2012年11月19日 460日号 初孫誕生!

ヒロコが現地時間で17日午前7時9分、
日本時間で同日の午後10時9分、…無事女の子を出産しました。
名前はKANA、漢字では”風南”と書くようです。

自然分娩にこだわって29 時間ほどかかったようですが…
母子ともども元気なようでひと安心です。
ユキは8日から現地にいってもちろん出産に立ち会ったようですが
私も21日に成田から初孫に愛にアラバマ州ハンツビルに向かいます。

まずは第一報!
私が我が家でインターネットを通して撮った写真。
●ランスのFacebookが初対面(^_^;)

●私のiPadでとユキのiPhonでスカイプ!

●私とヒロコのiPhonどうしでFaceTime

 

 ユキが現地で撮った写真。

 

 

 

 

そしてランスが撮った写真をご紹介しておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回の週刊KENはハンツビルからです!(^_^;)

2012年11月12日 459号 まずはユキがハンツビルに!

ほんとうに便利な世の中になったものです。
時差9時間の米国ハンツビル(アラバマ州)にいるヒロコ夫婦と
スカイプはもちろん、アップルのiPhone やiPad同士であればFaceTimeという機能を使えば、
ケータイ電話をかけるようにベルを鳴らして、それを受け取ったら
世界中のどこにいても鮮明な画像でお互い連絡がとれるのです。
しかも電話と違ってタダでです (^_^;)

ヒロコの出産予定日は11月18日。
ユキは8日に出発して12月4日に帰国予定ですが
私は21日に出発してユキと一緒に帰国します。

ユキの出発前に、まずはユキが持参する荷物をFaceTimeを使って
最終チェック…欲しいものも画像で確認出来るからとても便利りです。

11月8日(木)…
いつもの事ではありますがユキは出発ギリギリまでドタバタとして
普段着のまま慌ただしく成田空港より旅立ちました。(^_^;)

アラバマ州ハンツビルと言っても、これまで知ってる日本人は
たった一人で後は口でいくら説明してもピンとこないようです。
何でそんな所に住んでいるのかと言えばランスの職場がそこにあるからです。
ハンツビルは航空宇宙産業で知られる都市で今でも色々な研究所や関連企業が多く学者でもあるランスもそこで働いているわけですがナノテクが専門のようですが具体的にどんな事をやっているかは専門すぎてヒロコもよくは判らないようです(^_^;)
そうそう、ハンツビルを知っていたというのは飯山での米作りの仲間の
サッチャンで「留学してた時にたしかアラバマ州にあるロケットセンターに行った覚えがある」とヒロコが帰国中の飲み会で言って
「そう!そこがハンツビルよ!」と大いに盛り上がったのです(^_^;)

今年6月

成田からシカゴに飛んで、そこから国内線でハンツビルまでいくわけ
ですがこの乗り換えが、私も前回ひとりで経験しましたが結構大変で
時間に余裕を持っていないと国内線に乗り損ねてしまうのです。
今回はシカゴ航空で4時間の時間を取っていたのですが
入国に2時間以上もようしたようです。

というわけで我が家を出てからハンツビルの家まで
まる24時間ほどかかってしまうのですがユキは無事到着!
早速スカイプでハンツビルの皆様と歓談を致しました。

     
         

ヒロコのブログです(^_^;)

2012年11月5日 458号  痛いのなんのって!(^_^;)

11月3日(土) 11月4日(日)の二日間は何時もの相模原での大豆刈り取りの日。
今年は猪や猿や鹿に大豆を食い散らかされてしまいましたが、

   

紫斑病もなくキレイな大豆がしっかりなって豊作の気配です。
この季節は地元農家で使い回しの大豆の脱粒機の都合もあって
指定された日の内に刈り取りと脱粒を終了させなければならないので
結構ハードな労働になるのです(^_^;)

 

朝の9時から午後4時まで普段使わない筋肉を使っい疲れはて(^_^;)
長靴や軍手をクルマのトランクに入れて…
左手でトランクのドアを上から下に降ろした時に、
右手の指さきにシビれるような激痛がはしりました。
何が起きたのか自分でもよくわかりません、
ただ右手の中指の指先から血が流れてきます。
急いで運転席に座り込んで助手席のユキから、どこかで貰った半乾になった紙お絞りを受け取って
右手の指先をグルっと強く巻いてタダタダ激痛に耐えていました。

