2012年12月10日 463号 ”KANAしばり”の日々(^_^;)

3日(月)は午前4時30分にタイマーをかけて起床!
ヒロコとKANAにお別れをして5時30分クルマでランスとケビンと共に家を出て
ハンツビル空港まで送ってもらいました。

       

シカゴ行きの便は結局2時間も遅れて出発して、その理由が飛行機の重量オーバーのトラブルがあって
お客の機内預けの荷物の一部を次の便に積み変えたとのアナウンス、次の便では成田行きの便には間に合わず
まさか我々の荷物は大丈夫だろうと思っていたら乗務員がユキに何やら話していて、
私たちのトランクが対象になってしまったの事。(^_^;)
シカゴ空港でトランクはどうなっているのか結局誰も答えてもらえず
成田空港でとりあえずバッゲッジ・クレームで機内預けの荷物が回ってくるのを待っていたら、
真っ先に我々のトランクが流れてきて全て勢ぞろい!…嬉しいやら腹が立つやらで(^_^;)
4日(火)の夕刻に定刻通りに成田に到着して丸二週間の旅を終えました。

ユキは約一ヶ月、私は2週間、日本を留守にしていたので時差ボケと闘いながらも
年末バージョンに切り替えなければ年が越せません(^_^;)
でも何が楽しみといったらスカイプでKANAとお話する…ことはまだ出来ませんので(^_^;)
こちらが一方的に話す事になりますが
ちゃんと聞こえているように感じてしまうほどで生後一カ月にも達していないベイビーとは思えない
コミニケーション能力があるのです(^_^;)

KANAの母親のヒロコはユキの実家である宮崎で1982年の元旦早朝の予定日より一週間も早く誕生。
元旦の宮崎行きの便はガラ空きで私は産まれたばかりのヒロコを抱く事が出来ました。
宮崎に二泊し帰る便は全て満席、宮崎空港で朝からキャンセル待ちをして最終便で帰宅しました。
そして一ヶ月半経過したバレンタインの日にまた宮崎にヒロコとユキを迎えに行って帰宅しましたが
その間は電話でヒロコの鳴き声を聞くのが精いっぱいでしたが今ではスカイプがあります。
それとiPhon同士だと世界のどこでもケータイを掛けるような感じで画像も音もクリアに
繋がる”FaceTime”は画像を自由に動かせるのでとても便利です。
これだとヒロコがKANAに母乳をやったり、夜泣きをして少しゴキゲンになった時だとか
逆に時差があるためコチラは日中で都合よく、もう時間を忘れてKANAとコンタクトを取れるのです。
こんなモノがヒロコが生まれた時からあったら仕事にならなかったかも知れませんが
今は公私混同の我が家での保険代理店業!
”KANAしばり”の日々はこれから当分続きそうです(^_^;)

 

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