2005年03月21日061号 セピア色の友

【渋谷小学校で同じ、アパートも同じ丸谷です。大兄が私の思っている角倉さんならご連絡乞う】

私のHPの掲示板に短い一行のカキコミがありました。
丸谷君とは
小学校入学から、彼が関西に転向する4年生の途中まで
社宅のアパート(そのころとしては最新の鉄筋4階建)で
向かい合わせの”丸角コンビ”で家族同様の付き合いだったのです。
私は興奮しながら直ぐに掲示板の返事とメールを直接出しました。

多分、彼は私の名前をネット上の検索で見つけたと思うので
私も彼のフルネームで検索をしたら11ページも出てきます。
因みに私は2ページで負けています(;_;)、そんな事はどーでもいい…
よーするにM放送のプロデューサーとして活躍しているようです。
でも検索のほとんどがウルトラマン関連で彼の現在の顔を見つける事は出来ません。
何はともあれ”現物”をと、15日(火)49年ぶりの再会を約束したのです。

なんと云っても約50年ぶりです!
二人が偶然どこかで出会わす事があっても気が付かないでしょう。
私は古いアルバムから丸谷君を探しながらある事に気がつきました。
丸谷君がいた低学年と、居なくなった高学年の時代が明確に区分されるのです。
丸谷時代?は、正面から撮った記念写真風の写真ばかりで、そのセピア色に変色した写真の
枚数も極わずかなのに対して
高学年になるとスナップ写真が多くなり枚数も俄然増えているのです。
また渋谷小学校も古い木造平屋の校舎と土の校庭から、鉄筋校舎と舗装された校庭になり、
小学校も渋谷の街の風景も、たった数年で大きく変わっていくのです。

そんなわけで、家族同然に世話になった丸谷君のお母さんの写真も
2歳年下で美人の妹クミちゃんの写真もなく
丸谷君の写真が数枚あるだけですが、数枚しか無いからこそでしょう
セピア色の世界が、とてもとても懐かしく、切なく、私の脳裏に蘇ってくるのです。

49年ぶりの丸谷君は、小柄で痩せたお父さん似から、肝っ玉母さん風だった
お母さんの体形に変身?したものの、間違いなくアノ丸谷君です。
彼が行き着けの焼き鳥屋で、そしてカシを変えて…したたか飲みながら
懐かしい、懐かしい、50年前の、今は都心すぎて廃校になってしまった小さな小学校の、
話でもりあがり、そのころのガキ大将だったO君を探して出し逢おうという事で別れました。

しかし私が本当に逢いたいのは、幼心にも美人で可愛いなーと思っていた妹のクミちゃんです。
でも今は56歳になっているようです、あたりまえですが。

(50年前と今の二人の写真です!)

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