すると助手席にいるユキが
「こんなところでこんな事をしててもしょうがないから、サッサと帰って
健康保険証をもって聖マリアンナ 病院にいきましょう!」と言うのです。
確かにこんなところでこんな事をしててもしょうがないのですが(^_^;)
私はわけのわからぬ激痛に必死で耐えているのです。
しかも「サッサと帰って…」と言いますがユキは運転免許がありませんから
私が運転して帰らなければならないのです。(^_^;)

でも、こんなところでこんな事をしててもしょうがないので…
紙おしぼりを硬く巻き付けた右手は下に降ろしたまま、左手一本で
宮ヶ瀬湖畔からつづら折りになった下り坂を降りていくしかありません。
その間もユキは私の事を「バカだ!ドジだ!ズボンに血がついた!」と励ましてくれるのです(^_^;)
そんなおかげで痛みも少し減少し出血も止まったようで、
右手の様子を見る余裕も出て信号待ちの時に紙おしぼりを外して見ることにしました。
中指の先の傷は血が固まって黒くなっていますが一センチぐらの傷で
爪も若干黒くなっていますが大した事はないようです。
それからは右手も使って運転、
気がつけばユキは安心したのか助手席でイビキをかいて寝ているのです(^_^;)

我が家から歩いて数分の聖マリアンナ病院の緊急外来で看てもらい
レントゲンで骨には異常が無い事もわかり、
傷口は開いているので何針か縫ってもらいましたが大事には至りませんでした。

翌日の4日の大豆の収穫は軽作業を手伝って…と思っていましたが、
右手を支えにして左手でハサミに力を入れると大豆の太い幹もパチパチ切れるので
切り取った大豆の枝はユキに拾って貰い収穫もスムーズに行きましたが
軍手も出来ない右手の包帯は泥だらけになりました(^_^;)

その後のハートコンサートの役員会も無事済ませ…
いつのまにか痛みも薄れていました。

5日月曜日…聖マリアンナ病院で泥だらけの包帯を見せたら
ドクターから少しはバイ菌の事も考えなさい!と叱られましたが(^_^;)
14日の抜糸の日まで、傷口を清潔にしておけば大丈夫のようです。
その日は包帯を巻いた右手を上に上げて湯船で気持ち良くうとうととしてしまい…
気が付けば右手がしっかりとお湯に浸かっていました(^_^;)

今は大きな防水バンドエイドで何とかなりそうです(^_^;)

そうそう、どうしてトランクのドアに指を挟む事になったのかは
長くなりそうなのでカットします。
なんせ36万キロも走って修理もしてない超ポンコツ車ですが、妻同様に可愛いヤツでもあるのです(^_^;)

2012年10月29日 457号 2年ぶりのラテ研総会

10月27日(土)、
新宿ライオン会館で我が母校拓殖大学のラテンアメリカ研究会の2年に一度の総会に出席しました。
この日はエノちゃんの東大和で8月の暑気払いに続いて同じ内野真奈美さん宅でバーベキューをやるとの
連絡が入ったのですが、こちらはユキに行ってもらう事にしました(^_^;)

今回のOB会総会は役員の改選があり、
長年事務局長をやっていた9年後輩の波形君が今期いっぱいで辞退する事を宣言していたのです。
私も卒業して43年半が経過しますが、彼の前の事務局長がだれだった記憶がありません(^_^;)
役員の中でも一番大変な事は誰もがわかっていたのです!
OBの所在管理から各種イベントの企画や案内、OBの近況情報の発信や…
本当に良くやってくれたと思っています。
波形君は旅行代理店を経営してガラパゴスのツアーでは日本一実績があり
もちろんラテンアメリカにも強いユニークな会社です。
だからと言って本業で援助する事はあっても商売になっていたとはとうてい思えません。

総会の数日前、私がラテ研で最も尊敬し現役員でもあるS先輩から電話があり
「事務局長をやってもらえないか?」という打診がありました。
私はとうてい出来ない事をお話したうえで…波形君本人に電話をしました。

