2009年04月13日273号 野菜作りは止めましたが(^_^;)

今年2月から毎週土曜日に二人そろって欠かさず参加していた農作業でしたが 11日で突然ですが辞めてしまうことになりました。

東大和の地域活性化が悲願のエノちゃん(^_^;)を通して知り合った自然農法の内野さんが 都から借り受けた農場でのボランティア野菜作りをしていて、まだ知名度が低く苦労しているというので ”広報”の立場からお手伝いをさせて頂こうというのがきっかけです。 詳細は【262号】

農業の楽しさは昨年、長野県の飯山での稲作に通って体感していたので その楽しさを自ら楽しみながら実況中継していくようなホームページを作っていけたら との思いがあったのです。

その新年会で私が名刺を配ることに不快感を示した副会長のO氏と結局 最後まで折り合いが悪かったということのようです(^_^;) 私が農作業の合間にちょくちょくポケットからデジカメを取り出し写真を撮っていると 「いいかげんにして仕事をやってくれ!」と言われたのです。 これは私が参加する根本的な問題なので休憩時間にメンバーの前で確認を取っておこうと思いました。 しかし議論を避ける日本人の習性なのか(^_^;) 「ま~ま~時間も無いので…」と仲介が入って、そのままになってしまったのです。 そんな中でも決まったことは… ホームページで個人情報(と言っても顔ぐらいですが)が公開されることに抵抗がある会員もいるので 具体的なイメージが出来てから会員の了解をとってスタートして欲しいという事です。

でも農作業は面白い!(^_^:) 時間や季節の経過で全てが変化しながら、次々にやる事が生まれてくるのです。 私にとっては”たい肥”作りも、土を耕し畝(うね)にするのも、何から何まで初めてだらけです。 最初は何が何だか判らないでやっているのですが、それがカタチになっていくと 「なるほど」とうなずくことばかりです。 種を植えた野菜が成長していくのはもちろん、雑草や虫たちにも注目がいってしまいます。 農作業のメンバーが少ない時は必然的に写真の枚数は減りますが 天気が良くて参加者が多いときは、のんびりと談笑しながら農作業をする人たちを撮るのも、 楽しさを伝える写真として私の好きなショットです(^_^;) 農作業をやりながらドロだらけになって写真を撮るから面白いのです。 「毎週よく欠かさずに参加されますね!」と言われてきましたが 「今週はどうなったか?」との楽しみがあり農場に着くなり何十枚もの写真を撮ってしまうのです。 1日だけ雨で農作業が中止になった時がありますが撮影だけでも行こうかと思ったぐらいです。

O氏が写真を撮る私に不快感を示しているのを肌で感じていた私は 今度また同じような指摘をO氏から受けるような事があったら ”はっきりさせてもらおう”という気持ちを持っていました。 そのO氏が先日(11日)ツイに私にハッキリとまた言ってきたのです。 「忙しいのだからいいかげんに写真を撮るのは止めて欲しい!」と。(^_^;) 「何が忙しいのですか?これだけ人がいるのに!」という私に 「仕事はいくらでもあるのだから写真を撮るな」と言うのです(^_^;)

また休憩時間に、私がこの会に参加している主旨と考えを伝えたうえで それを副会長が認めて頂けないのなら「退会させて頂きます」と言ってしまったのです(^_^;) もちろんコレには私なりの計算もありました。 75歳でこの会の人気者でムードメイカーのAさんが助け船を出してくれると思っていたからです。 案の定「いいじゃなですか!写真を撮って頂くのも意味がある事だし、 それに奥さんだって毎週かかさず楽しみに参加されておられるのだし…」との発言に いつも参加し懇意にしているメンバーからは多くのうなずきが上がったのです。 ところが普段は参加してないメンバーから「写真はほどほどにして農作業をやって頂くのが本質」とか Oさんを支持する意見も出てきて、最終的に会長である内野さんの意見を聞くことになったのです。 内野さんは ホームページでオープンにする事に抵抗があり、それに同調する人もいて Oさんの意見に近くなっていることが判りました。 そうであるならば「退会する」という私の意見を通すしかありません。 ひとのいい内野さんとしてはOさんの意見を尊重するしかなかったのかも知れません。

YUKIとエノちゃんには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした(^_^;)

毎週土曜日の農作業を楽しみにし、午後からの内野さんご自身の農園でのお手伝いも […]

