2006年07月31日132号  昭和天皇のメモ

毎朝、私はネボケマナコでマンションの郵便受けから朝刊を取って トイレでじっくりと読むのが日課です。 その日(20日)の一面トップの 【昭和天皇 A級戦犯靖国合祀に不快感】 という見出しに驚いて目がさめました。

内容に驚いたのではなく、日経新聞がなんで?!と…驚いたのです。 日経といえば保険関連のトンチンカンな記事も時々ありますが(^_^;) 企業合併や金融経済のスクープもあるので仕事柄とっている新聞です。

内容については 「昭和天皇ならそのような考えだっただろうな」と思っただけでした。

でも、それからしばらくマスコミはこの問題をとりあげ、ケンケンガクガクの 論争がくり広げられられています。 靖国参拝反対派は、それみたことかと喜び 靖国参拝派は記事の信憑性や、日経新聞の政治的作為を追求します。

どんなスクープでも、どんな記事でも、なんらかの作為はあるものです。 でも、昭和天皇自身には作為のしようはありません。 発表された短い文章を見る限り、細かい解釈の違いがあったにせよ その時、昭和天皇の気持ちは伝わってきます。

レフト・ウィングの人達は、この言葉を重く見るべきと言い ライト・ウィングの人達は、このようなものを政治的に使うなと言います でも、このようなものを今まで政治的に利用して来たのはライト・ウィングの人達です。

天皇が個人的な意見を言わない事によって 【責任の所在をぼかし、それでも、なんとなくまとまる、あいまいさ】 が日本の文化なのかもしれません。

話がかわりますが(^_^) 昨年5月に私のこのホームページの閉鎖騒動がありましたが この時、私はとても不思議な経験をしました。

私の担当者は(私のHPに対して)自分は問題は無いと思うのだが閉鎖しろというのです。 他の社員や仲間に聞いても、自分は問題は無いとおもうけど閉鎖するしかないだろうというのです。 誰に聞いても同じような意見です。 じゃー、その担当責任者に直接合わせてくれと、私が頼んでも、絶対にあわせないのです。 その担当者に逢ったとしても多分同じ事をいうでしょう。 結局、少々の時間と少々の訂正で、なんとなくHPは再開となり、根本的な問題が何だったか 今でも私には、よく判りません。

昭和天皇が吐血をして自粛ムードになって、どこの自治体もお祭りを中止する事がありました。 ある海外のジャーナリストが 中止を決断した自治体の責任者ひとりひとりに理由を聞いて回ったそうです。 「個人的にはお祭りをやっても良いと思っているのだけど…」と全員が答えたそうです(^_^;)

【責任の所在をぼかし、それでも、なんとなくまとまる、あいまいさ】も 日本文化?なら,尊重しなければならないのでしょうが、 国際的に通用する文化ではないように思います。

昭和天皇は、いろいろな思いをしょって、それを口にする事なく波乱の人生を送った人です。 何の意図があって遺族と日経が、元宮内庁長官のメモを公表したかは判りませんが その断片を公開したならば、その全ても公開すべきだと思います。 全ての情報をガラス張りで公表するのがインターネット時代の正しい姿というのが私の考えです。 (ロコハウスは全ての保険情報を消費者のためにアッケラカンと開示しようとしたら 閉鎖の危機に追い込まれましたが^_^;)

それが公開されたからと言って、けっして政治に影響させないことです。 小泉さんは「それでも靖国に行く!」と言ったのは 彼らしいというか…ノー天気というか…大胆というか…どう思って答えたかは判りませんが それで良いと思います。 総理大臣が天皇発言のメモ一枚で急変というのではコワイです。

ひとりの人間としての昭和天皇の思いを、公表していく事は 日本の国際化の上でも、有効なことではないかと、 私は思うのですが、いかがでしょうか?