特別増刊号 ドイツの旅10日間 – 6月18日 第3日目 【W杯・クロアチア戦の日)

いよいよクロアチア戦の日がやってきました。 昨晩は門限ギリギリのチェック・イン(安いホテルなので門限付き^_^;)で夕食は抜き! 朝から3人はサムライ・ブルーのユニホームを着て、まずはホテルの朝食ビュッフェを制覇に向かいます。

何と狭いビュッフェには、サムライ・ブルーのユニホームの日本人がほとんどです。 もう挨拶も自己紹介もなく、いきなり普通にサッカーの話で盛り上がります。 クロアチアのユニホームを着た人もいて、気持ちはハイになるばかりです。 食事のテーブルも日本人同士であれば、何の抵抗もなく相席になってしまいます。 ロスから見に来たという熱狂的なサッカー・ファンと話がはずみました。

試合開始は午後3時からですが、この日はサッカーに集中です! レンタ・カーはホテルにおいて、なにはともあれ競技場まで電車を乗り継いでいく事にしました。 ホテルを出るとき、ビュッフェで一緒だったクロアチア人とも記念撮影です。

ホテルから競技場までの道のりは結構遠く複雑ですが、 ブルーのユニホーム姿の流れについていけば、どうにかなりそうな雰囲気です(^_^;

地下鉄で一緒だった3人の若者は次回のW杯の開催地の南アフリカから来たとようです。 ニュルンブルグに着くとクロアチアのあの赤と白のユニホームが溢れています。 彼らは身体も声も態度も、すべて大きく…圧倒されます。 我々に向って「すしボール!すしボール!」と、合唱されたのには 思わず笑ってしまいましたが…笑っている場合ではありません。

地下鉄から競技場のある駅までの向う電車のホームはJR状態で、日本人でいっぱいです。 駅から競技場までも、けっこう歩きますが近づくにつれ クロアチア人が多くなっていきます。 彼らはバスやクルマを使って直接やってくる者も多いよいうです。 なにせ、直線距離だと500㌔ぐらいしか離れていないのですから。

競技場の近くはナチス・ドイツを象徴する建物と大きな池の公園になっていて どこも、かしこも、ブルーと赤白チェックのサポーターで溢れかえっています。 ライバル心と友好心とが入り乱れ、W杯ならではの楽しい雰囲気です。 日差しは暑いのですが、木陰に入れば涼しく、空気か乾燥しているのが救いです。

軽い食事を済ませて早めに競技場に入る事にしました。 チケットは2枚しかないので、YUKIとはひとまずお別れです。 実はダフ屋も出ていて、ギリギリになれば200ユーロぐらい出せば、手に入るというのです。 しかし、競技場の外にも大きなスクリーンが用意されお祭り騒ぎで… YUKIはドキドキしながら実戦を見るより、こちらでのんびり見るのも楽しいそうというのです。

競技場な入るのには荷物とボディ・チェックがひとりひとり丹念に行なわれ、 ペットボトルはすべて没収されてしまいます。 こから競技場までも、かなりの距離があり、ほんとうによく歩きます(^_^;) いよいよ、改札ゲートをくぐって競技場です。 3時のキック・オフ1時間前ですが競技場には熱気があふれ、 両国のサポーターも応援合戦がすでの始まっています。

我々の席はメイン・スタンド側で、とても見やすいなかなかの席です。 でも、ココはW杯のスポンサーで、今回我々が当選したマスター・カードが抑えている席のようで 日本の応援席というものではなく、国際的なものになっていました。

試合の経過や結果はもう皆様、ご存知のことと思いますのでココでは書くまでもないでしょう。 でも、本当に楽しく、そしてアッというまに終わってしまった感じでした。 ひさびさに興奮してスポーツを見ました、ココで飲んだビールも最高でした。

競技場を後にする時は、 ブルーと赤白のユニホームが混じりあって みんなおとなしく帰っていくところが、とても良い雰囲気でした。 ユニホームをサポーター同士が交換しているところも、たくさん見ました。

YUKIも大変、たのしく過ごしたようで、たくさんの外人?とも、お友達になれたようです。

ニュルンブルグの街には路面電車で向かいました。 ここでも、日本人とクロアチア人でごったがえして原宿状態です。 今日はクルマはホテルにおいています、したがってビールの見放題の日と決めたのです。 いやはやドイツはビールが旨いのです!