2009年02月23日266号 毎週土曜は農業に

実は今月の7日(土曜日)から 毎週土曜日、朝の9時から昼過ぎまでYUKIと一緒に野菜作りをしています。 この21日(土曜日)も14日に続いて3回目の参加でした。

場所は東大和、そうエノちゃんの地元で、 【週間KEN262号】でも紹介した自然農法研究会の農場です。 これを紹介した数週間前は、 ことの成り行き上、エノちゃんのためにも何回かは顔を出さなくてはならなかかな、 とは思っていたのですがココまで入り込むとは思っていませんでした。

予想を裏切ったとはYUKIの行動でした(^_^;) 朝まるで弱くて土日は昼近くまで寝ているYUKIが、なんと7時前に起きて行くというのです。 それも初日(7日)で懲りるかと思っていたら… 次回のために作業用の長靴を買いにいったり、気合が入っているのです(^_^;)

3回目のこの日も、朝7時にクルマで家を出ました。 東大和はウチから30キロほどですが、けっこう渋滞があったりして1時間ちょっとは 見ておかなければなりません。 もちろんスムーズにいけば40分ほど余ります。 東大和のガストでゆっくりと朝食とコヒーの時間を過ごすも楽しみのひとつです。

この日は先週ちかくの楢(なら)と橡(くぬぎ)の雑木林から集めてた落ち葉の山に ① ② ③ ④ 糠(ぬか)と水とをブレンドして、堆肥を作るといういう大作業です(^_^;) これを6回から7回ほどやって豊かな土になっていくわけですが、 その第一回の作業なので、落ち葉のカサが相当なもので人海戦術がモノをいい 思ってよりもはかどりました。

また7日に5本の畝(うね)をつくったままで終了した畑に ① ② 大根・人参・小かぶ・小松菜・ほうれん草の種を植えて ビニール・カバーをかぶせるまでの作業をしました。 5月~6月には収穫が出来るようで楽しみです。

農作業の合間の仲間との団欒もたいせつなひと時です。 今回からマイ・カップとマイ箸を持っていきましたが 今回はマイ箸の出番はありませんでした(^_^;) これに子ども達が参加するようになったらもっともっと楽しくなるのではないでしょうか。

帰りにはエノちゃんの店によって 手を洗って、ケーキとコーヒーをご馳走になって、 エノちゃんのアツイ議論を聞いて帰るのも、定番になりそうです(^_^;)

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2009年01月26日262号 エノちゃんとの飲み会

エノちゃんはお酒を飲みません。 お酒がなくても、たくさんしゃべって東大和(東京都)では ほんのちょっと有名なお菓子屋さんにはなったのですが、 まだまだエノちゃんの思いは通じていないようです。 エノちゃんが思っていることは簡単にいってしまえば東大和の町おこし。 特に人と人との繋がりが希薄な今日の社会をとても憂いて 昨年の3月には東大和の公民館でエノちゃんが発起人となってシンポジュームを 開いたぐらいの情熱家です。

私とはエノちゃんは、いつもホンネでヅケヅケと言い合うのですが… 東大和のキーマンたちとのホンネが今もってよく判らないと嘆くのです。 「エノちゃんはお酒を飲まないからなー」 私が何気なく言ったのがエノちゃんの心に刺さったようで 「だったら今度飲み会があったら,誘うから一緒に行ってよ」と私に言いました。

25日(日)エノちゃんに誘われて東大和での飲み会に行くことになりました。 11時までに東大和に来てほしいというのです。 なぜ飲み会がそんなに早い時間からあるのかよく判りませんし、どのような集会なのか 一応エノちゃんは説明してくれたのですが、なんだかごちゃごちゃして(^_^;) ま~東大和のおおざっぱなアウトラインは私も分かっているので気軽に出かけることにしました。

飲み会にいくわけですから、いつものようにクルマで行くわけにはいきません。 東大和には何十回、いやもうそれ以上行っていますが、電車で行ったことは1度もありません。 南武線で立川まで行ってモノレールで桜街道で下車、そこからエノちゃんのクルマで 会場に向かいました。

私はエノちゃんのクルマの中で 「11時から飲むって早すぎない?それに何時まで飲むの?」 「そもそも今日は何の為の飲み会なの?」…と再度聞いても 私も面識のある自然農法の内野さんの研究会の集まりというだけで エノちゃんも詳しくは判らないようです。 あくまでエノちゃんの目的は私を”酒の場”に連れ出して ホンネを探ろうというもののようです(^_^;)

会場は和食【ななかまど】と言う居酒屋風店舗で、 「おいおい午前中から宴会かよ」と 立川駅で食べたばかりの立ち食いソバを後悔しながら店員に奥へ案内されると なんとカラオケの個室が並んでいます。 「おいおい午前中からカラオケかよ」と 部屋のドアを開けると20名近い人たちが集まって、なにやら会合のようなものが 始まっていました。 テーブルの上には一応、ビールやお刺身やオードブルがならんでいて ま~なんとなく納得がいく雰囲気です。

