2008年11月3日250号 ふだんの白根さん?

ここのところYUKIはとても忙しいようです。
ほとんど24時間一緒にいるYUKIに対して『忙しいようです』と言うのはちょっとヘンですが
最近YUKIは私に対して「KENはヒマそうでいいわよね」とよく言うのです。
ま~忙しくてたまらいという事はないのですが
私は私なりになんやかやとそれなりにやることはあるのです。(^_^;)

たしかに、これもヘンなハナシですが、
保険会社は商品や業務を簡素化をすると言って”抜本計画”を進行中ですが
実際にはどんどん複雑化しているようです。
書類にマルがひとつ漏れてるだけで複雑な内容のFAXが何枚も送られて来て
それに複雑な訂正を入れてた返事をFAXで送ると、それに不備があるとまた数枚のFAXが来て…と
紙をやたらに使わされるため、
その紙が無くなったと探しまわり~なにかと忙しいようなのです(^_^;)

そんなわけで、いつもYUKIと二人で行っているアカラックスのセミナーですが
今回はYUKIは多忙のため二次会から顔を出すということで、一人で出かけることになりました。

今回の講師は週間『保険情報』編集発行人で(株)保険社の社長でもある白根毅之助氏。
なんて書くと私にはしっくりこないアカラックスでの飲み仲間です(^_^;)
テーマは『小額短期保険会社の現場から』
白根さんが『保険情報』の連載記事として取材を続けてきたテーマです。
とても丁寧な口調でトーンも低く講演がはじまり”ふだんの白根さん”らしくないのです。
いや私が知っているのはお酒の入っている白根さんですから
ひょとしたらコレが”ふだんの白根さん”なのかもしれません。
しかし内容が豊富すぎて時間が押してきたら
”ふだんの白根さん?”のべらんめい口調も出て本調子になったところでタイム・アウト
セミナーは終了し二次会の居酒屋で乾杯です!     

そして居酒屋から数分歩いて
由緒ある建物のアカラックス・オフィスでの三次会です。
今回はいつも我が家から持参する宮崎の焼酎を切らしてしまい、
角倉家御用達のタイカレー店イムエム自家製のパウンドケーキ。
ヒロコの中国四川省のお土産の熊猫(パンダ)チョコ。
それに先日我われが長野でもぎとってきたリンゴ…3点です。
時節柄中国産のチョコはどうかな、との心配もどこふく風でキレイに無くなりました(^_^;)

YUKIは結局、銀行にも支社にもいけないほど忙しいかったようで
我が家から直行で7時過ぎに到着!
でもアカラックスにくれば、とてもリラックスしてしまうYUKIなのです。
『超保険解体新書』の著者でもあるinswatch代表の長さんとも歓談することが出来、
すっかり私の知っている”ふだんの白根さん”に戻った本日の主役とJR神田駅で別れました
白根さん、ほんとうにお疲れさまでした(^_^;)
   

2008年10月27日249号 2年ぶりのOB総会

25日(土)我が拓殖大学ラテン・アメリカ研究会の0B会の総会が2年ぶりで行われました。
ま~総会といっても、そんなに大袈裟なものでなく集まるのも全OB会員の1割にも満たない
首都圏に在住する、いつもの顔馴染みメンバーにプラス・アルファーが集まる程度です。
かく言う私も、ここ数年OB会役員の方達と秩父に蕎麦を食べにいったり、
OB会の香港旅行に家族で参加したりで、
だんだん深みにハマッて馴染みのメンバーに加わってしまったケハイです(^_^;)

総会はいつものように役員選出に新たに名乗りを上げる者など出るはずもなく
全員沈黙を守り、長年会長を務められているセトグチ先輩の強い辞意の意思も叶わず
現役員がそのまま新役員として大きな拍手の中、無事選任されました(^_^;)

面白かったのはラテン・アメリカ研究会の通称を『ラ研』とか『ラテ研』とか言っているけど
今後は『ラ研』で統一するという議題が出てこれも反対なく認められました。
発端は昨年OB会メンバーのアルゼンチン旅行で現地在住のナカツカサ先輩との酒席で
大先輩の「私の時代には『ラ研』と言っていた」との一言で今後は『ラ研』で統一と決まったというのです。
ところがその後の報告や挨拶で各役員たちが続けて『ラテ研』を連発、最後には全員大爆笑!…
結局
「アレは遙かアルゼンチンの酒席での成り行きで、どちらでも良い事にしましょう」という
とてもラテン的決着になってしまったのです(^_^;)

