2005年07月11日077号 お~いお茶・濃い味

昔、私が子供の頃、冷たい飲み物で憧れたのがカルピスでした。
バヤリ-ス・オレンジや三ツ矢サイダーも懐かしい飲み物でした。
学生の頃はコカコーラやファンタが全盛期で、
夏の合宿で、海岸でコーラーの早飲み競争をやって、
その優勝賞品がコーラーなんてバカな事をしていたことが思い出されます。
(その頃のコーラーは全てビンで競技には1リッタービンというのを使いました)

ところが最近はコーラーをあまり見なくもなりました。
考えてみたら私もここ数年飲んだ記憶がないほどです。
では、何を飲んでいるかといえば”お茶”です。
それも、私の場合は決まっています。
伊藤園の”お~いお茶”【濃い味】です!
もう、これ以外は基本的には飲みません、
たまに他の”お茶”を買ったり貰ったりしても飲み残してしまうほどです。
もう完全に”お~いお茶”【濃い味】の中毒と言っていいほどなのです(^_^;)

あの天然カテキン400㎎というのもシビレます!
天然カテキン400㎎は500mlのペットボトルで、2リッターのペットボトルは
何と天然カテキン1600㎎もが入っているのです!(あたりまえですが…)
何だか聞いただけでも…
体内の脂肪が燃やされ、血がサラサラになったような気がしませんか!?
YUKIは「しません!」と言いました。  いいのです、しあわせならば(^_^)

自然で飲みやすく渋みがあっても喉を通るのです。
どうしてかな?と考えたのですが、昔から飲んでいたお茶に近い事がわかりました。
【十六茶】や【爽健美茶】は緑茶ではありまでんし,【生茶】はイマイチ、
【伊右衛門】は繊細すぎて、私にとって懐かしい庶民のお茶ではないのです。

毎日、クルマの中には【濃い味】が置いてあります。
YUKIとの長距離ドライブには絶対に欠かせません、眠くなったら
天然カテキン400㎎です!
生保担当のM君とあんしん生命で打ち合わせする時も、M君は黙って
自販機から【濃い味】を買って来てくれるほどです。

最近感動したのはホノルルのABCストアに【濃い味】があった事です。
しかも2リッター入りが!値段は5$チョットで600円ほどせしたが、
迷わず買って、ホテルの部屋に戻るたびに氷を入れて美味しく飲む事が出来ました。

ホノルルのバス停に太った両親と可愛い金髪の女の子3人の
米国人家族がバスを待っていました。
その3人の女の子(4歳~8歳くらい)は、小さな身体に不つりあいな
大きなコカコーラのボトルがそれぞれが抱え、はしゃいでいました。
「あれじゃー、十年もしないで両親のようなデブになるな」と私が笑うと…
YUKIは「ヒトの事を笑える身体ですか!」と言いました。

やっぱり日本人には”お茶”があっているのです。
何かの会合やセミナーの時に、それぞれが自販機で買って机に置かれている
ペットボトルを見ると、ほとんどがお茶になってきたようです。
その中で【濃い味】の人を見つけると仲間を見つけてようで嬉しくなるのですが…
単なる眠気防止で買った人も結構いるようです(^_^;)

なにはともあれ、私はこの【濃い味】で、この夏を乗り切ろうと思っています。
ありがとう伊藤園!

2005年07月04日076号 タイ・カレーのお店

5.11のホームページ閉鎖事件から約一ヶ月半、
てんやわんやのバタバタで過ぎていってしまいましたが…
やっと通常に近いペースを取り戻してきました。

私の愛車も見違えるように綺麗になって車検から戻ってきました。
この1年ほどは洗車もせず、ただただ乗り続けてきたのです。
何もココまでキレイに洗車して磨き上げなくてもと思うのですが、
ディーラーはとてもうるさい客だと言う事で、気を使ってサービスをしてくれたようです。
問題の窓ガラスのキズも知らなければまったくきずかないほどです。
でも、ここまで綺麗にされると、何だか自分のクルマじゃないみたいで疲れます(^_^;)

近所に美味しいタイ・カレーのお店があります。
ここを紹介してくれたのは29号(鎌倉の花火大会)54号(北京ダッグ)での
グルメでリッチなM氏が私の家から近いようだからと4月の始めに
メールを頂いたのがきっかけです。
お店の名前は【タイカレー イムイェム】
とても美味しく、値段も安く、お店の雰囲気もよく…
日曜日が休みというのが難点なのですが、これがまたこのお店らしいところなのです。
先年の8月にご夫妻で開店したアットホームなお店ですが、我が家と同じく
一人娘のお嬢さんがいらして日曜日は家族で過ごしたいというのです。

ここのご主人、M氏の情報によると前職はGデザイン事務所を経営し
将来は自分達の村をつくるのが夢という…ちょっとユニークな人なのです。
私達が最初に食べに行った時も、
カウンターの中に一人とてもマイ・ペースの”おじさん”がいて、不思議な時間の
流れ方をしていて、その昔、飲食業のプロだった私は…
なんだか大丈夫かな?と心配してしまったほどだったのです。

でも、慣れてくると、このペースがとても、このお店にあっていて、心が和むのです。
先日、ボルネオから帰ったばかりのヒロコがタイ・カレーを食べに行こうといいました。
ペアのお客様が1組いるだけで、何時ものようにガランとしていましたが、
それから次々とお客様が入ってきます、面白い事にほとんどがペアのお客様です。
みんな馴染みのようで、ご主人もお客様も少しも慌てず、みんなマイペースで静です。

ヒロコは食後にココのマンゴ・プリン(200円)を食べるのが楽しみですが
ご主人はマイ・ペースとはいえ、カウンターの中で一人で奮闘しています。
なんだか、食後のマンゴ・プリンをオーダーするのは気がひけます。
YUKIの隣に座った男性客は状況を判断してまだ注文をしていません。
やっと主人は男性客に「注文聞いたっけ?」と聞きました。
男性客は笑いながら「いや、まだですよ」といいました。
私も「お手スキの時で結構ですからマンゴ・プリンを二つ頂きたいのですが…」
と言ったら店内のお客様がみんな微笑んでいました。

フィリピン育ち?のヒロコはマンゴにはウルサイのですが、なぜかボルネオの
マンゴ・プリンは不味かったらしく、口直しが出来たとよろこんでいました。

【イムイェム】の帰りはパソコンの【PCデポ】にいくのが我が家のパターン。
なぜかといえばクルマを【PCデポ】の駐車場に入れておくからです。
ヒロコのパソコン選びは数ヶ月前から続いているのですが、ソニーのVAIOが
安くなっているのにビックリ、私も欲しい!!

