2008年12月15日256号 陽一郎にいちゃん

いつも陽一郎にいちゃんと呼んで、私が小学生の頃から親しくしてきた叔父がいます。 何で叔父なのに”兄ちゃん”かというと 私の母より10歳年下の長男で、甥っ子の私とは14歳しか違わず 叔父さんというには忍びなかったので(^_^;) いつも陽一郎にいちゃんと呼んでいたのです。

とは言っても小学生の私から見たら14歳年上は立派な大人である事はたしかです。 でも一応長男で(^_^;)7歳下と10歳下の妹がいる私にとっては 独身である時期には我が家に同居して寝食を共にした叔父とは 一緒に映画を見にいったり、男同士の楽しい思い出がたくさんあるのです。

英語が得意でカナダ航空に就職し、そこで職場結婚し子ども4人をもうけて 定年後は栃木県の黒磯に引越して、今は持病の療養生活を送っおられるます。

11月の終わりごろ、私の妹のユミコから 「12月11日に陽一郎叔父ちゃん(妹は叔父ちゃんと正確び呼びます)のお見舞いに 行こうと思っているのだけど空いてる?」と電話があったのです。 カレンダーを見ると12月はギッシリとスケジュールが詰まっているのですが 11日だけはポッカリ空いていたので、YUKIと一緒に参加する事にしました。

私の妹のユミコと2人の叔母(叔父の妹のミチコ叔母とキョウコ叔母)の3名は新幹線で、 私とYUKIはいつものようにクルマで東北自動車道で那須塩原駅前にある レストランに向かいました。

叔父は思ったより元気そうで、すぐに話しが盛りあがります。 ココに母がいたら4人の姉弟が揃うことになるのですが、 母は痴呆と失明で介護5の最高ランク(^_^;)ユミコの家と施設で交互に看てもらっている状況です。 でも母はとても元気で陽気な人で昔からの口癖だった「ワルイのはアタマとカオだけ!」を 地でいって身体そのものはまったく健康なようなのです(^_^;)

叔父はそんな10歳上の姉(私の母)を、とても大切に思いやって母のいるユミコ宅に電話をして ボケていても昔の話になると鮮明に覚えている母と、 昔話やその頃の唄を二人で合唱したりで… 横で聞いているユミコも感激するぐらい母も生き生きとしてくるのです。

叔父はそんな母と一番あいたかったようですが、母をココまで連れてくることも出来ず、 また叔父が母のところまで来れる健康状態でもないようです。 そんな叔父のためにユミコの長女でロイター通信のカメラマンをやっている ユリコが撮影製作した写真集をプレゼントをしました。 自分の身体も大変なのに、母のことを心から心配し、 母のことを話すと目頭を熱くして涙ぐむ叔父をみていると、  ① ② ③ 叔父の優しさにこちらまで涙が溢れます。

レストランでの歓談のあと ① ② ③ 叔父は点滴を受けるために国際医療福祉大学病院に行かねばならないので 皆でそこのティー・ルームでお茶を飲むことにしました。 ① ② そこでも大いにハナシが盛り上がり 叔父夫人のヨシコさんとも本当に久しぶりで、 楽しいひと時を過ごすことが出来、ここまっでやってきた甲斐があったと心からおもいました。

翌日の12日はアカラックスの今年最後のセミナーで 今回はライフネット生命の副社長をやっている野上さんが「5分に1回笑わせる!」と豪語する 二次会・三次会も含めて楽しみにしていたものです。 そろそろYUKIと出かけようと思った矢先、アカラックスの下川さんから電話がありました。 「昨日はお越しになると思っていたのですが、どうなされたのですか?」 「??」私は何のことだか判らなかったのですが、1日間違えてようです(^_^;) 「そんなことだと思って電話を差し上げてよかったですね、お出かけする前で…」

我が家のカレンダーにはアカラックス・セミナーの日にちが判ると真っ先に 書き込むようにしているのですが、その時点で間違えたようです。 でも間違っていたからこそ叔父とも久々に会えたわけだし… アカラックスや野上さんには大変失礼致しましたがm(_ _)m 楽天的な私はハッピーにそれで良かったと捉えています(^_^)

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