2009年01月12日260号 オグラと久々に

ラテ研(拓大ラテンアメリカ研究会)の1年上級のトミタ先輩から年賀を兼ねたメールが届きました。
その中に、1月13日よりお嬢さんの休暇に合わせて香港に行く事になったので
私の同期で香港在住のオグラとノムラに会えればと思っているのだが連絡先を教えて欲しい
という内容でした。

トミタ先輩はロコハウスの自動車保険の契約者でもあり(^_^;)
この週間KENにも掲載した一昨年のラテ研 ・香港ツアーもご覧頂だいていたのです。
広告代理店に勤務する冨田先輩は今は非常勤として週2回、月・木に出勤していて
5日から仕事はじめだから「昼メシでも一緒に食わないか」と結んでいました。

冨田先輩からのメールと、ほぼ同時にオグラからの年賀メールも届いていました。
内容は長女のカナちゃんの結婚式で13日まで日本に滞在するというものです。
オグラは日本には年10回ぐらいは行き来をしていているのですが
その間、地方を回ったり、高齢になって施設に入っておられる母親を訪ねたりと、
何かと過密スケジュールであることが判っているので、ほとんど合うことは無いのです。

ただ今回は面白いタイミングなのでオグラのケータイに久々に電話を入れてみました。
相変らず元気な声が聞こえてきます。
概略を話して、「忙しいとは思うが少し会おうよ」という私の呼びかけに
オグラは「8日の昼前後なら空いている」というのです。
8日は木曜日でトミタ先輩の「昼飯でも一緒に食わないか」という日時にピッタリ合致するのです。

てな事で、8日の11時30分に私とオグラがトミタ先輩の勤務する広告代理店がある
ニューオータニ新紀尾井町ビルのオフィスを訪問する事にしました。
このホテル・ニューオータニは私にとってもハート・コンサートなどで、
ホテル通のオグラも昔から馴染みのあるホテルなのですが、とても複雑に入りこんでいて
電話でゴチャゴチャ言っても要領が得ず、
結局近くまで行ったらケータイで連絡して落ち合って行こうという事になりました。

オグラとトミタ先輩との対面約40年ぶり、という事になるわけですが、
一瞬にして40年前にタイムスリップして、私も楽しいひと時を過ごすことが出来ました。
また香港では15日に再会することを決めたようです。

さて今回のオグラの来日目的は長女カナちゃんの結婚式ですが
その相手は東京海上に勤務する東大出の体育会系で(^_^;)
アメリカンフットボールを学生時代から本格的にやっている心身ともに逞しい青年のようです。
実は2年ほど前に、ラテ研の3年先輩でヒロコがダルマ社長と親しんでいるサトウ先輩
恵比寿のメキシコ料理店で偶然にもオグラとカナちゃんとフィアンセ?の3人と鉢合わせして、
そのフィアンセの名刺を東京海上の代理店である私に見せてくれたのです(^_^;)
ま~何かと世の中は繋がっているのです。

拓大出身で前川製作所に就職しメキシコ駐在の長男のマサタカ君も家族を連れて久々の帰国。
カナちゃんは香港のインターナショナル高校を出て中央大学卒業後アメリカの大学院に留学した
国際派のオグラ・ファミリーです。
カナちゃんの亭主も結婚を機に海外勤務希望と申請したそうです。(^_^;)

10日(土曜日)のカナちゃんの結婚式に私はこんな祝電を送りました。

カナちゃん結婚おめでとう!
弾けるように可愛いくて活発で小さな女の子だったカナちゃん。
先日おとうさんから写真を見せてもらいましたが、
面影はそのままで、とてもチャーミングになって、良き伴侶を見つけられ
さすがカナちゃん!と感激しました。
心からお祝い申しあげます。

お父さんの学生時代からの親友で東京海上の代理店をやっているスミクラより。

2009年01月5日259号 天丼屋のマイケル

明けましておめでとうございます!
昨年最後の週間KENで予言したようにアッというまに正月は終わってしまいました(^_^;)

でも、この正月はほとんどどこにも行かず、のんびりと家で過ごしました。
”ほとんど”というわけですので家から一歩も出なかったわけではありません。

2日に近くのファミレスにYUKIと一緒に出かけて
週間KENでも何度か登場している『八百屋のマイケル』に合うことにしました。

『八百屋のマイケル』は昨年の9月から『天丼屋のマイケル』になってしまいました。
しったがって毎晩YUKIと買い物に行くマルエツで会うこともなくなって
たまにマイケルがメールで近況を知らせてくれるぐらいです。

なぜマイケルが天丼屋になったかと言えば…
本業(八百屋はパート)の社長から毎日のように虐められツイに辞めてしまったからです。
私はもっと早く辞めてしまえと言い続けていたのですが責任感の強いマイケルは
腰を悪くして身体が動かなくなるまで働いたのです。
重い荷物は持てないからとタクシー会社に面接に行ったのですが、2年以内に辞めると
二種免許取得の費用などペナルティとして○十万円払わされる言われ断念しました。
そんな時に一人娘のお嬢さんが難病にかかって療養生活を…とマイケルの悲劇は続くのです。