2005年06月27日075号 今年は確かに跳んでます

YUKIと私は舞鶴(京都府)から…
ヒロコは香港の初出張から…帰ってきて、向ヶ丘遊園駅で待ち合わせ
近くのファミレスで家族3人食事をして先ほど(26日午後23時)帰宅しました。
ヒロコは明日から又一週間ボルネオに出かけます。

我が家の今年2005年の年賀状、そしてこのHPの表紙も
マツケン・サンバにあやかって、
『今年は3羽(サンバ)、跳ぶ!』がテーマですが…
今のところ我が家の今年は、確かにに跳んでいるようです(^_^;)

舞鶴のFさんのお誕生日は6月26日、
それまでにご契約をしなければならなっかのですが、
ハワイのコンベンションがあったりして、結局こちらの都合で
Fさんのお誕生日の前日!ギリギリの25日に、お伺いする事になってしまったのです。
クルマは車検で預けたまま返ってこず、今回はレンタカーです。

今年3月、日本海を見た事が無いというYUKIと福井・金沢に
その翌月4月に、また福井のお客様が、
5月には鳥取、
そして今回6月には舞鶴と…毎月YUKIと日本海を眺めています(^_^)

それにしても舞鶴はホノルルよりも暑く
美しい若狭湾に飛び込みたい心境でした。
5月の鳥取ツアーでは、果たせなかった天の橋立も、股の下から見る事が出来ました。
舞鶴の宿は例によって格安のビジネスホテル、税サービス込みで二人で7800円…
すぐ隣にある居酒屋『つぼ八』のビール券をフロントで貰って夕食はココで乾杯!
例によって早朝4時からのドライブとほろ酔い気分で部屋に戻るとバタンキュー。
その分、朝は5時前から目が覚めて持参のパソコンでメールチェック!
一応?朝食付きという事で8時頃に1階のフロント横の一室に入ると、
食パンとトースターが置かれていて、飲み物は自動販売機がこの時間だけ
開放されて、好きな飲み物が飲み放題!と言うサービス。
こうなるとYUKIは、しっかりトースト2枚を食べ(私は昼に備え1枚なのに)
コーヒーは3杯も飲んでしまうのです(^_^;)

そのお昼は、若狭湾で獲れた、とれとれの鮮魚が食べられるいう海鮮市場に!
クルマを走らせていたら、何と戦艦の港が!…
舞鶴は戦前は4大軍港(佐世保・横須賀・呉)の一つとして、今は海上自衛隊の
基地になっていて、見学も出来るというのです。
そこで水兵さんに撮ってもらったツーショットです(^_^)
また、その付近がレンガの建物が多く残り、情緒深い風情が残っています。

そして!舞鶴と言えば『岸壁の母』です!
YUKIは例によってですが、まったく知らないというのです。
私は、その歌謡曲の歌詞と背景を話すと、
そんな古い歌を今の人が知っているわけが無いというのです。
34歳のFさんだって知らないと思うというのです。
私は舞鶴の人なら若い人だって『岸壁の母』は知っているに決まってる!…と
何時もの言い合いが始まりました。
勿論、コレは私の勝ち!
それに、ちゃんと【舞鶴引揚記念館】というものがあり、行きました。
敗戦からの引揚船の写真や、その頃の資料にYUKIは衝撃を受けたようで
食い入るように見ていました。

まだまだ今年はYUKIと一緒にあっちこっちへ跳びまわれればと思っています。
ヒロコもヒロコで社会人となって跳びまわっているようです。

2005年06月20日074号 一日43時間

なにはともあれ12日~17日のハワイ・コンベンションの旅から無事帰国する事が出来ました。
ありがとうございました。

6月12日(日)は文字通りザ・ロンゲスト・デイでありまいた。
出発の日であり、時差の関係でコンベンションの日でもあったのです。
まず、この長~い一日を振り返ってみたいと思います。

この日の午前中は宮崎のおばあちゃんを羽田空港に送って、そのあとの
『それでは行ってきます!』と【73号】に書くのが精一杯でした。

それから成田空港に行くまでのバタバタです。
これまでのバタバタで何も用意らしい用意をしていないのです。
今回の旅行がデジカメが必需品でしたが、どうもそのデジカメが前日のヒロコの卒業式の
写真を見て調子が悪く、修理には間に合わないし、この際だから買い換えようというに
なってしまったのです。
そこで近くのヤマダ電気にデジカメに詳しいヒロコを連れていったのですが、これが
中々決まらないのと下取り査定までしたので、けっこう時間を使ってしまいました。
デジカメを持ち帰ってからも大変です、ハワイに持参するノートパソコンにデジカメの写真を
呼び込むための、ソフトをインストールしなければなりません。

成田空港には19:30分に集合となっています。
今回、成田空港には新百合ヶ丘を17時10分に出発するリムジンバスで行く予定です。
でも、その前にまだやることがあります。
従来なら成田空港にクルマで行って旅行者用パーキングに預けるのですが
今回は車検の関係でコレもドタンバになって、旅行中に修理をする事なったのです。
クルマをディーラーに渡して、その後にリムジンバスに乗り込まなければなりません。
飛行機は21:30発だというのに、我が家を16時頃には出なければならないのです。
ヤマダ電機から帰ったのが15時を過ぎています。
後、1時間しかありません!!