懇親会は総会会場(日本橋・ね利彦ビル)のすぐ隣に設けられた部屋での立食形式。
まずは全員で記念写真をとったあと…歓談 
各自のスピーチがとても楽しくデジカメのビデオ・モードで撮影をしていたら
メモリーが無くなってしまいました。(動画から)       
懇親会の〆は…同輩のアダチによる恒例の拓大・押忍(おす)三唱!(^_^;)

もちろん、これで収まるワケはなく三次会は東京駅近くの居酒屋で。     
香港にご一緒したキムラ先輩は茨城県の笠間にログハウス付100坪の農地を年40万円で
借りて農業に励んでおられるようで、夏そこを訪ねたイシイ先輩とハナシが盛り上がっていました。
私も是非こんど訪問させてもらおうと思っています。
三次会の〆は…これも拓大名物・勝チマス踊り(^_^;)
どうしてこうも〆ごとになんやかやとあるのかと昔は思ったこともありましたが…
これも伝統、これはこれでけっこう楽しいものです。

2008年10月20日248号 光ファイバー

95年に【WINDOWS95】が発売されパソコンがイッキに普及していくわけですが
我が家ではじめてパソコンを購入したのは翌96年でした。
その時購入したIBMアプティバは30万円ほどして
ハードディスクは【大容量1.6ギガ】とパンフレットに大きく載っていました。
購入して数ヶ月はインターネットなんてものがあることすら知らず
ワープロからデータを写したり、エクセルばかりやっていました。

代理店仲間の友人がパソコンを購入したならメールをやらなければと勧められ
電話回線をつないで始めましたが、まだまだメールをする相手もいませんでした。
中学生だったヒロコはイギリスのアイドルグループ【TAKE THAT】の大ファンで
インターネットから彼らのポスターを数時間もかけてパソコンの画面に取り入れた時は
ヒロコはもちろん私もYUKIも3人で感激したものです。
でもインターネットが繋がっている時は電話代も同時にかかっているので、
とてもこんな趣味は持てないと思いました。

その後インターネットの回線はISDNに、
それからADSLになって
そして我が家にも念願の光ファイバーが入ったのです!
なんで今頃?
なんて思われる方もおられるかも知れませんが、
高齢者の多い我がマンションでは、そのような需要が少なかったのです。

17日(金曜日)、我が家に光ファイバーの回線工事とパソコンのセットアップを
してもらう日がやってきました。
インターネットのソフト面、すなわち社会的効用については、うるさい私ですが(^_^;)
インターネットのハード面にはまったくヨワイ私ですので、
工事の人に色々な質問をしようと楽しみにしていたのですが
急用が入ってしまい出かけることになってしまいました。

夕方、戻ってくるとまだ電話工事のクルマが止まっていました。
ちょうど工事が終りNTTの人は帰るところで、簡単な説明は受けたのですが
こんなものは使ってからでないとほとんど判らないものなのです。(^_^;)

自分のパソコンでロコハウスのホームページを開けてみると
スパスパと気持ちよく画面を変えていけます。
よく固まっていた動画サイトも好調です。
イギリスのアイドルの静止画像を数時間かけて取り込んで感激した12年前がウソのように
動画を含む鮮明な画像を世界の中から素早く選び出しすことが出来るのです。
それも、ほとんどお金をかけずに。

自分の見たいものを選び出される時代になったのです。

そしてホームページを持つものにとっても
これからは動画をはじめ色々なコンテンツを使っての情報発信が出来るように
なるので、とても楽しみです。

エラソウな事は言っも…
光ファイバーがどんなものなのか?
どんな事が可能なのか?
何にどのくらいのお金がかかるのか?
ほとんど判っておりません(^_^;)

これからまたYUKIと
アーでもない!コーでもない!とわめきあいながら
やっていくしかありません(^_^;)

2008年10月13日247号 稲刈り

稲刈りに行ってきました。
生まれたはじめて田植えをしたのが5月30日でした。
私の誕生日の7月12日には田んぼの草取りをして、その田んぼで蛍の鑑賞をしました。
そして我われが植えた苗が見事に実ったのです。

なんて…偉そうな事を言っていますが(^_^;)
ま~サワリのとこだけ数時間やって米を作ったような事を言ったら
農家の方にしか叱られてしまいます。
でも、そのサワリだけでも一通り経験させて頂いたことにとても感謝するのと、
この体験を通して自然農業の重要性と楽しさ
そして色々な方と交友を深めること出来たことは
何事にも変えられないほどの喜びでもありました。
こういった経験をこれからも出来る限り続けさせて頂こうと思っています。