以前から思っていた事があったのです。
すこし前まではOB会のホームページを作る事を提案していたのですが
今ならなんと言ってもFacebookです(^_^;)

OB会も少子高齢化で我々の時代をピークにOB会員はもとより
部員の数そのものが激減して一時は部員ゼロで消滅した時期もあったのです。
OB会が懐かしい仲間に会うのが楽しみな高齢者の集いの場で終わってしまったら
同期会ならともかくOB会としての存在意義が問われます。
海外には現在も熱い思いを持って活躍しているOBも数多くいるのですが…
私ですら名前は聞いた事があっても詳しい実態は判らないのが現状です。
OB会メンバーにはなんらかの形でラテンアメリカに係わっている者や
現地で長年活躍し今でも多くに人脈や情報を持っているOBも大ぜいいるのです。
またOB会のイベントは首都圏中心で地方に住んでいるOBはどうしても疎遠になりがちです。
現役学生から若いOB、海外や地方に在住のOBなどが有機的に繋がっていけば
新しい展開が開けると…
いつも超楽天的で単細胞の私は思っているのです(^_^;)

しかし…このような事はこれまでも少しづつは言ってきたのですが、
なぜかFacebookに対するネガティブな反応は、とても多い事も身をもって体験している私です。(^_^;)
しかし、ここは一発提案するしかないと覚悟を決めたのです(^_^;)

現事務局長の波形君も事務局長は辞めても事務局は彼の会社におくそうで
OB会をフォローしていくという事で、役員に任せるのではなく誰もが当事者意識を持つためにも
Facebookが必要であるという事は波形君も了承してくれました。

総会の場で少しだけ時間を頂き、「デリケートな問題でもあるので私の個人的な要望として
FacebookでOB会を盛り上げたいと思っているので皆さまにも協力して頂きたい!」
との趣旨を伝え総会で非公式に了承を得さして頂く事になったのです(^_^;)

●OB会総会は午後4時から
拓大58期から108期まで半世紀にわたるOBが参加(因みに私は67期)
チリとスペインと香港から参加したOBや現役2名の学生を含め43名参加。
現在名簿で所在が確認されいるのは国内257名・海外21名
それ以外に住所不明OBも100名ほどいて、これがどう繋がっていくか楽しみです。
因みにこの日の参加者OBでFacebookをやっているのは私も含め5名だけ(^_^;)
それもほとんどが”やっている”なんてレベルではないのですが…
だからこそ!やりがいのあるプロジェクトでもあります。(^_^;)
OBのみなさま!ぜひご協力くださ~い!!!

総会の模様

新役員挨拶

宴会

スピーチ

集合写真

 

 

 

 

 

 

解散!二次会に?

       
       

 

2012年10月22日 456号 エノちゃんのお店13周年からのスタート

10月20日(土)と21日(月)と二日間
東大和のパティシエ、エノちゃんの【お菓子の文化村・茶屋エポック】の開店13年のフェアがありました。
…と言っても何か大々的にやるというわけではなく毎年恒例の
お店の前で園芸屋さんのように花を並べてやっている【菓子と花のフェスティバル】と外面的には変わらないのですが
今年はエノちゃんのとても重~い思いを込めててのイベントだったのです。(^_^;)

実はこの一カ月ほど前、エノちゃんが突然「もうお店をやっていけない!今年で店を閉めるかもしれない!」と
言いだしたのです。
私はエノちゃんとは30年以上の友人で、東大和に店を開店した時から応援してきたので、現在の経営の苦しさも
充分にしっていました。
しかし地道なボランティア活動などで地元・東大和での人望も厚くファンもいるのでFacebookを利用する人が増えていけば必ず採算に見合う経営が出来るようになると彼とも話し合ってきたのです。
しかし現実にはFBをやる人が周りにはほとんどおらずFBに否定的な人の壁も思った以上に厚く、
そこに13年前の開店時に組んだ店舗兼住宅のローンが重くのしかかって真面目なエノちゃんは耐えられなくなっというのです(^_^;)

