2012年4月23日 第431号 セニョール・ナガモリの一時帰国

”セニョール・ナガモリ”こと大学時代の親友・永森が中米のベリーズから一時帰国しました。
今回で2回目のJICAシニア・ボランティアで一回目は2007年から2009年のホンジュラス。
今回は昨年の2011年から2013年のベリーズで1年経過時点で健康診断のための
一時帰国があるのです。

前回はその一時帰国の時にブログを書く事を薦めたのですが
今回はFacebookのレクチャーをすることになりました。
  

と言ってもそんな難しい事ではなく
私もやっているように、永森が毎日書いているブログのアドレスをコピーして
Facebookに毎日貼るだけの話しなのです。
それはメールでも書いたのですがまったく判らないというのです。

何でそんな簡単な事が判らないのかと、永森宅でのレクチャーとなるわけですが
その謎は解けました。
なんと!永森はFacebookのサイトを一度も開けた事がなかったのです(^_^;)
Facebookでのメールや人からのコメントにはちゃんと応えているのですが
それはメールで転送されたものを、そのメールから返事をしたというのです(^_^;)

ま~その気になれば出来るのでしょうが面倒だったのでしょう(^_^;)
そんな永森でも、この1年で100人の”友だち”が出来ているのです。
ようするに現地にいるほとんどの人がFBをやっているという事です。

FBのは世界中の個人と個人を結びつけるツールですから職業が変わろうと
どの国に居ようと常に繋がった状態になっているので、最初は名刺交換の挨拶ていどで
”友だち”にでも、FBを通しての些細な発信を見て行くことで
親しみや人間性が伝わって関係が深まっていくように感じています。

2年間のベリーズ滞在で少しでも多くのFBの友だちを作っておくこと。
そして前回2年間滞在したホンジュラスへ再訪した機会に懐かしい仲間たちと
友だちになっておく事を強く薦めておきました。
そうしておけば日本のおけるホンジュラス・ベリーズの”第一人者”として
楽しい余生いや第二の人生が送れるかもしれません(^_^;)
これまで永森より詳しい人はいたかも知れませんがFacebookは無かったのですから。
永森のチャレンジはまだまだ続くかもしれませんが(^_^;)

ラテ研(拓殖大学・ラテンアメリカ研究会)の仲間と永森を囲んでの写真 4月13日

 

2012年4月16日 第430号 墨田で花見を2回も(^_^;)

 

隅田川といえば桜!そして来月には東京スカイ・ツリーもオープン!
そんな春欄万の墨田で2回のお花見に参加してきました。

まずは4月8日(日)、JR錦糸町駅のすぐ近くにある錦糸公園での
【すみだストリートジャズフェスティバル】のお花見に!…この集団写真は私が撮影したものです(^_^;)
私やユキがココに所属しているわけではありませんが、
ココの仲間からFacebookで声を掛けられので楽しそうなで参加する事にしたのです。
天気は快晴!桜は満開!絶好の花見びよりで午後1時頃に着いた時には
「花見はコレじゃなければ!」という盛り上がりでとてもとても楽しませて頂きました!

   この日の写真集です

そして4月12日(木)、”本所ひとノま”の木曜イベント”もももく”の今回のテーマ
『鮎川の地酒を楽しむ会』をせっかくの花見シーズンという事でを隅田川に面した
言問橋の側の墨田公園で行なう事になりました。
いつもは7時からのイベントですが準備もあるので早やめに行くとモモさんが2匹の愛犬と
公園の花見としたら超ゴージャスな雰囲気の中で一人座っていました。
私たちも何かお手伝いをと思っていたのですがモモさんがココで留守番をして欲しいとの事で
カイトとサーブの愛犬とユキと私で優雅に留守番をする事になりました。
 

そのうち2人の呑んベイの女性のお友だちがやって来てました。
ひとりは九州に転勤になったばかりで東京出張中との事で顔を隠して”乾杯”しグイグイ呑んで
みんなが揃う前に羽田空港へと行ってしまいました(^_^;)


次にやってきたのが先月『友野さんの誕生会』でお友だちになった富田さんです。
その富田さんがユキの亡くなった父親にそっくだと我が家で盛り上がっていました。
ちょうど私のiPadにヒロコが誕生した時に”おじいちゃん”との写真があったので
富田さんに見せると、たいへん感激して頂き、ユキの大学の後輩ですが
我々は「おとうさん」と呼ばせて頂く事にしました(^_^;)
 

美味しいお酒と料理でゴージャスな花見を大いに満喫する事が出来ました。

   

この二つのお花見でFacebookのお友だちが新たに50人ほど増えました。
こんな所で初対面の人と名刺を交わしても、誰が誰だか判らなくなって
判ったとしても、よっぽどの事でもないと続かないものです。
墨田でお会いする人たちは誰もが”個”として生き生きとしています!
そして、どんどん”顔”が見えていって興味が尽きませんに!