さて
現地に到着するまでは天気をま~ま~でしたが
クルマが山道をのぼり定宿の【なべくら高原森に家】に到着した時は
ドシャブリ状態です。
12時からメンバーが集合し…
「普通の農家ならこんな日は稲刈りをしないのが常識なのですが
この会は、そうは言ってられないので雨天決行いたします!」という事で
地元の食材で作った昼食をとったあと、
雨の中田んぼに向かいます!
田んぼには稲穂たちがたっぷりと実をツケてコウベを垂れ私たちを待っていてくれました。
まず田植え初心者の私たちに地元の農家の人から稲刈りの手順、
特に刈り取った稲尾をワラで束ねる方法を指導して頂きます。

そしていよいよ稲刈りの開始です!
ま~稲を刈る事はそれほど問題は無いのですが…
やっぱり稲を束ねるのは我われ初心者にはタイヘンなのです(^_^;)   
悪戦苦闘がんばってタイムオーバー!    
実は雨天でむりやり全作業をやってしまうと後の処理が大変なため
田んぼの四隅だけをキレイに刈り取る、というのが雨天バージョンだったのです。
それでも、田植え初心者の我われにはかなりの重労働でした(^_^;)

恒例のティータイムも楽しく
田植え初体験は無事終了しました(^_^;)

そして一旦、宿に戻ってからバスで恒例の温泉(湯滝温泉)で一風呂あびて
飯山の公民館で地元の農家の人たちの手料理と地酒で懇親会です。   

恒例の自己紹介が回ってきました。
「田植えはYUKIと二人で参加!
草取りはプラス、ヒロコとボーイフレンドのヒロシ君の4人で参加!
そして今回は我われ夫婦とムスメのヒロコの3人で参加ですが…」
とそこまで私が言って、ヒロコにいきなりマイクを私ました(^_^;)
ヒロコは私のマイクを受け取って
「いや彼にフラれたわけじゃありません、彼はどうしても仕事があって稲刈りには
参加出来なかったのですが、仕事を終え今こちらに向かっています!」
と言って、なぜか大きな拍手を頂きました(^_^;)

大いに盛り上がった懇親会を終え  
バスに乗り込んだのですが、なかなかバスが発進しません、
どうしたのかな?と思っていたら、
「誰か靴をまちがって履かれておられる方はいませんか?」
とバスの乗客に向かって大きな声でたずねられました。
私は一瞬イヤな予感がして足元を見ると見慣れない靴です(^_^;)
実は宿からバスに乗るとき新しい靴を始めて履いて出かけたのです。
ま~そんな事は言い訳にはなりません。
YUKIとヒロコに物凄く冷たい目で見られる中、バスから駆け足で
公民館の下駄箱に到着すると私の新品の靴はちゃんと置いてありました(^_^;)

これも恒例の宿【なべくら高原森に家】での二次会も楽しんだあと   
ヒロシ君も到着、それからまた三次会を我が家でやって
田植えの一日は終りました。

2008年10月06日246号 キムラ家の結婚式

日曜日(5日)
ヒロコの友だちのキムラさんの結婚式・披露宴に3人で行ってきました。
ヒロコの友だちの結婚式に何で我が家が揃って招待されたかと言えば
家族ぐるみでのお付き合いをさせて頂だいているからです。

キムラ家とのお付き合いは、我が家が今のマンションに越してきた時からです。
私がこのマンションのキーを貰ってすぐ、とりあえず簡単に荷物をクルマから運び入れている時に
マンションの住人らしき婦人に私が会釈をしたら、いろいろと話しかけてこられました。
婦人「お子様はいらしゃるの?」
私「ハイ小学5年生が一人」
婦人「あらウチは3人兄妹だけど小学5年生がいるのよ、女の子?男の子?」
私「女の子です」
婦人「あらウチも女の子よ!名前は?」
私「ヒロコと申します」
婦人「あらウチもヒロコよ!どんな字を書くの?」
私「糸ヘンにカタカナのナとムと書く紘子です。」
婦人「あらウチのヒロコもその紘子ヨ!」…
てなグアイで同じマンションに小学5年生の紘子が二人いることになり
キムラ家とのお付き合いが始まりました。