会は内野さんが主催する『自然農法研究会の新年会』というのが 正式な名称であることがココで始めてわかりました。 途中から入ったエノちゃんと私は黙って会の進行を見守るしかありません。 私はいつものようにデジカメを撮ったりして時間を過ごしました。

会場がひと段落した時に、ひとりの女性から声をかけられました。 「さきほどから写真を撮られていますが、どうされるのですか?」と冷たく言われました(^_^;) そこで、遅ればせながら自己紹介などさせて頂き、 ビールや料理もつまみながら、やっと落ち着かせてもらい、いろいろと談笑することが出来ました。 ① ② ③ ④ 一応場も和み、ひとりひとりに私の名刺を渡して挨拶をしていると ちょうど最後の一人を残して、面識のある女性市会議員のKさんが 私に名刺を配るのは「ココでストップ!」と必死で止めるのです(^_^;) 残っているのは内野さんをサポートしている副会長?の男性ひとりだけなのですが、 挨拶もさせようとしないのです。

ま~まだまだカラオケもあるようだし慌てることも無いと思っていたら 会場は1時までとなっているので、これでお開きという事になってしまったのです。  ① ②

新年会に参加したわけですから 「会計はおいくらでしょうか?」と訊ねると非会員は3500円ということでした(^_^;) […]

2008年08月04日237号 水と土

またガソリンが値上がりしました。 8月から1リッター180円を突破したようで、 年間3万キロは走る我が家の経済に打撃をあたえています。 しかし、こんな事をいつまでも続けられていたら、 近い将来われわれはガソリンを使わない生活をするようになるでしょう。

このような高騰が続くのは”投資マネー”が原油に集中しいるからだそうです。 まったく迷惑な話ですが、この調子でいけば原油の次は”水”だそうです。

日本人は「水と安全はタダ」と考えてる人種なので、”原油”の次は”水”だといわれてもピンときません。 たしかに最近では飲料水などはペット・ボトルやミネラル・ウオーターを購入する人が 増えたようですが全体の水使用量からいったらごく僅かなものです。 しかし、この僅かな飲料水でも飲めなくなったら大変なことになります。 原油やガソリンが無くなっても人間は死ぬことはありませんが、水がなければ人間イヤ すべての生物は生きていくことが出来ないのです。

長野県の飯山で田んぼの草取りをして夜はその畑でホタルを見たことを書きましたが、 次の日は信越の尾根をガイド付きで歩いてみました。 厳しい自然の生態系の中で生き抜く動植物と美しい景色… そして何よりの感動したのは冷たい自然水の美味しさでした(^_^;) ① ② ③

飯山で田植えをしたり草取りをしているのは【蛍の宿を守る会】です。 蛍はとてもデリケートな昆虫で自然のキレイな水があるところにしか生息できません。 その為には田んぼや畑で農薬を使うことは出来ないのです。

この会の会長の小山さんは最初はどんな人かまったく知らなかったのですが(^_^;) 飯山市ではとても有名な元市長さんで自然保護やグリーン・ツーリズムの先駆者だそうで 今でも地元では大変な信望がある人だったのです。 【蛍の宿を守る会】はまったく営利を目的としておらず 地元の人たちと交流や、夜は地酒がたっぷりと用意され… 多分、小山さんが自腹を切っているのではと心配してしまうほどなのです。 そのような会だからこそスタッフや地元の後援者そして全国から集まる会員たちの 思いは熱く人間的な魅力に溢れているのです(^_^;)

水の大切さを思い知らされる飯山の【蛍の宿を守る会】ですが… 土の大切さを教えてくれる人が身近なところにいました。 それはエノちゃんの東大和市(東京都)で自然農業をやっている内野滋一さんで 3月の公民館セミナーでパネラーとして私とご一緒した方です。

31日(木)エノちゃんとオザキさんとで彼の農場を訪問しました。 といってもエノちゃんは毎朝!早朝に起きて内野さんの農場を手伝っているそうです。(^_^;) 内野さんが自然農法に取りくんだ原点は農大恩師の 『土は総ての生物の生命を保つ場所である』という言葉でした。 16年前に一切の化学肥料・農薬の使用をやめて堆肥のみによる栽培方式に切り換え それまで大変な苦労があったようですが、 今ではとても豊な土が定着し、自慢の土を拝見し、 ① ② ③ ④ とても美味しいトマトを頂きました。

