セニョール・ナガモリが2年間のJICAシニア・ボランティアでの 中米ホンジュラスでの勤務を終えて4月に帰国しました。 彼のブログは1年前に一時帰国したさい私がムリヤリ押し付けたものですが(^_^;) 私の予想に反し…イヤ予想通りに、 毎日毎日エネルギッシュに山ほどの写真とともに送ってきました。
毎日毎日そのナガモリのブログを見ていると私もホンジュラスに住んでいるような気分になり、 12月初めナガモリ夫人のセッちゃんがにホンジュラスにやってきたブログを見た時は 私も「おー来た来た!」という感じになってしまいました。 セッちゃんは私と同じ神奈川県(横浜市)から地球の裏側のホンジュラスに行ったわけですが(^_^;)
そのブログにコメントをよく入れていたのがグラ爺です。 このハンドル・ネームを最初にみたとき直ぐに誰だかわかりました、 そして私のブログにも最近はこのハンドルネームでコメントをいれてくれる香港在住のオグラです。 オグラがグラ爺なら私はクラ爺になってしまいますが私には孫がいませんのでまだ爺さんではありません。
昨年同様のメンバーで『セニョール・ナガモリを囲む会』をもっと早く出来たのですが せっかくならオグラがこちらに居る時に合わせてという事で、 6月4日に横浜西口のイタリアン・レストランで、久々に拓大ラテンアメリカ研究会の同期が 集まる事になったのです。
集まったのはナガモリ、オグラの他にタナカ夫妻、フルヤ夫妻、アオキ夫妻にマルモノ、アダチ それにいつもの我が家3人の総勢13名。 今回は奥方の出席が少なかったものの 同期は40年以上、奥方たちとも30年ぐらいの付き合があるあいだがらです。 ま~いちおうはナガモリの帰国報告会という事でしたが、それは27日のラテ研全体の集会にまわして(^_^;) 大いに盛り上がり、アツというまに時間が過ぎてしまいました。 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪
ほんとうは今回の集まりは1泊でと私は思っていたのですが、 オグラが6月の4・5.6.7はOKとなったのですが土日の6・7日は我が家は 飯山の田植えに行くことが決まっていて、我が家としては4・5しかありません。 わがグループの終身幹事フルヤと相談したのですが、 ウイークデーの急な宿泊となると参加者も限られるという事で結局この日の会食となったのです。
ま~いずれにしても、これから今以上に忙しくなる仲間は少ないようで 全国に散らばっている同期が集まる会もそろそろ具体的に企画したいものです。
そして私のブログの中でも触れた『Sr.ナガモリといくホンジュラス』を まずは手始めに我われ仲間で行く事が出来たら素晴らしいと思っているのです。