でも捨てる神あれば拾う神あり!です。
マイケルの親しい知人が秦野(神奈川県)で出前専門の天丼屋をやっていたが
それを引き継いでもらえないか?…という話しがあったのです。
ただ、いくら親しい友人と言っても譲には譲るだけの理由があるわけで
そこを人の良いマイケルが乗り切れるか心配でしたが
60近いマイケルをまともに雇うとこもないでしょうから応援するしかありません(^_^;)

マイケルからメールの年賀状が元旦に入りました。
9月から1日も休まず早朝から夜遅くまで働き続けて元旦と2日だけは休暇が取れると書いています。
昔からいる店長やパートのおばさんとの軋轢や
小さなマイケルはアルバイトからもナメラレているようです。
また商売を始めたと同時にリーマン・ショックにはじまる不況ですから、どこまでもツイテいません(^_^;)

マイケルにとってはとても貴重な正月休みでしょうが、
2日の昼過ぎ電話をして「近くのファミレスでお茶でも飲まない」と声を掛けたら快諾してくれたのです。

疲れ切ったマイケルの話しを聞いていて、私は「いける」と確信しました。
まずマイケルが必死で頑張っていること。
そんなマイケルに従業員も少しづつだけど理解を示してきているのと、
この不況は商売をやる上では逆境でも、人を雇用する上では追い風でもあること。

出前専門なので店舗や人件費などの固定費が低いのと
天ぷらの原価率は低く、ロスもなく変動費の利益率がとても高いこと。
すなわち今の売り上げでもギリギリ赤字にはなっていないのです。
(マイケルの人件費がとても少ないようなので^_^;)

マイケルはチラシをくばったり、クーポンをつけたり、メニューをふやしたり
売り上げ増強にやるきまんまんですが、私はまったく別のアドバイスをしました。

今のお客様を大切にすることです。
今現在、一日平均の出前件数は30件ほどだそうです。
細かい分析はしていないようですが
一般の天丼屋と違って出前専門店はお客様の住所や電話番号が判って
注文品や時間や曜日も分かるのです。

一日30件で月に900件、年間で延べ約1万件の出前があったとしても
お客様の数、すなわち出前先はせいぜい千ぐらい
しかも総売上げの半分以上が、百件ぐらいのお客様であろうということです。

一日30件の出前ならエクセルで毎日、注文先の顧客名・品名・料金・時間などを入れて
おくだけで貴重なデータになるはずです。
テリトリーの秦野市の地図を壁にはって顧客の分布を虫ピンで見えるようにすること。
マイケルは秦野市は広くて出前しづらいとと嘆いていましたが、
だったらなおさら一軒一軒のお客様を大切に迅速に配達していくことが強みになるはずです。

メニューを増やすとか、設備投資をするとか
余計なエネルギーを使わずに、
せいぜい今より2割アップを最終目標に後は余裕を持って楽しく仕事が出来るように
地元の天丼屋としてお客様に密着していくこと!

そして店長と仲良く、お金の管理は皆でチェックしてトラブルの無いように!…
などなど、ついついチカラが入ってしまいましたが(^_^;)
マイケルも元気が出てきたようで
楽しい時間を持つことが出来ました。  

マイケルにとって実りのある1年でありますように
そして皆様にとっても(^_^)   この日の夕焼けです

2008年12月29日258号 年末恒例!3イベント

今年も残すところ本日を入れて3日になりました。
次回の週間KENは三が日も明けた5日で、
アットいうまに年末・年始が明けて、
また新しい1年もアッという真に去ってしまうのでしょう、きっと。(^_^:)

毎週、週間KENに何を書こうか?テーマに悩む時もあるのですが、
この一週間はどうしても週間KEN的には外せない行事が3つあり、
どれに絞るか悩んだのですが、今回は3つをハイライトでお伝えする事にしました。

●12月22日(月) アカラックスの忘年会

昨年の忘年会では料理が苦手と自他ともに認めるYUKIが作った
ポテト・サラダや鳥の唐揚が以外と好評だったので今年のYUKIもけっこうチカラが入ってました。
しかし例によって事務処理がオセオセで当日も朝からバタバタして夕刻、
けっきょく唐揚は諦めて飯山(長野県)の田植えで収穫した無農薬のお米のおにぎりと
ポテト・サラダ(ゆで卵を作っておきながら入れ忘れてた)をタッパーに入れて慌しく家を出ました。

と言っても一直線で神田のアカラックスに行くわけではありません。
バスで向ヶ丘遊園に、そこから徒歩で三菱東京UFJ銀行・登戸支店にへ保険料の入院に、
三菱東京UFJ銀行なら神田にも新宿にも大手町にもあるのですが
18時までに間に合わなければとYUKIは、風雨激しい中をどんどん歩いていくのです。

