2010年06月21日335号 YUKIとヒロコの日舞披露!

6月20日(日曜日) 宮崎市日本舞踏協会・第36回【夏のおどり】が開催されました。 もちろん開催地は口蹄疫感染の真っ只中の宮崎です(^_^;)

YUKIはこの日にそなえ一週間前に宮崎入りしてYUKIの母から特訓を受けています(^_^;) 私とヒロコは金曜日の一番の飛行機で宮崎入り。 YUKIの母親、ヒロコの祖母は宮崎で藤間流の踊りを教える88歳の師範。 その娘と孫といっても実際に素人同然なのに、 【地元の踊りの会】に二人が出場すると聞いた時は、さすがの私も「大丈夫かな?」と思いました。 ま~本人たちが恥ずかしい思いをするのは勝手ですが 宮崎で長く踊りの世界にいる義母が恥をかくような事になったら申し訳ないという気持ちですが そんな事も義母は充分に判っての”3人の暴挙”と私もハラをくくって当日を向かえたわけです(^_^;)

この日はあいにくの大雨、 それでなくとも口蹄疫騒動で自粛ムードいっぱいの宮崎で どれだけの人が会場に来て頂けるかと思ったのですが大きなホールにはお客様でいっぱいです。

全36の演目でヒロコは6番目、YUKIは15番目に回ってきます。

ヒロコの演目は【春雨】、保育園の頃のおばあちゃんから教わった最初で最後の振り付けでした。 それをフィリピンでの高校時代、何かパフォーマンスしなければならない時に踊ったと聞いて 私とYUKIであきれ返ったことがありました。 今回もコレに近いものですが、フィリピンの高校生相手のパフォーマンスとは違います。 それなりにおばあちゃんから指導は受けたものの、この踊りの会の参加者とは 絶対的な練習量とキャリアが無いのは歴然です。 しかし人前に立って話したり、サルサは大学時代にクラブを立ち上げたりで… そういった意味での”クソ度胸”と”でたがりや”の性格に期待するしかありません。 そして予想通り、ミスもなくリズムに乗って難なくコナシしてしまったのです。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥

15番目のYUKIはご存知【黒田節】です。 ヒロコとよく話すのですが、YUKIにはイヤな性格があって(^_^;) いつもギリギリまで出来ないような顔をして、こっそりラストスパートをかけてクリアするのです。 今回もヒロコの方はそれほど心配していなかったのですが、 この踊りの会の創設メンバーで宮崎の日本舞踊の世界では少しは名を知れたお嬢様? それでも若ければ愛嬌で済むかもしれませんが61歳のお嬢様では 愛嬌でカバー出来ないと誰もが思うと思うのです(^_^;) でもやっぱり見せてくれました。 まったく見違えるほど堂々と、メリハリをきかせて踊り切って大きな拍手がありました。 やっぱりイヤな性格のヤツですが、やっぱりYUKIはYUKIでした(^_^;) ① ② ③ ④

藤間友紫社中(義母の社中)の演目は後2つ。

昨年、藤間流の師範に合格した藤間友佐葵さんと中学2年生の舞巳子ちゃんの「千代の寿」 舞巳子ちゃんの存在は、まったくこの日まで知らなかったので、その踊りを見た時には ”鳥肌”がたってしまいました、動きが落ち着いてとても優雅な舞に! ① ② ③ ④

そして藤間友紫社中、最後の出番が、高校2年生の貴弘くん、 それを義母の藤間友紫とYUKIの妹、藤間友崇が脇を固める坂本冬実の「アジアの海賊」(^_^;) これに会場から喝采が出るほどの大うけで、私は思わず最後に涙が出てしまいました。 動画 ① ② ③

その涙は、そのパフォーマンスが素晴らしかったというだけでなく、 88歳の義母の絶える事のない燃えるようなエネルギーと、その心意気です。 普段は歩く事も大変な義母が、YUKIの黒田節ではバックで槍を持って舞いYUKIの踊りをカバーし 「アジアの海賊」での激しい動きには、義母を知る多くの人を驚かせました。 そして義母以外の多くの社中の演目は、 歌謡曲に合わせ同じような年代の同じようなレベルの数名のお弟子さん達が 同じような舞をするのが主流で、それはそれで面白いのですが、 なんだかカラオケ大会の延長といった感じがしないでもありません。 しかし地方都市で踊りの師匠として食べていくにはコレも欠かせないようです。