でも、それ以外に大きな借金があるわけでもなく、
売上もあと1日1万円ほどアップすればどうにかなるというので、
銀行に1年ほどは金利だけの支払で猶予をもらって、あとは有志みんなで応援しなんとかしよう!…という事になったのです。(^_^;)

20日(土)
お昼少し前に我々が遅れていくとお店の前は人だかり!よく見ると仲間のスタッフばかり(^_^;)
天気もよくパステルでハガキ絵を書く菅田さんも参加して、子どもたちもやってきて
我々も参加しのんびりとした雰囲気であふれていました。

 

嬉しかったのは店の前を通る人たちやクルマに「こんにちは!」「こんにちは!」と明るく声をかけると
その時は黙って通り過ぎた人も帰りには足をとめて花をみたり、いろいろな話をしたり出来た事です。
クルマに犬を乗せて通り過ぎた人も帰りに店と反対側の道路にクルマをおいて
「あんなに挨拶されたら来ないわけにはいかないだろう…」と初めてのお客様になって頂きました。
もちろん多くのお得意様も来て頂き売上も好調!

エノちゃんのFacebookの”友だち”は私たち仲間を含めても40名ほどですが
すべての人に明日最終日のイベントの招待状をパソコンから送付して第1日は終わりました。

 

 21日(日)
昨日も私たちと入れ違いで”早番”の応援をしてくれてる床鍋さん、
市議会議員一年生で何かと忙しいようですがエノちゃんの応援団の強力な応援団の一人!
私がエノちゃんの家計を少しでも助けるため飯山で獲れた玄米を精米して持っていくと
「これはいい米だ!」と絶賛! 聞いてみると5年間ほど大きな米屋で働いた事があるようでやたら詳しいのです(^_^;)
そう言われれば、米屋の前掛けでもして鉢巻でもしめりゃピッタリのイメージで元気良く次の目的地へ去っていきました(^_^;)

       

 近くの公園でお昼の為に持参したサンドウィッチを食べてのんびりしていると…
エノちゃんが自転車でやってきて「高橋さんファミリーが来ている!」と私たちを呼びにきました。
「東大和には若い人でもFacebookをやっている人などほとんどいない!」…という否定のアラシ?の中で
”お友だち”になってくれた若いご夫妻で、昨日のFBの招待状で可愛いお嬢さんをつれて家族で来てくれたのです。
お嬢さんのゆめちゃんのバスデーケーキも注文して頂いたようで嬉しい限りです(^_^)
またエノちゃんの数少ない友だちの紹介で”友だち”になってもらった地元のKさんも初めてお店を訊ねて頂き
我々メンバー伊藤さんとも顔見知りだったりして…
Facebookの手ごたえがエノちゃんに少しづづでも伝わっていけばと思っているのです。

 

この日も子どもの遊び場になってしまったところもありましたが(^_^;)

 何はともあれ多くの人が応援し…
 

 ここを舞台にどのようなドラマが展開されるのか?…みんなで考えていければと思っているのです!

2012年10月15日 455号 稲刈りと”幻の池”

10月13日(土)
先週に引き続きまた飯山で稲刈り!
今年で5回目になる”蛍の宿を守る会”の稲刈りです。
稲の分ケツもよく稲穂は頭をたれて今年は豊作のようです。

 
 

今回は【いいね!いいやま!】 の手作りプラカードを持ってもらって集合写真と!
気合が入っていたのですが、この人数だとプラカードが小さくなって(^_^;)

もう少し良いカメラが欲しくなってきました(^_^;)
もちろん稲刈りが終わったら湯滝温泉に行って、
それから農作業を応援して頂いている藤沢集落のお馴染みの方たちとの恒例の宴会!
ここでは初の集合を撮らせて頂き大盛り上がり!

