2004年3月1日006号  ヒロコ

「ロコハウスのホームページなのだから、くだらないことばかり書かないで…」
どうもYUKIが不機嫌になってきたようです。
でも「保険ばかりで、こんなホームページ誰も読まない!」というYUKIの”ご意見”を取り入れて
この『週刊KEN』を スタートしたのです…でもたしかにこのままですと『週刊YUKI』になりそうですネ。
では我が家の唯一の肉親、宇宙人とのハーフである一人娘のヒロコについて触れておきましょう。

第3号で”よくしゃべる家族”から逃げ出してローマに行っちゃったと書きました。
(それでも毎晩(ローマでは昼)パソコンで家族3人チャットで1時間ほどの会話をしているのです)
で、なんでローマか?というと…現在ヒロコはテンプル大学という米国フィラデルフィアの州立大学の
東京校(港区)に在籍しており、そのローマ校に1学期だけ授業を受けにいったのです。

で、なんでテンプル大学か?というと…高校の3年間をフィリピンのインターナショナル校に行って
しまい、日本の大学の受験資格がなかったのです。
で、なんで本校(米国)でなく東京校か?というと…経済的問題 、それだけです。

で、なんでフィリピンの高校か?というと…中学の3年間を東京のインタナショナル校に行って
しまい、日本の高校の受験資格がなっかたのです。
で、なんでフィリピンか?というと…これも経済的問題で、どうしても高校もインターナショナル校に行きたい
というヒロコ自身の強い意志から自分で探し選んだのです。

で、なんで中学がインターナショナル校か?というと…これはYUKIの陰謀?!だったのです。

ヒロコは1982年1月1日、YUKIの実家宮崎市で元旦の早朝に生まれました。
共働きだったので生後6ヶ月で保育園に、小学校は3年生まで学童保育通いです。
私も積極的に行事に参加しいろいろな役員も引き受けました。
私が飲食店経営に失敗し40歳で保険代理店の道を選んだのも、ヒロコの為の自由な時間が欲しかったからです。
代理店名もヒロコのロコからとったのです。

小学校の高学年になると塾通いです、私は塾にも興味がなく中学も公立でいいと思っていたのですが
YUKIは絶対に私立に入れたいと思っていたのです。
それでも塾の父母会にも、ほとんど私が出席していました。
6年生の秋、塾の父母会で先生から「どこを受験するかお決まりですか?」と聞かれたのですが
私は具体的な返事が出来ず、その夜緊急家族会議を開いたのです。
そしてYUKIが言いました「インターナショナルに行かそうと思っているの」
ヒロコも横でうなづいているのです。
「なんだ?そのインターナショナルってのは?」

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