日本はもともとはキレイな水や肥えた土に恵まれた美しい風土をもった国でした。 それが高度成長の中で農業も大きく変わり、水や土も農薬や公害で汚染されていきました。 海外からは安い農作物が輸入され日本の農業はますます疲弊していきます。 そんな中で、飯山の小山さんや東大和の内野さんのように自然と共存しながら 農業をやることの大切さを、訴えていく人たちも少しづつ増えているようです。 しかし、このような農業は国は積極的には応援せず、 まったく逆の大型の効率性の良い農業の方に向かわそうとします。 でも、これでは日本のキレイな水も、肥えた土も荒廃し、 水は高価な値段で売られるようになっていくかもしれません。

私の考えはこうです! 遺伝子組み換えや農薬を使った安価な穀物は日本では生産せず輸入で賄う。 日本では徹底した自然農法で農薬を一切使わずキレイな水と土にこだわり テマヒマを充分にかけて安全で美味しい農作物だけを生産する。 これが実現すれば海外、特に中国からはいくら自国の農作物の数倍の値段がしたとしても 充分な需要が予想される。 […]

2008年06月16日230号 だんご作り

ここのところ田植えに行ったり、社員旅行に行ったり、何かと忙しい?私ですが… 先日は『だんご作り』に行ってきました。 今回は私ひとりで場所も東大和市(東京都)の公民館です。 そうパティシエのエノちゃんの地元です(^_^;)

「何でだんご作りか?」という事ついては223号【エノちゃんの熱弁】で その経緯に触れていますが、 私は『だんご作り』が好きというわけでもなく、どうしてもやりたいと思ったこともありません。 実はこの日、急用が出来たのでエノちゃんに 「どうしても行かなければならないのか?」と電話で確認したら 「参加すると約束したのだからどうしても来てヨ!」と言うのです(^_^;)

定刻5分前に公民館に到着すると 会場には『だんご作り』の言い出しっぺの地元の名士Oさんが 責任を感じてなのか、だんご作りのレシピと材料をキチッと用意して待っていました。 そこにエノちゃんと進行役の芽門さん、プラス3名の参加者と公民館の館長も加わって 計8名で『だんご作り』のスタートです。

言いだしっぺの地元の名士Oさんをはじめ、だんご作りは誰も初めてで レシピをみんなで見ながら手探りでこわごわ始めるしかありません。 でも「たかがだんごです!」 そんな事を言ったら『だんご作り』に命を懸けてる人に失礼かもしれませんが… 我われが作ろうとしているのは、出来合いの上新粉を丸めて、 だんごを作ろうという、とても低次元の『だんご作り』なのです。

したがって、この緊張感のなさがほのぼのとしていいのです。 また人数が思ったように少ない(^_^;)のも、ほのぼのとしていいのです。 言い出しっぺの地元の名士Oさんも、とても謙虚で、仕事が丁寧で、 だんご作りを心から楽しんでいるようで、これまたほのぼのとしていいのです。

ある程度の作業が終るころ、地元で農業を営む内野さんが 遅れてきたお詫びに、奥様に作らせたという”だんご”を持参してやってきました。

みんなでだんごの試食会です。 こうして改めて”だんご”を食べてみると、なかなか簡単に出来て美味しいものです。 エノちゃんがお米で粉で作ったというクッキーもナカナカでした。 もちろん今回もエノちゃんの熱弁もありました。

エノちゃんのお店の名前は【お菓子の文化村・茶屋エポック】で、茶屋という名がついてるのだから 『茶屋の団子・えぽっく』なんてネーミングの新商品も閃いてしまいました(^_^;)

なにはともあれ今回は楽しく終わり、 次回は東京空襲を経験された地元の方のお話を聞くことに決まりました。

そんな中で私はあることを提案させて頂きました。 地元で農業をやられている内野さんも来られたから聞いてみたのです。 毎月1回、例えば第三日曜日の10時から正午までとかを決めて 内野さんの農場で草むしりでも虫とりでも何でも良いから参加させてもらうという事です。 参加者は誰でもOKで、天気がよければ畑で昼食のお弁当でも食べて解散というものです。 1年を通して地元の畑を見るというだけでも、とても有意義なことだと思うのです。 内野さんも私の提案に同意して頂き、具体的に考えて頂けるようです。 もう私のアタマはすっかり農業モードになってきたようです(^_^;)

そうそう地元の名士Oさんですが… お父さんが東大和の元市長さんでOさん自身も前回の市長選挙で立候補したのですが 200票差で惜敗した人なのです。 そのような人が次回の選挙のための票集めで参加されたらイヤだなと思っていたのですが… 私どうように単なるエノちゃんのファンのようで安心しました。(^_^;)

