2004年5月31日019号 橋田信介さんを悼む

さて今回から、その時その時の私が思い浮かんだテーマを気ままに書こうと思います。
今までの週間KENの感想を伺うと、どうも意見が二つあるようなのです。
一つは「 ほんまにアホらしい!」…もう一つが「アホやけどオモロイ!」です。
急に関西弁になってしまいましたけど、アホらしさは共通しているようなのです(泣)
で…今回は 少しおもむきを変えて重いテーマで【イラクの人質問題 】をとりあげ、
その原稿をほとんど書き上げた時に…
もっと、もっと重いニュースが飛び込んで来ました。
イラクで戦場カメラマンの橋田信介さんと甥の小川功太郎さんが銃撃されたというニュースです。

実は、橋田信介さんの一人息子大介君と、我が家の一人娘ヒロコは保育園時代、6年間一緒のクラスだったのです。
保育園 の同窓は本人達以上に親同士が懐かしく、橋田家がバンコク(タイ)に引越してからも多くの
保育園仲間 がファミリーで橋田家を訪問したり、その消息は身近に感じていたのです。

最近ではテレビやマスコミでも、その活躍を目にする事が多くなりYUKIと「有名になってきたね」…と
話していた矢先の事件です。
ニュースを聞いた時に大変な衝撃を受けた事はたしかですが、不思議な事に悲しみよりも、
わけのわからぬ”怒り”が湧いてくるのです。

橋田氏は常に【戦争】に反対しながら、一人の人間として、優しい目線で悲惨な【戦場】を取り続けてきました。
国家が国益のために起こす【戦争】は,【戦場】 において常に個人が犠牲になるのです。
彼は【戦争】カメラマンではなく、あくまで【戦場】カメラマンだったのです。

日本がイラク戦争に”参戦”する事を決めた小泉さんは「危険なら行かない、安全なら行く」と言いました。
同世代の橋田さんは「安全なら行かない、危険なら行く」と 言いました。
そしてイラク へ行って橋田さんは死んでしまいました。

テレビのニュースで久しぶりに幸子夫人を見ました。
「幸子さんはとても個性的!」とウチの個性的YUKIが言うほどユニークで魅力的な人です。
彼女が毅然とした態度で微笑みを浮かべながら…でも目は潤んでいました、彼女らしいです。
ひ弱な印象だった大介君も見違えるように素敵な青年になっています。
二人は信介さん を誇りに、その意思を継いで、立派に生きてい くと思います。

私の手元に橋田さんが書いた一冊の本があります。
ロイター通信のカメラマンを している姪っ子のユリが「KENおじちゃん、この本面白いヨ!」と貸してくれた本です。
私が橋田さんを知っている事を話すと、ユリは興奮して「絶対に逢いたいから、紹介して!」といいました。
私も十数年逢っていないので、是非時間を作ってもらいヒロコもつれて逢いに行こうと思っていたのに…。

ユリから借りた本の題名は『イラクの中心でバカとさけぶ』です。
イラクの中心で…「戦争のバカヤロー!」と叫んで死んでいったような気がしてなりません。
橋田信介さんの、そして小川功太郎さんのご冥福を心よりお祈りします。

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