2004年12月27日049号 カレンダー配り

カーナビは便利だけどバカなとこもあることを認識しておかなければなりません。 右へ行けだの左に入れだの、エラソウに指示するのですが… ソコが石段になっていたり、人しか通れない道だったりする事もあるのです。

23日、私は石段で行き止まりになった道にクルマを置いたまま、 カレンダー片手に階段を駆け上がり、 住宅前の駐車用レンガに足をつまづき、思いっきり転倒してしまいました。 その時にとっさに庇ったのは背広です(”アオキ”の安い背広ですが) 実はちょっと前に背広のズボンを大きくカギ裂きにしてしまったのですが、 「カーナビを買ったから」という理由で、新しく買ってもらえないのです。 (今は何を言ってもYUKIはコレなんです…ヘ(´o`)ヘ) 悲しい本能?で必死で思い体重を左の手のひらで支えて、背広はことなきを得たのですが… 左の肩が異常な痛さと違和感があり右手で触れてみると、骨が完全にズレているのです。 ころんだ衝撃で10メートル以上も飛ばされたカレンダーをゆっくりと拾上げて、 まずはクルマに戻ったのはいいのですが、そこからどうしようもありまん。

袋小路に入った車をバックして出すのは、とても難儀です。 ケータイで我が家に電話しても、YUKIもヒロコも運転免許がないので、ただ心配さかけるだけです。 ここで救急車を呼んでも、クルマの処理とかややこしそうだし、余分な経費を掛けてしまっては またYUKIの怒りが爆発しかねません。

クルマの中で、なすすべもなくジッと考えました、 「遭難ってこんなものなのかな…」「こりゃ週間KENのネタになるな…」なんて ロクなアイデアも出ないまま時間だけは経過していきます。 午後7時30分には”がん保険”の契約があり、行けそうもなければ連絡を入れなければなりません。 なにしろ、まずはクルマを動く事と心に決めるしかありません。 痛みを堪えて身体を全体を動かて右手でギアをバックに入れます。 バックミラーを見ながら少しづつ時間をかけての袋小路からの脱出です。 道端で遊んでる子供たちが「このオジサン、どうしちゃったの?」という顔で見ますが 注目されてる分だけ安全と思うしかありません。

やっとの思いで袋小路から抜け出して、また右手で今度はギアをドライブにチェンジします。 脂汗を流しながらここまで出来れば、後は… 我が家の近くにある聖マリアンナ病院の救急まで20数キロの片手運転です。 我が家のマンションの前にたどりつき、初めてYUKIにケータイで事情を話して出て来てもらい、 そこから一緒に数分の救急病棟に… もうその時は左手は痺れて冷たくなり、痛みと疲れのピークになっていたのですが… クルマから苦労しながら降りた瞬間、なんの弾みかカッポと骨が元に戻ったのです。 これだったら7時30分のアポイントも間に合うとレントゲンだけとってもらい、会計等の手続きは YUKIに任せて、またクルマでお客様宅に向かう事が出来たのです。

次の24日、母を預かって貰っている妹宅でクリスマスイブを祝いました。 8月に結婚した姪のマキ夫婦も出席、そのマキの夫は外科医で私の脱臼話で盛り上がったのですが、 YUKIはそこで「KENは大げさで一人で病院に行けない、まるでどうしようもないヒト…」とバカにするのです。

そうそう…マキが早くも妊娠!マキは何時も衝撃を与えてくれます、この日(24日)に取れたクルマの 免許書も見せてもらい医大生として、新妻として、そしてこんどは母親として…福島(医大)と東京を 股にかけるマキに、さすが?のヒロコも「負ける…」と言っています。 そうそう…あのYUKI様がなんと!あのヨン様にハマってしまったのです。 宮崎のホテルで21日、何となく付けたテレビが【冬ソナ】の完全版連続放送の第一回目だったのです。 何時もさっさと私より早く寝る(そして遅く起きる)YUKIが最後まで見てしまったのです。 (私はビールを飲んで寝てしまいましたが) そして、我が家に帰ってからも夜10時から2時間、毎日きっちりと見ているのです。 24日のイブもヒロコに録画を頼み、帰ってから深夜まで見ているのです…アノYUKIがです! ヨン様の凄さを私も認識せずにはおれません。

さてカレンダーです、まだ百数十枚、残っています。 お客様に「ちょっと上がって…」とか「まーお茶ぐらい…」とか言われると ついつい、その気になって長居してしまうのです。 昨日(25日)も午後10時頃訪問した友人で顧客でもあるK氏宅で、 「時間も遅いし、忙しくってまだ夕食もとってないくらいだから玄関だけで…」といったら 「じゃーメシを食っていけ!」ってコトになり結局12時近くまでいてしまったのです。 […]