おにぎりとポテト・サラダが入った紙袋と、
宮崎のお土産の焼酎やお菓子などが入った紙袋を
濡れるのを防ぎながら、私も必死でYUKIの後をついていくと、
突風で傘がオチョコになってもうビショ濡れです。(^_^:)

登戸から大手町まで行ってTN社の支社に書類を置いて、そこから東京駅まで歩いて
JR神田駅で降りてアカラックスに到着した時はビショヌレになった紙袋の姿はなく
タッパーを開けると一番上のおにぎりが無残な状況になっています。
これだけは私がコッソリと食べちゃおうとしたら
YUKIでなく下川さんから「お行儀が悪い!」…とたしなめられてしまいました(^_^;)
      

●12月23日(火) 中尾家(妹宅)で恒例のクリスマス会。

毎年、私の妹宅でクリスマス会をするのが慣わしになっています。
何で妹宅かと云うと、私が結婚する前の家族、父が健在な時までは毎年クリスマス会が
慣わしになっていて、それを妹で長女のユミコがその伝統を引き継いでくれているのです。
伝統と言ってもクリスチャンでもない家族のごく世俗的なクリスマスです。

ユミコが8歳の1961年12月24日の我が家のクリスマス会から音声から
毎年録音され、そのテープは20年分ほど残っています。
毎年、父の司会で「19○○年!今年もマタマタやって来ましたクリスマス!
ココに揃っているのは○○○、それに特別ゲストとして○○ちゃん…」で始まり
後はその場の雑談や歌やプレゼント交換の模様が音声で残されています。

このクリスマス会のテープの中でも
毎年一番嬉々としてノっていたのが私の7歳下の妹のユミコでした。
それは彼女が結婚して、その子どもたちも成人した今も”その伝統”を守っているのです。
もちろんユミコの配偶者であるススム君も。(^_^;)
1976年のクリスマス会のテープに興味深い音声が残っています。
宴たけなわの最中に電話の音が入ります、ユミコのボーイフレンドのススム君からの電話です。
「出張で買ってきたカラスミがあって、イタムといけないのでお届けしたい、今近くまで来ている」
というのです。
私がススム君と会ったのがソレが最初でした。
彼がその時に歌った「私の彼は左きき」の熱唱は今でも語り草になっています(^_^;)

そんな伝統のあるクリスマス会に今年はヒロコのボーイ・フレンドのヒロシ君も初参加
アメリカの大学で研究員をやっているユミコの長男のシュンスケも慶応時代からの
ガール・フレンドのナオコちゃんが3回目の参加!
ユミコの次女で医大生のマキは二児の母!
夫の勤務医のコウジ君は学生の妻と二児の生活費を稼ぐための当直で今回は不参加(^_^;)
世代交代をしながらも我が家の伝統は引き継がれていくようです。
     
●12月28日(日) クラシック・ハート・コンサート

恒例のホテル・ニューオータニでのハート・コンサートがありました。
今回は↑でもご紹介した私の妹夫婦、中尾ユミコとその夫ススム君が参加してくれました。
そして当日になってロイター通信のカメラマンをやってるユミコの長女ユリコ
仕事の機材を引きずりながら時間が出来たので急遽参加をしてくれて中尾家は3人!
昨年に引き続き、ブデオ撮影のボランティアでヒロシ君!
YUKIを入れると9名のテーブルのうち7名は中尾家のクリスマス会のメンバー(^_^;)
それに昨年に引き続き私の竹馬の友、マルさん
このハート・コンサートのホームページを担当する事になってしまった
うるめクンと…じつに内輪の、しかも他のテーブルと比べれると、グッと若いサークルです(^_^;)

この不況にも係わらず、昨年に比べて3割ほど参加者が増えて大盛況!
愛用のデジカメが故障でヒロコから借りたハンディ・ビデオを使いましたが、どうでしょう。
何はともあれ無事終了(^_^)
        

2008年12月22日257号 宮崎で温泉三昧!?

15日(月)から18日(木)までの4日間、宮崎に行ってきました。
いつものようにYUKIとヒロコと3名の家族旅行です。

飛行機から眺める富士山は最高でした!  
宮崎の宿も温泉をたっぷり満喫して最高でした!        

ま~ここまで書いて写真をご覧頂ければ、とても贅沢で優雅な旅をして      
贅沢な!とヒンシュクを買ってしまうかもしれませが
温泉付きの宿は、たっぷり3泊朝食付きで一人12600円です(税サービス込み!)