ニュルンブルグの観光もしなければなりませんし… 日が長いの本当に疲れます、イヤ助かります(^_^;) […]

特別増刊号 ドイツの旅10日間 – 6月17日 第2日目 【フランクフルトからニュルンブルグへ】

ホテルは朝食付という事でしたが期待していませんでした。 本当はとても期待しているのですが、裏切られた時のショックが大きいので 期待しないように心がけているのです。 そもそも私の経験上からも欧州は質素というイメージがあるのと、 なんと言っても一人5000円くらいの安宿です(^_^;) しかし、しかし…朝からハッピーです、どこのホテルにも負けない朝食ビュッフェです!

2台のパソコンをフル稼働したあと…慌しくチエックアウトだけはすませて、 大きな荷物はホテルに預けて、レンタカーを借りにハーツまで行きました。 カーナビは英語仕様が借りられ、ヒロコがたよりです。 レンタカーでホテルに一旦戻って荷物も積んで、いよいよスタートです。 一泊目のホテル…部屋からの景色も抜群!大きなバスタブ!、朝食も最高! ドイツがとても好きになるホテルでした(^_^;)

小型ベンツは好調に走ります。 問題はカーナビです…日本のカーナビのように住所を順番に選択していったり 電話番号を入力すれば検索されるのではなくて… 目的地の名前(それも駅名とか検索されるのは極僅か)か住所を アルファベットで一字づつ入力して行かなければならないのです。 画面表示もとても簡素で、案内音声は英語(ドイツ語よりはマシですが)… そんなわけで、ヒロコは当分、ナビ係りという事で、私が運転に専念です。

まず向ったのは【マインツ】 ライン川が流れる8世紀頃に栄えた宗教都市です。 ここで食べたジェラートはとても、とてもナイスでした(^_^)

アウトバーンはクルマが多く、車線も思ったより狭く、それでも 平均130㌔~140㌔は出す事が出来、この日の最高が185㌔くらい もう、それ以上は怖いのでヤメました。 でも目的には日本の感覚より早く着きます、あたりまえですが。

次に向かったのは【ハイデルベルグ】です。 カーナビは狭い石畳の市電の走る古い街角を右だ左だと誘導し、 いきなり、大きな橋とその向こうに見えるあのハイデルベルグの壮大な風景が 現れた時はヒロコも思わず喚声をあげるほどの絶景です。 三人で撮ってもらった写真には絶景が写っていませんが(^_^;) (コチラを) お城までの道のりは大変ですが…見所マンテンで、上からの景色も抜群です。 でも、なんと言ってもココでの最高はビール(私はクルマを運転するのでアイス・ティー) と食事でした、こんな観光地でチップ込みで22ユーロ(3300円位)…生き返りました。 ハイデルベルグは見所いっぱい、堪能することが出来ました。

次に向かったのが【ローテンブルグ】です。 着いたは午後8時頃、まだまだ陽は沈みませんが… 私の影がこんなに長くなっていました この街もビックリです!…だいたい、我が家の旅は国内もそうですが、いきあたりバッタリの 予備知識もないまま行っちゃうのでビックリ度が高いのです(^_^) まーようするに中世の大きな街が大迫力でそのまま残っているのです。 よく歩きました、写真もビデオもたくさん撮影しました。 この写真を撮ったのは9時10分頃です。

カーナビのセットは今回の最大の目的地ニュルンブルグです! ニュルンブルグのホテルは門限11時で、そのギリギリに到着しました。 途中…ちょっとした!?トラブルがあったのですが(^_^;) これを書き出すと長くなるので、別途ご案内をします。

なには、ともあれ、いよいよ明日は午後3時から日本・クロアチア戦です!!

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特別増刊号 ドイツの旅10日間 – 6月16日 第1日目 【我が家からフランクフルトへ】

結局、予想通り一睡もせずに成田に向う事になりました。 この、一週間のクルマの走行距離は3000㌔を越えました。 とてもありがたい事なのですが、こんな時に限って、普段あまり扱わない 法人の賠償責任に加入したいという依頼が2件もあったり、嬉しい悲鳴でした(^_^;)

そんな仕事も投げ打って? サーいよいよドイツです!!