 

 

 

 

 

 

 

 
         
         

 10月14日(日)

森の家での農作業の翌日にはいろいろな企画が用意されていて
昨日の稲刈りの補修作業というのが集まりが悪く参加を呼びかけられたが、先週から稲刈りついているので…(^_^;)
【幻の池でティータイム】というメルヘンティックなタイトルに惹かれれ、ここなら「いいね!いいやま!」の良い写真も撮れる!
…との思いも込めて『信越トレイル』の極一部を歩いてみる事に…。

 

 キノコもいっぱいありました(^_^;)

 

         

 予定より30分超過して13時30分に森の家に到着。
この信越トレイルに一緒に参加していた清野君のご両親と、清野・さっちゃん夫妻と私たち6人で
昼食をお馴染みの【焼きカレーの店・ペンティクトン】で食べようという事になっていて行ってみたら
本日は4時30分からという事で閉店中。
だったら、私のお気に入りの”冷やしてんぷら蕎麦”が美味しい【ことぶき村】に!と行ったのですがここもやっておらず…
まちがいなくやっているハズの、ここもお馴染み”道の駅花の駅千曲川”にある【カフェ里わ】に。
日曜日の昼になんとも…でもなんだか飯山らしい感じがして心がなごみます。(^_^;)

 

この後に会う事になっていた笠木君から電話が入って、森の家にお米の脱穀機をちょっとだけ貸す事になったので
これから森の家に行くというので我々もリターン。
”蛍も宿”で獲れたお米を食味コンテストに出展するため早めに刈り取って天日干ししていた稲を脱穀するというのです。
笠木君が安く手にいれたというこの脱穀機とても調子が悪く大変でした(^_^;)

     

 まーどうにかですが脱穀は終了、森も家のラウンジでフユコさん手作りも『栗の渋皮煮』をご馳走になり
喉の手術を終えたばかりの高野支配人とすっかり暗くなるまで団欒をしてしまいました(^_^;)

 

 

 出来たら会いたいな…と思っていたFacebookでお友だちになったばかりのOさん。
もちろん職場は真っ暗で、業務用のクルマのワイパーのところに名刺だけでも置いてきまっした。
来るたべに飯山が好きになっていきます(^_^;)

2012年10月8日 454号 「いいね!いいやま!」笠木さんの稲刈

10月の6日・7日・8日と13日・14日と週末に飯山の稲刈に行く事になっているので
その前にこんなモノを作ってしまいました(^_^;)

 

6月にFacebookの中に【いいね!いいやま!】という”タイトル゙”で飯山の”いいね”が伝えらる
写真を私をはじめ多くの人たちから集められたいいなという思いで、アメリカにいるヒロコにも手伝ってもらい
スタートしていたのです。
…というわけで、
昨年に引き続き飯山の笠木さんの稲刈から使う事になりました。
6日(土)まずは飯山に到着して笠木さんの田んぼに行く前に寄ってみた【道の駅花の駅千曲川】で!

そしていよいよ、最初の小さな田んぼで…

…とま~余裕をもって写真を撮っていたのですが
昨年も大きく狩残してしまったメインの大きな田んぼに行ったら
写真を撮るのが精一杯というハードな労働が待ち受けていたのです(^_^;)
田んぼの水抜きが上手くいかず田植えの時と同じようにぬかるんでいて
先年の反省から購入してた稲刈機が泥に絡んで使いモノにならなかったのです(^_^;)
 結局昨年と同様しかも足場の悪い中での手狩になってしまったのです。

 

 この日の宿は、笠木さんの”飯山のおかあさん”の実家でもある民宿・たんぼ荘
温泉と美味しい料理と地酒・北光正宗で旅と農作業の疲れを取ることが出来ました。

 一晩中強い雨音がしていていましたが朝になったら雨はどうにか止んで一安心、
笠木さんの妹さんと姪子さんも昨晩遅く到着しました!

 

 そしてこの日は誰もが気合が入っていて手狩で
まだ稲穂が青い一部を残してどうにか終了(^_^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうそうお昼は昨年に続いて焼きカレーの店ペンティクトンで!

