今年も残すところ本日を入れて3日になりました。 次回の週間KENは三が日も明けた5日で、 アットいうまに年末・年始が明けて、 また新しい1年もアッという真に去ってしまうのでしょう、きっと。(^_^:)
毎週、週間KENに何を書こうか?テーマに悩む時もあるのですが、 この一週間はどうしても週間KEN的には外せない行事が3つあり、 どれに絞るか悩んだのですが、今回は3つをハイライトでお伝えする事にしました。
●12月22日(月) アカラックスの忘年会
昨年の忘年会では料理が苦手と自他ともに認めるYUKIが作った ポテト・サラダや鳥の唐揚が以外と好評だったので今年のYUKIもけっこうチカラが入ってました。 しかし例によって事務処理がオセオセで当日も朝からバタバタして夕刻、 けっきょく唐揚は諦めて飯山(長野県)の田植えで収穫した無農薬のお米のおにぎりと ポテト・サラダ(ゆで卵を作っておきながら入れ忘れてた)をタッパーに入れて慌しく家を出ました。
と言っても一直線で神田のアカラックスに行くわけではありません。 バスで向ヶ丘遊園に、そこから徒歩で三菱東京UFJ銀行・登戸支店にへ保険料の入院に、 三菱東京UFJ銀行なら神田にも新宿にも大手町にもあるのですが 18時までに間に合わなければとYUKIは、風雨激しい中をどんどん歩いていくのです。
おにぎりとポテト・サラダが入った紙袋と、 宮崎のお土産の焼酎やお菓子などが入った紙袋を 濡れるのを防ぎながら、私も必死でYUKIの後をついていくと、 突風で傘がオチョコになってもうビショ濡れです。(^_^:)
登戸から大手町まで行ってTN社の支社に書類を置いて、そこから東京駅まで歩いて JR神田駅で降りてアカラックスに到着した時はビショヌレになった紙袋の姿はなく タッパーを開けると一番上のおにぎりが無残な状況になっています。 これだけは私がコッソリと食べちゃおうとしたら YUKIでなく下川さんから「お行儀が悪い!」…とたしなめられてしまいました(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦
●12月23日(火) 中尾家(妹宅)で恒例のクリスマス会。
毎年、私の妹宅でクリスマス会をするのが慣わしになっています。 何で妹宅かと云うと、私が結婚する前の家族、父が健在な時までは毎年クリスマス会が 慣わしになっていて、それを妹で長女のユミコがその伝統を引き継いでくれているのです。 伝統と言ってもクリスチャンでもない家族のごく世俗的なクリスマスです。
ユミコが8歳の1961年12月24日の我が家のクリスマス会から音声から 毎年録音され、そのテープは20年分ほど残っています。 毎年、父の司会で「19○○年!今年もマタマタやって来ましたクリスマス! ココに揃っているのは○○○、それに特別ゲストとして○○ちゃん…」で始まり 後はその場の雑談や歌やプレゼント交換の模様が音声で残されています。
このクリスマス会のテープの中でも 毎年一番嬉々としてノっていたのが私の7歳下の妹のユミコでした。 それは彼女が結婚して、その子どもたちも成人した今も”その伝統”を守っているのです。 もちろんユミコの配偶者であるススム君も。(^_^;) 1976年のクリスマス会のテープに興味深い音声が残っています。 宴たけなわの最中に電話の音が入ります、ユミコのボーイフレンドのススム君からの電話です。 「出張で買ってきたカラスミがあって、イタムといけないのでお届けしたい、今近くまで来ている」 というのです。 私がススム君と会ったのがソレが最初でした。 彼がその時に歌った「私の彼は左きき」の熱唱は今でも語り草になっています(^_^;)
そんな伝統のあるクリスマス会に今年はヒロコのボーイ・フレンドのヒロシ君も初参加! アメリカの大学で研究員をやっているユミコの長男のシュンスケも慶応時代からの ガール・フレンドのナオコちゃんが3回目の参加! ユミコの次女で医大生のマキは二児の母! 夫の勤務医のコウジ君は学生の妻と二児の生活費を稼ぐための当直で今回は不参加(^_^;) 世代交代をしながらも我が家の伝統は引き継がれていくようです。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ●12月28日(日) クラシック・ハート・コンサート
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