“母の葬儀” とひとり娘の “ヒロコの結婚披露宴” が同じ週に行われるという私にとってはとても
とても長い一週間になってしまいました。
ヒロコは今年の4月にランスと婚姻届を出し、その時に二人っきりで式らしい事もやっており
披露宴ですが、ま~私の気分としたら結婚式のようなものです(^_^;)
前編 【母の葬儀】 8月29日(月)~9月1日(木)
●29日(月)
この日は私とユキと宮崎の義母と3人で、成田発午前10時45分の飛行機で
ヒロコの結婚披露宴に参加するめアメリカに行く予定になっていたのですが、
母の突然の死で、私は当然残る事になって成田空国には見送りに。
突然の出来事と徹夜明けで、見送られる方も見送る方も最小限の口数です。 ① ②
私は成田空港から私の妹の中尾由美子宅に向って葬儀屋との打ち合わせ。
(由美子が実質的に母の面倒を任せていて私は中尾家には頭が上がりません^_^;)
葬儀は、まずは戒名も坊さんもいらない家族葬で母らしい明るい葬式で行く事に。
母の二人の妹、美智子叔母・京子叔母が駆けつけてご焼香。 ①
中尾家の次女・マキと安田コウジ君の医師夫婦がカケルとワタルの息子をつれて。
母はコウジ君にはとてもとてもお世話になっているのです。
初めは母の遺体を怖がっていたカケルとワタルも両親の普段とまったく変らない母との接して方を
見たのをきっかけに、この葬儀を明るく盛り上げてくれました。 ① ② ③ ④ ⑤
●8月30日(火)
私のもう一人の妹・淳子がひたちなか市から息子のナオヤ君とやってきました。 ① ②
母が毛糸で作っていた人形のハッピーちゃんで母を囲みました。 ①
ちなみにハッピーちゃんの命名はヒロコが着けたようです。
中尾家の長女ユリが弾く沖縄の三線には、いつも大きく反応し手拍子をしていた母、
これにあわせて踊ったり、みんなで母を囲んで記念撮影をして大盛り上がり。
そんな時に、母の遺体を葬儀への移動するために葬儀屋さんが。
なんだかヘンな宗教だと思われるのもナンダからと慌ててハピーちゃんを片付けて
皆で神妙な顔をして母を送り出す事に(^_^;) ①
●8月31日(水)
映画【おくりびと】で納棺師という職業も風習も始めて知った私ですが、
葬儀屋さんがとても薦めるのでやってみる事に(^_^;)
映画でモックンがやったほどの本格的なものではありませんでしたが、
みんなで母を綺麗な身支度(みじたく)をさせて、
なかなか感動的でアット・ホームで良かったと思いました。
写真はロイターのカメランマン、ユリ撮影によるものです…① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧
家族葬で戒名もお坊さんもいらないという今回の私たちのような葬儀が増えていく中で
葬儀屋としての起死回生を図ったのでしょうが(^_^;)
ロスにいて今回の葬儀には出席できずヒロコの結婚披露宴には参加してくれる
中尾家の長男シュン君のフィアンセ(婚姻済)で東京海上のライバル会社に勤務する
ナオコちゃんも最初から最後まで参加してくれました。
明日の葬儀会場に母を安置させて、みんなで登戸のイタリアレストランで食事をしました。 ① ② ③
なぜかこの期間いつもより多くケータイに仕事の電話が入ったような気がします(^_^;)
●9月1日(木)
いよいい葬儀当日!