降りしきる雨の中、ヒロコの運転で成田に向いました。 早朝とはいえ首都高はクルマも多く、視界も悪く、ヒロコは緊張しながら (勿論、私もYUKIも緊張しながら)がんばって運転しました。

成田空港では【讃岐うどんのお店】に行くのが我が家の慣わしになっています。 そこでYUKIが突然、「忘れた!」と叫びました。 初日に泊まるホテルとレンタカーの予約のバウチャー(確認表)をクルマに置いて来たというのです。 絶対に無ければ困るというものではありませんが、疲れて到着して、 日本語はもちろん英語もまともに通じない不慣れな異国でのこと、やはり必要です。 YUKIは駐車場に電話して、どうにか持って来てもらいましたしたが…

デダシから好調?です(^_^;)

機内でビールを飲んで、機内食を食べればもう、ご機嫌というか、恍惚というか、ぐっすり休みました。 成田から4時間弱で北京に到着です。 北京は乗り換えだけなのに、出入国手続きをさせられ、まー安いチケットですから、しかたありません。 空港内のスターバックスで…と思ったのですがYUKIがモッタイナイとの事で写真だけです。

北京から約8時間でフランクフルト空港、そこからタクシーでホテルに無事到着!! 我が家を午前5時に出てから21時間、現地時間で午後19時20分です。 YUKIがネットで探した安いホテルですが窓から見える景色は、ドイツそのもので感激です。 この写真の時間は午後8時過ぎです。 結局、この日はここまで太陽は沈んでいません(^_^;)

食事は近くのショッピング街で特大ハンバーガーとポテトの炒め物にビールこれで全部で千円ちょっとで とても美味しく食べる事が出来ました。

明日はレンタカーを借りて、クロアチア戦の都市、ニュルンブルグに向かいます。

2006年06月05日124号  自動車免許

ヒロコが自動車免許を取りました。

私が運転免許を取ったのは今から35年前です。 ヒロコとは同じ戌年で3回り違いますから、だいたい同じ年齢の頃です。 大学を卒業してフランセに就職、3年目に配属されたのが銀座本店でした。 深夜1時まで営業しており、タクシーで帰るしかないのですが… その頃”夜の銀座”は全盛期、まともな料金で乗せてくれるタクシーはありません。 深夜3時を過ぎれば、どうにか拾えるのですが、それでは身体が持ちません。

叔父が古くなった日産のサニー1000を譲ってくれるというので、自動車免許を取る事にしました。 お店は深夜までやっているので出勤時間は遅く、自動車教習所に行く時間は充分にありました。

免許を取得したのが1971年の10月13日と今でもはっきり覚えています。 私がモノスゴイ!ファンだった阪急ブレーブスが巨人との日本シリーズを西宮球場でやっていたからです。 その日の午前中に府中の交通試験所に免許書を取りに行って、 午後から日本シリーズのテレビ中継を見ていのですが、クルマで銀座まで出勤しなければなりません。

「そうだ!クルマの中でラジオ中継が聞ける!」…と思い早めに家を出る事にしました。 運転免許を手にした、その日にハンドルを握り、混雑した銀座の狭いスペースに縦列駐車です。 この年の日本シリーズは巨人に1勝4敗で敗れましたが… その日の試合だけが8対6の接戦で唯一勝った試合だったのです、しかし、 ラジオをはつけてはいたものの、ほとんど聞いていなかった、イヤ聞くことが出来なかったのです。 その夜から、数人の従業員やアルバイトをクルマで送って帰るようになったのですが…、 今考えてみたら、よく乗ってくれたと思います。(^_^;)

ヒロコは昨年11月から、土日を利用して近くの向ヶ丘自動車教習所に通っていました。 先日、交通試験所(二俣川)で筆記試験に合格し、免許が取れたヒロコから連絡が入りました。 比較的、近くにいた私は交通試験所まで向かいにいきました。 ヒロコが嬉しそうにクルマに近かずくと、「私が運転して帰る…」というのです。 教習所の卒業記念に貰った青葉マークをペッタとはって運転です。

ヒロコは赤ん坊の頃から助手席に乗せて走っていましたが… 私が助手席に乗ってヒロコの運転で走るのは、なんともヘンな感じです。 ホンニンは「もう6ヶ月も教習所で運転しているのだから…」と涼しい顔です。

国道16号線から東名高速道路を使って無事、我が家につきました。 毎朝、ヒロコを向ヶ丘遊園駅まで送るのが私の日課でしたが 翌朝からヒロコの運転で駅まで行き、帰りだけが私の運転です。 夜は逆に駅まで私がクルマで行って、帰りはヒロコが運転して帰宅というパターンです。

土曜日にヒロコの友人の結婚式があり、その司会をヒロコがしました。 ヒロコは式場へはクルマで行くと言ったそうですが、来るまでに事故でもあったら コッチが迷惑と言われて、あきらめたようです。

35年の開きはありますが…親子揃って怖いもの知らずのようです(^_^;) しかし、怖いもの知らずは、まだこれからです! いよいよドイツ行きが迫っていますが、 ドイツの足はレンタ・カーを軸にして移動することにいたしました。 そう!制限時速無制限の、あのアウト・バーンに挑むのです。