2012年4月9日 第429号 『ゆる~やまの会』

4日(水)…またまたパティシエのエノちゃんの依頼でユキと東大和まで出掛
”お好み焼きのようなモノ”をいろいろ作って試食もしてきました。

なんでそんな事になったか言うと…
【第1回 東大和グルメコンテスト“うまかんべぇ~祭 】
というイベントが、28日・29日の土日2日間開催され
それに参加するためのメニューを開発するためです。

このイベント、こんど市長に当選した我らが”やすおさん” 尾崎やすお市長の企画だそうで
これはエノちゃんも盛り上げなくては!と思っているようなのです(^_^;)
まぁ、私としたら東大和でも、墨田区でも…そして飯山でも
声をかけられれば、イヤ声をかけられなくても
ひょいひょい二人で行くものだから、なんだかとても忙しいのです(^_^;)

このイベントは東大和のサークルなら誰でも参加が出来て
東大和の食材を使った未発表のオリジナル料理を出店して来場者の投票で各賞を選定し
【東大和市ご当地グルメ】として育てていこうというもののようです。
…というのは当日行ってから、そしてコレを書くために知らべて理解した事で
…エノちゃんから何月何日に来て欲しいと言われれば
カレンダーに書きこんで、その日がくれば何が何だか判らなくて出かける事が多いのです。

私たちは『ゆるやまの会』というグループ名で
出展作品名は『やまと多摩ごと焼』というのは、締め切りの関係上決めていたようです…
基本は野村さんのところの東大和産の小麦粉と地場の食材を使った焼き物という事に
なっていて、あとは皆でガヤガヤ作りながら考えようという事になっていたのです。
グループ名はエノちゃん応援団の私としたら『エノちゃん倶楽部』が気にいってたのですが
『ゆるやまの会』というのも「ゆる~く東大和を語る会」と言うことで
私の考えとも一致してなかなかのネーミングです。

今回の試作会にも長瀬さんのお友だちの強力な婦人部隊が初参加して頂き
和気あいあいと楽しみながらゆる~いコンセプトで仲間になって頂きました。

そして最終的に決まったのがこのような作品!
東大和産の小麦粉・キャベツ、それに今が旬の菜の花をそれまで冷凍保存して使用した
お好み焼き風というより、ピザ風という感じで…
「どうせなら、こうして巻いてしまったら…」という私のアイデアで
クレープ風になってしまいましたが、味も食感も食べやすさも中々です(^_^;)

~というわけで28日・29日が楽しみになってきました(^_^;)

※この日の写真すべてです。

ヒロコ!オメデタ!

ヒロコのお腹は妊娠で出ているのではありません(^_^;)

 

 

ホームページを今回からリニューアルしました!
2003年の秋にホームページを開設させて
翌2004年の1月からこの週刊KENをスタートしたわけですが、早いような気もしますが
インターネットの進歩も目覚ましいものがあります。
2006年の9月からブログをスタートし…
昨年からはFacebookも初めて、
スマートフォンを購入したらツイッターも始めようかな、なんて思っています(^_^;)

どれもこれもと笑われるかも知れませが、このセカイは新しいものほど
ハードルが低く…ほとんどお金がかからず…面白くて…パワフルと魅力的なのです。
だからと言ってホームページや週刊KENを閉鎖するつもりはありません。
私の、そしてロコハウスの情報発信のターミナル機能として充実させて行きたいと思っています。

と、ま~難しい事を書いてしまいましたが、今回のリニューアルで
週刊KENをアップするのが簡単になって、しかもお金も掛らかからなくなるという事です(^_^;)
ここまで来るのに私は何もしておらず、
アカラックスの坂本さんとアメリカにいるヒロコがやってくれたのです。