そしてこの日の宿は”森の家”  
雨が降りだしたり暗かったり墨を起こすのに…ここでもバタバタしましたが
これはこれで面白かったです(^_^;)

8日の朝は飯山らしい快晴!
”飯山のおかあさん”トシ子さんの家にお邪魔しました。
笠木さんが夏の始めに採ったいうミニトマトが枝は枯れても実はしっかりと残って飾られていました(^_^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだまだこの日も続きますがこのへんで(^_^;)

2012年10月1日 453号  枝豆とバーベキュー

9月30日(土)
津久井(相模原)の大豆の会で恒例の枝豆を収穫してのバーベキューの日です。
6月の中旬に種まきをして3ヶ月半でこれだけ青青とした畑になっていっぱいの実をつけています。
これで一ケ月もすれば青青とした葉や枝や豆を包んだ皮も枯れて
いよいよ大豆収穫の季節になります。

この日は、みんなで食べる分と
持ち帰り用の枝豆…茹であがったものと、
たっぷりと実を付けた枝を束ねたものにするのですが
それでも結構な農作業になり、
白いオシャレな姿でやって来た初参加のAさんは
「バーベキューと聞いたからこんなカッコウで来たのに」と嘆いていました(^_^;)

今年から参加の若い大塚夫妻はオシャレなアウトドアのキッチンセットを持ちこんで、
枝豆をハンドミキサーでペースト上にして牛乳と混ぜて
手の混んだ美味しいスープ、枝豆とオリーブを和えたもの…
そうそう枝豆を水を使わず圧力鍋焼いたのもなかなかイケていました。

 

私はも含め多くはノンアルコールですが…ユキはビールはビールでご機嫌です。

もちろんバーベキューも恒例のクサヤからお肉もいろいろ、そしてこの会のリーダー菱山さんの焼きそばも定番となりました。

そして、これも昨年大好評だった田中さんのずんだ餅!
作るのは大変だったようですがアッというまになくなりました。

 

そうそう近くに咲いていた花オクラもちぎって美味しく食べました(^_^;)

お土産の枝豆もたっぷりと頂いて楽しいひと時でした…
私はもちろん最後までノンアルコールでしたが(^_^;)

   

2013年9月24日 452号 飯山の二日間

22日(土)23日(日)は飯山で過ごしました。
今回の飯山は大きな目的はなかったのですが
とても興味深い結婚式が”森の家”で22日に行われ招待はされていないのですが、
外からでも見させてもらいと思っていたのと、
モモさんと飯山プロジェクトの仲間が飯山に来るというのが重なったので、
私たちも別行動で合流が出来ればと思ったからです。

22日(土)
我が家を出た時はドシャ降りの雨で、
これで”森の家”でのアウトドア・ウエディングはどうなるのだろうと心配していたのが
嘘のように晴れあがった飯山の森の家は木漏れ日も気温もさわやか絶好のウエディング日和になっていました。
飯山で”やよい農園”という奥様の名前をとった無農薬の農園を始めた若いカップル。
たまたまFacebookで見つけた彼らのブログを見たら森の家の馴染み顔が何人も出てきて
すべて手作りの結婚式を作り上げていく様子が伝わってきてとても興味をもったのです。
またブログを溯ってすべてを読んで飯山ファンの私はもちろん彼らにFacebookの友だちリクエストを出したのです(^_^;)
ほんとうにおめでとうございます!

         
         

 その後は森の家の近くの10月13日には稲刈りをする”蛍の宿を守る会”の田んぼや
8月にそばの種まきをして白い花をさかせている田んぼなどを見にいきました。

そして笠木さんのいる温井へ…トシコさんのお宅でいつものようにお茶を頂いて
モモさんたちと合流したのは5時を回っていて、私たちは6時までに食事の関係で民宿に
チェックインしなければならないので、簡単な雑談ていどで明日また会う事に。

 

     
     

 6時に民宿の岸田屋にチェックインして6時30分に夕食、それからひと風呂浴びて
歩いて5分ほどの、モモさん、加島さん、奈々さんが夕食に来ている、
焼きカレーでお馴染みのペンディクトンへ!ビールが旨い!

23日(日)

岸田屋は昨年の秋にも宿泊した素敵な民宿、お嬢さんの由美子さんにFacebookをやる事を力説して(^_^;)
モモさんが是非見たいと言っていた、とん平高原の森の中に今年出来た『ツリー・デッキ』に
ペンディクトンの木原さんの案内で行きました。
こんなところで優雅にお酒が呑めれば!…モモさんらしい憧れですが(^_^;)
これを作ったのは庚敏久さんと言ってとてもパワフルでヤンチャで遊び心満点の飯山の若者のリーダー、これを一人でつくっちゃったのです。
この豪雪地帯でこの冬を耐えられるか?心配ですが、それも彼は楽しんでいるように感じました!