前の晩は母の思い出の写真を公開しようと明け方5時過ぎまで編集をしていたのに
ちょっと仮眠して寝過ごしそうになって家を慌てて飛び出してしまい、
持参したパソコンに最終セットし忘れて愕然。 母が亡くなって泣いているのではありません(^_^;) ①
私の妹・淳子の夫で日立の原発で今や超多忙な技術者・松平ミノル君も前夜遅く来てくれて
由美子の葬儀から葬儀の内容を聞いて驚いた様子(^_^;)
家族葬という事でしたが、どこかで母の死を知った人たちが駆けつけて頂き ① ② ③ ④
早速、由美子が『東京音頭』や『瀬戸の花嫁』(これは母がヒロコのためにという事で由美子が選曲)
などの歌詞カードと振りの指導に戸惑う参列者(^_^;) ① ② ③ ④
葬儀はしめやかにイヤ、とても明るく執り行われ
① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬
なんとも楽しい葬儀で最初は戸惑っていた葬儀場の女性スタッフも
最後はノリノリでこの会をフォローして頂きました。
中尾家で皆で楽しく会食をして母の葬儀はひとまず無事終了…
我が家にもどってアメリカ行きの準備をしなければなりません(^_^;)
後編 【ヒロコの結婚披露宴】 9月2日(木)~9月4日(日)
●9月2日(金) 成田空港→ボストン空港→ナッシュビル(テネシー州)
この日は『ザ・ロンゲスト・ウィーク』の中で文字通りの『ザ・ロンゲスト・デイ』で一日38時間あります。
結婚披露宴の会場であるアメリカのテネシー州のナッシュビルとは時差14時間あるからです。
結局一睡もせずに朝を向えました、クルマで朝6時に家を出て
搭乗手続きを早めに済ませ朝食と金曜日アップのブログを書いておこうというものです。
飛行機は母と義母が乗った同じ便で10時45分発のシカゴ行きで12時間も乗っていなければなりません。
席は3人がけの真ん中で超満員、隣には大きな黒人が窮屈そうに座っています。
2日間ほとんど寝なくてビールとワインでも飲めばもうバタンキューで眠れると思っていたのですが
なんとほとんど眠れずシカゴについてしまいました。(^_^;)
シカゴでいったんアメリカの入国手続きをして旅行バックを受けとって
モノレールで国内線のターミナルに行って…という私にとっての芸当もなんとか無事にこなす事が出来て、
国内線にもスムーズに乗れてナッシュビル空港にも無事到着。
ユキと祖母とヒロコとランス…4人揃って出迎えてくれました。
まだ9月2日午後1時ごろです(^_^;)
ホテルにチェックインしたあと近くのレストランで4人で昼食。 ① ② ③
ヒロコは生後6ヶ月から保育園・学童保育と亡くなった母に接していた期間がとても長く
゛ハッピーちゃん゛に囲まれた葬儀のハナシをすると涙ぐんでいました。
ここでランスのお父さんケビンとも会って意気投合、① ②
ケビンの部屋にも私たちのために冷やしたビールが用意されていました。
7時30分からの親族での夜食会までの数時間は爆睡する事が出来ました。
タクシーに乗ってランスがヒロコにプロポーズをしたというレストランに…
(そのテーブルは我われが座っている大きなテーブルの後ろの窓際にある席だそうです^_^;)
参加者はランスの父親ケビンとママ(ケビンとは離婚してダラス在住)
妹のタラが二人の娘メーシーと生まれたばかりのマデリンをつれて、
ランスの叔父さん(ケビンの弟)のアラン夫婦でランスを入れて8人。
日本勢はヒロコを入れて4人の12名でとてもステキなひと時を過ごす事が出来ました。 ① ② ③ ④ ⑤
●9月3日(土) ナッシュビル
今回の最大ビックイベント、ヒロコとランスが主催する結婚披露パーティーの日です。
細かい内容はまったく知らずの参加で私はてっきりお昼ぐらいからの開催と思いこんでいたのでが
これも昨晩と同じ夜の7時30分からと聞いてチョット拍子抜け(^_^;)
朝食は昨日昼食を取ったホテルの近くのレストランで女性陣と男性陣が分かれて食事。 ① ②
これは本当は結婚式前夜に花嫁を含む女性陣と花婿を含む男性人とが別々に独身最後の羽目外し