まだ大切な作業が残っていました、今回のコンベンション参加の対象契約になった
お客様にハワイからお送りする葉書のプリントです(写真部分は空白にした)
正確な枚数や住所を打ち出す時間もありません、後はホノルルで調べるしかありません。
何時ものクルマでの国内旅行ならトランクに何でも、とりあえずは掘り込んで出発するのですが…
もう荷造りもそんな感じです(^_^;)
そうそう、その間に【週間KEN(73号)】も書き上げ送信です。
留守番電話も内容を吹き替えておかなければなりません。
もうバタバタの境地で唖然とするヒロコに送られて、私とYUKIは我が家を後のしたのです。
ディーラーに車検のためにクルマをわたし、ディーラーのクルマでリムジンバス乗り場に…
リムジンの中では買ったばかりのデジカメの説明書を読むしかありません。

成田空港出発ロビーには東京海上日動の団体カウンターが大きく設けられブルーのポロシャツの
東京海上社員や赤いポロシャツのJTB社員が甲斐甲斐しく働いており、比較的スムーズに
登場手続きをすまして、多少のドルの両換えもやりおえ…
ここでやっと出発の21:30分まで多少の”ゆとり”があります。

考えてみたら羽田空港のレストランで宮崎のおばあちゃんとヒロコと4人で
朝食を食べてから何も食べていません。
でも、機内に入れば確か機内食が出るはずと”旅行のしおり”で確認してみると
①朝食:機内にて ②昼食:ホテルにて用意 ③夕食:表彰パーティにて
…と記載されています。
これでは餓死?してしまいます!
成田空港での出発の時には必ず行くといってもいい讃岐うどんのお店でいつもより
ボリュームのある“カツどんセット”を注文してやっと一息。
搭乗ゲートのソファーでパソコンをあけメールの最終チェックをして機内に。

機内はぎっちり満席です。
機種は昔懐かしい古典的ジャンボ機747で、席も前も横もミニマムの極地の
エコノミー症候群必達?の飛行機です。
窓際には若い男性が一人すわり、私がその隣でYUKIが通路側です。
でも、それはもうどうでもいいのです。
今回の旅の最初の楽しみは…それまでの睡眠不足を機内で取り返すという
ささやかなものでした。
アカラックスの坂本さんからも「機内ではぐっすりお休み下さい、
ただしホノルルを乗り過ごさないように…」というメールを頂いていたくらいです。

飛行機が離陸すると、まずはお決まりの飲み物が配られます。
私は勿論ビールを注文し、よく寝るため追加のビール、そしてワインも頂き
眠りにつこうとした時に、何とこれから食事が運ばれるというアナウンスです。
機内食は飛び立ったらすぐ出てくるという…私のハワイ旅行の経験からの
認識は正しかったのですが、だったらわざわざ”朝食”と書かなくてもいいでしょう!
日本時間で午後23時! ハワイ時間でも午前4時です!
カツどんと讃岐うどんのセット、それに小食のYUKIが食べ切れなかった分まで
たべちゃった2時間後にコレです。
でもその機内食も結局はもったいないので全部食べてYUKIからヒンシュクを買いました(^_^;)

超満腹、お酒も廻ってさーグッスリと思っても中々そうはいきません。
窓側の青年がトイレに行こうと思えば、私もYUKIも席からたって通路に出なければ
彼は外に出る事が出来ないのです。
そんなこんなで隣の青年とも話しをするようになりました。
聞くと、同じコンベンションに代理店の社長家族と一緒に参加するという
ソニー生命出身で生保が専門だという事です。
こうなると、ついついコチラも話は弾んでしまい生命保険談義に花が咲きます。し
午前2時頃には、空は明るくなります(ホノルル時間では午前7時です)
午前3時には軽食が運ばれ窓は開けられ朝日が差込ます。
日本時間では13日の午前4時45分…
ハワイ時間で出発した日と同じ12日の午前9時45分にホノルル到着です。
結局、機内でも寝る事が出来ませんでした。
さて、これからがまだまだたいへんです。
何と言っても800人近くの大団体が成田・大阪・福岡から3機のJALで同じ時刻の
ホノルル空港に到着して、入国手続きを済ましてバスに乗り込むという一大イベントです。
やっとシェラトン・ワイキキにバスが到着しても、それでも直ぐに部屋にチェックインとは行きません。
今回のスケジュール表と色々な説明がなされてやっと部屋に入ったのは昼過ぎですが
空港からバスに預けたトランクはなかなか部屋に届く気配はありません。

時計を見ると午後13時(ハワイ時間)を廻っています。
コンベンションは18時ですが、その前に17時頃からホテルのガーデンで団欒が出来るように
なっているので、そちらにも参加するとなると4時間ほどしかないのです。

シェラトン・ワイキキのビーチに面したビュフェ【オーシャン・テラス】の眺めは最高です!
まずは、ココでYUKIと少しはゆったりした気分で昼食です。
部屋に戻ると、やっとトランクが届いておりパソコンのコードを取り出してインターネットの接続ですが、
これが聞くとヤルとでは大違い、まったく大騒ぎです。
まず、インターネットにつなぐジャックが見当たらないのです…それに一時間以上ついやして
次に、ホテルの24時間13$というインターネットのサービスを受けるわけですが、
そのためのセッティングをパソコンからしなければなりません。
名前や部屋番号や暗証番号を入力して送信するのでがエラーが出てつながりません。
これにも一時間以上の時間をついやし判った事はfirst nameがkenichiroでなくsumikuraで
登録されていたという話です(^_^;)

時計を見たらもう午後4時を廻っています。
今日のコンベンションが今回の旅のメイン・イベントで
それ以外は14日にフェアウェル・パティーがあるだけです。
機内でも眠れなかった分は、せめて部屋で少しでも仮眠して…とのはかない夢も果たせないまま
コンベンション参加になってしまったのです。

18時から3時間のコンベンションは華やかで豪華のものでした。
睡眠不足も吹っ飛んでエンジョイしましたが、あまりにも大規模すぎて
全員お疲れ様という感じでした(^_^;)

コンベンション後の3ヶ所に用意された二次会にも最後までしっかり参加して
長~い2005年6月12日日曜日の一日43時間が無事終了したのです。

後はハイライトで!
6月13日は葉書作りで終わりました。
6月14日はワイキキでひと泳ぎ、夜はフェアウェル・パティーで 大いに楽しく盛り上がりました。
6月15日は本来ならこれで帰国ですが、私達はあと1日の有料での延泊です。
ホテルでメールをうったりABCストアでチョコレートのお土産を買ったり、ゆったりと過ごしました。
6月16日は帰国の日ですが13時40分のJALに乗るのに午前8:00のモーニング・コールで
機内預けの荷物を8:00までに出せなければなりません。
ホノルル空港は30分で行けます、団体旅行はすべてに時間かかり大変です(^_^;)

今回の旅行は私一人が招待でYUKIの旅費16万円は自前です。
プラス二人の延泊分が一泊17,000円の2名分で34,000円です。
ホテルの部屋はオーシャンビューと聞いていましたがマウンテンビューでした。
冷蔵庫が無いと言ったら一日30$が必用だと言われました。
バスルームにはバスローブが付いていませんでした。
個人で旅行したらもっともっとゆったりと合理的な旅が出来たとYUKIは怒っていましたが…
これはこれでユニークで貴重で楽しい旅であった事はたしかです。

2005年06月13日073号 それでは、行ってまいります!