そんなヒロコから27日の朝にスカイプが入りました。
私はホームページの件かとすっかり思っていたのですが隣にランスが真面目な顔をして座っています。
ちょうど1年前のスカイプによるランスとヒロコのアノ日のように(^_^;)
そこでヒロコが懐妊した事を、この日のビッグニュースとして私たちに最初に伝えてくれたのです。
私の大きな声で、まだ寝室でベッドにいたユキも飛び起きて祝福しました。
予定日は11月の半ば頃という事ですが今年もエキサイティングな年になりそうです。

ユキは早速に宮崎の母に電話をしました。
昨年のアメリカでのウェデングパーティーにも参加して、19日に90歳の誕生日を迎えた
ヒロコの祖母は大変な喜びようで、ますます元気になったようすです(^_^;)

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調度1年前にJICAのシニア・ボランティアとしてカメルーンに行っていた
山本文子さんから23日(金)留守番電話が入っていました。
「山本修の家内の文子です、おとといカメルーンから健康診断のため帰ってきました、
明日、主人のミサがあるのでご参加頂ければと思います、急なご連絡で…」

そろそろ帰国されるのではと思っていましたが、翌日にご主人の追悼ミサとは緊急です。
夜からはユキと出かける事になっています。
電話で確認すると午前11時からという事でOKです。

山本家の一人娘はるひさんとヒロコが学童保育での同期で大の仲良しだったことから
家族ぐるみのお付き合いしてきたのです。
ところがご主人の修さんが難病を患って2年前に亡くなって
文子さんは大変な落ち込み用は大変なものでした。
そして心機一転の気持ちでJICAのシニアボランティアでカメルーンに行くと聞いた時は
「それは良い事だ!是非行くべき!」とエールを送りました。

私の親友・永森もJICAのシニア・ボランティアで今は2回目の活動でまた中米に行っているのですが
彼のブログを作ってやったように、
文子さんにも同じようにブログを作って送りだしたのですが、
ほとんどアップされず少々心配していたのです(^_^;)

24日(土)午前11時、小雨が降る中バスで百合丘にある教会に行きました。
山本家はカトリックの洗礼をうけたクリスチャン・ファミリーなのです。
タイトルには亡くなって2年目の法事?なので三周忌と書きましたが、ようするにミサというわけです。
     

ミサが終わったあと食事会にも参加して欲しいという事で
タクシーを分散して旭寿司の新百合丘店へ。
30名ほどの人たちが文子さん・春日ちゃんを待つカタチになったのですが
ず~と立ってまっていても何だからという事で適当にテーブルについて待つことに。
私たちが顔見知りの人はほとんどいなかったのですが、
昨年文子さんがカメルーンに出発する間際に“ブログの特訓”を私と一緒にやった
Oさんがお母さんと来られていて一緒のテーブルに座りました。

そして、文子さん、春日ちゃんもやってきて食事会に。
一緒のテーブルのOさん親子も山本家と同じ洗礼をうけたクリスチャンでビールは飲まれないと言う事で
私とユキがその分も遠慮なく頂きました
料理も次から次に色々出で来て寿司屋なのにステーキまで出てきて、
最後のお寿司が出て来て、ユキは次から次に私に回してきます。
私がユキの厳しいダイエット特訓で痩せた事を話しているさなかに
こういう時だけは私を食事攻めにするのです(^_^;)
 

このお店は修さんが好きなお店だったそうで、その修さんを言葉にすると文子さんは涙を浮かべるのです
亡くなって2年もたっているのに、この日も文子さんの涙は何度も見ました。
ま~私が亡くなってもユキがこれほど涙を流してくれる事はまずないでしょうネ(^_^;)

前日に電話を貰い、何も持たずに何も包まず何も判らずミサに参加しただけで
大変なご馳走になって、お土産まで頂いてしまいました。(^_^;)
ま、ここで私の出来る事といえば…いつものように集合写真を撮る事ぐらい
大人数で、撮るのに苦労しましたがなんとか。

文子さん一ヶ月ほど滞在されるようで、
その間にブログの特訓をしようとOさんと相談、文子さんもその気になって頂いたようです。

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この週刊KENや
週3回アップするブログに記事の内容と関係なく載せている写真などを見ている人から、
「いつも飲んだり、旅をしてたりで楽しそうですね…」と良く言われます(^_^;)
たしかに自分でも客観的に見てみると、そう思われてもしかたありませんが
旅をする時も仕事には支障に無いように、また緊急の事態には対応出来るようにしていますし、
飲み会の方は、せいぜい月に数回なのですが、
その度に題材にしちゃうもんでいつも飲んでいるように思われてしまうようです。