この宿は宮崎に行くときはいつも利用するシーガイア・リゾートの中にあるコテージ・ヒムカです。
ココはYUKIの母親の家にも近く、
コンドミニアムなので部屋でゆったり仕事も出きて、冷蔵庫やコインランドリーもあって
朝食のビュッフェも快適で、ホテル・フロントはパソコン環境も万全、ゆったりと新聞も読めて
なにより格安で寛げるところは他にないと気にいっているのです。        

それに今回は思いも寄らぬプレゼントがありました。
15日朝一番のJALで宮崎に到着し小型レンタ・カーを4日間借りることにして
まずは義母の家によって、
ホテルに4時ごろチエック・インをしたのですが5時までは大きな電気工事をやっていて
停電中だというのです。
宮崎は5時でも明るいし、自分のノートパソコンは使えるし1時間ぐらいの停電
我われにはどーてことはないのですが、お詫びとしてシーガイア内にある
温泉・松泉宮の4日間フリーパス の『温泉手形』を3名分もらえたのです。(^_^)

これまで、そのような温泉施設がある事は知っていても
それに費用がかかるとなると一度も利用したことのない我が家ですが
タダでいくらでも利用出来ると知ると、もう今回は温泉ツアーに早変りしちゃうのが
我が家の柔軟性に満ち溢れた旅の醍醐味であるのです(^_^;)

結局3泊4日の間に、私は5回、YUKIとヒロコは4回、この贅沢な温泉郷をゆっくりとじっくりと
味わうことが出来ました。
ちなみに私はこの広い露天風呂を含む男湯の温泉で人にあったのはたったの一回、
それも一人で後はいつも私ひとりだけでした。
なんでもデジカメに納める私ですが、初めはこわごわセルフ・タイマーで湯船につかる
私のヌード写真などを撮っていましたが(^_^;)
慣れてしまうと普段の屋外と同じ気分でデジカメを持って風呂に入っている私がいました。

それにしても、こんな豪華な施設があってコレでは大赤字でしょう。
温泉施設の直ぐ横に有名な閉鎖されたオーシャン・ドームが取り壊す費用もなく
そのまま残っていますが、この温泉の行く末も心配してしまいます。(^_^:)  

YUKIの中学の同級生で私も懇意にしている国立市の元市長の上原公子さんは
このシーガイアのある防砂林の自然環境を守るためシーガイア建設に対して先頭にたって
反対運動をした人で、まさに先見の明があったということでしょう。

とは言っても、ま~せっかく作ってしまったのですから
このように安く提供して頂ければと思うのですが(^_^;)

そうそう、何で宮崎に来たのか?という事ですが、
義母がヒロコ名義の郵便局口座を管理していたのが、
この夏に通帳を紛失したため引き出しをストップ。
通帳はすぐに見つかったのですが本人(すなわちヒロコ)でなければ通帳の復活が出来ず
ヒロコも何かと忙しく、やっと今回行けることになったのです。
だったらヒロコが一人行けば済むことですが、せっかくだから私とYUKIもついていき
せっかく宮崎までいくなら4日間ぐらいはいなければと3泊4日の家族旅行になったのです。
         

とは言っても他に具体的な目的があるわけでもなく、
今回は温泉を楽しみながらヒロコもインターネットで編集の仕事をこなし
私とYUKIはTN社の事務処理をコナシながら
なんやかやと、この師走の忙しい時期の充実した4日間を過ごすことが出来ました。

そうそうどこへ行ってもこの人がいました(^_^;)     

2008年12月15日256号 陽一郎にいちゃん

いつも陽一郎にいちゃんと呼んで、私が小学生の頃から親しくしてきた叔父がいます。
何で叔父なのに”兄ちゃん”かというと
私の母より10歳年下の長男で、甥っ子の私とは14歳しか違わず
叔父さんというには忍びなかったので(^_^;)
いつも陽一郎にいちゃんと呼んでいたのです。

とは言っても小学生の私から見たら14歳年上は立派な大人である事はたしかです。
でも一応長男で(^_^;)7歳下と10歳下の妹がいる私にとっては
独身である時期には我が家に同居して寝食を共にした叔父とは
一緒に映画を見にいったり、男同士の楽しい思い出がたくさんあるのです。

英語が得意でカナダ航空に就職し、そこで職場結婚し子ども4人をもうけて
定年後は栃木県の黒磯に引越して、今は持病の療養生活を送っおられるます。

11月の終わりごろ、私の妹のユミコから
「12月11日に陽一郎叔父ちゃん(妹は叔父ちゃんと正確び呼びます)のお見舞いに
行こうと思っているのだけど空いてる?」と電話があったのです。
カレンダーを見ると12月はギッシリとスケジュールが詰まっているのですが
11日だけはポッカリ空いていたので、YUKIと一緒に参加する事にしました。

私の妹のユミコと2人の叔母(叔父の妹のミチコ叔母とキョウコ叔母)の3名は新幹線で、
私とYUKIはいつものようにクルマで東北自動車道で那須塩原駅前にある
レストランに向かいました。

叔父は思ったより元気そうで、すぐに話しが盛りあがります。
ココに母がいたら4人の姉弟が揃うことになるのですが、
母は痴呆と失明で介護5の最高ランク(^_^;)ユミコの家と施設で交互に看てもらっている状況です。
でも母はとても元気で陽気な人で昔からの口癖だった「ワルイのはアタマとカオだけ!」を
地でいって身体そのものはまったく健康なようなのです(^_^;)