2006年05月29日123号  私のデジカメ

デジタル・カメラが手放せません。

もともと私は昔から写真を撮るのが好きで、学生時代から物置を暗室にして現像したり 数多くの写真を撮ってきました。 大学時代のクラブ合宿や麻雀風景、ヒロコの幼い写真も山ほどあります。 他愛も無いスナップ写真で その時、その時の何でもない瞬間を切り取ったものですが… 時が経って眺めてみると、2度と戻ってこない風景に懐かしさが込み上げてきます。

ヒロコが4歳の時に(20年ほどまえ)に8ミリビデオにハマッてしまい 相対的にスナップ写真は減っていきました。 それからは、どこにいくにも8ミリビデオを持ち歩き、今では数百本のテープが保存されています。 しかし写真なら気軽に人に渡せるのですがビデオは、そう簡単にいきません。 あるていど撮影したら編集して…なんて思ってはいても(それも楽しみなのですが) 編集するどころか、見る時間もなく、テープだけが溜まっていくというありさまです。

そんな中でデジカメの登場です(^_^) デジカメを手にして8年、今は3台目ですが、すざましい進歩です。 最初のデジカメは10万円近くしたのに、今では私のケータイのカメラ機能と同レベルでした。 フィルムのカメラで育った私には、デジカメのシャッターには馴染めませんでしたが、 最近では性能が向上したのと私が馴れてきたのとで気にならなくなりました。

なにより凄いのは、フィルム代も現像代もいらない事です。 パソコンで画像を整理して保存しているのでプリント代もいらないのです。 相手がパソコンを持っていたらメールで送れます。 パソコンが無い相手なら、撮ったその日にプリンターして郵送出来ます。

私の友人で写真現像会社の役員をやっているAは「デジカメは我々にとって悪魔だ!」と 愛用のデジカメを手にしながら嘆いていました。 私は人生において、お小遣いのかなりの部分をフィルム代やDPEに費やしてきました。 したがって今や「デジカメは私にとって女神」です。

その女神を!デジカメを!先日、失くしてしまったのです! 覚えているのは、アカラックスの坂本さんのオフィスまでです。 なぜ、そこまで覚えているかというと、その日は毎月恒例のアカラックス・セミナーで 恒例の一次会、これまた恒例のアカラックスのオフィスにての二次会と 私はシタタカに飲みまくり、デジカメでシタタカに撮りまくっていたからです。 でもデジカメは撮りまくって記録が残り、記憶もなくなる事はありません… しかし、お酒は飲みまくると記憶がなくなることがあるのです。

私は泥酔することはめったにないのですが、 この夜はどのように帰ったかも覚えてないほどでした。 翌日は早くから仕事があり昨日と同じ背広を着て出かけ、その途中で 背広のポケットに入れてあるはずのデジカメが無い事に気付きました。 でも、昨日のことは覚えていないので、家の置いて来たポーチに入っているか ひょっとしたらテーブルに出したままにしているかもしれません。 こんな事でYUKIに電話したら、何を言われるかわかったものではありません。 帰宅した時に確かめればすむ問題です。

帰宅して何かゴソゴソ探し物をしている私に、YUKIは不審がり聞いてきました。 ひょっとしたらYUKIが片付けているかもしれませんから、 私はこわごわデジカメが置いてなかったを聞きましたが、まったく知らないという事です。 あれだけ酔ってたのだから多分、坂本さんのオフィスに忘れたのだろう、 そこになっかたら、どこかに落としたのだろうという事になりました。

しかし、坂本さんのオフィスには確かめたところ無いとの事でした…。 その日、わたしはYUKIとヒロコから、 どのくらい責められたか?!週間KENをご愛読?の皆様ならごご想像がつくと思います。

翌日、アカラックス(坂本さんの会社)からメールが来ました。 開けてみたらアカラックスのオフィスで最後まで飲んでいたツワモノ?達全員に 私のデジカメが紛失したので誰か心当たりが無いかとの、とてもありがたいメールを 坂本さんが送ってくれたようなのです。

それから、しばらくしての事です。 YUKIが叫びました… […]

2006年05月22日122号  ドイツ・モード

一応、ドイツまでの往復の航空券は確保しました。 6月16日の午前9時25分成田発のエア・チャイナで北京経由フランクフルト着です。 台北経由とか、クアランプール経由とか、香港経由とか、モスクワ経由とか パリ着だとか、アムステルダム着だとか、ミラノ着だとか なにしろヨーロッパ大陸に辿りつけば、どうにかなると、YUKIはネットで探し回った結果、 1名10万円以下の往復航空券をまずは確保したのです。