…と言い訳はここまでとして(^_^;)
今回は飯山の東京OFF会のメンバーだった宍戸君の送別会です。
宍戸君は島根県の職員で内閣府に出向していて、
その関係か、関係ないのかも良く判らないのですが飯山の稲作に来ていたのですが…
出向期間が終了し島根に帰るというのです。

宍戸君のFacebookの友だちを見ると墨田のモモさんの友だちとも繋がっていたりして
力まず、物おじせず、ひょうひょうとしていて、呑みっぷりも良く…
なんだか良く判らないのですが好感が持てる青年なのです(^_^;)

17日(土)会場は湯島の【絵馬亭】
今回の幹事になった呑んべいで食にうるさい親跡(ちかあと)さん夫妻が選んだお店。
つきだしには小さな“湯島の白梅”が添えられていて
器や盛り付けにも凝っていて、どれも美味しく、イワシの刺身にはビックリでした。

今回の参加者は…
宍戸君、親跡夫妻、清野夫妻、みかん君こと西原さん
それに獣医を開業しいる親跡氏の病院に勤務しいている友重さん
その友人で幼稚園から大学まで一緒だったという佐藤さん、それに我々夫婦の計10名。

清野夫妻と親跡夫人とは調度一週間前の10日(土)に飯山で痛飲したばかりのメンバー。
ちなみに親跡氏は仕事の都合で飯山には一度も行ったことが無い東京OFF会の常連。
飯山の事はこの週刊KENを通して、よくご存じだそうです(^_^;)

みかん君(愛媛出身なので)は東大農学部の研究員で一昨年結婚して、
昨年赤ちゃんが誕生したパパさんで、赤ちゃんを連れて飯山に行きたいようで楽しみです。

初参加の友重さん、加藤さん、チャーミングな二人のお嬢さんも、
豪快な飲みっぷりで、よそうどおりの大盛り上がりでした(^_^;)      
集合写真

そして場を変えて二次回へ…。
ここでもまたまた呑んで、    
カラオケもあってまた大盛り上がりで (ビデオからカット)      
とても楽しい時間を過すことが出来ました。 集合写真
これがどこのお店か覚えておらず、ママさんごめんなさい(^_^;)

宍戸君への寄せ書きにはこんな事を書いたような気がします…。
「まっ、どこへ行ってもFacebookでつながっているわけで…
東京に来た時はもちろん…私たちが島根に押し掛けていくかも知れませんから…
その時はヨロシク」

日本全国にこういう仲間が増えていく事は実に楽しい事だと思います。

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雪の飯山の5泊6日の旅からまだ一ヶ月もたっていませんが
また飯山に行ってきました。
実は今回の飯山行きは以前から決まっていて
雪の飯山にバスで安く行く方法をユキがネットで探していて
5泊6日で15000円の格安ツアーを見つけて
急遽行く事になったのです(^_^;)

したがって今回が正式?な飯山行きという事で
8日(木)から11日(日)まで3泊4日の旅に行ってきました。

8日(木)
9時50分新宿発の長野行高速バスで長野市に到着。
ここでレンタカーを借りて
長野市は始めてなので、長野と言えば善光寺という事でまずは善光寺に   
それに川中島の古戦場跡も見物して飯山に。
長野では雪がまったくなかったのが飯山に近づくと雪景色
でも先日来た時と比べたら、かなり溶けていて普通のタイヤでも
ここまでなら充分にこれそうな感じです。
飯山のスーパーで食料を調達して
いつもの常宿 ・なべくら高原森の家へ。
ここまで来るとまだまだ雪の中
雪はこの表示を見てスコップで夜の雪かきを開始。
いつもより数時間早い食事でビールを飲んだら眠くなって
10時には寝てしまいました。

9日(金)
昨日24時間の契約で借りたレンタカーを午后2時までに返さなくてはなりません。
したがて、それまでクルマで行けるところへと言う事で、
映画・阿弥陀堂便りにも登場した馬曲温泉へ
いやいや思った通りの素晴らしい露天風呂
セルフタイマーで写真までと撮ってきました。
せっかくクルマで来たのだから前回の旅の宿泊地になった
斑尾高原に行ってみようという事に。
そしてせっかく斑尾高原まで来たのだから
6日間お世話になったペンション「りんごじゃむ」によってみる事に。
そこでコーヒーとびっくりするほど美味しい干し柿などを頂き
時間を忘れて楽しいおしゃべりをしていたら  
レンタカーを返す時間がせまっていました。
レンタカーを飯山店で返し、森の家からの迎えで帰りました。
この日も昨晩と同じく早寝を致しました(^_^;)