 
   

この後、新幹線の長野駅から飯山線に乗って千田さんが到着!村松君の北光正宗にちょっと寄って
森の家で支配人の高野さん、それに木村鬼軍曹(^_^;)と笠木さんにも来てもらいプロジェクトの打合せ。

   

そして昼食はあの!飯山の名店”本田のうなぎ”予定はしていなかったので予算オバーだがやっぱり上手い!
ここで、すぐ近くにある飯山を代表する二大蔵元”北光”のライバル”水尾”の田中屋酒造店の田中社長が参入。

 

もちろん、この後は田中酒造店の酒造所を見学。
田中さんの話には彼の熱い思いが込められいてとても興味深く聞きまっした。
飯山での一升瓶の回収率はほぼ100%!コメはもちろん飯山産、酒粕は漬物用に
吟醸米で削られた米粉はせんべい用にと市民生活と一体になって無駄なく使われ、
鮮烈な飯山の四季の中で労働力も上手に利用しながら昔からECOな商いをやっているのです。

 

そうそう店の外からキレイな笛の音が聞こえるから戸の隙間から覗いてみると!
ほんとうに飯山がますます好きになったしまいました(^_^;)

最後は千曲川沿いにある『道の駅花の駅千曲川』に、ここがモモさんのNPOが派遣する予定の
クリエターの拠点となるところで、木村鬼軍曹の管理下でもあるのです(^_^;)
まだクリエーターも決まっていない状態でやがて”あの冬”がやってきます!

 

2012年9月17日 451号 週末は東大和で(^_^;)

15日(土)16日(日)の週末はユキと東大和で過ごしました。
…と行ってもクルマで渋滞が無ければ1時間ほどのところですから
もちろん日帰りで2日間通っただけの話しですが(^_^;)

午前10時に
東大和のエノちゃんの友だちで私の知人でもある大本さんが
最近Facebookを始めた、まだ使い方がよく分からないという事で
自宅にエノちゃんと共に訪問しました。
大本さんは住宅政策や地域自治などに関する大学教授をされ定年。
しれから居住地の東大和に目を向けエノちゃんと親しくなったのです。
そしてFBを始めたのだがまだよく判らないというので伺う事になったのです。(^_^;)
結局、昼食までご馳走になってしまいました。

 

 

その後、エノちゃんのお店で寛いでいたら…
エノちゃんが親しくしていて以前に障害者施設にいたという平田さんという青年がやってきました。
平田さんは牛皮に特種の絵の具を使い絵を書くの上手で
彼自身が使っている皮の財布の電車の色に感激して時間を忘れて
楽しい時間を過ごしてしまいました(^_^;)
平田さんが帰った後、エノちゃんが彼から送ってきた、
お店の近くを走る多摩都市モノレールを描いた皮の詩織を
見せてもらいました。
エノちゃんのお店には私が命名した
【モノレーヌ】という【マドレーヌ】がありますが、
どうにかこの絵を使えないものかと考えてしまいます(^_^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな事をしていたら
東京街道団地の秋祭りのお手伝いに行く時間です。
この日のビッグイベント!?は午後6時から始まるビンゴゲーム。
その前に1枚100円のビンゴ券を販売しなければならず
人手は多いほど助かるというのです。その後は盆踊りやカラオケ大会があるわけですが…
先日お会いした市長の尾崎さんもこの日はアチコチのお祭りに参加して
「ここで5件目だよ…」とお疲れ様(^_^;)
なんやかやと、やっていたら
なが~い東大和の一日はアッというまに終わっていました。(^_^;)

16日(日)
この日のメインはお神輿!
広い団地内はもちろん近くの小さな商店街では大いに盛り上がりました。
ユキは「ワッショイ! 」「ワッショイ!」の掛け声は仲々のもので
「このオバサン誰?」という感じです見られたようです(^_^;)
おかげで、この団地に住む若いFacebookの友だちが三人出来ました。
何とかエノちゃんの為にも、
この街をFBで盛り上げたいとの思いを強くした2日間でした!