でも”我が社中”はとても変った出演者でした(^_^;) […]

2010年05月10日329号 GWツアーを終えて

4月29日(土)早朝に我が家を出て5月9日(日)未明、 のべ11日間の旅から無事帰宅しました。

具体的な目的といえば来月の義母の踊りの会に、 YUKIとヒロコが参加する事になって、その稽古をするためですが、 これもゴールデン・ウィークでなければいけないわけではありませんが、 どうせ行くなら1000円で行ける休日特別割引をフル利用して…といつもの魂胆がアタマをもたげ 細かなスケジュールは情況まかせという事で、 パソコンに仕事道具もクルマにのせて、なにはともあれ家を出たというわけです。

したがってホテルもYUKIがいつものようにインターネットを駆使して 安い宿を探しながらといういつものパターンですが 国内旅行でこれほどの長旅をしたのは初めてでしたが、けっこうエンジョイする事が出来ました。

先週号では29日、30日の奈良での二日間を掲載しましたので 今回は1日(土)から8日(土)まで一挙に載せさせて頂きます。 毎日50枚ほどの写真を厳選?し、画像は落ちますが2分チョットのスライドショーをご覧頂ければと存知ます。

●5月1日(土) ダイエットと健康管理で毎朝ホテルの近くを散歩する事に、この日は四天王寺へ。 ホテルに戻り朝食をとって、午前11時一路宮崎に直行!宮崎に午後11時着、950キロ。 宮崎県庁側のビジネスホテル泊。 ●5月2日(日) 宮崎県庁から大淀川を散歩、戻ってくると県庁前で朝市が。 YUKIとヒロコが起床、今回のメインイベント、義母のところで… ヒロコは【春雨】YUKIは【黒田節】の稽古、本番は6月20日!

●5月3日(月) この日のKEN散歩は宮崎市のメインストリート橘通りや宮崎駅を散策。 もちろんYUKIとヒロコは踊りの稽古。

●5月4日(火) YUKIの妹キョウコさんも弟ヒロアキさんもと宮崎の最南端【都井岬】には行った事が無いということで みんなで行くことにしました!合計6名でレンタカーを借りてのドライブです。 ゴールデン・ウィークなのにまったく渋滞もなく、とても綺麗な景色を堪能しました。

●5月5日(水) この日の散歩はホテル敷地内のゴルフコース周辺! 宮崎最終日で踊り本番で着る着物でのお稽古。 午後3時に宮崎を出て福山市(広島県)へ  

●5月6日(木) 福山市のホテル周辺の河川敷を散歩。 ホテルのコインランドリーで洗濯(^_^;)福山城を散策し… 尾道からしまなみハイウエーで松山(愛媛県)へ、道後温泉で一風呂。

●5月7日(金) この日は雨で散歩は中止、 午前10時に松山のお客様Kさんがお勤めの愛媛県庁にご挨拶に。 平日で高速割引が無いので国道33号線で高知市へ、途中の景色が美しい! そして龍馬の桂浜、土佐の料理とお酒も堪能(^_^;)   ●5月8日(土) 朝の散歩は龍馬誕生の地まで、帰路は市電で… ホテルを10時に出て香川県の金毘羅さん、金毘羅歌舞伎の金丸座! 丸亀城を散策、瀬戸大橋を経由して、9日午前1時に我が家に無事帰宅。

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2010年02月15日317号 満足な食事

ここのところ満足な食事というものにありついた事がありません。 ま~そのおかげで私の体重は14キロも減って標準体重になったわけですが、 その後の私も、いまだYUKIの厳しい監視下の元にしっかりと管理されているのです。

