※2004年3月15日008

インターナショナル・スクール

 
     
先週は緊急レポート『吉野家のカレー』で話が中断してしまいました。
今ローマにいるヒロコにチャットでこの事を話すと「ヒロコより吉野家をとったんだ…」なんて
嫌味を言われてしまいました。
吉野家はあれからすぐ250円の『とん丼』を出して、巻き返しを図っているようです。

さて、話はインターナショナル・スクールです。
私だってインターナショナル・スクールの存在ぐらいは知っています。
しかし目の前にいる二人は、私をさしおいて、すっかりその気になっているのが気に入りません。
「で、入学試験は何時で、入学金はいくらかかるの?」私はYUKIに聞きました。
「え!なにも無い!…」私は後の”無い”に心が大きくなびきました(ヒロコは先の”無い”に…多分)
考えてみれば、外国の子女も親の都合で出入りする事もあるでしょうから、入試や入学金が
馴染まないのもたしかです。
「第一志望がソコなら、入試をどーのこーのという前にまずソコをあたるのが先決」
との私の意見で、早速お目当てのインターナショナル・スクールを訪ねることになりました。

1993年11月、小学校6年のヒロコとYUKIと3人で杉並にあるジャパン・インターナショナル・スクール(JIS)
にむかいました、教務担当のMr.Parrとアポイントがとってあります。
その日は土曜日で生徒の姿はありませんでしたが、予備校のような小さな校舎ですが日本の学校とは
違う洒落た雰囲気が漂っています。
出迎えたMr.Parrはいかにも外国人?という大柄で頭の禿げ上がった人で私たちを明る出迎えてくれました。
もちろん英語で。

彼のまくしたてる英語を私はただただ微笑みながら聞くしかありません。
まー言ってる事の半分くらいはわかるのですが…。
中学で3年・高校で3年・大学で4年、計10年も一応英語を勉強したことにはなっているのですが…この程度です。
まして公立の小学校に普通に通い、普通の日本の家庭(チョット違いますが…)で
普通の日本人の両親(アッ、片方は宇宙人でした…)で育った娘が、いきなり英語だけの世界に
ついていけるかが問題です。
しかし、とうのヒロコを見るとMr.Parの英語に動じることなく楽しそうに振る舞っているのです。

なんのことはない、それでMr.Parが「春からどうぞいらっしゃい!」といって私たちを送り出したのです。
学校をあとにするなりヒロコは小躍りして「受かった!受かった!」と大喜びです。
予備校に通い、暗い受験を覚悟していたヒロコにしてみれば【大不戦勝】といったところでしょう。
ヒロコははしゃぎながら友達に電話しています「わたしインターナショナルに受かっちゃった!」
何が受かっちゃただ…と思いながらも、まー私としても一安心というところでした。

そしてYUKIは珍しく私にやさしく、ささやきました…
「KEN…これから学校にお金もかかるのですから、今以上に頑張って稼いでくださいネ」
とうぜん私も明るくこたえます「うん、頑張るヨ」
この一言が…その10ヶ月後に大変な事になるのです。