我が家のカレンダーには6月16日から帰国する26日まで太いマジックで線がひかれました。 もちろんクロアチア戦のある18日(日)には大きく○がされています。 決まっているのはフランクフルトに夜つくので、空港近くのホテルだけです。 今YUKIに確認したところ、本当の空港近くのホテルは高いし、もうどこもいっぱいだったので、 正確に表現すると…空港から少々離れた、空港近くのホテルだというのです。

それでも、長旅でドイツに着いた夜の宿が決まっているのは心強いものです。 昔よく家族で貧乏旅行をしたものですが、空港に遅く着いてから、大きな荷物を引きずりながら、 右も左もわからない海外で安宿を探すのは、けっこうキツイものがあります。

でも決まっているのは、ココまでです。 18日はニュルンブルグにいなければなりませんが、その前日または当日の宿も決まっていません。 なにしろドイツ国内でのスケジュールは白紙状態です。

あまりサッカーには詳しくなく、ましてワールド・カップを見にいくとは、つい最近まで夢にも 思っていなかった私ですから、顔と名前が一致する選手と言えば… 中田英とか、川口とか、中村とか、稲本とか、宮本…ぐらいでした。 ところが先週15日に日本代表がジーコ監督から発表される生中継を見てからは 巻だろうと、坪井だろうと、駒野だろうと…全メンバー23名の顔と名前は バッチリと私の明晰?な脳みそに叩きこまれました(^_^)

テレビも先週ぐらいからワールド・カップ関連の番組が一機に増え 気持ちはだんだん盛り上がり、ドイツ・モードになってまいりました。

去年の6月といえば、東京海上のコンベンションでYUKIとハワイに行きました。 今年も連続を狙っていたのですが、惜しくも届きませんでした。 しかし、もしハワイが決まっていたら丁度ぶつかって、どちらかを放棄しなければならなくなっていたのです。

私はYUKIに、「今年はハワイを決めなくてよかったね」と言ったら 「ハワイが決まらなかったという事は、去年より契約が少ないという事で、収入が少ないという事です、 それなのに家族で自費でドイツに行くのですから、どれだけ家計が苦しくなるかは、わかってらしゃいますよネ!」 と言われてしまいました(^_^;)

えーえーその事は充分に理解をしています。 貧乏旅行も慣れています。 しかし、もう私もそれほど若くはありません。 それに私の還暦祝いを兼ねた旅行じゃありませんか。 少しは優雅に、のんびりと、楽しい旅をしたいものだと、心のそこでは思っているですが…。

2006年05月15日121号  がんこ

がんこ…といえば下にオヤジとかジジイとかが付くのが一般的です。 がんこコドモとか、がんこムスメというのは一般的ではありません。 私もがんこなオヤジとかジジイを見て…「ああーイヤだなー」と思っていました。 ところがYUKIは「KENはとてもがんこになってきて、どうしようもない!」と言うのです。 ヒロコまで、それに大いに同意をするのです。

考えてみれば私もオヤジの領域からジジイの領域に入ろうという 押しも押されぬリッパな?がんこジェネレーションです。 どうやら自分は、まったく意識していないうちに”がんこ”になってしまったようです。

なぜ、そうなったのか?いや、そう思われるようになったのか 自分なりに分析しました。

私がYUKIから最も多くいわれるのが…「だったら私に聞かないで下さい!」という言葉です。 何を聞いて、そのような事を言われるのか?といえば… 手近なところですと、この【週間KEN】です。 ここでは我が家の現実を赤裸々に暴露!?していますので、 たとえ夫婦であれYUKIにも目を通していただくのが当然のマナーだと思い目を通して貰います。 ところがYUKIは細かい表現の修正ならともかく、考えの違いを突いてくるのです。

私は昔から『議論』は好きですから、YUKIとの討論になってしまい 「ボクはそういう思いがあってこの文章を書いたのだ!」と理屈を通そうとすると… 「だったら私に聞かないで下さい!…ほんとうにがんこなんだから」となるのです。

もうひとつ、きっと私は『がんこモノ』と思われているに違いない… と最近、強く感じるようになったところがあります。 先々週号で紹介した【保険選びネット】での掲示板です。 そこではDr.KENの名前で保険相談に答えるプロの一人として ホンネでのプロ同士の議論も大切という姿勢で取り組んでいます。