キムラ家と言っても木村家のご主人はアラビア石油の方でサウジアラビアに単身赴任中。
ご主人不在中は極力外食をする方針?だったようで、我が家もよくお付き合いをしました(^_^;)
もちろんご主人が帰国中は食事はちゃんと作っていたようで、
我が家でご主人を交えて食事会を開いたこともあります。

その後キムラ家は、このマンションから数キロはなれた一軒家に引越ししましたが
自動車保険や生命保険にもご加入頂いたり(^_^;)
キムラ夫人はYUKIには無いダイナミックさと豪快なパワーの持ち主で
ウチのヒロコのバーベキューには欠かせないメンバーで
ヒロコは”第二の母”と呼んでいるぐらい楽しくいお付き合いが続いているのです。

そのキムラヒロコちゃんの結婚式です。

式の後、地下1階に下りてくださいといわれ、そこが披露宴会場かと思ってついていったら
写真スタジオで記念写真を撮るようです。
私たちは縁戚関係は無いので一番後ろの列に並びました。
でも、よく見てみると、縁戚関係の無いのは私たちだけのようなのです。
スタジオのスタッフが手際よく、ひな壇に並んだ人たちの位置を細かく習性し、
撮影に入ろうとしています。
いまさらココから私たち3人が抜けるのも度胸がいりますが、
このまま写ってしまうのも度胸がいります(^_^;)
YUKIが隣の男性に事情を話しているようですが、
その男性は「いいんじゃないですか?」と笑いながら言っています。
もうこうなったら笑って写るしか無いと、冷や汗をかきながらニッコリと笑いました。

壇上から降りてキムラ氏にそのことを告げると、
「いいんじゃないですか、親戚みたいなもんだから」と言って頂きました。

披露宴は仲人も立てず、来賓の儀礼的な挨拶もなく、
とてもフラットで楽しくシャレたものでした。      

最後の新婦ヒロコちゃんの挨拶
とてもマイペースでクールなヒロコちゃんとは思えない
アツイ感謝の気持ちを涙ぐみながら両親に伝えたのには、
私もYUKIもヒロコも泣いてしまいました。
もちろんキムラ夫妻も…。

新婦ヒロコちゃんの妹のタエコちゃんの披露宴はヒロコが司会したのですが、
そのタエコちゃんも妊娠9ヶ月
キムラさん!本当におめでとうございます!
そして楽しい結婚式・披露宴にお招き頂き、ありがとうございました。

2008年09月29日245号 駐車場物語

このマンションに越して来て駐車場が6回変わりました。
そして今、最も我が家から離れている…いや距離的にはそれほどでもないのですが
階段にすると100段以上も下にある狭い駐車場にクルマを置いています。
「運動になって健康のためにはいいじゃないか?」
ま~私もそのつもりでプラス思考で考えているのですが
仕事はもとよりヒロコの駅までの送り迎えやYUKIとの日常の買い物など、
一日に何度もクルマを利用する私にとって、そのつど階段100段はツライものです。
「それでも…健康のためにはいいじゃないか?」
もちろん私もそのつもりで頑張っているのですが(^_^;)

そもそもの問題は19世帯の分譲マンションなのに駐車スペースが2台しかないということです。
しかも1台分は、このマンションの最上階(6階)ワンフロアを全部使った当時億ション(今3分の1以下^_^;)
の専用になっていて
残り1台分の駐車スペースを住人が抽選で使用するという狭き門です。

なんでそんなマンションを買ったか?ま~いろいろな理由がありました。
その背景について触れている私のブログです。(^_^;)

駐車場に関していえば、その当時は回りは畑や空き地だらけで駐車場はいくらでもあったのです。
マンション前の道路には『駐車禁止』の道路標示はなく
たぬきのイラストが書かれた『動物注意』の道路標示があったくらいなのですから。

でも、その後は駐車場が次々にマンションや宅地になっていきました。
こんなバス便しかない不便な山の上の土地に住宅など建てなくても、と思うのですが…
どんどん駐車場は減って住民が増えていくので駐車場がますます不足していくのです。
また近くに聖マリアンナ病院とその医大があるため
学生や医師たちがクルマ(ほとんど高給外車)で駐車場不に拍車がかかります。
これだけ見ればバブルのようにも思われますが、
マンションの値段は下がる一方なのに駐車場だけが常に不足しているのです。

