 それでコネのあった洋菓子会社に就職して、幸か不幸か、ケーキ屋KENちゃんになったのです。

父は海外旅行代理店の創業期から活躍した人で、私が小学校1年生の時(昭和28年)に 海外旅行の添乗をしており、おそらく我が国の添乗員第一号だと本人は言っていました。 その父が朝日海外旅行の役員をやっていた時に、ダイエーに買収されました。 旅行業界の発展を心より願っていた父はこれから面白い時代がくると張り切ったのですが あっさりと首を切られ、かなりのショックを受けていたのが今でも、思い出されます。

それから、各分野でのダイエーの買収劇はとどまるところがありませんでした。 ケーキ屋KENちゃんの私は銀座のお店の店長を長くやっていましたが、その中で 数寄屋橋にあったお店が閉店した後は、ダイエーのステーキ・ハウス『フォルクス』になりました。 まーこれは、買収ではなくテナントの入替ですが、 私にはダイエー帝国の脅威のようなものを感じずにはおれませんでした。

私は今日までに、なんらかのカタチでダイエーとかかわり、しかも父と同じように なんらかのカタチで犠牲になった、という人達に多く出会いました。 もちろん私がそのような人を探しているわけではなく偶然に出会うわけですから、 それだけ多くの人達に影響を及ぼしてきたということでよう。 そして、そこから見えてくるものは『力の論理』『スケール・メリット』であって、そこで働く人達の 自主性や取引先などステーク・ホルダーとの共栄という考えもなかったようです。 私もダイエーに就職していれば、早い時期に止めていたかクビになっていたでしょう。

進化論のダーウィンは「生き残ったのは、強い動物でなく、環境に対応してきた動物である」と言いました。 時代の変化に対応できず崩壊したダイエーは恐竜やマンモスのように見えます。

今、わが保険業界も、スケール・メリットを求めての統廃合が活発です。 しかし、それがお客様にとって、どれほどのメリットがあるのかがイマイチ見えてきません。 「体力を強化しなければ生き残れない」というのでしょうが、体力を強化しても時代に対応しなければ 生き残れないという事を… 私はダイエー栄枯盛衰の40年間を見て感じずにおれません。

2004年10月18日039号 朝の強制?散歩

日曜日の朝9時、ヒロコの命令?で二人で散歩することになりました。

事の始まりは、我が家のリビングで床に落ちたシャツを私が取ろうとした事からです。 肥満気味で屈んで取るのがおっくうになっている私は、 両足でシャツを挟み、そのまま足を跳ね上げて、シャツを取ろうとしたのですが… まったくタイミングが合わず、見事に尻餅をついたのです。 その様子の一部始終をヒロコはしっかり見ていたのです。 なんなく出来きた事なのに、身体がついていかなくなった事に私はショックでしたが、 その醜態にはヒロコもショックだったようです。 「KEN!何か運動しなきゃダメだよ、」

遠くにあった駐車場が閉鎖し、幸か不幸か駐車場が近くなり、サルサ教室もご無沙汰ぎみで… 毎日クルマで移動する私の運動不足はかなりのレベルまで来ている事はたしかなのです。 ヒロコは「毎朝、散歩でもしたら!」と言いました… 私が渋っていたら「じゃあ、せめて日曜日だけでも、皆んなで散歩をしようよ」と言うのです。

何か目的がなければ長続きしそうもないので、私は提案しました… 「だったら日曜日は毎朝デニーズまで歩いて行って朝食を食べるってどうかな?」 (いつもクルマでいく所ですが、歩くとそこそこあります) 私はファミレスの朝食が好きなのです、ホテルのビュフェとまではいきませんが 朝の光をいっぱいに浴びながら、のんびりと飲むモーニング・コーヒーはなかなかいいものです。

我ながら良いアイデアと思ったのですが YUKIは日曜日の朝ぐらいゆっくり寝ていたい(日曜の朝でなくても”ゆっくり”だと私は思うのですが) という事で却下となってしまいました。 それこそ毎日多忙でヒロコの方が、日曜日の朝ぐらいゆっくり寝ていたいだろうに… そこまで私の健康を気遣ってくれるのですから、 こうなったら【ただ散歩するでけ】でも、やるきゃありません。

