いために
※2005年06月13日073号

それでは、行ってまいります!

 
ハワイ行きが決まった時、この【73号】はホノルルから送ろうと決めていました。

このコラムは毎週月曜日発行となっていますが、
通常は日曜日の夜に原稿を書いて、就寝前(月曜日未明)にネットに流す…
というパターンで連載しています。
今回のハワイ行きは日曜日(12日)の夜、成田を発つ便ですが
ホノルルには時差の関係で同じ日曜日の朝に到着し、
その日の夜にコンベンションがあります。
すなわち現地時間で考えれば、何時ものように日曜日の夜に原稿を書いて
ホットなハワイ情報を【週間KEN】でお伝え出来るという算段でした。

ところが先月11日にホームページの閉鎖騒動が勃発。
ハワイ出発までにはHPを再開するとの思いでやって来ましたが、
結局HPが再開したのがハワイ出発日の前日未明!
このことを何も報告しないで、いきなり、♪浮かれてハワイ♪から…
では、ケジメがつきません。

まずは、この場で、皆様にご心配をおかけしましたが、丸一ヶ月で
あらためてホームページを再開する事が出来ました。
これは、ひとえに私を支えて下さった多くの皆様のお蔭と心から感謝しています。
詳しくはココをご覧頂ければと思います。

この件については、このような短い報告とリンクでお知らせ出きますが、
もう一つ、我が家にとって大きなイベントが土曜日(11日)にありました。

ヒロコの大学(米国のテンプル大学日本校)の卒業式です。
ヒロコが卒業生を代表してスピーチをするというのです。
そのために宮崎からおばあちゃん(YUKIの母)も上京し、
ヒロコもYUKIも着物も着せてもらってと大騒ぎの一日です。
こんな一大事!?を【週間KEN】に書かずに、いきなりハワイ号では
今度は留守番役で”出たがり屋”のヒロコからクレームが来そうです。(^_^;)

さて、卒業式は思ったより遥かに盛大で厳かで感動でした。
会場は先週の学長との食事会と同じ、都ホテル(港区白金)の大会場。
完全にアメリカ風卒業式で、フィラデルフィア本校の学長は勿論
在日アメリカ大使も迎えての一大セレモニーです。

特別に成績優秀という事でもないヒロコが卒業生代表に選ばれたのは
4年間の大学生活を100%エンジョイしたからではないでしょうか?
サルサクラブを創設し、あらゆるイベントに積極的に係わり、
ほとんどの教授や講師、そして学長とまで仲良くなって、
アルバイトはもちろん結局、就職までその関係できめちゃたようなのです。
よーするに、先生や生徒の間でも認知度の高い生徒だったのです。

そんなヒロコのイベントがあるごとに私もビデオを持って参加していたのですから、
けっこう私も有名(親バカとして)になっていたのです。
実は私は…ヒロコを保育園時代から撮り続けて来たのです。(^_^;)

ヒロコが大きな壇上にあがりました、何時ものように落ち着いて
ユーモアに満ちたスピーチが会場を沸かせますが…
英語ですので少し理解出来ないところもあります。
しかし、ちょっと真を置いて
ビデオを撮っている私に向かって感謝の言葉を言っているようなのです。
少し目を潤ませ、声が震えています、コッチもたまったものではありません…
あとで私の撮ったビデオを見たら、画面が揺れていました(^_^;)

その後の立食パーティーでヒロコは誰からも声をかけられ、
その模様をビデオで撮る私をヒロコは「My father」と紹介してくれるのですが、
誰からも…「以前から知っているヨ」とのお答を頂きました。

宮崎のおばあちゃんも「小さい時には大変なハニカミヤだったヒロコが…」と
とても感動されたようです。

てなわけで【73号】はハワイからではなく、我が家から送りました。
【74号】を書く時は我が家に戻ってきてからです。
そうすると画期的企画?ハワイ発【週間KEN】は無いというのも寂しいので…
臨時増刊号としてでも、出せたらと思っています。

12日、皆で宮崎のおばあちゃんを羽田空港まで送って、とんぼ帰り
一端我が家に帰ってYUKIと私は成田空港に向かいます。

この一週間の私の平均睡眠時間は4時間もありませんでした。
何はともあれ、バタバタと荷物をまとめ着の身着のまま
重いノートパソコンだけは、しっかり抱え…
「それでは、行ってまいります!」