マンションから100段下の駐車場を借りたのは8月からです。
実は7月下旬、
不動産屋から今月で駐車場を閉めるから出ていってくれとの電話があったとYUKIが
帰宅した私に告げました。
「いくらなんでも、いきなりは無いだろう」と私は怒りを覚えて不動産屋に電話をしました。
不動産屋は「いきなりでは無い今月初めに葉書で案内を出している!」と高飛車に反論するのです。
その葉書を見ていなかったのは私の不注意ですが、それでも1ヶ月足らずの猶予しかないのは
ズイブンな話しです。
現実問題、数日で新しい駐車場を探すことは困難だから不動産屋で代替の駐車場を紹介できないか?
といくらつめ寄っても、「葉書を見なかったアナタが悪いのだから今月中に出ていけ!」の
一点張りで最後はお互いケンカ口調になってしまいました。
そしてマンションから遙か下の公道に面した、
しかも駐車するには少々やっかいな狭い駐車場になってしまったのです。

それまで借りていた駐車場にあった民家が取り壊され新たに大きな建物が建つと思っていたら、
なんとフラットになった駐車場跡地がすべてアスファルトで整地され、
その上に白い線で駐車スペースが新たに引かれているです。
そのことを私が不動産に問い合わせると、またケンカになるかもしれないので
YUKIに電話で確認して欲しいと頼みました。
でもYUKIもいろいろ急がしかったようで「そんなに言うならKENが電話したら!」と言われ(^_^;)
結局、私が不動産屋に直接問い合わせることになりました。
電話に出たのは「今月中に出ていけ!」と言ってケンカ?になった相手です。
私の声を相手も察知したようで最初から「もうすべて予約で埋まってしまいました」と冷たい返事です。
「だったらなぜ?駐車場を閉鎖する時に、再開する事を知らさなかったのか!」と詰め寄ると
「何でソコまでアナタに知らせなければならないのか?」とまったく理不尽な事を云うので
またもやケンカになってしまい、不動産屋の方からガチャンと電話を切られてしまいました。
私もカッカして「だから電話してとYUKIに言ったのに!」と八つ当たりしても後の祭りです(^_^;)

…というわけで遙か階下の駐車場を使うしかありません。
ヒロコは前に進む運転はとても上手なのですが、バックや車庫入れがまったく苦手で
狭くて縁石ギリギリに駐車しなければならない今度の駐車場には近づこうともしません。

したがって毎日、いや1日に何度も100段の階段を私は上り下りをしています。
タダで、こんなエクササイズが出来ることを感謝しつつ
一段一段を噛みしめて健康管理?に励むしかありません(^_^;)

2008年09月22日244号 日本の医療を考える

なんだかとても硬いタイトルになりましたが(^_^:)
【アカラックスのセミナー】同様、毎月開催される【日本の医療制度を守る市民の会】の
セミナーに参加するようになり
必然的に「日本の医療を考える」ようになってしまったのです(^_^;)

なぜ?そのような会に参加するようになったか?といえば
たまたまアカラックスに顔を出した時に、
FPの内藤真弓さんとライターの早川幸子さんが来られていて
【日本の医療制度を守る市民の会】を立ち上げたというのです。
毎月1回、ゲスト・スピーカーの講演を中野サンプラザで開催し、
終了後は懇親会も開いているので是非参加して欲しいと誘われたのです。
二人の美女から、そう誘われて断るわけにもいきませんし(^_^;)
アカラックス・セミナーもそうですが、セミナーの後の懇親会というのは、
ホンネでバカな質問が出来たり人柄も伝わってとても楽しいものです。

ま~そんなわけで今月も17日(水)、YUKIと中野サンプラザに出かけました。
今回のテーマは【医療事故から学ぶ「医療の質」とは何か?】
ゲスト・スピーカーは愛育病院の医療安全管理室部長の加部一彦医師です。
医療事故といえば、古くは【白い巨搭】から
福島県立大野病院での妊婦死亡事故の裁判が記憶に新しいですが
加部医師がどのようなスタンスで語られるか興味がありました。

壇上に上がった加部医師はドクターというよりNHKの松本アナウンサーのような(^_^;)
人の良さそうな人物で、ボツボツとゆっくりしゃべる内容に
優しさの中に強い信念を感じて好感を持って聞くことが出しました。

医療事故の被害者は賠償金よりも真実を知りたがっている。
まず、その事を正直にディスクローズして被害者に”納得”してもらうことだ…
というのが加部医師の基本的考えのようです。