なぜ議論が大切か?というと… それが相談者にとって、もっとも判りやすい回答になるからです。

数年前、ある法人の保険で外資系生保A社と競合した事がありました。 どちらを選ぶか、判断がつかない社長はこんな提案をしてきました。 「私と役員の前で、お互い揃って保険のプレゼンテーションをやってもらって問題点を 議論してほしい…」というのです。 生命保険はまったく判らないと言っていた社長が、途中から議論に参加して、 社長の質問に明快な回答を出せなかったA社は敗退しました。

それいらい他社と競合する場合は私の方から、 この揃ってのプレゼンを提案する事もあり好評をえています。

公開されたネットの掲示板では、多くの専門家も見ていますし誰でも参加出来るので もっとフェアーで興味深い議論が出来るはずです。

ところが…ところが…ここからが問題です(^_^;) 生命保険の世界では基本的にこのような風土が無いのです。

私が望んでいるのは、自分の立場を明瞭にしたプロ同士が相談者に判りやすく プロの威信にかけた議論するという事ですが… そのようなプロは”議論”にほとんど乗って来てくれません。

乗ってくるのは…正体不明”2ちゃんねる的”短いセンテンスで絡んでくるヤカラです。 実は私はこういうヤカラはキライではないのです。 結構ホンシツを付いてくるので、私の考えをキッチリと書く事が出来るからです。 でも、こういうヤカラは自分の考えをキッチリと伝える事はしませんから 結局、私の考えや主張だけが掲示板に載ることになってしまうのです。

その結果どうなるか?というと… Dr.KENは自分の意見だけを押し通す【超がんこ者】と言われてしまうのです。

ただし、そのように言われるのは同業者や専門家と称する人達からで 肝心の相談者や掲示板を見ている多くの方達からは支持を受けていて 励ましや応援メールも数多く頂いているのが救いです。

私は昔から議論が好きですが、それは自分の意見を押し通そうというのではありません。 色々な意見を聞くことが面白く勉強にもなるからです。 どんなテーマでも正解なんてものはありません。

保険業界は議論を嫌う風土が根付いており、その”圧力”は鈍感?な私でも感じています。 […]

2006年05月08日120号  【ワールドカップ】が何と!

先週号のタイトルは【保険選びネット】が何と!…でしたが 今週号のタイトルは【ワールドカップ】が何と!…です。

先週の話は【保険選びネット】がウェブの総合大賞を取った話でしたが… 【ワールドカップ】はサッカーの総合大賞ですから 【ワールドカップ】が総合大賞を取る事はありません。

【ワールドカップ】の『チケット』が何と!当たってしまったのです。 『チケット』が当たるのは大変喜ばしいのですが 国立競技場だとか埼玉アリーナだとかなら、まったく問題ありません… 北海道でも、九州でも、沖縄でも、最近はとても旅馴れてきたので問題はありません…が 問題は『ニュルンブルグ』です。

YUKIが私の名前でネットから応募したので、私はまったく知りませんでした。 カード会社から私に電話と聞いた時は「預金不足の連絡か…」と思ったぐらいです。 それがいきなり、ペアチケットが当選しただの、ニュルンブルグだの、クロアチアだの、 電話口で言われても、状況がつかめません。 オレオレ詐欺ではなさそうですが、巧妙なセールスかもしれません。 私が不審そうな口調で話しているのを横で聞いていたYUKIが 急に興奮してぴょんぴょんと跳ねだしたのを見て状況がつかめたのです。

当選したのは6月18日(日)午後3時 日本対クロアチア戦のペア・チケットです。 それだけでも、大変なプラチナ・チケットなのでしょうが… 自己負担で競技場まで行かなければならないようです。 くりかえしになりますが、問題は『ニュルンブルグ』です。

実は6月に私の還暦祝いを兼ねてローマに行こうという計画があったのです。 なぜローマかというとヒロコが短期留学していたところで私達を案内したいというのです。 もちろん我が家の伝統?で、いかに安い予算内で格安運賃と安宿を駆使して…という事ですが 6月に入ると、安い航空券もホテルも見あたらないのです。 なぜだろう?と思っていたのですが、ドイツのワールドカップの影響だったのです。 6月をは外すか、いっそシアトルでイチローでも見に行こうか?…なんて言っている矢先に この事件?が勃発したのです。 問題は『ニュルンブルグ』です(^_^;)

