たk1めーる
※2007年07月23日183号

頑張れ!ゼン君のパパ

176号でお伝えしたゼン君のママを偲ぶ会が
土曜日、よみうりランド駅(川崎市・多摩区)近くのイタリアン・レストランで行なわれました。
なぜ、そこなのか?というと、そこから数百メートルのところに、ゼン君や大ちゃんやヒロコが
6年間通った保育園があります、ようするに我々のフランチャイズというわけです。

その保育園ではちょうどその日のその時間に「夕涼み会」が行なわれていて
懐かしい思い出がたくさんよみがえってきました。

保育園ほど親たちにとっては懐かしいところはありません。
子どもと一緒に毎日かよい、
働いているからこそ、親たちは保育園に積極的に関わろうとするのです。
「夕涼み会」だけでも私は6回も経験したわけですが、兄弟(姉妹)がいれば、もっと長く関わる事になります。
保育園は子どもたちより、”親たちの同窓会?”がもりあがるのです。

その中核にいたゼン君のママが亡くなって
「このような場所で彼女がいないのが不思議だよね」と誰もがいうような、わきあいあいとした会食でした。
宗教色を一切なくしたお葬式も素敵でしたが
四十九日に変えてのイタリアン・レストランでの食事とはシャレています。(^_^)

ゼン君のパパは高校の先生ですが、昔から透析をしていて、
お葬式の時は、それまでの精神的疲労や腰痛も重なって体調を崩していたようですが
今はかなり健康を回復したようです。

我が家にとっても、ゼン君のパパには元気になって貰わなければならない理由があります。

それは我が家の3人が毎年、
大晦日にゼン君家(ち)に行って、おせち料理を食べさせて頂く…という行事?があり、
それを私とヒロコはとても楽しみにしているからです。
おせち料理を作るのがゼン君のママなら諦めるしかないのですが、
ゼン君のパパが腕によりをかけて作っているのですから、ノゾミは残っています。
彼が我々のテーブルに挨拶に来た時に、私は酔ったいきおいも手伝わせて確認しました。
「ねーねー、今年の大晦日もおせち料理を食べに押し掛けても大丈夫?」…と、
ゼン君のパパは
「もちろん、料理を作るのはボクの生き甲斐だし、みなさんも来て下さいよ」と
一緒のテーブルにいた仲間にも声をかけて嬉しそうに応えてくれました。
まー大晦日に、こんな事で訪問するのは我が家ぐらだと思いますが(^_^;)

ゼン君のママの闘病生活や最期の話なども淡々と話したゼン君のパパ。
かなり立ち直ってきたようで、愛用の自動二輪に加え250ccのバイクも購入しました。
その保険の手続きもあって、解散後にご自宅に伺うことになりました

保険の手続きをして、コーヒーを入れて頂だいて雑談をしているうちに…
年金問題や参院選の話に、そして憲法問題へとうつり
ついに「憲法9条はどうするか?」という核心部分へと迫っていきました。

ゼン君のパパはつねづね「日本人はちゃんとした議論が出来ない!」と嘆いています。
また「議論をして負けたことが無い!」というのです。

ゼン君のパパは昔は生え抜きの左翼運動家だったのですが、それから紆余曲折があって
とても勉強し(もともと学者ですから)、また多くの若い学生や問題児と接して
「日本は軍隊を、そして核の数発ぐらい持つべきだ」という確固たる信念に至ったというのです。

でも私は、たった今もこのようなブログを書き上げています(^_^;)
すなわち、意見がまっこうから分かれるのです。

でも、こうなったら「その通りですね!」とは私も言えません。
したがって、けっきょく時計を見たら午前様になるまで議論をしていました。
もちろん穏やかに
「もう、お前に喰わせる、おせち料理などナイ!」と怒らしたオシマイです(^_^;)
でも、ゼン君のパパはひさびさに議論が出来て楽しかったようで
今度もまた来て欲しいと言って、外まで見送ってもらい、お土産まで頂きました(^_^)

なにしろ、ゼン君のパパには元気になって貰わなくては!