そんな私を、とても可哀想に思ってくれてる人が宮崎の義母です。 私にとってはとても頼もしい味方です、何てたってYUKIの実母なんですから(^_^;) 義母は88歳とは思えないほどの健啖家で、 私と食事をするのをいつも楽しみにしている人なのです。 ところが12月に上京した時はちょうど私の入院中と重なり YUKIからは満足な食事も提供されず、とても惨めな思いをして宮崎に帰られたそうです。

そして、また12日(金)、2泊3日で義母が上京しました。 日本舞踊の師匠でもある義母が弟子(名取)の師範試験に付き添うためのもので、 藤間流家元の住居がある麻布にほど近い都ホテルに宿を取ったのです。

元気とはいえ88歳のしかも宮崎に住む義母ですから、飛行機やホテルの手配はYUKIがして、 羽田からホテルは私のクルマで、 そしてその日の夕食は都ホテルで(^_^;) ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦

次の13日(金)は、お弟子さんの師範試験の日、それが終るとお弟子さんは宮崎に帰るということでしたが、 義母はもう一泊して、私たち家族もホテルに宿泊させ、 前日に続きホテルでご馳走したいと、涙が出るほど嬉しいことを言って下さるのです。 ホテルに宿泊できるならアルコールも少々は楽しめるわけで、こんなラッキーな事はありません(^_^;)

ヒロコはあいにく、この日の夕食には間に合わないとの事でしたが… 普段から食べ放題、飲み放題のミダラな?生活をしているヒロコや 食べる事にいっさい興味の無いYUKIは、どうでもいいのです(^_^;) ひさしぶりに美味しい食事とお酒が堪能できるという気持ちで私のアタマがいっぱいです。

午後4時頃、YUKIと私は都ホテルにチェック・イン。 家元での師範試験も終わって、 お弟子さんがホテルをチェック・アウトするところで、ロビーでしばらく雑談。

この日は、我が家ではよくあることですが朝食が遅くなって昼食は食べておらず、① 時計をみたら5時30分。 ホテルのどこで食事をするか予約もとっていなかったのですが、 ちょうどすぐそばに中華のレストランがあり、ちょっと寄ってみると何だか急に食欲が(^_^;) 今なら7時までなら予約なしでOKということで店内に。 ①

YUKIの「コース料理など食べれない!」と言う、いつもの要望?にレストランも了承、 二人前コースを3人で、足りなければ単品で注文という少々情けないスタートでしたが(^_^;) まずは乾杯の生ビールがシビレルほどに旨く ① ② カロリーオフの缶ビールにすっかり馴らされ私の喉を誘惑するのです。 生ビールにゴージャスで上品な中華によって! ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ 抑圧され続けていた私の欲望は解き放されたのです。(^_^;)

ビールのグラスが空になるとウエートレスが素早くやってきて「お持ちいたしましょうか」とやってきます。 私がちょっとYUKIの顔色を見ながらちょっとチュウチョする様子を示すと 義母が「遠慮なく飲んで下さい!」と嬉しい援軍(^_^;) 7時までという事でしたが予約の客が遅れるという事で けっきょくビールは4杯、追加注文もして大満足の晩餐でした。

翌朝は昨晩の早い時間の晩餐で空腹のために目が覚めます。 ところがYUKIもヒロコも高いびきで熟睡中、 8時ちょっと前、ドアのノックで開けてみると義母が朝食に行こうとの誘いで 朝食のビュッフェで軽い?朝食を二人で堪能(^_^;) ① ② ③ YUKIとヒロコも遅れて合流しましたが、① ② ③ 義母がいなければ朝食はいつになったか判りません。

金・土と雨の東京でしたが日曜日は天気もよく、腹ごしらえにホテルの庭園を散策。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ 義母を羽田までおくり、ここで昼食を食べてお別れという事でしたが そんな時間が無かったのが心残りでしたが… ① ② ③ ④

とても充実した、つかのまの満足な食生活でありましたが… こんな食生活が毎日出来たら基のメタボに、いやそれ以上になるでしょう その前に経済的に持ちません(^_^;)

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2009年12月14日308号 ただいま入院中!(^_^;)

