自動下書き

5泊6日の雪の飯山の旅から戻った私たちですが…
今度は飯山が青山にやってきました(^_^;)

25日(土)、東京・青山の国連大学前で週末にオープンする『ファーマーズ・マーケット』
飯山の温井集落・直販所『ぬくい自由きままな仲間市』が初参加するという知らせが
“森の家”からの会員ニュース・メールの中にあったのです。

温井(ぬくい)と言えば、“森の家”から見晴らしの素晴らしい“みゆきのライン”で4キロほど、
そこには、あの名古屋から飯山に移り住んだ“笠木くん”が住んでいる“温井多目的交流センター”があります。
もちろん畑も田んぼも温井地区が中心で、私たちも飯山の“森の家”での稲作の翌日には
必ず笠木くんを訪ねて時には農作業を手伝わせてもらったり…
笠木くんが“飯山のお母さん”と言って親しくしているトシコさん宅にも何度もお邪魔しているのです。

ようするに“温井”は飯山の中でも特に身近に感じている集落なのです。
この事を3月まで名古屋でアルバイトをしている“笠木くん”に電話で伝えると…
「そんな事を“飯山のお母さん”が電話で言っていたな…」との事でした。
笠木くんも遂にアイフォーンを購入したようで今年は農作業でのFacebook発信が楽しみです(^_^;)

てな事で…青山まで出かける事にしました。
雨も止んで薄日がさすもののけっこうな寒の会場を散策し
“飯山ぬくい”のブースを見つける事が出来ました。
そこに“森の家”のスタッフ柴田さんがいて、お互い思わず歓声を上げてしまいました(^_^;)

あの大雪に覆われた飯山から今の時期に持ってくる農作物は
お米・リンゴ・豆類・漬物・あられ・米粉…それから作ったシフォン・ケーキ。
お馴染スノーキャロット・ジュース、それに地元蔵元・角口商店の協力で作った“温井ださけ”
…となかなか盛りだくさんでじっくり見ると楽しめます

中でも“温井”の農家の“おばちゃん?”がひとつひとつボールペンで
商品内容や製造者の住所を書き込んだ漬物や豆の袋には温かさと美味しさが伝わってきます。

飯山からのスタッフ7名はこの日の早朝4時に商品を詰め込んだクルマに乗りこんで上京し、
午後5時閉店と同時にクルマで飯山に引き返すという強行軍のようです。
今回はもちろん初めての試みという事ですが、
私も現場に2時間近くいて、それなりの手ごたえはあるように思いました。

商品がばんばん売れたという事ではありません、たぶん多くの商品が売れ残ったかも知れません。
でも多くの人が興味深く見ていったようです。
例えば“信州いいやま”ですから“野沢菜”のパックを山積みにして販売すれば完売したかも知れません。
でもココは百貨店の物産展ではありません、生産者と都会の消費者を結びつける市場です。
飯山は四季の変化がダイナミックで、
その季節、その季節で多様な食材や文化を楽しむ事が出来るところで、
大きな農場で大きな企業が大量生産するようなところは少ない里山です。
その時に獲れたものを、その時に限定で販売する…そう言ったものこそ都会の人も求めているはずです。
ここで買った漬物に感動して袋に書いてある製造者を記録する人がいるかも知れません。
そこに直接注文しても同じ商品は1年後になるかも知れませんが、その季節ごとの美味しい漬物が手にはいり
お得意さまになる可能性はおおいにあるはずです。

それをどう情報発信していくか…これもFacebookを上手く利用すればそう困難な事ではないはずです。
…とまあ、今回も飯山に熱い思いが募るばかりで
飯山からのスタッフの方たちとまた親しくする事できて私の飯山人脈は広がっていきました。    
そうそう、みなさま“笠木くん”の事はよくご存じでした(^_^;)        

この会場がある周辺は私が小学生時代の遊び場だったところ。
昭和28年から昭和41年まで、ここから数百メートルのところに住んでいて
6年間通った渋谷小学校は今では“過疎”のため廃校になってしまい
どこを見渡しても、その面影は坂道だけで、まったくと言って良いほど消滅してしまいました。
飯山は“唱歌・ふるさと”がモデルとなって作られた里山としても知られていて、
今でもその情景はほとんど変わっていないようです。

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