叔父はそんな10歳上の姉(私の母)を、とても大切に思いやって母のいるユミコ宅に電話をして
ボケていても昔の話になると鮮明に覚えている母と、
昔話やその頃の唄を二人で合唱したりで…
横で聞いているユミコも感激するぐらい母も生き生きとしてくるのです。

叔父はそんな母と一番あいたかったようですが、母をココまで連れてくることも出来ず、
また叔父が母のところまで来れる健康状態でもないようです。
そんな叔父のためにユミコの長女でロイター通信のカメラマンをやっている
ユリコが撮影製作した写真集をプレゼントをしました。
自分の身体も大変なのに、母のことを心から心配し、
母のことを話すと目頭を熱くして涙ぐむ叔父をみていると、    
叔父の優しさにこちらまで涙が溢れます。

レストランでの歓談のあと   
叔父は点滴を受けるために国際医療福祉大学病院に行かねばならないので
皆でそこのティー・ルームでお茶を飲むことにしました。  
そこでも大いにハナシが盛り上がり
叔父夫人のヨシコさんとも本当に久しぶりで、
楽しいひと時を過ごすことが出来、ここまっでやってきた甲斐があったと心からおもいました。

翌日の12日はアカラックスの今年最後のセミナーで
今回はライフネット生命の副社長をやっている野上さんが「5分に1回笑わせる!」と豪語する
二次会・三次会も含めて楽しみにしていたものです。
そろそろYUKIと出かけようと思った矢先、アカラックスの下川さんから電話がありました。
「昨日はお越しになると思っていたのですが、どうなされたのですか?」
「??」私は何のことだか判らなかったのですが、1日間違えてようです(^_^;)
「そんなことだと思って電話を差し上げてよかったですね、お出かけする前で…」

我が家のカレンダーにはアカラックス・セミナーの日にちが判ると真っ先に
書き込むようにしているのですが、その時点で間違えたようです。
でも間違っていたからこそ叔父とも久々に会えたわけだし…
アカラックスや野上さんには大変失礼致しましたがm(_ _)m
楽天的な私はハッピーにそれで良かったと捉えています(^_^)

2008年12月08日255号 ミッション

前号でもご案内したハート・コンサートの代表をやっている
私の友人でもある渡辺のノブさんから急遽、頼まれごとをしてしまいました。

ノブさんは長いことライオンズ・クラブで活躍し、またゴルフ三昧(腕はシングル)の生活で
ハート・コンサートも最初の頃は彼のモチダシで運営していた時期もあったのです。

そのノブさんもいろいろあって…(^_^;)
ライオンズ・クラブからも身を引いて
私は1年も持たないと思っていたサラリーマンを、
もう5年以上も真面目に勤めているのです.

そのノブさんからの頼まれ事とは、6日(土)に
ラインズ・クラブの仲間だったゴトウさんの日本橋のお店がオープンするので
そのパーティーに代わりに行って欲しいと云うのです。
新潟出張があってどうしても行けないというのです。

私は店舗とくに飲食店には興味がありますし、
美味しい料理とお酒を飲んで帰るなら、まったく問題は無いのですが、
そこで12月28日(日)のコンサートのチラシを配って宣伝をしてきてくれという
重大なミッションがあるのです(^_^;)

ひとつ救いは、この会を主催したのがノブさんの紹介で法人契約を頂だいている
G社のセノウ社長だという事です。
セノウ社長はとても男気(オトコギ)がある人物で、
ノブさんがライオンズ・クラブを去った後も「俺は演歌の方が好きなんだけど…」と言いながらも
今でも毎年、多くの仲間を引き連れてコンサートに参加して頂だいているのです。

今回のパーティーもG氏が再起をかけて家族で開店したお店を少しでも盛り立てようと
セノウ社長がライオンズ・クラブの仲間に呼びかけたようです。
そこに昔のメンバーであるノブさんも呼んで「ハート・コインサート」の宣伝をすりゃいいだろう…
というセノウ社長の温かいこころ使いだったよです。

でも、そのノブさんの代わりに、まったくライオンズ・クラブと関係ない
私がノコノコと行ってコンサートの宣伝をするのは、
内気な?私としてはちょっと不安なところもありましたが、行くしかありません(^_^;)

50名ほどの人が集まりましたが、
私もノブさんと20年以上付き合っているおかげで、知ってる顔もチラホラ、
またハートコンサートでお会いした方もいて
美味しい料理とお酒もともなって、とても楽しく過ごさせて頂きました。

コンサート紹介のミッション
セノウ社長の助けを借りて無事終了。
どのくらいの効果があったかはまだ不明ですが
ニューオータニの近くにお住まいのTさん
「オータニではいつも食事にいってるし、クラシックも好きだら…」
と言っていただき、ひとりは確実にゲットいたしまた(^_^;)