10日(土)
昨晩から降り続いた雪がかなり積もっていたので…
森の家の周辺を散歩してみました。  
午後1時半からいよいよ今回の目的である
稲作の仲間たち「蛍の宿を守る会」の正式イベントです。
で、何をするかと言えばよく分かりません(^_^;)
ま、冬には集まる事の仲間が集まって冬の飯山を知ろうと
いったもののようです。
そして、まずは橇(かんじき)を履いて、森の家の佐藤君のガイド
「蛍のたんぼ」まで歩いて行こうというもの。
普段なら限られた森の道が4・5メートルの積雪の上では
どこでも直線コースで行けてしまいますがガイドなしでは
どこにいるかも分からなくなってしまいます。   
「蛍のたんぼ」もただ一面、雪の平野があるだけ
古民家の屋根や大きな杉の木を目印に想像するしかありません。 集合写真
そして温泉は…いつもの湯滝温泉は改築中で北竜湖温泉へ、
北竜湖は二度ほど行っているのですが温泉ははじめて、
飯山らしくないシャレた温泉でしったがとてもいいお湯でした。 
そして…藤沢集落の集会場ではなく
今回は若い人が多いという事で(^-^)
先月の旅でも取り上げた焼きカレーの「ペンティクトン」での会食
森の家ではお馴染みのペンション千曲の女将で
店主の木原君のお母さんから米粉で作ったシフォンケーキの差し入れもあって、

これまでと違ったとても楽しいひと時を
過ごす事が出来ました。 集合写真
戸狩の「ペンティクトン」から森の家に戻るともちろん
二次会です(^-^)
二次会にはいつも参加の関さんが奥様とご一緒で待機中
今回のイベントの発起人で「蛍の宿を守る会」の大御所
川島さんからのメッセージお菓子が届いていました。
少数精鋭の酒豪ばかりで12時近くまでかなりの盛り上がりでした。集合写真

正式イベント一日目は終わりました(^-^)

11日(日)
4日目にしてやっと晴天です
いつもは温泉のあとの宴会に行く藤沢集落の集会場で地元のおばちゃん達「やしょうま」を作ろうというのです
米粉をねって作るこの地方に伝わる素朴な食べ物ですが
噛み締めるとなかなか味わい深いものです。  
そして、いつも田んぼ作業が終わった夜に宴会に行って酔っ払って帰る藤沢集落がどんなところか知りません。
元飯山市長で今は私たちの会長・小山さんの案内で散策するというもので
雪と共存し成り立っている飯山の暮らしがわかって興味深いものでした。  
散策が終わると集落の人たちが作ってくれた打ち立ての蕎をはじめとした昼食。
昼だと言うのにいつものように地酒「八光政宗」も用意されていて、
藤沢集落を後にする時は、いつものようにホロ酔い気分でありました。   
そして、飯山線の戸狩野沢温泉駅まで佐藤君に送ってもらい長野から高速バスで帰宅しました。

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墨田区と言えばて…いよいよ5月に開業するスカイツリーで注目の地域です。
その墨田区観光協会の友野さんの誕生会にユキと行ってきました(^_^;)

友野さんとはモモさんの“本所ひとノま”で一度お会いしただけですが…
その時にご一緒したヨウコさんからFacebookで“友野さんの誕生会”の招待状が届きました。
Facebookをやっていると“招待状”というのが良く届くのですが…
これは気をつけなければならないのは“単なるお誘い”“声掛け”だという事です。
しかし“招待状”という形で届くと何故か「行かなくては!」という気持ちになってしまいます(^_^;)

もちろん、その気がなければ無視すれば良いだけですが、
「興味はあるけでど…」とハードルを感じていた者には“招待状”は心強い味方にもなります。(^_^;)
…というわけで一度しかお会いしていないが、その後、Facebookを通してフォローをしていて
とても親しみは大いに感じていたのです。