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2008年04月28日223号 エノちゃんの熱弁

東大和の洋菓子屋さん、茶屋エポックのエノちゃんの強い要請で先月、 計3日間のボランティアをした事は【220号】で書きました。

そのエノちゃんから電話がありました。 私が「どうしたの?」と聞くと… エノちゃんは「どうしたの?じゃないでしょ、昨日の会合なんで来なかったの?」 と怒っているのです。(^_^;) 私はそんな事をすっかり忘れていたのです。

たしかに公民館での最終日に次回の打ち合わせの日時を決めたのは覚えています。 しかし…そもそも東大和市の地域のコミニティの集まりです。 そこにゲストとして参加した気持ちでいましたから、 次回の集まりには参加しなければならないという責任感がなかったため すっかり忘れてしっまたようです。

それは、ともかくエノちゃんはまた困っているようです。 その私が無断欠勤?した会合で、なんとなく次回の会合が『だんご作り』に決まったというのです。 エノちゃんのファンで先月の2回目のイベントにも顔を出した東大和の名士のOさんが 『だんご作り』を提案したので、そうなっちゃったというのです。 それに対して同じく東大和の商工会の大御所で、やはりエノちゃんファンのMさんが 「なんで夜の7時からダイのオトナが集まって団子を作らなければなならないのか?」 とムクレテしまったというのです。 たしかに私だって川崎クンダリから東大和まで夜に出かけていって 団子を作らなければならないのかよく判りません(^_^;)

でもエノちゃんは… 自分の熱い思いをくみ取って少しでも協力してあげようという、 せっかくの町の実力者がこんな事で仲たがいしては…夜も眠れないというのです。

そこで24日の午後7時にエノちゃんの店にOさんとMさんを呼ぶことにしたから 私がそこで、いろいろとうまくマトメて欲しいというのです。 私も無断欠勤の責任もあるので断るわけにもいきません。

定刻を少し遅れてエノちゃんの店に着くとOさんとMさんは楽しそうに歓談しています。 そこで、4人が揃っていよいよ打ち合わせですが こうなるとエノちゃんは決まって熱弁を振るうのです。 そのエノちゃんの熱い思いは充分に理解している3人が集まっているのですから、 いまさら聞く事もないのですが…(^_^;)

問題はエノちゃん自身に具体的なビジョンがないまま『だんご作り』になったのが いけなかったようです。 公民館でのイベントに引き続き司会進行役を務めた芽門さんが、会の最後に 「それでは次回は何時、何をするか決めたいと思います!」との提議に Oさんは自分の事務所にまだ一度も使われたことのない”だんご作り”の道具があるので、 なんと無くそう言ってしまったら、決まっちゃったというのです。(^_^;)

誰もが善意でエノちゃんの情熱に押されて何となく参加しているので誰も責めることは出来ません。 しかし、あるていどのビジョンやコンセプトは明確にしておく必要はあるでしょう。

ただこのような活動が難しいのは あまり大きなスローガンやビジョンを掲げても支持されませんし エノちゃんの店が儲かるためだとか政治や宗教活動と思われてもつまりません。

ただ、このような気運が出てきた事もたしかです。 というより環境・食糧・教育・介護・高齢化社会・経済などなど、 21世紀に課せられた、あらゆる問題の鍵が地域の活性化にある事はまちがいないのです。

そのためには、ひとりひとりが、たとえ僅かでもコツコツと地元の物産や顔の見えるお店で 買い物するだけでも大きく変っていくはずです。

東大和市は人口8万人の小さな東京都の市ですが… エノちゃんのお店の一日平均の来店数は20名で店を維持するのにも四苦八苦しているのです。 年間客数は休日もあるので延べで約700名 その中には私のような市外からのお得意様(^_^;)も少なくないはずです。

この東大和市民8万人の1%の800人が年にたった一度だけ 新たにエノちゃんの店で買い物をするだけで倍以上の売上げが望める計算になるのです。

これ以上の売上げは多分エノちゃんは望んでいないでしょうし限界でしょう。 […]

2007年01月22日157号 一日店員のボランティア

先週は”ケーキ屋KENちゃん”として不二家の危機管理について書きましたが… 不二家はもう”ダメ”かもしれませんね(^_^;) まー”ペコちゃんブランド”は根強い人気がありますから どこかに吸収合併されるという形になるのではないでしょうか?