私のブログをご覧の方はすでにご存じかもかれませんが…① ② ③ 7日(月曜日)に近所の聖マリアンナ医大病院に緊急入院して 12日(土曜日)に手術を無事終えることが出来、① ② 順調にいけば今週中は退院が出来そうです。

病名は急性胆嚢(たんのう)炎…命に係わるような深刻な病気ではなく つまった石ととも胆嚢は手術できれいさっぱり摘出されました。 胆嚢とは胆汁をためておくところですが、 その胆汁とは脂肪分の多い食事をした時に消化を助けるエキスのようなものです。 しかし私は再び高血糖のメタボにならないためYUKIの厳しいカロリー・コントロール下で 生涯を送る運命ですので、なくても良いエキスのようでもあります(^_^;)

そうそう、YUKIの鬼の調教師によって10キロの減量を果して65キロを維持しようと 言っていた矢先の入院でした。 入院から点滴のみでこの間に口にしたのは手術前に飲まされた下剤のみという寂しさです。 手術の翌日の今日(13日)の夕食ぐらいはと思っていたのですが今日もお預けのようです(^_^;) …そのおかげでさらに体重はさらに4キロは減っているようです。

入院が急遽決まった時もそれほど焦りもなかったのは あるていどの事ならパソコンがあればどうにかなると思ったからです。 病室からはPHSでネット接続していたのですが入院3日目で急につながらなくなってしまったのです。 そもそも病棟にネット接続のサービスが無いことに不満でしたが、 大きな大学病院のこと、どこかに無線ランかケーブルぐらいあると思うのですが 誰に聞いても「無い!」の一点張りです。 こうなったら、とりあえずはメールの返事とブログのアップ分だけでも 病院から徒歩15分の我が家から送受信するしかありません。

こっそり抜け出すことは可能ですが…問題は点滴です。 パジャマ姿にガウンをまとい激ヤセし無精ひげで点滴を引きずっている私の姿を見られたら 「末期がんでは!」なんてウワサが近所中に拡がるかもしれません(^_^;) しかし、病院に申請を出したらあっさり外出許可が貰え点滴をはずして堂々里帰りを果しました。

ネットが繫がらないのは困ったものでしたが… 12日はネットどころかパソコンもいじれない手術の日で、 パソコンをYUKIとヒロコに預け、手術が終った13日にはパソコンも無事修復され戻ってきました。 ① ②

そうそう手術の直前にケータイが鳴りました。 普通なら出ている状況では無いのですが発信元が【通知不可能】 これが出るのは海外からで、今かかってくるのは南米を放浪中?のSr.ナガモリからの緊急電話です。 私は彼のブログのプロデューサー兼管理人で、また何らかのトラブルがあったようです。 彼はあわてて「パソコンがウィルスにやられてダメになった!」…というのです。

ネットに通じるとこならどのパソコンでも、自分のブログを開けて日本語入力が出来なくても スペイン語でも英語でもローマ字でもとりあえずは入れて写真もアップできるはず…などと手短に話し 「コッチも今から手術だから!」と両者は慌しく電話を切りました(^_^;)

手術が終わって私のパソコンも直って、Sr.ナガモリのブログを見るとチャンとアップされています。 メール・チエックをすると『アップロード出来ました』とのタイトルで 文面は「いつも大騒ぎして申し訳ない」…と いやパソコンは誰でもいつでも大騒ぎするもののようです(^_^;)

この間たいへんだったはYUKIはもちろんですが… 藤間流の重要な所用で上京していたの宮崎の義母です。 そのサポートを私がする事が出来ず、とても不自由をかけさせてしまいました。

ソレをヒロコがカバーしてくれたのですが ヒロコは、インドネシアの財務省の人たちの映像編集の講義をするという 大きな仕事の最中で多忙のピーク! 疲れていたのか昨日は帰宅途中のクルマでバイクと接触するという事故を起こしたそうで YUKIに事故報告者を作ってもらいました。