ハワイ行きが決まった時、この【73号】はホノルルから送ろうと決めていました。

このコラムは毎週月曜日発行となっていますが、
通常は日曜日の夜に原稿を書いて、就寝前(月曜日未明)にネットに流す…
というパターンで連載しています。
今回のハワイ行きは日曜日(12日)の夜、成田を発つ便ですが
ホノルルには時差の関係で同じ日曜日の朝に到着し、
その日の夜にコンベンションがあります。
すなわち現地時間で考えれば、何時ものように日曜日の夜に原稿を書いて
ホットなハワイ情報を【週間KEN】でお伝え出来るという算段でした。

ところが先月11日にホームページの閉鎖騒動が勃発。
ハワイ出発までにはHPを再開するとの思いでやって来ましたが、
結局HPが再開したのがハワイ出発日の前日未明!
このことを何も報告しないで、いきなり、♪浮かれてハワイ♪から…
では、ケジメがつきません。

まずは、この場で、皆様にご心配をおかけしましたが、丸一ヶ月で
あらためてホームページを再開する事が出来ました。
これは、ひとえに私を支えて下さった多くの皆様のお蔭と心から感謝しています。
詳しくはココをご覧頂ければと思います。

この件については、このような短い報告とリンクでお知らせ出きますが、
もう一つ、我が家にとって大きなイベントが土曜日(11日)にありました。

ヒロコの大学(米国のテンプル大学日本校)の卒業式です。
ヒロコが卒業生を代表してスピーチをするというのです。
そのために宮崎からおばあちゃん(YUKIの母)も上京し、
ヒロコもYUKIも着物も着せてもらってと大騒ぎの一日です。
こんな一大事!?を【週間KEN】に書かずに、いきなりハワイ号では
今度は留守番役で”出たがり屋”のヒロコからクレームが来そうです。(^_^;)

さて、卒業式は思ったより遥かに盛大で厳かで感動でした。
会場は先週の学長との食事会と同じ、都ホテル(港区白金)の大会場。
完全にアメリカ風卒業式で、フィラデルフィア本校の学長は勿論
在日アメリカ大使も迎えての一大セレモニーです。

特別に成績優秀という事でもないヒロコが卒業生代表に選ばれたのは
4年間の大学生活を100%エンジョイしたからではないでしょうか?
サルサクラブを創設し、あらゆるイベントに積極的に係わり、
ほとんどの教授や講師、そして学長とまで仲良くなって、
アルバイトはもちろん結局、就職までその関係できめちゃたようなのです。
よーするに、先生や生徒の間でも認知度の高い生徒だったのです。

そんなヒロコのイベントがあるごとに私もビデオを持って参加していたのですから、
けっこう私も有名(親バカとして)になっていたのです。
実は私は…ヒロコを保育園時代から撮り続けて来たのです。(^_^;)

ヒロコが大きな壇上にあがりました、何時ものように落ち着いて
ユーモアに満ちたスピーチが会場を沸かせますが…
英語ですので少し理解出来ないところもあります。
しかし、ちょっと真を置いて
ビデオを撮っている私に向かって感謝の言葉を言っているようなのです。
少し目を潤ませ、声が震えています、コッチもたまったものではありません…
あとで私の撮ったビデオを見たら、画面が揺れていました(^_^;)

その後の立食パーティーでヒロコは誰からも声をかけられ、
その模様をビデオで撮る私をヒロコは「My father」と紹介してくれるのですが、
誰からも…「以前から知っているヨ」とのお答を頂きました。

宮崎のおばあちゃんも「小さい時には大変なハニカミヤだったヒロコが…」と
とても感動されたようです。

てなわけで【73号】はハワイからではなく、我が家から送りました。
【74号】を書く時は我が家に戻ってきてからです。
そうすると画期的企画?ハワイ発【週間KEN】は無いというのも寂しいので…
臨時増刊号としてでも、出せたらと思っています。

12日、皆で宮崎のおばあちゃんを羽田空港まで送って、とんぼ帰り
一端我が家に帰ってYUKIと私は成田空港に向かいます。

この一週間の私の平均睡眠時間は4時間もありませんでした。
何はともあれ、バタバタと荷物をまとめ着の身着のまま
重いノートパソコンだけは、しっかり抱え…
「それでは、行ってまいります!」

2005年06月06日072号 KENは眠らない

アッというまの一週間です! そして後一週間でハワイです!
それまでに何とか、私のホームページも再開させたいと思っています。
寝る暇もないせわしさです(^_^;)

ヒロコは「KENは眠らない」と言います。
ヒロコが寝る時も、起きた時も、私がパソコンの前にいるからですが…
「野口英世は眠らない」という本をもじっているのです。
この本の著者である山本厚子さんとメキシコ大使公邸で
ヒロコと一緒に逢いする事が出来ました。
何でこの本と出合って?何でメキシコ大使公邸なのか?
それを書きだすと、またもや長くなりそうなのでやめます。
普段は(日本語の)本をあまり読まないヒロコが一気に読んだくらいです。
面白い本なのでお勧めです!