午前9時に出発、クルマでは通ることが出来ない道を選んでのんびりと歩いたのですが けっこう起伏があり、小一時間の良い運動になりました。 そして、そして、何といっても朝食が美味しいコト!(まー何時も美味しいのですが) なかなかダイエットとまでいきそうもありませんし、どこまで継続できるかもわかりませんが ムリをせずに少しはがんばってみようと思った一日でした。

2004年10月11日038号 雨オンナ VS. 晴れオンナ

一ヶ月前に34号で、週末は横須賀のハーバーの自家用ボートで過ごされる Yさんご夫妻から、生命保険のご契約を頂いただいた上に、船内でご馳走にまでなった 話をいたしました。 もちろん、その時も大いに盛り上がったのでありますが、なんせコチラは仕事、 それにクルマで伺っているので、アルコールも控えなくてはなりませんでした。

で…「次回は、お嬢さんもご一緒で心おきなく飲みましょう!」との嬉しいお言葉を頂くき、 遠慮というものを知らない私達はもちろん「是非!是非!ヨロシク!」と喜びました。 その日にちが10月10日(日)と決まったのです。

問題は天気です。 一週間前の週間天気予報だと、台風が接近しており週末は大荒れだと言うのです。 海が好きで飲んべいでのヒロコは今回のお誘いを楽しみにしているのですが、 もの凄い【雨オンナ】なのです。

この天気予報を気にしてYさんから、メールが来ました。 台風だとボートは出せないしバーべキューもムリだけど、Y夫妻はどっちにしても 週末は船内で一杯やるので、どうしますか?と云うものです。 多忙なスケジュールを開けて、楽しみにしていたヒロコは 「日延べしたって、私が行くと雨になるんだから、行こうヨ!」と云うのです。 その旨をメールで伝えると 何と!頼もしい返事がYさんからありました。

>私は自他ともに認める最強の晴れ女です。 >今年はこんなに台風が頻発しているにもかかわらず、 8月には伊豆七島にクルージングに行き、 >9月には台風の合間をぬって西表島にも行きました。 タイミングもドンピシャでした。 >(偶然でしょうけど・・・私が計画した旅行で雨にたたられたことは今のところ一度もありません。)

さすが、晴れオンナのYさん!、週末は絶望的と思われた台風は日曜日に大暴れして通過してしまったのです。 しかし雨オンナのヒロコもしぶといもので、台風一過の好天気といかず 午後には小雨も降らすネバリ?を見せたのです。 何はともあれ、一日ずれていれば台風のまっただ中だったわけでラッキーでした。

メイン・メニューは釣ったばかりという、ブリの刺身とシャブシャブです! Yさんのご主人曰く…「今朝、海を見たら”鳥山”がたっていたから急遽船を出して獲って来た」と云うのです。 ”鳥山”とはブリやカツオの大型魚がイワシのような小魚を追う時に、小魚が群れをなして逃げ そこに大型魚が突っ込む時に小魚が逃げて海面に上がってきて、それを海鳥が集って襲う現象だそうです。 すなわち、海面に海鳥が集っていたら、そこにブリやカツオの大型魚がいるという事です。

それを見て、すぐ船をだしてブリを何匹も獲ってくるYさんのご主人の凄さ、そして東京湾の豊かさに またまた今回も感心してしまういました。

獲れたてのブリ!西表島の泡盛!…飲むべい雨オンナのヒロコも大感激! たらふく食べて、飲んで…大満足です。 今晩はマリン・ポートからほど近い観音崎の京急ホテルの特別割引券を頂き、 そのゆったりしたホテルの一室で海の音を聞きながら私は書いています。 もちろんYUKIとヒロコはグーグーと気持ちよさそうに寝ています。

2004年10月4日037号 イチロー

私のデスクのガラス板の下に、10年前(1994)のオリックス・ブルーウエーブの開幕前の全選手の 集合写真が置かれています。 その一番後方の左から3番目に入団から3年目の鈴木一朗選手が小さく写っています。

それから、たった10年! 大リーグのスーパースターになるとは誰が想像したでしょう… 実は、その片鱗を私は早くから見つめていたのです、エッヘン!