そうそう無事退院したら我が家の風呂につかるのが楽しみですが… その風呂釜が壊れて、銭湯に行っているとか。

「こなくてイイよ!」…と言っていたサカモッチことアカラックスの坂本さんが 突然やってきました。 ① ② ③ こんど出版する新書版にDr.KENの紹介をしている個所があるので […]

2009年07月26日288号 宮崎の義母上京ハイライト

YUKIの母が久々にやってきました。 前回上京したのが4年前でヒロコが大学の卒業式に参加するためでした。 今回の目的は日本舞踊の藤間流師範をやっている義母が、 その家元である藤間勘右衛門(四代目・尾上松録)の会が国立劇場で開催され それに参加するためです。 22日(水)~26日(日)までの義母との行動をハイライトします。 22日(水)羽田に到着! 87歳で昨年は転んで骨折し入院するなど肉体的衰えはあるものの一人で その変り手荷物はナシで颯爽とやってきました。 口と頭はまだまだしっかりしていているようです。(^_^) (デジカメの液晶が壊れていて急遽YUKIのケータイで撮影)

23日(木) 私の母を見舞いに介護施設(青葉の丘)に! 義母と母は同じ大正11年(1922年)の3月生まれで87歳。 母は要介護5の認知症と失明、義母にはかなり差を付けられましたが(^_^;) 通じ合うものはあるようです。 ① ② ③

夕刻、バースデイ・ケーキを持って今日が誕生日のサカモッチのアカラックスに 義母も一緒に行くことになりました。 ① みんなでハッピーバスデー♪を歌って 坂本さんがマスクをとって思いっきりのローソクを吹き消しました。 義母には最初はなんだか判らないで来たアカラックスでしたが楽しかったようです。

24日(金) 前日の介護施設にいる母の見舞いにも一緒だった私の妹のユミコの中尾宅に訪問しました。 宮崎土産のお菓子が宅急便でこの日に届いたからです。 1987年、ヒロコが5歳の時に我が家の3人と祖母で当時ダラスにいた中尾家に 10日近く滞在し義母も親しくしているからです。 今は我が家の近くの中野島(川崎市多摩区)のマンションに住んでいて、 そこをリフォームしたの興味のひとつでした(^_^;) ① ②

25日(土) ヒロコの母校であり、今はそこで講師業もしている 米テンプル大学の日本校(港区麻布)で この日、義母と一緒に行動予定のヒロコをピックアップ。 ちょっと中を覗いてみたいという義母の要望で、私も4年ぶりに校内へ… ヒロコが担当する生徒もちょうど来ていて父兄参観(^_^;)をちょっとさせてもらいました。① ② ③

歌謡曲に合わせ踊りの振り付けを創作するのも、 地方での踊りの師匠の収入源のようですが、義母はけっこう好きなようです(^_^;) その義母が「アメリカ橋をどうしても見たい!」と言いました。 曲を聴いてのイメージだけで振り付けをしたのだが、ホンモノを見たいようで 恵比寿駅の山の手線上にかかる現物を見に行きました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ 因みに『アメリカ橋』は1979年の”狩人”の曲を私は連想したのですが 義母が振り付けをしたのは1998年の”山川豊”の曲で、お互い片方の曲は知りませんでした(^_^;)

もうひとつ義母が行きたいといったのが『アカサカ・サカス』でした。 私は良く知りませんでしたが宮崎のテレビで良く見るので興味があるというのです。 TBSのあったところが大きく変っているのはクルマでいつも見て知っていたのですが ここまで変っているとは知りませんでした(^_^;) ① ② ③ ④

そして、義母のメイン・イベントの国立劇場に! ヒロコの友人のクラウディアンナも大変興味があるという事でやってきました。 国立劇場を埋め尽くしたのは全国の藤間流の人たちで着物姿も多く独特の雰囲気で 私は途中で寝てしまったところもありますが、クラウディアンナはとても勘当し 義母にいろいろ質問していました(^_^;) ① ② ③ ④

26日(日) 昨年好評だったうどん作りが今年もありました。 義母はお疲れじゃないかと思いつつ 「一緒にうどん作りに行きますか」といういうと「行く!」というのです(^_^;) というわけで一族郎党4名でうどん作りに参加して […]