そうそう、お店の名前は【OHカルカッタ】という串焼きとインド料理の店
場所は日本橋小舟町6-16日本橋グリーンビル地下1階
電話番号は03-3661-9777
こんものはネットからリンクすれば済むのですが
まだホームページも今のところは何も無いようです(^_^;)

でも、ご家族インド人スタッフのとても
アット・ホームな素敵なお店です(^_^)    

2008年12月01日254号 今年は12月28日です(^_^;)

私がボランテァで実行委員をしている年末恒例の
【クラシックボランティア・ハートコンサート】
12月28日(日)、いつもの会場ホテル・ニューオータニで開催されます。

今年もこれまで何度も実行委員会を積み重ね昨日は最終的な打ち合わせをしました。
今年の開催日やプログラムは数ヶ月前から決まっていて
それなりに『週間KEN』のネタになるようなエピソードもあったのですが
この号になるまで書くことを控えてきました。

なぜならば?コンサートの宣伝をするには今回が調度良いタイミングだからです。

私は本業の保険でも決して押し売りはしないケンキョな性格ですから(^_^;)
コンサートにムリヤリお誘いする事など、とても出来ません。
実行委員のボランティアを引き受ける際も、
「集客ノルマだけは勘弁してほしい」との条件で引き受けたぐらいです。

でも、あるていどの集客をしていかなければ、
ボランティアとしてのコンサートが維持出来ないことも委員をやってみると実感もし
私だけが知らんぷりも出来にくくなってきます。

そこで私が出来ることは、
保険同様にネットを通して「よろしかったら、よろしく」と
ケンキョにヒカエメにお願いするしかないのです(^_^;)
詳しくはホームページをご覧頂き、
その主旨にご賛同頂き、
ご一緒にワインと食事を楽しみながらコンサートを楽しむことが出来たら
こんな嬉しいことはございません。

「でも何でこんな年末の押し迫った時に?」…とよく聞かれます。
正直に答えますと、クリスマスが終わって、正月前のこの時期が
ホテルをリーズナブルに利用できる、ただそれだけの理由なのです(^_^;)

でも毎年この時期に、ニューオータニでの美味しい食事とクラシックを聞いて
最後に”第九”を歌わないと年が明けないという人たちも
ありがたいことにケッコウ増えているのです。

11月30日(日)の実行委員会のスナップです。
         

2008年11月24日253号 筆ぐるめ

早いものでもうすぐ12月です。
毎年12月は来るので判っているのですが
毎年、年賀状がギリギリなってしまうのです(^_^;)
なぜギリギリかといえば、年賀状そのものがギリギリに出来上がるのです。
我が家の年賀状は毎年オリジナル企画の力作?!なのですが(^_^;)
なぜかギリギリにならないとアイデアが浮かんでこないのです。
ギリギリに出来上がった年賀状に宛名を書くのも大変です。

数年前から宛名書きはパソコン・ソフト『筆ぐるめ』でやるようになったのですが、
これはこれでけっこうテマヒマがかかってしまうのです。
1年も経過すれば住所が変わった人や、喪中の人や、追加や削除などなど
数百名のチエックをすると1日は潰れてしまうのです。

「来年はもうちょっと早くから段取りを」と思いつつ同じ事を繰りえしながら
今年もやってきたわけですが(^_^;)
その対策のひとつとして先日『筆ぐるめ』(バージョン16)を購入しました。

実は昨年まで使っていた『筆ぐるめ』(バージョン10)
2年前まで使っていたパソコンにプリ・インストールされていたソフトで、
新しいパソコンでは使うことが出来ず何かと不便をしていたのです。

パソコン・ソフトには【アップ・グレード版】と【通常版】がありますが、
今年の初め、いつも利用しているパソコン・ショップ『PCデポ』で『筆ぐるめ』のソフトに
ついて色々な説明を聞いたさい私の場合は【アップ・グレード版】でOKと聞いていたのです。

そして19日(水)、『PCデポ』で
迷わず商品棚に並べられていた『筆ぐるめ』【アップ・グレード乗り換え版】[2,970円]
を持ってレジに向かいました。 写真の左側商品(この写真は昨日撮影したものです)
念のためにレジの店員に、私の状況を話しこの【アップ・グレード版】で大丈夫かを確認しました。
ところが、その店員は私の場合は【通常版】で無いとダメだと言い張るのです。
しかたが無いので【アップ・グレード版】を商品棚に戻して、その横にたくさん並べられていた
【通常版】[4,170円]を、写真の右側商品(この写真は昨日撮影したものです)
その店員のいるレジに持っていき購入し
我が家でさっそくインストールすることにしました。

ところが箱から取り出したDVDディスクには【アップ・グレード乗り換え版】と書かれているのです。
箱を確かめて見ると箱にも【アップ・グレード乗り換え版】と載っています。(^_^;)
[2,970円]と[4,170円]の違いはガイド・ブックが付いてるかの違い
私が最初にレジに持っていったのは【アップ・グレード乗り換え版】だけのもので
店員にこのソフトでは使えないと言われ、
ガイド・ブック付きの同じソフトを、その店員に渡してしまい
会計をすましてしまったのです。(^_^;)

