2007年03月19日165号 空也のもなか

「Aさんから電話で空也(くうや)の最中(もなか)が手に入ったから、取りに来ないかって… たぶんKENに逢いたがっておられるのじゃないですか?」

私が帰宅するなりYUKIはAさんから電話があった事を伝えました。 Aさんは今年84歳のお客様で、私がケーキ屋KENちゃんの㈱フランセ時代に 仕入課長をされていた方でもう40年近いお付き合いになります。

私は銀座8丁目の並木通にあったフランセ本店の店長を数年やっていました。 その頃の銀座は高度成長の真っ只中で並木通りには高級クラブがひしめき 夜になるとフランセの喫茶室はクラブのマネージャーやホステス、そのお客様でごったがえします。

午後10時頃から2時間あまり、銀座のクラブや割烹からイッセイに 電話での”お菓子”の注文が殺到するのです。 その頃の銀座は会社の接待が花盛りで、その接待客の”手土産”になるのです。 この2時間足らずで1日の売り上げのほとんどを占めるため フランセのジャンパーを着たアルバイトが配達に走り回るわけですが… アマンド、ヴィクトリア、ウエスト、コージコーナーなどの数多くの洋菓子店も ライバルとしてしのぎを削っていたのです。

そんな並木通りに、私が出勤する頃には早々と「売り切れ」の札を出している やる気の無い?和菓子店がありました。 「あ~あ~こんな事をやっているから和菓子屋はだめになっていくんだ」… 私は、そう思っていました。

あれから30年、社用族で賑わった夜の銀座の面影はすっかり薄れ フランセを初め多くの洋菓子店も銀座から姿を消していきました。

Aさんとは電話ではよく話すけど、まだ逢ったことが無いというYUKIをつれて さっそく府中のAさん宅を訊ねることにしたのです。

私は昭和53年フランセを退社し1年間だけ旅行代理店の仕事をしていました。 その頃Aさんは持病に苦しんでおられたのですが… 「これが最初で最後の海外旅行になると思うけど、 学生時代の憧れだったドイツに妻と気ままな旅をしたい…」 との希望でパッケージでないオリジナルの旅が出来るよう手配した事がありました。

その最後のハズの海外旅行が84歳になる今日までに ほとんど毎年続けられて、もう大変な旅行通。 その話を聞くのが私の楽しみになったくらいなのです。

ヨーロッパの田舎町での人とのふれあいが何より楽しいと 60歳を過ぎてから、ドイツ語、フランス語、スペイン語の学校に通い Aさんの辞書はどれも使い込んだネンキが入っているのです。 「これが最後の旅行!」が口癖のAさん… 「万里の長城を一目みて死にたい」と昨年は中国にいかれ 今は中国語の勉強もされていて、おどろくばかりなのです。

さてさて、空也のもなかです! 我が家に帰ってさっそく食べることにしました。 小ぶりで、とても美味しいので何個でも行けそうですが(^_^;) 3個たべたところでYUKIからは箱ごと取られてしまいました。

華美なパッケージは一切なく 小さな紙箱にぎっしりつまった10個の最中、これで950円。 防腐剤など一切使わず、その日作った分が売れたらそれでおしまい。 配送も、出店もなく、来店客にのみの販売。 昔からの製造・販売スタイルを頑固なまでに崩さない経営姿勢は まったくムダのないECOそのものではないでしょうか。

私がフランセの銀座店長だった20代後半 業務のマニュアル化・パターン化で拡大路線をひた走り… 時代遅れの和菓子屋とバカにしていたお店です。(^_^;)