ドラフト4位で入団した1年目からウエスタンリーグ(二軍)での連続安打記録を作り、ジュニアオールスターで 最高殊勲選手に選ばれ、その賞金はそっくり施設に寄付しちゃうという、非凡さに… このチームをずっと応援してきた私は大いに注目したのです。 しかし2年目には、まったく彼を目にしなくなり私の不満が絶頂に達した年でした。 その時の監督、土井正三氏に認めてもらえなかったようです。

私はもの心ついたころからの阪急ブレーブス・ファンだった事は【22号 】で述べました。 その阪急がオリックスに買収され、2年間はオリックス・ブレーブスだったのですが 元巨人軍の土井氏を監督を迎えるを機に、球団名も今のブルーウエーブに変更して 阪急ブレーブスの名は一掃されたのです。 阪急と巨人はまったく対照的なチームで阪急ファンの多くがアンチ巨人であり その巨人管理野球を代表する土井氏の起用は、阪急ファンの気持ち逆なでし 多くにファンが去っていたのです。

しかし入団3年目に個性的な仰木彬氏が監督に就任し 登録名もイチローと命名され、その年にいきなり210安打(130試合)の日本記録で ”ごぞんじイチロー!”の大活躍が始まるのです。

そして阪急ファンとして消えかかった炎がイチローのおかげで再燃し、家族で球場に 足を運び、熱く応援してきたのですが…。 2002年大リーグへ!

この時、イチロー移籍金として大リーグから14億円の金額を受け取ったオリックスと 野茂を大リーグに放出した近鉄が、プロ野球は儲からないからとファン無視の合併をしました。

日本のプロ野球に愛想をつかした私ですが、選手やファンが燃えて、新しい動きが 出てきた事には、「まだまだすてたもんじゃない…」と云う気持ちも出てきました。 しかし合併チームを応援する事は、もうありません。

アメリカの大地で、前人未到の大記録に常に挑み続ける剣豪”イチロー”はまだ30歳(22日で31歳ですが) もう目をはなせません。

2004年9月20日035号 エンジンが焼き切れた!

私の愛車はガーガーパタパタと情けないエンジン音たてながらヨタヨタと走ります。 道行く人達が不審な視線を私のクルマに向けています。 我が家まで、あと数キロの地点で、エンジンは力尽きて停止 その惰性で路肩にクルマをのせるのがやっとで、そこからもうビクともしません。

私はYUKIにケータイでJAFのロードサービスの電話番号を聞きます… 「JAFの会費なんてもうずっと払ってません!東京海上のロードサービスがあるんじゃないですか…」 仕事ではお客様にそんな話をしておきながら、 いざとなった時に「そういえば、そんなものがあったな」と思う自分に情けなさが倍増します。 そんな私を嘲笑うかのように雨が激しく降ってきました。 びしょ濡れになりながら住所を確認してロードサービスを待ちます。

私の愛車はトラックに牽引されディーラーに運ばれました。 夜の9時でしたがディーラーのスタッフ数名がクルマが運ばれて来るのを待っていました。 ツナギを着たメカニックがボンネットを開け顔をしかめて云いました「こりゃダメだな…」 もっと調べなくてはならないから、帰れというのです。 このディーラーは駅からかなり離れているのです。 しかもクルマには重いカバンやパソコンを積んでいます。 そも、そも、このような事態に陥ったのはディーラーに責任がある思っていたのですが それまでおとなしくしていました。 しかし一言の侘びもなく、人里離れたディーラーからクルマで送る気配もなく、ただ帰れという態度に 私は「ここから、荷物を持って客に歩いて帰れと云うのか!」と少し言葉を荒げました。 それに敏感に反応した、営業マン風の人の良さそうな青年が私がお送りしますと結局 我が家まで送ってくれたのです。

車内でその青年に説教です。 そもそも今回の故障の原因です。 高速道路でスピードを上げると計器盤にエンジンオイルが不足した時のランプが点くのです。 オイルを実際に見ても不足していません、低速ななるとランプが消えます。 そんな状態なので、定期点検の際、そこをよく診てくれるように依頼したのですが、 特別異常は無いという事でした。 しかし、その数週間後、大阪に日帰りで行く事があり東名高速にのった時からランプが付くのです。 少し気になったのでディーラーに電話したら、長期のお盆休みが始まったばかりで通じません、 留守番電話が緊急の場合の”0120”を案内するのですが、なんとケータイからは繋がりません。 こうなったら気にしても始まりません、13時には大阪のお客様宅まで行かなければなりません。 行きも、帰りもオイル・ランプが点きぱなしの高速走行で帰ってきました。 それからエンジンからは時々不気味な音を発するのですが、それほど高速走行するわけでもなく、 数週間走っていたら、このような事態になったというわけです。