さっそく『PCデポ』に電話を入れて間違えてしまったから【通常版】と取り替えてほしいと伝えると、
一旦、封を切った商品はお取替えは出来ないというのです。
穏やかな私も(^_^;)さすがに血が昇ってきました。

店員から「このソフトは使えない」と断言されたので、
私はそれを商品棚に戻して、その横にあったソフトを同じ店員にすぐ手渡したのです。
広い店内は閑散としていて、その間に他のレジをした形跡はありません。
私が同じソフトでガイド・ブック付きの物を持って来たなら
「これは同じソフトですよ」とぐらい言ってくれるか、気が付いてくれてもいいはずです。(^_^;)
そのまま料金を支払わされ、その上、封を切った商品は理由は何であっても取替え出来ないでは
怒りが収まりません(`m´#)

翌日、このソフトの製造元に電話を入れました。
そこで驚くべき回答が戻ってきました。
「お客様の場合はご購入された【アップ・グレード乗り換え版】がお使い頂けます」…と。
ようするに数ヶ月前に『PCデポ』の別の店員から聞いていたのと同じ答えです。

昨日『PCデポ』に別の用があったので、『筆ぐるめ』の商品棚を確かめて見ました。
何で私が同じ【アップ・グレード乗り換え版】をレジに持っていってしまったか謎が解けました。
左端が最初に手にした【アップ・グレード乗り換え版】で、右端が私が【通常版】と間違えて持っていった
ガイド・ブック付き【アップ・グレード乗り換え版】ですが、
ガイド・ブックとセットするためのフィルム包装に張られたシールに隠れて
背表紙で見るかぎりアップ・グレードの文字が見えません(^_^;)

でも結果的に、それを持っていったからガイド・ブック分の1,200円を多く払って済んだわけで、
私が注意深い性格で、ちゃんと店員から言われた物をレジに持っていったなら
何も知らずに高い【通常版】を買わされたわけで…
腹がたつやら、嬉しいやら、とても複雑な心境でいるワタシであります(^_^;)

2008年11月17日252号 クルマの故障

数週間ほど前のハナシですが、クルマが突然故障しました。
雨が降っていて微妙に生温かい日でクルマのフロントガラスが曇るので
エアコンを入れて噴出し口をフロントに行くようにしたのですがいっこうに クモリは消えません。
どうもエアコンからはただ生温かい湿った風がフロントガラスに当たって
ますます前方は曇っていくのです。
最初はエアコンが壊れたと思って、フロントガラスを助手席にいるYUKIに拭いてもらいながら
運転したのですが、渋滞した交差点で信号待ちしている時に、なにげなく見た水温計が
めいっぱいハイになっているのです。
その瞬間、クルマのボンネットからまったく前方が見えなくなるほどの水蒸気が上がってきました。
オーバーヒートです(^_^;)

右折したところにコンビニがあり、そこの駐車場に逃げ込めればと思うのですが
こんな時に限って交差点の渋滞は進みません、こんなところでエンストしたら大変です。
でも前方がまるで見えない中で交差点を右折するのもタイヘンです。
さらに救急車のサイレンの音がどこからか迫ってきます。
でも私のクルマだって緊急車両です(^_^;)
私は運転席から、YUKIは助手席から思いきり顔を出して、ヘッドライトとパーキングランプを点滅させ
どうにかコンビニの駐車場にすべりこみました。

まずクルマのボンネットを開けようと思ったのですが、
情けない事にボンネットを開けるためのトメガネがどこのあるか判りません。
ドライバー歴40年以上でクルマを手放した事の無い私ですが、
考えてみたらココ10年以上クルマのボンネットなど開けたことが無い事に気付きました。
ま~ココでボンネットが開いたところで、どうにもなるでナシ…
ロード・サービスを呼ぶことにしました。
もちろん東京海上のロード・アシストです。
JAFと違って登録されている近くの修理業者が故障内容に合わせて来てくれるのです。
ケータイから0120-119-110に電話して自分のクルマのナンバーを言えば
契約内容が確認され、後は故障の内容と場所を報告すればOKです。
これまでも何度かお世話になっています(^_^;)

30分ほどしてロード・アシストのお兄ちゃんがやってきました。
やっぱりココでは修理出来ないという事で、クルマを購入した新百合ヶ丘のネッツ・トヨタまで
運んでもらうことになりました。
ネッツトヨタで見てもらうとファンモーターの故障が原因のオバーヒートで
まず、それを取り替えなくてはならないのと、
もうひとつブレーキ・オイルが漏れていてブレーキ・マスタ・シリンダを取替えないと
とても危険なので、しばらクルマを預からして欲しいというのです。