私がこのセミナーで一番印象の残った言葉は、会場からの質問で
「そのような活動をやっていて、内部からの圧力があるのでは?」
というものに対して、
「あとで考えればアレが圧力だったのかな?と思うことは時々ありますが、
まー私はもともと窓際ですし…」 と答えたものです。(^_^;)
このような一見、鈍(どん)で欲の無いような人が、
実はとても強いパワーを持っているのだなと、心が熱くなりました。

懇親会には生後38日で乳児が突然死した若い夫婦が私たちの隣に座りました。
加部医師の本を読んで感動し、今回のセミナーをインターネットで知って
栃木県からクルマで駆けつけたというのです。

人間は生きていること自身がリスクであるという認識を持つことが大切で
そのリスクを転嫁することばかり考えているとギスギスした社会になってしまう…
というのが保険屋にあるまじき私やYUKIの考えなのですが(^_^;)
この若い夫妻の
「賠償金が欲しいのではない!”真実”をしって”納得”をしなければ
私たちは前に進むことが出来ないのです!」
その重い言葉には誰もが心を揺さぶられたようです。

土曜日(20日)テレビを見ていたら…
前回の7月のセミナーのゲストだった色平医師がテレビに映っています。
YUKIを慌ててテレビの前に呼んで一緒に見ていると、その時の懇親会で私たちの隣に座った
東大医学部6年生で地域医療に関心を持っていた青年も出てきました。
NHK総合の【にっぽんの現場】の【村へ来たれ医学生~長野・診療所の夏~】というドキュメントです。
毎年夏になると長野県の寒村に地域医療を体験するため医大生がやってきて
実際の現場から医師としての進路を模索するわけですが
実際に医大を卒業して地域医療に入ってくる人はほんの一握りと色平医師は嘆きます。

番組の最後に
私に長野の地域医療を熱く語ってくれた青年から色平医師に届いたメールが映し出されます。
そこには「都内の病院で最新医療を勉強し力をつけてから地域医療をやりたい…」
といったような事が書かれていて色平医師の寂しそうな表情が印象的です。

東大を中退し世界を放浪し、そこから地域医療をやりたいとの気持ちで医師になった
色平医師とは、やっぱり違うのでしょうか、私まで寂しい気持ちになりました。

しかし加部医師や色平医師のような医師がいることを知ることが出来て
まだまだ日本の医療も捨てたものでないと思っています。(^_^;)

2008年09月15日243号 トニーの家

多摩川でのバーべキューはゲリラ豪雨
ズブ濡れになりながら皆で後片付けをしました。
なんせドシャブリの中での作業でしたから,
食料関係は私のクルマに
その他はトニーの大きなワンボックス・カーに積めこんだのです。

この連休、ヒロコの親友に
バーベキュー・セットを貸すことになっていたので
ソレをトニーの家から持ち帰れるため3人で出かけました。
こんな事に我が家の3人が揃って行くのもなんですが
これが好奇心旺盛な我が家の行動パターンなのです。(^_^;)

トニーはヒロコの大学時代(TUJ)からの友人です。
大学のイベントにも私とYUKIはコマ目に参加していて(^_^;)
トニーは私たちにいつも親しく語りかけてくれました。
最初は先生か職員と思っていたのが生徒だったのには驚きました。
トニーは仕事をしながら大学に7年間通って卒業しました。
在学中に結婚して、産まれたばかりの長男アントニオも学校で見せてもらいました。
そのアントニオも5歳になって今回のバーベキューに参加!
3歳の長女テラちゃんもとてもキュートで    
私の好きなユージン・スミスの写真を連想するような可愛い兄妹です。

この日は
アントニオは保育園のお泊り保育で不在。
次男のアレックスは初対面で最初はちょっとテレていました。
もちろんテラは私たちのことはよく覚えていました。
何より驚いたのはトニーの家です!
もうとっくに引っ越したと思っていたのに、どう見ても建設中です(^_^;)
中古住宅を購入したのは知っていましたが、内装や配線は全部自分がヤルと言って
木の骨組みだけがムキだしになって住める状態ではありません。  
奥様のヒロミさんは引っ越が出来ずに家計が大変だと嘆いていました。

でもトニーは昔からそんな性格で、結婚したときも、アントニオが誕生した時も…
ほんとうにやっていけるのかな?とみんなで心配したものですが(^_^;)
子どもが3人も産まれて、広い庭の大きな家も購入し、
客観的に見る限りは頑張っているようです。