なぜ”ダメ”かと言うと…品質管理がひどすぎるのは論外としても すべてにおいて時代遅れだという事です。 ケーキ屋の世界も大きく変わって来たということです。

【シャトレーゼ】という大手のケーキ屋がありますが、 ここの工場の立ち上げに協力した私の友人のパティシエが、徹底した品質・衛星管理と ケーキ職人を必要としない生産性にあきれてしまい、 自分はパティシエとして職人として生きる事を決意したと語っていました。 因みに私がケーキ屋KENちゃんの頃は”パティシエ”など言う言葉もありませんでした。 二極化の中で古い体質の不二家の存在そのものが厳しいのです。

さてさて…前置きが長くなりましたが、 そんな二極化の中で生き残るため 東大和市(東京都)の洋菓子店・茶屋エポックの 地元に根ざした経営戦略を私が協力していることは週間KENでも紹介してきました。

その茶屋エポックがイトーヨーカ堂東大和店の【東大和・美味しさ新発見】という催事に出店中で 20日(土曜日)には私も1日店員としてボランティア活動?をしてまいりました。

私の友人のエノちゃんが経営するお菓子の文化村・茶屋エポックの看板商品は 東大和市を縦断する芋窪街道から私が名づけたスーイートポテト【銘菓・芋窪街道】 それを地元農家とのサツマイモを使っての【COLLABORATION】の写真や商品の写真も 私が企画撮影してきたものです。

今回はそれがイトーヨーカ堂の目に留まり5日間の催事出店となったようですが 茶屋エポックはエノちゃん夫婦でやっている小さなケーキ屋ですから掛け持ちは大変です。 サツマイモをCOLLABORATIONで作っている野村農園の野村さんが同じ売り場で”焼き芋”も売る という事で、どうにか乗りきろうというようですが野村さんも大変なようです(^_^;) そこで私が…昔の名前(ケーキ屋KENちゃん)で出ることになったというしだいです。

売り場に立つ以上は頑張ってたくさん売ってやろう!と意気ごんだ私ですが… エノちゃんは私に言いました「あんまり売らないでね、製造が間に合わないから」 野村さんも私に言いました「焼き芋も、もうこれで売り切れだから大丈夫」と。

まるで商売気がありません(^_^;)…というか、ほんとうに間に合わないようです。 【銘菓・芋窪街道】は売ってしまったら、エノちゃんが作らなければならないのです。 だったら、ある程度作っておけばと思うのですが品質にこだわる職人エノちゃんは、それがイヤなようです。 野村さんが焼き芋として売っているサツマイモは自慢の品種で味に自身があるものの数に限りがあり 催事の日数分で割り振っているようなのです。

エノちゃんは数時間、自分の店に戻って100個の焼きたての【芋窪街道】を持ってきました。 一個126円ですから12,600円分です(^_^;)…ほんとうにご苦労さんという気持ちです。 催事は試食をどんどん出して人を集めて勢いが出ればアツと売れるのですが アツという間の売れてしまえばこまっちゃうので試食用に焼いた芋窪街道も、 どんな味か興味のあるお客様用に大切にとっておきました。

そばを通るお客様の声には耳を澄ますと「芋窪街道…」という言葉がよく聞こえてきます。 やはり地元の名前に反応して、興味は示してもらえるようです。 ここで買った焼き芋がとても美味しくてまた買いにきたのに「売り切れとはナニゴトか!」と 怒ったお客様もいましたが、いろいろ会話をする中でとても納得して頂きました。 エノちゃんも、いろいろなお客様と会話を楽しんでいました。 隣のコーヒー豆売り場からのコーヒーの差し入れも、とてもウレシくなりました。

夜遅くこんなメールはエノちゃんから届きました。   今日はどうもありがとうございました(*⌒―⌒*) また遊びに来てください♪ *榎本 寿明*

パソコンもメールも苦手なエノちゃん自身が私にメールするわけがありません。 エノちゃんの長女・春奈ちゃんに書かせて事は歴然としていますが、 エノちゃん宛てに私も返事をしておきました。    榎本 寿明?? […]

2006年10月23日144号 COLLABORATION

私が作ったポスターです。 こんなのも作りました。 これがその商品です①② こんなのも、ついでに作ちゃいました。

保険屋にしておくのが、もったいないほどの…なかなかの才能でしょう(^_^;) と、自分で言うのはヘンですが、 これはケーキ屋KENちゃんの時からの習性で 今でも何件かの洋菓子屋さんのボランテア?も私のライフワークの ひとつになっているのです。 2年ほど前にこのような事も書かせて頂きました。 この時にも、お店のホームページを作るようなことを書いていますが なかなか手がつけられないまま今日まで来てしまったのです。