ドイツでのワールドカップの影響のあるヨーロッパ避けよう! 6月は避けよう!…と言っていたのが、避けるどころか、 そのど真ん中のワールドカップが開催されているドイツが私達を呼んでいるのです。 当選したペア・チケットは転売する事が出来ません。 また逆に、我が家3人での旅行計画なのにチケットは2枚しかありません。 でも、これは天の恵みか!、運命の悪戯か!こうなったら何が何でもドイツに! 『ニュルンブルグ』がどこにあるのか?どのようにして行けばよいのか?どんな宿が取れるなか? 今はまったくの白紙です。 ただ言える事は【最低限の予算】で… 家族3人がワールドカップのドイツに、競技場のある『ニュルンブルグ』に、 乗り込まなければならないという【ミッション・インポシブル】です。

キック・オフまで、あと一ヶ月とちょっとです。

2006年05月1日119号  【保険選びネット】が何と!

【保険選びネット】をご存知ですか? たぶん、これをお読みくださっている半分ぐらの方はご存知だと思います。 ご存知というより…【保険選びネット】から私のHPに来られたのです。

あとの半分の方達のために少し説明させて頂きます。(^_^;)

インターネットを使われている方だったら何か調べ物をするとき、まず GoogleやYahoo!で検索される方が多いと思います。 例えば第一生命の代表的保険商品『堂堂人生』を検索すると 第一生命のHPより最上段に【保険選びネット】の同保険商品を解説 したページが表示されるのです。 私も職業柄よく保険関連の検索をするのですが 「またかよ!」という感じで本当によくデシャバッテ現れるのです。

一般の消費者もネットを使って商品を知らべたり勉強する事が増えてきました。 そのような人達がネット検索をしていれば、イヤでも?…【保険選びネット】に招かれるのです。 これが【保険選びネット】のフロント・ページです。

どうです!(^_^) 私の知人でもある保険評論家の大地一成さんが この溢れるばかりの情報を満載したHPをを評して 『保険情報のドンキホーテ(流通の)』と言ったのには笑ってしまいました。

しかし… 保険という商品は比較すればするほど、勉強すればするほど、判らなくなるのです。 そこで生命保険の相談コーナー【生命保険…教えて下さい】が2年ほど前に設けられました。 そして私はDr.KENの名前で回答者の一人として参加しているのです。

回答欄には私のメール・アドレスやHPがリンクされており そこからメール相談があり、全国にお客様が出来るようになったのです。

さてさて(もうフロント・ページをご覧になってお気づきかもしれませんが) この【保険選びネット】が星の数ほどある生活関連のホームページの中から 総合大賞に選ばれたのです!! この賞は提供しているAllAboutはご存知の方も多いでしょうが ナスダック上場の注目優良企業のポータル・サイトです。

たしか一昨年だと思いますが『マネー部門』で2位までいって 1位の国税庁のHPに負けたと、管理人の山浦さんが悔しがっていましたが、 まさか『マネー部門』を飛び越えて『総合大賞』を獲ったのには、私も驚きました。

でも、ほんとうに私は心の底から、このことに喜んでいるのです。 一昨年、国税庁のHPが一位になったと聞いた時、誰が審査員をやっているか 知らないけれど、”センス”の無い人達だね、と思いました。 インターネットの本質がわかってない…と思ったからです。

しかし!今年は何と!この雑然として、よく故障して、どこよりもセンスの無い(^_^;) 無骨なHPが、洗練された全てのHPをぶち破って総合大賞を獲っちゃたのです。 審査理由を要約すると…管理人の意気込みがスゴイと言うのです。 何がスゴイといえば、まっこうから契約者の立場で生命保険の本質に迫ろう という心意気に満ち溢れているというのです。 「やっと気付いたか!」との気持ちですが… このような個人が運営している無骨なHPから、 山浦さんの心意気と、インターネットの真髄を読み取った 審査員たちの心意気も嬉しくなるのです。

もちろん私も、その山浦さんの心意気に賛同して 参加させていただき、またそこでビジネスまでさせて頂いているのです。 そんなとこでビジネスをするのはオカシイという意見が時々ありますが…

生命保険についてちょっと調べてみようと言う人がまず【保険選びネット】に誘導?され… ここで保険会社からは得られない豊富な情報に興味を持って調べれてれば調べるほど判らなくなり… 次に掲示板【生命保険…教えて下さい】に投稿して色々な意見を聞いて見る… そこでも限界があるから、その中から気に入った回答者にメールで直接相談する。 そこで納得出来ナければ、他のプロにも相談し、 トコトン聞いて、納得出来て相性の合いそうなプロと契約するという完結方法です。

私達が真剣に相談者と向き合って、このようにビジネスを成立させて行く事が […]