トニーの仕事はナンだかよく判らないのですが
基本的には外国人相手の便利屋さんのような仕事をしているようで、
したっがて自分の家の内装や外装それに配線や配管なんてお手のものです。
でも何時完成するのか?ヒロミさんはイライラ、
トニーはルンルンで
「だったら庭にテントを張って住もうよ」といたって楽しそうです。

ブロックの塀は完全に取り払い
2階建ての建設中?の家と
何も無い芝生を敷き詰めた広い庭はオープンそのものです。
そんなところで年中トンテンカンと工事をされたのでは
近所迷惑になるかもしれません。
しかしトニーに限ってはそんな心配のいらないようです。

前の家でもトニーはホームパーティーをよく開いていました。
そこには近所の人も次から次にやってきて、
それだけでもトニーがいかに町内の人気者かが判るのです。

ココでも塀の取り払った広い芝生に近所の人が気軽に立ち寄るようになって、
ヘンなアメリカ人と、その子どものアントニオやテラやアレックスは
町内の人気者になることはほぼ間違いないでしょう(^_^;)    

2008年09月08日242号 バーベキュとーゲリラ豪雨

今年は全国でゲリラ豪雨が猛威をふるっているようです。
でも7日(日曜日)、毎年恒例になった多摩川河川敷でのヒロコのバーベキューは
てるてる坊主の効用があったのか真夏のような35度の晴天の中で始まりました。

今回は河川敷内の駐車場にクルマを入れることが出来て、
荷物の運搬もパワフルなメンンバーが一気に運んでくれて好調なスタートです。  

今回はヒロコのボーイ・フレンドのヒロシ君も初参加で…
徹夜明けにも係わらず出先の茨城からかけつけてきました。
来るなり足りなくなった氷を買ってきたり、焼きそばを作ったり大活躍です。
また5歳のY君とも意気投合?川に入っておおはしゃぎ!
ここまで無邪気になれるのがヒロシ君の特徴のようで   
ケータイがポケットに入っている事も忘れていたようです(^_^;)

トニーも2人の子どもと凧上げを楽しんでいましたが
このヘンから空の様子が怪しくなってきました。

このような状況がある事は今回は予想していて
屋根つきの大きなテントを4つ、設置場所は橋の下に近いところで
雨や豪雨に備えて二重の対策をとっていたのです。
だんだんあたりは暗くなり豪雨の可能性も出てきたので
テントの四隅をみんなで持って橋の下まで、持っていきます。
ここで時間も夕刻になって天候状況も厳しいのでヒロコは一応の終了を宣言します。 ①
でも落雷と雨脚は強くなる一方で橋の隙間からも瀧のように水が落ちてきて
テントの中にいてもずぶ濡れになってしまいます。

このまま橋の下のテントの中で身動きせず雨が止むのを待っていて、
多摩川が増水し我われが流されたら大きなニュースになりそうです。
そこまで行かなくても
増水して激しく流れる多摩川で数十人がテントの中で小さく固まって
救助をまつ姿が『ユーチューブ』で流されたら笑いものになるだけです。(^_^;)

そこで全員、玉砕じゃないズブヌレ覚悟でテントや荷物を持って駐車場まで行くことにしました。
もうここまで濡れてしまえば、開き直って実に爽快な気分になるから不思議です(^_^;)
もう大変なもりあがりで記念すべきバーベキューになりました!  ②  

ところでヒロシ君は昼過ぎにココに来るなり、いろいろと活躍をしてくれて
そろそろ食べようと思ったら雨が降り出してこんな騒ぎになってしまい
結局何も食べていないというのです(^_^;)
とりあえず私のマンションまでクルマで行って着替えをして…という事になったのです。
でも大変な量の食材が余っているのです。
多摩川の近くのフルタさんのマンションに何人かが集まっているという情報があったので
「残った食材を持って今から4人で押し掛けて良いか?」と
ヒロコが電話をしてOKがとれたので
早速訪問!ヒロシ君はやった食事にありつけたようです(^_^;)
そしてヒロシ君を日吉のアパートまで送り届けた時は
ヒロシ君もヒロコも疲れきって完全に寝てしまって、
なかなか起きませんでした。

P.S.
この後…
ヒロコは明日(月曜日)新潟取材の出張のための機材を麻布まで取りにいき
(と言っての私が運転しヒロコはまた寝ていました、が)
我が家の3人は午前様で帰宅、
ヒロコは午前8時の東北新幹線に乗るため早々と就寝。
かなり重くて大きな撮影機材を持っていくため
私が東京駅までヒロコを送る約束をしてしまっております、
そしれ、まもなくヒロコが起きてくる時間に迫ろうとしています(^_^;)