その理由は 私の仕事が当時よりもありがたい事に少々忙しくなったことと お店の所在地が私の仕事での行動範囲から少々離れていたこともありますが、最大の原因は 店主のエノちゃんがパソコンやインターネット、ホームページといったものに自分からは 積極的に触れようという気がないことなのです。

それでいて、「これからの時代は地域とのCOLLABORATION(共同作業)での町興し!」なんて 熱い情熱を、もち続けていて、その仕組作りと情報発信を私にヤってというのです。 私は保険屋KENちゃんになって20年も経っているのに、エノちゃんはまだ私がケーキ屋KENちゃんで そのような事のプロだと思っているようなのです(^_^;)

でも、どんなリッパなHPを作っても、人まかせにしたら、おしまいです。 反対に、見てくれはお粗末でも、発信者自身のナマの声が伝わるHPは残ります。 最近はブログという手もあるので、どうにか本人にやらそうと思っているのですが 洋菓子作り一本の頑固職人エノちゃんは自分からパソコンに向う事を拒絶するのです。

そこで、考えたのはエノちゃんのお嬢さんに、エノちゃんや、色々なケーキや、 なんでも日常の様子をデジカメで撮ってもらい、 それに長女のそのままの視点で、短い文章を入れてもらうというものです。 洋菓子屋は保険屋と違って写真だけでも、商品をアピールできます。 もう、その手で行こう!とこのようなブログを勝手に作ってしまいました。 もちろん、これは叩き台でサンプルです。 でも、これはけっこう行けそうな予感はしてきたのですが… かんじんの、お嬢さんが引き受けてくらるかどうか?(^_^;)

2005年12月27日101号 声が出ない!

風邪をこじらせたようで、まともな声がでません。 一週間もすれば治ると思ったのですが、一週間たった今も 声はガラガラ、咳はゴホンゴホン、鼻はテッシュの使いすぎで真っ赤かです(^_^;) 私の悲惨な一週間です。

●19日(月曜日) 昨晩から少しカスレ声になって 「森進一です! ♪おふくろさんよ~おふくろさん」なんてふざけていたのですが 朝からほとんど声が出ないのにはあせってしまいました。 月曜の午前中はアチコチ電話をしたり、かかってくる事も多いのですが 気持ちはしゃべっていても文字通りハナシになりません。 午後は法人のお得意様に伺ったのですが、ハフハフ言う私に「こりゃひどいわ」と一同に笑われてしまい、 いつものおしゃべりもままならず、そうそうに退散です。

●20日(火曜日) 午前4時30分に起床して、クルマでは羽田空港に向かいます。 ネット保険相談の熊本市のTさん宅に伺うのが主目的ですが、それは翌日。 どうせ行くなら有意義に…と言うYUKIのポリシーで、朝一番の飛行機でまず福岡に行って、 翌日は熊本から最終便で帰ろうというエゲツナイいや合理的ないつもの旅です。 こんな状態で出発ですから、私の喉がよくなるわけがありません。 でもYUKIは喜んでいるのです「静かな旅が出来る」と…(^_^;)

福岡空港からレンタカーをかりて八女の上陽町に向かいました。 大学時代の友人木下さん(旧姓寺田さん)が経営する らんぷ亭というレストランでお昼を食べようという計画です。 ご主人を6年前に亡くされご子息の生命保険の件で2年ほど前に東京で逢った時に 近くに行くような事があったら必ず寄ってみるよと約束していたからです。 でも今日行くという連絡はしていません。 午前11時、まだお客様がいない店内に入ると「いらっしゃいませ!」と木下さんが声をかけます。 私は黙って(声も出ないので)木下さんと視線をあわせます。 「角倉クン」…木下さんはビックリしながら「なんでココまで…」とよろこんでくれました。 それから話が弾んでと言いたいところですが(^_^;)

夜はホテルにクルマを置いて、やっぱり大学時代の友人で福岡の香椎で 凡蔵という居酒屋をやっている福山クンのところに。 ここは前もって言っていたので、スタンバイをして歓迎してもらいました。 商社マンの時に上司に脱サラして居酒屋をやりたいと言ったら 「お前はボンクラか!」と言われそれを店名にして二十余年が経過。 すっかり居酒屋の大将が身につき、お店も自然とレトロな渋みがでて、 なんだか【三丁目の夕日】のような懐かしく、しみじみした気分になって、 声が出ない私は静かにグラスを傾けて…と言いたいのですが YUKIに言わせると、まーあの声でよくしゃべったと言われるほどしゃべりまくったようです。