また日曜日にはヒロコが今春卒業したテンプル大学の卒業生から
選ばれた生徒の家族を、お食事にご招待いただけるという、
ありがたいお誘いに、家族3人大学近くの都ホテルに出かけました。
我々のテーブルは学長の隣でしたが、
なごやかに楽しく美味しい食事をご馳走になりました。
ヒロコはなかなかのスピーチ上手で会場を沸かせていましたが…
しゃべりだしたら止まらないのは誰か?の血のようです(^_^)
この土曜日(11日)には同じホテルで卒業式があり、
今度はアメリカ大使の前で卒業生を代表してスピーチが出来るとはしゃいでいます。

以上は私にとってマー骨休めのような話しです。
問題は「KENは眠らない」いや「KENは眠れない」のです。
何と言ってもホームページ閉鎖での対応が、なんやかやと時間が取られます。
【保険選びネット】の掲示板もレスが200を越えて、私がなぜか犯罪人のような
意見も飛び出してきて、穏やかではありません。
ネット上での誹謗中傷には馴れている私ですが、
今回はロコハウスの看板を背負っての騒動ですから
私のお客様に不安な気持ちを少しでも与えたら申し訳ないとの思いがあります。

どんなに遅くともハワイに行くまでにはホームページを再開するつもりですが
保険会社からの具体的な改定箇所を指摘した山ほどの書類が
私の手元に届いたのが金曜日の夕方でした。

今回の騒動で私の励みになっているのは坂本さんの存在です。
たまたま、坂本さんのセミナー直前に”事件”が起きてしまったという因縁で
お気の毒に…私が巻き込んじゃったようですが(^_^;)
こんな時に、これほど頼りになる人は他にいるもんではありません。

国内生保のアクチュアリー、外資生保の立上げから常務取締役、
再保険会社の立上げから撤退を代表として遂行、日本アクチュアリー会の重鎮、
現在はアカラックスという会社を経営し保険会社や共済のコンサルタントから大学の講師、
ついでに?アカラクシアという売れない(余計でした)保険代理店まで経営しているのです。

おそらく、今この日本国に於いて現存する、
”生命保険に最も詳しい人”ではないかと私は推察しているほどの”お方”です。
そんな坂本さんですから、通常なら数十万円いや場合によっては数百万円の
コンサルタント料を取る”そう?”ですが…
今回の私どもの件に関してはハワイ土産のマカダミアナッツのチョコレートと
引き換えという、特別レートにてお引受け頂いたのです。

金曜日の夜、YUKIと坂本さんの神田のオフィスに相談に伺いましたが…
何時ものように?お酒を頂きながら、保険談義に花を咲かせ、
ラーメンをご馳走になって楽しく帰りました。

今、その書類の山に一人埋もれて…今夜も眠れそうもありません。

2005年05月30日071号 ユニークな家族旅行

26日(木)未明から29日(日)未明まで”二泊四日”の
いつものYUKIとのクルマによるビジネス・ツアーに、プラス!
ヒロコも加えてのファミリー・ツアーというユニークな旅から帰ってきました。

今回のホームページ閉鎖騒動で、
私は相談者の方に本当に申し訳ないと思ってしまう出来事が、
相談者自身のご家族に興ってしまったようなのです。

奥様がご主人の生命保険についてご相談されるというパターンは多くあります。
相談者である奥様との何度かのメールのやりとりで保険内容も決定し、
被保険者であるご主人に保険契約のため直接お逢いするという段取りになるのです。

この時にご主人が、それまでの経緯を知っていれば何の問題も無いのですが…
いきなり、ヘンな保険屋のおじさんが、かなり遠方から、やってくると聞かされた
ご主人は「なんだ?そいつは?」と怪しまれる事が多いようです。(^_^;)
そんな時、通常は私のホームページをご覧いただき納得して貰うのですが…
なんせ”閉鎖中”ですので、ますます怪しまれてしまったようです。

そんなわけで、ご主人からのアポイントが取れないまま
タイムリミットの今週末と近づいていたのです。
これが原因で夫婦仲が悪くなった、なんて事になったら大変です。
ご主人からアポがとれたら必ず私のケータイに連絡を頂くという事にして、
この週末は近くまででも行ってスタンバイだけでもしておこうと決めていたのです。

そう考えていたところに、ヒロコが今春から社会人になって就職するなり、
土日も出社したりゴールデン・ウイークも無く超多忙だったのが
突然、まとまった休日が取れたので何処かに行こう!というので…
急遽、なんでも良いからクルマで出かけようという、
計画性のない旅がスタートしたのです。

メール相談で8割程度まで決まりかけている大阪のHさんがいらっしゃいました。
ちょうど通り道なので具体的な書類を直接お持ちするという事で
26日午前10時のHさん宅訪問が旅の第一歩になりました。

そこから数キロのところにヒロコの友人でローマ留学でも一緒だったJ子の実家があります。
そこに寄って見ようという事になったのですが留守でした。
そこで玄関前で写真を撮って今はニューヨークにいるJ子に
ヒロコがメールで黙って写真だけを送りました。
直ぐに戻って来た「なんじゃ!こりゃ!」というJ子のメールに車内で3人は大笑いです。

また、そこから数キロのところに私の生命保険の法人契約第一号になったYさんの会社にも
家族で突然訪問させて頂きました。

この日は最終目的地はヒロコの希望で鳥取砂丘で宿を取る事にしたのですがまだ時間があるので
YUKIは天橋立(あまのはしだて)経由で、しかも高速道路を使わずに行けと言うのです。
しかし、前日から一睡もせずに運転を続けている私に突然睡魔が襲ってきました。
ほんの小一時間まどろんでいたのですが、なにやら助手席のYUKIがブツブツ不機嫌そうにしています。
これでは天橋立には行けないというのです。
私もそう思います、それより鳥取砂丘の日没を見ようという事になりました。

一路、クルマは日本海に向かって北上し、そこから日本海にそって西へ走ります。
途中の漁港で沢山の大きな電球をつけた漁船が並ぶ漁港がありました。
そこで70歳になる漁師さんからお話をいろいろ聞きました。
これはイカ釣り船でこれから出かける漁に出る準備をしているというのです。
電球は1個3000ワットで肌を出していると大変な日焼け?をしてしまうそうです。
漁師の平均年齢はもう60歳以上とか、色々話が聞けて勉強になりました。

