2004年3月22日009号 新聞配達

「KENが約束通りに収入を上げてくださらないのが、すべての原因です!」
YUKIは私を激しく攻め立てます、ヒロコは目にいっぱい涙をためています。
「もうこのままではヒロコをインターナショナル校に通わす事が出来ません…」
と突然YUKIが言いだし、また家族会議になったのです。
入学から半年たって、ヒロコが楽しそうに語る学園生活を聞くのが楽しみになってきた矢先です。
ヒロコはもとより私も大変なショックでした。
私はのんきなもので、この時になって初めて学校にとんでもないお金がかかる事がわかったのです。
そうと知っていれば我が家の現状では、初めからムリだったのです。
なんせバブルのピークに買ったマンションの高金利が家計に大きくのしかかり、
キャリアウーマンだったYUKIはバブルがはじけ、ただのオバサンになっているのです。
でもYUKIは私が稼ぎさえすれば問題はない!…と思っているのです、マーたしかにソーですが…
何てたって不景気の先取りだけは、しっかりやっていた代理店です。
お得意様の倒産もあり売上を維持するだけでも大変な状態だったのです。

でも、めったに泣いた事のないヒロコが涙をこらえて、ただただ両親の話を聞くしかない
姿を見ていると、私の方が泣けてくるのです。
「よし!やるぞ!」私は決心したのです。

それから私は毎日午前3時に起きて朝刊の新聞配達です。
本業で稼げ…と言われても保険の仕事は朝から晩まで気合を入れて働いたからといって
必ず収入が増えるというものではありません。
第一そのような営業は私の保険代理店の経営理念と違ってきます。
確実に稼げて本業に支障をきたさないのは早朝の新聞配達しかない…と思ったのです。

新聞配達は1994年の11月から1996年10月まで約2年間続けました。
何でもエンジョイする性格の私は、毎日の朝食も旨く!結構楽しく!こなしました。
でも、どう慣れてもどうこなしても月10万円、年間120万円が限界です。
YUKIが私の向ける気配も、だんだん厳しいものになってきました(ホントーに怖いんですヨ)
だからといって、夕刊も配って…牛乳配達して…ついでにヤクルトも…てなわけにはいきません。
毎朝3時の起床は夜の踏ん張りは利かないし、本業にも影響しだしました。

そんな矢先に、新聞に活字だけの一面広告が掲載されました。
10月からスタートする東京海上あんしん生命の広告です。
【おかしいな、人間が生命保険にあわせてる。】というタイトルをかこんで、なぜ東京海上
が生命保険をはじめるのか、その理由が書かれていました。
勿論、私は東京海上が生保を始めるのは知っていましたが、生保には消極的な考えでした。
なぜなら、あまりにも保険会社本位の我が国の生保事情に絶望していたからです。
しかし、この広告には私が普段思っていた理想的な生保販売のかたちが載っていたのです。
話半分にしても、これなら真剣にやってみる価値があると思ったのです。

新聞配達などやっているどころではありません。
「よし!やるぞ!」と私は再び決心したのです。

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