●21日(水曜日) 熊本市のTさん宅に3時に伺うのが今回のメイン・イベントです。 この日は熊本の天気予報は午後から雪 ホテルを早めに出てレンタカーで一路八代市に向かい、用件を済ませてTさん宅に。 今回は静かにして、YUKIに説明はまかせいよう思っていたのですが 気が付けばガラガラ声でいつものようにしゃべりまくっていて、われながら呆れてしまいます。 外に出ると寒くて今にも雪が振りそうな雲行きで、早めにレンタカーを返して、 空港に到着した時は雪が降り出してきました。 登場カウンターでは最終便は欠航の可能性もある事を知らされた時は愕然としましたが 最終便もどうにか離陸!マイナス1度の熊本から夜中だというのに10度もある羽田に到着 夜風が気持ちのいいこと…でもこれぢゃ風邪はなおりそうもありません(^_^;)

●22日(木曜日) あいかわらず、まともな声が出ません。 でも朝から横浜方面の仕事と、ついでにカレンダーも配りを数件やって、一旦うちに帰ってクルマを置いて、 夜19時からの【メール・マガジンのコンサルタント平野友朗さんのセミナー】に行かなければなりません。 なぜクルマを置いてかと言うと、そのあと【飲み会】があるからです。 なんでメルマガのセミナーに行くかと言うと…ココで始めて皆様に発表しますが、いよいよ私も […]

2004年9月27日036号 銘菓 芋窪街道

昔ケーキ屋KENちゃんだった私は、今でもたくさんのケーキ屋さんを知っています。 東大和市(東京都)にある【茶屋エポック】もその一つです。 そのお店の代表的商品【銘菓・芋窪街道】は、実は私が企画・命名した商品なのです。

98年に店主の榎本氏がそれまで経営していた所沢(埼玉)のお店から現在の 住居を併用した店舗を新築し、その時の出店プロジェクトを担当したのが私だったのです。 な~んて書くとチョット大げさですが、私の趣味(YUKIに言わせると)とお客様(保険の)サービス を兼ねてボランティアでお手伝いをしたのです。

本来なら、出店前に戦略をたてて、その戦略にあった立地条件を探すのですが… 予算の問題や、併用住宅で二人のお嬢さんの学校問題や奥様の意向や、いろいろあり 場所と予算が決まったら、そこからクチを出すことにしました。

決定した建設予定地に、私は一人クルマで見に行きました。 開通したばかりの多摩モノレールの始発駅【上北台駅】から徒歩5分で少し住宅街に 入った並木道にあります。 駅前といっても、出来たばかりのモノレールと空き地と広い空しか目に入りません。 それに、もう一つ私の目に焼きついたものがありました。 それはモノレールの線路が走る広い通りに付けられた道路標示の【芋窪街道】です。 その瞬間、アイデアが閃いた私は直ぐに、榎本氏に電話を入れました。

「スイートポテトを主力商品にしよう! 商品名は『銘菓・芋窪街道』出来れば地元のさつま芋が使えるか調べて欲しい、 それにもう一つマドレーヌを形やパッケージを工夫して『モノレーヌ』って云うのもどう思う?」 私は興奮気味に熱く話すのですが、榎本氏の反応は冷淡なものです… 「あのねー、あのへんじゃ芋窪って地名みんな嫌がっていてるみたいで、それを商品名にはねー。 モノレーヌって駄洒落ですよね、ちょっと今、忙しくて手が話せないもんで。」 電話はそっけなく切られてしまいました。 しかし、私の頭には『銘菓・芋窪街道』と『モノレーヌ』のイメージがどんどん湧いてきて そのパッケージやロゴはもとより、新店舗のコンセプト、ブタのロゴマーク、開店チラシ、商品のしおりまで、 寝食を忘れ…いや食事は忘れないで仕事を忘れ…YUKIの冷たい視線を浴び… イッキに書き上げてしまったのです。

開店してから6年… 今では榎本氏は地元ではちょっとした有名人。 商店会から役所まで幅広く顔を出して町おこしに積極的です。 榎本氏も私のダジャレ・センス?を引き継ぎ、地元の狭山茶を使ったパイ菓子を開発 その商品名を上北台駅から『神来たパイ』としたのですが、イマイチ伸び悩んでいます(笑) それでも『銘菓・芋窪街道』はタウン誌はもとよりマスコミの取材も多く、定番商品として定着 したようです。

【茶屋エポック】のホームページを作ってあげる事になっているのですが… やり始めると何でもとことんハマってしまう私にYUKIの目がまた光っています。 今は形が見えない保険という商品を売っている私にとって、洋菓子は形そのものであり 顧客の反応も素早い商品で実に楽しく、私のストレス解消にもなるのです。 しかしYUKIは私にストレスなんてあるわけはないと断言するのです。