日本海の日没は涙が出るくらい美しさです。
鳥取砂丘は絶好のタイミングの到着で、想像以上のスケールに皆感動です。
日が落ちると、先ほどの漁船の漁火(いさりび)が海に浮かびとても幻想的です。

夜は砂丘の正面にある砂丘センターというところに宿泊。
ビールで乾杯し夕食を食べて、おおきな温泉の湯船につかって部屋に
戻るなり、10時前には熟睡をしてしまいました。
和室でトイレもない部屋でしたが、夕食と朝食がついてビールも飲んで3人で18,025円
はとてもリーズナブルです。
朝の砂丘の風景も格別です。
砂丘センターの宿を後にする時に【角倉様】と書かかれた歓迎の札に感激!
なんせ、お客様はほとんどいなっかたようです。

さて27日は四国の徳島市にいく事になっていました。
徳島の安い宿を探している時に、私はふと大学時代の友人のHが
徳島で呉服屋をやる側ら、ビジネスホテルも経営している事を思い出し電話すると、
本人が出て、是非ウチへ泊まれというのです。
そして晩飯は自慢の寿司屋に招待するからというのでヒロコも大喜びです。

鳥取から岡山に抜ける一般道はとても自然で美しくヒロコも感動の連続だったようです。
瀬戸大橋を渡り四国に入ってからも、高速をつかわず一般道を走り続けます。
景色はまったく変わり低い樹木と丸い山が穏やかな南国情緒をただよわせます。
Hとは大学卒業以来36年ぶりの対面です。

彼が招待したのは彼が行き着けだという小さなカウンターの高級割烹でした。
そこで、私が学生時代は如何に阪急ブレーブスの熱烈ファンだったかという誰もが言うエピソードと…
ヒロコがビックリするような話しをしてくれました。
それは私がいかにハンサムで格調高く、しかも明るい性格であったかという事です!
明るい性格という以外は、今の私からヒロコにはどうしても想像できないようです。
そして困った事に、私の学生時代のHとの写真を沢山見てきた、彼のお母さんとお姉さんが
是非、私と逢いたいと楽しみにしているというのです。
見る影もも無く変わり果てた、己の姿をお見せするのには、さすがの私も気が引けるのですが…、トホホ。

Hはいつも飲み歩いているようで次は女性のいる店に行こうというのです。
私はそういう店は遠慮するからというのを、家族でも大丈夫だからとムリヤリつれて行こうとするのです。
あんの上YUKIは途中で怒って帰ってしまったようです。
ヒロコも私にその事を伝えてホテルに戻ってしまったのです。
もうこうなったら時のYUKIの恐ろしさは理屈抜きでコワイのです。
私も帰りたい心境です。多分ホテルの部屋には鍵がかけられているでことでしょう。
Hにこの事を話すと、ホテルの合鍵はある大丈夫だというのです。
まーホテルのオーナーですから…でも、そんな問題ではないのです。

そんな私の気配を感じたのかHはそうそうに、この店を後にして3軒目のお店です。
ココは庶民的でアットホームな小料理屋でです。
お客様の全員がHとは顔馴染みのようで私も直ぐに溶け込む事が出来ました。
徳島といえな阿波踊り、私がその事に話をふると
突然ママさんがビール瓶を栓抜きでリズミカルに叩きだしたのです
するとお客様の一人が阿波踊りを踊りだしたかとおもうとカウンターのお嬢さんも
踊りだして店内は大盛り上がりで、さすが阿波踊りの本場と堪能する一夜でした。

翌朝、朝のコーヒーを貰いにフロントに行くとHはもう来ていたのですが…
昨日の事はまったく覚えていないというのです。
後でホテルのマネージャーにいつもあんな調子なのかと聞いたのですが、
それには答え難そうでしたが、覚えていないというのは嘘でもないようです。

翌朝のホテルのチェックアウトでも、フロントで料金を受け取らず
結局すべてHの招待という事になってしまいました。
呉服屋の”○か旦那”ぶりには少々呆れてしまいましたが…
やっぱりここは36年ぶりの友に感謝の意を表さなければなりません。

28日(土)は、せっかく徳島に来たのだからということで、”阿波踊り会館”で
阿波踊りの実演を見て、その後の観客の舞台に上がっての実習にもヒロコと参加して、
見よう見真似で楽しんできました。
会館を出て、初めて見た四国のお遍路さんが青い目のベルギー人には
驚いてしまいましたが、今は外人や若い人が多いようです。

旅の途中で大阪のHさんから連絡が入っていました。
ご主人が面接士(保険加入にあたって面接する人)に日曜の午後7時に来て欲しいとの要請です。
しかし募集人(すなわち私)同行なしで引受られるのはウイークデイの4時までとされているようです。
この日(土曜日)の夜7時なら私が伺えるので、一日繰り上げての面接士の面談を
ご主人のお店(BAR経営)でする約束が出来ていたのです。

鳴門の渦潮をみて、淡路島の一般道をのんびり走行して
明石海峡大橋を渡って神戸からHさんのお店に向かいました。

結局、今回のきっかけとなったお客様からの、電話は入りませんでした。
本当に奥様には、苦しい思いをされているかと思うとと申しわけない気持ちでいっぱいです。
こちらからはもう決してアプローチはしないと心に決めています。
でも、私のHPが再会され、またチャンスがあればご連絡が頂けるのではないかと、
私は密かに思っています。
それに、こんなユニークで楽しい旅のきっかけを作って頂けたのですから感謝です!

