10日の日曜日『セニョール・ナガモリを囲む会』に
YUKIとヒロコの3人で出かけました。
『セニョール・ナガモリ』と言ってもラテン系の人ではありません(^_^;)
ラテン系の人ではありませんが…
またまた今回も登場させて頂きました、拓殖大学ラテン・アメリカ研究会で私と同期の人です。
昨年11月の香港も拓殖大学ラテン・アメリカ研究会OB会での旅行でした。
拓殖大学ラテンアメリカ研究会がどんな研究会だったかは
いつか詳しく書きます…なんて以前に言ったまま今だ詳しく書かないままですが
この週間KENには良く登場させて頂だいています。
なぜ?よく登場するのかといえば
大学を卒業して40年近くなるのですが、みんな仲が良く家族ぐるみの付き合いが続いているからです。
拓殖大学は1900年創設以来、海外雄飛が伝統の大学で
校歌の「人種の色と地の境我が立つ前に差別なし」は私も大好きな歌詞です。
一流大学出身の多くは海外で活躍するといっても、
数年間の限られた期間滞在しいわば空中戦のような海外活動をするのに対して
拓大は現地で生活し自ら生計をたて、そこで家族をつくったりする者も少なくないのです。
そういった伝統の中で色々な国々や地域のクラブがあって
その中のひとつとして『ラテン・アメリカ研究会』があったというわけです。
今は拓大に外国学部が出来てスペイン語学科がありますが、
当時は第二外国語としてのスペイン語しかなかったのですが、
スペイン語の習得もクラブの目的のひとつでした。
私が大学三年生の時にはスペイン語の語劇祭で『オジャンタイ』という芝居の
主役をやり『角倉がやったらオジャンタイ』なんて冷やかされたものです。
まー私のスペイン語の実力は昨年の我が家でのスペイン旅行で、すっかり化けの皮が剥げてしまい
ますます肩身の狭い家庭生活を送っている私ですが(^_^;)
ナガモリは私とは正反対のスペイン語の虫のような奴で
『ラテン・アメリカ研究会』の生温いスペイン語では物足りず、
自分で『スペイン語愛好会』を作ったほどの勉強家だったのです。
卒業後、旅行代理店の仕事の付くのですが、スペイン語を専門的に使うこともなく
一昨年11月に定年を迎えたのですが、
どうしてもスペイン語を生かした活動をしたいとの思いから
昨年3月からJICAのシニア海外ボランティアとして中米ホンジュラスの観光庁に2年間の
勤務についたのですが、1年経過の健康診断のため約一ヶ月の一時帰国中なのです。
この事は前回の週間KENで、ナガモリのブログを作るという話で少々触れましたが…
せっかくナガモリが帰国中というのなら、同期の仲間が集まろうという事で
ナビオス横浜で昼食を食べることにしたというわけです。
どうしてセニョール・ナガモリを囲む会になったのかは幹事に聞きそびれましたが
同期の仲間というのは、普段はいつもヨビステで呼んでいますから
メールを書く時などでも名前に”様”をつけるのはなんだか抵抗があり…
だからと言って”ヨビステ”で書くのも、どうかな…と、けっこう悩むのです。
したっがて、セニョール・ナガモリはピッタリのように思えたのですが
ロビーでお客様が「セニョール・ナガモリって何かしら?」って注目を浴びていました(^_^;)
今回集まったのはナガモリを含めて7人の同期生とその妻で14名とプラスヒロコの15名!
食事は本格的なコース料理で堪能
食後はベイ・ブリッジが一望出きるラウンジへ
スナップ1 スナップ2
ヒロコは途中で所要のために中座しましたが
みんな大いに話が弾んで
アッというまに時間が経過してしまいました。
ナガモリのブログ用の写真も密かに撮ったのですが気に言ってくれるか、
今週中にまたナガモリに会ってブログの伝授をしなければなりません。 |