誕生会の会場はもちろん墨田区錦糸町のイタリアン・レストラン【イル・チェルカトーレ】
さすが地元の人たちが厳選した会場、料理もお酒も美味しくて私もフアンになりました。
小さなレストランに集まったのは二十余名。
私が知っているのは一度あっただけの友野さんとヨウコさん、それにモモさんが来ていて3人だけ。
でもすぐに打ち解け、私はいつものように写真をバチバチ撮りまくり
“Facebookのお友だち”がまた一挙に増えました(^_^;)  

私が興味深いのは、こうしてFacebookを通して墨田区という地域の“町おこし”が
どんどん広がって皆が楽しみながらやって、リアルなモノになっていっているという事です。
友野さん、この日が44歳の誕生日!
Facebookを見ると4年前にNTTを退職して今の仕事をしているようで、
いろいろな思いがあってやっている事はFacebookを見るだけでも伝わってきます。
ようするに役人的なところは一切なく、
いろいろな人を巻き込んで、世界中の人が親しみを持って触れあえる町づくりを目指しているように私は思えるのです。

友野さんの誕生会と言う事でしたが…
この日、参加した吉井さんも同じ2月28日が誕生日という事でひな壇に
吉井さんのFacebookを見ると、
「日本人だから出来る事を、インターネットの世界で表現」を理念に起業、
その思いは3.11以降より具体的に強くなったようです。
ガヤガヤした会場での二人の様子は“なんだか怪しい関係”のように見えましたが
身のあるはなしをしていたのでしょうタブン(^_^;)

少し遅れてやってきた小林さんは会場から大喝采で迎えられました。 
2日前26日の夕張映画祭で彼が“制作”した映画【くそガキの告白】がグランプリは逸したものの
『審査員特別賞』『シネガーアワード賞』『ベストアクター賞』など4冠を取ったというのです。
小林さんは墨田区出身で墨田区でのロケや映像制作をするSUMIDA製作所もやって
今回の映画のロケも地元の人たちの協力の中で出来たようです。
もちろん映画が公開されたら是非見たいと思っています。 

まだまだハナシは尽きませんが…
飯山にしても、墨田にしても、面白いのは、
誰もが自立して“自分の顔”で生き生きとしているからだと思います。
そうそう、この誕生会を企画して私を招待してくれたヨウコさん
とてもチャーミングで気が利いて、それでいておもしろい人です(^_^;)

※集合写真

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5泊6日の雪の飯山の旅から戻った私たちですが…
今度は飯山が青山にやってきました(^_^;)

25日(土)、東京・青山の国連大学前で週末にオープンする『ファーマーズ・マーケット』
飯山の温井集落・直販所『ぬくい自由きままな仲間市』が初参加するという知らせが
“森の家”からの会員ニュース・メールの中にあったのです。

温井(ぬくい)と言えば、“森の家”から見晴らしの素晴らしい“みゆきのライン”で4キロほど、
そこには、あの名古屋から飯山に移り住んだ“笠木くん”が住んでいる“温井多目的交流センター”があります。
もちろん畑も田んぼも温井地区が中心で、私たちも飯山の“森の家”での稲作の翌日には
必ず笠木くんを訪ねて時には農作業を手伝わせてもらったり…
笠木くんが“飯山のお母さん”と言って親しくしているトシコさん宅にも何度もお邪魔しているのです。

ようするに“温井”は飯山の中でも特に身近に感じている集落なのです。
この事を3月まで名古屋でアルバイトをしている“笠木くん”に電話で伝えると…
「そんな事を“飯山のお母さん”が電話で言っていたな…」との事でした。
笠木くんも遂にアイフォーンを購入したようで今年は農作業でのFacebook発信が楽しみです(^_^;)

てな事で…青山まで出かける事にしました。
雨も止んで薄日がさすもののけっこうな寒の会場を散策し
“飯山ぬくい”のブースを見つける事が出来ました。
そこに“森の家”のスタッフ柴田さんがいて、お互い思わず歓声を上げてしまいました(^_^;)

あの大雪に覆われた飯山から今の時期に持ってくる農作物は
お米・リンゴ・豆類・漬物・あられ・米粉…それから作ったシフォン・ケーキ。
お馴染スノーキャロット・ジュース、それに地元蔵元・角口商店の協力で作った“温井ださけ”
…となかなか盛りだくさんでじっくり見ると楽しめます