をするという欧米にある習慣をちょっとだけ取り入れたもので、
昨晩、酔ったケビンが酔った私に「これからランスと一緒にヌード・ショーに行こう!」 と言った事が
ここで理解する事が出来ました。(^_^;)
テキサス出身のランスのママから私にテキサス州の地形がデザインされた銀製のマネークリップを頂きました。
義母が日本からのお土産にと持ってきた扇子も喜ばれていました。
昼食はランスお勧めの地ビール工場に隣接されたビールの美味しいレストランに、
ここで中尾家の末っ子でロス在住で大学の研究員をしている、いわばランスと同業者?シュン君と合流。 ① ② ③ ④ ⑤
(シュン君も母の葬儀にとても素敵なメッセージを送ってくれていました)
ホテルに戻ってユキとヒロコは義母に着物の着付けをしてもらい
ホテルの斜向かいにある高層ビルの20階にあるパーティ会場に歩いて向かいます。 ①
すでに私の従兄弟(母の妹の長男)の吉田浩司ファミリーが早くも揃って来てくれていました。
浩司君は日産自動車の技術者で3回目の海外赴任でナッシュビルから30分の町に奥様と次男のカイト君と3人で住んでいて
たまたま長男で慶応の2年生のシュウイチ君も夏休みで来ていて帰国を遅らせて参加してくれたのです。
私の甥のシュン君とは誰も初対面でしたがシュウイチ君は同じ大学の先輩・後輩、シュンと浩司君ともなにやら話しに盛り上がっていました。
吉田ファミリーは誰もが英語が堪能で、皆んなと解けこんでエンジョイして頂けたようでした。
エノちゃんに急遽作ってもらったランスとヒロコのマジパンで作った人形は本人達にもオオウケで飾られていました。
ユリからメールで中尾家のYouTubeでこんなメッセージが送られてきました。(^_^;)
★デジカメのビデオで撮影したヒロコの日舞「春雨」です。 ★みんなでダンス!
アットホームで楽しいひと時はアッという間に終わってしまいました。
披露宴が終わって、ランスとヒロコ、それにランスの大学時代の親友ティムさん夫婦とユキとシュンと私の7名で
ナッシュビルのダウンタウンに繰り出して夜おそくまで盛り上がりました。
●9月4日(日) ナッシュビル→ハンツビル(アラバマ州)
日曜日の朝はゆっくり起きて、のんびり散歩がてらランスお勧めのレストランに。
アメリカのレストランはどこも文字ばかりで89歳の義母にどれが良いかと訊ねてもユキですら検討がつきません。
私はヘルシーにシーザーズ・サラダだけを注文し、義母とユキでステーキを取る事に(^_^;)
もともとビーフが好物の義母はステーキの美味しさに感激して喜んで食べて頂きました。
シュンとはここでお別れし、我われもホテルをチェックアウトしてヒロコが住むハンツビル(アラバマ州)まで
先日ヒロコのために買ったばかりのクルマ(トヨタカムリ)で私が運転してドライブ。
その前にちょっとナッシュビルのミシシッピー川を見たいという義母の希望もあって探索、
89歳とは思えないガッツと好奇心にはいつも驚かされます。① ② ③ ④ ⑤
ハンツビルのランス邸にコテージ・スタイルの住宅地でホタルも飛び交う田園風でとてもステキなところ。① ② ③
ここからランスの職場なでクルマで5分、なぜかクルマでしか行けないようで、その事がランスの大きな不満のようですが
それがアメリカなのでしょう(^_^;)ランスと一緒に近くのスーパーマーケットにもちろんクルマで(^_^;)
ランスが義母には何が良いかと私に聞かれて、結局ディナーもステーキがという事になって…
ご飯と味噌汁と塩コショウの利いたステーキに義母は大感激、① ② ③ ④ ⑤ ⑥
豊橋のお客様から娘のお祝いにと頂だいて持参したバームクーヘンも美味しく頂だいて
私がデジカメで撮影したビデオを見たり、とてもゆったりした時間を過ごす事が出来ました。① ② ③
………………
というわけで、ザ・ロンゲスト・ウィークを紹介しましたが
これはほんのダイジェスト、ほんとうはもっともっと書きたい事があるのですがキリがありません(^_^;)