2008年09月01日241号 雨の銀座

30日土曜日は久々に生命保険の相談にYUKIと都内(巣鴨)のAさん宅に出かけました。
(YUKIと一緒は久々ではありませんが^_^;)
ここ1年あまりネットの保険サイト(保険選びネット等)のカキコミをあまりしておらず
そこからくるメール相談が少ない分、一時のように地方のお客様のところに行く回数は減っています。
しかし既存のお客様が私のブログやホームページを見て下さっていて
私の生命保険に対するスタンスや考えに共鳴して頂き、
見直しの相談を受けることが多くなってきており、とても嬉しく思っているのです。

Aさん宅を午後5時頃あとにしてクルマは私の好きな銀座へと向いました。
銀座松屋の催事場でやっている【デザイン物産展ニッポン】を見にいくためです。
ま~これもいつものことで、この催事に特別興味があるということではなく9月1日までの
チケットがあるので、それなら見に行こうとなったのです。
…といってもチケットは1枚(もう1枚はヒロコが持っている)で、
一枚は会場で800円出して購入しました。
我が家の場合チケットを1枚でももらうと、「せっかくだから!」とあとはお金を出してでも行ってしまうという、
ケチなのか?太っ腹なのか?よく判らない習性があるのです(^_^;)

実はこの物産展に出品されている商品の解説を英語に訳すアルバイトをヒロコがしたらしく
その関係でチケットを2枚もらっていたようなのです。
でも、どこにも英文での解説は目に入らず「酷い訳でボツにでもなったのだろう」なんて言いながら
会場を回りました。
会場は四角い白い同じ大きさのテーブルが47個すなわち都道府県分が整然と並べられ
その上に、その都道府県から厳選された5品目の商品が置かれているという
シンプルにして、とても判りやすく、とても興味深いものでした。
ヒロコも1時間ほど後にやってきて、自分の訳した英文はお客様に無料で貸し付ける
解説用のiPodの中に使われていたようです。  

その後、
ヒロコのボーイ・フレンドのヒロシ君が銀座の行きつけの美容院で髪を切っているとの事で
それならば髪を切ったヒロシ君も見たいものだし、一緒に食事をしようと言う事になったのです。

私とYUKIは路上に駐車したクルマの中で、ヒロシ君と彼を呼びに行ったヒロコを待つ事にしました。
途中ヒロコから「あと1時間ほどかかりそうだけど大丈夫?」との電話が入り
こちらも急ぐ用があるわけでなく「ごゆっくり!」と言って、雨の銀座の夜景をみながら
車中でのんびりと本を読んだりするのも悪くありません(^_^;)

そして髪を切ったヒロシ君とヒロコがやってきました。
当初予定していたレストランが10時で閉店ということで、
彼らが近くに手ごろなイタリアン料理店をみつけたようで、ソコに行くことにしました。
それにしてもココのところなんでこんなに雨が降るのでしょうか(^_^;)    

時間は午後10時近く、やっと食事にありつけそうです。
YUKIと一緒の時はこのパターンが多いのですが、
この日も朝食を食べてからこの時間までまともな食事をしていないのです。(^_^;)
もちろん、その前にビールという事ですがクルマで来ている以上、私かヒロコのどっちかは
飲むわけにはいきません。
通常はジャンケンになるのですが、オヤシラズの抜歯手術をやったばかりのヒロコには
アルコールは身体に悪いという事を私は優しい”親心”から提言して…乾杯です(^_^;)
私がビールを頂く事にして3杯ものんじゃいました。
食事もデザートもとても美味しく、アットホームなお店でとても満足して
雨の銀座を後にしてヒロコの運転でヒロシ君の住んでいる日吉経由で我が家に帰りました。

ちなみに髪を切ったというヒロシ君、それでも4人の中では一番長く
みんなで見にこられ少し恥ずかしそうでした(^_^;)
また私はイタリア料理店でヒロシ君が遠慮してはいけないと(ホントは空腹だったので)
積極的にガツガツと食べてしまいヒロシ君はかえって遠慮をしてしまったようです。
帰りにコンビニでお弁当を買いたいと思ったようなのですが、それも言い出せず
ヒロシ君はその後、雨の中を歩いてコンビニまで出かけ、お弁当を買ってきたそうです(^_^:)