中でも“温井”の農家の“おばちゃん?”がひとつひとつボールペンで
商品内容や製造者の住所を書き込んだ漬物や豆の袋には温かさと美味しさが伝わってきます。

飯山からのスタッフ7名はこの日の早朝4時に商品を詰め込んだクルマに乗りこんで上京し、
午後5時閉店と同時にクルマで飯山に引き返すという強行軍のようです。
今回はもちろん初めての試みという事ですが、
私も現場に2時間近くいて、それなりの手ごたえはあるように思いました。

商品がばんばん売れたという事ではありません、たぶん多くの商品が売れ残ったかも知れません。
でも多くの人が興味深く見ていったようです。
例えば“信州いいやま”ですから“野沢菜”のパックを山積みにして販売すれば完売したかも知れません。
でもココは百貨店の物産展ではありません、生産者と都会の消費者を結びつける市場です。
飯山は四季の変化がダイナミックで、
その季節、その季節で多様な食材や文化を楽しむ事が出来るところで、
大きな農場で大きな企業が大量生産するようなところは少ない里山です。
その時に獲れたものを、その時に限定で販売する…そう言ったものこそ都会の人も求めているはずです。
ここで買った漬物に感動して袋に書いてある製造者を記録する人がいるかも知れません。
そこに直接注文しても同じ商品は1年後になるかも知れませんが、その季節ごとの美味しい漬物が手にはいり
お得意さまになる可能性はおおいにあるはずです。

それをどう情報発信していくか…これもFacebookを上手く利用すればそう困難な事ではないはずです。
…とまあ、今回も飯山に熱い思いが募るばかりで
飯山からのスタッフの方たちとまた親しくする事できて私の飯山人脈は広がっていきました。    
そうそう、みなさま“笠木くん”の事はよくご存じでした(^_^;)        

この会場がある周辺は私が小学生時代の遊び場だったところ。
昭和28年から昭和41年まで、ここから数百メートルのところに住んでいて
6年間通った渋谷小学校は今では“過疎”のため廃校になってしまい
どこを見渡しても、その面影は坂道だけで、まったくと言って良いほど消滅してしまいました。
飯山は“唱歌・ふるさと”がモデルとなって作られた里山としても知られていて、
今でもその情景はほとんど変わっていないようです。

自動下書き

先週号は…
「信州いいやま5泊6日モニターツアー冬のロングステイプラン」 15,000円!の
11日(土)と12日(日)の2日間を報告しました。
したがって今週号は残りの4日間の報告を致します。

13日(月)
朝から晴天で美しい雪景色!
この日の作戦を部屋で練っているユキをおいて斑尾高原のペンションの周りを一人で散策。 
お昼はピザが美味しいという【ルドルフ】で食事をして…
天気が良いので飯山線に乗って十日町まで行ってみようという事になりました。
飯山に行くバスは1日に4本、13時7分発のバスで飯山駅に着いて
切符を買おうと思ったら十日町方面は大雪の為、2つ先の“戸狩駅”止まり。
せっかくなので反対側の長野方面の列車に乗ってみる事に、
でも飯山を離れていくと雪は激減して“豊野”という比較的大きな駅で下車したのですが
飯山に戻る列車が来るまで1時間以上、何にも無い駅周辺のんびり過ごさせて頂きました(^_^;) 
飯山の市街をちょっと歩いたら飯山市役所が見えてきました。
たしかそこに森の家の元支配人で今は“信州いいやま観光局”の“顔”になっている
木村さんがひょっとしていたら面白いと訪ねてみると、なんとソコに本人がいるではないですか(^_^;)
これから“森の家”に行くという事で、ねがってもないタイミング!
ここまで来て大雪で“森の家”を見ずして帰る事は出来ないけど行く手段に困っていたのです。
飯山の雪は凄い!斑尾高原の雪はさらに凄い!と思っていたのですが
鍋倉高原の“森の家”周辺の雪は、さらにさらに凄くてわらっちゃうしかありません(^_^;)
私もクルマで通り慣れた道なのですが、ボブ・スレーのように雪の壁の中を突っ走るだけ
どこを走っているか判らないうちに停車したところが、私も良く知っている森も家スタッフの男子寮にしている古民家。
目の前に2階部分が雪の間から見えるだけでほとんど雪の中。
その向かう側に我々の田んぼがあるという事ですが白一色どこからどこまでが我々の田んぼなのかよく判りません。
もちろん“森の家”のコテージも雪に埋もれていました
木村さんの仕事が終わるまで、ちょっと待って
飯山市街の木村さん行きつけの小料理屋さんで楽しいひと時をすごし
今回のツアーの大きな特典でもあるナイト・タクシーのサービスで木村さん(斑尾在住)と
斑尾高原まで一緒に帰る事が出来ました(^_^;)