なんせ8年で26万キロ近くも走っているクルマです(^_^;)
それだけ走っているという事は、
それだけ私の必需品で”しばらくも”預けるわけにいかないのです。
その事を主張すると
「わかりました、ブレーキ箇所の修理を終えないでおクルマをお渡しする事は出来ないのですが
お客様の強いご要望ということで、まずファンモーターの修理が出来たら一旦おクルマをお返して
ブレーキ関連の部品が届いたら、またおクルマをお預かりするという事で…」
という事になりました。

この日が金曜日(10月24日)でした。
ファンモーターの部品が届いて修理をするのが10月29日で、
その日に一旦クルマを返してもらい
次にブレーキ関連の部品が届くのが11月16日頃(遅くとも)なので
確定したら連絡をしてくれるというのです。

5日間もクルマが使えない!
何で一度で済まないのか!…と不満もありましたがノムしかありません。

11月6日、この日はスケジュールも空けて待っていたのにネッツトヨタから何の連絡もありません。
シビレを切らして電話をするとマダ部品が届いていないというのです。
では何時になるのか?と聞くと、
「明後日頃には届くと思いますが修理の日程が詰まっていて…」

私はキレていました。(^_^;)

「部品が遅れて届いたなら、それを優先するのが常識なのに修理日程が詰まっているとはどういうことだ!」
「客の自己責任と言っても、ブレーキ修理をしないクルマをいつまで運転させる気か!」

このディーラーからはこれまで新車で4台も購入してきたのです。
ま~今のクルマは経済的諸事情でノリツブシ状態ですが(^_^;)

それにしても江戸時代でもあるまいし
部品が届くのになんで18日もかかるのでしょうか(^_^;)

2008年11月10日251号 紅葉の蕎麦ツアー

またまたラテ研ネタです(^_^;)
9日(日曜日)これも2年ぶりに奥秩父に蕎麦を食べに行きました。
2年前は奥秩父に蕎麦を食べに行った2週間後にラテ研の総会があったのですが
今年は総会の2週間後に奥秩父に蕎麦を食べに行ったのです。
なにもこの二つがセットになっているわけではありませんが
イキオイというのもあるようです。

2週間前の総会でのイキオイで来ちゃったヒトもいるのではないでしょうか。
今回はYUKIとヒロコと我が家は3人での参加でしたが、
コレも昨年のラテ研の香港旅行に家族参加したというイキオイがあったことはたしかです。
そういえば香港旅行に首都圏から参加したメンバーは今回も全員参加しました。
それにプラス、イシウチくんの奥さんが初参加でしたが
我が家が家族で参加するという情報から奥さんも参加する気になられたようです。
それに同期のフルヤの奥さんも今回、参加することになりました。
これは笑っちゃうのですが…
フルヤが以前私に「ウチの奥さんが奥秩父の蕎麦屋に今度連れていけって言うんだ」
と言っていたので今回は一緒に来るもんだと思っていので確認の電話を入れたら、
フルヤがなんだかんだと、はっきりしない事を言うのです。
私がムリに薦める理由は無いので「ハッキリしたら幹事に電話してくれ」と電話を切ると
10分もしないうちにフルヤから電話があって「ヨメさんと代わるから」と言って
奥さんのミドリさんが
「スミクラさんとこはご家族で参加されるのですよね、
だったたフルヤが参加しなくても私は参加しますから」と笑いながら言うのです(^_^;)

…てなわけで過去4回の蕎麦ツアーで10名を越したことが無のに
今回は総勢22名の大ツアーになってしっまたのです。

気の毒なのはスローフーズをもっとうにマイペースで
蕎麦屋の店主をやっている2年後輩のクロサワくんです。
それでなくても秋の行楽シーズンのピーク時に迷惑がられたことでしょうが
ありがたい事に貸切になったのです。

我が家を午前7時前に出発しバスや電車を乗り継いで         
11時過ぎに現地に到着。 ① 
ほんとうはバス停から20分ほど歩く予定だったのが幸か不幸かソバ屋のソバまで(^_^;)
バスが行ってくれたのです。

クロサワくんの挨拶があって、
乾杯
クロサワくんはのんびり飲んではおられません、なんてったって一人でやっているのですから
紅葉古民家の素晴らしい風景!
美味しいお酒と素朴だけで新鮮な素材を七輪であぶって食べるのもなかなかのもので、
どんどん盛り上がっていきます。
今回、後輩のエル・サルバドル人の奥さんと4歳のショウ君も参加。
最初は2人とも緊張気味だったのですが、
怪しい?スペイン語が平気で飛びだす環境の中(もちろん完璧な方も大勢いますが)
だんだん打ち解けて、最後はもう絶好調のようでした(^_^;)
シュー君も会長をはじめ誰にで馴染んでとても楽しかったようです。     

古民家の囲炉裏を囲んで食べる蕎麦にも誰も大満足で   
時間を忘れるほどのひと時で
YUKIヒロコも満足して頂けたようです。

ほんとうにお疲れさまでした。