クルマを運転する青年に、そのような話をし… また私は、このクルマが、そのディラーから買った4台目のクルマで十数年の付き合いが あるのに、この対応はナンダ!…といった不満をぶつけている内に我が家に到着です。

翌日、電話をかけるといったいたディーラーから何時までたっても連絡がないので 痺れを切らして、こちらから電話です。 電話に出た技術者らしき男は、エンジンが完全に焼き切れておりダメだと云うのです。 私はダメなのはわかったから、どうすると言うのだ?と聞きかえします。 修理はエンジンの積み替えを含めて○○万円かかると言うのです。 私は○○万円かかるのは、わかったが、それをどうすると言うのだ?と聞き返します。 技術者らしき男は黙っています。 「あなたじゃ話にならない責任者を出せ!」と私が言うと店長と名乗る男が出てきました。 「昨日ご自宅まで遅らせていただいた店長のNです。」

結局、エンジンは新品を提供して工賃だけは負担して欲しいという、店長の提案を呑む事になり その間、代車として店長が提供したのは… 試乗用に使っている最新の大型のRV社でカーナビからテレビまでついた高級車! 音響効果もバツグンでもうヒロコは代車のトリコになり… 管理費を滞納しているマンションの住人からは(新車を買ったのではと)冷たい視線を受け… こんな時に限ってガソリン代が高騰して大型車とはと!YUKIから文句をいわれ… そんな23日間の代車期間も終わり、明日新しいエンジンを積んだ愛車が戻ってきます。

4年で13万キロ走ったエンジンが新しくなり […]

2004年9月13日034号 マリンポート・コーチヤ

土曜日、浦賀(横須賀市)のマリンポート・コーチヤにYUKIと一緒に行きました。 週末はボートと釣りが趣味のご主人と共に、海で過ごされるのがライフ・スタイルという Yさんご夫妻の生命保険のご契約です。

今回もネットで4月始めからメル友感覚で楽しくやりとりをさせて頂いたお客様ですが、 例によって直接お逢いするのは初めてです。 メールのやり取りを何回かする事で、その方のイメージが出来上がり、大抵はハズレないのですが… 今回はハズレれました。 最後の最後まで、生命保険の細かい所まで確認されたYさんには繊細なイメージがあったのですが、 現れたYさんは真っ黒に日焼けしたショートパンツ姿(場所柄あたりまえなのですが…) とても豪快でダイナミックで気さくな方だったのです。 そして、そして…そのご主人はと言うと、その何倍も豪快でダイナミックで精悍! 一度逢ったらもう二度と忘れられないほどのキャラクター、 海が好きで、「全財産を投げ売っている」と言うほど海の男なのです。

こちらも通信関係のサラリーマンと言うイメージからほど遠く、この裏切り?にも嬉しくなってきます。 メールでも、契約手続きは素早く済ませ、後はご夫妻所有のボートで「楽しくやりましょう」という 事になっているからです。

ボートには釣ったばかりのカツオが大きなアイスボックスに数匹入っています。 36フィートの自家用ボートは漁業探知機・GPS等の機器から内装にいたるまで ご主人自身が手をかけたもので、その情熱が伝わってきます。

同じマリナーで仲間のOさんがカツオをカルパッチョにしてやってきました。 板前顔負けの包丁さばきです。 挨拶もソコソコに乾杯です!狭いボートのキッチンからYさんの手料理が素早く次々に出てきます。 Yさんは実はユキコさんなのですが、ウチのYUKIと違って料理のセンスと才能はバツグンです。 しばらくすると、Kさんがビールを持ってやってきました。 陽はすっかり落ちて海の向こうには千葉の灯りがキラキラと見えます。 大型の貨物船がまるで夜行列車のように灯りを連ねて遠くを通過します。 刺身類は苦手で、特にカツオがダメというYUKIがパクパク食べています。 話も大いに弾み、お酒も美味しいのですが、クルマの私は押さえなくてはなりません。 その分は例によってYUKIが飲んでくれています(トホホ)

あちこちのボートで、楽しく夜を過ごしているようです、 お酒が足りなくなると携帯でやり取りをして、実に楽しいコミニティが出来上がっているのです。 時間を忘れ、仕事を忘れ(…そういえば、この日は保険の話はほとんどしませんでした) 獲れたてのカツオを一匹お土産にもらい… こんな幸せな仕事をしてバチが当たらなければと、またまた思ってしまった一日でありました。