14日(火)
昨晩お世話になった木村さんが私たちのペンションに迎えに来てもらい
斑尾の木村邸にお邪魔する事に。
とてもシャレた豪邸にビックリ、奥様との旅行の写真なども見せて頂き昨晩に続いて
いろいろと団らんする事が出来ました。    
この日も昨日に続いて1時7分のバスで飯山まで。
雪の飯山市街をゆっくりと散策…   
そこに飯山の地酒“北光”とならぶ“水尾”のお店を発見
さっそく入ってみる事に、店内では試飲も出来るようで、遠慮なく試飲する事に…
これはクルマで無い旅の最高メリット(^_^;)
“水尾”はとても美味しいお酒ですが、こういうシチューエーシュンではさらに美味しく、
なんとセロリーの粕漬けまで出てきて(^_^;)
若旦那とスリーショットの写真を撮って上機嫌の飯山街歩きです。
そして、この日は飯山・東京OFF会の仲間で、
昨年3月から”森の家”のスタッフになったフユコさんと会う事になっていたのです。
森の家での稲作には東大農学部のゼミ生や院生もいつも参加していて
フユコさんは、そこのOBでリーダー的な存在だったのです。
収入は半分以下になったそうですが、もう楽しそうで生き生きとしていて
Facebookでのコメントもいつも楽しくみていて、是非会いたいとラブコールを送っていたのです。
フユコさんが大好きだという洋菓子店と、
木島平の【土曜日はイタリアン】という名のお店で、とても素敵でした。  
斑尾高原までクルマで送ると言われたのですが、
飯山駅まで送ってもらい、そこから昨日同様にナイト・タクシーを利用して宿に…。
フユコさんからお土産に頂いた小さな包みにはフユコさんお手製のチョコレート
そう!この日はバレンタイン・デイだったのです!
とてもフルーティーでとろけるような美味しさで感激して食べてしまいました(^_^;)
そして、こんな素敵なメッセージが添えてありました

2月15日(水)
12日には斑尾高原でスノーシュー・ハイクをやりましたが
この日は”戸狩”でのスノーシュー・ハイクです。 
”戸狩”は”森の家”からも近くて、ここの民宿やペンションにも泊ったりもしていて
馴染みのある地域で、
”望の湯”と”暁の湯”という二つの温泉に入って
焼きカレーが抜群に美味しいペンティクトンで、
斑尾高原行きのバスが出る時間まで、ゆっくりと時間をすごさせてもらいました。 
店主とも色々とお話をしていて
私が「戸狩では”リゾートハウス千曲”に泊った事がある」と言ったら
「そこが私の実家です」と言われてビックリ!
「じやー”アノ女将さん”はあなたのお母さん!」  (その時の写真です 
「そうです私は家業をつかずこうしてお店をやっているわけですが…」
「あのお母さんだったら、まだまだ息子が出る幕はないよ!」と大いに盛り上がりました
戸狩からバスで12キロほど700メートルをど高原にある斑尾は
この旅の最後の夜を惜しむようにパウダースノーが舞うしとても綺麗な雪景色でした。  

2月16日(木)
最終日!昨晩同様とても綺麗な雪景色お朝でした
”ペンション・りんごじやむ”はとてもアットホームで心温まるところでした
今回のツアーでご一緒なった、
とくに同じペンションで朝食をともにしたTさんとIさんとは親しくなりました。 
    

5泊6日ロング・ステイで15,000円はモニターツアーという事で
バスの中や休憩所で裏表・数ページにわたるアンケート書かされましたが
その中で、「どのようなイベントや企画があったら参加したいか?」というのがありましたが、
そこには”イベントや企画は基本的にいらない”と書きました。
飯山には素晴らしい四季と、その自然と里山に共存し生き生きと生活している人たちがいて
それを触れあうだけでも5泊6日などアッというまに過ぎて、また多くの人リピートするだろう。
“お金がなくても時間がある”そんな旅でも…とこれまた色々と熱く書いてしまいました(^_^;)

“鶴瓶の家族に乾杯”のような気配もありましたが(^_^;)
このような旅が出来るのも飯山ならではで、少なくとも私のリピートはまだまだ続きます。