2006年04月24日118号  クリスティーナ

ひさしぶりにサルサを踊りました。 もっと正確に言うと、ひさしぶりにクリスティーナのサルサ・レッスンに行きました。

【サルサ】と【クリスティーナ】の事は2年ほど前の週間KENで書きました。 クリスティーナにサルサの世界に拉致された私ですが、実はこの1年ほどのがれていたのです(^_^;) 決してサルサがイヤだとか、クリスティーナがイヤだとか、そう言うものではないのです。 サルサ音楽を聞くと血が騒ぐし、クリスティーナと話をしたり食事をするのは実に楽しいのです。

問題はサルサ・レッスンにあるのです。 最初から最後まで、音楽をかけっ放しで…「ハイ!モットワラッテ!モットココロカラ! ソノ”腰”ハチョットヘン!モットコウ!ハイ!UNO!DOS!TRES!…」 こんな調子で一時間半ぶっ続けでやるのです。

それでも西新宿住友ビルでのレッスンの時は生徒も多く、 疲れたら途中で休んだり、後方で適当に手を抜いたり出来たのです。 ある事情で教室が高円寺(杉並区)に移って生徒が激変してしまいました。 ヒロコと私は気の毒に思って、それからもマジメに通ったのですが… 生徒はヒロコと私だけと言う時もシバシバでした。 こうなると、途中で休んだり手を抜いたり出来ません。 クリスチーナはとてもパワフルなオーラを発散する人で、 ついついそのパワーにノセられてガンバってしまうのです。 クリスティーナからエネルギーを貰うつもりが、よく考えたら 彼女にエネルギーを吸い取られているのかもしれません。

クリスティーナがしばらく日本を離れたのと、ヒロコが就職して忙しくなった事もあり ここ1年ほどご無沙汰する事が出来たのです。(^_^;)

それがどうして、またクリスティーナのサルサ教室に行く事になったか、というと… ドイツの国営放送が日本にまでやって来て、クリスチーナのドキュメントを撮っていて サルサ教室の撮影があるので盛り上げて欲しいというのです。 ようするにエキストラみたいなものです(^_^;)

教室は懐かしい住友ビルです。 エキストラなんか必要がないくらいたくさんの生徒さんがいます。 圧倒的多数の女性の中に初老の紳士がひとり心細そうにたたずんでいました。 彼は私を見つけて仲間がいると思ったのか、ホッとしたように話しかけてきました。 「今日はじめて来たのですが女性ばかりですね、それに、あの外人の先生にはビックリしました、 いきなり抱きつかれてまして…そういうのって馴れてませんから」 私は「ソレはすぐ馴れます」と言うしかありません。

レッスンが始まりました。 相変らず、パワーいっぱい、オーラいっぱいのクリスティーナです! テレビ・カメラが入っているので、それが彼女をさらにパワーアップさせます! 私は一曲目からこりゃたまらん…と思いつつ、ステップを踏みます。 1年以上のブランクがあるので(ブランクがなくても)かなりイイカゲンなステップですが ”表情”だけは映画シャル・ウィ・ダンスの竹中直人ばりにクリスティーナに熱い?視線を送ります。 サルサはヨレヨレ、体力もヨレヨレ、それでも恥ずかしげも無く踊る私を見て、 初心者の生徒達も安心したのか、けっこう盛り上がって… 予想通りのノン・ストップ一時間半の”死”のレッスンは終わりました。

最後にクリスティーナがスピーチをはじまりました。 感情の起伏の激しいクリスティーナはいっぱい涙を浮かべています… スピーチが終わった時に、クリスチーナのハグに馴れれているヒロコがまず彼女に抱きつくました… 続いて、クリスチーナのハグに馴れている私も、その上から抱きつきました。 そして、いつもサルサ・レッスンを見ているだけのYUKIも走ってきて、三人でクリスチーナに抱きつきました! その時!テレビ・カメラは目の前まで迫っていました。

このシーンはテレビ番組で感動的?!シーンとしてドイツ全土に流されることでしょう(^_^;) まーエキストラとしての大役?は果たせたようですが、言葉も出ないほど疲れました。 この日、初めて参加した老紳士はレッスンが終わったと同時に私に尋ねました。 「もう帰っていいのでしょうか?とても疲れました」 これが老紳士にとって最初で最後のレッスンになるのでしょう、多分。

土曜日には六本木のドイツ・レストランでクリスチーナの絵の展示会が開かれまれした。 これがドイツのテレビ・クルーの最後の仕事になるようです。 […]