2005年05月23日070号 インターネットと保険営業

YUKIは「くれぐれもしゃべりすぎないように!」と私に言います。
総合司会に廻った坂本さんは【発言そこまで!】というパネルを
私の為に作ったからと前もって見せてくれました。
私は「今日は寡黙でいくからと」とアカラックスの美女、下川さんと高橋さんに言うと
「嘘だ~!」と笑われました。

アカラックスのセミナー【インターネットと保険営業】
ゲストスピーカーとして招かれた私は当初から、喋り過ぎる事を関係者は恐れていたようです。
それがさらに…セミナー直前のホームページ閉鎖でヒートアップし
鼻息を一段と荒くしてゲート・インした競馬ウマのように見られていたようです。

もちろん私自身、けっして無口な性格でない事は判っています。
私のHPの”事件”についても言いたい事は山ほどあります。
しかし、それは山浦さんの【保険選びネット】の掲示板の
延々と続く議論の中で、私の思いのタケを喋り続けています。
(お時間がありましたら、是非お読み下さい!かなりのバトルですが(^_^;))

したがってセミナーでは”寡黙”で通そうと思ったのです…YUKIの目も怖いですから。
それにセミナーに5000円を払って来られる方の中には
【インターネットと保険営業】を大きなビジネス・チャンスととらえ、
それをどう構築していくか、などと考えておられる方もいらっしゃいます。
貧乏代理店がインターネットでコツコツと時間をかけて保険相談をしながら全国を廻って、
やっとハワイに行けるようになったのに、それが突然HPを閉鎖されちゃって…
何て情けなくって、まどろっこしくて、聞いてられない!何て言われちゃうかもしれません。

とは言っても、私が話せる事とは、そのような自分が体験した事しかありません。
また、それを聞きたくてやって来られた方もいらっしゃます。
小さな代理店でもオリジナル情報を全国に発信でき、お客様からのアクセスに
face to faceでキメの細かい対応が出来るというのもインターネットの魅力です。
しかし、その為にはオリジナル情報に対する規制のカベを打ち破らなければ
【インターネットと保険営業】の明るい未来は無い、と言うのが私の持論です。

その辺だけは寡黙ながらも?私の思いを語らせて頂きました。

私は壇上から一人の意外な顔を発見しました。
ニッセイ基礎研究所のM社長です。
私はコノ人の顔はスクラップで持っていたので良く覚えていたのです。
7年ほど前の経済紙の【生命保険の予定利率の引き下げを考えるべき】との記事で、
世の中には、とんでも無い事を言い出す人がいると私が思った張本人です。
そのM社長が私の発言を頷きながら聞いています。

私が保険業界の末端に身を置いて、とても不思議で不思議でたまらないのは…
誰もが金融庁という【亡霊】におそれ慄いている事です。
私は思わず壇上から
「今日はニッセイ基礎研究所のM社長もお見えになっており、その亡霊達と、ひょっとしたら
お友達かもしれませんので、その変のご意見が伺えてたら嬉しいです…」
などと言ってしまったのですが、M社長は笑いながら反応され、和やかな雰囲気になりました。
M社長からの発言はありませんでしたけど、セミナーが終了して帰られる時に
私の突然の声掛けのお詫びと、ご挨拶をさせて頂いたのですが
「ほんとうに角倉さんが言われる通りです、頑張ってください!」と心の底からと感じとれる
丁寧な挨拶をして頂けたのには、とても心強く嬉しくなりました。

後で坂本さんに何のルートでM社長がセミナーに見えたのかと聞いたのですが…
ネットを見て直接来られたという事で、坂本氏自身も驚いていたようです。
M社長はN生の中でもトップクラスの実力者だそうで、改めてN生の奥の深さを感じました。

セミナー終了後はいつもの懇親会。
その後、アカラックスのオフィスでまた飲みなおすのもいつものパターン。
酔いの廻った山浦さんが、突然言い出しました。
「角倉さんはヘンだ!そのヘンなところが好きなんだけど…」と
私は、ボランティアどころか持ち出しで趣味と断言して【保険選びネット】を運営する
山浦さんの方が充分ヘンだと思います。
それにもう一人、アクチュアリー会の重鎮?で、外資系生保の常務までやって
今はわけの判らない仕事をしている坂本氏も、すご~くヘンです。

それぞれ、まったく違う立場で生命保険とかかわっているわけですが…
共通するのは組織に囚われず自分の考えで自由に生きてるという事。
保険業界の【三銃士】ならぬ【ヘン銃士】の明日は如何に!

2005年05月16日069号 ホームページ閉鎖おめでとうございます

角倉さん、
ホームページの閉鎖おめでとうございます。
社員一同、大喜びです。
さすが、注目度の高いDr.Kenのホームページですね

今度はアカラックスの高橋さんではなく、代表の坂本さんからのメールです。
17日(火)坂本さんのセミナー【インターネットと保険営業】に私もゲスト・スピーカー
として招かれているのですが、その直前に絶好のタイミング?で
私のホームページが閉鎖に追い込まれてしまったのです。

ことの原因は、東京海上日動あんしん生命のお客様相談センターに送られた
一通のFAXです。
送り主は匿名ですが、あんしん生命の直販社員とだけ名乗っています。

内容は私のホームページのDr.KENのコーナーは、保険募集に該当するのに
保険会社が認定した募集文書登録番号が打たれていない。
すなわち、私のHPは保険会社の認定がないのに、あんしん生命は野放しにしている。
それに対して、直販社員だとすべてチェックされて、不公平だ!
ハワイに行けるような優積代理店なら黙認されるのか?(ソリャナイヨ(._・)ノ)
こんな不公平を許すなら、「ロコハウスのHPは問題アリ!」と
【金融庁】に訴えるけど良いか?…という、いわば脅迫状です。

保険会社は【金融庁】と聞いただけ震え上がる特異体質があります。
「とりあえずHPを今すぐ閉鎖して下さい!閉鎖しないとロコハウスが大変な事になる!」
と担当のM君は電話で言うのです。
私は「少しも悪い事をやっていないのだから、イヤだよ」と言ったのですが
それでは、あんしん生命が困るから閉鎖してくれというのです。

そこまで言われてしまうと「イヤだよ」とは言えません。
でも私のHPは毎日100名以上が訪問する人気サイトです(^_^)
それが突然閉鎖したらお客様に対して大変失礼な話しですし、ロコハウスの信用にもかかわります。

そもそも、私がそのようなHPを作る事になったのには、それなりの歴史的根拠があるのです。
私は以前から損保業務のかたわら、生命保険の診断をライフワークとしてきました。
そこで実感したのは、その多くの契約内容が契約者の思いと違った利益に反するもので、
それらが、まことしやかに合法的に売られて来たという事実です。
私は5・6年ほど前から、その怒りをインターネット上で征保大将軍のハンドルネームで
問題提起を続けて、それなりに知られるようになりました。

その征保大将軍(^_^)である私が代理店のHPを作るのですから、
保険会社お仕着せの、どこでもあるHPを作るつもりは最初からありません。
私のそれまでの思いの詰まった、お客様本位の、しかも顔が見えるHPなのです。
しかし、それはT社の認可の範疇を遥かに超えていたようです。
「公認のHPにする事はカンベンしてほしい…」と、いわば”お手上げ”をしてしまったのです。
だからと云って、保険会社おしきせのHPには、私の”こころざし”からして出来ません。
そんなわけで、認可の無いまま、今日まで来たというのが真相です。

そんな歴史を知る?坂本さんは
私のHPを”温かいまなざし”か”冷たい視線”かは知りませんか、見続けていたので…
即座に…「ホームページの閉鎖おめでとうございます!」とのメッセージを送ってきたのです。
~マッタク。

M君と”事件”以来はじめて金曜日に打ち合わせをしました。
M君は今、とても可愛そうな立場にいます。(匿名のM君にしていてよかったと思っています)
「私もDr.KENのファンです」何て言っていたのですから…
もちろん私のHPに承認番号が無い事も、私が”確信犯?”であることもM君は充分に知っています。

M君が私に電話でHPのとりあえずの閉鎖を求めて来た時に、M君に念を押しました。
「よしわかった!でも私のHPのどこが問題なのか、会う日までに具体的な箇所と
それに抵触する法令の文言を用意しておいてくれ…」と言っておいたのです。

M君はDr.KENの全てのコンテンツを支社長ほか色々な人に見てもらっらたそうです。
でも、問題箇所を指摘する人はいなかったというのです。
だったら、どの法律に抵触するのかという質問にM君が表示したのは…
保険代理店なら誰でも知っている募集に関する【 保険業法300条】です。

私は常日頃から、とても不思議に思っているのはまさに、この事なのです。
【保険業法300条】に添って認可を受けたはずの、チラシやパンフレットやテレビCMの多くに
契約者の”誤解を誘発”さすようなものを、よく目にするからです。
認可があるから正しいと、消費者に思わせてしまう方が恐ろしいのではないでしょうか。

情報化社会に、情報をコントロールして良い結果は出ません。
それより情報を開放して、その中から消費者が自己責任で選択してもらう事です。
消費者は愚かではありません、情報をコントロールするから愚かになるのです。
他の専門家が見ているかもしれない公開されたインターネットの中で
プロとして商品説明や意見を言うという事は、それなりの責任と知識がなければ
消費者にも見破られるし、淘汰されていくのです。

インターネットの時代に、保険会社の認可をとった募集文書しか開示出来な事に、
誰も疑問も持たず、声も上げず、保険会社のチェックと同業者の密告におびえて
まともな保険営業が出来るというのでしょうか?~

M君は、また始まってしまった、私の得意のエンゼツ?を黙って聞くしかなかったようです。
「内容には問題が無いけど、問題がある…」と分けの解らない事をいうだけです。
M君をこれ以上いじめても可愛そうなので、この日の打ち合わせは終了です。

17日のアカラックスのセミナーにはM君も参加するそうです。
T社のコンプライアンス担当者も、外販社員の匿名クンも来て欲しいのですが。
ご興味があるかたも、是非ご参加を!
セミナーの終了後の懇親会では、大いに飲み語りましょう(^_^)
お目付け役のYUKIは、私が一人で興奮してしゃべりまくるのではないかと、
今から目を光らせています。

2005年05月09日068号 JR脱線事故に思う

脱線事故のニュースの第一報は踏み切りでクルマとの接触というものでした。
踏み切り事故であればクルマに過失があるのが常識です。
私は職業柄直ぐに思ったのは
「自動車保険の保障は対人はもちろん対物も無制限だろうか?」という事でした。
列車やマンションの物的損害からJRの営業損失など含めると
対物の損害だけでも、とんでもない賠償金額が予想されます。

しかしテレビには踏み切りも、衝突したであろうクルマの映像も出てきません。
不思議に思っていると、踏み切り事故は誤報で
「事故の原因はいたずらによる置石の可能性は高い」とJRは写真を持ち出して
記者会見で発表です。

これも誤報であることは後が判り、事故から2週間たった今では
次々にJR西日本の失態ぶりが暴露され、ニュースとして大きくとりあげられています。
こうなると袋叩きで、さらしものにされたJR社員は土下座するのみです。

はじめは隠す、次に責任転嫁、そして開き直り、最後に土下座する…
我が国の多くの組織や企業が不祥事で見せるパターンです。

私はとても悪質だと思ったのは、置石が原因というパネルまで出しての
JRがやった記者会見です。
これだけの大惨事だったので警察はもとより、事故調査委員会が徹底的な
原因究明をして根拠のないことが証明されたわけですが、
これが小さな事故だったら、責任は”置石の犯人”に転嫁され
被害者は泣き寝入りをすることになったかもしれないのです。

お客様本意はどの企業でも口にします。
安全第一も運輸業ならどこも口にします。
でも、それを本当の意味で徹底さすには大変なコストと、
経営トップの強い意思がない限り不可能といえます。
そんな事より、経営効率のアップを目指していたことは歴然としました。
また利用客も私鉄より運賃が高くても目的地に少しでも早く着くJRに
価値を求めていたとしたら【一分半の遅れを取り戻す】運転手の行為を
一方的に責めることも出来ないのではないでしょうか?

最も大切にしなければならないものは何なのか?
根本的な価値観問われる”事件”ではないでしょうか?

まったく話しが飛びますが…
イチローの超ファインプレーがまたまたありました。
ホームラン間違いないという打球をスパイダーマンのように外野フェンスに
よじ登り、身体を捻らせて逆シングルでボールをキャッチしたのです。
翌日の新聞にイチローのコメントが載っていました。
「あの球場で、あそこの打球が来たらやってみようと思っていた」というのです。
ようするに彼は、あらゆる事をイメージし想定しているという事です。

JR西日本は惨事に対して何のイメージも想定もなかったのでしょうか。
そして私も、いつ何があってもあわてず行動できるイメージと覚悟だけは
もっておかなければと思いました。